第18話
「うわ!何ですかこれは⁉︎」
地表へと登ったアキト達が見た物は、辺り一面の銀世界であった。ヒサメの氷導術によって形成された物である。
「カスミ先生から、ヤクモさんが氷導術の使い手と戦っていたとは聞きましたが、これ程の実力者と…。それに木導術では相性が悪い筈なのに、危な気無く勝利したとは…。」
アキトが呆然としていると、まるで子供の様にディアとはしゃぎながら氷麗を踏み割って遊んでいたアイビシアが、アキトの呟きに気が付いて声を掛ける。
「ふふ、そうね。森の中でクロ兄さんと手合わせする時は、今の私じゃ本気でやってやっとの事で勝率半分だし。相性がちょっと良くて、少しばかり実力が有る位じゃあ太刀打ち出来ないわよ。」
「炎導術使いのシアさんでもですか…。やっぱり凄いですね…あの人は…。」
自身が導術使いである為に、尚更理解出来るヒサメの実力の高さと、それと戦い勝利したというヤクモの強さを、アキトは改めて実感する。
「ふふん!でもね、私のコウガさんだって負けないんだから!今はちょーーっとだけ調子悪いけど、本気でやれば本当に強いんだからね!」
「え、ええ…それは十二分にわかってますよ。シアさん。」
「お母さん!こんな所でまで惚気ないで!」
アキトは凄惨な姿の『サカキ』構成員の男達を思い出した。その時、アキトの携帯に着信が入る。相手は先に病院に送ったコウガからであった。
『…もしもし、アキト君。今宜しいですか?』
「はい、大丈夫ですよ。あれ?先生、何処か具合でも良くないのですか?」
『…いえ、大丈夫です。気にしないで下さい。』
「は…はあ…。」
先と比べて何故か元気の無いコウガの声を、アキトは不思議に思ったが、そのまま会話を続ける。
『手続きの方は無事に済みました。それと、其方の方でサカキ幹部の二人が投降するとの連絡があったので、今、警察車両と救急車両を向かわせています。もう10分もすれば到着するでしょう。その車にアキト君達も一緒に乗せてもらえる様に、カスミ先生に手配して貰いましたので、それが到着するまで暫く其処で待機していてくれませんか?』
「ああ、はい。別に良いですけれど…。」
『それと、良ければシアに代わって貰えませんか?話をしたいので。』
「わかりました。」
コウガの催促のアキトは快く返事をし、アイビシアに携帯を渡す。
「もしも〜し、シアで〜す!…ふふ、私もコウガさんの声を聞けて嬉しいわ?でも、もっと触れ合いたいから、一刻も早く会いたいわ!…ふふふ、有難う、私も愛しているわ!」
そして、アイビシアとコウガはいつもの様に恥ずかしい会話を始めた。
「病院でのやり取りでも思いましたが……何でしょう、この砂糖の塊の様な会話は…。」
「なんか…私の両親がこんなので、ごめんなさい…。」
「いえ、別に夫婦仲が良いのは良いんです。実は…僕の両親も先生達に負けず劣らず、もの凄く仲睦まじいので、それはそれでとても良い事だとは思うんです。…まあ、これは流石に少しばかり露骨過ぎる気がしなくも無いですが…。」
アキトの両親もまた、コウガ夫妻と同じ様に非常に仲睦まじく、それを幼い頃から間近で見てきたアキトにとっては別にそこまでおかしい事だとは思えない。しかし、家族以外の人物が居るのに、此処までする事は無かったなと考えていた。
「え!お兄さんの御両親もこんな状態なの⁉︎私の感性がおかしくて、世間一般の夫婦って実はこんなのなの⁉︎こんなにベタベタしてるのが普通なの⁉︎」
「リアちゃん、落ち着いて。僕の両親も…その…少し変わっていると言いますか…。まあ、特別なんですよ。なので、余り参考にはならないと思います…。」
「あ、ああ…そうなの。良かった…私が変じゃ無いのよね…?」
「ええ、大丈夫だと思います。あと、少しばかりお節介ですが、余り人に『こんなの』って使わない方が良いですよ。」
「あう!ご、御免なさい…。」
アキトの指摘に、自らの失言を察したクロウリアは悄気る。
「いえいえ、此方こそ偉そうに言って済みません。お互いに気を付けましょうね。」
「うん…わかったわ。それにしても奇遇ね、此処まで愛し合っている夫婦を両親に持つ人と、まさか友達になれるなんて。…苦労してない?特に…その、夜とか…。」
「えっと…ああ…はい。僕の両親は、子供の居るすぐ横でも、その…結構平気で…。」
「嘘ォ⁉︎」
アキトの実家は貧乏である。しかもかなり辺鄙な場所にあるので、近くにそれ用の場所も無く、寝所は一つで狭い。更に加えて、これが一番の問題なのだが、当の本人達が全くそれを気にしていない。一緒の部屋で寝ているのに、仲睦まじい夫婦が熱く燃え上がれば、必然的に子供の寝てる横で始まる事となり、しかも子供に見られても全くお構い無しである。実はアキトもまた、クロウリアと同じかそれ以上の境遇で育っていたのだ。
「ま、まさか私の家の状況よりも凄いとは…。その…こう言っちゃあれだけど、嫌じゃ無いの?」
「ええと、その…余りに日常的で且つ当たり前だったので、嫌悪感とかその他諸々の感情は、とうの昔に通り過ぎてしまっていると言いますか…。完全に感覚が麻痺しちゃっていますね…。」
「お…おおう…。」
「実は、僕にもリアちゃんと同じ位の妹が居るんです。最近では、そう言った事にも次第に興味が出て来ているみたいで…。そんな妹もすぐ横で寝ているのに、構わず始めちゃうんですよね…。なので結構な頻度で、妹が両親の行為中に起きて来てしまって…。おかげで妹にどう誤魔化せば良いのか…ええ、そう言う意味で苦労しましたかね…。」
「うわあ…。」
クロウリアは、自分以上の苦労人であるアキトの境遇を聞いて同情し、自分はまだ増しなんだ、世の中にはもっと苦労している人が居るんだと勇気付けられた。
「妹さんは、大丈夫なんですか?」
「ええっと…まあ、まだその意味は良くわかっていないと思います。結構、頑張って誤魔化しましたし…。出来れば、あの子には純情なままで育って欲しいんですが…。いかんせん、僕が学園に入学する為に、実家から離れてしまったので…今どうなっているか…心配です。」
アキト自身もまた、幼い頃はその意味を良くわかっていなかったが、親戚の姉のミドリにその内容を詳しく説明して貰って理解した後は、妹のシオンにかなり気を遣う様にしていた。そして、誤魔化しの言い訳として、ミドリに教えて貰った『レスリング』と言う言葉を利用した。両親はレスリングをしているのだと、シオンに言い聞かせたのだ。
(あの苦しい言い訳…未だにシオンが信じているか甚だ疑問ですがね…。)
すると、それを自分もアキトと一緒にやってみたいとシオンがねだってきた。勿論、その本当の意味を理解している筈も無かったが、アキトは困り果ててしまった。そこで、色んな格闘技を適当に聞き齧っていた母親にレスリング(意味深では無い方)の教えを乞い、シオンと共に習う運びとなり、その結果タックルがとても上手くなったそうな。
「ああ…なんと言うか…お疲れ様です。」
「はは…有難うございます…。」
クロウリアは、アキトの心労を察した。なまじっか、自分にも覚えがあり過ぎる為に、他人事の様には到底思えなかった。クロウリアの場合は、兄のナツトが年齢の割にかなり鈍い(加えて彼女自身が相当の耳年増である)為に、アキト兄妹と立ち位置は逆では有るが、その心情はアキトと似ていたのだ。
(なんか…凄い親近感を感じるわ…。最初は変な事を疑っちゃったけど…私、この人となら本当に仲良くなれそう…。)
思わぬ共通点を見出せたクロウリアは、自身がアキトの事をかなり気に入っている事に気付いた。自分を助けに来てくれた事、友達だと言って心配してくれた事は元より、何よりもその優しい声色が、彼女自身の心を安らかにしていた。
(えへへ、何か…嬉しいな…。)
クロウリアの頬は、自然と綻ぶ。家族以外の心許せる人物を得る事が出来た喜びが、彼女の心に満ちてくる。何とも言えない暖かい気持ちが溢れ、彼女に心からの笑顔をもたらした。アキトも、その笑顔を見て、慈しみの笑顔を浮かべた。
「あら〜!リアったら、やっぱりアキト君の事…気に入っちゃったの〜?」
「お母さん⁉︎」
クロウリアは驚いた。コウガとの連絡及び惚気ていた筈のアイビシアが、いつの間にかすぐ側に居て、茶化して来たからである。顔を真っ赤にするクロウリアの反応が余程面白かったのか、アイビシアはそのまま茶化し続ける。
「う〜ん、でも大丈夫かな〜。あなたって、経験無いじゃない?まあ、その歳なら無くて当然だけど。初めてで上手く出来るかしらね?」
「いきなり何言ってんのよ!」
「何って、ナニな感じになるアレよ!わからない事があったら私に言ってね!コウガさんと一緒に実演してあげるから!あ、でも細かい所はわからないか…。じゃあそこはアキト君にリードして貰って…。」
「チェエエエエエストオオオオオオオオ!」
そして、クロウリアの見事な錐揉み回転蹴りツッコミが、彼女の今までのツッコミ人生において最高の威力とキレを持って、相変わらずふざけ続けるアイビシアの眉間目掛けて襲いかかる。アイビシアは腕を顔の前に出して構え、その蹴りを膝で受け止めるが、そのまま蹴りの回転は止まらず更に加速する。
「あら、良い威力じゃない。今までで最高の蹴りよ?ちょっと揶揄っただけで此処まで出来るなんて…やっぱり図星だったのかしら?」
「ヌオオオオオオオオオ!」
「でもその掛け声は可愛く無いわね〜。大変宜しくないわ!アレの時はそんな声出すんじゃ無いわよ?萎えられちゃったら、女として凹むわよ⁉︎かぁなりィイイイ!」
「ウガアアアアアアアアア!」
止まらない母親(変態)のセクハラ発言に、クロウリアは可愛げの欠片も無い雄叫びをあげて更に激昂する。そして、クロウリアは回転している右足を畳みつつ、畳んでいた左足を横に広げ、その右回転を利用した左足回し蹴りを放つ。それは、至近距離からアイビシアの頭上目掛け、頭の上から下へと落とされた。
「おわっと⁉︎」
クロウリアが今まで使った事が無い連続技を見せ、アイビシアの意表を突く。アイビシアの得意技ではあったのだが、クロウリアにはまだ早いと教えて居らず、何度か訓練の時にふざけて使っただけの技であった為に、まさか彼女がそれを聞いていただけで覚え、使って来るとは思いもしなかったのだ。
(これは!)
アイビシア達の様な鳥型導族は、種族特性として足の瞬発力が強くなり易く、また基本的に空を飛ぶ風導術を無意識に使用可能である。その為、空を縦横無尽に飛び廻りつつ、その勢いを利用した蹴りを主とする体術を良く使用する。空を飛ぶ事で地上に立つ必要が無い為、自由度の高い蹴りを自在に使えると言う利点を活かしている。
アイビシアの得意とし、またクロウリアに教えている技は、空を勢い良く飛びながらの回転蹴りを主体とした物である。威力が高く速度も速いが、技の後の隙が大きく、一撃で相手を仕留めないと反撃を受けやすい。
通常はその高い視力を活かし、遠くから隙だらけの獲物を狙い、背後から素早く獲物の弱点を撃ち抜く様に蹴った後に即時離脱すると言う戦法を取る物である。その特徴の為、障害物の多い場所や、狭い所での戦いを不得手とする。
そこでアイビシアは、蹴りを受けられた所から、隙をなるべく抑えて別の蹴りを放つ技を独自に習得した(教える師匠がいなかっただけで、その技がそれまで無かった訳では無い)。それの一つが彼女オリジナルの蹴り技、クロウリアが見せた連続蹴り『連転蹴撃』である。
この技は、相手に技を受けられる事を想定し、受けられてもその時の回転、蹴った所からの反作用の勢いを利用して、別の蹴りに繋げる技術である。これにより、室内の様な狭い場所でも、そのコンパクトな動きから、威力こそ低いが隙を抑えて連続で蹴りを繰り出せると言う代物であった。
(やるじゃない!)
何とか反応したアイビシアはその蹴りを両腕で受けるが、クロウリアは更にその受けられた状態から、前屈の要領で身体を腰から『くの字』に曲げる。そのまま、アイビシアに受けられた左足に力を入れ、反作用で自身の身体を縦回転させ、前方宙返りしつつの強烈な左踵落としを、アイビシアの鼻頭目掛けて振り下ろした。
「ほ!」
アイビシアは身体を仰け反らせ、その強烈な蹴りをすんでで躱す。連転蹴撃は受けられる事を想定している為、避けられると逆に隙が出来やすい為である。しかし、クロウリアの勢いは止まらない。そのままアイビシアの頭上で姿勢を制御し、標的に狙いを定める。
「ハアアアアアアアアア‼︎」
仰け反った事で姿勢が崩れたアイビシアの顔に目掛け、力強い羽撃きに重力をのせて威力を増した、クロウリアの得意の錐揉み回転蹴りが落とされた。アイビシアがそれを不安定な状態ながらも再び受けると、クロウリアは先と同じ様に足を畳んで回し蹴りを放つ。
「そいや!」
「きゃ⁉︎」
しかし、アイビシアがその蹴りを掴んで後方宙返りする様に飛び上がった為に、怒濤の連続蹴りは中断される。アイビシアはそのままクロウリアの頭を両脚で挟み込み、脚を両手で掴むと、その勢いのまま回転してクロウリアの頭を下にして落ちる。アイビシアの愛する夫、コウガ直伝の必殺技、暗闇脳天落としである。
「危ない!」
アキトは叫んだ。下は硬い氷の地面である。受け身も取れずに頭から落ちれば、頚椎損傷は避けられず、最悪死に至る。アキトは飛び出してクロウリアの頭の下に柔らかい衝撃吸収マット(シルバーナの鍛錬用にと、ヤクモより貰った物)を召喚する。
「よっと。」
しかし、当然では有るが、アイビシアが愛娘にそんな事をするつもりは始めから無い。クロウリアを逆さまに抱えたまま、華麗にマットの上に着地しただけだった。ひざを曲げなければ、クロウリアの頭が地面に着く事は無い。当然、クロウリアへのダメージは皆無である。
「いや〜吃驚したわ〜!リア、あなた何時の間にあの技を覚えたの?でも、まだまだ甘い所が有るわね。次の蹴りに繋げる時に隙がまだ有るわ。それに、相手の動きをよく聴きなさいね。じゃないとさっきみたいに掴まれちゃうからね!」
「こ、講義は良いから!そんな事より、はは、早く離しなさいよ!」
クロウリアは焦っていた。何故なら、彼女は今逆さまの状態である為だ。訓練の際にはジャージの様な物を着ているが、今は到って普通のスカートである。つまり、重力の影響をもろに受けてしまうのだ。
「ふっふっふ。どうかしら?男の子に、自分の大事な所を剥き出しに曝け出されるのは!」
「な!まさかわざと⁉︎」
「あら、今日も可愛らしい熊さんパンツね!とっても似合っているわよ!ねえ、アキト君もそう思うでしょ?唆られるでしょ?襲いたくなっちゃうでしょ?」
「い、イヤアアアアアアアアア⁉︎見ないでエエエエエエエエ⁉︎」
クロウリアは必死に変態(母親)の魔の手から逃れようとジタバタするが、頭を両足で挟まれて固定され、足はアイビシアに強く掴まれて動かせない。かろうじて動く両手で必死にアイビシアの背中を叩くが、腕の力は通常の人族の子供と相違ない為、効果は薄い。そして、何より自らの恥ずかしい格好を、男性のアキトに見られていると想像する事が恥ずかし過ぎて、クロウリアの身体に思うように力が入らない。
「…シアさん。もうその位で勘弁してあげて下さい…。リアちゃんが不憫すぎます…。」
アキトは、空気を読んで背後を向いていた。勿論、クロウリアの恥ずかしい格好を見ない為である。アキトはその第六感を無駄に働かせ、華麗に変態行動を回避したのだ。少女の恥ずかしい格好など、一見もしていなかった。その至って紳士的な行動に、アイビシアは不満そうな声を出す。
「あら?やっぱり貧相な子の恥ずかしい格好には唆られないの?」
「…僕をそんな変態にしないで下さい…。」
「ごめんなさいね〜。この子も、後数年もすれば私の様に、出るとこ出る様になるんだろうけど。今は確かに、こんなんじゃあね…。」
「そんな可哀想な感じの声を出さないで!却って心に刺さるから!あと、いい加減離しなさいよ!離してよ!離して下さいお願いだからァアアアアアア!」
幻想的な白銀の世界に不似合いな、少女の悲痛な懇願が、山彦になって辺りに轟いた。
「ヒグ…ヒッグ…もう、お嫁に行けない…。」
「あらそう?アキト君に責任取って貰えば良いんじゃない?」
「何を言っているんですかシアさん…。リアちゃん?大丈夫ですよ、僕は何も見ていませんからね。」
「キュイキュイ!」
クロウリアは、マットの上でへたり込んでいた。恥ずかしい格好をアキトに見られたのではないかとクロウリアは凹み、アキトはそれを必死に宥めていた。ディアは良くわかっていなかったが、なんとなく宥めていた。
「そうよ、リア。アキト君ったら、折角のチャンスを不意にするんですもの。」
「いや、チャンスとかじゃ無いですし…。」
「それに、何を今更恥ずかしがっちゃってんのよ。病院であなたが技を使った時に、スカートの中、結構見えていたわよ?」
「ひう!ほ、本当⁉︎」
アイビシアの指摘に、クロウリアは驚く。実は、見えていた事に気付いていなかったのだ。とは言っても、高速で動くそれをまじまじと見る事など、目の良い鳥型導族のアイビシアならともかく、普通の人間には到底無理な事ではあったが。
「な…な…!」
「あら?もしかして気付いて無かった?やっぱり変な所が抜けているわね〜。」
「何で言ってくれないの⁉︎」
「気付いているんじゃないかと思ってたのよ。スカート姿で技を使えば、どんな風になるかなんて、少し考えればわかるでしょう?」
アイビシアのあっけらかんとした答えに、クロウリアは先程まで嘆いていた事を忘れ、真っ青だった顔を真っ赤にして、再び怒り出す。
「私がそんな痴女行為を好んでするとでも思っているの⁉︎」
「てっきりそっちに目覚めたのかと思っちゃって。」
「そんな訳無いでしょ!」
「だってこの私の子じゃない?」
「いや、そこは似てないから!…って言ってて何か色々と悲しくなって来たわよ‼︎」
段々とクロウリアの調子が戻って来たのを見て、アイビシアはクロウリアを優しく宥める。
「ふふ、ごめんごめん。ちょっとやり過ぎちゃったわ。」
「はあ…お母さん…。もう少し、大人になっても良いと思うのよ…。」
「ふふふ、でもそれじゃあ私らしくないじゃない?」
「…確かにお母さんらしくはないけど、少しは母親らしくなって欲しいわ…。」
「まあ、気が向いたら努力するから、期待して待ってて頂戴ね。」
クロウリアは、疲れ果てて深い深い溜息を吐いた。続いてアイビシアは、側で大人しく見守っていたアキトに、携帯を返しつつ話し掛ける。
「アキト君、こんな恥ずかしい所を見せちゃってごめんなさいね?」
「お母さん…そう思うなら少しは自重して…。アキトお兄さん、下にマットを敷いてくれて有難う。汚しちゃってごめんなさい。」
「いえいえ、気にしないで下さい。此方こそ、とても良い物を見せて貰いましたよ。」
「「ええ⁉︎」」
アキトの発言が予想外だったのか、アイビシアとクロウリアは親子らしく同じ様な顔をして驚いた。
「お兄さんってやっぱりロリコンだったの⁉︎私のパンツ見て嬉しかったの⁉︎」
「やったわねリア!チャンスよ!さっさと押し倒しちゃいなさい!私が許す!」
「ちょ、ちょーっと待ったァ!僕の言葉が足りなくて済みません!」
「キュッキュルピイー!」
またも別の方向に進もうとする似た者親子に、アキトは自身の非を詫びながら弁解する。ディアも真似して一緒に謝る。
「僕が良い物と言ったのは、リアちゃんやシアさんの体術です。病院の時は良く見ていませんでしたが、お二人共に実力が有るのがわかりました。とてもお強いんですね。」
「ああ…そっち。安心したわ…。」
「ええ…そっち…?残念だわ…。」
似た者親子であっても、反応は真逆であった。
「確か、お兄さんも体術使っていたわよね?結構…その…色々と効果的な。」
「あはは…自分でも、結構えげつない攻撃だなって思いますよ。そう言えば、リアちゃんにはどんな動きだったのか、わかるんですか?」
「ああ、うん。目は見えないけど、音である程度の物の大きさや位置、動きがわかるから。流石に細部までしっかりと正確に…とはいかないけどね。」
「でも、耳だけってのは凄いですよ。背後向いててもわかるんですよね?」
「うん、それは私の特技だよ!」
アキトの言葉に、クロウリアは上機嫌になる。鳥型導族の種族としては、耳の良さは重要視されない。故に、クロウリアの優れた耳は褒められる事が無い。しかしクロウリアとしては、優れた耳は自慢であった。それを褒められた事が、とても嬉しかったのだ。
(やっぱりアキト君って…天然のタラシね…。)
アイビシアは苦笑を浮かべて、娘の嬉しそうな横顔を見つめた。実は案外人見知りをするクロウリアは、他人とそこまで親しくなる事は殆ど無かった。なのに、出会って数刻も経たない内に此処まで仲良くなっている事が、彼女には驚きであった。
「それで、体術の出来るリアちゃんに、一つ相談が有るんです。」
「相談?何?」
「体術の訓練を、出来ればリアちゃんに手伝って欲しいんですよ。」
「訓練?お兄さんの?」
アキトの言葉をいまいち理解出来なかったクロウリアは、アキトに聞き返す。
「実はですね、ルビィに体術を教えようと思っているんですが、相手が僕一人だけより、色んなタイプの人と手合わせした方が良い経験になると思うんです。そこで、その練習相手が欲しかったんですよ。それをリアちゃんにお願いしたいんです。」
「……えええええ⁉︎わ、私がぁ⁉︎」
クロウリアが絶句したのも、無理は無かった。アキトの提案はつまる所、貴族令嬢であるシルバーナの体術の教師となって欲しいと言う事であるからだ。一方、アイビシアもアキトの提案に別の意味で閉口していた。
(でもやっぱり、鈍いのね…。シルバーナちゃんも、お気の毒に…。)
シルバーナが何故アキトと訓練をしたいと思っているかについて、大体予測がついているアイビシアは、アキトの他意のない行動に、改めて溜息を吐いた。
「キュイッキュン!」
そしてディアは、友達が増えそうな雰囲気に、嬉しそうに鳴いた。
「ーーと言う事なんですよ。」
「うん…ある程度の事情はわかったけど…でも、本当に私なんかで良いの?」
それからアキトは、シルバーナが諸事情でアビス王国に帰れなくなる可能性が有り、この国で暮らしていく際に、自分で自分の身を最低限守れる様に訓練を行いたいと言う事を、秘匿すべき情報は曖昧にしてクロウリアに伝えた。
「ええ、リアちゃんが良いんです。君だから頼みたいんです。暇な時だけで良いですから、無理の無い程度にお願い出来ませんか?」
「お、お兄さんが、そ…そこまで…言うなら…。」
アキトの無意識で真っ直ぐな好感をぶつけられ、クロウリアも満更でも無い様子になると、アキトはそれを見て心の中でガッツポーズを取る。
(やりました!ルビィの有力な友達候補ゲットです!あとは上手く仲を取り持てば…。)
アキトの本当の狙いは、シルバーナの友達を作る事にあった。彼女は現在、身近に仲の良い導族がいない。しかし、やはり人族の中でだけで過ごさせるのは、彼女にとってストレスになるだろうとアキトは考えていた。
(ずっとこの国に住んでいるのなら、恐らくルビィの偏見の元である白い姿や、呪導術への感情も悪くない可能性が有ります。シアさんもルビィの姿を初めて見た時に、嫌な顔はしていませんでしたし。何より、やはり同年代で同性の導族は、この国でもそうは居ませんからね。)
そこで、シルバーナの友人候補として、初めて会った時からクロウリアの事を気にしていた。良くして貰っている先生の娘なので、自分が先生の所へ行く時に一緒にシルバーナを連れて行けば、そこで仲良くなれる可能性が有ると踏んでいたのだ。
(訓練と言う名目なら、ルビィもリアちゃんと接する機会が増える筈…。もしそこで気が合えば、先生の所に転送陣を描かせて貰って、何時でも会える様に出来れば…。僕が学園に行っている間でも、友達と遊んでいられます。僕も、レン君やハルト君に出会って、とても良かったと思いますし。)
アキトは、やはりシルバーナには強くなる事よりも、幸せになる事を望んでいた。仲の良い友達を作り、一緒に学んだり遊んだりする、普通の少女としての幸せを手に入れて欲しかった。その為に、決して騙している訳では無いのだが、クロウリアとシルバーナが会う為の確かな理由を作ったのだ。
(まあ、無理して友達にさせる気は有りませんが…。さっきの病院でのやりとりを見れば、リアちゃん自身はルビィに悪いイメージは持ってないみたいですし。ふふ、寧ろ僕から守ろうとまでしてくれましたしね。後はルビィが貴族令嬢だからって遠慮してしまうのを、少しずつ慣らして行けば…。)
アキトは、頭の中でどうやって二人を仲良くしようか画策していた。自然の成り行きに任せるのが一番ではあるのだが、いかんせんチャンスそのものが少ない。少ないチャンスをものにするなら、やはりある程度のお節介は必要だろうと思っていた。
「それじゃあ、私はいつからシルバーナさんの稽古の相手をすれば良いの?」
「しばらくの間は基礎訓練を行うので、それが一通り済んでからですね。なので、またその時にお願いをするつもりです。」
「そうね。急過ぎてもいけないもんね。」
「ですが、動きのここを直した方が良いとかは君の意見も聞きたいので、結構早くからお願いするかも知れませんね。」
「私の?」
クロウリアは、アキトの言葉に困惑する。
「別に構わないけど…何で?」
「僕は動きを目でしか確認出来ませんが、リアちゃんは耳で確認出来ますよね?」
「うん…そうね。私は逆に、耳でしか確認出来ないと言うか…。」
「まあまあ、それで視覚と聴覚では、捉える情報の質が違います。特に物を叩いたり、大地を踏み込む時の音は、動きの癖を反映しますからね。リアちゃんには、そう言う視点…いえ、聴点でルビィの動きを聴いて、その癖を教えて欲しいんですよ。」
アキトはクロウリアに、その特技を活かして、アキトとは別の方向からシルバーナを指導して欲しいと説いた。
「お、おお…。な、なんか…私なんかに多大な期待を持ち過ぎじゃない?」
「そんな事は有りませんよ。リアちゃんは、確かな力を持っています。『私なんか』なんて言葉は、使わないで下さい。あなたの耳は、本当に素晴らしい耳なのですから。あなたの友達として、僕が保証しますよ。」
「う、うん…ありが…とう…。」
アキトの優しい言葉の奔流に、クロウリアは翻弄される。
「それに、そこまで気負わなくても良いですよ。参考にすると言っただけで、それで全て決める訳では無いですから。」
「そ、そう?な、なら、少しは気が楽だけど…。」
「それは良かった。なら、気兼ね無く意見を下さい。ですが、良いと思ったらドンドン取り入れて行きます。宜しいですか?」
「わ、わかったわ。が、頑張る!」
「ふふ、有難う。」
最後にアキトは朗らかに笑う。クロウリアの健気な姿が微笑ましかったのだ。
(大丈夫ですよ。あなたは、あなたの思っているよりもずっとずっと、価値が有りますよ。)
自らの出来る事で、人の役に立つ。責任を持って、何かを任される。これは、行き過ぎなければ『甲斐』となる。適度な目標を持たせつつ、役に立っている事を実感出来る様にして行けば、自分自身の価値や評価を上げる事に繋がる。
(リアちゃんもルビィと同じで、自分の評価が低過ぎますからね。これが少しでも自信に繋がると良いのですが。)
アキトは、シルバーナだけで無く、友となったクロウリアの幸せも心から願っていた。彼女達に、幸せになって欲しかった。何の見返りも求めず、純粋にそう思っていた。
(…リアを、ここまで想ってくれるなんてね。盲目な事も導族な事も、まるで気にしていないみたい。リアも満更でも無さそうだし、これは冗談抜きでアキト君をリアのお婿さんに欲しいわ。…シルバーナちゃんには少し悪いけど、これは本気でリアを焚きつけようかしら?)
そして、嬉しそうなクロウリアの表情を、いつにも無く真面目な顔でアイビシアは見つめていた。
「さて、そろそろ車両が到着する頃でしょうか。」
「キュイキュイ!」
「あら、もう?リア、車の音か何か聞こえる?」
「ちょっと待って。……車は近付いて来ているわね。それかしら?」
アキトには何も聞こえなかったが、クロウリアは遠くから近付く車の音を聞き付けていた。アキトはその言葉を聞いてマットを転送し、移動の準備をする。
「そうですか。場所はわかりますか?こちらの場所は向こうにはわからないでしょうし、迎えに行きましょう。」
「うん、大丈夫。私が案内するわ!」
「キュキュ!」
「ああ、みんな…ちょっと待って。」
アイビシアが急にアキトを止める。何か、昨日やさっきも同じ様な事があったなと、ふと思った。
「シアさん?急に如何したんですか?」
「キュイ?」
アキトは言い知れない不安に駆られつつ、何かあったのかとアイビシアに問い掛けた時、クロウリアが何かの音に気付き、叫んだ。
「お兄さん!伏せて!」
「な⁉︎」
「キュピイイイ⁉︎」
直後、アキト達の居る場所に巨大な火柱が上がり、大きな爆音と共に大地が大きく抉れ、爆煙を巻き上げながら目の前に大地の壁が起き上がったのだった。




