第23話
「大丈夫ですか!」
『落ち着きなさい!お兄様が上手く逃がして下さいました!此処であなたが焦って飛び出して何か有れば、全てが無駄になりかねません!』
飛び出そうとするアキトを、カスミが諌める。アキトが良く目を凝らすと、男達は皆、宙に浮いていた。ヤクモが蔦を操作して彼等を空中に逃し、間一髪で虎の攻撃から躱させていたのだ。
「あ…ああ…⁉︎」
「不覚…。少し、掠られましたか…。」
ヤクモの嘆きと、男達の呻き声が微かに聞こえた。ヤクモは彼等を逃す事は出来たが、アキトへの攻撃を警戒していたせいで反応が一瞬遅れ、怪我一つ無く回避させる事までは出来なかった。最初にアキトを狙った攻撃を見せられた結果、アキトへの攻撃に意識を回す様に仕向けられてしまったのだ。
(最初に僕を狙ったのは、本命の狙いを悟らせない為でしたか…。知能が有るのか、若しくは誰かが背後で操っている可能性が高いですね。いや、今はそんな事よりも…。)
アキトはヤクモによって救出された男達の様子を見た。
(結構な出血量です…。これは太い血管まで抉られていますね…。早く治療を受けさせないと…!)
二人の男が蔦ごと切り裂かれ、腕に深い傷を負っていた。ヤクモが蔦で止血していたが、それでもその間から血が流れ出ていた。ヤクモにより麻痺毒を吸わされた彼等は、満足に動く事すら出来なかったが、恐怖に必死に目を見開き、声帯を必死に震わせて、助けて欲しいと叫んでいた。
「ゴオオオオオアアアアアアア!」
「させません!」
そのまま化物虎は執拗に、かつ甚振る様に武装隊員達を襲い続ける。時折、アキトへの攻撃を仕掛けながらも、ヤクモが攻撃を仕掛けようとした時には隊員達へとその鋭利な牙を向ける。アイビシアも支援したかったが、下手にヤクモの植物を燃やす訳にも行かない為に、アキトの援護のみに回らざるを得なかった。
「これは…そうですか、これが狙いと言う訳ですね。」
『本当に、胸糞悪いですわ。』
アキトとカスミは、何故この化物虎が公安捜査庁の男達を襲ったのかについて理解した。男達を狙う事により、ヤクモにそれを守らせる事が目的であったのだ。守る対象が多過ぎるが為に、彼等を逃がすのに手一杯で、攻撃に転じる事が一切出来ない事を見抜かれたのである。
(ヤクモさんが攻撃に回るには、彼等を見捨てる他には有りません。ですが、そんな事は出来る筈が無いです。そして恐らく、彼等への傷害行為を行った化物虎、それを僕の召喚術の所為して刑事責任を負わせて逮捕する気ですね。襲う相手は自分達の仲間なのに、何て事を…!)
この山の中に居る筈の無い化物虎は、アキト達には怪我を負わせておらず、公安捜査庁の公安捜査官にのみ怪我を負わせている。つまり現状、化物虎はアキトが何処からか召喚し、公安捜査官達に嗾けたと言う構図が出来上がっていた。この状態であれば、例え多少無理矢理な理屈であろうと、コシノ家ならアキトを逮捕する事が可能となる。アキトが逮捕され、化物虎と契約させられれば、それだけで犯人に仕立て上げられてしまうのだ。
「化物虎をこのままにして逃げるのは、余り良くないですが…。かと言って、彼等を庇いながら戦うのも厳しい…。上手い事、嵌められましたね。」
『…嘆いていても致し方ありません。幸い彼等は一人もまだ死んでおりませんが、早急に治療は必要でしょう。人命が最優先。これは最早、警察が介入しても良い事態ですわ。山の外へ向かい、合流致しましょう。』
カスミは、アイビシアとヤクモにその内容を伝える。二人は頷くと、ヤクモは縛った公安捜査官達を連れて一目散に逃げ出し、アイビシアはアキトの護衛の為に空中で待機する。アキトもその場で待機し、化物虎の動向を見守った。
「ゴアアアオオ!」
「ヤクモさん!危ない!」
化物虎は、迷う事無くヤクモを追い掛け始めた。このまま逃げる気は無いらしく、明らかにアキト達の分断を狙っている形であった。そして、風導術でその巨体を極限まで軽くし、強風と共に高速で移動して数秒と経たずにヤクモの追い付くと、殺意の籠った引っ掻き攻撃を、空中に漂う男達目掛けて振り下ろす。
「…この程度。」
しかし、その鉤爪は何も無い空を切る。ヤクモが上手く彼等を動かし、その強烈な一撃を紙一重で躱させていた。化物虎は直ぐに体勢を立て直し、再び殴り掛かるも、男達は一向に捉えられない。何度襲い掛かっても、結果は同じであった。
「逃す事に専念すれば、貴方の攻撃を躱す程度、さして難しくもありません。…貴方達のお望み通り、私は大人しくこの場を退散しましょう。かなり不本意では有りますが。」
自身もまた蔦を利用して縦横無尽に飛びつつ、ヤクモは静かに呟いた。化物虎は猛攻を仕掛け続けるが、風に靡く柳の葉の様に男達を揺り動かれ、上手く狙いが定まらない。更に風導術の欠点として、攻撃に威力を持たせる為に、攻撃が当たる直前に重量を戻すのだが、この際に少し速度が落ちてしまう。ヤクモはその隙を的確に突いてもいたのである。
「あなたの攻撃は、スピード任せでわかりやすい単調な物です。これならまだ、猫じゃらしで遊ぶ子猫の方が幾分か増しですね。ほら、もっと頑張りなさい。」
「ゴアアアアアアアオオオオオオオ!」
ヤクモの挑発が通じたのか、はたまた何時まで経っても獲物を捉えられない事による苛立ちからか、化物虎は更に躍起になる。ヤクモ自身をも狙いながら、風導術による攻撃も交えての激しい攻撃を仕掛けるが、全て綺麗に躱される。ヤクモによって散々に振り回される男達は、酷い酔いに苛まれたり、至近距離を鋭い鉤爪が掠っていくなど、まるで地獄に居る心地であった。
「アイビシア様、今現在、怪しい物体が高速で其方に向かって居りますので、お気を付け下さい。私がこの場より離れれば、貴方様も全力が出し易いでしょう。アキト様の事、宜しくお願い致しますよ。」
『任せて頂戴!何が来たって返討ちにしてやるんだから!クロ兄さんも気を付けて!』
「わかっております。御武運を。」
ヤクモは後事をアイビシアに任せ、深く暗い森の中に消え、化物虎もそれを追って森の奥へと駆けて行った。
『アキト君!今こっちに何か向かって来て居るらしいわ!』
「アレだけな筈が無いと思っていましたが、やはりですか…。何かはわかりますか?」
『鳥目の私は暗闇が苦手なの!もう辺りはかなり暗くなっちゃったから、良くわからないわ!』
アイビシアの様な鳥型導族は、暗闇の中では殆どと言って良い程目が見えなくなる。その為、暗い夜に空を飛ぶ事はほぼ無い。今は完全に日没してしまい、アキト達が居る辺りの消えかけた炎以外、山中には全く灯が無い。故にアイビシアには、アキトの周辺以外は殆ど見えなかったのだ。
『リアの耳を頼っても良いんだけど…どうせなら、私が戦い易い様に燈を灯すわね!』
「え…燈を…灯す?」
アイビシアの得意な導術は『炎導術』である。炎が得意技の者が『燈を灯す』と言えば、その行動は自ずと予想が出来る。そして声の具合からして、アイビシアは娘の前だからと、かなり張り切っている事がわかる。アキトは、言いし得ない不安に襲われた。
『序でに敵も牽制したいから、少しばかり派手に行くわよ!アキト君の辺りも見え難くなって来たから、其処もちょっと燃やすわ!火が服に燃え移らない様に上手い事逃げてね!』
「ちょ!ま!シアさん!」
『昨晩も燃え盛る自然公園から上手く逃げ出せたのです。そんなアキトさんなら朝飯前でしょう?シアさんには手加減無しでお願いして置きましたわ。』
「何を言っちゃってるんですか、カスミ先生ーー⁉︎」
アキトの悲痛な叫び声が木霊する中、アイビシアは炎導術の大技の詠唱を始めた。
「罪の御霊は黒き炭。地獄に焼べられ身を扱く。悪の厭く程、灰汁を纏う。白く精げし報せを待とう。清き白灰包まれて、産まれし鳥に火は温し。炎生導術・浄化促ガス罪煉ル猛夏!」
アキトの周辺を含めた、山の斜面の広範囲に何十本もの巨大な炎の柱が立ち昇る。その一つ一つが天まで届かんばかりに高く、熱風を吹き荒らしながら渦を巻き、焦熱地獄を生み出して行く。アキトはカスミの指示を受けながら必死に逃げていた。
「いよっし!これでよく見え…ん?」
そして、辺りが業火の灯で真っ赤に染まった頃、アイビシアはその卓越した視力で何かを捉えた。それは燃え盛る炎を物ともせず、真っ直ぐに此方に向かっていた。速度は先の化物虎程では無かったが、それでも人の足よりはずっと速い。そして、明らかに彼女らの味方では無い、異形であった。
「…来たわね。リア、少し下がって警戒していなさい。敵があれだけとは限らないわ。」
「うん。お母さん…頑張って!」
クロウリアは母の事が心配では有ったが、それを声にはしなかった。代わりに、娘としての大きな期待を母に伝えて、心配させない様にと、より安全な高い場所へと飛び上がった。
「ふふ、頑張って…か。可愛い娘にこんな事言われちゃ、母の威厳に賭けて、無様な姿は見せられないわね!リア、よく見て置きなさい!子を守らんとする母の強さを!…って、見えないか。」
「お母さん!ふざけて無いで真剣にやって!」
「はいは〜い!」
娘の不安な気持ちを労わる様に、母は精一杯ふざけ倒し、母の事を大事に想う娘は、いつもの調子で文句を言った。決して、幸せな日常を失ってはいけないと、互いに無言で誓っていた。
「さあ、出ていらっしゃい?貴方の獲物は此処に居るわよ。でも、気を付けなさい。私を簡単に狩れるだなんて思って居ると…大火傷するわよ?」
アイビシアの挑発が届いたのか、その異形は灼熱地獄の中から大きく跳び上がると、その巨大な牙を剥き、アイビシアの頭目掛けて噛みつこうと仕掛ける。しかし、その顎が閉じる直前に、アイビシアは素早く後方へと仰け反ってそれを回避すると、その勢いのまま後方宙返りしてその異形の顎を強烈に蹴り上げた。
「ハァ!」
「ギニャ⁉︎」
異形は、その蹴りの勢いでアイビシアの上を通り過ぎると、そのまま落下して行く。その時、アイビシアはその異形の全容が見えた。
「獅子の体に…尾鰭?」
それは一見、普通よりも大きな獅子の様な物であったが、通常なら尻尾が在るべきはずの所に、魚の尾鰭らしき物が生えていた。さらに、アイビシアの視力は、その獅子の身体にも鰓の様な部分が有る事を捉えていた。
(さっきの虎にも翼が生えていたし、導物にしたって…私、あんなの見た事も無いわ…。)
アイビシアがその奇妙さに呆けていると、化物獅子は足下から勢い良く水を噴出し、空中で姿勢を立て直す。そのまま再び突進して来た為、アイビシアはその化物獅子に直接、青い炎を噴きつける。
「ゴオオオオオオオ!」
「く⁉︎」
化物獅子の口から勢い良く水が吐き出され、アイビシアの炎とぶつかり合い、多量の水蒸気が発生した。化物獅子の得意とする導術は、アイビシアの炎導術と相性の悪い水導術であったのだ。獅子は、そのまま吐き出す水の勢いを強め、アイビシアの炎を押し返す。
「こなくそ!…あ、やっば!」
アイビシアは負けじと火力を上げ、化物獅子の吐きだした水を無理矢理全て蒸発させる。すると、大量に発生した水蒸気が雲に変わり、アイビシアの周囲に纏わりつく様に渦巻き、視覚を遮断する。水導術の『霧雲煙幕』であった。アイビシアがそれに気付き、急ぎ水蒸気を全て吹き飛ばそうとした時、大きなクロウリアの声が聞こえた。
「お母さん!頭!」
「ほいさァ‼︎」
クロウリアの指示に間髪入れずにアイビシアが頭を下げると、雲の中から飛び出して来た獅子の顎がその場所に噛み付いた。アイビシアの頭上で、鋭く硬い牙と牙とがかち合う音が響くや否や、アイビシアの足元で爆発が起きる。
「旋火輪墜蹴!」
「ゴアニャ⁉︎」
足に纏った青い炎が円を描き、夢の中に出てくる様な幻想的な青い太陽が夜空の雲の中に一瞬だけ瞬く。その爆発の勢いを利用した高速前方宙返り右脚踵落としが、化物獅子の鼻柱の中心を的確に捉える。獅子の首の骨を無理やりに捻り折る程の威力と、獅子の顔全体を炭化させんばかりの熱量を持って、不用意に飛び込んだ捕食者を迎撃する。
(この手応えは…。)
しかし、アイビシアは蹴りの当たった感触に違和感を覚えた。急ぎ蹴りを中断して右脚の脹脛から爆発を起こし、その勢いで自身と獅子との距離を取りつつ、雲の中から脱出する。獅子はと言うと、少し離れた場所の焼けた木の上に着地し、少しばかり痛そうに顔を摩っていた。よく見ると、蹴りの当たった筈の部分に水の膜が貼られているのがアイビシアには見えた。
「水膜で防御…。打撃や火の通り悪そう…。」
『あの術はワタクシも良く知っている物ですわ。単純な術ですがその分、対炎導術用防護術としてはかなり優秀な術です。しかも、相当な導力を込めている様ですわね。導物が使うと、やはり威力が桁違いの様ですわ。』
「こっちの対策はバッチリって事ね…。全く、嫌らしいわ!性的な意味で無く!」
『言わなくてもわかっておりますわ。それと、今はまだアレは此方に狙いを定めていますが、介入すれば標的を変えてくる可能性も有ります。ギリギリまでシルバーナさんには頼れませんから、気張りなさい。』
「オッケー!やぁってやるわ!」
アイビシア達の様子を見ていた化物獅子は、彼女らが仕掛けて来ない事を確認すると、ならば此方からと言わんばかりの水量を足下から噴き出すと、その勢いでアイビシアに噛み付こうと突進をかける。アイビシアはその牙が届く直前に身体を傾け回避するも、続けて獅子の前足が鋭く彼女を上から引っ掻く。
「甘い!」
「ゴアホ⁉︎」
アイビシアは引っ掻こうとする前脚を側面から、爆風を利用して勢い良く蹴り、そのまま獅子の大きな口の中へと無理矢理押し込む。自身の蹴りの効きが悪いと見て、獅子の牙を利用したのだ。獅子の牙は鋭く、自身の術をも突き破って自身の前脚に深々と突き刺さる。
「ホゴオオオオオオ⁉︎」
「悪いけど、あんたなんかに私は食べられないわよ!大人しく自分の手でも食べてなさい!」
化物獅子は深々と刺さった牙を何とか腕から抜くと、急いでアイビシアから距離を取りつつ木の上に着地する。腕から滴る血を水操導術で操って止血すると、その動作を確認しつつ、威嚇するように低く唸る。流石に安易な突撃は無謀と理解したのか、其処からアイビシアをじっと見つめて動かない。
「良い?私を食べて良いのは…いえ、寧ろ食べて欲しいのは…いや、却って逆に食べたいのは!コウガさん!だ!け!よ!勿論、性的な意味でェ‼︎」
『惚気た振りして挑発し、攻撃を誘うのも良いのですが、相手を選びなさいな。あと、もう少し緊張感をお持ち下さいまし。』
「何を言っているのカスミ姉さん!惚気の部分は本気の本音よ!」
『そうでしたわね…。あなたはそう言う方でしたわよね……。』
アイビシアがふざけている間に、化物獅子は冷静に水導術を展開する。周囲に水蒸気が集まり、薄く広く雲が形成される。その雲は次第に濃くなり、周囲の視界を悪くしながら、燃え続ける地上の火すらも消して行く。アイビシアの特徴から、搦手ながらも視界を悪くする事がベターな作戦と考えたのだ。
「あ、あらら…これは少し不味いかも…。」
『ほら御覧なさいな。あなたも他人の事を言えませんわよ?』
「うう…私、格好悪い…。」
水導術が支配する領域においては、炎導術の威力はかなり制限される。更に灯を消され、周囲を見通しの悪い雲で覆われてしまっては、アイビシアの目は殆ど効かなくなると言っても良い。流石にその様な不利な状況下で、相性の悪い水導術使いの導物を相手するのは、今の彼女には厳しかった。
「兎に角、雨雲なんて蒸発させるわ!」
『蒸発させても水分は残りますわ。水導術で再び利用される前に、一気にケリをつけなさい!』
「わかっているわ!姉さん!」
アイビシアは再び先程の術を詠唱し始めた。しかし、それを化物獅子は許さない。雲の中から水鉄砲を飛ばし、アイビシアを牽制したりアキトやクロウリアをわざと狙ったりする事で、詠唱の為の集中力を乱す。アキトはカスミの指示で、クロウリアは自力で上手く逃げられては居るが、それでも全く心配しないと言う事は難しく、それも術の完成に影響していた。
「ああもう!鬱陶しい!」
『落ち着きなさい。昔のあなたでしたら簡単に出来たでしょうに。』
「十年以上のブランクは、やっぱりキツイわね…!」
『泣き言言ってる暇が有るなら、さっさと昔のカンを取り戻しなさい。』
カスミの叱咤激励に奮起し、アイビシアは集中力を一気に高めると、無詠唱で先の大技を繰り出す。消耗は痛いが、それに構っている余裕は無かった。時間を掛ければその分だけ、不利になる事は明らかであったからだ。
「行っけェエエエエエエ!」
再び周辺は真っ赤な業火に包まれ、集まっていた雲を纏めて吹き飛ばす。すると、それと同時に化物獅子は水を纏い、術を放つアイビシア目掛けて最高速での突進を仕掛ける。大技の導術を放った後の隙を狙った物であった。
「ゴオオオオオアアアアアア!」
更に化物獅子は、三回もの突撃失敗による経験から、アイビシアに普通の噛み付き攻撃程度は簡単に躱される事を理解していた。故に、回避し難い近距離にまで近付いてから、水で出来た十メートル以上の巨大な獅子の顎を形成する。そして、目の前の赤い鳥を丸呑みにしようと、その殺意の牙を剥く。
「狙いは良いわね、でも!」
アイビシアは術を中断すると、その顎の中へと突進する。自ら化物獅子の攻撃の中に突っ込む形であり、自殺行為に等しかった。
「シアさん!」
「お母さん⁉︎」
アキトもクロウリアも共に叫んだ。それと同時に水の獅子の顎が閉じられ、赤い鳥は青い獅子に丸呑みにされてしまったのだった。
「さて、もうすぐ山を下りれますが…。」
「ゴアアアアアオオ‼︎」
ヤクモは涼しい顔で化物虎をいなしながら、カスミが連絡を入れた警官隊の居る場所に近付いていた。虎は先程までのがむしゃらな攻撃から、フェイントを織り交ぜ緩急を付けた非常に避け難い物に変えていたが、それでも攻撃は全く当たらない。しかし、高速で振り回され続ける公安捜査官達は皆、自身の吐瀉物に塗れ、叫ぶ気力すら無くなる程の、見るも無惨な状態であった。
「早くしなければ、彼等の体力が保つかどうかわかりませんね。」
『ふふ、彼等を思いっ切り振り回しているのはお兄様でしょうに。』
「それもそうでした。いや、失敬失敬。」
『ああ、その反省の欠片も無いお兄様のお声、素敵ですわ…。』
ヤクモは、時折蔦の縛る力を強めて吐瀉物を吐き出させ、喉に詰まらせない様に気遣うが、その力は結構強く、その度に男達は内臓が潰されんばかりの苦しみに苛まれる。気絶する事すら許されなかった。男達は頭でこそ、それは致し方の無い事だと理解していた。しかし心は、これなら楽に死なせてくれた方が増しだと叫ばずにはいられなかった。
「カスミ、救急車両の用意は?」
『現在、数台程手配しておりますわ。深手を負っている方を乗せて運ぶ分には充分かと。イナバ様にも連絡は入れております。』
「助かります。外に出たらすぐに警官の方達にこの方達の事をお任せし、私はこの手癖の悪い猫の躾を致しますので。宜しいですね?」
『ええ、お兄様の邪魔をしない様にと、キツく言っておきますわ。それと、周辺住民の避難は完了しておりますので。』
少し距離の離れた所に、警察や考案捜査庁の物と思われるライトが見えて来た。ヤクモは加速し、その速度のままライトの方向へと突き進む。化物虎も負けじと追随し、遂に森を抜けた。
「来たぞ!」
「怪我人を保護!」
「虎には近付くな!」
森の外には、カスミからの連絡を受けていた警官隊が、水導術による柔らかい水壁を形成しながら待機していた。ヤクモはその壁に向かって男達を勢い良く投げると、放られた男達は見事に水壁に当たって包まれた。この水壁は本来は銃弾を防ぐ為の術で有るが、落下する人を助ける衝撃吸収マットの代わり(腹から落ちても痛くない程に優秀)として応用する事も出来る物であった。ただし、マットと違って溺れてしまうと言う欠点もあった。
「ホボベウ⁉︎」
「ボボウ⁉︎」
「アブクベウ⁉︎」
男達は、振り回され続ける地獄から解放された次の瞬間には、血の池地獄宜しく呼吸困難の災難に見舞われる。もがく気力も尽き果てていた彼等は、もはや生きている心地も無く、生きようとする心意気も挫ける程に心が折れていた。
「ゴアアアアアオオオオオオ!」
そんな彼等にある意味で救いの手を述べようと、化物虎は消耗仕切った彼等の息の根を止める為に最高速で突撃する。しかし、直前で蔦で出来た蜘蛛の巣がその虎の行く手を遮る。その隙に、怪我人を保護した警官隊は救急車両に彼等を乗せて、無事に病院へと送りだす。
「あなたの相手は此方ですよ?子猫さん。」
ヤクモに攻撃を遮られた化物虎は、これ以上の深追いは無謀と見て転身、ヤクモに向かう振りをして近くの公安捜査官達に襲いかかる。狙われた捜査官達は、氷導術を使用しながら回避しつつ、大声で叫ぶ。
「何だこの化物は!」
「一体誰が、こんな場所に連れて来たんだ!」
「こんな事が出来るのは、召喚術使いくらいだ!」
「俺達の中に、召喚術を使える奴なんて居ないぞ!」
少しばかり演技染みているが、彼等は明らかに化物虎の存在はアキトが連れて来た物ではないかと吹聴していた。しかし、上手い事嘘を吐かない様に叫んでいるから始末が悪い。ミゾレの指示で、化物虎の悪事をアキトに被せ、大手を振って彼を逮捕する口実を得る事は見え見えの行動であった。
(…やはりですね。この虎は彼等の仲間…いえ、先程捕らえた方達の反応を見るに、恐らく彼等の与り知らぬ所で援軍があった様ですね。そして、今はミゾレと言う方の指示で、アキト様に罪を作らせる事を狙っている…。)
ヤクモは、公安捜査官達が上手く虎に攻撃を仕掛けられ、適度に怪我をする様に誘導している事を見抜いていた。警官達も見ているこの場で、しかも公安捜査官達は何処から持ち出したのか、証拠となる様にカメラらしき物すら持ち出している。無理やり取り上げるのは、却って怪しまれる可能性も有る。
(…わざと傷付けられようとする方達を、守りながら戦わねばならないとは…。)
ヤクモは公安捜査官達への化物虎の攻撃を何とか防ぐ。しかし、捜査官達は虎を狙う振りをしてヤクモの操る植物へとわざと氷導術を当てるなどの妨害を仕掛ける。ヤクモは化物虎へ迎撃しつつ、公安捜査官からの妨害工作に耐えつつ、自身への攻撃も躱さねばならない。ヤクモは冷静な表情の下で、苦虫を噛み潰したかの様な苦い思いを感じていた。
(公安捜査官の方達に、此方から手を出すのはかなり不味いですが…。背に腹は替えられませんか。)
ヤクモは、自身が捕まる危険性を冒す事を決める。
「カスミ。」
『何でしょうかお兄様。今ワタクシは、どうやってあの方達を絞って差し上げようかと、考え中ですのよ。』
「気持ちはわかりますが、今は抑えなさい。」
『むう…わかりましたわ。あの愚か者共め…今に見てなさい!』
カスミは案の定激怒していたが、ヤクモは冷静になる様に伝え、カスミは不承不承ながらも承知した。カスミが落ち着くのを待って、ヤクモは自身の考えを伝える。
「彼等を“保護”致します。警官隊の方達にそうお伝え下さい。それと“口当て”の着用を。」
『ああ…ふふ、了解しましたわ。しっかり“保護”致しますので、お任せ下さいませ…。』
「…呉々も丁重にお願いしますよ。」
『ええ…わかっておりますとも。ご心配なさらずとも、法“は”決して犯しませんわ。飽くまで、事件の参考人として、“事情聴取”するだけですから…ふふふふふふ。』
カスミの嬉しそうな声にヤクモは溜息を吐くと、警官隊達が警察車両内に一斉に逃げ込んだのを確認して、すぐに十八番の木導術を使用する。“標的”に悟られない様に無詠唱で、しかも避けられない様に十二分に至近距離から、卒倒するのに充分な量の神経麻痺の花粉を一気に放出する。
「ゴアオ⁉︎」
「ぎゃ⁉︎」
「あ…が…。」
化物虎はその花粉の危険性をすぐに察知して、瞬時に風導術で麻痺花粉を吹き飛ばし、麻痺を回避しつつヤクモから距離を取った。しかし、ヤクモの狙いは“それ”では無く、“彼ら”であった。動けなくなった“彼ら”をヤクモは全員蔦で捕らえ、化物虎の攻撃から“しっかりと守る”。
「か…は…が…。」
「おやおや、これはこれは申し訳ございません。貴方方を巻き込みたくは無かったのですよ?如何せん、あの虎は強敵でして、此方の本気を出す必要が御座いましてね。どうか至らぬ私をお赦し下さい。」
「ふ…ざ…。」
「このままの状態では、あの虎に皆様が傷付けられてしまいます。それをみすみす見逃す様な事はしたく有りません。此方であなた方を保護させて頂きますね。あの虎の速い攻撃から避けられる様に運びますので、少しばかり手荒いのは御容赦下さいませ。」
風導術使いに対して、風に流される毒霧攻撃の効果は薄い。それをヤクモが知らない筈が無い。わざと使用したのは明らかであったが、文句を言う事すら彼等は出来ない。ヤクモは満面の笑みのまま、彼等を渾身の力で振り回し、いつの間にか少し厚めで硬めの水壁を形成して待機していた警官隊達に向けて勢い良く投げ飛ばした。
「が!」
「ごあ!」
「ぶべあ!」
公安捜査官達は、少々どころでない衝撃と音をたてて水の壁の中に吸い込まれる。身体が麻痺しただけの彼らは、意識自体はしっかりとしている。着水の激痛に悶えるも、しかし身体は動かず、もがけない。まるでコンクリート詰めにされて海底に沈められるかの様な恐怖に、彼等の目は大きく見開かれる。
「その防壁は多少の風導術程度なら防げます。その中でしたら安全でしょう。皆々様方、その方達の“お世話”はしっかりと頼みましたよ。」
「「「了解です。カスミ殿よりしかと仰せつかっていますので。」」」
態とらしい気遣いのヤクモに、これまた態とらしく警官達は敬礼を返した。そして、もがき苦しむ公安捜査官達を水壁から出して、拘束して抱えながら警察車両に乗り込み、一部の警官をその場に残して脱出した。
「さて…と。取り敢えず、小さいゴミの処分は終わりましたね。後は…。」
そしてヤクモは化物虎を見る。とても冷たい笑みと、凶悪な瞳で獲物を見る。その瞳に化物虎は全身総毛立ち、威嚇の咆哮を上げる。或いは、それは自身を鼓舞する為の物であったのだろう。後退りしそうになる足を必死に抑えていた。
「さあ、お待ちかねの調教のお時間です。躾のなっていない子猫には、少しばかりキツめにお仕置きしないといけませんね。覚悟は…宜しいですね?嫌とは言わせませんので、悪しからず。」
その顔は、とても良い笑顔であった。思わず怖気すら感じてしまう程に。




