第27話
「意外と…苦戦しているようだな。」
カメラやレーダーから齎される情報を整理しながら、ミゾレはアシタに話し掛けた。アシタの事を信用こそしていたが、先程までと打って変わって、予想していたよりも事が上手く運んでいない為に、若干の不安を覚えていた。
「フフ…いや、済まないね。正直な所、思っていたより手間取っているんだ。」
「何か問題でも?」
「何を言っても言い訳にしかならないけどね。まあ、敢えて言わせて貰えば、予想外の『感性』と『妨害方法』を、彼等が持っていた事かな。」
「『感性』と…『妨害方法』?」
アシタの言葉に、ミゾレは怪訝そうな表情を浮かべる。その表情は、アシタに説明を求めていた。
「僕が送った風導術使いの生物兵器『灰吹蛇』の毒霧攻撃は、中々に嫌らしくてね。各種ガスを風導術で操り、例え相手がガスマスクをしていたとしても、それを無理矢理退かして口や鼻にガスを捩込む攻撃を得意とする。」
「確かにそれは…嫌らしいな。」
「だから、地上にさえ出て来れば彼等を捕まえる事は容易と踏んでいたんだけど…彼等は一向に地上に上がって来ない。恐らく、罠を見破られたんだね。しかも、無理矢理に彼らの居るだろう地下空間に透明な催眠ガスを送ったんだけど、手応えは無し。逸早くその危険性に気付いて、何とか回避したんだろうさ。」
「それが、『感性』かね?」
「そう。罠を見抜く勘や、危険を嗅ぎ分ける嗅覚。彼等には、生き残る為の『感性』を持つ者が側に付いている。多分だけど、さっきから気になっていた、不審な小さい水導術反応の主がそれだろうね。中々に厄介だよ。」
アシタは、カスミの支援を見抜いていた。アキトは、覚悟こそ大人顔負けの物があったが、専門の人間と比べれば場数は圧倒的に足りて居らず、危険を完全に見抜けるだけの感覚は、年齢からしてそこまで鍛えられていないと考えられた。そんな彼が今も生き残っていられるのは、危険を側で教える者が付いているからと考えるのは自然の流れであった。
「それにもう一つ。僕が送った『敷石熊』の耐久性は、弊社の扱う兵器の中でも群を抜いている。そうそう簡単に殺れる物じゃあ無い。並外れた耐久力とそれなりの知力、そして高いレベルで土導術を使えるからね。地中での戦いなら、そこいらの導術使いなんかよりも確実に強い。」
「そんな奴が…負けたのか?」
「死んではいないから何とも言えないけどね。恐らく何らかの方法で、導術が封じられたんだ。その状態で拘束を受けた。通常なら、すぐにでも導術で突破出来るんだろうけれど、それが出来なかったと言う訳さ。地中を進む速度が途中から明らかにおかしかったのも、その影響だろうね。」
「…縁絶鋼か?」
「いや、あの熊の表皮は縁絶鋼の導術妨害効果を受けにくい様に工夫してある。体内に撃ち込まれでもしない限り効きはしない上、表皮の硬さ的に非現実的だから、それ以外の何かだと思う。『羊皮被狼』の動きがおかしかったり、『灰吹蛇』の攻撃が上手く行かなかったりしたのも、その所為だったんだね…これで得心がいったよ。」
アシタはやれやれと言った様に首を振るが、その顔は何処か嬉しそうであった。ミゾレはその余裕の有る態度に対して、少しだけだが声を荒げる。
「…つまり、君は失敗したと言う事かね?なのに、何故笑っていられる?」
「フフ…そうカリカリしないでよ。まだ僕は負けただなんて思ってはいないよ。」
「では、事態を打開出来ると?」
「言っただろう?僕は君に『結果』を売りに来た。その為だったら何でもするさ。何なら、僕が手束ら標的を攫って来たって良い。」
「君が…かね?」
アシタの思わぬ発言に、ミゾレは思わず聞き返した。
「ああ、そうだよ。僕の実力は、さっき君に示した通りさ。それに、今の僕はそれなりに機嫌が良いんだ。多少の汗をかいても良いかなって思う位にね。」
「そうか、それは良かったな。だが、生憎と俺は機嫌が悪くなりつつある。」
「まあまあ、そう怒んないでよ。状況的に、彼等が不利であるのに変わりは無いんだからさ。これから何とか、彼等を地上に引き摺り出して見せるよ。」
「あの熊でも出来なかったのに、出来るのかね?」
ミゾレは『敷石熊』の性能を聞いて、それだけの存在を退けたアキト達を、此方の思い通りに誘導出来るとはとても思えなかった。それもまた突破されるのではと言う不安に駆られ、疑問をアシタに投げかけた。しかし、アシタは至って冷静にそれに答える。
「出来るね。」
「理由は?」
「恐らくだけど、彼らは数や速度に弱い。もしも広範囲の導術を一気に妨害出来る手段を持っているのなら、氷麗が邪魔している地中を態々通る必要性を見出せないし、さっきまでの戦いもあんなに苦戦をしていない筈。」
「だから、あの蚯蚓を呼び出したのか。」
「そういう事。僕は、彼等の行く手に数十体もの木導術使いの『木登蚯蚓』を配置した。土導術に相性の良い木導術を使い、地面の中でも自由に動いて戦える彼等を使って、上下左右前後に斜め、地上へ出る方向以外のあらゆる方向からの包囲網を作り、次第に縮めている。標的が追い立てられて地上に出て来るのも、時間の問題だよ。」
事実、アキト達の動きは、レーダーでは一定の場所で止まり、少しずつながら地上へと追い立てられていた。包囲網を狭める速度は遅かったが、代わりに穴らしい穴は無く、万が一その内の一体や二体が殺られた所で、即座にその穴を埋められる様な配置で包囲を続けていた。
「その時間が余りに掛かると、此方としても困るのだがな。」
「大丈夫、僕の見立て通りなら、間に合う筈さ。彼等の増援だって、君が妨害してくれているんだろう?」
「ああ。だが、そう長くは保たんぞ。精々、後三十分程度が関の山だ。」
ミゾレは、医療班を総動員して動けなくなっていた部下をかなり無理矢理に起こし、警察の増援と学園長達を乗せた車の妨害の為に動員していた。起こされた部下達はフラフラになりながらも、文字通り死ぬ気で妨害工作に走り回り、何とか増援の到着を遅らせる事に成功していた。
「それだけ有れば充分さ。必ずや、彼を攫って此処に連れて来よう。」
「…頼む。」
「それから、病院の方はどんな様子だい?」
「今さっき、ヒサメとその部下、ミキやサキとその仲間達を発見したとの事だ。取り敢えずは、最優先目標のヒサメの位置を確認出来たからな。隙を見て殺害する様にと、言い含めて置いた。」
「そうだね…それが良い。…出来る事は、何でもして置かないとね。ただ…いや、何でもない。忘れてくれ。」
アシタは何かを思って薄く笑う。それが何かはミゾレにはわからなかったが、何処か不気味に思えた。その時、レーダー観測員から緊急の連絡が入った。アキト達の行動が開始されたのだ。
『土導術の大きな反応有り!地上に向けてです!』
「来たか!」
「フフ…さあ、どんな手を使って来るのかな?」
ミゾレとアシタは、偵察専用導物から送られて来る映像を注視した。そして次の瞬間、ミゾレは驚き、アシタは嬉しそうに笑った。
「な⁉︎」
「なるほど、そう来たか 。」
モニターに映ったのは、地面が大きく盛り上がって形成された土塊であった。
「目標の位置は?」
「東棟一階の北端。左手の特別病室に居ます。」
夜になっても忙しなく人が往来する病院から少し離れた、人気の無い暗い通りに停められた数台の普通乗用車の中に、十名弱の男達が居た。ミゾレ配下の私服捜査官達であった。
「目標の状態は?」
「大人しくしていますよ。今は全員が武装を解除され、念の為と言う事で手錠をされています。足は拘束されていないので多少自由に動けますが、抵抗は出来ないかと。」
「そうか、好都合だな。彼奴らも、良い仕事をしてくれる。」
偵察に出ていた部下からの報告に、リーダーの男はほくそ笑む。いくら大人しく投降した者達だとしても、危険思想を持つテロリストや、表向きには公から離反した形としている公安捜査官達を、病院の中でそのままの状態で置いておく筈が無い。そう考えていたリーダーの男は、襲撃を行うには絶好の条件となっている事に、予想通りながらも歓喜した。
「警備の状況は?」
「扉の近くに、二名の警官が居ます。恐らくですが、あの『女郎蜘蛛』の配下でしょうから…我々が公安捜査官である事が向こうに伝わると厄介です。」
「…わかった。隙を突いて両方とも排除、そのまま部屋の中の目標も仕留める。」
「殺しても宜しいのですか?『女郎蜘蛛』が放って置かないのでは?」
リーダーの男は、躊躇無く警官を殺害する事を部下に指示する。その過激な判断に、流石にそれは不味いのではと感じた部下から、苦言が呈される。
「確かにそれはそうだな。だが、国の治安を守る警察が『テロリスト』を匿うなんて事はあり得んだろう?もし、そんな事をする様な国家の敵なら、排除すべきだとは思わないか?」
「なるほど…これを上手く利用出来れば、あの悪名高い『女郎蜘蛛』の失脚すらも狙えますね。」
「そう言う事だ。何にせよ…いつもの様に、常に『大義名分は此方に有る』と、そう見える様に仕向ける事を心掛けよ。」
「心得ています。」
リーダーの言葉に、部下は二つ返事で了承する。実際、相手に罪を着せる偽装工作は特に訓練されている為、犯人を捕まえるよりも慣れている。いつもの様に、『無実』を『有罪』にして邪魔者を消し、『有罪』を『無実』にして自分達の不都合を隠蔽する。ただそれだけの事であった。
「良し…これより、被疑者を『処分』する。各員散らばり、相手に気取られ無い様に慎重に行動せよ。別々のルートを使用し、逃げ道を塞ぎながら目的の場所を包囲し、一度に仕掛ける。バックアップはニ名。襲撃予定時刻は今から五分ジャスト。命に代えても使命を全うせよ。」
「了解。」
男達は、リーダーの指示で車から出ると、連絡を密に行いながらも別々に病院に侵入する。そして、目的の特別病室にゆっくり接近し、無関係な患者が離れたタイミングに合わせ、一気に仕掛けた。手には密かに拳銃を持ち、導術も何時でも使える様に準備しながら、扉に手を掛けようとした…その時であった。
「ぬおわっ⁉︎」
扉が勝手に開いたと思ったら、其処から大きくしっかりとした手が急に伸び、一番先頭の公安捜査官の襟首が掴まれて部屋の中へと一瞬で引き摺り込まれ、即座に扉が閉まる。刹那の出来事に出鼻を挫かれ、捜査官達は少しだけ硬直してしまったが、すぐに事態を把握して扉を導術で破壊しながら、バックアップ要員以外の全員が、部屋の中へと雪崩込む。
「居ない⁉︎」
「バカな!部屋から出て行った奴なんて一人も…。」
しかし其処には、居る筈の人物が誰も居なかった。ヒサメは愚か、彼の部下もサカキのテロリストも、さっき部屋に連れ込まれた男すらも居なかった。しかし、その最後の人物だけはすぐに見つかる。
「「「ぎゃあ⁉︎」」」
急に男達の内の後ろの方の数人が悲鳴を上げた。何事かと振り返れば、其処には先程部屋に連れ込まれた男が、倒れている数人の男達の上にのしかかる様にして、失神していた。そしてそのまま部屋の入り口の方向を見ると、其処にはいつの間にか強固な氷の壁が形成されていた。
「何が起…こっ⁉︎」
続けて、男達が何が起きているのか確認する為に、天井を見上げるや否や、何者かが素早く動いて一人の男に襲い掛かる。襲われた男は反応するのが遅れ、それから放たれる強烈な一撃を躱す事が出来なかった。まるで重い鉄球を落とされたのかと間違う様な衝撃をこめかみに入れられ、人が出してはいけない不快な音を立てながら、意識が一瞬で消し飛ばされる。
「備えェエ!」
リーダーの男が叫び終わらない内に、男達は全身を氷で覆い尽くし、銃弾も何も通さない強固な鎧を形成する。足元は氷で固定し、関節部分すら完全に固め、あらゆる攻撃に備える。しかし、その術は『彼』の前では無意味であった。
「が⁉︎」
全身を氷で覆い、万全の防御を行っていた筈の、一人の公安捜査官がいきなり吹き飛ばされ、壁に激突する。続けて、その周囲の男達も次々と薙ぎ倒されていく。男達のリーダーは、部下達に襲い掛かる『紅い男』を確認した。
(炎導術⁉︎不味い!)
その男は、鳥型導族特有の大きく美しい紅い羽根を背中に持っていた。その屈強な体躯に赤い炎を纏い、羽を大きくはためかせて素早く縦横無尽に宙を舞いながら、爆発で威力と速度を増した強烈な回し蹴りを放ち、次々と公安捜査官を蹴り倒して行く。男達は防御しながら氷導術で応戦するも、氷導術の天敵である炎導術の前では、その全てを溶かされてしまう。
「銃だ!」
「了解!」
リーダーの男は、導術では不利と見て、まだ戦える部下達に銃を使用する事を伝える。氷で全身を覆いながらの状態で有れば、味方からの誤射であっても防ぐ事が出来る為、乱戦時にも躊躇無く銃が使用出来ると言う氷導術の特徴を利用した作戦である。
(疾い…!)
リーダーの男は、襲撃者の速度に舌を巻いた。部下達が一斉に銃を抜こうとした時に、その隙を突かれて数人が蹴り倒されてしまった上、残った数人で銃を使用しようにも、味方の間を華麗に動いてそれを盾に利用する標的を捉え切れない。一人、また一人と仲間が倒されて行く。
「クソッ!当たれ!当たれェ!」
「闇雲に撃つな!下手に奴に隙を晒すとやられ…ごあ⁉︎」
そしてついに、善戦していたリーダーの男も、紅い男の強烈な炎の足刀蹴りの餌食となる。続けて、最後の部下が倒された所で、漸くその紅い男の動きが止まり、纏っていた炎が消える。リーダーの男は、痛みで上手く動かせない身体を無理矢理起こし、その紅い男の素顔を垣間見た。
「ミノリ…コウガ…?」
男が小さく呟くと、それを聞き付けた紅い男は、その厳つい顔で男を睨み付ける。その顔は確かにコウガに似ていたが、彼と比べるとかなり若々しく、まだ青年である事がわかる。そしてその髪の毛と、背中から生える大きな翼は、炎の様に真っ赤な色をしていた。
「おや?父さんを御存知でしたか。でしたら、何故僕が貴方達に対して、この様な暴挙を働いたのかについて、心当たりは有りますよね?」
「父…だと…?」
「初めてまして。僕はミノリ・コウガが長子、名をナツトと言います。それから、よくも…僕の大事な家族を傷付けてくれたなァアア‼︎」
「ヒィ⁉︎」
ナツトは母譲りの赤髪を逆立て、威嚇するかの様に大きく羽根を広げ、父譲りの厳つい顔を最大限険しくし、鬼の形相で男を睨み付ける。その顔を見てしまった男は、まるで地獄の獄卒を見たかの様な恐怖に全身を貫かれ、震えながら失神してしまった。すると、それを確認した小さな影が、ゆっくりとナツトに近付く。クロウリアであった。
「お兄ちゃん…少しやり過ぎよ。その位にしておいてあげて。」
「え、そうかな?だって、父さんや母さん、それにリアだって危ない目に遭ったんだよ?この位脅したって、バチは当たらないと思うよ?」
ナツトは、その厳つい顔と体躯に似合わぬ優しめの口調で、クロウリアに答える。同時に、何処からか警官二名が現れ、次々と失神した公安捜査官達を拘束して行く。その警官達はナツトに労いの言葉を掛けると、ナツトはそれに笑顔で応える。
「普段なら、小さい子供は勿論、大きな大人にさえ怖がられるって嘆いているのに…。そんな事ばっかりしてると、何時まで経っても友達が増えないわよ?」
「う…それは…そうかも…だけどさ。で、でも…僕は別に其処まで増やしたい訳じゃ…。親友のマーちゃんも居るし、他にも僕を怖がらない子だって…。」
「全員が身内じゃないの!」
「だ、だってぇ…。」
先程までの彼からは想像が付かない位に、ナツトは萎れた。屈強な体躯が心無しか小さく見え、少女に言い負かされているその様は、力関係的に妹が兄を完全に上回っている事を間接的に伝えていた。警官達は、騒ぎを聞き付けた患者達に対応しながら、その様子を苦笑いで見つめていた。
「それに、部屋の中だってこんなに滅茶苦茶にして…!」
「だって…氷だけなら相性は良いから良いけど、向こうは銃だって持ってたし…。少しでも気を抜いたら返討ちにされちゃってたよ…。イナバ先生だって、この部屋は襲撃者撃退用に改造してるって言ってたし…。」
「壊して良いって意味じゃ無いでしょ!言い訳言わない!」
「ご、ごめん…必死だったんだよぉ…。」
ちなみに、この部屋には隠し扉が有り、襲撃を察知した際に其処から別の部屋に避難出来る様になっている。勿論、オオカミ・ロウガを兄貴と慕って止まないイナバが、ロウガの家のトイレの隠し扉の事を聞き付けてそれをリスペクトした結果、普段は使う事の殆ど無い権限を存分に活用して設けた物である。
「そ、そんな事よりもさ、索敵有難う。助かったよ。」
「分が悪いからって、露骨に話題を変えて来たわね…。お兄ちゃんの悪い癖よ?」
「あう…。」
「妹にちょっと言われた位で萎れないの。もっと兄らしく威厳を持ってよ。」
「うう…面目無いです…。」
余りに縮こまる兄を、流石に不憫に思ったのか、クロウリアはナツトを慰める。
「はっきり言って、お兄ちゃんの方が凄く頑張ったんだからね?本当は頼りになるんだし、私なんかよりすっごく強いんだから、そんなに気弱になる必要なんて無いわよ。」
「うん…有難う。」
「それに、私は別に大した事なんてしてないわ。索敵って言ってもこの人達、みんな足音を消して近付いて来てたから、周囲から浮いて却って目立ってたしね。」
クロウリアは、音の反響を利用するで物体の接近を確認し、また同時に実際の音も聴き取れる。つまり、足音を消して移動すれば、音を抑えた物体の移動として確認出来ると言う事になる。それは余りにも不自然である為、クロウリアには逆に分かり易かったのだ。
「でも、それってやっぱり凄いと思うな。足音がしないのって、普通なら怖い筈なんだけどね。中途半端な消音程度じゃ、リアには全然効かないもんね。」
「…導術で完全にステルスした相手には、手も足も出なかったけどね…。逆に、騒音の中じゃ碌に動けなかったし…。結局今回は、お母さんやアキトさんに迷惑掛けちゃっただけだったし…まだまだダメダメよ…はあ…。」
「うわ!な、何でリアの方が逆に落ち込んでるのォ⁉︎」
クロウリアは、先程の戦闘で『羊皮被狼』に事実上の敗北を喫していた。そして、自分を守る為に母のアイビシアは一時、生死の境を彷徨った。更に、地下シェルターでも自力で脱出しようとして失敗してしまってもいた。それらを思い起こし、クロウリアは酷く落ち込んでしまったのだ。思わぬ地雷を、自慢の脚力で思い切り踏み抜いてしまったナツトは、何とか再び話題を変えようと考えた。
「と、ところでさ。あの人達は大丈夫だった?其方には襲撃来なかった?」
「…うん、見事に全員が此方の部屋に誘導されたからね。全員無事よ。部屋の外も大丈夫、警官さん達が上手い事誘導してくれて被害は出なかったわ。」
「そっか…良かった。お父さんに頼まれた事、無事に終わったんだね。」
ナツトは安心した様に溜息を吐く。病院の守りが手薄になった所への襲撃を危惧したコウガは、その時に丁度、母の危急を聞き付けて文字通り飛んで来ていたナツトに対して、救い出した人達に対する護衛を頼んでいた。その時のナツトは、それを快く引き受けたものの、内心では重責に不安になり、非常に緊張していた。故に、無事に仕事が終わった事に安堵していたのだ
(今回は、僕が先頭に立っての初めての戦いだったから、緊張したなぁ…。カスミ先生の弟子の警官の方達がサポートに居たから、僕がやられても大丈夫だったとは思うけど…。)
ナツトの実力はカスミも良く知る所であり、しばしば特例として、導術使いの犯罪者を鎮圧する任務に参加していた。いつもは後方からの支援が主であったが、今回はカスミから先陣を任された為、非常に緊張していたのである。
ナツトも実は、ヨミ国で生きて行こうと考えており、その為に特殊部隊を目指していた。それもまた、クロウリアが特殊部隊を目指す切っ掛けの一つにもなっている。最初の内は、コウガがやはり酷く反対したが、クロウリアの時と同じ様に言い負かされ、今では渋々応援する立場をとっている。
「う〜ん…。まあ、後ろに居た二人には逃げられちゃったんだけどね…。」
クロウリアは、後方でバックアップ要員として待機していた二名が、既に逃げ出している事に言及する。警官達もナツトや患者に気を配っていた為、其方の方には手が回らなかったのである。しかし、ナツトはその事に付いては気にしていなかった。
「それなら大丈夫じゃないかな。」
「え?」
「この氷の壁を造った人、かなりの実力者だから。」
ナツトは、背後に有る氷の壁を軽く叩いた。するとその氷は、まるでそれに応えるかの様に、明るく澄んだ音を響かせた。
(クソ!あんな奴が居るなんて聞いていないぞ…。我々の襲撃を読まれていたのか!)
病院の外に向けて、二人の男が廊下を走っていた。夜でも引っ切り無しにやって来る患者で混雑する所を無理やりに押し通り、逸早く安全圏へと退避しようと駆ける。そして、やっとの事で自分達の車を停めて有る路地裏まで辿り着く。
「良し!追っ手は来ていない!」
「早く車に!ミゾレ殿に連絡を!」
「周囲の警戒は頼む!」
一人の男が周囲を警戒しつつ、もう一人の男は車に乗り込んで携帯で連絡を取ろうとする。しかし、その時にある異変に気付く。
「あ、開かない⁉︎」
「何⁉︎」
車の鍵は開けた筈なのに、ドアは微動だにしなかったのだ。何事かと暗がりの中で調べると、すぐにその異変の正体を理解した。ドアが開かなくなった原因、それはドアの隙間が透明な『氷』によって綺麗に埋められていた事であった。
「こ、凍ってる…。」
「…まさか!」
男達は、すぐにこれが導術による物、しかも自分達が良く知る人物によって為されたのだろうと言う事に思い至る。そして、彼等は急いで周囲を警戒しながら、すぐにでもその場を離れようと動き出す。
(不味い…不味いぞ…。罠に掛かってしまった…!)
彼等は、全力で逃げる準備を整えながら歩みを進める。この術を施した人物が、もしも万全な状態で有るならば、例え自爆特攻を仕掛けたとしても倒せる可能性は低い。それを良く理解していた彼等は、一時撤退してでも場を立て直そうと躍起になっていた。
「ああ、其処の君達。ちょっと待ち給え。」
「「⁉︎」」
急に聞こえて来た聞き覚えの有る声に、男達は一斉にその声のする方と反対の方向に向けて逃げ出す。既に準備していた滑氷脚を使用し、車顔負けの速度で地面を滑る。しかし、その声の主は勿論、彼等の逃走など許しはしない。
「氷生導術・氷山百景=凍土牢。」
逃げる男達の速度が急に落ち、ついに止まってしまう。急ぎ足下を見ると、自分達の足下が綺麗に凍り付いているのを発見する。導術を使用して無理やりにでも動かそうとしてみるが、ビクともしない。
「無駄だ。これは俺が創った氷。お前達が術でこの氷を操ろうとしても、俺がその術を更に上書きして無効化する。」
「……く!」
導術によって逃げ出す事が出来ないのならと、男達は懐から拳銃を隠しながら抜き、背後向きでコート越しに、声の主に目掛けて射撃する。しかしその銃弾は彼を捉えられなかった。代わりに、彼の手前の空間にヒビが入る。そして、放たれた銃弾は全てが其処に留まっていた。
「氷生導術・氷山百景=透氷壁。例え縁絶鋼を撃ち込んだとしても、実体として残る氷壁を貫く事は出来ない。それは、お前達も良くわかっているだろう?」
「く…そ…。」
「俺の実力は良くわかっている筈だ。俺との実力差を考えれば、お前達はこの牢獄から脱出出来ない。抵抗を止めよ。手荒な事はしたく無い。」
男達を完全に足留めした男ーーヒサメは、ヒビの入った目の前の氷壁を崩すと、音も無く滑る様に氷の上を移動し、男達に近付く。
「何故…此処に…。」
「おいおい、俺が何処に所属していたと思っている?マニュアル通りに動くのは、良くも悪くも分かり易いと言う事だぞ。何処にどう移動し、どう行動するか…俺も散々に叩き込まれたからな。予想など容易い。」
「ぐぬぅ…。」
「それに、なるべく目立たない様にと、導術を使用せずに此処まで移動して来ただろう?だから逃走に速度が出せず、追い掛ける側の俺に先回りされた。マニュアルを大事にするのも良いが、今回はそれが裏目に出たな。何事も程々にするのが大事だぞ?冗談の様にな。」
ヒサメは自嘲するかの様に小さく笑うが、その笑みにはもう、悲愴な感情は宿っていない。
「こ、これは一体どう言うつもりか!」
「どう言う…と?」
「は、犯罪者であるテロリストを匿っていたであろう!その上、彼等を捕えに来た我々へ攻撃を仕掛けて来た!これは立派な犯罪で有り、ヨミ国に対する反逆だ!」
男達は、近付いて来るヒサメを牽制するかの様に大声で叫ぶ。騒ぎを聞き付けた人々を利用して、ヒサメの行動を制限しようと画策したのだ。しかし、それにヒサメは全く動じない。
「勘違いは止してくれ。俺はテロリストを匿ったのでは無く、捕えて保護しただけの話だ。例え犯罪者であろうと、勝手に命を奪う権利は俺達には無い。」
「ま、まるで我々が彼等を殺そうとしているとでも言う様な口振りだな?」
「…違うのか?」
ヒサメは意地悪そうに嗤う。実際に、彼等を殺そうとしていたのは事実であり、それは当事者であるヒサメが一番良くわかっている。その言葉を聞いた男達は、激怒する。
「貴様!この国を裏切る気か!」
「誰に対しての裏切りとするかで違って来るのだが…まあ、お前達から見れば裏切りだろうな。」
「おのれェ!」
「そう昂ぶるな。何時も言われているだろう?『常に冷静たれ』と。怒りは判断を鈍らせるぞ。」
「どの口が言うかァ!」
ヒサメな冷静な諭しは、男達の神経を逆撫でする。裏切り者であるヒサメに、コシノ家の思想を語る資格は無いと言外に訴えていた。そして、そうしている内に、騒ぎを聞き付けて来た人達が、路地裏に集まって来た。それを見た男達は、一先ず心を落ち着けてヒサメに対して拘束を解く様に告げる。
「は、早くこの拘束を解け!公務執行妨害、及び許可の無い場所に於ける導術の不正使用によって貴様を逮捕する!」
「おやおや、これは異な事を。私が何時、公務執行妨害をしたと言うのかね?」
「公務中の我々を拘束しているでは無いか!」
「これは、私が作戦の中止を告げたのに、君達が上司である私の命令に背いたが為だ。私も公務中であり、緊急時の導術使用は認められている。私は何も悪い事はしていないぞ?」
「何⁉︎」
ヒサメを糾弾していた男達は、ヒサメの切り返しに驚いた。コシノ家を裏切り、ヤクモ達に寝返った筈のヒサメが、いけしゃあしゃあと公安捜査官を名乗ったからだ。だが実際に、建前ではヒサメは確かに、公安捜査官のハイルであり、今の所は彼等の上司である事も事実であった。
「私達は、テロリストのサカキに捕らえられたアラカミ・アキト君とその関係者を助け出し、テロリストを全員を捕らえる任務を無事に終えた。作戦が終了したのに、君達ときたら何故か、未だに作戦を続行しようとしているからね。仕方無く、私の判断でこうして拘束したまでだよ。」
「な…何を…。」
「おや?私はアキト君達を救う作戦を遂行していたと思っていたのだが、違うのかね?何なら、君達の任務について詳しく聞かせて貰えないか。無理に私の静止を振り切ろうとした理由でも有るのだろう?上に掛け合って確認して見よう。」
「そ、それは…。」
男達は言葉に窮する。確かに、ヒサメが言う様に、公安捜査官達は表向き、テロリストに捕らえられたアキト達を助け出すと言う任務に就いていると言う建前で動いている。それ以外の思惑で動いていると言う事は、人が集まりつつあるこの場では公に出来ない。皮肉にも、ヒサメの行動を制限しようとした作戦を、逆手に取られて利用されてしまっていた。
「言えないのかね?極秘任務だとしたら申し訳無かったな。だが、上司である私に言えないなんて、如何わしいな。」
「ち、違う!我々は、裏切り者の貴様を捕らえる為に…!」
「おや?私が裏切り者…と。何を以って私を裏切り者と言うのかね?」
「て、テロリストのサカキと共謀して…アラカミ・アキト君を亡き者としようとしたでは無いか!我々は貴様を捕らえる為に此処に来たのだ!」
男達は何とか状況を打開しようと、実際に行っていた事を利用して、ヒサメに掛けられた嫌疑を仕立てる。
「だが、それは疑いだけだ。証拠が有るなら提示したまえ。もしもそれすら無く逮捕するつもりなら、酷く可笑しい話だがな。」
「そ、捜査令状ならすぐに発行される!捜査されれば証拠は必ず出て来る!それまでに貴様に証拠隠滅されるのを防ぐ為にも、貴様を拘束せねばならんのだ!」
「そうか…其処まで言うのならば、調べると良い。勿論…監視付きで。」
「何⁉︎」
しかし、ヒサメはそれすらも織込み済みであった。
「私がどう『サカキ』と繋がり、彼等と共謀して何をしようとしたのか…それを余す事無く備に、警察やマスコミも入れて大々的に、此処に生きる全ての国民に公表すると良い。他の誰の何の干渉も入れず、私が誰に指示され、指示した者達が何をしたかったのか、何と繋がっていたのか…それら全てをな。良いですかな?カスミ殿。」
「ええ。確かにその言葉、聞き届けましたわ。」
突然、女性の声が辺りに響くと、ヒサメの近くの暗い空間が歪み、其処から小型録音機を持った女性ーーカスミが現れる。彼女の登場に、男達は大いに驚いた。
「は、ハイル…殿…。こ、これは…一体…。」
「何って、君達は私に疑いを掛けているのだろう?その捜査を、プロにお願いしようと思ってね。警察が介入した方が、君達だけよりも公平に、より良くしっかり調べられると踏んだのだが?」
「な…な…。」
「その反応…警察やマスコミに、何か知られたく無い事でも有るのかね?でなければ、何を狼狽える必要が有る?」
男達は再び言葉に詰まる。警察やマスコミの介入は、最も忌避すべき事態であったのだが、その言質を取られてしまった為である。ヒサメは最初から、自分が捕まる事を覚悟していた。その序でに公安捜査庁、引いてはコシノ家すらも全員道連れにするつもりであったのだ。
「ほ、本気か…。」
「……本気だよ。」
ヒサメの目には、確かな覚悟が有った。清々しそうなその目には、何処か安らぎがあった。長年の苦痛から解放されたと言う、心からの喜びの色が映っていた。男達は項垂れた。完全な敗北を悟ったのである。
「さて…カスミ殿。頼む。」
ヒサメは、カスミの前に両手を差し出す。カスミは頷き、自身の所持する手錠を彼に掛けようとした時、突然携帯の音が鳴り響く。カスミの携帯の着信音であった。
「少々失礼致しますわ。」
カスミは携帯を取り出し、応対する。
「あら、キツネさん?何かワタクシに用がお有りですの…って、それは本気で仰ってますの?」
その電話はキツネからであったが、カスミの顔が次第に曇って行く。どうやら、何か不服な事を頼まれたらしい。傍目から見ても、不機嫌になっているのが明らかであった。しかし、最後にはやれやれといった表情で首を振り、渋々ながら了承する。
「仕方有りませんわね。なら、確実に約束は遂行なさい。もしも違えたなら…覚悟なさいね?」
電話を切ったカスミは、笑顔でヒサメや男達に向く。しかし、その笑顔には、底冷えする程の怒りが滲み出ていた。一体何を言われたのだろうかとヒサメは思っていたが、次の瞬間、その疑問は驚きによって消し飛ばされた。
「たった今、ヒサメさんに掛けられていた嫌疑が晴れました。あなたは無実ですわ。」
「……へ?」
その余りに予想外の展開に、ヒサメは驚きを隠し切れず、端麗な顔に似合わない間抜けな顔を晒してしまったのだった。




