第18話
アキトが空を飛んだ頃、ヤクモは改めて男と向かい合っていた。お互いに笑みを湛えながらも、その目は双方共に鋭かった。
「意外ですね。あなたでしたら、てっきりアキト様を投げようとした時に邪魔してくるものと思いましたが。」
「ヒッヒッヒ、何でかな?戦力分断が僕の狙いなのに、僕がそれを邪魔する訳がないだろう?」
「投げる時には隙が出来ます。そこを狙えば、目的を達成するのが容易だったのではありませんか?」
ヤクモは時間稼ぎの為に会話を続ける。
「ヒッヒッヒッヒ!いや、まあそうなんだけどね?見てみたいじゃあないか、あの気違いの戦い方を。僕は彼に興味が湧いたんだ。僕は彼を観察したい、それだけさ。」
「…やはりあなたは変わっていますね。」
「ヒッヒッヒッヒッヒ!それに、どうせ邪魔しようとしても、君は防いだだろうしね。どうせ、僕が攻撃しようとする隙を突いて反撃するつもりだったんだろう?その為にわざと隙を見せて誘ったと。」
男はニヤつきながらも、鋭い目付きでヤクモを見つめる。
「それはどうでしょうか?あなたの炎導術のレベルは高いですからね。相性の悪い私の木導術では、敵わないと思いますが。」
「ヒッヒッヒ!その為のお嬢ちゃんだろう?僕が導術で攻撃を仕掛けても、無効化されていただろう。そうなれば大なり小なり隙は出る。獲物を仕留めたと思った時は特にね。」
「まあ、当初の予定はそのつもりだったのですがね。」
シルバーナの導術ならば、続けて炎導術を使用したとしてもすぐに打ち消せる。そして、連続で強力な導術を放ち続けるのは、男にとって大きな負担であり、体力も消耗する。そのままシルバーナとアキト、ヤクモが連携を続けて、逃げられない様にしつつ長期戦に持ち込めば、この男に勝ち目は薄かったであろう。
「アキト様はそれを承知で、この場を離れられました。」
「ヒッヒッヒッヒ!見捨てられちゃったねぇ!」
「いいえ、アキト様は私を信頼してくださったのですよ。私なら、あなたに負けないと。」
ヤクモは微笑む。とても自然な笑みであった。
「ヒヒ!君なら僕に“負けない”か。随分と信用されているんだねぇ!」
「ええ、お陰様で。」
ヤクモは今度は凶悪な笑みを男に向ける。男は余裕の笑みでそれに応えた。すると、男の顔に変化があった。どうやら、男は何らかの手段を用いて、エンカイドの放った炎がアキト達に消された事に気付いたようであった。
「おや、ヒヒヒ!彼、お嬢ちゃんと地竜を上手く使っているじゃないか。これは、作戦を変えないとねぇ!イヒヒヒヒ!」
「おや?今度はどうするのですか?」
ダメで元々ながら、ヤクモは一応訊いてみた。
「ヒヒヒ!情報収集かい?良いだろう、教えてあげるよ。作戦名は『臨機応変』!僕が状況に合わせてその都度百足達の行動を変えるのさ!」
「…なるほど、聞いても無駄だと。」
「ヒーッヒッヒッヒッヒッヒ!そういう事!」
ヤクモは顔に出さずとも、これは好機と考える。男は、アキト達と戦う百足への指揮を取りつつ自分と戦うという器用な真似をしなければならないからだ。相性が決定的に悪い相手である為、その相手に隙が出来やすい状況になるのは願っても無かった。
「さて、そろそろ始めましょうか。」
「おや?時間稼ぎはもう良いのかい?」
「ええ、アキト様達が奮闘なさっている時に、私だけ楽をするのは頂けません。」
「ヒヒヒ!律儀だねぇ!」
ヤクモとしては、この男が百足の操作に集中する暇を与えるつもりは無かった。アキト達と戦う百足の操作を邪魔すれば、アキト達もまた有利に戦えるであろう。加えて、こちらの戦いに集中出来ない今こそが、またとない絶好の好機である為、それを逃す手は無かった。
(警官隊の増援が到着しましたね…アキト様達は戦力としては申し分有りませんが、ムカイドが人質を取れる分、アキト様には少々分が悪いでしょう。………全く、若様は離れた所でコソコソ隠れて何をしておられるのです!大方、格好良く登場したいとか変な気を起こされているのでしょう。後でお仕置きが必要ですね…。)
ヤクモは木を通して、レンが既に到着している事を知っていた。幸いにも男にはバレていないらしく、男は余裕の笑みを崩さない。レンが到着した事で、向こうの戦況の不安は無くなった。後は、ヤクモが目の前の男を倒せばそれで終わりである。
「いざ!」
「ヒッヒッヒッヒ!じゃあ行くよ?」
男はゆっくりと目を閉じると、全身が炎に包まれる。ヤクモが邪魔せんと蔦を伸ばすも、全て焼き払われる。
「我を灯すは焔の魂。体を模して型となせ、心を燃して糧となせ、敵を喪すりて塵と化せ!我が身に宿りし炎の意思よ、森羅万象を焼き尽くせ!炎生導術・火達磨炎武。」
男は体に火を纏って炎の魔人と化し、周囲の木が燃え出した。ヤクモは、邪魔する事が出来なかった事を少し残念に思いながらも、気を取り直す。
「ヒヒッ!残念だったね。」
「まあ、予想通りでしたね。」
ヤクモは、男の挑発を軽く受け流す。
「ヒヒヒッ!さあ、次は君の番だ。」
「おや?私に詠唱する暇を与えても宜しいのですか?」
「ヒッヒッヒ!当たり前さ、君の実力を知りたいからね。僕は何でも知りたいんだよ!」
「ふふふっ、後悔しても知りませんよ?」
ヤクモは合掌して意識を集中する。すると、ヤクモの双肩から、蔦で出来た木の腕が二本づつ生え、全身に蔦が巻かれる。男はその姿を興味深く見つめる。
「張り巡らせしは蜘蛛の網。善きが落ちればこれ掬い、悪しきが逃げればこれ掴む。望む高みは雲の上。善人引き上ぐ綱垂らし、悪人引き切る糸伸ばす。我は正義に捧げし供物。故に苦も無く曇り無く、人を救うに飽くも無し。木生導術・阿修羅双樹。」
ヤクモは、自身の両腕と合わせて合計六本の腕を具えた蔦の魔人と化した。そして、蔦の腕の指先から、糸のように細く、鉄のように硬い蔦を何本も作り出し、火のない場所の至る所に、まるで蜘蛛の巣のように張り巡らせる。準備の終えたヤクモは、ゆっくりと合掌を解くと火の魔人に向き直る。その顔はまるで般若の面のような、笑いつつ激怒する凶悪な形相をしていた。
「導力開発総合学園学園長オオカミ・ロウガに仕えし木導術使い、ヤクモ・クロガネ。推して参ります!」
「良いねぇ、良いねぇ!彼と言い君と言い、今日は僕の脳神経が嬉しさに驚いて、踊り生えまくっているよ‼︎」
火の魔人は喜び狂う笑顔で蔦の魔人に相対した。
「ふん!」
ヤクモはおもむろに一本の蔦の腕を振り上げ、下ろした。その瞬間、男の四方八方から細い蔦が伸び、男に集中する。
「ヒヒヒ!無駄だよ!」
男は微動だにせず、ただ火力を上げた。それだけで細い蔦は皆焼け散る。
「ならば!」
次にヤクモは、一本の腕を下から上に振り上げる。すると、地面の中から木の根に掘り出された大きな石が大量に出て来て男に襲い掛かる。
「ヒヒッハア!なんの!」
男はヤクモと戦いながらアキト達の戦いを観察し、ムカイド達に指示を出していた。男は大きな石は器用に避けて、小さな石は炎で吹き飛ばして石の弾幕を避け、ヤクモに突撃する。
(動きが単純で分かりやすいですね…こちらに集中していないのでしょうか?だとしたらその油断、付け入れさせて貰いますよ…。)
ヤクモは突進する男が近付く前に空中に飛び上がる。蜘蛛の巣の様に張り巡らせた蔦を伝い、敵の突進から身を逃したのだ。何も無い様に見える所を音も無く素早く移動し、男を翻弄する。
「ヒヒヒヒ!彼もどうやらここまでみたいだね。いや、本当に彼は狂ってる。でも、見てて楽しかったよ。こっちもそろそろ終わりにしようかな?」
アキトとムカイドの戦いには、ほぼ決着がついた為、男は自身の戦いを終わらせるべくムカイド達の指示を止めてヤクモに集中する。男は火力を上げ、ヤクモの張り巡らせた蔦の網や、周囲の木々を燃やし尽くす。
(若様、アキト様に何かあったら許しませんよ!)
ヤクモは蔦を遠くに伸ばして自身を引っ張って炎を回避しつつ、自身を思い切り蔦で投げ上げ、空高く舞い上がる。
「ヒッヒッヒッハア!焼き落としてあげるよ!」
空中高く舞い上がったヤクモに狙いを付ける。男は空に飛び上がり、空に漂うヤクモに突撃する。
「甘いですよ。」
ヤクモは男の突撃を確認して、それが自身にぶつかる前に急降下する。自身の体に纏わせた、地表の木に巻き付けてある蔦を引っ張ったのである。その勢いで地面に急接近するが、上手く蔦を操作して地面への激突を防ぎ、無事着陸する。
「ヒヒヒ!逃げるのだけは上手だねぇ!」
「お褒めに預かり光栄ですね。」
男は空に浮かびながら真下のヤクモを見下ろす。ヤクモは地上から真上の男を見上げる。遠くて互いに良く声は聞き取れなかったが、相手の言っている事の察しはついた。
「ヒッヒッヒ!その余裕、いつまで続くかな?」
「お望みとあらば、いつまでも。」
ヤクモの笑みは変わらない。相変わらず、般若のような形相で男を見ていた。
「ヒッヒッヒッヒ!じゃあ、ここまでだ!」
男は真っ直ぐヤクモに向かい急降下して来る。まるで炎の隕石の様な物が、ヤクモを焼き尽くさんと迫る。
「それは承服致しかねます。」
ヤクモは既に地面に張ってある根を伝って地面の中に逃げ込む。土は焼き難い。それは導術でも変わりない。それをヤクモは利用しようとしているのだ。
「ヒッヒッヒ!なら炙り出してあげるよ!」
男は地面を熱して、土の中に逃げ込んだヤクモを地上に引きずり出そうと画策する。そのため、地面に激突しながら土を加熱しようとする。
「なっ⁉︎」
男は驚いた。地面に激突した次の瞬間、地面が割れたのである。地面が割れた理由、それはそこに空間があったためであった。ヤクモが木の根を操作して地面の下の土を移動し、大きな空間を作ったのである。その時男はアキト達の戦いに集中していた為、ヤクモの細工には気付かなかった。底には大きな岩が鋭い部分を剥き出しにして配置されており、落下の衝撃で男にダメージを与える仕組みになっていた。
(落とし穴か!しかも土導術も使わずに!)
落とし穴を得意とするのは土導術である。木導術で穴を掘る事可能であってもそれは燃費が悪く、余り積極的に使われない。故に、男は予想していなかった。
(良いねぇ、良いねぇ!面白いよ!)
男は喜んだ。男にとって、自分の予想を裏切る事態が起きる事はとても嬉しいものであった。わからなかったという事が何よりも楽しいのである。
「ヒッヒッヒッハァ!やるねぇ!」
男は炎の逆噴射で勢いを殺し、岩にぶつかる前に静止する。すると、今度は上から何かが落ちて来る。先ほどヤクモが掘り出した岩であった。逃げる場所が限定されている穴の中で、落下して来る大量の岩を避けるのは難しい。ヤクモは空に男を誘導した後、落とし穴の上に陣取って男の突撃を誘い、罠に嵌めたのだ。
「良いねぇ、すっごく良い!」
男は狂喜し、岩に突撃する。大きな岩を回避しつつ、突撃で小さな石を粉砕しつつ外に飛び出す気であった。そして、男が岩に近づいた時、岩が爆発した。
「ぐおあ⁉︎」
男はまたも驚く。ヤクモは岩の表面に、導術で創った、特殊な可燃性ガスを内包する植物を仕込んでいたのだ。それに男の炎が引火し、大量の煙を上げて爆発する。一度の爆発は付近の岩を誘爆し、大きな爆風が連続して男を襲う。
「ヒヒ!何のこれしき!」
男は負けじと火力を上げて炎の噴流を放出する。岩の爆発の勢いを相殺して余りあるその火力に、飛んでくる岩や石は逆に吹き飛び、穴から大きな炎の柱が飛び出す。
(ヒヒ!調子に乗ってやり過ぎてしまったよ!酸欠で脳細胞が死ぬ前に、新鮮な空気が吸いたいねぇ!)
植物の特殊なガスの爆発により、穴の中は大量の煙で充満し、空気は皆穴の外へと追いやられる。それは、呼吸が上手くできない事を示す。風導術ならば酸素を創る事も可能だが、男の操る炎導術では、火の光や熱を創り操る事は出来ても、酸素を創る事は出来ない。
(ヒヒヒ!煙で窒息と視界不良を狙う!これも作戦かい?中々に楽しいじゃないか!)
炎を纏っている際は、その熱を操って周辺の空気を本体に供給している。しかし、その空気自体が煙に変わってしまっては、満足に息する事は叶わない。脳神経を大事にする彼にとって、重度の酸欠は忌避すべき事態であった。
(ヒヒヒ!煙りを全部吹き飛ばして、視界を確保しよう。ついでに空気も呼び込もうか!)
煙に視界が塞がれた状態で闇雲の飛んでも、壁にぶつかる可能性が高い。男は炎で煙を吹き飛ばして視界を良くしつつ、辺りを減圧する事で穴の外から空気を集める事にする。
「ヒッハァーッ!」
男は火力を上げ、煙を穴の外へと追い出すと、その先に夜空が見えた。そして、煙りの代わりに新鮮な空気が穴の中に入り込む。男は一度火力を下げ、空気を思い切り肺の中へ送り込む。
「スー、ハー!スーッ、ハーッ!(おお、おお!空気が!酸素が!僕の頭に流れ込む!)」
男は穴の外の空気を存分に堪能する。息を止めていた時間は僅かなものであったが、彼にとって、一刻も早く酸素を脳に送り込む事が最優先事項であった。
「中々の火力、お見それ致しました。ですが、いかがでしょうか?私はまだ、余裕を浮かべておりますが。」
男が声に気付いて穴の上の方を見上げると、そこには男を見下ろすヤクモがいた。
「ヒヒヒ!僕の予想は外れたね!とっても嬉しいよ!」
男は喜悦の表情でヤクモを見返す。ヤクモはため息をつく。
「本当にあなたは変わっていますね…。」
「ヒヒヒヒ!それはどうもありがとう!」
男は再び火力を上げて、ヤクモに突撃を仕掛ける。ヤクモはその突撃を難なく避ける。男は空中に浮かんでヤクモを再び見下ろす。
「ヒヒ!もう手は出尽くしたのかい?」
「まあ、今の私に出来る事は、大方やり尽くしましたかね。」
ヤクモは余裕を崩さないが、追い詰められつつある事を白状した。様々な手段で男を翻弄するも、男の単純ながらも強力な力押しで、その手段は全て吹き飛ばされてしまった。
「ヒッヒッヒ!いや、楽しかったよ!どうだい?僕を愉しませてくれたお礼だ。命を助けてあげるから、彼らを捕まえるのに協力してくれない?」
男はようやくアキトがレンに助けられた事に気付いた。ヤクモとの戦いに集中した事、アキトはもう敗北したものと思い込んでいた事が、事態の把握を遅らせたのである。この予想外の結果にも男の顔は恍惚とする。
「ヒヒヒヒ!護衛にあんな隠し玉を控えさせて置いたとは、やるねぇ!君なら何か仕掛けて来ると思って、本気で殺す気で彼らを攻めて正解だったよ。お陰で彼の力もわかった。確かにムカイドではあれには敵わないね。でも君の力ならどうだろうね?」
「なるほど、我々の手の内を晒させる為に…ですか。ですが、研究対象にしたいと仰っていたのに、もしかしたら死んでしまわれたかも知れないのですよ?リスクの高い賭けですね。」
「ヒヒヒ!全くもってそうだね。でも、僕は賭けに勝ったよ。君達なら、必ず手の内を晒して彼らを守り抜くってね!君たちを信じて良かったよ!」
「お褒めに預かってはいますが、光栄では有りませんね。」
ヤクモは、何処までも男の予想通りになって行くのが気に入らず、男を睨む。しかし、男はヤクモの突き刺さる様な鋭い視線を気にもせず、語り続ける。
「ヒヒ!僕も、研究所に籠って研究と考察ばかりしていないで、外の世界をしっかり見ておくべきだったよ。ヒッヒッヒ!まだまだ僕には分からないこと、知らないことがこの世界には沢山有る!嬉しいねぇ!」
男は今の状況が楽しくて仕方ないらしく、非常に上機嫌で饒舌に語る。
「この程度でしたら、少し考えれば分かると思いますが?」
「ヒッヒッヒ!手厳しいねぇ。僕は戦闘や駆け引きに関しては素人なんだ。思い込みも激しいしね。でも、結構面白いねぇこれ。だけど、やっぱり研究や考察をしたいな…。ああ!時間が足りない!頭が足りない!知りたい事、考えたい事が多過ぎて、嬉しい悲鳴だよ‼︎」
男は燃えながら空中でくるくると回り、嬉しさを表現する。
「研究者としては素晴らしい姿勢ですね。是非とも、人の迷惑にならないように励んで頂きたいものです。」
「ヒッヒッヒ!迷惑を掛けなきゃ研究できないなら、僕は迷いなく迷惑を掛けるよ!僕にとっては知識!それが一番だからねぇ!」
ヤクモはやはり、この男は危険だと判断する。無邪気な興味を満足させる欲求にのみ従う、子供の様な大人は、なまじ力がある分余計に厄介であり、放って置くと被害が拡大する。それを食い止めるには、今ここで捕らえるしか無い。
「ヒッヒッヒ!話が脱線したね。それじゃ、返事を聞かせてくれないか?大丈夫、彼女達を悪い様にはしないよ。手荒に扱って死んじゃったら、研究出来ないものねぇ!」
男は空からゆっくりと下降し、ヤクモの目の前まで来る。炎の熱がヤクモの体を熱くするが、その心は冷たかった。この男に、譲歩する余地は無いと彼は判断した。
「はっきりと申し上げます。絶対にあなたの申し出には承諾いたしません。」
ヤクモは毅然とした態度で男に答える。
「ヒッヒッヒッヒ!そう言うと思ったよ。君の目には迷いが無いからね。ま、仕方ないか。君が例え従わなくても僕は全然構わない。“無理やり”従えさせれば良いんだからね。」
男の顔は醜い笑みで歪んでいた。
「ああ、そうだ。君は優秀だからね。彼女達を捕らえた後も生かして、僕の為に働いて貰うよ。」
「私は大旦那様やその血筋の方達以外の方に仕える気は全く有りません。ましてやあなたなど、何を条件しても願い下げです。」
男の言葉にヤクモは淡々と答える。
「ヒーッヒッヒッヒッヒ!…じゃあね。」
男が嗤うと、口からムカイドが飛び出し、ヤクモに襲いかかる。ヤクモが何かしようとすれば、その全てを炎で焼いて始末するつもりであった。ヤクモの攻撃も防御も炎で全て貫けると、男は戦いを通して学んでいたため、男は勝利を確信する。
「…本当に、哀れな人ですね。」
ムカイドが迫る中、ヤクモは静かにほくそ笑んだ。
「なあ!どうよどうよ!俺の導術!凄くね?一度にこれだけの人数を全員拘束できるんだぜ?」
「え、ええ、そうですね。」
「へへっ!もっと褒めてくれても良いんだぜ?」
ヤクモが男と本格的に戦っていた頃、アキトはレンと話していた。付近には、土で出来た巨大な狼の頭が、上を向いた形で乱立していた。丁度、人質になっている警官達が全てその中に閉じ込められているらしく、中から声が聞こえる。
『アキトお兄さん!状況の説明をお願いします!』
「あ、ああはい…今、僕の親友のオオカミ・レン君、学園長先生のお孫さんですね。彼が僕を助けてくれたんです。警官の方達は皆無事です。」
インカムから、暫く放置されて気を揉んでいたシルバーナの声が聞こえて来た為、慌ててアキトはそれに返答する。レンとも話せる様に、スピーカーをオンにして音量を調節する。
『それは良かったです!レン様!有難うございます!』
「おうよ!親友のピンチだからな!当たり前だぜ!」
「有難うございます。レン君。そうだ、これよりヤクモさんを助けに向かいますので、ルビィも導術の準備をお願いします。」
『お任せ下さい!』
アキトの無事を知って俄然元気になったシルバーナは、張り切って待機する。
「ところで、無線の向こうの相手、ルビィってのは例の山羊型導族の貴族の嬢ちゃんの事か?」
「ええ、シルバーナ・フェルミと言います。また後できちんと紹介しますね。」
「まあ、大体の内容は爺ちゃんから聞いてるぜ。アビス王国の暗殺者に狙われたのをアキトが守ったんだろ?」
「ああ、レン君は本当の事を知っているんですね。」
レンは、エミリオ達の襲撃の真相を知っていた。学園長が説明したらしい。本当なら昨晩も、レンはアキトの援護に向かいたかったそうだが、誘拐された生徒を追う方に駆り出されていたとの事であった。
「それにしても、アキトが英雄か。親友として鼻が高いぜ!」
「英雄って…止めて下さいよ。あれは持ち上げられただけなんです。僕なんて大した事はやってないですよ。」
「でも、嬢ちゃんを守ったのは本当だろ?」
『はい!お兄さんは私の命の恩人です!返しきれない程の恩義を感じております!』
無線越しに聞こえたレンの声に、シルバーナは誇らしげに答えた。その声を聞いたレンはニヤリと笑う。
「だったら充分だぜ。そのお嬢ちゃんを最後まで諦めず守り抜いたんだからな。それだけ出来りゃあ、そのお嬢ちゃんにとっての立派な英雄だ。」
『はい!アキトお兄さんは私の英雄です!』
「嬉しいですけど、さすがに持ち上げすぎですよ。」
レンとシルバーナの褒め殺し口撃に、アキトは居心地が悪くなってそれを遮る。シルバーナを命懸けで守り抜いた事は事実であるが、それはアキトにとって当然の事であった。褒められ慣れていないアキトはとにかく話題を切って、目の前の問題に取り掛かろうとする。
「さて、それでは…。」
と、その時、公園一帯に爆音響き渡った。
「今の爆音はまさか!レン君!早くヤクモさんを助けに行かないと!」
『アキトお兄さん⁉︎今の音は!』
「僕は大丈夫です!ヤクモさんの方だと思います!」
『急ぎましょう!お兄さん!』
ヤクモが戦っている方角から巨大な噴煙が上がっているのを見て、アキトは焦る。ヤクモを召喚して逃しても良いが、状況もわからない上、危険な男を野放しにも出来ない。一刻も早く自分達が駆け付けねばと気が逸る。
「まあまあ落ち着けよ、アキト。お嬢ちゃんもな。焦っているとロクな目に遭わねぇぞ?」
一方、レンは非常に落ち着いていた。
「そんな事言ったって、ヤクモさんが…。」
「大丈夫だって、クロ叔父さんがそんな奴に遅れを取る訳ねぇよ。俺、生まれてこの方一回もあの人に導術勝負で勝った事無いんだぜ!」
「それは自慢にならないですよ…って、え?クロ“叔父さん”?」
アキトは、親指を立てて笑うレンの、クロ叔父さんという言葉に反応した。カスミの時と似た驚きに襲われる。
「あそっか、アキトにゃ教えてなかったな。クロ叔父さんことヤクモ・クロガネは、俺の母方の叔母さんの旦那なんだ。十年ちょっと前に俺の両親が居なくなってから、クロ叔父さんと奥さんのリン叔母さんが俺の親代わりになって育ててくれたんだよ。」
「え、えええええええ⁉︎」
『そうなのですか⁉︎レン様も、本当のご両親を…。』
色々と複雑なレンの家庭事情を急に暴露された為に、アキトは驚いて、今の状況を一瞬忘れる。シルバーナはレンの事情を聞いて自身の状況と似ている事にシンパシーを感じていた。
「ああ、気にしなくて良いぜ。気にされて変に気を遣われる方が嫌だからな。いつも通りに接してくれりゃ良い。」
「気にするなって言うなら、わざわざ言わないでよ…。」
「ガハハハ、どうだ?少しは落ち着いたか?」
アキトはレンが意図した事に気付く。慌てているアキトを落ち着かせる為であったのだと悟り、感謝の念を抱く。
「…うん、ありがとう。」
「良いって事よ。俺とお前の仲じゃねぇか。」
「でも、本当に大丈夫でしょうか。」
「大丈夫だって、叔父さんの強さは俺が保証するし、今さっき使いをやって様子見をさせているから…と、話をすれば、来たな。」
その時、一匹の狼が近くの茂みから現れる。普通の狼では無く、土で出来た狼であった。土の狼はレンに近付くと、その場に伏せる。
「これはレン君の導術?」
「ああ、そうだ。俺の土導術で造った狼で、名前はジコク。ほら、挨拶しな。」
「ルオン!」
土の狼は大きく吠えた。とても野太い良い声であった。レンが操っていると言うよりも、自分の意思を持って動いているように見えた。
「ええ!自律機動できるの⁉︎」
「ああ、俺の親父が召喚導術使いだったからか、創造召喚の幻獣みたく、自律機動する狼を作る事が出来るんだぜ。」
通常、自律機動できる存在を造り出せるのは召喚導術使いに限られ、他の導術使いがそれと同等の物を造る事は出来ないとされる。(ヤクモの場合は条件反射を利用した物であるため、自律機動とはまた違う物である。)
しかし、召喚導術使いを片親にでも持つ場合、才能が有れば、他の導術で動物や人間に似た物を創り、自律機動させる事が可能である事が最近の研究で明らかになっている。その場合に形成される物は創造召喚のそれと違い、元となる材料が必要となり、レンの場合は付近の土を利用して狼を造っていた。
「ルオオン!ルガウオ!」
「ん?ああ、そうだったな。今はこんな話をしてる場合じゃなかったな。んで、どうだった?」
「会話出来るんですか…。」
レンはジコクを使って偵察をさせていた。そして、ヤクモの様子を確認したジコクはその報告の為に戻ってきたのだという。
「うえぇ、叔父さん本気だ。こりゃ暫く近寄らない方が良いな…。」
「クウ〜ン…。」
「な、何ですか?一体、どうしたんですか?」
明らかに嫌そうな顔をするレンとジコクに、アキトは不審に思って尋ねる。
「ああ、アキトにはわからないか…。まあ、今の叔父さんには近寄ると危ないんだ。正確には、叔父さんの近くで呼吸をしちゃダメって所だな。」
「ええと、もしかしなくても…。」
「ああ、叔父さんの得意技で、これがかなりえげつねぇんだ…。俺も何回酷い目に遭ったか…。」
「あ、あはははは。成る程…。」
レンの苦笑いの理由を察したアキトは、レンと同じ様な苦笑いを浮かべるしかなかった。
「ぐ…、あ…?」
「おや?いかがなされましたか?どこか具合でもよろしくないのでしょうか?」
飛び出して来たムカイドを、取り付かれる前に蔦で絡め取り、引き千切りながら、ヤクモは急に苦しみだした男を澄ました笑顔で見つめていた。男は全身から炎が消え、力なく地面に倒れこむ。
(これは…毒⁉︎いつの間に…。)
男は、すぐに身体の異常が毒に因るものであることに気付いたが、何時仕込まれたのかわからなかった。
「イ…ヒ…すば…らしい…。」
またもわからない事に出会えて、男は苦しみながら喜ぶ。そして、ヤクモそっちのけで推察を始める。
(食べ物や飲み物はここに来てから摂っていないから、経口投与はあり得ない。蔦にも巻きつかれていないし、何かを突き刺された訳じゃないから、経皮投与の線は薄い。縁絶鋼製銃弾に仕込んでいたか?しかしタイミングが良すぎないか?となると怪しいのは…。)
男は一連の自分の行動を思い出す。煙りを吹き飛ばした後、思い切り空気を吸い込んだ事が頭をよぎる。そして、木導術の上級戦術に毒物の生成と散布が有るのを思い出す。その戦術は、木導術使いならば才能が高ければ可能な事では有るが、生成に時間がかかる上、それを敵に気付かれずに仕込むのは至難の技である。しかし、ヤクモはそれを見事にやってのけたのだ。
「そ…うか…毒…ガス…か。そんな…素振り…全く…無かった…のにね。すご…いよ…。イヒ…ヒヒ、面…白…い。」
「この状態でも推察が出来るのですか…。筋金入りですね。」
ヤクモは、未だに考え続ける男に畏敬と諦観の念を覚えた。
(それにしても、中々毒の効きが悪くて、少し焦りましたね。常人ならとっくに昏倒してもおかしく無かったのですが…。やはりこの男に色々な意味で常識は通用しませんか。やり過ぎると殺しかねないので、調整が難しかったです。)
落とし穴を煙に満たした後、ヤクモは穴の外に導術で造った特殊な神経ガスを、気付かれない様に薄い濃度で散布していた。このガスは吸入すると、脳の一部以外の全身の神経に影響する効果がある。男はそれと知らずに空気を吸い込み、毒を体に取り込んだのだ。
しかし、男の体への毒の効き目が予想以上に悪かった為、ムカイドが飛び出す前に、更にその毒の効果を高める特殊ガスをそれとなく放出して、やっとの事で男の動きを止めることが出来たのだ。
「さて、いかがでしょうか?大人しく投降して頂ければ、これ以上痛い目に遭う事は有りませんよ?と言っても、その状態ではまともに動く事も儘ならないでしょうが。」
「ヒ…ヒヒ…。」
ヤクモの問い掛けにも、男は面白そうに嗤うばかりであった。
(さて、これでこの男を無力化出来ましたかね。まだ、脳波で動く百足が有りますから、早く気絶させませんと。それにしても、油断してくれて助かりました。罠に上手く嵌められなければ、逆にこちらがやられかねませんでした。)
ヤクモは少しだけ滲んだ汗を蔦の腕で拭うと、細い蔦を使って男の喉を締めようとする。
「ヒヒ!ダメじゃないか!酸欠は脳細胞には毒なんだからァ!」
「何⁉︎」
ヤクモは驚く。神経毒で男の体の自由を奪った筈なのに、平然と蔦を掴んで立ち上がったからである。
「どういう事ですか…。」
「ヒヒヒ!気になるかい?良いよ。教えてあげよう。」
男は掴んだ蔦を炎導術で燃やす。ヤクモは蔦を切り離して急ぎ距離をとる。
「ムカイドは知っているね?」
「ええ、それがどうかしたのですか?」
「ムカイドは雷導術で脳を支配するが、その術は筋肉に作用する事が可能なんだよ。僕の研究でわかった事なんだけどね。」
「…ふむ、ムカイドを介して自分の体を操作していると言う事ですね?操られた導物に麻酔が効かなかったのもその為でしたか…。厄介ですね。」
男は、脳波でムカイドに指令を与え、そこから導術で筋肉に電気信号を与える事で、自らの体を強制的に動かしていた。ヤクモの毒は、神経に作用して指令を遮断するが、男は脳波からムカイドを通して、神経を介さず筋肉に直接命令を送っていたのだ。
「導術も使えるようになっているという事は、頭脳にも作用させていますね。自身に寄生させたと言っても良い。一体、今のあなたの何処までがあなたの意思なのですか?」
「ヒヒ!言ったじゃないか。僕が誰か何てどうだって良いんだよ。この体が僕の望み通りに動いてくれるなら、僕の意思なんて必要じゃないのさ。」
「あなたは知識欲が旺盛ですが、自らの意思を無くして知識を手に入れても、それに意味は有るのですか?」
「ヒヒヒ!大丈夫。僕は気にしないから。僕が知識を手に入れれば、その中身が何であれ、僕は満足さ。」
ヤクモの毒は脳にも作用し、思考力を低下させる効果がある。その結果、正確なイメージが必要な導術を封じる事に繋がる。しかし、男はムカイドに思考パターンをコピーする事で、ムカイドを擬似的な第二の自分としたのだ。結果、ムカイドは男の脳を行使して導術を使う事が出来たのである。
よって、本来の男の意思は未だにヤクモの毒で朦朧としており、今の彼を動かしているのは、彼の意思を真似たムカイドである事になる。そのことを平然と言ってのける男の神経を、ヤクモは疑う。
(やはり危険ですね…、何としても彼を捕らえねば。)
ヤクモは男を睨みつける。もはや、余裕の表情を見せる事は出来なかった。男の実力では無く、その精神性の異常さに、ヤクモは恐怖していた。
「ヒヒヒ!どうしたんだい?表情が硬いよ?」
「…最早、あなたを生かして捕らえることには拘りません。貴方は危険過ぎる。」
「ヒッヒッヒ!良いねぇ。次はどんな風に僕の予想を裏切ってくれるんだい?」
余裕の笑みの男は、再び火達磨になる。ヤクモは、地中から石を大量に引っ張り出し、放り投げる。付近の石だけじゃなく、離れた所の石も利用して、男の逃げ場が無くなる様に大量に投擲する。
「ヒヒヒヒ!それじゃまだ驚かないなぁ!」
男は余裕の笑みで石をかわし、また一部は炎で吹き飛ばす。地面には降りず、空中で嘲笑いながら、くるくると廻りながら避け続ける。
(もう、石を投げても当たりませんか…。落とし穴や毒に警戒して、空に陣取られましたね…。)
蔦を伸ばしても焼かれ、石は避けられ、罠には警戒される。今のヤクモにはとてもやり辛い状態となってしまい、ヤクモは眉間に皺を寄せる。
「ヒヒヒヒヒ!どうしたんだい?もう終わりかい?じゃあ、今度はこちらから行くよ!」
そのまま、男は空中から巨大な炎を撒き散らす。ヤクモの付近の木々は燃えて散り、辺り一帯が火の海と化す。ヤクモは急ぎ、アキト達に警官たちを連れて脱出するように指示する。
(木を焼いて、私の戦力を削ぐつもりですね。堅実で…嫌らしくて…そして非常に効果的ですね。)
ヤクモは炎を器用に避けながら、空中に陣取る男を睨み付ける。
「ヒヒヒ!まあ、こんなところだろうね。」
公園の一帯の木を焼き尽くした男は、ゆっくりと地上に降りる。一方のヤクモは、周辺の木々を粗方燃やし尽くされ、戦闘力がかなり低下していた。
「…自然を破壊するのは、頂けませんね。」
「ヒヒヒヒ!仕方ないね。科学の発展には、何時だって自然の犠牲が付き物さ。」
「…嘆かわしい事です。」
男はゆっくりとヤクモに近付く。付近の空気は炎の対流で起こした風で常に換気されており、毒を乗せる事は不可能であった。炎は常に激しく燃え続け、蔦や木の根、枝を寄せ付けない。
「ヒヒヒヒヒ!じゃあ、予定通り、君には僕の手伝いをして貰うとするよ。」
男は再びムカイドを体内より呼び出す。今度は絶対に躱されない様に、男はヤクモと至近距離になるまで近付く。
「今でもまだ、私を捕らえようとするのですか?」
「ヒッヒッヒ!僕は君も気に入ったんだ、面白いからね。欲しい物は手に入れる、知識も何もかも。」
「…強欲ですね。」
「ヒッヒッヒッヒ!あの彼も大概だけどねぇ!」
男はアキトを思い出して嗤う。ヤクモも内心、同意してはいた。
「ヒヒヒ!まあ、彼の場合は欲をかいた結果、実質的に敗北したけどね。彼には欲はあっても、実力が足りなかった。仲間が来なかったら、彼は死んでいた。欲をかくと言うのは、危険だからね。彼は身の程を知らなかったという事だ。うんうん、知識はやっぱり大事だねぇ。」
男は大袈裟に頷き、満足げな表情を浮かべる。一方のヤクモも、涼しい顔をしていた。
「なるほど確かに、欲をかくと言うのは、危険ですね。」
「ヒヒヒ!君もそう思うかい?」
「ええ、全面的に同意致しますよ。……欲は心に隙を招きます。今のあなたの様に。」
その時、乾いた一発の銃声が鳴り響く。
「がっ⁉︎ぎう、あ…か…。」
そして、男の炎が消え去り、男は苦悶の表情で背中を押さえて倒れ込む。
「ほら、言わないことでは有りません。」
ヤクモは薄い笑みを浮かべ、足元に倒れる男を見下ろした。
ヤクモさんの戦闘回でした。
今回は、良く考えればツッコミ所が結構有る気がしますが、フィクションと言う事でここは一つお願いします。
炎相手に木が効かないなら、本体を狙えば良いという、至極当たり前の結論でした。予想外と言うのは結構難しいですよね。




