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カベタス・サマナー  作者: 休眠熊
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第29話

「どう言う事だ!何故此処に『幻影死神』が居る!足止めの奴らは一体何をしていたのだ!」


部屋に大きな音が響いた。ミゾレが机を叩いた音である。余りに気が昂ぶった所為か、叩いた場所が凍ってしまっていた。それ程に、ミゾレは激怒していた。


「折角の…最高の機会であったと言うのに!」


コチヤさえ居なければ、アキトは確実に昏倒していた。コウガ達が全員消えた後でのアキトの昏倒は、召喚術による増援を防ぐ事も出来る為、正に恰好の状況になる筈であったのである。しかし、現実はアキトの意識もはっきりしたまま、更にコチヤと言う実力者までもアキトの側で彼を護衛すると言う、アキト達にとって正に盤石な布陣となっていた。


「まあまあ。彼等の毒も抜け切れていなかったし、集中力も体力も、此処を出て行く際にはかなり消耗していたんだ。彼等が見逃してしまうのも仕方無いよ。」

「しかしだな…。病院の襲撃も失敗に終わってしまったし、更にこれ以上の作戦の続行は…時間的に厳しいと言うのにも関わらず…。」


アシタの言葉にも、ミゾレは不服な気持ちを隠さない。一度希望を見出し、そして掴みかけていたと言うのに、それが目の前で実は幻影であったのだと言われた気分は、決して良い物では無い。


「フフ…大丈夫さ。僕が行こう。」

「むう…。しかし…出来るのか?相手はあの『幻影死神』だぞ?」

「…殺す事は流石に厳しいかな。だけど、隙を突いて召喚術使い君を攫う事は出来る。」

「本当か⁉︎」

「ああ、僕の誇りをかけて、保証するとも。そして、君はその間に此処の偽装を終える。然る後に、僕は召喚術使い君を君に引き渡し、証拠を捏造し、罪を被せて処分する。それで全てが解決さ。」


涼しい顔のまま、淡々とアシタは答える。自信に溢れている声では無かった。ただの事実を述べているに過ぎないと言う、自信さえも凌駕する冷たい声であった。ミゾレはその声に、言いし得ない恐怖と頼もしさを感じていた。


(出来ると言うのか?あの『神月』を打ち破る事が…。いや、この男ならば或いは…!)


ミゾレは『神月』の名声を良く知っていた。全盛期だった頃の『神月』は、かつて起きた導術使い達の大規模な反乱を、圧倒的な少数ながら誰も殺さずに完全に鎮圧した事や、その構成員の中でも特に実力が高かったと言われる『四幹部』の一人である『幻影死神』は、並の導術使いでは足元にも及ばないと言う事も。しかし、その彼を出し抜く事が、アシタに出来るのかも知れないとミゾレは思い始めていた。


「…わかった。全てを貴殿に任せるとし…」


そして、アシタにアキトの誘拐を頼もうとした丁度その時、ミゾレの携帯に着信が入る。


「全く…誰だ?この忙しい時に…。何?アシタ殿…すまないが少し失礼する。」

「ああ、良いよ。」


ミゾレはアシタに断りを入れ、電話に出る。その口調はかなり丁寧な物となっており、明らかに電話の先の相手が彼にとって格上で、しかも重要な人物である事がわかる。


「…もしもし、私です。…え?それは本当ですか?…はい…はい…左様ですか。了解しました。」


電話の先の相手から何を告げられたのか、ミゾレは何処か安心したかの様な顔になる。それを見て、アシタは至極残念そうに首を振った。ミゾレは電話を切ると、少しばかり申し訳無さそうに話を切り出した。


「…アシタ殿。大変手数をかけさせてしまったが、これにて本作戦は中止となった。生物兵器達を引き揚げさせてくれ。それから、アラカミ・アキト誘拐の依頼は無かったと言う事に。」

「その様子…どうやら『上』の方で話がついたのかな?」

「左様。向こうもこの件を一切不問とし、手を引いてくれるそうだ。機械化ムカイドの出処も、彼等は何も知らないらしく、更に本命の『鼠』の目星も付いたらしい。」

「それはそれは。じゃあ、この一件は全くの無駄骨だったんだね。」

「その通りだ。…全くもって、迷惑な話だ。振り回される此方の身にもなれと言う話だよ。」


迷惑と言う割には、ミゾレは安心している様子であった。このまま作戦を続行していれば、オオカミ・ロウガ率いる優秀な導術使い達や、宿敵たるイズモ家と全面的に争う事になる。それらを相手取って戦う事の厳しさは、今回の一件でもって身を以て良くわかっていた為、そうなる前に作戦が終わる事に、例え無駄骨であったのだとしても安堵を禁じ得なかったのだ。


「アシタ殿には、大変世話になったのだが…。」

「別に良いさ。ちょっと残念では有るけれど、それなりに楽しめたしね。それに、良い宣伝にもなったと思うし。それじゃあ、僕達はもう御役目御免と言う事で、ここいらで退散するとしようかな。」


アシタは席を立って帽子を被り、コートを羽織ると、軽く指を鳴らす。その瞬間、近くにあった転送陣を描いた紙が消え去った。アシタの指示を受けた彼の仲間の召喚術使いによる物であった。


「…良し。これで、あの生物兵器達は全部回収出来たよ。後始末の方はお願いするね。」

「うむ、任せて置いてくれ。しかし、かなりの量の召喚術反応が残ってしまったか…。奴らに調査される前に消すのは骨だな。」

「ああ、それなら大丈夫。最悪、放って置いて構わないよ。」

「何?」


ミゾレは、アシタの言葉に唖然とする。


「構わない…とは、どう言う事だね?反応を追跡されると困るのでは…。」

「フフ、僕がそんな危険な真似をすると思うのかい?」

「…となると、君の元に居る召喚術使いは…。」

「お察しの通り、無実の人間にムカイドを取り付かせて操っているだけさ。召喚元の場所もダミー用の廃墟で、移動の準備も既に出来てる。今から追跡された所で、僕達を捉える事なんて出来ないさ。」


アシタは、契約した召喚術使いを変える事により、追跡を振り切る事は可能と説く。召喚術での移動で足が付いてしまうなら、それ以外の方法で目立たない様に場所を移せば良い。導紋を特定されてしまう召喚術使いだけは切り捨ててしまわねばならないのだが、その人物はムカイドによって操られており記憶は残っていない為、其処から先への追跡はかなり難しいと言う事になる。


「ふむ、本当に君は用意周到で優秀だな。スカウトしたい位だよ。」

「フフ、嬉しい事を言ってくれるね。」

「ははは、どうやら振られてしまったようだな。まあ、期待はしていなかったがな。では気を取り直して、今回の君への報酬に関してなのだが。」

「ああ、それなら結構だよ。」

「何だって?」


ミゾレは、アシタの思い掛け無い言葉にまたも唖然とする。今回の件、確かに当初の目的こそ達成出来なかったが、それでも充分以上の成果をアシタは出し、尚且つ相当量の生物兵器を消費したのだ。全くお金を受け取らないと言うのは、ミゾレには考えられなかった。しかし、アシタはそれがまるで当然であるかの様な口振りであった。


「僕は、君に『結果』を売りに来た。だけど、その『結果』を得る事は出来なかったんだ。こんなので成功報酬なんて受け取れないよ。」

「む…私としては、十二分に満足の行く結果ではあったのだが…。それに、君も今回は相当の出費では無かったのかね?」

「確かにかなりの出費だったけど、まあ大丈夫だよ。それに、一番欲しい物はキッチリ得られたからね。」

「欲しい物?」


訝しむミゾレに、アシタは薄く笑って答える。


「生物兵器達の実戦データだよ。兵器を色々と造ったは良いんだけど、データ取りの為の良い対戦相手が中々居なくてね。いやぁ、実に有意義なデータが取れたよ。何せ、相手はあの『神月』なんだから。最高の相手だよ。」

「そうか、それが君の本当の狙いだったのか。失敗しても最低限データの回収は出来るし、もしも成功すれば、それに加えて報酬が手に入ると言った寸法か。どう転んでも君には得だったと言う訳だ。…フッ…フハハハハ!此奴は見事だ。本当に君は商売上手だな。」

「フフ…そうでも無いさ。」


アシタの狙いは、アキト達と生物兵器達とを戦わせ、そのデータを入手する事にあった。ミゾレがアキト達に苦戦している状況を見計らい、報酬の代わりに手伝うと言いつつ、多くの兵器達を実戦投入させ、有益なデータを収集したのだ。そして、あわよくば膨大な出費を肩代りさせて、成功報酬までもせしめようとしていたのである。


「だが、私が報酬を払うと言ったのを拒んだのは何故かね?それを得れば、君は最大の利益を得られたろうに。」

「利益と言うのは、何も金銭のみで測る物じゃない。信用もまた立派な利益なんだよ。余りに欲を掻き過ぎるのは、時に顧客から要らぬ不満を買うものさ。そんな赤字覚悟の高い買い物をする気は少しも無いって事だね。」

「ふむ、一理有る。」

「それに、今回の件で君達に不審で大きなお金の動きが有れば、それを嗅ぎ付ける輩が出て来るかも知れない。優良な顧客には、末長く繁栄して貰った方が、此方の利益もより大きくなるからね。」

「…なるほどな。気遣い感謝しよう。」


最初こそ、その失礼な態度に腹を立てていたミゾレであったが、今ではそれが嘘の様にアシタの事を気に入っていた。ミゾレは立ち上がるとアシタに握手を求め、アシタもそれに快く応じる。


「それじゃ、僕もこの辺で失礼するよ。また何か有れば、此方から会いに来ると思うよ。今後とも僕達、『神淵ノ端求社』をご贔屓に。」

「うむ。その名、しっかりと刻んで置こう。さらばだ。」


そして、アシタは深く一礼すると、次の瞬間には居なくなっていた。召喚術による移動か、はたまた彼自身の風導術による物なのかについてはわからないが、それでも彼がミゾレやアキト達には届かない遠くの場所に行ってしまった事だけはわかった。


「…さて、後始末だ。」


アシタが消え、静寂が訪れた部屋の中で、再び椅子に座ったミゾレは一人呟いた。


「どう偽装しようか?『神月』や召喚術使いの所為にも出来なくなったし、何者か別の犯人を仕立て上げなければならないか…厄介だな。ここは、彼の厚意に甘えるしかないか。他にも、諸々の根回しやら何やらしなければ…。」


当初の予定と大幅に狂ってしまった為に、偽装内容を一から改めて練り直さなければならない状況となってしまったのだが、ミゾレは其処まで気にしていなかった。


「まあ…奴等と事を構える事に比べたら、この程度の事は雑作も無いがな。」


ミゾレは再び、深い安堵の溜息を吐いたのだった。








「何⁉︎公安捜査庁のふざけた奴等がお咎め無しだと⁉︎」


山の一部が大きく隆起し、崩れた。次々に転がり落ちて来る巨大な岩の塊を、長く伸びた太い木の枝が華麗に捌き、学園長達と無事に合流したアキト達の所への直撃を防ぐ。彼等への被害は皆無である。


「が、学園長先生、抑えて抑えて!」

「これが抑えられるかってんだ!こん畜生めがァ!」


学園長が雄叫びを上げながら再び地面を強く蹴ると、山の頂上部分が真上に大きく吹き飛ぶ。すかさずヤクモが大きな木を生やし、落ちてきた巨大な土塊を受け止める。彼等への被害は勿論、皆無である。


「おおう…。相変わらず爺ちゃんの土導術は凄まじいぜ。これでまだ全然本気じゃねぇってんだから大概だよなぁ。」

「レン君、何落ち着いて見ているんですか…。」

「いや、これいつもの光景だからさ。そんな一々驚いてらんねぇっつうかな。」

「いつもの光景…これが…?」


アキトは、星の光瞬く綺麗な夜空に高々と舞う巨大な岩や土の塊、そしてそれをジャグリングの様に華麗に受け止め、全てを余す事なく捌き切る木々を見る。曲芸と言うには些か所で無くかなり物騒な状況に、改めて学園長の残念な二つ名の意味を心底理解し、そして呆れた。


「まあ、アキトの言いたい事もわかるんだが、爺ちゃんの気持ちの方もわかるんだよ。俺達の大事な家族であるシア姉さんが殺されかけたんだからな。」

「姉さん?」

「ん、そう言えば言ってなかったっけっか。シア姉さんはアビス王国から亡命して来たんだが、コウガ先生ん所に嫁ぐ前から、爺ちゃんの従兄弟のサンガ爺ちゃんの所で預かっていたんだってさ。もう二十年位前になるんじゃねぇかな。」

「そうなんですか⁉︎」

「ああ。その関係で、良く俺ん家にも来てたんだ。俺なんて、それこそ産まれた時から世話になっててな。叔母さん達とも、まるで姉妹みたいに仲が良いんだぜ。んなもんで姉さんの事は、俺は本当の家族だと思ってる。」

「……………。」


レンは右手で握り拳を作り、自身の顔の目の前に持って来て強く握る。口調こそ崩れていなかったが、その顔には、強い怒りと悔しさが滲んでいた。


「…だから、俺だって本当なら暴れたいんだぜ?爺ちゃんがあんだけ怒っているから逆に冷静になっちゃあいるが、俺も今、心底頭に来ている状態なんだからな。」

「レン君…。」

「大丈夫、周囲に迷惑を掛ける様な真似はしねぇさ。それ位は弁えているつもりだ。それに、今暴れている爺ちゃんの方だって気にしなくて良いぜ。」

「え?」

「もうそろそろじゃねぇかな。まあ、見てなって。」


レンに促されたアキトは、周囲の山を纏めて崩さんばかりに暴れ続ける学園長の方を向く。丁度その時、ヤクモの声が辺りに鋭く響いた。


「大旦那様。其処までです。」

「ぬぐおゥ⁉︎」


その声と共に、何処からとも無く細い蔦が無数に伸び、学園長に幾重にも絡み付いて彼を完全に拘束する。勿論、いつまでも学園長が暴れるのを止めない事に、いい加減業を煮やしたヤクモの仕業である。


「ほらな?」

「凄い…あんなにも暴れていたのに…。」

「クロ叔父さんの大得意な緊縛だぜ。身体は何処も怪我しねぇんだが、兎にも角にも痛ぇんだ。流石の爺ちゃんでも、あれに拘束されちゃあ敵わねぇ。敵に情報を吐かせたりするのにも、かなり役に立ったって話だぜ?」


ヤクモの木導術による緊縛技術は、彼のサディスト人生の中で培われた『苦痛を与える技術』の集大成である。『如何に相手の身体を破壊せずに、最大限の苦痛を与えるか』に特化したその技術を十二分に発揮したヤクモの緊縛は、口の固いスパイすらも易々と口を割らせるとの評判であった。


「そうなんですか。詳しいんですね。」

「おうよ!なにせ俺も良く、縛られて吊るされて反省させられてるからな!しかも未だにだぜ!現役経験者は語るってもんよ!」

「……それは自慢にならないですよ。」


後ろ手にしっかりと緊縛された学園長ではあったが、しかしその激痛にも関わらず勢いを失わない。娘の様に可愛がっていたアイビシアを傷付けられた事に対して、相当に怒っていたのであろう。思うように動かない身体を無理やりに動かそうと暴れながら、ヤクモに文句を言う。


「ヤクモ!離せよ!」

「お気持ちは大変良くわかりますが、これ以上の騒音は付近の住民の方達に大変にご迷惑です。それに、大旦那様が修復する範囲も相当広範囲に及んでしまいます。どうか気をお鎮め下さい。」

「だ、だがなぁ…。このまま彼奴らを野放しにすると思うとなぁ…!」


主張こそ間違っていないものの、自身の諌めを全く聞き入れず、尚も暴れようとする大人気の全く無い学園長に対し、ヤクモは恐怖を感じる程の満面の笑みを浮かべ、冷静に縛り上げる力を思いっ切り上げて対応する。


「大旦那様?」

「うおう⁉︎イテ!イテテテテ!わ、わかった!俺が悪かったから!だから縛る力を強めんじゃねぇよ頼むからァ!」

「…はぁ、わかりました。」


ヤクモは溜息を吐きながら、学園長を解放する。心から尊敬する義理の父親の不甲斐無い姿を見るのは、サディスティックな気持ちこそ満足するものの、同時に情け無いと言う気持ちも出て来てしまう。溜息は、そんなヤクモの複雑な気持ちを表していた。


「うお…あ、あちこちが痛ぇ…。」

「本当なら、先程の山を破壊する行為も力尽くでお止めしたかったのですよ?ですが、少し位は暴れなければ収まりがつかないだろうと考えて、敢えてそれをしなかったのです。それを御理解下さい。お願い致します。」

「…ああ、わかったよ。また、世話掛けちまったな。すまねぇ。」

「いえ、お気になさらず。御理解感謝致します。」


ヤクモが深く頭を下げて懇願すると、学園長は少しバツが悪そうに謝った。この一連のやり取りは恒例で有り、頭ではわかっていても気持ちを抑えるのが非常に苦手な学園長が、冷静になるまで身体を物理的に押さえ付けて貰う事で、周囲への被害拡大を抑えて貰うのである。最後にヤクモが懇願し、彼の顔を立てると言う理由を貰う事で、ロウガはやっと怒りを鎮める事が出来る。


「ヤクモさんも、大変なんですね。」

「ん〜。まあ、叔父さんも別に嫌がっている訳じゃねぇしなぁ。口ではなんだかんだ言ってても結局、俺達を最後の最後まで面倒見てくれる位にゃ世話好きだし。」

「若様?言っておきますが、私は面倒事が好きな訳では有りませんからね?」

「うおぅ‼︎聞いてたのかよ⁉︎って言うか痛い!痛いからァ!」


レンは、いつの間にか背後に移動していたヤクモによって綺麗に縛り上げられてしまう。急ぎアキトはレンを助ける為に、ヤクモに別の話題を投げ掛け、意識をレンから自分に向けようとする。


「で、ですが、本当に何があったんですかヤクモさん!何か取引でも有ったんですか⁉︎」


アキトの思惑が通じたのか、それとも情けをかけて貰ったのか、ヤクモはレンへの緊縛を解いてアキトに向き直る。レンは痛そうに彼方此方を摩りながら、アキトに向けて『よくやった!恩に着る!』と親指を立てた。アキトは苦笑いでそれに応え、ヤクモは呆れた様に首を振った。


「アキト様、取り敢えずそれについては、今この場で話すべき内容では御座いません。場所を移してから、改めて詳しく説明致しますので、それまでお待ち頂けますか?」

「はい、わかりました。」

「と言っても、アキト様も色々と気掛かりでしょうから、一言だけヒントを差し上げましょう。もうお気付きかも知れませんが、『キツネ様』ですよ。」

「………ああ、やっぱり。」


アキトは、キツネの意地悪そうな笑顔を思い出し、またあの人かと頭を押さえた。一方の学園長は、キツネの介入がかなり気に入らなかった様で、不貞腐れたように顔を背けていた。


「さて、大旦那様の気が鎮まった所で、移動致しましょう。此処から少し離れた所に、大旦那様の別荘が有りますので、其方に。特にアキト様達は、昼食も夕餉もお召しになっていらっしゃらないので、お腹も大変お空きでしょう。お食事も御用意致しますよ。」

「ああ、そう言えばそうでした。今日はお昼位から大変でしたからね。では、ご厚意に甘えさせて頂きます。」

「いえいえ、大した事では有りませんよ。しかし、本当なら今日明日とアキト様やシルバーナ様にはゆっくりとして頂きたかったのですが…。」

「それは仕方有りませんよ。ですが、それでも収穫は有りましたから。」


アキトは近くに居るシルバーナとディアを撫でながら、愛おしそうに見る。今日の『敷石熊』との戦いで、改めて自分達の非力さと、それでも尚アキトの為に戦いたいと言う意思を確認した一人と一匹は、真剣な目付きでアキトを見返していた。


(まあ、適度に息抜きを入れたり遊んだりして、この子達が余り頑張り過ぎない様に気を付けないといけないとは思いますけれど…。)


それでも目標を持ち、それに向かって一生懸命に成長しようとする子供達の姿は、何度見ても良い物だなとアキトは思う。


(それに、リアちゃんにも会えましたしね。ルビィと良い友達になってくれると嬉しいのですが。)


そして、同じ様に成長しようと努力する、健気な黒い鳥の少女を思い出す。彼女の幸せも願うアキトは、彼女の大事な家族を守れた事に、確かな満足感を得られていた。その笑顔を見て、ヤクモもまた微笑んだ。


「では、そろそろ車にお乗り下さい。ああ、そうです。大旦那様は此処で壊した所の完全修復をお願い致します。燃えてしまった木々は後で私が生やしておきますので。」

「え?ちょ、ちょっと待て!いや、待ってくれヤクモォ!」

「待ちません。元はと言えば、大旦那様がこの惨状を作り上げたのですよ?このままにして置くと、大親友のサンガ様に大変な御迷惑をかける事になりますよ?他ならぬ大旦那様の所為で。」

「うぐ…!」


ヤクモは周囲を見回した。そこら中に巨大な穴が空き、無数の大きな土塊が転がり、山は崩れ地盤は抉れ、大規模な爆撃を受けても此処までならないだろうと思う程に酷い状態であった。ミノリ家の力を借りて、お情けでお咎め無しにして貰っては居るが、それでも迷惑を掛けている事には変わりはない。そして特に、サンガに迷惑をかけると言う言葉は、学園長の心に深いダメージを与えた。


「ああ…数分前迄の俺の馬鹿野郎め…。」

「これでもう何度目だと思ってらっしゃるのですか…。御理解していらっしゃるのでしたら、もう少し自重なさって下さいませ…。」

「努力は…しているんだぜ?」

「その結果が此れでは、説得力が皆無なのですよ!」


ヤクモに完膚なきまでに言い負かされた学園長は、まるで主人に怒られ悄気てしまった犬の様に頭を低くし、申し訳無さそうな顔で視線を下げ、時々ヤクモの顔をチラ見する様にしながら懇願する。


「す、すまねぇ。と、兎に角さっさと直しちまうからよ。ほんのちょっとだけ待っててくれねぇ?この暗い山の中に一人ぼっちは結構寂しいんだぜ?」

「それならば御安心を。カスミが送って下さった警官の方達が『監督者』として大旦那様と一緒に居りますから。くれぐれも、途中で逃げ出したり手抜きをなさらないで下さいね?」

「うげっ⁉︎」

「全てが綺麗に片付いたら、警察車両で送って頂いて下さい。ちゃんと皆様に御礼も言うのですよ?」

「うう…わかったぜ…。」


学園長は泣く泣く、消火作業を終えた警官達に連行されながら、崩壊した山の中へと入って行く。その背中には、何とも言えない哀愁が漂っていた。


「……これじゃ、一体何方が親なのか、わかりませんね。」

「クロ叔父さんは、俺達皆んなの親父なんだぜ!」


レンの全く自慢にならない言葉に、ヤクモは溜息を吐きながら、また大きく首を横に振った。少しばかり甘やかし過ぎてしまったかも知れないと、心の中で後悔混じりに嘆いていた。








「これで良いのか?キツネ。」

「ンッフッフ。ええ、有難う御座いました。」


公安捜査庁本部のある会議室の中で、キツネはある男と話をしていた。彼は、公安捜査庁を纏めるコシノ家の重鎮、コシノ・ヒヨウであり、ヒサメやミゾレの親戚に当る人物である。また、『オーム』からの依頼を受けて作戦を計画した人物でも有る。(と言っても、ほぼミゾレやヒサメに丸投げではあったが。)


「では、改めて確認させて貰おう。今回の件については、公安捜査庁も警察も互いに不問とし、一切の訴え、及び情報の公開をしない事とする。」

「ええ。」

「『サカキ』に関しては、我々との繋がりを一切口外しない事を条件に、身柄の引き渡しは求めない。」

「暗殺も駄目ですよ?」

「…わかっている。ただし、呈示した条件を破った場合はその限りでは無い事を忘れるな。」

「ええ、心得ていますとも。」


キツネは、『サカキ』が動き出した事を聞き付けるや否や、すぐに行動を起こした。『サカキ』と裏で繋がっていた公安捜査庁の本部を訪れ、ヒヨウに交渉を持ちかけたのだ。


「そして、貴様が言っていた情報にもしも偽りが有った場合、貴様を尋問に掛けて全てを洗いざらい吐いて貰う。そして、関係者は皆殺しにする。」

「怖いですねぇ。そんなに私の言っている事が信用出来ませんか?」

「フン!貴様、自分の通り名をまさか知らないとは言うまいな?」

「『外務省の腹黒狸』ですか?失礼ですねぇ。私はキツネなのに。」


キツネは、人を小馬鹿にした様な笑顔で落ち込んだフリをした。苛立ったヒヨウの眉間に、深い皺が寄る。


「その顔を止めろ。風の噂通りのふざけた奴だな。貴様は、今自分が置かれている状況がわからないのか?」

「複数の手練れの導術使い達から一斉に殺意と銃を向けられていて、これで状況を理解していないとしたら、その方は鈍感なのか馬鹿なのか、はたまた大変な豪傑ですねぇ。」

「ほほう、貴様は豪傑だと?」

「いえいえ、私は至って普通の公務員ですよ。少しばかり野心は有りますがねぇ。」


キツネは最初、完全に門前払されていたが、ある情報を提示した所、すぐに中へと通された。いや、寧ろ連れて行かれたと言った方が正しい表現だろう。手鎖をされ、屈強で完全武装した男達に囲まれながら移動する姿は、どう見ても凶悪な犯罪者を捕まえて連行するそれであった。


「フン!まあ良い。ならば今一度問おう。本当にその『パーシモン』と言う産業スパイ崩れが、『オーム』にスパイとして潜り込んでいたんだな?」

「ええ、その通りです。」

「証拠は?」

「私が示した情報の真偽。向こうに問い合わせたのでしょう?結果は見ての通りですねぇ。」


キツネは笑いながら周囲を見る。屈強な何人もの男達が、油断無くキツネを睨んでいた。間違い無く、キツネが何か確かな物を掴んでいると確信したからこその扱いであった。


「……貴様が其奴と繋がっているんじゃ無いのか?」

「繋がっていたとして、如何してこんな真似をするんです?その方を売って、もしもその方と私が繋がっていたとしたら、私は間違い無く貴方達に殺されますよ?」

「それ以上の利益が貴様に有るんじゃ無いのか?例えば、貴様の優秀な手駒を守る為…とかな。」

「ンッフッフ。その程度の事で御大将自らが相手に命を取られる危険を冒すと言うのは、非常に悪手ですねぇ。リスクに対する利益が少な過ぎて釣り合いません。そうは思いませんか?」


キツネは相変わらずの笑顔で、ヒヨウの追求をのらりくらりと躱す。ヒヨウは、念の為に使用している嘘発見機を確認するが、それに明確な反応は出ていない。ふざけた態度からも、読み取れるのは余裕のみであった。


「良いですか?私が此処に来た理由の一つは、先程も言いました様に、この無益な争いの仲裁をする為です。アキト君達は、この件に関しては全くの無実です。更に言えば、彼等の背後にはあのイズモ家だって付いている。これ以上の介入は、貴方達にとっても危険でしょう?」

「愚弄するな。我々コシノが、イズモの奴等などに後れを取るものか。」

「貴方達の権力の強さはわかっていますよ。しかし、イズモ家もまた大いに然りです。この辺りで手を打っておかないと共倒れになりますよ?例えそうならなくても、貴方達にも甚大な被害が出るのは必至な筈です。」

「………。」


ヒヨウは忌々しそうにだが押し黙る。キツネの言う事も尤もであった為に、反論が出来なかったのだ。


「…それで一体、貴様には何の得が有る?」

「貴方達と、イズモ家への貸し一つですよ。互いに譲れない場合には、落とし所を見つけ、そして間を取り持つ第三者的な人間が必要になりますからねぇ。私は産業スパイの情報を提供して誤解を解くだけで、両家に対して大きな貸しを作る事が出来るんですから、これを逃さない手は有りません。」

「なるほど、それなら貴様が『パーシモン』とやらを『オーム』に差し向ける理由になるな。」

「しつこいですねぇ。いくら私でも、それによってこの事態が引き起こされるなんて思いもしませんよ。狙ってやるにしては、余りに博打打ち過ぎでしょうに。」


キツネは、先程と打って変わって冷たい声色でヒヨウに答える。『こんな事もわからない位あなたは無能なんですか?』とでも言いたげであった。その人を大いに馬鹿にした口調に、ヒヨウは思わず頭に血が登りかける。


「…もう良い。兎に角、我々はその産業スパイを追う。貴様はこれから、余計な事を話さない様に、我々の『保護』下に入って貰おうか。」

「それは困りますねぇ。私はこれでも結構忙しいんですよ?それに、これは職権濫用では有りませんか。」

「貴様は知ってはいけない事を知ってしまったんだ。警戒もせずに、ノコノコと俺達の所に来たのが運の尽きだな。今ここで殺されたり、尋問して自白させられていないだけでも破格の待遇だぞ?感謝をして貰いたい位だ。」

「やれやれ。噂には聴いていましたが、中々に酷い所ですねぇ。大人しく話し合いに応じてくれればそれで良かったのですが…。これは仕方有りませんねぇ。」


キツネは口角をキツくし、非常に黒い笑顔を造ってヒヨウを見つめる。ヒヨウはその笑顔に、悍ましい何かを感じ、思わず唾を飲み込んだ。


「アビス王国強硬派の工作員の密入国を手引きをし、シラサギと秘密裏に接触出来る様に仕向けたのは、貴方ですね?」

「……何の話かね?」


ヒヨウは素知らぬフリをした。しかし一瞬だけ、ほんの少しだけ動揺したのを、キツネは見逃さなかった。


「一昨日の事件は、表向きにはヨミ国の強硬派が事件を起こした事になっていますが、実際はその強硬派の中に、アビス王国の元外交官と繋がった強硬派工作員が紛れ込んでいました。アビス王国からの渡航者は、一人残らずしっかりとチェックしているのですがねぇ。彼等は一体、どうやってこの国に入って来たんでしょうか。心当たり…有りませんかねぇ?」

「…知らんな。それこそ、密航でもして来たのだろう。ひょっとすると、お前達外務省の怠慢が原因かも知れんぞ?」

「おや、言ってくれますねぇ。外国人の入国を管理する貴方達にだって、その責任の一端は有るでしょうに。」

「アビス王国…いや、導族国家との交流の関係は、全て貴様ら外務省の検閲が入る様になっているのを忘れたか?それだけの権限を持つと言う事は、それに見合った責任を取るのが筋と言う物。貴様達の失敗を、我々の所為にされては敵わん。自分の尻は自分で拭くんだな。」


ヒヨウは、アビス王国の強硬派工作員の侵入は、自分達の責任では無く、彼等が絡む問題に於いてのみ絶対的な権力を付与されている外務省の責任と断じた。しかし、キツネはその言葉に対して鼻で嗤う。


「…何が可笑しい?」

「いえね。余りに白々しい嘘を吐くものですから。ついねぇ。」

「何だと?」


キツネの言葉に、ヒヨウは静かに憤る。鋭くキツネを睨み付け、『これ以上の無礼を働けば只では済まさん』と、言葉にせずに脅す。しかし、キツネはそれに動じない。


「防衛庁の幹部であったシラサギ容疑者と、導族の工作員とが秘密裏にコンタクトを取るには、それなりの手段を用いねばなりません。それこそ、政府の役人と個人的に接触出来る様な、そんな人物に仲介して貰わねば難しいでしょうねぇ。」

「それが俺だとでも?」

「いくら外務省が介入出来ると言っても、入国管理局を実際に統括するのは貴方達です。私達の隙を見て工作員を『正式に入国』させる事も可能ですしねぇ。それに調べましたよ?貴方はあのシラサギや、先日更迭されたアビス王国の外交官の方とも面識が有るでは有りませんか。彼等を繋げるのに最も適した人物は、他ならぬ貴方なのですよ。」


キツネは細い目を少し開き、射抜く様にヒヨウの目を見る。ヒヨウは、ついに怒りを顕にした。


「ふざけるな!馬鹿馬鹿しい!」

「おや?ここで怒るのですか?やはり図星と言う事ですかねぇ。」

「いい加減にしろ!貴様の言っている事は全て妄想だ!今の発言は全て記録した!名誉毀損で訴えるからな!」

「おやおや、それは怖いですねぇ。もしも、私の話した事が全て妄想であったとしたら…ですがねぇ。」

「大体だな!貴様の言っている事は全て仮定の話であり、決定的な証拠は何一つ無い!証拠も無く、一番適しているだろうと言う理由のみで人を逮捕出来ると思うなよ!司法を守る我々コシノに対する重大な冒涜だ!」


大きな声で捲し立てるヒヨウに対し、キツネは口元の笑みはそのままに、少しだけ眉間に皺を寄せ、そして小さく呟いた。


「………それを、他ならぬ貴方が言いますか。」

「何か言ったか?」

「いえいえ、此方の話ですよ。お気になさらず。それよりも、先程の私の主張を認めて頂くには、それを信じるに値する『証拠』が有れば宜しいんですね?」

「ああ、勿論だとも。もしもそれが有ればの話だがな。」

「ンッフッフッフッフ。その言葉を待っていましたよ。」


キツネは不気味な笑顔をヒヨウに向けた。その顔は正に、罠に掛かった獲物を見る狡猾な狐のそれであった。ヒヨウはその顔に少し慄きながらも、どうせハッタリだろうと思い込もうとした丁度その時、大急ぎで部屋に駆け込んで来る男がいた。


「ヒヨウ様!大変です!」

「何だ何だノックも無しに。俺は今、この腹黒狸と重要な話をしているのだぞ。」

「と、兎に角これを!キツネ殿に届けてくれと不審な若い女が!急いで捕まえようとしましたが、上手く逃げられてしまい…。」

「何?…早くそれをこっちに寄越せ。」


ヒヨウは、その男から大きめの紙袋を受け取ると、キツネに無断で勝手に開き、中身を確認する。すると、次第に顔が青ざめて行く。その声からは、さっきまでの威勢は鳴りを潜め、瞳が明らかに動揺で震えていた。


「ンッフッフッフ。おやおや、他人宛ての荷物を勝手に開けるなんて、随分と失礼な方ですねぇ。」

「き、貴様…何処でこれを…。」

「何の事でしょうか?心当たりが色々と有り過ぎて、私にはわかりかねるのですがねぇ。」

「ふざけるな!これが…貴様の言っていた証拠なのかと言っている!」


ヒヨウは、紙袋の中に入っていた書類の束を机に叩きつけた。ヒヨウとシラサギの裏取引、アビス王国の元外交官やエミリオ達との接触現場を抑えた写真や、その他諸々の情報が満載の証拠が机一杯に広がった。


「ええ。確かにこれは、貴方の言う通りの物ですねぇ。」

「…何時からだ。これらは完全に処分した筈…。まさか俺を…罠に…。」

「まあ良いじゃ無いですか。今はそんな事なんて、如何でも良いんですよ。貴方にとって重要なのは、これを私が握っていると言う事実です。」

「く…。」

「さあ、お望み通り、貴方に証拠を示しましたよ?言っておきますが、これは捏造でも何でもない、正真正銘にして能力充分な証拠です。これがもしも他に流れてしまったら、貴方は一体どうなってしまうのでしょうかねぇ?ンッフッフッフッフ。」


キツネの余裕綽々の言葉に、ヒヨウは先程までの態度と打って変わって怯える様子を見せる。今や、完全に形勢は逆転していた。周囲の男達も困惑した表情で、醜く狼狽える上司を見るしかなかった。


「俺を…脅す気か…?」

「それはお互い様でしょう?先の言葉を堂々と宣った貴方に、それを責める資格など、到底有るとは思えませんねぇ。」

「貴様…!」

「黙りなさい。導族関連の問題に関してならば、例外的に外務省は強い権限を持ち、そして貴方が言った様に、その結果に大きな『責任』を持つのです。それなのに、貴方はそれを謀り、あまつさえ戦争が起きて国益を大きく損なってしまう可能性を招いたんですよ…!」


キツネは、ドスの効いた低い声で、静かにヒヨウを威圧する。口元は笑っていたものの、その声には明らかに怒りが含まれ、口調も荒くなる。キツネは、今回の件には、本当に心の底から激怒していた。個人的な意趣返しも、此処に来た目的の一つとしていたのである。


「ヒトの縄張りを勝手に荒らされて、黙っていられる訳がねぇだろうがァア‼︎」


キツネの普段からは考えられない位の怒りを、ヒヨウにぶつけた。その怒りは、キツネを見張るヒヨウの護衛達をも怯ませる程に激しい物であった。そして、ヒヨウの脅える顔を見てある程度溜飲が下がったのか、そこで口調は元に戻る。顔も、いつもの人を小馬鹿にしたかの様な胡散臭い笑顔になっていた。


「ああ、済みませんねぇ。私とした事が、大変な失礼を致しました。何分、気が立って仕方が無かった物でしてねぇ。…さて、これであなたと私の立場については、十二分にわかって頂けたかと思います。」

「おのれ…かくなる上は!」

「予め伝えて置きますが、此処に有るのは全てコピーです。原本は、私の心から信頼する優秀な部下にしっかりと預けて有ります。呉々も、変な気は起こさないで頂きたいものですねぇ。ついうっかり手元が滑って、辺りにばら撒いてしまうかも知れませんねぇ。」

「ぐ…ク…ソ…。」


キツネは、暗に『何時でもこの情報をマスコミや警察、イズモ家に対してすぐに売り渡す準備が出来ている』とヒヨウに伝えていた。その言葉の意味をヒヨウは理解し、そして譲歩するしかないと悟った。


「…何が望みなんだ。金か?権力か?」

「脅迫から買収に切り替えましたか。判断が速いのは宜しいのですが、その露骨過ぎるやり方は余りスマートとは言えませんねぇ。まあ、良いでしょう。ただし、望みは貴方の方から先に言って下さいね?」

「…アビス王国強硬派の工作員を手引きした件の、私に関する全ての証拠の引き渡しと、それに関して一切他言せず、訴えもしないと言う事への確約をお願いしたい。」

「わかりました。」


キツネの余りの色良い即答に、少しばかりヒヨウは狼狽えた。キツネの言葉を少し疑ったが、ここで疑いを返すのは逆効果と思ったヒヨウは、そのまま交渉を続ける。


「…それで、貴君の要望は?…言っておくが、余り無茶な事は出来ないからな…?」

「大丈夫ですよ。きっと…ですがねぇ。」

「……言ってくれ。」

「私と私の部下に対して、攻撃に類する行動を絶対に行わないと言う保証に、詮索を一切行わないと言う保証を。…そしてそれとは別に、貴方達への『貸し』一つを早速、此処で返して貰いましょうか…ンッフッフッフッフ。」


キツネは、とても黒い笑顔でヒヨウを見た。ヒヨウは、生きた心地がしなかった。

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