第33話
「一体どういうことですか?」
アキトは理解が出来ず、キツネに聞き返した。
「そのままの意味です。シルバーナ様をアキト君に預かって欲しいのです。」
「一体何故……?」
「それは公爵閣下から説明を頂きますよ。」
キツネは、バイドンの方を見て、説明を譲る。
「うむ。順を追って説明しよう。まず、アビス王国内での騒動については、あの男の証言の通りだ。」
アキトはシラサギの部下を装った者の証言を思い出す。
「この子の命が狙われるかもしれないと思い、この子を危険に晒すまいと、明確に敵と相対する事を避けた。そして、儂はこの子を連れ、偽りの理由でヨミ国にやって来た。国外まで逃げれば、奴らも手を出し辛いであろうと考えた為だ。」
バイドンはそこまで喋ると一息を付いた。
「しかし、実際には敵に待ち伏せされていた。そして、敵との交戦時に、奴らの言葉から別の思惑を知った。その思惑は、お主も良く存じておろう。」
「ヨミ国とアビス王国の戦争ですね…?」
「左様。恥ずかしながら、儂は奴らの狙いを読み切れなかった。言い訳がましいが、王が変わるこの過渡期に、更なる厄介事を持ち込もうなどと、儂には考えられなかったのだ。結果、奴らの罠にはまり、危うくヨミ国と戦争を起こすきっかけになる所であった。それを防ぐ事が出来たのは、一重に、皆の協力のお陰だ。改めて礼をさせて頂く。ありがとう。」
バイドンは頭を下げ、謝罪した。隣のシルバーナも頭を下げていた。
「いえ、そんな勿体無いですよ。」
さっきも似たようなやり取りをしたなと思いながら、アキトは答える。
「そして話の続きなのだが、儂はこれからアビス王国に帰還しようと思っている。強硬派の狙いが戦争であるなら、穏健派である儂が彼らを止めるのが筋だ。儂は国内の穏健派をまとめ、強硬派を牽制したい。」
バイドンは、信頼できる者に後を託してヨミ国に来たが、予想より強硬派が危険な行動を起こして来たため、バイドン自身が穏健派の指揮をとりたいと語る。
「しかし、ここで問題がある。この子の身の安全の事だ。」
マクウィスは強硬派の王族である。強硬派の目的が戦争であったとしても、傍流ながら穏健派の王族であるシルバーナは彼にとってやはり邪魔者である。その命が狙われる可能性は充分にあった。
「アビス王国には強硬派の導族が数多く居る。穏健派の友に預けるという手もあるが、何を仕掛けてくるかわからぬ以上、なるべく奴らから遠く安全な場所にこの子を匿いたい。」
「それが、ヨミ国であると。」
ヨミ国には導族が住み着いている。ヨミ国はアビス王国と国交があり、また先の戦争での難民の一部が未だに滞在しているためである。しかしまだその数は少なく、また全員身元を確認されている為、不審な導族が入り込めば(密偵などが居ない限り)すぐに発見できる仕組みになっている。今回は入り込まれてしまったが、この事件により更に警備体制が強化される予定であり、新たに強硬派の導族がヨミ国に入り込むのはかなり難しくなる。
「そして、この子を匿うにあたり、当然ではあるが信頼に足る人物に託したい。」
「それが、僕であると…?」
「左様。幸い、この子はお主に良く懐いておるようだ。儂もお主なら信頼できると考えた。どうだろうか、我が孫を預かっては貰えぬだろうか?」
アキトは悩む。バイドンの言うことは尤もであるが、会って間もない、何処の馬の骨とも分からない未成年者に託すのはどうだろうかと思う。
「難しいですね…。まず、ヨミ国であろうと強硬派の導族の侵入が全く無い訳では有りません。今回のような何かしらの手段を用いて検問を突破する可能性も有ります。もしまた襲撃されたりすれば、守りきれる自信が僕には有りません。今回は運良く守れましたが、次も上手く行く保証は無いのです。
更に言えば、例え襲撃がなかったとしても、僕は貧乏学生です。シルバーナ様の満足する生活水準を提供出来る自信がありません。僕は力もお金も無い学生です。シルバーナ様をお守りし、お世話する役目は、僕には荷が勝ちすぎですよ。」
アキトは淡々と理由を語る。アキトはシルバーナを守り抜くと誓いはしたが、守る人物は自分でなければならないなどとは露ほどにも思わない。優先するべきはシルバーナの安全と幸せな生活であるため、他にもっと適格な人物が居れば、其の者に任せるのが一番安全だとアキトは考えている。
そんなアキトに対し、バイドンは何かを言おうとしたが、その前にキツネが口を挟む。
「確かに、アキト君は戦闘力も経済力も無い。お世辞にもシルバーナ様を匿う為の力があるとは思えませんねぇ。」
アキトはキツネの援護に大いに頷く。
「そうですよ。だから僕にはその役目は…。」
「だったら頼れば良い。」
キツネの言葉に、アキトが怪訝な顔でキツネを見る。
「確かにアキト君には力もお金も無い。だったら力有る者に守って貰い、お金有る者に支援して貰えば良いのです。あなたには、そのような人物との絆が有るはずですよ?」
アキトは学園長やコウガ、ヤクモを思い浮かべたが、彼らに迷惑をかけ続けるのが憚られた。そんなアキトの気持ちを察したのか、キツネがアキトの答えを待たずに続ける。
「もしあなたが、彼らに迷惑がかかるのではと考えているのだとしたら、それは違ますよ。」
「え……?」
「あなたは、シルバーナ様に“迷惑がかかるから助けないで”と言われたらどう思いますか?」
「そ、それは…。」
アキトは、キツネの言いたい事を察し、ばつが悪そうに俯く。
「つまり、そう言う事ですよ。あなたはもっと頼って良い。あなたは、あなたが思っている以上に、愛されているのですよ。」
「キツネ様の言う通りです。私は迷惑だなどと考えていませんよ。」
「ヤクモさん…。ありがとうございます!」
アキトは開き直り、思いっ切り頼る事にした。
「では、シルバーナ様を預かって頂けませんか?」
アキトの言葉に、ヤクモとキツネは目を合わせて嘆息する。
「アキト君…。そこはあなたに預かって貰わないと…ねぇ?」
「え?ですが、ヤクモさんなら実力有りますし、シルバーナ様を守るなら僕なんかより遥かに頼もしいですよ?」
「アキト様。あなた様は、むさ苦しい男ばかりの屋敷に、麗しい少女を一人閉じ込める趣味がお有りなのですか?」
「それは…、ですが、背に腹は…。」
「シルバーナ様をあんなトイレのある屋敷にずっと置いておくおつもりですか?」
「うう!それは…。」
シルバーナの方を見ると、顔を真っ赤にして俯いていた。これは駄目だとアキトは思う。
「ついでに言えば、コウガ殿は今入院中で戦力外、他の人に任せる事もできますが、遠い異国の地で周りが見知らぬ人物のみで過ごすというのは、辛いでしょうねぇ。」
「では、キツネさんの所は…。」
「アキト君は、こんな私の所にシルバーナ様を預けるのですか?」
「なるほど。それは絶対に無いですね。」
アキトは再び悩む。すると、今まで黙っていたシルバーナが急に頭を下げた。
「申し訳ありませんアキト様!」
「え!何故謝るのですか?」
アキトはシルバーナの謝罪の意味がわからず困惑する。
「これは私の我が儘なのです!私がアキト様と一緒に居たいとお祖父様にお願いしたのです!
お祖父様に許可を貰い、舞い上がってしまった私は、これがアキト様の迷惑になることに思い至りませんでした!僭越ながら、今回の話はなかった事にして下さい。大変ご迷惑をお掛けしました!」
理由を聞いてアキトは苦笑する。
「僕は迷惑だなんて思っていませんよ。ただ、僕だとシルバーナ様を守れないかも知れないから、悩んでいるだけなのです。僕で無くてはいけないのでしょうか?」
シルバーナは、アキトの問い掛けに少しだけ戸惑ったが、意を決して答える。
「…はい、私はアキト様が良いです!理由は、あの、その…。わ、私が、アキト様の事を、す、す…、凄く、恩を感じているから、お手伝いをして恩返しをしたいからです!」
『好きだから、一緒に居たい』と言うには、勇気も覚悟も足りなかった。傷付くのを恐れて嘘をつき、そんな嘘に自分が傷付く。情けないと思いながらも、それでも嘘に逃げる事しか出来なかった。
「シルバーナ様、大丈夫ですか…?」
思わず歯を食いしばっていたらしい。気付いたアキトがシルバーナを心配そうに見ていた。しかし、シルバーナの悲しみの理由を勘違いしたアキトは、見当違いの方向に慰める。
「シルバーナ様、僕は今回の事はちっとも気にしていませんよ。僕は助けたくて、僕の勝手で助けました。あなた様が恩に思う事はありません。だから、恩を返さねばという義務感は感じなくて良いのです。自分を犠牲にしてまで、僕の手伝いをしようとなさらないで下さい。僕はあなた様にそんな辛い思いをさせる為に助けた訳では無いのです…。」
「ち、ちが、違うのです…。アキト様…。」
シルバーナは、アキトに気を使わせてしまった事に更に悲しくなった。アキトはシルバーナが更に悲しそうな顔をしたので、慌ててその理由を考えるが、思い付かない。
(ぼ、僕はっ!一体、どうすれば良いのでしょうか!だ、誰か助けてっ!)
アキトが頭の中で叫び倒していると、ヤクモが見かねてアキトに囁きかける。
「アキト様。ここは、シルバーナ様の提案を受け入れて差し上げるのが得策ですよ。」
「ですが、こんなに小さな子が、恩返しなんて考えているのですよ?まだまだ遊びたい盛りでしょうに、自分のやりたい事や自由時間を犠牲にしてまで…、そんなの見ていられません……。」
アキトの言葉に、ヤクモは少しばかり頭痛を覚えたが、改めて説得を試みる。
「アキト様。シルバーナ様は義理堅く誠実なお方です。なので、もし此処でアキト様が彼女の厚意を無碍になされば、その事を負債に思い、ずっと心の枷として苦しみ続けるでしょう。アキト様は、シルバーナ様が苦しみながら生きるのを良しとするのですか?」
アキトはヤクモの言葉に目から鱗が落ちたような気持ちになった。
(そうでした!僕は、ルビィの命だけで無く、笑顔で暮らせる生活を守りたいのでした!
それなのに、僕のせいでルビィの心に負い目を負わせてしまうなんて…、そんな事はいけません!)
アキトは、シルバーナを守る覚悟を決めた。
「ありがとうございます、ヤクモさん。おかげで目が覚めました。シルバーナ様、僕はあなた様を守ります。僕の所に来て下さいませんか?」
「……え!?は、はい!喜んで!ふ、不束者ですが、よ、宜しくお願い致します!」
シルバーナはアキトの言葉に顔を赤くしながら笑顔になり、深く頭を下げた。
(やった!ルビィが笑ってくれました!ヤクモさんの言った通りです!)
(あ、ああアキト様が、わ、私に、アキト様の所に来て欲しいと…。嬉しい……。)
しかし、アキトはそこでふと我に返る。そして、重大な死活問題を思い出す。
「生活費は、どうしましょうか…。」
アキトは貧乏学生である。ただでさえ今も苦しいのに、扶養家族が増えてしまうと、いよいよもって首が回らなくなってしまう。
(アルバイトを増やしますか…。いえ、奨学金を貰っているのですから、学業を疎かにする訳には…。かと言ってこれ以上の借金は避けないと…。)
アキトとしては、これ以上の負担は厳しいものがあったが、シルバーナにひもじい思いをさせたくない一心で考える。
「とにかく、頑張ります。それしか無いです!」
しかし良い案が思い付かず、何の根拠も無い精神論に頼るような変なテンションになってしまっていた。
見かねたキツネが声をかける。
「あー、アキト君?お金でしたら私が“差し上げ”ますから、そこまで気負わずとも…。」
「それは絶対に嫌です!」
しかし、それはアキトの声によりかき消される。
(タダより高い物は無く、旨い話には裏が有ります!キツネさんにお金なんて貰ったら、見返りに何要求されるかわかったものではありません!絶対に拒否です!)
アキトは親の敵を見るような目でキツネを睨む。
(困りましたねぇ。此処までの嫌いようとは、予想外に嫌われてしまいましたか。アルバイトのし過ぎで体壊すなんて下らない理由で、彼を消耗させたくないのですがねぇ。)
キツネとしては、アキトの体を気遣っての厚意のつもりであった。しかし、アキトは却ってそれが怪しく感じられ、キツネの普段の素行と相俟って、頑なに拒絶するという状態になってしまったのだ。
(かなりお金の事は気にしている様ですねぇ。人から借りるなんて考えられないって顔をしてますよ。)
アキトは、例えコウガやヤクモに対しても、お金を借りる事は絶対にする気はなかった。アキトがお金を受け取るには、その行為を正当化する理由が必要であったのである。
「生活費程度ならば儂が出そう。この子を預かって貰うのだ。その程度の事位はさせて欲しい。」
口を開いたのはバイドンであった。アキトは心配そうに彼を見る。
「それは大丈夫なのですか?」
アキトは、バイドン自身の経済力から、金銭的支援は可能であると考えていた。しかし、彼のお金を個人的にアキトに送る事は難しい。個人的な理由で、国外の“人間”に金銭を譲渡する事は、アビス王国では禁じられているためである。
その法令は戦時下に出来た物であり、当時の敵性存在たる人族を支援してはならないという理由で施行された物である。故に今の時代にそぐわない物であったが、強硬派の反対もあり、未だに改正されずにいた。
ちなみにこれは経済の授業で習った事である。アビス王国と交易する際に気をつける事として挙げられた物の内の一つで、かなり眠くなる授業だったとアキトは振り返る。
「そこは、キツネ殿を経由させる。今回の問題で、我が国の外交官は大変な無礼を働いた。そしてその原因は“儂にある”事になっておる。そこで、儂がヨミ国に慰謝料を払いたいと申し出、外務省のキツネ殿に金品を送る。そしてキツネ殿からアキト殿にそれを譲渡して貰うのだ。
これは個人への贈与では無く、ヨミ国への慰謝料という形であるから、法令には引っかからぬ。」
「キツネさんを間に、ですか……。」
キツネの名を聞いてアキトは渋る。
「そんなに私は信用有りませんかねぇ…。」
「ええ、全くもって、全っ然、これっぽっちも信用できません。」
アキトは取り付くしまなしと言った感じにキツネに冷たい視線を送る。
「まあまあ、アキト殿。ここは儂を信用しては頂けんだろうか。もしキツネ殿からシルバーナの生活費支援の関係で何か見返りを求めるような事があれば、儂が責任もってキツネ殿をキツく処罰しよう。定期的に便りは出すし、腹心の部下をたまにこちらに送るから、その時に遠慮無く伝えて欲しい。」
「怖い事を仰いますねぇ…。」
「公爵閣下が仰るなら…、わかりました。お願いします!…ふう…。」
アキトは、支援を受けられると聞いて安心したが、同時に、現金な自分の心に気付いて、少しばかり自己嫌悪した。
「それと、この子の生活費用の事であるが、この子に余り贅沢をさせる必要は無い。というよりも、寧ろ贅沢させないで欲しい。」
「えっと…、それは、社会勉強の為にですか?」
「左様。儂は、この子に行く行くは自立していって貰いたいと思っておる。この子は今まで、金銭的困窮とは無縁の生活を送って来たが、この先はどうなるかわからぬ。故に、ここである程度不自由な生活に慣れ、その中で生活するための知恵を得て欲しいのだ。」
アキトはバイドンの話に小首を傾げる。平民である自分達の生活を経験する事は、シルバーナが将来家督を継いだ際に、領民の気持ちを推し量る上で多少は役に立つかも知れないだろう。
しかし、バイドンの言い方は、まるでシルバーナが将来生活に困るかのような口振りだった。
「どうしてそのような事を…?シルバーナ様は次期公爵様でしょう?そんなに経済状況が悪いのですか?」
「いや、特に我が領内の経済は悪くは無い。」
「では何故?」
「シルバーナが公爵を継げぬ可能性が有るからだ。」
「ええっ!!何でですか!?」
アキトは、バイドンの思わぬ発言に絶句する。
「…シルバーナよ。まさかアキト殿に話しておらなんだか?」
アキトの様子を見て、バイドンは隣のシルバーナに問いかけた。
「……はい、その通りです…。詳しい事情は何も話しておりません…。」
シルバーナは申し訳無さそうに答えた。バイドンはため息を一つついて、アキトに向き直る。
「アキト殿。儂の話を聞いて貰いたい。」
バイドンはそこで、シルバーナのこれまでの生活、導族における呪導術の扱いなどについてアキトに詳しく説明した。
「まさか…、そんな…。」
アキトはシルバーナから“導子引導”が使える事を聞いていたが、それによって如何に不自由な生活を強いられてきたかについては知らされていなかった。
また、学園で詳しく習うよう事ではなく、アビス王国から流れて来る情報も限られていたため、そんな事情が有るとは知らなかったのだ。
エミリオがシルバーナを“悪魔”と言ったのも、エミリオを裏切った様に見せたからだとアキトは思っていた。
(エミリオが、シルバーナ様を悪魔と言ったのは、そのためだったのですか…。ああ!!)
アキトはエミリオの事を思い出した時、重大な事に気付いた。
「シルバーナ様の導術を知るエミリオを…、逃がしてしまいました!」
アキトは自らの失態を悟った。
シルバーナの導術を、強硬派の導族であるエミリオに見せ、その上で逃がしてしまったのだ。もしも、エミリオがアビス王国でその事実を広めれば、シルバーナは公爵を継ぐ事が難しくなる。無理やり継いだ所で、周囲の協力が得られなければ、領地運営もままならない。
それだけでなく、公爵を継がず、一般人として生活するとしても、差別のために苦しい生活を強いられるであろう。
「そんな…、僕のせいで…、そんな…。」
アキトは自分のせいでバイドンに迷惑をかけ、シルバーナの人生を大きく狂わせた事実に打ちのめされ、茫然自失となる。
「申し訳ありませんっ!でしたああああああ!」
アキトは席を立ち、シルバーナの横に立つと、思い切り土下座した。頭が床にぶつかる音が響く。
「ごめんなさい…、僕のせいで、ごめんなさい!」
アキトはただただ謝った。謝り切れる物では無いと感じていたが、謝る他に無いとも思っていた。
自然に声が震え、目から涙が流れ、床を濡らしていた。
「アキト様のせいではありません…。これは、私のせいなのです…。」
アキトが顔を上げると、席から降りて土下座の姿勢となり、視線をアキトと合わせたシルバーナがいた。その頬は涙に濡れていた。
「私が…、アキト様の役に立ちたい一心で…、それで…、後先考えず…。ごめん、なざい…、わだじの…ぜい…だがら…、あぎど様は全然、悪ぐないがら…。」
「シルバーナ様…。」
「それを言えば、エミリオを逃がしてしまったのはこの私です。私にも責任があります。」
「ヤクモさん…。」
アキトはシルバーナの嘆願と、ヤクモの言葉に少し冷静になる。
「シルバーナ様…。僕は大丈夫です。取り乱してすみません。」
「いいえ、私の方ごぞ、お見苦じい所を…。」
アキトとシルバーナは互いに謝り、席に着く。バイドンが咳払いを一つついて改めて口を開く。
「アキト殿、儂もお主を責める気は全く無い。元はと言えば、シルバーナが自らの導術をアキト殿に伝えなければ、このような事態にはならなんだ。」
「しかし…。」
「いいえ、アキト様…。お祖父様の仰る通りなのです…。」
シルバーナは本当に申し訳無さそうに俯いていた。
「しかしシルバーナよ。お主もアキト殿の役に立つために、覚悟の上であったのであろう?」
「それは…、もちろんです!アキト様の役に立つと決めた時、後の事などどうなろうと構わないと、心に決めました。そして、アキト様はこんな私を受け入れてくれました。私はそれで充分なのです!」
バイドンの問いに、シルバーナは強く肯定する。
「と言うわけだアキト殿。アキト殿が責任を感じる事は何も無い。」
「はい……。」
アキトは少しばかり不服なのか、返事に濁りがあった。
「つかぬ事を訊く。」
「……何でしょうか?」
「アキト殿はシルバーナをどう思う?呪導術を使えるのを知って、どう思った?」
アキトはバイドンの問いの意味が良くわからず、少し悩んだが、思ったままを伝える。
「シルバーナ様は素晴らしい方です。僕は彼女を尊敬しています。呪導術の事を聞く前も後も、何も変わり有りません。」
アキトは淀みなく答える。そこに迷いは全くなかった。
「そうか……。ありがとう、それで充分だ……。その言葉が、ずっと聞きたかったのだ……。」
バイドンは左手で目を覆い、少しの間だけ目を隠す。
「アキト殿。儂は確信した。お主ならば儂の孫を任せられると。」
アキトは無言で頷く。相変わらず顔は険しかった。
「そう気に病むな。孫もお主に遠慮してしまう。」
「…すみません…。」
「実際、今回の件が無くとも、シルバーナの事は何時までも隠し通せるとは儂も思っておらなんだ。いつか知られる、それが今だっただけの事よ。」
アキトはバイドンに気を使わせている事に気付いていたが、どうしても笑顔を作る事が出来なかった。
「アキト殿。儂は何故この国にシルバーナを匿う事を選んだと思う?」
「それは……、シルバーナ様の導術に対する偏見が無い為、ですか?」
「左様。話に聞いて知ってはいたが、お主や他の方の反応を見て確信できた。人族は呪導術に対する偏見が少ない。この国で暮らす分には、シルバーナは己の力が知られぬ様気をつける必要が無いのだ。」
ヨミ国、というより人族にとっての導術は、あくまでも“便利な技術”でしかなく、導族のように“誇り”に思う人物は少ない。
導族は、自衛の手段から仕事に至るまで、導術ありきの文化となっている。故に、生命線でありアイデンティティである導術を使えなくさせる“呪導術”に対して、大きな恐怖を抱く。それが差別の一要因となっているのである。
一方、人族は機械を始めとした様々な科学技術を利用できる為、導術が無いと生活できないほどではない。(ヨミ国では、導術がかなり生活に浸透して来ている為、実際には無いとかなり困る事になる。)導術が使えなくなったとしても生きられる。その余裕が有るために、呪導術を怖れる文化となっていないのである。
加えて、増え続ける導術犯罪を取り締まる為に、警察などでは導術犯罪者に対抗するための手段として呪導術を推奨する動きまである。シルバーナほどの使い手であれば、引く手数多であろう。
「儂は、もしシルバーナが後を継げないとなった時は、この国に住まわせようと思っておる。この国は導族に対する差別も少なく、導権(人権のようなもの)も充分とは言えぬがある程度整備されておる。アビス王国で肩身の狭い生活をさせるよりは、良い暮らしができるだろう。」
アキトは、その言葉には同意しかねた。差別が少ないと言っても、それは他の人族国家と比べればである。やはりかつての敵国であり、見た目に明確な違いがある以上、根深い差別は未だにある。
しかし、それでもバイドンはこちらの方が導族国家に居るより良いと言っている。
(それほどに、僕がバラしてしまった内容は深刻な物だったのですね…。)
アキトは目を閉じ、自らの行いを深く悔いた。バイドンは、そんなアキトを横目に話を続ける。
「しかし、そこはやはり外国だ。色々と文化の違いにより、ままならない事もあるであろう。
そこでだ、アキト殿。お主には、シルバーナを守るだけでなく、この国で生きていく為の補佐をして欲しいのだ。」
「僕が…、シルバーナ様の補佐を…?」
「左様だ。シルバーナは儂自らが教育し、躾け、育ててきた。しかし、導族の事を儂は教えられても、人族の事は教えられぬ。しかし、もしも将来ヨミ国に住む事になるなら、人族の事を良く知っておかねばならぬ。その為にシルバーナを、お主のような信頼できる人族に預け、共同生活を通してこの国に親しみ、この国で生きていく為の知恵を得て欲しいと儂は願っている。」
アキトは思う。もしもシルバーナが自分のせいでアビス王国に居られなくなったのだとしたら、彼女をヨミ国で暮らせる様に、居場所が出来る様にするのが自分の責務なのではないのかと。
「お主には大変迷惑な話であろうが、儂はこの子が心配なのだ。どうか頼まれて欲しい。弱みに漬け込むようで大変心苦しいが、お主がエミリオの事で負い目を感じているなら、この子が一人前となるまで補佐してくれる事がその償いとなると思って頂きたい。」
アキトは、バイドンの気遣いに感謝した。バイドンの言葉にアキトを責めるような意志は感じられなかった。償いの方法を提示する事により、アキトの心を助けようとしてくれたのだ。
「ありがとうございます。もう、僕は大丈夫です。」
「そうか…、では…。」
「…はい!」
アキトは覚悟を決めた顔になる。
「僕は、シルバーナ様を守り、この国で生きていける様に補佐する事をここに誓います。しかし、僕一人の力のみで目的を達成するには些か不安があります。だからヤクモさん、もし何か有れば、すぐに頼らせて下さい。そして公爵閣下、生活面で金銭的に困った時には、頼らせて下さい。どうか、僕に力を貸して下さい。お願いします!」
アキトは席を立ち、しっかりと深々とお辞儀をした。
「わかりました、アキト様。このヤクモ、有事の際にはすぐに駆けつけ、あなた様とシルバーナ様をお守り致しましょう。」
「うむ、その言葉を聞いて安心した。費用の事は儂に任せよ。お主は何も気にする必要は無い。
シルバーナよ。お前はアキト殿の言うことを良く聞き、彼に良く尽くすのだぞ。」
「はい!もちろんです!アキト様に誠心誠意尽くし抜き、自らもまた立派な導族となる為に努力を惜しみません!」
「ヤクモさん…、公爵閣下…、シルバーナ様…、ありがとうございます!」
アキトの顔には笑顔が戻っていた。
(地味に、ハブられていますねぇ。)
キツネは胡散臭い笑顔の下で、少しだけ凹んだ。
しかし、いつまでもそのままではいけないので、気を取り直して口を開く。
「さて、話がまとまりましたね。これより、シルバーナ様はアキト君の庇護下に置かれます。シルバーナ様の扱いは、フェルミ公爵に気に入られたアキト君の所にホームステイしに来たと言う形にするのが無難でしょう。」
ヨミ国での生活に慣れる為なら、特別扱いはしない方が良いとキツネは言う。
「そうですか。では、様付けはしない方が良いでしょうか?」
アキトは確認の為にシルバーナに問う。
「はい!私の事はルビィと呼び捨てで構いません!」
「わかりました。ではルビィも僕の事を呼び捨てで構いませんよ。」
「あ、いえ…、それはちょっと…。」
シルバーナはいきなり馴れ馴れしくなる事が憚られ、遠慮する。
「では、さん付けかお兄さん呼びでお願いします。」
「えっと…、それではアキトお兄さんで…。」
しかし、少しでもアキトに近づきたい為に、他人行儀な“さん付け”ではなく、“お兄さん”呼びにする事にした。
「はい!これからよろしくね。ルビィ!」
「あ…、はい…、あ、あ、アキトお兄さん…。」
シルバーナは気恥ずかしさに顔を真っ赤にして俯いた。
それは、アキトとの距離が縮まった気がして、思わずにやけてしまっただらしない顔を隠す為でもあった。
「微笑ましいですねぇ。そこまで仲が良いなら、もういっそのこと2人の名字を同じにしてみては如何です?」
そんな2人を茶化すように、悪い笑顔のキツネが言う。
「ええ!?そんな、私なんかが…、そんな恐れ多い!」
シルバーナは狼狽える。“同じ名字”と聞いて、ある関係を思い付いたのである。
「で、でも…、あ、アキトお兄さんさえ、その、宜しければ、い、いつかは、そうなれたら良いな、何て…。」
口ではなんだかんだ言いながら、実際は少しだけ期待しており、ちらりとアキトの方を見る。
「そうですね。ホームステイですから、ルビィは僕の家族になる訳です。僕の“妹”なら、同じ名字で良いと思います。」
「あ、ああ…、はい、そうですよね…。」
アキトは先の話の下りを、シルバーナが自分を“お兄さん”呼びした事から、妹になりたいのだと判断した。
一方、シルバーナはアキトが年上男性という事で“お兄さん”呼びをした。兄弟になりたいからという訳では無かった。
その意識の違いが、両者の食い違いをもたらした要因であった。
2人のやりとりを横目で見ながら、バイドンはキツネに小声で話しかける。
「あれで本当に大丈夫だろうか?」
「そこばかりは、シルバーナ様に頑張って頂く他有りませんねぇ…。」
「アキト殿は本当に気付いておらなんだか?」
「ええ…、恐らくは。なにせアキト君ですから…。」
長い目で見守るしかないとキツネは語る。
「そうか…、早く曾孫の顔が見たいのだがのぅ…。」
バイドンは残念そうに小さく呟いた。
キツネは運ばれて来たおすすめ料理を食べながら、しばらく談笑するシルバーナとアキトを眺めていたが、自身の携帯が鳴るのに気付く。
「少し、失礼しますね。」
そう言うとキツネは部屋を出て、携帯を取り出して何やら話す。そして、何事も無かったかのように部屋に戻って来た。
「さて、話もまとまりましたし、そろそろここを出ましょうか。」
キツネは時計を確認しつつ、アキト達を促した。
「そうですね。ルビィ、行きましょう。忘れ物は無いですね?」
「はい!大丈夫です。アキトお兄さん!」
アキトはシルバーナを連れて歩いて行く。シルバーナはアキトの手を握ろうとして躊躇した所、逆にアキトから握られて、にやけ顔を必死にこらえながら幸せそうに連れられて行った。
「アキト様、シルバーナ様、足元にはお気を付け下さい。」
その後をヤクモが追い掛けるようについて行く。しかし、バイドンは席を立ち上がる様子が無かった。
「それで、儂に何か用か?キツネ殿。」
「ンッフッフッフ。お気付きですか、流石は公爵閣下。ヤクモさんは気をつかって先に行ってくれたようですね。」
キツネもまた、席に着いていた。
「閣下から頼まれた調査の結果が出たので、その報告を。」
バイドンは眉を顰め、キツネを見る。
「して…、結果は…。」
「閣下の予測した通りでしたねぇ。」
「そうか…、やはりな…。」
バイドンは虚空を睨み付けた。先ほどまでの好々爺然とした雰囲気は一変し、獰猛な瞳が見えぬ敵を見据えていた。
「今回の作戦は、目の付け所は良いですが、如何せん詰めが甘かったですからねぇ。」
キツネは真っ黒な笑顔で愉快そうに笑う。
「上手く行けば、確かに効果的な作戦でした。しかし、知られてしまうと逆にとても危険です。
それなのに、その情報の管理や、情報が漏れた時の対策が杜撰でしたねぇ。」
エミリオ達の作戦は、バイドンやシルバーナを殺害し、その罪をヨミ国になすりつける物であった。政敵を始末しつつ、国内強硬派の立場を強める一石二鳥を狙った物である。
しかし、もしもその犯行が実際は導族の強硬派による物である事がわかれば、一気にアビス王国内の強硬派の立場は悪くなる。なにせ、領民からの人気が高いフェルミ公爵を手に掛け、罪の無い人族に濡れ衣を着せ、偽物の大義名分で国民を騙し、沢山の犠牲者が出るであろう戦争に突き進もうとしていたのだから。
「それに、もしも上手く戦争に持ち込めたとしても、いずれは嘗てのあの戦争のような結末になるでしょうねぇ。」
30年近く前に起きた人族と導族との戦争は泥沼化し、疲弊しきったアビス王国民は穏健派に流れた。故に、当時の王を誅殺した故デモロド前国王は、父殺しの罪を犯しながらも、国民から受け入れられたのだ。
今と昔では状況は違うが、今でもアビス王国の国力は人族国家を圧倒する程では無い。すぐに負ける事は無くとも、勝つ事も難しい状況のままなのである。
そんな状況で戦争を始め、もし泥沼化させれば、民衆は皆強硬派から穏健派に流れるであろう。
「全くもって、先が見えていない計画ですねぇ。…いえ、ある意味これは予想通りと言う事でしょうかねぇ。」
エミリオ達の計画は、失敗してもしなくても、遅かれ早かれ必ず強硬派は衰退する。
もし本当に強硬派を維持したいのなら、勇み足で戦争を起こさず、民衆の心を掴み、力を蓄え時期を待ち、勝てる戦争を仕掛けるべきであった。
今の状況で戦争を仕掛ける事は、強硬派を抑える方向に傾くだろう。それで得をするのは…。
「部下の管理は上司の仕事ですよ?公爵閣下。」
「返す言葉も無い。儂はシルバーナ以外には放任主義故、余り干渉しなかったのでな。少々、遊ばせ過ぎてしまったようだ。」
キツネは歯を剥き出して笑顔を作り、バイドンは牙を剥いて笑顔を見せる。
「で、如何しましょう?」
「決まっておろう。やんちゃな部下に“躾”をしに行くのだ。」
「良いですねぇ。私も一枚噛ませてもらえませんかねぇ?」
「無論だ。キツネ殿に力を貸して貰えると心強い。」
バイドンとキツネは立ち上がり、しっかりと握手をした。
「さて、そろそろ行かぬとシルバーナに怒られてしまうわい。」
「そうですねぇ。ああそうだ、一つ気になっていたのですが…。」
「何かね?」
キツネは、前から気になっていた事をバイドンに尋ねる。
「私が閣下に、シルバーナ様を利用したいと申し出た時、正直なところ反対されると思っていました。大事なお孫さんですからね。しかし、実際には閣下はすんなりと承諾して下さいました。アキト君が強く反発する程の事なのにも関わらずです。」
「そうか…、アキト殿は、心配をしてくれたか…。」
バイドンは、アキトがシルバーナを本気で心配していたと聞いて満足そうな笑顔になる。
「何故閣下はシルバーナ様が利用される事に反対なさらなかったのですか?」
バイドンはキツネの目を見る。キツネはバイドンの人物を見極めようとしているように見えた。
「それは…、その方が色々と都合が良いと思ったからだのぅ。」
だからバイドンは、包み隠さず伝える事にした。
「儂はお主と会い見えた時に、“使える”と感じた。儂がここで協力することでお主が功績を立て、ヨミ国での影響力を高めれば、そのお主とのパイプは有益な物となろう。お主の部下は優秀な者が多く、その助けのおかげで儂もシルバーナも助かった。お主と仲良くしておけば、お主の優秀な部下の力を得る事が出来よう。儂はお主に期待し、そして活用しようと決めた。そのための信頼の証として、お主に協力したのだ。」
悪びれなく、淀みなくバイドンは告げる。キツネは“利用できる”と打算的に計算をしたのだと。
キツネはその言葉に少しだけ呆気にとられたが、すぐにまた胡散臭い笑顔を貼り付ける。
「ンッフッフッフ。あなた様もなかなか薄情な方ですねぇ。私の人柄はご存知でしょう?どんな危険な事にシルバーナ様を利用されるかわかったものでは有りませんよ?お孫さんが心配では無かったのでしょうかねぇ。」
キツネの挑発的な発言にも、バイドンは全く動揺しなかった。
「お主はシルバーナを利用し尽くすつもりであろう?あれは、少々特殊な事情があるが、アビス王国の王族だからのぅ。ならば、こんな所で犬死にさせるよりも、生かして利用しようとすると儂は踏んだのだ。違うかのぅ?」
バイドンはわざとらしくキツネの笑顔の真似をした。口では非情に徹してしる様子でも、言葉の端々から怒りが感じられたため、シルバーナを危険な目に遭わせた事自体には憤っていたらしい。わざとらしい言動はキツネに対する当て付けの意味もあった。
(なるほど、アキト君が私を嫌いになる訳ですねぇ。ここまで腹の立つ顔をしていれば、それも無理無い…。)
キツネは内心かなり苛立ちながらも、不思議と喜びが湧き上がるのを感じた。初めて“仲間”と出会えたような感覚であった。
「ンッフッフッフッフ。確かに、あなた様の言う通りですねぇ。いやはや、お見それしました。あなた様もなかなかに“黒い”ですねぇ。」
キツネは更に黒い笑顔になる。
「いやいや、キツネ殿には遠く及ばぬよ。」
負けじとバイドンも凶悪な笑顔を見せる。
「さてと、さすがにそろそろ行かぬか?これ以上待たせたら孫に怒られてしまうわい。」
「そうですねぇ。行きましょうか。閣下、貴重なお時間を取らせて頂きまして、誠にありがとうございました。」
「いやなに、大変有意義な時間であった故、そこまで畏まる事はない。これからも宜しく頼むぞ?キツネ殿。」
「ええ、おまかせ下さい公爵閣下。ンッフッフッフッフッフ。」
バイドンとキツネは出口へ向かう。二人の顔は笑顔であったが、その仮面の下には、黒い何かが蠢いていた。




