第24話
「いよォっし!獅子魚の丸焼き一丁上がりィ!」
「丸焼き…なんですか?」
『どう考えても炭焼きですわね。相変わらず凄まじい火力ですわ。』
アイビシアが誇らしげに胸と翼を張る。その足下には、丸焼きと言うには些か黒過ぎる謎の物体があった。アイビシアが完全に炭化させた化物獅子の成れの果てである。
「ちょっとばかり火加減間違えちゃったけど無問題!量さえ間違え無ければ、炭って結構美容に良いのよ?獅子は鳥を食べるけど、魚なら鳥の食べ物!これがホントの猫まんま…ってね!」
「いや、食べないで下さいよ。コゲは身体に悪いんですから。」
『まるで、身体に悪くなければ食べるみたいな言い方ですわね。』
化物獅子は、完璧なタイミングでアイビシアを襲った筈であった。しかし、実はそれがアイビシアによって自身に攻撃の隙を晒させる為の誘導だと言う事には気が付かなかった。
「懐かしいわね〜。実は結婚当初の私って、料理が苦手だったのよ。特に焼物なんて、火加減をちょくちょく間違えてよく焦がしちゃってね?コウガさんに二つの意味で苦い顔をされた物よ。」
「食物を粗末にするのは、僕的には頂けませんね。」
『今問題にすべき論点は、其処では無いと思いますわ。』
化物獅子が最期の突撃を行った際、アイビシアに逃げられない様にと、術を限界まで大きく展開していた。従って、アイビシアの逃げ道は完全に塞ぐ事には成功したのだが、自身の防御に対して致命的な穴が生じていた。それをアイビシアは狙っていたのだ。
「でも、今はもうかなり料理の腕は上達したのよ?うちのナツトやリア、それに下の子達だって、食べ盛りも手伝ってだけど、美味しい美味しいって喜んで食べてくれるんだから。得意料理は焼き魚。ジューシーさとパリパリ具合が絶妙なハーモニーを奏でてるって評判なの!良かったら今度、家で食べてかない?」
「それは是非ともお願いしたいです。」
『アキトさん?声に力を込めすぎですわよ?』
アイビシアはその防御の穴を狙い、獅子が顎を閉じる瞬間に獅子に突撃した。そして、導力を一点に凝縮させた爆発の威力と、強靭な脚の筋力を乗せた鋭い前蹴りの爪先が、正確に獅子の大きく開いた口の中から脳天へと貫きつつ内側から全身を燃焼、痛みの感覚すら与えずに一瞬で獅子を絶命させた。導術は脳機能が破壊されれば効力を失うので、アイビシアは結局、無傷で獅子を倒したのであった。
「お兄さんもお母さんも悠長過ぎるわ。そんな話は此処から脱出してからにしましょうよ。」
『まあまあ、リアさん。少し落ち着きなさいな。シアさんの消耗を考えると、見通しの悪い暗い森中の移動は少しばかり危険ですわ。その点此処なら開けていますし、未だに炎が燃えて明るいので、シアさんの視力が存分に活かせます。』
「でも、早く行かないと別の敵が現れるかも…。」
アイビシアは見た目こそピンピンしていたが、かなりの導力を消費しており(それでもまだ半分程度ではあるが)、万全の状態とは言えなかった。しかし、敵の連れて来た戦力が、化物虎や化物獅子だけとは限らない。クロウリアは一刻も早くこの場を離れる事を望んでいた。
『…それはそうですね。リアさんの言う事も尤もです。』
「じゃあ!」
『だからこそ、今はお兄様の方が片付くのをお待ちなさい。ワタクシの見立て通りなら、もうすぐあの虎も始末出来ますわ。それからお兄様をアキトさんの召喚術で呼び、合流してから此処を離れた方が宜しいでしょう。それまでシアさんはこの場で休めば、多少なりと体力も回復しますし。』
「う…。」
『敵の追加戦力の可能性を考えて、大旦那様達も今現在、全力で此方へ向かっています。公安捜査庁の方達は無事に“保護”致しましたので、この山の包囲網も今や解かれ、警察の介入も可能となりましたわ。ワタクシとて、この場に長く留まりたいとは思いませんが、状況が整わない内に無闇矢鱈と動く事は、余り良い手では有りません事よ。』
「わ、わかりました…。」
カスミによる説得に、クロウリアは渋々引き下がる。
『ささ、それより早くアキトさんと契約して、病院に転送して貰いなさいな。コウガさんが心配なさって居ますわよ。』
「お父さんが?」
『ええ。本当にあの方は過保護で親バカですから。あなたの身に何かあったらと思うと、いてもたっても居られないみたいですのよ。病院に居る方達がその顔を見て、恐怖に震え上がって居りますわ。彼らの精神衛生の為にも、是非ともコウガさんを安心させてあげて下さいな。』
「えへへ…そっか。」
自分を想う、大好きな父親の姿を考えたクロウリアは照れ臭そうに頬を掻く。その可愛らしい横顔を見たアキトも、何とも言えない暖かい物が心に溢れていた。
「ふふ!あの人ったら本っ当に可愛いんだから!今夜もベッドの上でうんと可愛がってあげないと!」
「お母さん!恥ずかしいから止めてって、いつも言ってるでしょ!」
「目指せ五人目六人目!リア?弟と妹、何方が良い?私はバランス的に次は男の子が良いかな!」
「そうね…確かに妹はもう居るし、今度は弟も欲しいかな…って何言わせてんのよ!」
相変わらずの親子漫才を苦笑しながら眺めつつ、アキトは転移契約の為の準備を始めた。と、その時であった。
「避けて!」
「うわっ⁉︎」
アキトはアイビシアによって炎の無い方向へと強烈に蹴り飛ばされ、一気にその場を離れる。それと同時に、アイビシアはクロウリアを連れて反対方向へ飛んだ。デジャブな光景に、アキトは飛ばされながら溜息を吐き、後ろに転がりながらも慣れた感じで着地する。
「動くと危ないから、アキト君は其処でじっとしてて!カスミ姉さん、アキト君をお願い!」
『任されましたわ。』
「シアさんも気を付けて下さい!」
アイビシアに返答しつつ、アキトは召喚術で甲冑を纏って周囲を警戒する。
「それにしても、これで四度目ですか…。余程、不意打ちが好きな方達の様ですね。」
『ですが、有効な手段である事には違い有りませんわ。少しばかり芸がなさ過ぎて、つまらないですが。』
「しかし、肝心の襲撃者の姿が見えませんね…。」
アキトは注意深く辺りを確認していたが、不審な物は何も見えなかった。周囲に気を配りつつもアイビシア達の方を確認すると、アイビシアは素早く視線を動かして何かを追っており、クロウリアはと言うと、驚く様な顔をしてしゃがんでいた。
「リアちゃん如何しましたか!怪我しましたか⁉︎」
「敵の音が…聞こえないわ。それだけじゃ無い!相手の動きも、さっきの攻撃も、全くわからなかった!」
『リアさんもでしたか…。』
アキトはクロウリアとカスミの言葉を聞き、すぐに敵の能力にあたりをつけると、アイビシアに背を向けて伏せつつ銃を構える。アイビシアが狙いにくい、彼女から見てアキトの向こう側への警戒をする為である。
「音導術か風導術による…無音攻撃ですか。リアちゃんの耳に聞こえないと言う事は、反響音を低減する効力も付いていますね。」
『コチヤ先生と同じ系統の技ですわね。コチヤ先生程では無いですが、かなりの実力を持っている事は明らか。これは少々所で無く、厄介な相手ですわ。』
「リアちゃんやカスミ先生の耳は、あてには出来ない…と。」
『先の攻撃もシアさんの視力が無ければ、完全に不意を突かれていたでしょうね。』
「まだこんな隠し球を持っていたとは…。」
開けた明るい場所でのアイビシアの視力が有ったからこそ、先の不意打ちは防げたと言っても良く、これが暗い森の中での攻撃であったらと考えて、アキトは身震いした。現在はアイビシアが牽制を続けているが為にアキトへの攻撃は防がれていたが、それはアイビシア自身が消耗を強いられている事を意味していた。
(これは…シアさんを確実に仕留めに来ていますね…。僕やリアちゃんを人質にして、シアさんの集中力切れを狙っていると言う事ですか。…時間は余り掛けられない!)
アキトも銃を構えてしきりに周囲を確認するが、敵の姿は全く捉えられない。闇雲に撃っても当たる可能性は低く、自分の実力で倒せるとは思えない。ならば下手に応戦するよりも、せめてアイビシアを戦い易くする場を整えようとアキトは考える。
「相手が僕を警戒していないのなら…。その隙を利用して、リアちゃんを何とか安全な場所へ転送したいですが…。」
『…契約時は完全に無防備になりますから、難しいですわね。先程もその隙を狙われましたわ。』
「しかし、このままにして置くのは余りに危険すぎます。」
『ええ、一刻も早く安全な場所へ送らないと。あれではシアさんも危ないですわ。』
アキトは手鏡越しにクロウリアとアイビシアの二人を見る。クロウリアは、音の聞こえない相手からの攻撃への恐怖に、足が竦んでしまっている様であった。アイビシアはそのクロウリアを何とか庇いながら、相手の攻撃をいなしていたが、反撃に移るのはかなり厳しそうであった。明らかに、クロウリアが足手纏いの状態であった。
『それにはまず、彼女らの元に無事に近付かなければ…。リアさんの様子を見るに、此方へ来させるのも厳しいですからね。』
「シアさんが上手く迎撃出来るなら、敢えて誘う事も可能でしょうけれど…。」
『かなり危険ですわね。シアさんの集中力もこの連戦で磨耗して来てますし、火加減を間違えて巻き込まれる可能性も充分に有りますわ。』
公安捜査官や化物獅子との戦闘では、実はアイビシアはかなり気を遣っていた。元々、導術が周囲の味方を巻き込みやすい為に護衛任務は不得手としていた上、護衛対象も自身の大切な娘や主人の大切な教え子である為に責任を強く感じ、また久し振りの実戦と言う事でかなり緊張していたのだ。普段は冗談めかしてふざけている様に見えていても、根は真面目な人物だったのである。故に、精神的な消耗は見た目以上に深刻であった。
『丁度、彼女の緊張の糸が切れた所を狙われましたわ。今の彼女は精彩をかなり欠いています。』
「まさか、これを狙って…?」
『ええ、アイビシアさんの消耗の為に、水導術使いの獅子を先に嗾けたのでしょう。万全な状態でしたら、アレを仕留めるのはもっと簡単だった筈。』
「此方の襲撃が…本命と言う事でしたか。」
『一気に攻めずに嬲り殺しとは、向こうはとても良い趣味をお持ちのようで。』
アイビシアが炎を放ち続けている為に上手く牽制こそは出来ているが、その炎が相手に当たる気配は無かった。現状は拮抗状態では有るが、長期戦となると、既にかなり疲労の色が見えるアイビシアが圧倒的に不利である。アキトは、一刻も早い援軍が必要と判断した。
「カスミ先生、ヤクモさんは?」
『残念ながら相手の方に増援です。例の虎は無事に仕留めましたが、炎を使う大量の鼠が散らばりながら、しかもお兄様で無く街に向かって一目散に進軍中ですわ。今は何とかお兄様が食い止めて下さって居りますが…。』
「そんな…!」
ヤクモは炎導術が苦手な上、防衛戦は不得手である。彼自身が殺される事は無いだろうが、彼が此方の助太刀をしようとすれば、火鼠の自由な行動を容認する事になる。それらが町へと及ぼす被害は、アキトにも容易に想像がついた。
『…まさか、向こうが此処までして来るとは…。相手の覚悟と見境いの無さを、完全に読み違えました。ワタクシの失態です…。』
「カスミ先生!今はそれよりも!」
『わかっていますわ。大旦那様達が到着するまでは、此方で何とか持たせましょう。警官隊も追加で緊急出動させました。これでお兄様の手が空きさえすれば…!』
「ルビィやディアにも手伝って貰いましょう!」
『…ええ、大変危険では有りますが…。仕方有りません。意向を伝えますわ。』
カスミは少し渋りながらも、アキトの判断を追認する。カスミはスパルタではあるが、本当に死ぬ事は無い様に気を付ける性であり、尚且つ罪も無い子供などが危険に巻き込まれる事は極端に嫌う。先程はアキトや自分の支援も有り、尚且つ状況的に完全に有利であったために、貴重な経験を積ませようとシルバーナを呼ぶ事を容認した所が大きかった。
(あの術は確かに有効ですが、本人の経験不足が痛いですわね…。)
しかし、現状は大人がフォロー出来るかわからない、状況的にも余り芳しく無い命の危険がある戦場である。いくら『導子引導』が強力であっても、経験を碌に積んでもいない少女を連れて来るのは、カスミには辛かった。しかし、そんな悠長な事を言っている余裕も無いと言う事も充分に理解していた。
「ディアは召喚されたらすぐに人二人分の穴を下に掘りつつ、リアちゃんの足下へ。ルビィは召喚されたらそのまま目の前を警戒、常に導術が発動出来る様にしていて下さい。なるべく安全は確保しますが油断は大敵です。」
『お任せ下さい!』
アキトは相手の様子を見ながら、すぐに行動を開始する。一先ず、クロウリアをこの場から逃す事を目標に、彼女らの元へと無事に辿り着く手段を講じる事にした。
(さっきからの戦いを見ると、相手は高い速度を活かした回避と、近接攻撃が主体の可能性が高いですね。ですが、狭いトンネル内ならその速度は上手く活かせず、来る方向さえわかればルビィの術も当て易い筈。)
アキトは鎧を転送しつつ大きく透明な盾を召喚して、更にその内側にディアを召喚し、即時に真下にトンネルを掘らせると、盾を蓋にしながら自身もその中に滑り落ちる。そして、落下しながらライトを召喚し、続けてシルバーナを自身で抱き締める様な形で召喚する。こうする事で、シルバーナは背後を常に見続けられる上、其方からの攻撃がもしも有れば、アキトの身体が盾となれる算段であった。
(ああ、やっぱり震えていますし、心臓の音もかなり速い…。済みません、こんな危険な状況に巻き込んでしまって…。)
(ああ!今、私…アキト様に抱かれ…ああ…ふあああ!)
アキトは心の中でシルバーナに深く謝りつつ、一刻も早いクロウリアの救出へと、暗いトンネル内を進む。そして、丁度アイビシア達の戦っている真下まで来ると、来た道をディアに塞がせ、カスミを介してアイビシアと連絡を取る。
「シアさん!今僕らはシアさん達の足元の地面の下深くにいます!今から真下に穴を開けるので、リアちゃんを!すぐに転送しますから!」
『わかったわ!こっちは何とか持たせるから、早くリアをコウガさんの所へ!』
『タイミングはワタクシが伝えます!皆さん注意を!』
カスミの指示に、アイビシアにディアは深く頷く。クロウリアも震えながらも了承し、シルバーナも敵からの導術攻撃が飛んで来る様ならすぐに無力化出来る様に構える。アキトは転移契約陣が描かれた紙を地面に敷き、すぐに契約出来る様に支度する。
『3…2…1…今です!』
「ルガオオオオオ!」
カスミの号令と共に、ディアは瞬時に地上に通じる大きな穴を形成する。そして、そこから紅い炎に輝く夜空と、炎の様に紅い翼を持つ女性、夜空の様に漆黒の翼を持つ少女が落ちてくる。
「リアちゃん!シアさん!」
「お兄さん!」
アイビシアとクロウリアの姿を認めたアキトは、すぐにディアに穴を閉じて敵の侵入を妨害する様にと命じようとした。しかしその時、シルバーナが不意に叫んだ。
「背後です!」
シルバーナの叫びと共に、アキトにはソレが見えた。それは大きな羊であった。しかしやはり、普通の羊では無かった。羊の毛らしき豊かでカールした白毛を全身に蓄えつつも、顔は凶悪で鋭い牙を持ち、体格も羊と言うよりもむしろ狼に近かった。
(良し…上手くルビィの術が決まりましたね。これなら…!)
その羊は、何処か混乱している様に挙動がおかしかった。シルバーナによって使用していた導術を無効化された為に、アキトでも視認出来る位に速度が減衰し、空も飛べなくなっていたのだ。再び術を使用しても、その直後に無効化されてしまう為に、どう足掻いても落ちる他に無い。
「ガアアオオオオオオオオ!」
しかし、相手はそれで諦める程潔くも無かった。導術が使えないならばと、縦穴の壁を蹴って加速、クロウリアにその鋭い牙を突き立て様と突撃した。一方のアイビシアは、足元に穴が開くとほぼ同時に、急に化物羊の動きが鈍った事によって、先程からの疲労も相俟って一瞬だけ羊の位置を見失ってしまった為に出遅れてしまう。
「リア!ダメ!逃げて!」
アイビシアはクロウリアに対して逃げる様に言うが、クロウリアは導術が使用出来なくなった化物羊に対して、逃げる所か逆に反撃に移る。音が聞こえるなら、クロウリアには相手の動きが手に取る様にわかる。その状態なら、クロウリアにも勝機が有ると彼女は踏んだのだ。
「舐めんじゃ無いわよ!」
「ガウ⁉︎」
クロウリアの羽が大きく羽撃いて空中で姿勢を制御すると、素早く回転して蹴りを放つ。その勢いを付けた鋭い回し蹴りが、羊の頭を綺麗に捉える。
「ガオオオオ!」
「嘘⁉︎」
しかし、その渾身の蹴りが決まったと言うのに、化物羊は怯みもせずに噛み付こうとする。豊かで強靭な体毛が、クロウリアの強烈な蹴りの衝撃を吸収していたのだ。更に、狭い縦穴空間内での無理やりな姿勢からの蹴りである為、威力が上手く乗らなかったも災いした。
「言わんこっちゃ無いわね!」
だが、娘の絶体絶命の危機を、母親であるアイビシアが見逃す筈も無い。クロウリアを上から下に向けて、右足で優しく蹴飛ばしてアキトの用意したマットの上に着地させつつ、炎の左足が羊の顔の骨を蹴り砕く。
(ん…?これは‼︎)
それと同時に、化物羊の中の『ある存在』に気付いた。先までは『それを察知する導術』を使用する余裕も無く、またそんな事を想像すらしていなかったのだが、アイビシアの感覚はその危険性を鋭敏に察知したのだ。そして、クロウリアもまた、その鋭い聴覚で、その存在が『起動』する音を捉えていた。
「この音は…危ない!」
クロウリアの叫びが終わらない内に、アイビシアは右脚で羊を上空に向けて大きく蹴り飛ばし、同時に鉄すらも溶かす高温の炎壁を創り出す。その次の瞬間、大きな轟音が鳴り響いた。それは、先の羊が爆発した音であった。アイビシアは、羊の中に爆弾が仕掛けられている事を察知したのだ。その爆風と炎とは、アイビシアの炎の壁によって防がれ、アキト達の所までは届かなかった。
(これは爆弾!あの羊に仕込んでいたんですか…。シアさんが蹴り飛ばしてくれなかったら危なかった…。)
爆風が止むか止まない内に、炎の壁は綺麗に霧散する。アキトがアイビシアに礼を言おうとした時、彼女の異変にカスミとクロウリアが逸早く気付いた。
「あ…が…。」
「お母さん⁉︎」
『シアさん!』
少女の叫び声が反響する中で、紅い鳥の大きく美しい羽根は天を仰ぎ、力尽きるかの様にアキト達の元に墜落した。アキトは急いでアイビシアの落ちる所に柔らかいマットを敷いて受け止めつつ、ディアに指示して穴を塞がせる。
「そんな!何で、一体何が…!」
「イヤ…イヤ…!お母さん…しっかりして!死なないでェ!」
アキトはアイビシアの状態を見て絶句する。胸や腹、腕や脚にまで無数の穴が空き、彼女自身の羽根よりも赤い血が其処から勢い良く噴き出し、彼女の全身を紅く染めていたのだ。幸い顔は腕で防御していたが、何処か重要な血管は傷付けてしまっていたらしい。アキトは急いで医療キットを召喚し応急の止血処置をするが、中々血が止まらない。クロウリアは側で只々狼狽え、泣きじゃくる。
「キュ、キュイキュイ!」
「ディア、今はそれどころじゃ…って、これはまさか…!」
アキトはディアが持って来た、アイビシアと共に落ちて来た小さな鉱物らしき物に触れた時、自身の力が上手く使えない感覚を覚えた。そして、アイビシアに何があったのか、化物羊に仕込まれた爆弾に何が仕込んであったのかを即座に理解した。
「縁絶鋼…。シアさんの炎の壁を無効化されましたか…。」
『幸い、ワタクシが居た頭部への破片は腕の守りで防げましたが…。代わりに腹胸部の守りが手薄になって…。おのれ…よくもワタクシ達の大切な家族を…!』
それは導術使いにとって、最も脅威となるであろう存在であり、気を付けねばならない物体であった。そして迂闊にも、アキト達は敵の罠に引っ掛かってしまったのである。
「良し、これで向こうの戦力は、恐らく子供の地竜と鳥型導族だけ。後は近くに待機させている数匹を動かせば、彼等は詰みだね。」
「あの『毒蜘蛛』は山の外へ釘付けにしつつ、『炎の鳥女』を的確に仕留める…か。流石だな。」
公安捜査庁のトレーラーの中で、アシタは涼しい顔で呟いた。近くには召喚術で転送されたテレビが有り、先程の戦いが映し出されていた。カメラ付きの偵察専用鳥型導物を用いて映している物である。
「いや、でも正直此処まで粘って来るとは思わなかったよ。ごめんね、思ったよりも費用は嵩んじゃいそうだ。」
「構わない。あの『神月』相手に此処まで出来るのだからな。それだけの価値は有るとも。」
正直な所、半ば任務成功を諦めかけていたミゾレにとって、アシタの出現とその手助けは正に渡りに船であった。お金で任務の達成が買えるのなら、安い買物だとミゾレは考えていた。
「それにしても、まさか我々の縁絶鋼製銃弾をこう利用するとはな…。我々の武器が欲しいと君が言った時は、一体何に使うつもりか分かりかねたが、これで得心がいったよ。」
「フフ、縁絶鋼だけは召喚術で転送出来ないから、現場で調達する他に無くてね。あの『羊皮被狼』に仕込んだ爆弾に、それを組み込む為の構造を持たせる位が関の山でさ。」
化物羊こと『羊皮被狼』は、風導術による高速移動、音導術による無音攻撃を得意とし、更に強靭な体毛による防御力を有する優秀な生物兵器であるが、主な攻撃が接近しての噛み付き程度しか無い。故に、爆弾を持たせる事で自爆特攻させるのが一番効果的な運用方法なのだが、其処に縁絶鋼を組み込む事で、更に導術使いに対しても有効な兵器とする事が出来るのが売りであった。
「しかしまた、結構な賭けに出たな。もしも標的の召喚術使いが今の攻撃で死んでいたら、君の計画は失敗だったんじゃ無いのか?」
「ああ、それなら大丈夫。あの鳥型導族の実力は、先に遣わせた『鰭獅子』との戦闘で良くわかったからね。彼女なら、必ず仕掛けられた爆弾に気付き、彼等を守る為に“身を呈して”動くだろうって踏んだのさ。最後の方で少しばかり『羊皮被狼』の挙動がおかしかったけど、概ね僕の予想通りだったね。」
「ほう…。先の戦いは、相手の消耗のみならず、情報の収集を行う為の物であったのか…。恐れ入ったな。」
「フフ、有難う。」
その前に仕掛けて来た化物獅子こと『鰭獅子』は、様々な水導術を使い熟し、導物としてはそれなりに頭も切れる優秀な物であったが、それがアイビシアに勝てるとは最初から思っていなかった。飽く迄情報収集の序でに相手を消耗させる事を目的とした物で、贅沢な使い方では有ったが、それ故にその後の『羊皮被狼』の襲撃を存分に活かす結果に繋がっていた。
「それに、あの『不尽火鼠』の牽制。見事にあの『毒蜘蛛』や他の警官隊を山の外へ釘付けに出来たな。」
「警官隊の得意導術がもしも水導術で無かったなら、もっと町で騒ぎを起こせて、彼等に更に罪を被せる事が出来たんだけどね。現状じゃ、数件の空き家に小火を起こした程度に抑えられちゃってるよ。」
「いや、外に追い出せただけでも充分だ。しかも、今だに奴は其方に掛り切りだしな。その隙であの炎使いの鳥型導族を落とせたのは大きい。戦力分断からの各個撃破。見事な手並みだな。」
「そんなに褒めないでくれよ。まだ『毒蜘蛛』は落とせて無いんだからさ。」
ヤクモが現在悪戦苦闘している鼠型導物を元にした生物兵器『不尽火鼠』は、戦闘力こそ高く無いが、その兎に角『建物に放火する』事に特化した炎導術と、何よりも数の暴力を得意とする。何せ、戦っている最中に無性生殖で鼠算式に増殖して行くのだから手が付けられない。水導術が得意な警官隊と、索敵に優れるヤクモの見事な連携が無ければ、今頃麓の町の一つや二つ、文字通り火の海になっていたであろう。
「さて、後は敵に援軍が来る前に、召喚術使い君をさっさと捕まえようか。」
「何?『毒蜘蛛』は如何するのかね?」
「彼を落とすのは少々手間だからね。別の生物兵器を送って負担を掛けても、精々町への被害の増加程度で彼そのものを倒せるとは思えない。その内に、向こうに増援が追加されるのが関の山さ。力をかけるべきは其方じゃ無い。」
「なるほどな。」
「まあ、召喚術使い君に召喚されて連れて来られると厄介だし、もっと彼の行動を妨害する兵器でも投入して牽制しておこう。何にせよ、召喚術使い君を捕縛して操れば、契約を結んでいる彼はどうにでも料理出来るからね。」
ヤクモはアキトと転移契約を結んでいる為、アキトの意思で自由に召喚、転送が出来る。つまり、攻撃の態勢を万全に整えた、生物兵器の集団の中にヤクモを放り込む事も可能である。逃げも隠れも出来ない。この『召喚主の意思一つで、何時でも場所を移させられる』と言う召喚術の特徴を利用すると、アシタはミゾレに説明する。
「もし彼が町の被害を考えずに『毒蜘蛛』を召喚しても、こっちはまだまだ兵器を投入出来るからね。物量で直接的に押し潰すのも良し。町の被害を彼等に被けて逮捕するも良し。」
「後は我々の思うがまま…と言う事か。」
「そう言う事さ。更に言えば、彼等の戦力が此方に集まれば集まる程、病院の方は手薄になる。」
其処に丁度、病院に派遣しているミゾレの部下から連絡が有り、学園長やレン、コチヤを乗せた車が全速力で病院を出て行ったと言う報告が入る。ミゾレは襲撃の指示を出し、その後冷たく嗤いながらアシタに向き直る。
「クク…向こうは罠とも知らずに、愚かにも全力を此方に傾けて来たのだろう。今や、病院は無防備と言っても良い。今なら、俺の部下だけで充分だろう。これで、もしも召喚術使いを直接的、間接的に捕らえる事が出来なくても、最低限の目的は達成が可能だ。」
「フフ…そうだね。」
「本当に君には感謝している。ボーナスとして報酬には色を付けよう。期待していてくれ。」
「ああ、そうさせて貰うよ。」
ミゾレは、目的を達成出来る目処が立った為に、安堵の溜息を吐いた。正直な所、アシタが怪しい生物達を次々と呼び出していく様に、兵器一つ一つに対する自信が無いのかと訝しんでいた。しかし実際には、的確に相手の弱点を付いて追い込んで行くその手腕を見て舌を巻いたと言う、良い方向への予想外の結果に、非常に満足していた。
「しかし、やはり召喚術と言う物は便利だな。相手の戦力や実力を見て、それに対して有利な存在を次々と呼び出しては、相手に休む間も与えずにぶつけ続ける…か。改めて考えて見ると、凶悪な戦術だな。」
「フフ、導族国家と人族国家との戦争の終盤でも、かなりの猛威を振るっていたからね。二十年前の事件も然りさ。転移鎧や創造召喚もそうだけど、本当に召喚術は便利だよ。便利過ぎて逆に怖過ぎる位だ。」
「全くだ。術者本体に戦闘力は殆ど無いと言うのにな。豊富で従順な戦力と結び付くと、それが厄介な事この上無い。召喚術使い自体の数が余り多く無いのが、せめてもの救いだな。」
今は関係の無い筈の世間話に、その貴重な時間を割ける程に、ミゾレは心の余裕を取り戻していた。その顔を見たアシタは、少しばかり含み笑いをする。
「フフ…さて、そろそろ仕掛けようか。土導術使いの導物を動かして、彼らを穴から追い出そう。そして、外に出た彼等に、風導術で操る神経ガスを吸わせ、昏倒させて回収し、ムカイドを取り付かせて終わりだ。」
「すぐに仕掛け無かったのは、外にそんな仕掛けをする為であったか…。改めて、恐れ入る。」
「何、大した事じゃあ無いさ。それじゃ、やるね?」
「ああ、頼もうか。」
アシタは、アキト達の潜む穴に目掛け、土導術使いの生物兵器『敷石熊』を突貫させる指示を送る。ミゾレは任務が無事に達成されるだろうと考え、次は如何にこの場を偽装して、アキト達に罪を被せようか、イズモの増援をどう足止めしようかと考えを巡らし始める。
(さあ、これでもうすぐ君達は王手をかけられるよ。でもまだ、切り札は残っているんだろう?僕に見せておくれよ。君達の本気の抵抗を。)
ミゾレが隠蔽方法に思案を巡らせている一方で、アシタは別の事を考えていた。
(必至な君達は、どうこの難局を乗り切ってくれるのかな?拮抗した戦力同士の、全身全霊を振り絞っての、血で血を洗う総力戦が一番面白いんだから…。此処で、期待外れな投了なんて、そんなつまらない事はしないでくれよ?)
アシタは薄く、醜く嗤う。その笑みの中には、ミゾレからの依頼の達成に対する事よりも、何処かアキト達の反撃を望んでいるかの様な、そんな期待が込められていた。その事に、ミゾレは気付く由も無かった。




