第25話
「シアさん!しっかり!」
「私があの時…お母さんの言う事を聞いて…逃げてれば…。御免なさい…御免なさい…!」
召喚したライトを片手に、アキトはアイビシアを横にして血を吐かせ、気道を確保しながらの止血処置を行っていた。スライムもアイビシアの体表面を覆い、出血を何とか堰き止める。しかしアイビシアは気絶したままで、脈は早く顔は青白くなり、体温が低下していた。
(出血性ショック…この短時間で此処まで…。傷が深すぎるんだ…!何処か神経を痛めているかも…。)
アキトは、アイビシアの容態の重さを察して焦り出す。クロウリアはその側で泣き崩れており、シルバーナが必死に宥めているが余り効果は無い。周囲の地面の警戒を頼まれたディアは、心配そうにアイビシアを見ながらも、地面の中へと潜って行った。
「早く…契約して病院に送らないと…。でも、それにはシアさんが意識を取り戻さないと…!」
「お母さん…ヒッグ…目を開けて…返事してぇ…。もう生意気な事言わないから…お母さんの言う事もっと良く聞くから…うえ…お、お願いよぉ……。」
転移契約を結びさえすれば、病院へ瞬時に転送する事が出来る。そうすれば、イナバを始めとする優秀な医師達による高度な導術治療を即時に受けさせる事が可能である。しかし、それにはアイビシア自身が目を覚まし、転移契約に応じなければならない。契約を一方的に行う事が出来ないが故の弊害であった。
「兎に角、失った血を輸血して…強心薬を…。早く目を覚まさせないと!」
『輸血と薬剤投与はスライムの身体を利用して行います!免許を持たぬ者の違法な医療行為になってしまいますが、全てワタクシの責任で執り行います!』
「…わかりました。お願いします!カスミ先生!」
アキトはカスミの指示を仰ぎ、カスミは病院のイナバと通信しながら的確に治療を行っていく。アイビシアの血液型の輸血パックと各種薬剤は、イナバの元からアキトに所有権を渡す事で即時に召喚で取り寄せ、カスミのスライムの身体を通してアイビシアの身体へ少しずつ送り込む。
「良し…脈が少し戻って来ました。後もう少し…!」
何とかアイビシアの容態は落ち着いて来たが、丁度其処にディアが戻って来る。そしてシルバーナに話し掛けると、シルバーナの顔は緊張によって強張る。アキトは悪い予感がした。
「キュイキュイ!」
「お兄さん!何か怪しい物体が、こっちに警戒しながら近寄って来てるって、ディアちゃんが!」
「く…もう来ましたか…。まだ、シアさんは意識を取り戻さないのに…!」
「お願い…目を開けてよ…ママぁ…。」
それは、アキトの思った通り、アシタが差し向けた土導術使いの生物兵器の接近の報せであった。しかし、アキト自身はアイビシアの処置を行うのと、目を覚ました際に彼女らと契約を結ばねばならない為に、今はこの場を離れる訳に行かなかった。アキトは苦悶の表情を浮かべつつも、貴重な時間を無駄にしない為に即時に決断した。
「ディア!迎撃は出来ますか?」
「キュキュ!」
「…ルビィ。危険ですが…。」
「任せて下さい!」
アキトは、シルバーナとディアを併せて迎撃させる事にした。召喚術ですぐに退避させられる上、土導術の得意なディアと、相手の導術を無力化出来るシルバーナのコンビは、意思疎通も取れる上に息も意外と合っていた。彼女らなら、上手く立ち回れるだろうと判断したのだ。
「ルビィ、目的は時間稼ぎです。基本は逃げに徹し、相手の動きを妨害する事に専念して下さい。ただし絶対に油断しない事。ディアは穴を大きめに掘ってルビィの視界を確保、導術効果範囲を広めに保って下さい。」
「わかりました!」
「キュキュ!」
「カスミ先生、ルビィ達が危なくなったらすぐに報せを!召喚して逃がします!」
『わかりましたわ!』
シルバーナの導子引導は視覚に頼っている。故に、土で囲まれた地中では効果範囲が極端に狭くなってしまう。それを防ぐ為に、ディアに大きめの空間を作る様に指示をする。そして、召喚した球形の小型照明を持たせ、ヘッドライトとゴーグルをシルバーナに装着させて、暗い穴の中での視界確保に使う様に伝えた。
「絶対に…死なないで下さい。あなた達は、僕の大事な…大切な家族ですから!もっと一緒に居たいですから!」
「はい!勿論です!」
「キュイキュイ!」
アキトはシルバーナもディアも大好きで、彼女らもまたアキトが大好きである。だから、絶対に共に生き残る事を互いに誓う。そしてアキトが見守る中、ディアの掘った穴の中を彼女らは潜って行った。するとすぐに地中に轟音が轟く。ディアの土導術による先制攻撃である。
『此処からでも聞こえますわね。相当近くまでいらしていた様ですわ。』
「急がないと…!先生、気付け薬の使用は可能ですか?」
『余りシアさんの身体に負担はかけたくは有りませんが、仕方有りませんわね。』
アキトは召喚術で気付け薬を取り寄せ、クロウリアに少し離れている様に言うと、カスミの指示通りに使用する。強烈なアンモニア臭に、思わずアキトは顔を背けたが、気合で何とか保たせる。
「家族を失うのは…本当に悲しい事です…!クロウリアちゃんやコウガ先生に、そんな想いは絶対にさせない!シアさん!絶対に生きて下さい‼︎」
「…お兄さん…。」
アキトの心からの叫びが、暗い地下とクロウリアの心に強く優しく響く。必死に大声で叫びながらアイビシアの頬を張り、強烈な臭いを嗅がせ、救心作用の有るかなりキツい苦味の薬をアイビシアの口に含ませる。
「ゲホッ!うあ…。」
「シアさん!良かった!」
「おがあざん!おがあざん!」
五感をフル活用したアキトの必死の気付けは、三途の川の縁のいたアイビシアを何とか現世へと引き摺り戻す。手の中にある、確かな生命の温もりを感じたアキトはそれに大いに喜びながらも、やるべき事を忘れずに迅速に行動を起こす。
「あえ…なんきゃ…わらひ…?」
「無理に喋らないで下さい。シアさんは爆弾の中に仕込まれた、縁絶鋼の破片を身体に受けて気絶してしまったんです。応急処置はしましたが、まだ真面に動ける状態では有りません。今から転移契約を行い、すぐに病院に転送します。」
「ら…らけ…。」
『アキトさん達の事はワタクシに任せなさい!それよりあなたは、早急な治療を受けて生き延び、家族の皆様を安心させてあげると言う最優先の仕事が有ります!四の五の言わずに従いなさい‼︎』
カスミの有無を言わさぬ一喝を受け、アイビシアは萎れるが、側で安堵に泣きじゃくるクロウリアの頭を、痛々しい傷の有る右腕で弱々しく撫で、そして決心する。その目からは、悔し涙が流れていた。
「ほめ…らしゃ…。」
「構いませんよ。」
アキトはアイビシアの謝罪を優しい口調と笑顔で受け取り、クロウリアも同時に病院に送る為に、二人同時に契約を行う。その時、アイビシアにしがみつき、安堵して泣いていたクロウリアがアキトに向き直る。御礼を述べようとしたのだ。しかし、直前まで泣いていた所為で上手く言葉にならない。
「ヒック…お…ヒック…お兄ざ…。」
「大丈夫ですよリアちゃん。シアさんはきっと助かります。助けてみせます。」
「お…お兄ざん…ありが、ありがど、お…。」
「どういたしまして。だから、リアちゃんも元気を出してね。」
涙や鼻水でぐちゃぐちゃな顔を必死に腕で拭きながらも、御礼の言葉を紡ごうとするクロウリアに、アキトは召喚した清潔で柔らかなタオルで優しくその顔を撫で、そのまま抱き寄せる。その暖かさに、クロウリアは思わず大声で泣き出しそうになるが我慢する。そのまま無事に契約が終わると、アキトはカスミに話し掛ける。
「カスミ先生!イナバ先生とコウガ先生に連絡を!」
『受け入れ準備は既に万端です!容態の詳細も伝えて有ります!このスライムごと転送をお願いしますわ!』
「有難う御座います!転送!」
アキトはカスミのスライム(アイビシアに付いていた物)ごと、アイビシアとクロウリアとを病院に転送する。そしてその後には、アイビシアの命を脅かしていた縁絶鋼の欠片が大量に残されていた。その欠片を睨み付けながら、アキトは小さく祈る様に呟く。
「僕に出来る事は…もう有りません。シアさん…どうかご無事で…。」
『今、無事にイナバ先生に引き渡し終わりましたわ。此方で応急処置もしっかり行って置きましたし、イナバ先生ならきっと救って下さいます。』
「ええ…きっと…そうですよね。」
『何時までそんな萎れた調子ですの?今はワタクシ達の方がピンチですのよ?必死で気張りなさい。死んだ後まで諦めてはいけません。貴方は、あの娘達の命をも担っているのですから。』
カスミはアキトを叱咤し、激励する。厳しくも優しいその声は、アキトの背中をしっかりと支え、現実を突き進む為の後押しをする。後ろは振り向かせない。甘えなど許さない。それこそが、カスミの心からの愛情であった。それを感じたアキトは少しだけ笑い、そして集中する。心から色が消え、無機質な何かへと変わって行く。
「ええ…わかっていますよ。絶対に、僕の大切な家族を奪わせませんよ…絶対に。」
(…アキトさんの雰囲気が…変わった…?何ですか…この感じは…。)
アキトは感情の抜け落ちた視線で、ディアとシルバーナが戦っている方向の土壁を眺める。その手には、既に召喚術によって呼び出した黒い何かが二つ握られていた。恩師の愛する家族であるアイビシアを傷付けた相手に怒りは感じていた。しかし、感情に任せてはシルバーナ達を危険に晒してしまう。その為に、アキトは心を完全に制御する。その瞳は、とても冷たい色をしていた。
「ルオガアアアアア‼︎」
「ガルオアアアアア!」
小型ながら強力な照明が照らす広い洞窟の中で、ディアの咆哮と、襲撃者である化物熊の咆哮とが反響する。互いに石を飛ばしては牽制し合っていたが、化物熊の方の攻撃は悉くシルバーナにより無力化される為、その攻撃はただの石塊となってディアの身体に呑み込まれるのみであり、かなり有利に立ち回っていた。
「ディアちゃん!もう少し距離を取って!」
「キュキュ!」
「ガルオオオオオオ!」
しかし、ディアの石弾攻撃の方も、思うように相手にダメージを与えられなかった。化物熊の体表に、見るからに硬そうな鉱物で覆われていたが為である。体力も相当に多いらしく、圧倒的に不利な状況を、純粋な力押しの捨て身攻撃だけで、シルバーナ達を着実に追い詰めていた。
(余りに離れ過ぎると、アキト様の方に向かってしまいます!付かず離れずで牽制を続けて、何とかこっちに注意を向けさせ続けないと…!)
先程から化物熊に攻撃を仕掛けては、気を引こうと挑戦しているが、少しでも気を許すと化物熊はアキト達の居る方向へと向かおうとしてしまう。その度に攻撃を仕掛けているが、熊の方は段々とシルバーナ達の攻撃が脅威では無い事に気付いて来たらしく、最初と比較してかなり近付かなければ攻撃の矛先をシルバーナ達に向けない様になって来ていた。
(土導術は無効化してるのに…。ただ引っ掻くだけで、あんなに掘り進めれるなんて…。もっと…もっと近付かないと…。アキト様達の所に向かってしまう事だけは防がないと…!)
化物熊は土導術を無効化されてしまう為に土や岩の中を進む事が叶わず、仕方無くその素手で硬い岩盤に穴を掘って、アキト達の下へと進もうとしていた。普通で考えれば碌に進める筈が無い所を、人がゆっくり歩く程度の速さでは有るが着実に進んでいた事から、その膂力も相当な物と推測出来る。
「ディアちゃん!もう一度突撃を!」
「キュキュ!」
再び化物熊がアキト達の方向へと掘り進めようと、視線を其方に向けた為に、シルバーナはディアに指示して突撃する。かなり気が急いていたが、今の彼女はそれに気付かなかった。そして、熊にかなり近付いた時、不意に化物熊がシルバーナを睨み付けた。まるで、最初からそれを狙っていたかの様であった。
「しまっ⁉︎逃げて!」
シルバーナはディアに指示して離れる様に言うが、既に攻撃の体勢に入っていたディアは一瞬反応が遅れ、迂闊にも無防備な姿を晒してしまう。その隙を化物熊は狙っていた。徐に口を開くと、其処には鋭利な棘を大量に持った鉄球が見えた。導術発動の準備を行っていたのだ。
「導術なら…きゃあ⁉︎」
「キュイ⁉︎」
慌てて導子引導を使用しようとしたシルバーナは、急に目が見えなくなる。化物熊は掘った土を手に持っており、それをシルバーナの顔に目掛けて投げつけ命中させたのだ。唯の土であった為に無効化が出来ず、ゴーグルにヒビが入ってしまい視界が上手く確保出来なくなってしまう。
「ルガオオオ!」
ディアは急ぎ逃げようとするが、怯んだシルバーナが振り落ちそうになる為に急な移動が出来ない。仕方無く導術攻撃で熊の導術攻撃を相殺し、シルバーナを気遣いつつ背後に下がるが、それを化物熊は執拗に追い掛けて攻撃する。今までの鬱憤を晴らすかの様な猛攻であった。
(これでは導術の無効化が上手く行かない…!)
導子引導を封じられたシルバーナは、ただの非力な少女である。導術攻撃でも熊の素手の攻撃でも、真面に当たれば大怪我は免れず、即死すらあり得る。すぐにゴーグルを外さねばならなかったが、恐怖に思考が固まって上手く腕が動かない。ディアが必死に頑張っている事がわかっていても、身体が言う事を聞いてくれない。
(アキト様…!)
そこでシルバーナは、大好きなアキトの笑顔を思い出し、自らを奮い立たせてゴーグルを何とか投げ捨てる。しかし、それまでに余りに時間をかけ過ぎていた。何とか視界を確保出来た時、ディアの足下に化物熊の導術の鉄球が当たり、バランスを崩したディアの背から、ついにシルバーナは落ちてしまう。
「きゃあ⁉︎……うぐっ!」
そして、地面に転がったシルバーナに、化物熊は急接近し、足で砂を掛けて目潰しをする。またもシルバーナは暗闇の中へと落とされ、術を封じられてしまう。明らかに、シルバーナの術の発動条件である『術の把握の手段』を潰しに来ていた。
(不味いです!このままでは…!)
シルバーナは、今や自分達の優位性が完全に覆されてしまった事に気付く。自身の術の弱点である『視覚』を狙われた結果、他の術を封じる筈の『導子引導』が逆に封じられてしまったのだ。『導子引導』を使った戦闘経験の少なさや、前衛と言う慣れない戦い方へ変えた事の影響が顕著に出たのである。
「ガルアオオオオオオ!」
「こ、来ないで…!イヤアアアアア!」
更に化物熊は追い討ちをかけようと、鋭い鉤爪を持った前足を大きく振り被る。視覚は封じたが、それでも念のために無効化されない様にと、直接攻撃を行うつもりであったのだ。ディアが石弾や体当たりで注意を引こうとするが、頑丈な化物熊はビクともしない。ならばとシルバーナの上の被さり、自らの身体でシルバーナを化物熊の引っ掻き攻撃から必死に守る。
「ディアちゃん止めて!早く逃げて…!」
「キュウイ!キュウイ!」
シルバーナはその献身を拒絶したが、ディアはその想いを拒絶する。互いを想い合うその姿は美しかったが、それに感傷を覚える様な感覚を、生憎と化物熊は持ち合わせては居なかった。ただ、目の前の獲物を屠る為に、渾身の土導術と前脚による引っ掻き攻撃を同時に使用する。迅速に確実に獲物の息の根を止める事、単純にして本能的なその行動は、相手に何もさせる余裕を与えなかった。
『まあ、そんな事は絶対に許しはしませんけど。』
「グオア?」
化物熊の渾身の攻撃が放たれる直前、シルバーナとディアは突如として熊の目の前から消える。そして代わりに別の何かが二つ、其処の場所に出現した。それらが何かについては、すぐに自身の身を以て知る事になる。
「ガアアアアア⁉︎」
その二つの物体は、強烈な爆風で目の前の無防備な化物熊に襲いかかった。逃げる事は叶わず、熊は爆風を真面に受けて卒倒する。それは、アキトの置き土産ーー強固な鋼鉄の壁さえも破壊する、強力なタイマー式時限爆弾であったのだ。
「ルビィ!ディア!大丈夫でしたか⁉︎」
「はい…有難う…御座います…。」
「キュウ…。」
シルバーナとディアが攻撃を受ける寸での所を、交差召喚で無事に助け出したアキトは、腰が抜けてしまっているシルバーナとディアを優しく抱き締めた。そのまま、ゴーグルの破損時に怪我をしてしまっているシルバーナの額に応急手当てを行う。
『アキトさん。此処で、少し休憩していなさいな。』
「先生…でも…。」
『あの爆弾の爆風を間近で真面に受けたのです。暫くは動けないでしょう。何なら、お兄様の方が片付くまで此処で待っていても宜しくてよ?それに…彼女らには何よりも、今は落ち着く為の時間が必要でしょうし。』
「…そうですね。」
シルバーナとディアは、目立つ怪我は殆ど無かったが、何処か元気も無かった。アキトは彼女らを、もう大丈夫だからと優しく宥め、頭を撫でる。ディアもシルバーナも、死の恐怖から一時的にでも解放された安堵からか、アキトの胸の中で声を殺して泣いていた。
「…しかし、あの熊がもしまた動き出したら…。」
『それならワタクシに任せなさい。これでも、相当にワタクシのスライムの耳は良くてよ?この程度の距離でしたら、スライムの身体を地中に伸ばして聞き耳を立てられます。あの熊に何か動きが有ればすぐにわかりますし、すぐに知らせますわよ。』
「…わかりました。済みません…お願いします…。」
『ええ、頼まれましたわ。』
カスミのスライムは壁にへばりつくと、一部を細く長く地中の中に潜りこませる。そのまま、気絶している化物熊の近くまで身体を引き延ばすと、熊になるべく刺激を与えない様に待機させた。一通りの準備を終えたカスミに、アキトはシルバーナ達をあやしながら話し掛ける。
「先生…。もう少し早く召喚しても良かったんじゃ無いですか…?」
『…シルバーナさん達に怖い思いをさせてしまった事は謝りましょう。ですが、少しでも長く時間を稼ぐ必要が有りましたから、なるべくギリギリまで我慢して頂いたのですわ。ワタクシが常に監視していましたし、タイミングはバッチリでしたでしょう?』
「ですが、いくら何でもギリギリ過ぎますよ…。ルビィ達に対しても、戦い方のアドバイスだって少し位は…。」
『……戦場と言う物を良く知るには、良い機会でしたから。それにアドバイスだって、何時でも何処でも適切に与えられるとは限りませんもの。生半可な覚悟と実力で飛び込むと、一体どう言う事になるのか…。それを、シルバーナさん達にはわかっていて貰いたかったのですわ。』
アキトはカスミの言いたい事が良くわかっていた。昨晩、シルバーナやディアがアキトと共に戦うと悩まずに宣言した時、アキト自身は感謝と共に、勝手ながら不安を感じていたからだ。命のやり取りは、一昨日から何度も経験しては来ていたが、それは常にアキトやヤクモなどの保護者同伴の元での戦いであった。それで危険な戦場を経験しているとは、お世辞にも言える訳が無かった。
(ルビィに、共に戦う様にと願った僕に、言う権利など少しも有りませんが…。確かに『神淵ノ端求社』との戦いは、きっと今以上に厳しい物になるでしょう。先生達や僕がすぐには助けられない状況に陥る事も、可能性として有り得ます。それがどう言う事なのか、ルビィもディアも想像は出来ていても経験はしていません…。)
今回の戦いの経験は、シルバーナやディアにとって自らの未熟さや、命を掛けた戦場の恐怖を教えた。それがトラウマになって、彼女らが戦いに臨むのを拒否する様になったとしても、アキトとしては全く構わなかった。命のやり取りに尻込みするのは当然であるし、軽々しく踏み込んで良い場所でも無いからだ。
(『恐怖』の感情は、生きる為に重要な感覚です。ルビィ達はそれを何処か…夢物語の様な感覚で居たのかも知れませんね。その状態でいきなり本番に挑ませれば、確かに危険すぎる…。これでもしルビィ達の心が折れてしまっても、それが寧ろ彼女らを生かす結果に繋がるなら、僕は…!)
カスミは憎まれ役を買ってでも、厳しい現実を教える事こそが、何よりも彼女らを守る事に繋がるのだと、無言でアキトに伝えていた。アキトはカスミに一礼をすると、シルバーナとディアにまだ戦うか、それとも逃げるのかについての意思の確認をする。もしこれで逃げる事を望めば、アキトはすぐにでも逃す。例え自身の生存率が下がろうと、それを全く構いはしなかった。
「ルビィ…ディア…怖い様なら一旦、この場から離れて休憩しますか?」
「それだけは絶対に嫌です!」
「キュオアアア!」
しかし、アキトの提案を、涙声ながらもシルバーナとディアは拒絶した。両者とも、アキトの胸に埋めた顔を上に向け、強い意思の篭った瞳で縋る様にアキトを見上げる。その顔にアキトは驚き、カスミのスライムは首を振っているかの様に、その粘性の身体をゆったりと揺らした。
「本当に…怖かったです…。もう駄目かと思って…死んじゃうんじゃないかって…。でも、何より怖いと思ったのは…!お兄さんやディアちゃんに、もう二度と会えないんじゃ無いかって思った事なんです!だから、だから…私に出来る事が有る限り…逃げたく有りません!」
「キュキュ!キュイイキュキュ!」
「ルビィ…ディア…。」
シルバーナもディアも、自身の命が奪われる事よりも、皆と二度と会えなくなってしまう事に対して恐怖していた。だから、逃げたく無かった。逃げてアキトが危険に晒される事が、何よりも嫌だった。だから一緒に戦わせて欲しいと、震える足を無理やりにでも抑え、泣き腫らした瞳で、そう懇願していた。その瞳をアキトは確りと見つめ返し、シルバーナは思わず赤面する。
(本当に僕は…果報者ですね。こんなにも、僕の事を思ってくれる子達が居てくれるんですから。ならば、僕が出す答えは一つです…!)
アキトは彼女らの心を受け止め、そして決心した。例え褒められた物で無くても、まだ幼くも頼もしい彼女らに、全面的に協力して貰うと。それが彼女らを危険な目に会わせる事に繋がると、アキトは十分にわかっていた。決して、それを望んでいる訳ではなかった。だがそれ以上に、彼女らの想いをアキトは大切にしたかった。
「…カスミ先生。」
『皆まで言う必要など有りませんわ。本当に、呆れる位に大馬鹿さん達ですわね。』
「返す言葉も有りません…。僕は、自分が思っている以上に大馬鹿でした。」
『本当にそう思っているのなら、もっと賢くなって下さいまし。愚か者を守るのは、本当に手が折れるのですからね。』
カスミは、心底呆れているかの様な声色で諭すように答える。その様子を見たシルバーナは、弁解の為に口を開く。
「申し訳ありません、カスミ様。それでも私は…。」
『わかっておりますわ。良いでしょう、ワタクシの負けです。シルバーナさんやディアさんのお好きになさい。ワタクシも出来る限りの事は致しましょう。』
「本当ですか⁉︎で、でも…本当に宜しいのですか…?」
てっきり叱られると思い込んでいたシルバーナは、カスミからの思ってもみない言葉に思わず聞き返すと、カスミは少し不服そうな声色でそれに応える。
『宜しい…とは御世辞にも言えませんわね。子供が危険に飛び込む様な事をするのを黙って見過ごすのは、それを指導すべき大人のやるべき事では有りませんもの。』
「あう…。」
『ですが…これ程の目に遭ってもなお、心が折れないのならば話は別ですわ。今更、ワタクシが何を言っても無駄でしょう?それに、子供が危ない道を進まない様に注意するのが大人の役目ならば、子供がやりたい事を出来る様に支援して差し上げるのも大人の役目ですわ。』
「カスミ様…。」
『大人をもっと頼りなさいな。ワタクシ達も、尊敬すべき先達に支えられて今日まで生きて来ましたわ。だから今度は、ワタクシ達が可愛い後輩達を支える番です。ただし、余りに頼り過ぎる事は無い様に気を付けなさい?何時までも守って差し上げる事は出来ませんわよ。』
「はい!」
カスミの厳しくも優しい言葉に、シルバーナは嬉しそうに元気良く返事をした。ディアも嬉しそうに尻尾を振り、アキトに甘えていた。微笑ましい光景に、スライムの向こう側のカスミの口元も、思わず緩む。
(『ふふ…先程はああ言いましたが、馬鹿な子ほど可愛いとも言いますわ。それに、貴方達の様な呆れる程に馬鹿な子供は、ワタクシは嫌いでは有りませんから。微力ながら、ワタクシの精一杯の支援をさせて頂きましょう。それに…。』)
そこでカスミは一旦口元を引き締め、アキトの様子を確認する。アキトは、元気を取り戻したシルバーナを嬉しそうに見ながら、ディアを優しく抱き締めていた。その様子は、傍目からは普通の人間に見えた。しかし、カスミはそんなアキトの様子を、ほんの少しだけ訝しんでいた。
(『アキトさんは、何処か危うい所が有りますわ…。先日の自決しようとした話もそうですが、何
処かこの方は普通の方とは…何かが決定的に違います。先の彼は…目を離すと、何か…今にも消えてしまいそうな…。』)
一抹の不安を胸の内に仕舞い込みつつ、しかし今は目の前の問題を何とかすべきとカスミは切り替える。アキトの様子について感じた事は、今は考えた所で仕方が無い為である。
(『何にせよ、死んでしまってはお話になりませんわ。ワタクシの今の仕事は、この子達を無事に生かして帰す事。絶対に守り抜きますわ…ワタクシの誇りに掛けて。』)
非力なスライムでは、出来る事は多くない。自身が今から急ぎ駆け付けようとしても、間に合う訳が無い。それでも、目の前に居る将来ある若者達を、こんな所で死なせはしない、死なせてはならないと、カスミは心から強く思うのだった。




