第30話
キツネとの取引を無事に終えたヒヨウは、脂汗をかきながらも護衛を伴い、キツネの見送りにと建物入り口まで出てきていた。家まで送るとも申し出たが、近くまで部下に迎えに来させていると、キツネは丁重に断った。
「…本当に、今回の件に関しては他言無用にして貰えるのだな?」
「約束は法と同じ、破る物では無く守る物ですよ?安心して下さい。私は、約束は守りますよ。信頼の無い取引など、成立する訳が無いでしょう?」
「…わかった。貴君を信じよう。我々も、貴君や貴君の部下に一切手を出さない。だから…。」
「ええ、私はこの件については一切他言せず、証拠も全て貴方にお渡しします。先程お話した通りの場所に纏めて置いておきますので、他の方に見つかる前に回収して下さい。」
「それで…件の物は…。」
「装置も、例の映像データやその他の『説得用資料』を記録したメモリーディスクも、そこに一緒に入っています。もしもウイルスが心配なら、対策ソフトでスキャンしても結構ですよ。そんな事、言うまでも有りませんがねぇ。」
「…感謝する。」
ヒヨウは深々と頭を下げる。しかしその顔は、悔しさの余りに酷く歪んでしまっていた。最後に、キツネはヒヨウに対して念を押す。
「良いですか?呉々も約束を破らないで下さいね?…破ったなら、其れ相応の対応をさせて頂きますので、覚悟をして下さい。」
「……ああ、わかっている…。」
「そう落ち込まないで下さい。同じ国に住む者同士、いがみ合わないのが一番です。この件はもう綺麗に水に流しましょう。これからは、良い関係で有りたいですねぇ。」
「そうだな…。」
「では、私はこれで失礼致します。ンッフッフッフッフ…。」
キツネはゆっくりと歩き出す。それをはかったかの様に、一台の黒い車がキツネの目の前にまで進んで停まり、独りでにドアが開く。最後に一度だけヒヨウ達に挨拶したキツネが車に乗り込むと、それは音も無く発進し、暗く細い道の闇の中へと消えて行った。
「…おのれェ‼︎あの腹黒狸めェエエエ!」
ヒヨウは、怒りのままに地面を踏み付け、周囲3メートルの地面を凍らせた。近くに居た護衛の男達は、その八つ当たり攻撃を自らの氷導術で相殺して自身への被害を防ぐ。そして、ヒヨウは凍らせた場所もそのままに踵を返して建物の中に戻り、先まで居た部屋に入るや否や、護衛の男達に向けて命令を下した。
「すぐに証拠を回収し、その後に奴の部下の身元を調べろ!」
「ヒヨウ殿⁉︎それは…!」
「五月蝿い!俺に指図するな!懲罰房に入れるぞ!家族を消されたいのか‼︎」
ヒヨウは、部下に対して『キツネの部下の情報収集』を命じた。つまりそれは、キツネとの約束を早々に破る事を意味する。その判断は、部下達を大いに困惑させた。
「奴を野放しになぞ出来る物か…!我々の秘密を知る者は…一人も残してはならない!部下の身元や位置を把握し、証拠を全て残らず押収した後に全員を始末するのだ!」
「しかし、もしも奴めに我々が約束を破った事が知られれば…。」
「バレない様にすれば良いだけだ!良いか?決して奴に悟られるなよ?知られればお前達も終わりだからな‼︎」
ヒヨウの無茶振りに、部下達全員は困惑する。何せ、今回ヒヨウが脅される原因となったエミリオ達の手引きに関しても、細心の注意を払ってバレない様に隠蔽工作していた筈なのに、キツネには全て筒抜であったのだ。彼の目を欺いて彼の情報収集を行うなど、到底無理な話の様に思えた。しかし、肝心のヒヨウはそれを鑑みようとしなかった。其れ程に、追い詰められていたのだ。
「方々に手を廻せ!総力を上げて、とにかく情報を集めろ!奴から提供される証拠が全てとは限らん!奴が約束を守る保証だって無いのだ!奴等を消さねば…我々に未来は無い‼︎」
「りょ…了解…。」
「急げ!一分一秒も無駄にするな!取り敢えずは奴の言っていた証拠を回収しろ!俺は、奴の要望を見かけ上叶える為に、資料を利用して上に働き掛ける!その後は、どんな些細な情報であろうと収集せよ!一つも取りこぼすな!」
ヒヨウに脅される様に急かされ、部下達は一斉に部屋から出て行き、各々指示された行動を開始した。そして、部屋に一人残されたヒヨウは、怒声と共に目の前の机を凍らせ、そのまま砕いた。幾つもの机の破片が、氷を纏って色鮮やかに散らばる。
「覚えておれよ…腹黒狸!必ず貴様の思惑を…貴様の命諸共に、この机の様に粉々に粉砕してやるからなァアアアアアア‼︎」
ヒヨウの怒りの叫びが、部屋の中一杯に響き渡る。床に散らばった机の破片は、それを静かに聴いていた。そして、その破片達が纏う氷は、ヒヨウの顔を映していた。その光景はまるで、幾つもの目や耳が彼を監視しているかの様であった。
キツネは、ヒヨウと別れた後で学園長の別荘に向かい、其処で楽しげに会話しながら食事をしているアキト達に会った。アキトはキツネの突然の訪問に驚いたが、ヤクモはそれを予期していたかの様に落ち着いて彼を部屋に通し、今回の事のあらましを聞かせてくれる様に願い、キツネはそれを快く了承した。
「取り敢えず皆さん、ヒサメさんの頭の中には『爆弾が設置してある』と言う事でお願いします。」
「はあ⁉︎」
「いや、ちょっと待って⁉︎何が如何してそうなったの⁉︎」
アキトとレンが、キツネの発言に驚いた。折角、ヒサメの頭の中に仕掛けられていた爆弾を取り除いたと言うのに、その努力を無駄にしたかの様な発言は、到底納得出来る物では無かったからだ。
「まあまあ、アキト様に若様、落ち着いて下さい。」
「ですが…!」
「キツネ様は、『と言う事』と申して居ります。これはあの、いつものアレですよ。」
「ああ…成る程。しかし、何故その必要が?」
キツネはアキト達に、ヒサメの頭の中に爆弾が仕掛けられている『風』に振舞う事をお願いしていた。つまり実際には、ヒサメに爆弾は仕掛けられていないと言う事である。その事にアキトは安堵したが、しかし何故その必要が有るのかについて如何しても解せなかった。すると、それに対してキツネが答える。
「ンッフッフ。アキト君もまだまだですねぇ。まあ、アキト君が得られる情報には限りが有りますので、致し方の無い部分も有りますが。」
「勿体付けないで、教えて下さいよ。」
「ええ、わかっていますよ。では、説明致しましょう。ああ、いつもの様に呉々も他言無用でお願いしますよ?」
「ええ、守秘義務は守ります。」
アキトはシルバーナとディアに確認する。彼女らはしっかりと頷いた。それを確認して、キツネはゆっくりと語り出す。
「今回の事件は、アキト君達が『機械化ムカイド』の出処を知ってしまったのでは?と言う疑惑に端を発します。それはアキト君も気付いていたと聞きましたが、中々の洞察力ですねぇ。」
「揶揄わないで下さい。ヒントが有ったからにすぎませんから。」
「謙虚は美徳とも言いますが、余りに過剰なのは感心しませんねぇ…。まあ、それでそのムカイドと実は関係のあった『公安捜査庁』が、『サカキ』を利用してアキト君達から情報を得て、関係者を全員を始末した後で、『サカキ』に責任の全てを被せると言うのが作戦の基本的な流れでした。」
「チィ!本当にむかつく奴等だぜ!次もしもアキトやコウガ先生達に何かして来やがったら、俺は絶対に許さねぇ!」
レンは、基本的に自分の大切な身内や親友を害そうとした事に対して非常に起こり易い。それは、彼の母や叔母も同じであり、代々受け継がれるオオカミ・ロウガの気質であった。
「ですが、彼等の計画は貴方達を相手取るには戦力が足りません。故に騙し打ちや不意打ちを使ってでも戦力差を埋めようとしましたが、それも叶いませんでした。途中でイレギュラーな介入が無ければ、貴方達の圧倒的な勝利で終わっていたでしょうねぇ。」
「ではやはり、あの合成獣の様な存在は…。」
「公安捜査庁の手の物では有りません。現在調査中ですので、それの結果待ちですねぇ。」
その調査は、現在山に残って修復作業中の学園長に同行している警官達が行っており、カスミもまたそれの手伝いに奔走していた。
「そして、私は公安捜査庁と貴方達の争いの仲介の為に、公安捜査庁の本部を訪ね、責任者に会いました。銃と殺意を突きつけられながらの交渉…いやぁ、怖い思いをしましたねぇ。ンッフッフッフ。」
「…とても怖い思いをしていた人の顔では無いですよ?」
「それ位の度胸が無ければ、とてもじゃ無いですが仕事なんてやっていけませんよ。」
「……いえ、多分それはキツネさんだけだと思います。」
銃を突き付けられても平然としていられる位の豪胆さなんて、そんな物が仕事に必要だとしたら、世の中の大体の人間が職無しだろうとアキトは思う。
「話が脱線しましたね。そこで、警察がこの件に関して不問とするのを条件に、公安捜査庁も手を引き、『サカキ』の方達の命を狙わない事を確約して貰いました。このままイズモ家とコシノ家が全面戦争に突入するのは、両家にとって不利益でしか無いと説いたんですよ。」
「良く相手は納得してくれましたね。またいつもの『お願い』ですか?」
「ンッフッフ。御想像にお任せします。」
キツネの胡散臭い説得に応じるのは、大体は相手の弱味を握っているか、真面じゃ無い利益を提示した場合である。また何か如何わしい事をしたのでは無いかと勘繰るのも仕方無く、実際当たってもいたのだが、それが何かは見当が付かなかった。
「そして、私が仲介する上である条件を提示し、承諾して頂きました。」
「条件?それがヒサメさんと関係が有るんですか?」
「御名答。ヒサメさんとその直属の部下の方達は現在、表向きには違いますがコシノ家を裏切っています。これは、彼等にとって由々しき問題です。何せ、彼等の黒い裏側を良く知っているのですからねぇ。」
「…つまり、一刻も早くヒサメさんや部下の皆さんを…。」
「口封じしたいでしょうねぇ。今頃は、彼等の家族は残らず拘束されている筈です。恐らく、彼らへの脅しの為にね。もしかしたら、見せしめに何人か殺すかも知れませんね。」
「…何て事を。」
家族を人質にとっていると言う事に、アキトは静かに深い怒りを現す。レンも騒ぎこそしていなかったが、歯軋りをしてその怒りを示した。
「そこで、私は彼等及びその家族全員の身元を此方で預かる事を求めました。彼等に、公安捜査庁の黒い裏側に関する情報を一切聞き出さないと言う条件付きですがねぇ。さっき確認を取りましたら、皆無事の様です。」
「…有難う御座います。」
「おや?貴方が御礼を言うのですか?」
「はい。あの人達と、その家族を救って下さって…本当に有難う御座いました…。」
アキトは、キツネの行動に土下座で感謝を示した。家族を深く愛するアキトは、家族を人質に取られる事に対しての嫌悪感が非常に大きい。その当事者が赤の他人、しかも敵だった者達だとしても同様であった。故に、それを防いでくれたキツネに対して、本当に心から感謝していた。
(ふふ…本当にアキト君は…。益々、気に入っちゃいましたねぇ。)
そのアキトの姿を見たキツネは、ほんの少しだけだが、とても嬉しそうな笑顔になった。その顔を見たヤクモもまた、優しい笑みを浮かべた。シルバーナやディアもまた、アキトの優しさに笑顔になり、レンは呆れながらも『アキトらしいぜ』と思って笑った。
「顔をお上げなさい。貴方の心は伝わりました。」
「はい。」
「それで、此処からが重要なんですが、ただ単に口約束のみでは相手が納得しないだろうと思いましてねぇ。特に重要な秘密を知っているだろうヒサメさんの頭に、再び爆弾を仕掛け、秘密をバラしたら何時でも殺せる『と言う事』にしたのです。」
つまりは、保険が掛かっていると見せ掛ける事で、彼等の譲歩を引き出した訳である。
「では、やはり実際は違うと。その為に、僕達に口裏合わせをお願いしたいと言う訳ですね。」
「ええ、故に彼からその手の情報収集は行いません。そして、相手には偽装した手術の映像データと、偽の起爆装置をお渡ししました。かなり急ぎ足で作らせましたが、中々に精巧な物が出来たと思いますよ。ンッフッフッフ。」
キツネの協力者であるカキエモンは、電子戦のエキスパートであり、精巧な偽装映像を雷導術で組み上げる事も可能であった。今回は、彼が全力を上げて作製した物であり、素人にならまずバレる事は有り得ず、玄人でも判断が難しいだろうと言う程によく出来ていた。
「そして、ヒサメさんの部下の方達は、私の新たな部下として雇い直します。そして、ヒサメさんはこのオオカミ家で預かる事になりますねぇ。」
「「ええ⁉︎」」
「レン君もアキト君もそう驚かずに。ヒサメさんの導術の才能は相当に高いですからねぇ。犬やヤクモさんの指導を受ければ、必ずやその才能を大きく開花させますよ。何せ、型に填めて才能を潰す事に定評の有るコシノの指導の下で、それでも高い技量を持つ事が出来たのですから。」
コシノ家の方針は、各個人の個性を滅却する事によって全体の動きを統率し、軍隊としての運用を目指す物である。それは、合成導術を使用する上では有効なのだが、個性が強さに直接繋がる導術との相性は最悪であった。むしろ『神月』の様に、自由に個人で勝手に出来る状況の方が導術の才能を伸ばすには最適であり、導術教育において、学園長の指導方針が非常に有効な理由の一つでもあった。
「ですが、ヒサメさんの頭には爆弾が仕掛けられている体で行くんですよね?つまり、ヒサメさんは表向きは彼等に従わなければならないって事です。それって不味く無いですか?」
「ンッフッフ。だから、ヒサメさんには偽りのスパイとして、バレても差し障りの無い情報や誤解を招き易い情報をコシノに流して貰います。爆弾によって脅されているフリをして頂きながらねぇ。」
「ええ⁉︎」
「元々、オオカミ家預かりとする上で、彼等の情報を収集出来ると言う利点を彼等に示しましたからねぇ。故に、ヒサメさんにはオオカミ家とそれはそれは深い付き合いをして頂きます。如何にも『オオカミ・ロウガに信用されています。彼らの情報は彼を通して筒抜けです。生かして置く価値は有ります。』って思わせる為にもねぇ。ンッフッフッフッフ!」
「…あなたって人は…本当に…。」
キツネは、ヒサメに爆弾が仕掛けれられていてコシノに逆らえないと言う体裁を存分に活用し、彼等に偽物の情報を流して撹乱しようと考えていた。例え人命を守る事を優先しても、その上で何処までも状況を利用しようとする強かなキツネに、アキトは呆れを隠せない。
「今回、アキト君達を殺そうとしたヒサメさん達を罪に問う事は、全てを不問とする約束により出来ません。余罪についても、今はまだ追求が出来ませんね。それはアキト君達にも了承を願います。」
「ええ、それは大丈夫です。…それに出来れば、もし今後余罪が明らかになったとしても、その時には情状酌量をお願いしたいのですが…。」
「ンッフッフッフ。貴方は本当に優しいですねぇ。まあ、甘いとも言いますが。幾ら背景的に致し方無い所があったとしても、相手に対して余りに優し過ぎる態度を取るのは、付け込まれる隙を作るので気を付けなさい。」
「あはは、何も言い返せませんね…。」
アキトは困った顔で頬を掻いた。キツネの言う事も尤もであると、アキトには充分わかっていた。しかし、それでも同じ状況になったら、間違い無く相手に優しくするだろうなと思った。彼の御人好しは、彼も呆れる程に頑固者であったのだ。
「ですが、上手い事使いこなせれば、それは貴方の強力な武器となります。簡単に捨てないで下さいね。その心を。」
「……はい!」
「それで、彼等の前科に関してですが。彼等の場合には、家族を人質に取られたり、爆弾を仕掛けられたりと、殆ど脅迫に近い形で悪事に加担させられていました。重犯罪も犯していない様でしたし、それを立証して上手い事根回しすれば、執行猶予付きの判決まで充分に持って行けます。」
「本当ですか⁉︎」
「彼等の裏工作の被害を受けた方達に対しては真摯な謝罪と充分な慰謝料、更にそれとは別に高額の罰金は必要となるでしょうがねぇ。それでも、ヒサメさんは殺人を犯さず、彼の部下の方達も彼の指導で、最後の一線だけは越えてはいなかった。中々に甘い方なんですよ、彼も。」
キツネやヤクモは嬉しそうに笑った。ヒサメは爆弾で脅されて裏の仕事に従事しながらも、それでも殺人や重犯罪だけは何とか回避し続けながら、結果を出し続けていた。彼の部下にもそれを徹底させ、さらに他の上司から彼等を守るなど気を配ってもいた。(しかし、その行動は上の不興を買ってしまい、更に圧力が増す結果となっていた。)
「今回、ヒサメさんの部下達がアキト君達にあっさり寝返ったのも、『命を大切にしろ』と言うヒサメさんの指導があり、公安捜査庁のやり方に対して大きな罪悪感があったからこそです。でなければ、公安捜査庁…コシノ家への恐怖から、貴方に歯向かって居たでしょうねぇ。」
「そうだったんですか…。」
「ヒサメさんは、今回こそ上からの圧力に耐え切れず貴方達を殺そうとしましたが、今では本当にそれを悔いています。部下の方達にも、見捨てる様な真似をした事に対して謝罪したらしいですし、彼等もヒサメさんを責めず、むしろそれまで自分達を守ってくれていた事に対して感謝をしたらしいですよ?それを鑑みても、彼は充分に頑張ったと思いますねぇ。」
キツネの話を聞きながら、アキトは自然と頬が綻んでいた。ヒサメを助ける事が出来て、本当に良かったと感じていた。
「…そうですね。ヒサメさんも、幸せになって欲しいです。」
「おう!その話を聞いて俺は感動した!今日からヒサメ兄ちゃんって呼ぶぜ!」
「ふふ…では、私の新しい息子と言う事ですね。今度は私がしっかりと指導しましょう。」
ヒサメの真実を聴いたアキト達は、ヒサメをオオカミ家に快く迎え入れる事に賛成した。そして其処で、キツネはチラリとヤクモを見る。
(これで宜しいですか?ヤクモさん。)
ヤクモがそれに対して満足そうに頷くと、キツネは安堵の溜息を吐いた。それを認めたアキトがキツネに尋ねる。
「キツネさん?どうかしたんですか?」
「ああ、気にしないで下さい。此方の話ですよ。」
「え…?」
何かしら有った事は明白であったが、藪を突いて蛇を出したくも無かったので、詳しく訊く事はしなかった。そして、気を取り直してキツネはアキト達に向き直る。その顔はとても活き活きとした物だった。
「それでは、今回の偽装計画ですがねぇ?」
「キツネさん…何でそんな満面の笑顔なんですか…。」
「声もなんか弾んでるぜ…。」
「キツネ様らしいですね。」
呆れ顔のアキト達を無視したキツネは、嬉々としながら、自らの偽装と、それに必要なアキト達の行動、これからの予定などを話した。粗方説明をし終えた所で、キツネは皆に理解出来たかどうかの確認を取る。
「まあ、こんな所でしょうかね。宜しいですか?」
「ええ、わかりました。」
「本当かよアキト!俺は途中から何が何だか良くわからなくなっちまったぜ!流石は俺の親友だ!」
レンの自信たっぷりの言葉にアキトは苦笑いを浮かべ、ヤクモは頭を抱え、キツネは呆れた顔をした。レンは、決して頭が悪い訳では無いのだが、余り興味が無い事に対してはその機能を上手く発揮出来ない(と言うよりその気が無い)為に、学問によって得手不得手が顕著であった。
「私は、何処でどう教育を間違ったのでしょうか…。これでは大旦那様に顔向け出来ません…。」
「ま、まあ…レン君の方はヤクモさんや他の皆さんにフォローして頂く、と言う事でお願いしますねぇ。」
「ええ…承知致しました…。」
ヤクモは、酷く気落ちした声でキツネに答えた。そしてキツネはアキトに向き直る。
「それと、アキト君には私個人として用が有ります。」
「僕に…ですか。」
「此処では何ですから、部屋を移しましょうか。ヤクモさん、此方の方はお任せします。」
「ええ、わかりました。若様にみっちり復習させます。」
キツネに促され、アキトは立ち上がる。アキトはヤクモに、今回の偽装内容についてシルバーナとディアに確認してくれる様に頼み、部屋を後にした。レンは復習と聞いてそろそろと逃げ出そうとしたが、呆気なくヤクモに捕まり、ミノムシの様に縛られ吊るされながら、シルバーナ達と一緒に復習を受けさせられたのだった。
「それで、僕に一体何の用ですか?」
アキト達がさっきまで居た場所から、幾つか部屋を跨いだ所に有る座敷の中央に有る、大きな台を挟んでキツネとアキトが座った。近くにはヤクモが派遣した木偶人形が居り、お茶を淹れて二人の差し出していた。
「実は、貴方には確認して置きたい事が有りましてねぇ。」
「確認?」
「ええ。順を追って説明しましょう。まず貴方は、今の貴方の状況をしっかりと把握して置く必要が有ります。それはわかりますね?」
「状況ですか。」
「余り実感がわいていない様子ですが、今の貴方の立場は、一介の学生と言う立場からはかけ離れつつ有ります。なので、貴方の言動とその結果は、その一つ一つがとても重い物となって来ているのですよ。まあ、半分以上は私の所為なんですがねぇ。」
アキトは、ここ数日で様々な人物と出会い、また事件に巻き込まれた。そして、それによってアキトの生活は大きく変化してしまった。その部分についてはアキト自身も良くわかっていた所であるが、キツネ程真剣には考えていなかった。その事をキツネはアキトに警告していたのだ。
「まず、貴方はこの数日で、様々な『裏』を知ったかと思います。」
「アビス王国とヨミ国との関係ですね?」
「ええ。表向きには、二国は協調路線を進んでいます。ですが、実態は違っている。」
「其々の強硬派が、裏で戦争を引き起こそうと暗躍していると。」
「そうです。しかも、様々な思惑が絡み合っており、複雑な状況となっています。」
アビス王国は表向きには、ヨミ国に対して一見友好的な態度を見せている。しかし、裏ではマクウィス現国王が、急な体制変更に対する国民の不満を外側へと向けさせると言う名目で、その実態はバイドン配下の穏健派がバイドンの意向に背き、強硬派の支持基盤を崩すのを目的としたマッチポンプに利用する為に、戦争を起こす口実を作ろうとしていた。
「フェルミ公爵閣下をヨミ国人によって殺害された事にして、穏健派を始めとする戦争反対派を黙らせ、強硬派主導体制を築こうとしたんですよね。」
「そう単純な物では有りませんが、大方はそうですねぇ。そして、その動きに呼応して、ヨミ国側の強硬派であるシラサギが動き出しました。此方は此方で、アビス王国との戦争の可能性が有ると煽る事により、防衛庁の予算増加や省への昇格を狙っていました。兵器関連会社からの賄賂も受け取っていましたしねぇ。」
「お互いに、相手を利用しようとしていたと。」
「ええ。目的が一致している間は協力し、その上で互いに相手を出し抜こうとしていました。『非は相手方に有る』とする為の、責任の押し付け合いですねぇ。しかしその結果はご存知の通り、両者共見事に足元を掬われ、共倒れとなってしまいましたねぇ。ンッフッフッフ。」
「掬った本人が、何他人事みたいに言っているんですか…。」
一方のヨミ国側では、シラサギがヒヨウに賄賂を送る事でアビス王国工作員を引き入れ、事件を引き起こさせてそれを拘束し、軍事力強化の為の口実としようと画策していた。しかし、それを予め知っていたキツネの策に嵌まり、事件の罪を全て被せられて偽装に利用されると言う結果となった。
「しかし、その真相を公表する事は今後一切有りません。表向きは飽く迄、『シラサギ容疑者が自らの利益の為に、ヨミ国に来たフェルミ公爵とシルバーナさんを陥し入れ、それをアキト君や学園の先生達が身を呈して救った』と言う話になります。これは墓場まで持って行って下さい。」
「はい、勿論ですよ。戦争を起こす口実なんて、強硬派に与えたく無いですからね。…少しばかり、皆さんを騙している事に罪悪感を覚えますが。」
「『嘘も方便』ですよ。戦争が起きた場合、大きな被害に遭うのは正に、その騙されている人達なんですよ?騙されるのと殺されるの、何方が良いかなんて言うまでも有りません。罪悪感は大事ですが、全てを綺麗なままに済ませられる程、世の中は優しくありませんからねぇ。」
キツネの、その何かを達観しているかの様な言葉に、アキトは溜息を吐く。
「……世知辛い話です。」
「同感ですよ。ですが、今の私達は理想では無く現実を生きている。万能の神でも無い私達が、今すぐ全ての理想を叶えようだなんて烏滸がましい話です。何を得て、そして何を失うのか、それらを天秤に掛けてより良い方を選ぶ。…それ位しか、今の私達には出来ないのですよ。」
「ええ、わかっていますよ…。」
アキトは、哀しげに同意した。理想こそ有るが、それを追求し過ぎて大事な物を失ったりすれば元も子もないと言う事も、アキトは良くわかっていた。シルバーナやディアの秘密も、明らかとなって悪意有る者達に利用されれば、彼女達の不幸を招く結果となる。そうなる位なら、自分は死ぬまで平然と人々を欺き続けるだろうとアキトは思った。
「なので、貴方はこれからも『英雄』で在り続けて下さい。アビス王国貴族を、悪漢の手から守り抜いた英雄として。それが例え、本当ならば貴方の手柄では無いのだとしても、それによって要らぬ不幸を退ける事に繋がりますから。」
「はい…。」
「まあ、そうは言っても余り気張らずに居て下さい。此方で出来る支援は、全て行うと約束しましょう。貴方には自身の人生が有りますから、余りに気負い過ぎて『役』に潰されない事、それだけは気を付けて下さいね。」
「………努力します。」
キツネの優しい言葉に、アキトは自信無さげに頷く。その顔に対してキツネは、少しだけ気の毒そうな顔を見せたもののすぐに首を振り、それを元の胡散臭い笑顔に戻す。そしてゆっくりと口を開く。
「そして、いよいよ此処からが本題です。こうして貴方は晴れて『英雄』となった訳ですが、『英雄』とただ言われるだけなら、その気分は大変良い物でしょう。」
「そうですか?僕には、全くそうは思えませんが。」
「ぐ……。ま、まあ一般論ですから。そして『英雄』と言う存在は、人気や栄光こそ有るものの、その名声は得てして嫉妬や恨みを買い易く、また悪意有る者達に利用され易い。昨日の『日出ヅル処ノ天子』襲撃事件やウシオ容疑者による事件は、正にその例かと思います。」
「あれはまた、別の所に本当の目的があった様な…。」
「であったとしても、貴方に影響力が有ったからこそ起きたとも言えるんですよ。」
『日出ヅル処ノ天子』のキタカタは、自身の保身の為に事件を起こした。ウシオは自身の犯罪を隠蔽しつつ、縁絶鋼を創れるディアを鹵獲しようと考えて行動を起こした。一番の目的がアキトでは無かったものの、キタカタは警察を本気にさせてミナカタ達を確実に始末させる為に、ウシオはマスコミに食い付かせて自身への追求から逃れる為に、アキトの存在を利用していた。
「先程も言いました様に、貴方の影響力は大きくなりつつ在ります。ヨミ国内の反導族団体こそ、これから行われる一斉捜査で大多数を検挙する事は出来ますが…。」
「アビス王国の強硬派は、また何かして来る可能性が有る…と。」
「彼等にとっても、ヨミ国とアビス王国の友好の旗印である貴方と、穏健派にして王族傍流の血筋たるシルバーナさんは目の上のたん瘤である筈です。公爵閣下がなるべく手を回して下さるでしょうが、今は穏健派を纏め上げる事に専念している筈。自身の管轄外である強硬派までをも抑え込むのは、はっきり言って無謀でしょう。」
「エミリオ達の事は公表出来ませんから、彼等を訴える事も出来ませんしね…。となると、今も彼等は自由に動けると言う事に…。」
「ええ、正にその通りですよ。彼等を入国させない事は出来ますが、導族の方達全てを入国拒否になんて出来ません。此方としても最善は尽くしますが、それでも監視の目を掻い潜って貴方達を襲って来る工作員達が今後一切発生しないと言う保証は、残念ながら有りません。」
キツネの偽装の結果、二日前の事件の黒幕はシラサギであり、アビス王国工作員の存在は無かった事にされている。つまり、彼等を捕まえる事は出来ず、未だに野放しの状態なのである。その上、彼等に指示をした者達も健在であり、アビス王国側からの工作員がまたシルバーナの命を狙いに来る事も考えられる。
「その上、今回彼等に入国の為の手引きをしたのは、ヨミ国側の強硬派です。しかも、その中にはかなり権力を持つ人物も居ます。彼等のその行動も、今の状況では公にする事は得策では有りません。アビス王国の国民感情が悪化する可能性が有りますからねぇ。」
「つまり、シラサギ以外の強硬派の人達が…。」
「秘密裏に、貴方を狙って何かを仕掛けて来る可能性は充分に有ります。私も方々に手を回して対応しますが、中には手を出し辛い相手が居る事も此処で伝えておきましょう。そう言った場合には、全てを裏で処理する事も難しくなるでしょうねぇ。」
「キツネさんでも…ですか。」
「私は万能では有りません。なるべく有能になろうと努力はしていますがねぇ。情け無い話ですが、貴方には正確な状況を把握しておいて欲しかったので、敢えて悪い情報を伝えました。不安を煽りたい訳では有りませんが、楽観視は危険である事を理解して欲しかったのですよ。」
そして、ヒヨウを始めとするヨミ国側の強硬派の暗躍もまた、キツネによって無かった事にされていた為、彼等の事を詳細に公表する事が出来ないと言う状況であった。しかも、キツネでも今はまだ手を出せない、弱味を握れておらず、また強い権限を持つ相手もその中に居た。つまり、如何しても対応が後手に回ってしまうとキツネはアキトに伝えたのだ。
「更に言えば、貴方がこれから敵対するであろう『神淵ノ端求社』は、あのオオカミ・ロウガ率いる『神月』を、しかも全盛期時代の其れを完全に退ける程の戦力を持ち、また当時の警察上層部に影響を及ぼす程の権力者と繋がっている可能性が高いのです。昨日は貴方の決断に異を唱えませんでしたが、これははっきり言ってかなり危険な事なのです。それはわかっていますね?」
「う……。」
「そして、その危険な事に首を突っ込む理由が、ペットの地竜であるディアさんの両親を助ける為だと仰います。失礼を承知で言えば、救出するのが身内の人命でも無く、また貴方の使命でも無いのに、己の命を賭けるだなんて愚かに思えて仕方有りません。ディアさんを、本当の家族の様に愛していると言う事を差し引いてもです。」
キツネの言う事は正しかった。正確には、恩のあるヤクモ達に対して恩返しをしたかったり、自分の為に死なせてしまったサム(アキトのかつてペットであった犬)の事も有って、ペットであろうと家族の様に大事にしたいと言う強い気持ちがあった事も理由であったが、それを鑑みても自身の決断は少し軽率であったとアキトは思う。
「私は、貴方が決めた事を否定する気は有りません。貴方の人生は、貴方が主役であるのですからね。しかし、貴方の決定が、貴方の守ろうとする者達にまで影響を与える事を…それを忘れてはいけません。貴方の人生は貴方の物です。しかし、貴方の行動とその結果は、貴方だけの物では無い。」
キツネの言葉には、容赦は無かった。妥協など一切許さないと言う気迫が、ヒシヒシとアキトに伝わって来た。
「貴方は、それの全てに責任を持たねばならない。例えどの様な結果を招いたとしても、その結果から決して逃げ出さず、そしてその上で最善を尽くさねばならない…どんなに辛くてもです。……その覚悟はお有りですか?」
キツネの薄く見開かれた瞳が、真っ直ぐにアキトの双眸を射抜く。いつものふざけた調子も、小馬鹿にした笑顔も無かった。その何時にも無く真剣な態度と口調に、思わずアキトは気圧され、唾を飲み込む。
(僕の考えは…覚悟は…甘かった…。)
アキトもわかっていた。アサテと戦った時は、シルバーナの協力もあって『もしかしたら如何にか出来るかも?』と考えていた。しかし『神淵ノ端求社』とヤクモ達との因縁を知り、そしてヤクモ達の実力を間近で見続ける事で、これだけの戦力を有していながらも倒す事の出来なかった『神淵ノ端求社』の強さを改めて実感したのだ。
「……これで、様々な敵が存在し、貴方達を常に狙っていると言う状況については、良くわかって頂けたでしょう。私が当初想定していたよりも大きな敵も現れてしまいましたし、我々が守り切れる保証は無いと理解して下さい。」
「は、はい…。」
「そして、現状を良く理解した貴方に確認です。貴方は…本当にこのままで宜しいのですか?」
「いえ、僕が非力なのは、一番僕がわかっています。勿論、僕ももっと努力して、もっと強くなって…。」
「そう言う事では有りませんよ。」
キツネは、顔を下げて意気銷沈しているアキトに、とても優しい口調で話しかける。それはまるで、地獄で出会った慈愛に溢れた仏の様でいて、しかし何処か怪しい、妖艶な雰囲気も醸し出していた。
「私は確かに、貴方を『英雄』とする事で戦争を防ごうとしています。しかし逆に言えば、貴方と言う『記号』が在ればそれだけで良い。貴方が具体的に何かをしなければいけない訳では無く、寧ろもう充分にその役割を果たしてくれている。」
「つまり、僕は…用済み…。口封じ…ですか?」
「なんで御自身が消される方向に持って行くんですか…。そう取ってしまわれるとは結構予想外でしたねぇ。そう言う意味では有りませんよ。貴方はもう、頑張らなくても良いと言う事です。」
「…頑張らない?」
キツネの言葉にアキトは首を傾げる。アキトは、これからの戦いの為に努力して強くなろうと考えていたので、キツネの言葉が腑に落ちなかったのだ。呆けているアキトに対し、キツネは更に衝撃的な言葉を放つ。
「はっきりと言いましょう。シルバーナさんやディアさんと別れて私の庇護下に入れば、貴方はこれ以上危険な目に遭わずに済みます。貴方は、これ以上貴方自身を犠牲にする必要が無くなるんですよ。」
「な…⁉︎」
「両国の強硬派の一番の目的は、戦争を起こす事です。そして、その為に貴方を狙って来ると言いましたが、それはそれが一番簡単で確実であろうと判断するからです。貴方を殺害する事は、飽く迄手段に過ぎないのです。」
「それは…つまり…。」
「貴方を殺すのが難しいと判断されれば、他の手段を考えるでしょう。貴方の影響力を利用しようと考える方達も同じです。つまり、貴方に手を出す事を難しくし、それでいて別のもっと簡単な手段を目の前にチラつかせれば良いだけ。」
「ルビィをまた囮に使う気ですか!」
アキトは怒りを露わにする。キツネの言いたい事はつまり、アキトが狙われ無い様にシルバーナを
利用しろと言う事であった為だ。アキトは『英雄』として穏健派の象徴となりつつも、シルバーナは『戦争を起こす口実』として強硬派に狙わせる事で、彼女をスケープゴートとしてアキトは助かれと言っているのと同義であった。
「まあまあ、シルバーナさんを死なせるつもりは有りませんよ。まあ、もしも力及ばず死んでしまったら隠蔽しますがねぇ。戦争を回避する為には仕方有りません。そう約束もしていますし。」
「貴方って人は…少しは見直したのに…!」
「その上、彼女は『神淵ノ端求社』のアサテに気に入られたのでしょう?彼女の鹵獲を狙って来る可能性は有るでしょうねぇ。そんな彼女の近くに居れば、貴方は巻き添えにあってしまいますよ?ですが、彼女から離れて居ればそう言うリスクも回避出来る。」
キツネは懇々と、アキトにシルバーナ達と縁を切るメリットを並べて行く。アキトは反論しようとするも、その言葉を遮る様に、矢継ぎ早にキツネは捲し立てて行く。
「だからって…!」
「それに、ディアさんに関しても同じですよ?話を聞く限り、ディアさんはアサテお気に入りの導物です。必ず、取り返しに来るでしょうねぇ。その上、縁絶鋼生成能力を持つと言う事を隠し続け無ければなりません。まあ、其方の情報操作は私が何とかしますがねぇ。」
「く…うう…。」
「はっきり言いましょう。貴方が居ても居なくても、出来る事に大差は無いのですよ。貴方が此処に居続けるのは、狙われるリスクにはなっても戦力には繋がり難い。それは、貴方も良くご存知かと思いますがねぇ。」
アキトは苦しそうに呻く。実際の所、シルバーナやディアは大きな爆弾を持っている。キツネやカスミのフォローもあって何とか守れていたが、自分一人では到底守り切れなかった事はアキトにもわかっていた。自分が非力で何も出来ない若造である事、それはアキト自身が最も良くわかっている事である。
(僕は…いざとなった時にあの子達を守る事が出来るのでしょうか…。何かの役に立てるでしょうか…。僕が居なくても…キツネさんや先生達さえ居れば…それは変わらないかも知れません…。)
アキトは、何の権力も持たない学生であり、戦闘力の乏しい召喚術が得意なだけの青年であった。機械化ムカイドの除去であったとしても、召喚術さえ使えればはっきり言えば誰でも良く、アキトで無ければいけない理由は一つも無い。シルバーナの様に唯一無二の力も無ければ、コウガの様に強い創造召喚も使えない。
「もう一度確認します。貴方は、本当にこのままで宜しいのですか?これより先は、貴方の人生を台無しにする可能性も有ります。そして何より、貴方の行動や決断が、彼女達の命運を左右しかねません。彼女達は貴方にとても良く懐いていますからねぇ。もしかしたら、貴方を守る為に犠牲になるかも知れませんねぇ。」
「そんな…。」
「此処が分岐点です。此処で貴方が彼女達に対する責任を放棄するとしても私は責めませんし、シルバーナさんやディアさん、ヤクモさん達もきっとわかって下さいます。公爵閣下には私が責任を持って説得しましょう。貴方は、本来なら此処までの責任を持つ必要も無ければ、それを全うする力も持っていない、唯の学生なんです。」
「く………。」
キツネの言葉は、的確にアキトの心を抉って行く。その、まるで何かを試すかの様な鋭い視線は、アキトの逃避を決して許さず、彼を完全に追い詰める。
「それでも、貴方はこのまま彼女達の側に居続けますか?今降りれば、貴方は元の普通の人生を送る事が出来ますよ?やりたい事が出来ますよ?彼女達の為に犠牲になったり、また足を引っ張ったりするのが貴方のやりたい事なんですか?」
「ぼ、僕…は…。」
「少し…言い過ぎましたね。柄にも無く熱くなってしまいました。申し訳ありません。ですが、これが本当の最終確認です。ここで良く考えて、答えを出しなさい。私はそれを聞き届けます。」
「はい…。」
アキトは、ゆっくりと目を瞑る。その瞼の裏には、白く美しい少女の可愛らしい笑顔と、黄土色のドラゴンの精悍な笑顔が映る。彼女達の笑顔がアキトには眩しく、とても見ていられないのではとも思ったが、同時にどうしようも無く『欲しい』と思ってしまう。
(僕の…やりたい事…。)
アキトは両手を強く握る。その手の中に、彼女達の柔らかな温もりを確かに握り締める。その暖かさがとても愛おしくて、決して離したく無いと、とても自分勝手ながらに思ってしまう。その心に燻る『強欲』な心が、アキトの背中を強く蹴り飛ばす。
(ああ…。そう…でしたね。僕は…僕の望みは…!)
アキトはその衝動に任せ、自身の長く美しい黒髪を思い切り強く引っ張り、そして離す。そして同時に見開かれた双眸には、強い決意の色を滲ませた意思が宿る。その瞳を見て、キツネは心から嬉しそうに嗤った。
「覚悟は…決まりましたか。」
「ええ…僕は、決して逃げません。僕の人生は、彼女達の隣に在ります!僕の全身全霊をもって…彼女達を守り抜きます!」
「その姿勢は買いましょう。ですが、貴方は非力です。権力も戦闘力も持たない。それで如何やって彼女達を守るのですか?具体案も無く、ただの根性論だけで突き進むと言うのなら、それは全く話になりませんよ?」
「ええ、わかっていますよ。だから、貴方が教えてくれた事を実践します…!」
そう言うや否や、アキトは立ち上がってキツネの横に移動し、そして深々と土下座した。
「キツネ・イズナさん!僕に…貴方の力を貸して下さい!」
キツネは微笑み、そしてアキトに聞こえない様に小さく『御見事』と呟きながら、土下座するアキトの肩にそっと手を置く。
「その意気や良し。…良いでしょう。このキツネ・イズナ…貴方にあらん限りの力を貸すと約束します。そして貴方の望み、見事叶えて見せましょう。ンッフッフッフッフッフッフ…。」
キツネの不気味な嗤い声が、アキトの身体に纏わり付いて行く。まるでそれは、アキトの身体を自由自在に操ろうとする見えない糸の様であった。もう逃げる事は叶わないと、アキトははっきりと理解した。しかし、それでも躊躇わなかった。何に代えても絶対に欲しいと思う存在に、気付いてしまったから。




