第31話
アキトは、キツネの言葉を聞いてゆっくりと顔を上げた。しかし、先程までの強い意思の宿った瞳は、今や怯え切った子供の様な弱々しい物となっていた。
「あの…お願いしてから、こんな事を言うのは卑怯だと重々承知していますが…。ルビィ達には、直接的には関係の無い契約の筈…です。僕はどうなっても仕方無いですが、どうか…どうか……どうかルビィ達だけは見逃して下さい…お願いします…。」
「いえ、ですから私はそんな悪徳金融みたいな事しませんって、昨日も言っているんですが…。そんな今にも泣き出しそうな顔をしないで下さいよ。なんか私が虐めているみたいじゃ無いですか…。」
アキトのその予想外の反応にキツネは困ってしまい、何とか元気付けようと極力優しそうな声で宥める。しかし、元から人を元気付けるのが余り得意では無いキツネの、その余りに白々しい言葉は、全く彼に通用しない。
「泣くなって…言われましても…。だって、僕はルビィ達の保護者…責任有る立場だって言うのに…。こんな対価に何を請求されるかわからない悪魔の取引を、ルビィ達の意見も聞かずに勝手に行ってしまうだなんて…余りに情け無くて…。」
「まあ、確かに契約は内容を精査して、慎重に行うべきだとは思いますが…。それにしても、そんなに私って信用出来ませんかねぇ…?あと、何気にしれっと私の悪口を言っていますよねぇ…。」
項垂れ続けるアキトの言葉に、改めてキツネは自分の信用の無さを痛感し、深く凹んだ。昨日のやり取りで、少しは距離が縮まったのではと考えていたキツネの淡い期待は、脆くも崩れ去っていた。
「取り敢えず安心して下さい。私は飽く迄、貴方と一対一での契約を行いましたからねぇ。そんな契約に関わっていない部外者にまで何かを求める様な、理不尽な事は言いませんよ。約束しましょう。」
「信用…しても宜しいのですか?」
「……逆に、如何すれば信用して貰えるのか、此方が聴きたい位ですよ……。」
「す、済みません…。」
アキトのしつこい位の疑心暗鬼な反応に、流石のキツネも本気で凹んでしまい、弱音を吐く。それを聞いたアキトは、思わず謝ってしまう。
「いえいえ、これも身から出た錆びですからねぇ…。しかし、そもそも貴方はシルバーナさん達と深い関わりが有りますから、貴方に何か有れば彼女達にもある程度は影響が及びます。なるべく私も配慮しますが、彼女達に全く不利益が出ないと言うのは難しいでしょうねぇ。」
「それは…仕方が有りませんか…。」
「ですが、何れにせよ貴方が彼女達と一緒に居ると決めた時点で、例え私が居なくても多かれ少なかれ影響は出ます。彼女達の隣に立つと決意し、その為に私に協力してくれる様に願い出たのでしょう?ならば、私であろうと何だろうと利用出来る物を全て利用してでも、彼女達を守り抜くと言う気概を持ちなさい。」
「……はい、わかりました。」
キツネの叱咤激励に、アキトは弱々しくも頷いた。しかし、未だ俯いたままであった。自らの行った事に、今更ながら酷く後悔しているのは明らかであった。
「では、そろそろ此方を向いて頂けませんかねぇ?そんなに恐がらないで下さいよ。別に取って食ったりなんてしませんから。私からの『お願い』にしたって、あんまりにも無茶な事を言ったりするつもりも有りませんよ。」
「ああ…はい。」
「まだ、かなり動きがぎこちないですねぇ…。」
何とか顔を上げたアキトに対し、キツネは気を取り直していつもの笑顔を造る。励ますのが難しいのならば、いつもの自分らしく振る舞い、アキトに普段の調子を取り戻して貰おうと考えたのだ。
「これからの事で、貴方に伝えておかねばならない事が有ります。」
「これから?さっき話してくれたヒサメさんの事以外に何か有るんですか?」
「ええ、今日の事件における貴方の活躍についてですよ。何しろ、貴方の覚悟を聞いてからにしないと、どう扱おうか決められなかったものでしてねぇ。」
「事件?活躍?」
「『サカキ』幹部のウキ、シキから病院に居た方達を見事に救ったではありませんか。聞きましたよ?見事に相手を言い負かしたり、また武装して人質を取って立て篭もった相手を完全無力化したりと、大活躍したそうですねぇ。」
キツネは、病院での『サカキ』との戦いに於けるアキト達の行動について言及し、アキトを褒め讃えた。その態とらしい賞賛に居心地の悪さを覚えたアキトは困惑し、そんな褒める事では無いとキツネに伝える。
「そんな…僕は大した事はしていませんよ。ウキさんとの口喧嘩だって、時間稼ぎの為に論点をずらしたり揚げ足取ったりして誤魔化しただけですし…。シキさん達を無力化した事にしたって、殆どはディアとヤクモさんのお陰なんですから…。」
「ンッフッフッフ。いえいえ、それだけで充分ですよ。後は此方で色々脚色しますから。」
「脚色?それってどう言う…。」
キツネの悪そうな笑顔を見て、アキトは悪寒に襲われ、嫌な汗をかく。
「アキト君は知らなかったでしょうが、あの場に居たマスコミ陣は全員、私の息が掛かっていたんですよ?だから、その撮影した内容は全て、私の意思で都合の良い様に改竄出来るんですよねぇ。ンッフッフ。」
「……え?」
「『サカキ』の主張は、私としても理解は出来ますが、容認する訳には行きませんでしたからねぇ。彼等が動いた時、念の為に情報操作出来る様にと仕込みをしていたんですよ。彼等と裏で繋がっていた議員も、それを利用して上手い事、罠に掛けて捕まえる事が出来ましたしねぇ。ンッフッフッフ。」
「ええ⁉︎」
『サカキ』の病院襲撃は、キツネには予期出来ていた物であった。病院に送られて来る脅迫状は、実はキツネの部下が秘密裏に検閲しており、特に危険性が高いであろう組織とその繋がり、そして行動について、数多の優秀な密偵を使って密かに確認していた。そして、襲撃事件を利用して繋がっていた者達を全員罠に嵌めたのである。勿論、その後釜にキツネの『友人』を捩込む根回しは、当然の如く済んでいる。
「そんな…僕達が居なくても、良かったんですか…。」
「いえいえ、そんな事はありませんよ?ただ、私の部下は諜報や工作特化でしてねぇ。裏の仕事をさせている関係上、余り表立っては動かしたく無かったんです。だから、丁度病院にアキト君達が居てくれた事は、救援を犬に頼むと言う手間が省けて実に助かりましたよ。それが例え、敵の策略の一貫だったとしてもねぇ。」
「という事は、公安捜査庁が裏で『サカキ』を操っていた事も…。」
「ええ、小耳に挟んでいました。だからすぐに、色々と準備して彼等に『お願い』しに行けたのですよ。少々時間は掛かりましたが、何とか間に合って良かったですねぇ。完全に貴方達が勝利してしまった後からでは、カスミさんからの譲歩を引き出すのが、もう少し難しくなっていたでしょうしねぇ。ンッフッフッフ。」
キツネは意地悪そうな笑顔を造る。彼にとってはサキの策略も、第三勢力による予想外な介入をも、その全てがチャンスである。利用出来る所を目敏く見付けて活用し、自らの計略に組み込んだのだ。
「はあ…。キツネさんが秘密主義で合理主義なのは、この二日間で身に沁みてわかっていた事ですが…此処までとは…。ただ、少し位は僕達に報せが有っても良かったんじゃ無いですか?」
「いえいえ、よく言うではありませんか。敵を騙すのなら、まずは味方からって。情報漏れの可能性を低くするのは基本中の基本ですよ。」
「それはそうかも…ですが…。」
「それで、『サカキ』が表立って起こした事件については、先程話した通り『導術普及反対派として行動した』結果とします。貴方達が彼処に居たのは偶然で、病院での事件を解決し、その後見事、人質となっていたミノリ一家を救い出した…と言う事になりますねぇ。」
「全員を無事に…とは行けなかったですけどね…。」
アキトは、自分達の為に戦って重傷を負ったアイビシアを思い、自身の非力さを嘆く。しかし、キツネはそんなアキトの態度に対して、もっと自信を持つべきと説く。
「いえ、貴方は負傷したアイビシアさんを、病院に転送する事で見事救ったのですよ?彼女に怪我させてしまったと言うネガティブな事よりも、救ったと言うポジティブな方を大々的に宣伝すべきです。『導術によって命を救った』と言う事実、これは導術反対派に対する大きな牽制、世論への良い宣伝になります。」
「宣伝って…。これを利用してプロパガンダでもする気ですか…?」
「ええ、正にその通り。貴方のプロパガンダをするのですよ。貴方は、既にアビス王国の要人であるシルバーナさんを一昨日、昨日とテロリストから二度も救った英雄であり、そして今度はヨミ国の一般人を救った英雄となります。いやあ、これで貴方の名声は更に高まりますねぇ。」
「はいい⁉︎」
アキトはキツネの言葉に驚く。ただでさえ、昨日の午前中の茶番劇で偽りの英雄を演じ、良くも悪くも有名になってしまった事で変な注目を浴び、居心地が悪くなって来ていたのに、それを加速するかの様な事を聞かされた為だ。アキトは流石に苦言を呈した。
「ちょっと待って下さいよ!僕はそんな活躍なんて…。」
「だからこその『脚色』ですよ。今回の行動と結果を『少しばかり』誇張して、見事に貴方を英雄へと持ち上げて差し上げます。そして、ヨミ国とアビス王国との友好の旗印として、立派に祭り上げて見せましょう。」
「えええ⁉︎」
「そんなに心配しなくて大丈夫ですよ。元々、貴方は充分に活躍していますし、誇張も現実から著しく逸脱しない様に気を付けますから。まあ、昨日以上の注目を浴びる様になるのは致し方ありませんが。だから、これから言動には呉々も気を付けて下さいねぇ?何処に目が有るかわかった物ではありませんからねぇ。ンッフッフッフッフッフ。」
アキトの苦言も、キツネには全くの無駄だった。何故ならキツネは正に、アキトを有名にする事自体を狙っていたからだ。これにはアキトも困惑を隠せない。
「そんな…困りますよ…。」
「まあまあ、少し冷静に考えてみて下さい。もしも貴方がヨミ、アビス両国の間を取り持つ象徴となって更にその名声を高めれば、貴方の存在は両国同士を戦争させたい者達にとって非常に厄介な存在となるでしょう。そうなれば、寧ろ彼等に狙われるのは貴方になる。」
「…つまり、僕に囮になれと。」
「簡単に言えば、そういう事です。彼女よりも優先的に消さねばならない対象を存在させ、暗殺の為のリソースを其方に割かざるを得ない状況に持ち込む。そうなれば、シルバーナさんを狙う確率、そして殺される確率を下げる事に繋がります。」
「飽く迄も確率を下げるだけ…ですか。」
「それは仕方有りませんねぇ。百パーセントな安全など有り得ませんから。ですが、百パーセントに限り無く近付ける事は可能です。出来る事を何でもやって、シルバーナさんやディアさんを守り易い状況にして行く…その地道な積み重ねこそが、彼女達を守る上で重要だと、私は考えています。」
「…そうですね。」
アキトは、キツネの真摯な言葉に次第に心を許して行く。キツネなりに真剣に彼女らを守ろうと考えている事がわかったのだ。それが、アキトにはとても嬉しかった。
「ですが、僕にその役が務まるでしょうか。」
「ンッフッフ。単独では、それは厳しいでしょうねぇ。だから私の力を貸すんですよ。私は導術や戦闘術を人に教える事は不得手ですから、戦闘面でのサポートは難しいでしょう。しかし、それ以外の分野に於いて、私が貴方の力になれる所があります。」
「人を騙す事ですね。」
「むぅ…確かにそれも有りますがねぇ…。アキト君、もしかして私の事を揶揄っていませんか?」
「え…揶揄う?」
「態とじゃ無くて、本気で言っていたんですか…。」
アキトの悪気の無い、純粋な思いから出て来た言葉が、キツネの心に深々と突き刺さる。疑う余地など無く自業自得ではあるが、『キツネ=詐欺師であり、それ以外の要素が皆無である』と思われている事を、深く嘆いた。
「…良いですか?私の力はそれだけではありません。様々な所にコネクションを持っている事もまた強みなんですよ。戦闘ならいざ知らず、社会に所属し生活する上では、コネは非常に強い力です。それはわかりますねぇ?」
「はい。」
「貴方が生活しているこの社会には、様々な『規則』が有ります。私達は、それに常時縛られながら生きている。秩序を守る為にもそれは重要な事ではありますが、こと非合法な手段でもって襲って来る輩は、そんな事など御構い無し。その様な輩を相手にする場合には、この『規則』と言う物は非常に厄介です。」
「ああ…それはわかります。」
アキトは、昨日の戦いを思い出す。実際に襲って来たのは『日出ヅル処ノ天子』やアサテだが、アキト達は導術使いであった為に、その戦闘の結果生じた社会への不利益を弁償しなければならないと言う責務が生じてしまった。この例に代表される様に、導術使いに争わせない事、戦う力を持たせない事を目的とした法律が多く制定されている為、『法令遵守しながら』戦う事や力を付ける事はかなり難しいのだ。アキトは深く頷きながら、苦い顔をした。
「斯く言う私もシラサギの時の様に、囮を使ったりして良く獲物を罠に嵌めているのですが、それらは基本的に違法捜査に当たります。私は捜査権なんて持ってませんからねぇ。」
「ええ⁉︎許可を得ていなかったんですか⁉︎」
「ンッフッフ。大丈夫ですよ。カスミさんの権力を拝借して追認して貰う事で、『公の捜査』として扱えますからねぇ。シラサギ事件の関係は、カスミさんの口添えも有って、全て『公』の物となっていますので、違法ではありません。」
「何と言う屁理屈…。しかし、そんな勝手ばかりしていては、カスミ先生が怒りませんか?」
「いえいえ、実はこれは相手にも得が有る話でしてねぇ?もしも私が失敗すれば、それは私の責任で警察は関与しない。一方で成功すれば、それは警察の手柄となります。つまり、どう転んでも警察は無傷な様になっているんですねぇ。そして成功した場合には、私は『おこぼれ』に与れると言う訳です。」
「う、うわあ…。」
キツネは得意の諜報で悪事の情報や証拠を集め、カスミは自身の強い権力で犯人を逮捕して手柄を立てる。そして、犯人の社会的地位が高い場合、その後釜にキツネの息が掛かった者を捩込む。これこそがキツネとカスミの、互いに利益を享受する、しかし協力と言うには余りに黒過ぎる関係であった。
「なんて言うか…。社会って怖い所ですね…。」
「ンッフッフッフ。ええ、全くその通りですよ。長い物には巻かれろとは言いますが、考え無しの唯の言いなりになってしまえば、良い様にこき使われて終わりです。痛い目に遭ったり、泣きを見たく無いのでしたら、常に考え続ける事です。肝に銘じておきなさい。」
「…忠告、痛み入ります。」
キツネの言葉はアキトに重く響く。正に今、アキト自身が権力者であるキツネに頼ろうといているからである。頼るだけで無く、自ら考える事をしなければ、いつでも足元を掬われるぞと言うキツネの言葉を、アキトは深く心に刻んだ。
「とまあこの様に、扱い方には注意が要りますが、権力者とのコネと言うのは強力です。違法捜査が合法になってしまう位にねぇ。御理解頂けましたか?」
「え、ええ…はい…。」
「そして、私達の行動を妨害する枷…即ち『規則』と言うのは、正にその権力者が作るのです。つまり、権力者の意向で如何様にも『例外』を作る事が可能になるんですよねぇ。この様に。」
そこでキツネは自身の胸ポケットから、トランプ程度のプラスチック製のカードを取り出し、アキトに見せる様に机の上に置いた。其処には既にアキトの名前に顔写真が印刷されており、一見すると車の免許証の様であった。
「これは?と言うか、いつの間に僕の顔写真を…。」
「まあまあ、細かい事はお気に為さらず。」
「細かい事…では、無いと思いますが…。はあ、もう良いです。」
その辺りの権利関係とか一体どうなっているのだろうとアキトは疑問に思い、そしてキツネ相手にそれを問うのは意味が無いだろうと考え、潔く色々と諦めた。
「ンッフッフッフ。これは、私のコネを最大限活かして作り上げた、『貴方専用』の権力の証です。」
「権力の証…?」
「ええ、これはある種の『免罪符』ですねぇ。これを持っていれば、貴方は緊急時での導術の使用、武装及び発砲、許可された場所以外での導物の利用、そしてそれらによる器物損壊等で一切咎められません。専門のスタッフを付けて戦闘訓練を行う事や、導術対策として縁絶鋼を所持する事すら認められます。」
「本当ですか⁉︎」
アキトは驚く。今までは、カスミの口添えとキツネの隠蔽、そして曲がりなりにも『正当防衛』らしく振る舞っていた事で何とか咎めを受けずに済んでいたが、一般の導術使いならとっくに捕まっている位の事をしていた。しかしキツネの言葉の意味は、簡単に言えばそれら殆ど全てが無罪とる事を示す為である。
「そんなに驚く事ですか?貴方は、もう既にコウガ殿から武器を受け取り、アビス王国強硬派工作員やアサテに発砲して怪我をさせ、またディアさんを使って沢山の建造物を破壊して来たではありませんか。縁絶鋼だって所持したでしょう?」
「あ…。まあ…そうですが…。」
「確かに、シルバーナさんから色々と不味い情報を聞いてしまった時点で、貴方は敵に狙われる可能性が高かったですからねぇ。何処にテロリストが潜んでいるのかわからなかったですから、特例として武装させる事も可能ではあります。ただ、それにしたって普通、訓練も受けてない学生に武器を持たせますかねぇ?誤射の危険だってあったでしょうに…。」
「え、えっと、何と言うか…。僕も確かに驚きましたが、あの時はルビィを守る事で頭が一杯で…。持っていた方が、いざと言う時に守れるかなって…。余り深く考えなかったのは、確かに軽率でしたね…。」
召喚術使いは物を持ち運ぶ必要が無いため、嵩張る武器との相性が抜群に良い。そして、転移召喚しか使えないアキトは、導術で攻撃が出来ない為に、武器を持たせる事が最も手っ取り早い戦闘能力強化手段である。その為、コウガは大量の武器をアキトに与えたのである。
「貴方に使わせる機会を与えるつもりは、全く無かったみたいでしたがねぇ。ただ、何が有るかわからないからと言って、保険の為に渡したのだとしても、とても軽率な判断だったと言う事は否めませんが。」
「確かに…結局僕は武器を使ってしまいましたしね…。ヤクモさんが居るとわかっていたら…。」
「それを言い出すなら、そもそもコウガ殿が転送でアキト君達を外に逃がしつつ、そのまま御自身も逃げ出せば良かったんですよ。いくらエミリオを捕まえたいからと言ってもです。その上、油断して敵に鹵獲されてしまうとは…。」
「うう…済みません先生…。僕、反論出来ません…。」
思い返して見ると、あの時のコウガの行動には、結構おかしな物もあったなとアキトは不本意ながらも思ってしまう。
「…まあ、転移契約に関しては、コウガ殿の経験上、それを忌避してしまう気持ちもわからなくも無いのですがねぇ…。」
「経験…。コウガ先生に何かあったんですか?」
「ああ、詳しい話はいつか聴く機会が有るかも知れませんがねぇ。簡単に言えば、転移契約は彼にとってはトラウマなんですよ。車中でアキト君がコウガ殿に転移契約のお願いをする時も、かなり戸惑っていたでしょう?」
「ああ…そう言えば。」
アキトは、二日前のコウガの行動を思い出す。コウガは、立て篭りのあった寮に行く途中の車の中でアキト達と契約を結ぶ際に、かなり躊躇していた。そして、契約を解く際にも、早く解約したいと言う雰囲気を出していたのだ。その時は余り気にしていなかったが、今にして思えば確かに不自然であった。
(ああ…だからアキト君に武器を持たせたかったのかも知れませんねぇ…。彼自身、アキト君達を本当に守り切れるかどうか、自分の実力で本当に大丈夫かどうか…不安で不安で仕方が無かった。故にアキト君自身を少しでも強く…と言う事でしたか。まあ、言い訳にしかなりませんがねぇ。)
理性的に考えれば、コウガの行動は褒められた物では無いと思いつつも、気持ち的に考えれば、そうせざるを得なかったのも納得出来る部分が有るなと、キツネは思った。
「さて、この辺りで話を元に戻しましょう。つまり、このライセンスを持てば、そう言った問題行動で警察に厄介になる確率がぐっと減ると言う訳ですねぇ。此処まではわかりますか?」
「はい、大丈夫です。ですが、僕みたいな一般人に、そんな権力を持たせても大丈夫なんですか?」
「ンッフッフ。既に説得と根回しは私の方で済ませてあります。貴方がシルバーナさんの保護者である限りは大丈夫ですよ。シルバーナさんが殺されると、戦争になるかも知れませんからねぇ。」
「まあ、相手はそれが狙いですからね。」
「それは言い換えれば、シルバーナさんは歩く大義名分だと言う事になります。彼女が襲われて殺害されるのは、両国の関係が悪化して非常に困る。だから、『シルバーナさんを守る事』に関してのみ、保護者であるアキト君に強力な権限を持たせるべきとして、説得して回ったのですよ。流石に、貴方以外の方達に強権を持たせる事は叶いませんでしたが。」
シルバーナは、義理とは言えアビス王国の公爵家令嬢であり、その死は両国の不和を招く。そして、最悪の場合戦争に発展する。ならば、それの保護者たるアキトを狙うと言う事は、即ち外患誘致を行うに匹敵する犯罪と見做すのは当然であると言うのが、キツネの論理である。
「そうですか、成る程…って、あれ?ルビィがもしも死んでしまったら、それは病死に偽装して誤魔化すんじゃ…。」
「ええ、実際はそうです。ですがそれは『裏向きの対策』であって、それを表立って言える訳が無いでしょう?だから、『表向きの対策』として、保護者たるアキト君に例外的に自衛手段を持たせなければならないと言う『体』で、貴方に強権を付与する事を可能とするのですよ。」
「『体』ってそんな…。はあ…なんと言ったら良いんでしょうかね…複雑な気分です…。ですが、本当に有り難い話では有りますね。」
実際には、シルバーナの死はキツネにより隠蔽される予定である為に、戦争になる可能性は低い。しかし、それはそれとして、襲って来る輩に対しては大手を振って反撃が可能とする訳である。その悪どいやり口に舌を巻きながら、アキトがライセンスを受け取ろうと手を伸ばすと、その前にキツネがそれを取り上げる。
「ああ、ちょっと待って下さい。これを受け取って扱う上で、注意が有ります。」
「何でしょうか。」
「この権力は、恐らく貴方が想像しているよりもかなり強力です。それこそ、状況さえ整えば『人殺し』すらも合法となりますからねぇ。」
「…ええ⁉︎」
「だって当前でしょう?シルバーナさんの保護者であるアキト君を狙う輩は皆、例外無くテロリストと認定されます。そしてテロリストを殺す事は、それに必要が有ると認められる場合なら罪には問われ無いのですから。」
ヨミ国では、自衛の為にテロリストを殺害する事は合法である。そして、もしも大人しく投降したとしても、情報収集の為に尋問にかける事が可能な上、完治に二週間以上掛からない程度の怪我ならさせても構わないとされる。(実際は、イナバの気導術による優秀な治療方法が有る為に、相当酷い怪我をさせても、その治療を受けさせれば罪には問われない。カスミの常套手段である。)
「だから、貴方がもしも悪用しようと思えば、状況を整える事さえ出来れば、邪魔者に濡れ衣を被せて殺す事も可能です。『自衛の為に仕方が無かった』としてねぇ。」
「そんな!僕はそんな事なんて…!」
「わかっていますよ。ですが、其れ程に強い権限を持たされると言う事を、良く理解して下さい。つまり、本当に必要ならば、それが例え不本意だとしても『殺人』を為さねばならないと言う事でもあるのです。殺したく無いからと言って敵を敢えて見逃し、それによって彼女達が害される事が有ってはならないのです。まあ、飽く迄『表向きは』ですがねぇ。」
「そ、それは…確かに…。」
「貴方は、その手を汚してでも彼女達を守り、そして『生きなければ』ならない。恥や罪悪感に負けて、守るべき者達を遺して死んで逃げる事など許されません。それが、この権限を持つ事に対する、貴方の果たすべき責任です。」
キツネの鋭い視線が、アキトを射抜く。中途半端な覚悟は許さないと、そう目で語っていた。
「そして、この権限を持つと言う事は、私の策に乗る事…つまり、私と一蓮托生となる事も同義です。私が捕まれば、その共犯者たるアキト君にも余計な火の粉が掛かる可能性は高いでしょう。それに、その権力を私利私欲に用いようとすれば、其れ相応の罰を受けて貰います。それらのリスクが有る事を知っておいて下さい。」
「はい……。」
「更に、その肝心の策と言うのは、言い換えれば攻撃対象を他に逸らすだけの策であって、直接的に相手の攻撃能力を減らす策ではありません。強大な勢力から命を狙われる事になりますから、貴方の自由はかなり制限され、負担も相当な物となるでしょう。」
「……はい。」
「そしてこれから暫く、少なくとも強硬派の方達が力を持っている限りは、何時襲われるのかわからない恐怖と戦い続け、必要とあれば敵を殺さねばなりません。そして、逃げる事は決して許されないでしょう。このライセンスを取ると言う事は、それらを全て受け容れると言う意味です。………それでも、本当に宜しいですか?」
「…………。」
キツネは、ライセンスを再び机の上に置いてアキトの方にずらしながらも、最後までアキトを試すかの様な言葉を投げ掛けた。アキトの覚悟の程を、此処で確かめておきたかったのだ。
「愚問ですね。当たり前でしょう。」
しかし、アキトはそれを一笑に付し、躊躇無くそのライセンスを手に取る。その思い切りの良さに、少しは戸惑うだろうと踏んでいたキツネは良い方向に期待を裏切られ、感嘆する。
「ほう…これを二つ返事で了承しますか。私はてっきり、二の足を踏むだろうと思っていたのですがねぇ。」
「それがルビィ達を守る為に必要な方法なら、二の足を踏む理由が有りませんよ。例え、この手を汚す事になったとしてもです。…まあ、それは最期の最後、最悪の場合にのみですが。」
「貴方の…人生が台無しになってしまってもですか?」
「台無しになるだなんて思っていませんよ。僕はルビィ達を守ると決めました。その為に頑張るのが、これからの僕の人生ですからね。台無しになる筈が有りません。」
アキトの言葉には、揺るぎ無い信念が篭っていた。それを聞いたキツネは、とても嬉しそうに笑った。と、その時、部屋の外で物音がした。不審に思ったアキトが戸を開けて見た。
「あれ?ルビィ、ディアもこんな所で何しているんですか?何か僕に用ですか?」
其処には、顔を真っ赤にして蹲るシルバーナと、困った様な顔をしたディアが居た。実はトイレに行った帰りに、アキトの事が如何しても気になって、悪いとは思いながらもアキト達の居る部屋に近付いて聞き耳を立てていたのだ。そして、アキトの大胆な宣言に対して驚き、思わず物音を立ててしまった訳である。
(ンッフッフ。これは、ヤクモさんが謀りましたねぇ?タイミングが完璧です。流石ですねぇ…ンッフッフッフッフ。)
シルバーナとディアの表情は、嬉しさと恥ずかしさと申し訳無さが綯い交ぜになっていた。アキトの事が、本当に好きであるからこその反応であった。その様子を、キツネは面白そうに眺める。
「お、お兄さん…。」
「うわ!どうしましたかルビィ!顔が真っ赤ですよ⁉︎まさか熱⁉︎」
一方、酷く鈍感なアキトは、見当違いにもシルバーナの体調を心配し、徐にシルバーナの額に自身の額を当てて熱を測る。シルバーナは、喜びと興奮の余り更に顔を紅潮させ、更にアキトを困惑させる。
「結構…熱いですね…。」
「あ…あう…あうあう…はうあ…う…。」
「上手く呂律も回っていない…。高熱で脳機能に問題が生じている?…これは不味い…早く医者に診せないと!ヤクモさぁん‼︎」
「だ!大丈夫れふがあ⁉︎」
慌てたアキトが、シルバーナを医者に連れて行こうとヤクモを呼んだ為、シルバーナは急いで自分は大丈夫だと言おうとし、舌を勢い良く噛んでしまう。
「あう…ひ、ひらかんら…。」
「本当に大丈夫ですか…?疲れが溜まっているんですね。無理はいけませんよ。何なら、ヤクモさんに頼んで…。」
「ほ、ほんろにらいりょーうれふから‼︎ご、ごめんらひゃあい‼︎」
「キュキュイ!キュルッピィイイイイイイイイィィィィィィィーー!」
「ああ!廊下を走ると危ないですよ!…って、聞こえていませんね…。」
シルバーナはアキトに謝りながら急いでディアに跨がると、ディアは全力で廊下を駆け出し、ヤクモ達の居る部屋へと駆け込んで行った。そしてその部屋の中から、急に飛び込んで来たシルバーナとディアに驚くレンの声が廊下に響いて来た。
「うーん…。本当に大丈夫でしょうか…。」
「あれだけ元気なら、きっと大丈夫でしょう。大切にするのも大事ですが、過保護が過ぎてもいけませんよ。」
「それも…そうですか。」
「さあ、中へ。話はまだ終わっていませんから。」
キツネに促され、アキトは再び部屋の中に入る。そして机に座ると、同じく座ったキツネがアキトに話し掛ける。その顔は、変にニヤニヤとしていた。
「ンッフッフッフ。ところで、本当に貴方はシルバーナさんやディアさんが好きなんですねぇ。」
「ええ、心の底から大好きですよ。」
「そうですか、それは良かった。何せこれからは貴方の人生をかけて、何時迄もずっと一緒に居られますからねぇ。大好きな人と一緒に居られるのは、とても幸せでしょうねぇ。」
「何を言っているんですか?そんな訳無いじゃないですか。」
「………え?」
キツネは、アキトの言葉に呆然とした。それに構わず、アキトはそれがさも当たり前であるかの様な口調で続ける。
「彼女達はまだ子供ですが、いつか大人になります。そうなれば、保護者である僕が何時迄もくっ付いて居るのは不適切です。僕は自他共に認めるかなりのシスコンですが、彼女達の成長の為になら涙を飲んで、いつでも妹離れをするつもりですよ。」
「え、えっと…。あ、あのですね…?」
「僕は、確かに人生をかけて彼女達を守ります。しかし、それはいつか彼女達が立派に成長して、僕を必要としなくなり、そして独り立ち出来るだろう状況が整うまでの事です。僕の様な老害は、何時迄も若い世代の上に居てはいけません。若い目を摘んでしまいかねないですからね。」
「いや、老害って…。」
「勿論、彼女達と一緒に居たくない訳では有りません。ただ、そんな自分勝手な想いが、却って彼女達の負担なってしまったり、彼女達の将来の幸せの妨げになる位なら、僕は別れを選択します。何よりも、彼女達が幸せになる事こそが一番ですから。」
キツネは完全に閉口する。アキトは、決してふざけて言っている訳では無く、本気でそう思っている事がわかってしまったからだ。キツネは思わず頭を抱えて溜息を吐く。
「まさか、此処まで酷いとは…。」
「どうかしましたか?キツネさん。」
「ええ、これは強敵だなぁと思いましてねぇ。」
アキトとシルバーナをくっ付けようと画策するキツネは、漸く自身の計略における大きな障害の存在に気付いた。しかしその事は、当の本人であるアキトには気付ける筈も無かった。
「…敵?何処に居るんです?」
「いえ、こっちの話ですよ。ですが、これは本当に如何した物か…。」
「そうですか…?変なキツネさんですね。」
完全に他人事なアキトの反応に、キツネは再び大きな溜息を吐いたのだった。




