第20話
「ハア…ハア…。」
凍った山の中を、二つの人影が歩いていた。夕陽はもうすぐ地に堕ち、辺りが暗闇に支配されるのも時間の問題であった。空も大地も、その暖かな熱を失い、その代わりに刺す様な冷気が二人に纏わり付き始める。
「奴等は…クソ!さっきより距離が近付いて来ている…。捕まるのは…時間の問題か…!」
その人影は、サカキの二人であった。気絶したサキの肩を持ち、引き摺る様にして、ミキは必死に山を登っていた。其処から少し離れた所では、複数の武装した男達が、銃を手に周囲を凍らしながら少しずつ距離を詰めて来ていた。
「サキ…お前…公安捜査庁なんかと手を組んでいたのか…。なんだってそんな事を…!」
ミキの口からは独りでに愚痴が溢れる。しかし、それを咎める声がミキの中に響く。
『ミキさん?音を不用意に出すのはお止めなさい。ただでさえ、此方の位置は向こうのレーダーにほぼ特定されているのですから。この上、音など出されれば完全に、此方の位置を特定されますわ。それに、今は言葉を出す暇や体力すら惜しいのですわよ?』
「わかっている!だが…少し位は良いだろう⁉︎気がおかしくなりそうだ!」
志半ばで組織は壊滅し、信用していた友には裏切られ、その気絶したかつての友を背負って武装した男達に追い回されると言う現状は、普段ならば冷静な筈のミキを苛立たせるには充分であった。しかし、彼の中に潜むカスミの分身は、その些細な懇願すら許さない。
『……また塞ぎますわよ?』
「ぐ!…わかった。俺が悪かった…。」
ミキは、カスミの静かな声に気圧され、押し黙る。
(…だが、確かに現状は、カスミ殿に頼る他には無い…。悔しいが、カスミ殿の情報が無ければ、今頃は奴等に二人共々殺されていた…からな…。)
コウガは、クロウリアを助け出す為に地下シェルター内を暴れ回っていた時に、とある独房の中で監禁されているミキを見付けた。そして、救出する代わりとして、情報提供及びサキの身柄の確保を求められ、それをミキは受諾した。その際に、コウガは自身の中に潜ませていたカスミのスライムを密かにミキに移していた。
(急に何処からとも無く女性の声が聞こえて来た時や、口を塞がれた時は驚いたが…。まさか導術にはこの様な能力が有るとはな。やはり、危険な存在だ…。)
正確には、カスミの用いている技はかなり難易度の高い物であり、誰もが習えば出来ると言う代物では無い。しかし、逆に言えば才能さえ有れば、教育次第で個人が高い戦闘能力を得られると言う事でも有る。ミキは導術の危険性を再認識し、教育機関の廃止を訴えて行かねばと改めて思う。
因みに、カスミやヤクモ、コウガやコチヤの導術の才能を見抜き、開花させたのは学園長である。その他の優秀な人材も、その多くが学園長のかつての教え子であり、社会に出て各方面で活躍していた。その結果、学園長の指導を受けようと学園を受験する者達が増加したり、学園を優秀な成績で卒業した者は各方面からの求人でかなり人気だったりする。
(だが、それも此処を生きて帰れればの話だ…。忌々しいが、今は導術を頼りにする他に、此処から逃れる術は無い…。死ぬ事は覚悟出来てはいるが、それでもこんな犬死には御免だからな。)
ミキは、理想の為には喜んで死ぬ事が出来る。しかし、それ以外に自分の命を無駄に使う事は彼自身のプライドが許さなかった。社会への訴えも碌に行えず、此処で何かの陰謀に利用されて終わる事は、どうしても許容出来なかった。故に、今この場においてのみ、彼は信念を曲げる事を許容した。
「カスミ殿、このまま進めば良いのか?」
『ええ、この道をもう少し進んで下さいませ。私の兄様が今其方に向かって居りますわ。そのまま合流し、しかる後に召喚術使いのアキトさんと契約を結んで下さいな。』
「もう一度確認するが、その召喚術使いの青年と転移契約を結ぶ以外に方法は無いのか?警察が介入したって構わないのでは無いのか?」
当然では有るが、ミキもまた召喚術に対してかなり悪いイメージを持っている。長年、導術の中でもその凶悪さが一際喧伝されて来ており、召喚術を利用したかつての凶悪事件の悪評の影響は、未だに根強く残っている為だ。
『……公安捜査庁にはかなり強い権限が付与されて居りますの。下手な行動を起こせば、此方が違法捜査とみなされ、これ以上の介入が不可能になりますわ。此方からも圧力を掛け続けてはいますが、向こうが手を出して来ない限り、相手の戦力をある程度引き付けるのが手一杯ですの。まあ、それは向こうも同じですけれど。』
「…厄介だな。」
『ええ、全く…。それに、警察も一枚岩では有りませんのよ。私のこの行動も、余りに目立つと目を付けられますわ。貴方達が無事にその場を逃げ果せても、その先でしっかりと保護出来なければ意味有りませんのよ。…貴方も死にたくは無いでしょう?』
「……わかった。カスミ殿の言う通りにしよう。」
『賢明な判断、痛み入りますわ。』
ミキは意識を切り替え、覚悟を決める。背に腹は代えられないならば、それが例え自身の主義に反して居ようが構わず、呉越同舟をも簡単に受容する。その際の判断と覚悟の速さは、ミキの強さの一つであった。
「…良し、ならば早くこの場を…。」
『伏せなさい!』
突然、ミキの身体が強い力に引かれる。カスミのスライムが、ミキの身体を引っ張ったのだ。ミキは気絶しているサキを庇う様にして地面に倒れ込むと、目の前の凍った木に大きな氷麗が突き刺さる。
「氷導術か⁉︎」
『捕捉されましたわ!急ぎますわよ!』
「うおおおおお‼︎」
カスミの鬼気迫る声に、ミキは全力を出して駆け出す。サキを背負いながらの走りではあったが、火事場の馬鹿力を発揮して、凍った山道を物ともせずに駆け抜ける。カスミのスライムも、時折ミキの身体を引っ張って背後からの攻撃を回避させる。
『敵は氷導術を用いて地面を凍らせ、その上を滑って来ますわ!敵のフィールドに追い込まれたら、逃げ切れませんわよ!』
「ハア…ハア…わかっている!だからこうして走っているんだろう!」
『遅いですわ!もっと本気出して走りなさい!』
「ハア…ハア…これが本気だ!ハア…もう限界だ‼︎」
ミキも、大人の男を一人背負い、更に足場の悪い山道を走っているとは思えない程の速さで駆けていたが、相手が悪かった。何せ、相手は足場がどんなに悪かろうと凍らせ、その上を車並みの速度で駆けて来るのだ。流石に今は、凍った木々が邪魔をしているが為に本来の速度は出せていなかったが、それでも徒歩のミキに追い付くには充分な速度を出せていた。
『だったら限界を越えなさい!弱音を吐くのはその後です!』
「そんな無茶苦茶な!」
『無茶が通れば道理は引っ込みますわ!』
「貴様それでも公僕か⁉︎」
『教師ですわ!私のモットーは“可愛い子には鉄下駄履かせて千尋の谷に突き落とせ”ですわ!』
「とんだドエス教師だな⁉︎」
カスミとの下らない会話も、今のミキにとっては有難かった。背後から襲い来る殺意への恐怖に挫けそうになる心を、支えてくれるからだ。もしも一人で居たら、きっともう諦めていただろう。しかし、心は挫けなくても、生身の身体はやはり限界が有る。足が鉛の様に重くなり、喉が焼ける様に熱い。普段からそれなりに鍛えているミキでも、体力の限界が近付いていた。
「ハア…ハア…!」
『危ない!』
動きが鈍くなったミキを、氷のつぶてが襲う。スライムが引っ張って何とか回避させるが、その引っ張られる力の勢いで地面に倒れてしまう。最早、立ち上がる気力も果てようとしていた。
「ハア…ハア…。もう…ハア…駄目…ハア…ハア…。」
『諦めてはいけませんわ!もう少しですのよ!』
「ハア…俺…は、ハア…良い…から、ハア…ハア……サキ…を…。」
『おふざけは生き延びてからにして下さいませ!』
カスミの必死の叱咤激励も、疲労困憊のミキにはもう通用しない。仕方無く、スライムは必死に近くの木にくっ付いて、ミキとサキを運ぼうとするが、本来の用途は隠密用である『浸身拘搦』のスライムでは、思う様に運ぶ事は出来ない。その間にも、次々飛んで来る攻撃をすんでで躱させている為、更に移動が遅くなる。
(追い付かれます!お兄様…お早く!)
ヤクモの方にもスライムが取り付いている為、その位置はしっかり把握出来ていた。ヤクモは近くまで来ているのだが、公安捜査庁の武装隊員達に追いつかれ、応戦している模様であった。周囲の木々は凍り付いている為、ヤクモの得意な木導術はかなりの弱体化を強いられており、普段よりもかなり手間取っている様にも感じられた。
(何とか…お兄様が到着するまで…守らねば…!)
カスミはとにかく、少しでも時間を稼ぐ為にと、近くの岩の後ろに二人を引っ張って隠し、スライムを飛び出させる。近くまで来ている公安捜査官に、奇襲をかける形である。
「ぬお⁉︎」
一人の捜査官に上手く張り付く事が出来たスライムは、その勢いのまま地面に叩き付ける。異常に気付いた他の捜査官が、氷導術と縁絶鋼製銃弾を使用して攻撃を仕掛けるが、スライムはその体質を活かし、地面に潜って攻撃を逃れる。
(動ける場所が少ない…。それに、この方達を守るには…。)
このまま地面の下に隠れていても、更に強力に地面を凍らされたりすればその時点で終わりである。もし見逃されても、ミキ達に攻撃の手が伸びる。今は捜査官達もスライムを警戒しているが、何時迄もにらめっこが出来るとは思えない。相手は捨て身であり、此方が隠れて居る間にも、此方の攻撃を省みずに、サカキの二人を殺害するべく動いている。
(もう一度!)
カスミは、スライムを地面から浸み出させ、跳躍させる。スライムは、その透明な身体を存分に利用し、隠密性の高い奇襲攻撃を仕掛ける事が出来る。何とか一人でも多くの捜査官を戦闘不能状態に追い込むべく、近くの捜査官に目掛け襲い掛かる。
「掛かったな?」
『しまっ…⁉︎』
しかし、渾身の一撃は、隊員に届く前に中断される。隊員がその全身を凍らせて防御した為である。このスライムでは、その防御は突破出来ず、寧ろ接触しただけで倒される。急ぎスライムは広がる様に形を変えて空中でブレーキをかけ、隊員の手前に落ちてそれを回避しようとするが、それは決定的な隙を生む。隊員はその隙を見逃さず氷の鎧を解き、隙だらけのスライムに狙いを付ける。
『…なんちゃって。』
「な…!ウワアアアアアア⁉︎」
しかし、その銃が火を吹く事は無かった。男の身体は急に動きが止まったと思いきや、次の瞬間消える様に木の上に引っ張り上げられてしまった為だ。その後、その木の上からは、持ち主を失った突撃銃のみが落ちて来ただけだった。
「『毒蜘蛛』だ!」
「まだ向こうに居るんじゃ無かったのか⁉︎いつの間に!」
「狼狽えるな!奴が何処から来ても対処出来る様に備えろ!」
捜査官達は、仲間が一人、怪奇現象の様に消失してしまった事を目の当たりにしたのにも関わらず、その戦意が全く衰えてはいなかった。しかし、肝心の目標が見えないが為に、隊員達は一箇所に集まり背中を合わせ、全方向を注意して攻撃に備える。
「奴は何処に…!」
「レーダーに反応は無いのか!」
「待ってろ!今確認を取って…何⁉︎」
一人の男が、本部のレーダー観測者と連絡を取っていたが、其処から返ってきた答えに驚いた。
「周辺に…多くの動体反応が有るだと…⁉︎」
「どう言う事だ…。まさか、増援か⁉︎俺達の包囲網を掻い潜って来たと言うのか‼︎」
レーダー観測者の報告、それは『彼等の居る場所に、導術反応の有る複数の動く存在が居る』と言う物であった。つまり、それが野生の導物でもない限り、ヤクモ達の仲間が駆け付けたと言う事を示す物であった。
「如何する!」
「上からの指示は、この事件を知る者の殲滅だ…つまりは…。」
「クソ!始末する対象が増えちまった…!」
捜査官達は周囲を注意深く確認し、何時でも迎撃出来る様にしながらも、早く決着を付けないとならない状況に焦り出す。
「時間も無い!形振り構っては居られん!幸い、殆どの反応は“あの術”の効果範囲内に居る。向こうから仕掛けて来る前に此方から仕掛け、一気にカタをつけるぞ!」
「「「「「了解です!」」」」」
一人のリーダー格の男の指示により、捜査官達は一斉に詠唱を始める。一人が辺りの警戒を行い、残りの捜査官達は合唱する様にその詠唱を重ねる。すると、辺りには強烈な寒気が到来する。
『骸を包むは氷の筵』『青き蓮の身は針特摩に煮られ』『紅き蓮の針は苫に似る』『無人の世界に無尽の死体』『刈り取る死神鎌すら凍る』
強烈な寒波は周囲の木々を全て凍らせ、そこに生きる全ての生命を熱ごと奪い尽くす。それは氷導術の中でも、かなり威力の高い上級導術であり、彼等の切り札の大技であった。
『『『『『合成氷生導術・輪廻凍ラス永遠ノ凛冽』』』』』
合成導術。複数人の導術使いが同時に同じ導術を使用し、それを合わせる事により、何倍にも威力を増した導術を放つ技法である。同じ術だとしても、使用者の癖が出易いとされる導術を、極力無個性に矯正しなければ上手く発動しない為に、使用にはかなりの訓練を必要とする。
「凍てつけ。」
捜査官達の周囲の空気が瞬時に凍り付く。淡い青色の氷がダイアモンドダストの様に美しく煌めき、輝く星が瞬く夜空の様に、夕闇を美しく彩る。しかし、その幻想的な光景を見る者は、それが死神の微笑みであると言う事に、気付く間も無いだろう。綺麗な闇に魅入られた者は、二度と覚める事の無い夢に閉じ込められた事すらわからない。それは、生きては誰も見る事の出来ない、美しい銀河であった。
「ハア…ハア…どうだ…?」
全ての生命が静止した死の世界が、隊員達の周囲、半径数十メートルを覆い尽くした所で、その世界に熱が戻る。最早、捜査官達は限界であったのだ。警戒していた一人を除き、捜査官達は殆ど全ての導力を使い果たしてしまった為、かなりの体力を消耗していた。
「ハア…ハア…観測者…からは…、ハア…ハア…レーダーが…ハア…凍って…。」
「ハア…仕方…無い…。ハア…目視で…確認…ハア…するぞ…。」
「お前達は消耗している。俺が行くから少し休んでいろ。何かあったら叫べ。すぐに駆け付ける。
」
「ハア…ハア…済まない…。」
力を酷く消耗した捜査官達をその場に残し、一人の捜査官が周囲を確認する為に移動を始める。そして、ミキ達が隠れていたであろう岩に慎重に近付くと、其処には何かの物体が凍り付いて固まっていた。彼は、その動かない物体に銃弾を一発撃ち込んでから、すぐにそれが何なのか確認をする。
「な…これは…。」
その隊員は絶句した。そこにあった物、それは彼の予想を見事に裏切っていたからだ。
「木偶…人形…?」
そこにあったのは、人の凍死体などでは無く、木で出来た人形であった。そして、嫌な予感がした捜査官は、急ぎ他の反応があった場所を捜索する。すると、そこにもまた凍り付いた木偶人形があった。
「……まさか‼︎」
捜査官は思い出す。ヤクモの得意とする導術は、木を操る導術である事を。最悪の予想が頭を過る。
(そんなバカな⁉︎木偶に、人と同じ様な体温が有る訳が…。いや、あの毒蜘蛛の事だ…レーダーを騙す様な精巧な木偶人形を造り、デコイに仕立てるのも容易いのか…!デコイで撹乱し、その隙に目標達を回収して、さっさとこの場を逃げていた…。そして、俺達はまんまとそれに引っ掛かり…無駄に導術を…!)
捜査官達は、ヤクモの実力を侮っているつもりは無かった。寧ろ警戒したために自分達の扱える最高の導術を使用した位である。しかし、元々ヤクモ自身が余り実力をひけらかす人物で無い事、戦闘データその物が多くない事も有り、その実力を正確に推し量るには判断材料が少な過ぎていた。故に、通常の木導術の常識の範疇でヤクモの実力を測り、見事に測り間違えていたのだ。
「……クソォ‼︎」
捜査官は怒りに任せて人形を肘鉄で破壊する。何の抵抗もしない人形は、綺麗に砕け散る。しかし、それは彼の任務の遂行に、何の貢献もしない。彼は半ば無理矢理平静を繕い、急ぎ目標であるミキ達の捜索に戻るべく、仲間の元へと戻る。
「…おかしい…誰も居ない…。」
しかし、彼を待っていたのは、唯の凍った大地と、そこに漂う不気味な静寂であった。
(何処に行ったんだ…。俺が場所を間違えたか…?それとも、目標を発見して移動を…?いや、何方もあり得ん。と…なると…。)
静寂の中に一人取り残された捜査官の背筋に、冷たい汗が流れ落ちる。嫌な予感が頭の中で警鐘を鳴らし、急ぎこの場を離れる事を訴える。しかし、足が震えて上手く動けない。氷導術で敵を凍らせる男が、導術を使われてもいないのに、まるで全身を凍らされたかの様な錯覚に陥っていた。
「おやおや、足が震えていますね。如何なさいました?」
「うお⁉︎」
唐突に背後から聞こえて来る声に弾かれ、彼は振り向き様に銃を乱射する。しかし、其処には不気味な闇しか無かった。そして次の瞬間、彼は身体が動かない感覚に襲われる。それは恐怖から来る錯覚などでは無く、本当に動けなくなっているのが少しずつわかって来る。それと共に、彼はどうしようも無い絶望に、思考すらも縛られてしまった。
「その様な危ない物を徒らに振り回すとは、感心しませんね。」
「あ……ああ……!」
隊員の耳元、先程よりも更に近くに聞こえるそれは、現実逃避しかけていた彼の意識を、強制的に現実へと引き戻す。彼はわかっていた。もう、逃げられはしないと言う事を。狩る側だった筈の自分が、今や捕らえられ、捌かれるのを待つだけの哀れな獲物なのだ言う事を。
「これは少しばかり…オ仕置キガ必要ノ様デスネ…。」
「は…は…は…は…。」
隊員は荒い息のまま、ゆっくりと顔を背後に向ける。見たくは無かった。しかし、身体はその意識とは無関係に、彼に“それ”を見る事を強制する。
「ワタシノ“オシオキ”ハ、キビシイデスヨ?カクゴシテクダサイネ…。」
其処にいたのは、幾億ものミミズが這いずり回る様に、モゾモゾと気味悪く蠢く蔦に覆われた、6本腕の怪物であった。こすれ合う蔦の気持ち悪い音が脳味噌を掻き毟り、彼から恐怖以外の感情を根刮ぎ侵食して行く。その中に浮かぶ顔は般若の様に、怒りとも笑みとも取れない表情を浮かべ、気味の悪いくぐもった笑い声を響かせながら、罠に掛かった獲物をまるで品定めするかの様に眺めていた。
「ハ…ハ…ヒ…ヒ…ヒギヤァアアアアアアアアア‼︎」
悍ましい形相の魔人の顔と目が合ってしまった捜査官は正気を失い、哀れな叫び声を辺りに木霊させて気絶してしまったのだった。
そこからかなり離れた所、先の氷導術の範囲からも外れた場所で、三人の男達と一匹のスライムが哀れな男の叫び声を聞いていた。
「あの叫び声は…何と言うか…。」
「ハア…ハア…酷い…な…。」
『ああ…流石はお兄様。相変わらず、良い声で鳴かせますわね…。ウットリしちゃいますわ…。』
「「ええ…?」」
スライムの心底嬉しそうな声に、二人の男、ミキとヒサメは引いていた。ミキは先程のやり取りで、ヒサメは風の噂に聞いて知っていた事ではあったが、改めてカスミの性格の強烈さを目の当たりにして呆れていたのだ。
(ミキ殿…此処は余り下手な事を言うべきは無いと思う…。)
(あ、ああ…勿論だ…ヒサメ殿。俺はさっき、それで鼻と口を塞がれて死にかけた…。)
(ミキ殿もか⁉︎実は俺もなんだ!)
二人は意外な共通点を見つけて意気投合する。『カスミ被害者の会』結成の瞬間である。
『聞こえてますわよ?』
「「済みませんでした!」」
そして、やはり謝る必要の無い二人が謝った。ヒサメの実力ならば、目の前のスライムなど恐るるに足らない筈なのだが、それでも逆らえない何かが、スライムからは醸し出されていた。
『はあ…まあ良いですわ。それより、早く行きますわよ。』
「何?ヤクモ殿はどうなさるのだ?」
『お兄様なら、彼らを適切に“処理”なさった後、すぐにでもワタクシ達に追い付きますわ。』
「処理?」
ヒサメは、スライムの指摘する方向を、眼を凝らして見やる。其処には、蔦でグルグル巻きにされ、蜘蛛の巣状に張り巡らされた蔦に引っかかってもがいている、複数の捜査官達が居た。
「急に周囲の奴らの気配が無くなったと思っていたら…いつの間に…。」
『お兄様は、彼等から逃げつつもさり気なく罠を仕掛けて居りましたわ。それに引っ掛かったのでしょう。』
「…氷導術で凍らせれば、木導術は機能しない筈なんだがな…。」
『だから、お兄様はあなたに先に周囲を凍らせる様に頼みましたのよ。凍っている場所を、再び凍らせようだなんて、普通は思わないでしょう?』
スライムは、身体を伸ばして近くの木を撫でる様に触る。すると、薄っすらと空中に糸らしき物が見えた。ヤクモは、凍った後の木々に、目に見えない程に細い蔦を何本も張り巡らせていた。そして、それが捜査官達に充分に絡み付いた所で、フォローし合わない様に一息に捕縛したのだ。凍らされる前に先に身体を拘束さえしてしまえば、相手は導術も銃も使えない為に抵抗する事は出来ない。
「これは…なるほどな。しかし、こんなに細い蔦なんて…普通は考え付かないし、やろうと思っても、強度が足りなくて出来ないぞ…?」
『お兄様以外の方には、きっとそうなのでしょうね。でも、お兄様は違いますわ。』
「全く…何て御仁だ…。常識が通用せん…。」
『ワタクシの自慢のお兄様の凄さに感嘆する時間は、後でタップリ差し上げますわ。今はそれよりも、早くこの場を逃げますわよ。まだまだ敵に後詰は居りますし、此方は足手纏いが居ますのよ。先に少しでも進んで置かねば追いつかれますわ。アキトさん達も只今応戦中で、此方に向かって来る余裕が有りませんから。』
スライムは、触手を伸ばして、未だに気絶しているサキを小突く。その指摘に、ミキは申し訳無さそうに謝罪する。
「むう…俺が此奴を気絶させてしまったばかりに…済まない…。」
『止めなかったワタクシにもその責は有りますし、今それを言っても詮無い事ですのよ。それに、この方は気絶でもさせねば、きっと隙を見て逃げ出すか刃向かうかしていたでしょうし。』
「はあ…そこまで根性が曲がっていたのか…。かつての友として嘆かわしい…。」
『今は嘆くより、足を動かしなさい。ワタクシはこの方の中に潜みます。もし途中で目を覚まして、逃走の最中の暴れられたりしたら面倒ですので。抵抗の素振りを見せれば、すぐにでも黙らせますわ。』
「わかった。世話を掛けるな…。」
『いえいえ、これもお仕事ですので。』
スライムは、ヒョイとサキの上に乗ると、そのまま吸い込まれて行く様にサキの身体の中に沈んで消えた。そして、少しだけスライムの頭(?)の部分を出すと、意地悪そうな声でミキに話し掛ける。
『ミキさん。これで少しは休めたでしょう?またサキさん背負って全速力で走れますわね?』
「え、ええ⁉︎ちょ、ちょっと待て!まだ少ししか休んで…。」
『…塞ぎますわよ?』
「わ…わかった…わかったから…わかってるから…。うう…コンチクショウめ…。」
大の大人が、泣きそうな声を出しながら了承する姿は、何とも言えない哀愁を漂わせていた。それを見兼ねたヒサメが、助力を申し出る。
「……ミキ殿、サキは俺が背負って行こう。此処までは、簡単な氷導術を使用して移動して来ただけだ。奴等と直接戦闘した訳では無いから、俺の方はそこまで消耗していない。」
「す、すまん…。恩に着るぞ、ヒサメ殿…。」
『あらあら、お優しいですことわね。』
「「何でちょっとばかり不満気なんだ…。」」
総合的に考えて、全体が最も移動が速くなるであろう適切な判断を下したのにも関わらず、カスミの少し不機嫌そうな声を聞いて、二人は嘆息した。そんな二人を無視し、スライムは近くに落ちていた捜査官の突撃銃を持ち上げ、サキに投げる。
『それじゃ、代わりにこれをお持ちなさい。』
「…これは?」
『その銃に入っている銃弾は縁絶鋼製、意味は分かりますわね?』
「…自分の身は、自分で守れと。」
ヒサメがサキを背負って行けば、必然的にヒサメの動きは制限される。ミキを守る方に手を回すのは、より厳しくなる。サキを背負わないのなら、せめて足を引っ張るなと、カスミはミキに対して暗に伝えていた。
『ええ。あなたは、銃の腕前は一流と聞いておりますわ。それに、その銃弾は導術使いには致命的です。上手く扱えば、彼等を無力化出来ますわ。』
「……良いのか?」
『此処でワタクシ達を撃つ理由が見当たりませんわ。それとも、ワタクシ達に刃向かう予定でもお有りですの?』
「…奴等が俺達の命を狙っているのに、その様な事をする利益が無いな。それに俺としても、そんな不義理な事は死んでも御免だ。殺されない様に、精一杯頑張らせて貰おう。」
ミキは銃の状態と残弾数を確認し、ニヤリと笑う。彼自身の銃は、サキを運ぶ為にと、逃走する途中で手放している為、今の彼は武器を持っていなかった。なので、銃の腕に自信を持つ彼にとっては、水を得た魚の状態であった。
『氷壁の防御を貫くほどの貫通力は無いので、凍っていない部分を狙いなさい。一応言って置きますが、相手を怪我させても、殺さない様にだけ注意しなさいね?』
「…正当防衛にはならんのか?」
『曲がりなりにも彼らは公的機関で、あなたはテロリストですのよ?多少の傷害ならいざ知らず、不可抗力でも殺人まで犯せば、幾らワタクシでも庇いきれませんわ。』
「難儀だな…。」
完全に公安捜査庁が悪かったとしても、公的機関であり、さらに司法にまで大きな影響力を持つ彼等を殺害する事は大変な問題である。そして、彼等はそれを理由にミキ達の身柄を引き渡す様に求める事が出来る。そうなれば、カスミの権力をもってしても守り切れない。
『生き延びたかったら、人を殺そうと思わない事です。理を外れれば、理に殺されても文句は言えません。あなたの掴んだ細い糸は、他人を押し退けたり、己が我儘を通せば簡単に切れますのよ?』
「…わかった。元より、俺も無益な殺生は好まん。俺の銃の腕前、奴等に存分に披露してやるとしよう。」
『ふふ、その意気ですわ。期待していますわよ?』
「ああ、任せておけ。」
ミキは確認を終えた銃を背負う。周囲を警戒していたヒサメもサキを背負い、ミキと共に周囲を警戒しながら背を低くしながら立ち上がる。
『少しばかり時間を取られましたわね。遅れを取り戻しますわよ!』
「「おう!」」
カスミの号令にヒサメとミキは小さく応えた。サキを背負ったヒサメは、凍った木々の間を緩やかに滑り、ミキもまたそれに遅れない様に音を立てずに駆けて行った。




