第28話
アキトが隊員と共に一階に降りていたころ、コウガはエミリオを追い詰めていた。
「はあっ!」
エミリオは荘厳な意匠を施された綺麗な騎士剣を、まるで優雅な演武を舞うように美しい動きで自在に扱う。
エミリオの一閃は大気を揺るがし、音叉を鳴らすような風切り音を立てて、コウガのリビングアーマーを紙を切るかの如く容易く切り裂く。
一方リビングアーマーの攻撃はエミリオの近くにある不可視の壁に阻まれ軌道がずらされ、まるで自ら避けるかの如く悉くエミリオを外す。
(なかなか強力な導術ですね。高速振動により極限まで切れ味を上げた剣撃に、無理なく攻撃を受け流すまたは自身を吹き飛ばして距離を取り回避する風の壁。まともに1対1では、もっと苦戦していたでしょうね…。ですが!)
エミリオの額には汗が滲み、息は荒くなり、端正な顔は疲労に歪む。絶え間なく戦い続けて体力を消耗して来ていたのだ。
いくら強力な剣撃であろうと、振らなければ物は斬れない。また、風の鎧はその特性上、重い攻撃には術者自身を逃がすように作用する。
コウガのリビングアーマーはエミリオに付かず離れず間を置かず、休む間を与えず四方八方から攻撃を加える。
エミリオを大袈裟に動かすように立ち回り、とにかく体力を削るように行動していた。
エミリオは途中からコウガの意図に気付き、長期戦は不利と急ぎコウガの下へ突撃しようとするが、図ったようなハルバードの重い一撃にエミリオの風の鎧は自動で彼を後方へ逃がし、コウガに距離を取られてしまう。
リビングアーマーは半端に斬っても倒せず、完全に動けなくなるまでバラバラにする必要がある上、攻撃を上手く避けてくるため一体を倒すにも時間と体力がかなり消耗する。なのにコウガは涼しい顔で倒された分のリビングアーマーを召喚して補充する。
敵は一応倒すことは可能で、未だエミリオは無傷ではあったが、先の見えない戦いにエミリオの心も体も折れかける。
「だが!しかし!私は負けない!負けるわけにはいかないのだ!英雄は決して負けん!」
エミリオは己を鼓舞して立て直す。そしてそのまま目の前のリビングアーマーを真っ二つにする。
(はあ…、あの気概、もう少し別の方向で発揮できていればなぁ…。
それにしても、動きが大袈裟すぎて隙が多く、体力消耗が激しいですね。体力配分もなっていません。その割に戦い続ける程の体力もついてないと見えます。
導術は一級で、剣の技術はそれなりですが、如何せん戦い慣れしていないと見えます。演武や試合ではそこまで実戦形式の訓練になりませんからね…。
アビス王国も平和になって長いですからね…。いえ、それはとても良い事なのですが。)
コウガはついつい教師目線でエミリオを見る。耳長族は人の二倍程度の寿命を持ち、老化もその分遅いが、それを加味しても目の前の青年は40は行かないと見えた。
アビス王国は30年近く前に人族との戦争が終わった後、大きな戦いも無く、平和を謳歌していた。
ナラカ大陸の周辺諸国とも表面上は仲良く(人族と言う共通の敵がいたため)、ヨミ国を通して人族国家とも休戦協定を結んで久しい。そんな中で戦いに慣れることなど有りはせず、エミリオの有り様も無理はなかった。
「くふう…、はあ…。」
「そろそろ潮時ですか?」
疲労困憊のエミリオにコウガがトドメを刺そうとした時、銃声が聞こえた。
「…これは、アキト君!?」
コウガは銃声に気付き、リビングアーマーにエミリオを任せ急ぎ救援に向かおうとする。
「うわあああ!」
コウガの耳に男性の声が聞こえた。しかしそれは、一階の隊員の声では無く、階段の上からであった。
(何故ここに男子生徒が!?逃がし忘れたのか!?)
屋上に続く階段の上の方に男子生徒が腰を抜かしているのが見えた。
「風操導術・空伝如意斬!」
「何!?」
見ると、エミリオが生徒目掛け斬撃を放とうとしていた。生徒は恐怖に身を竦め、逃げる素振りも見せない。
(くっ!間に合え!)
コウガは急ぎ飛び出し、生徒を守ろうとする。コウガ自身の着る鎧が、一番強度が有るからである。
「フン!」
コウガはなんとか間に合い、その身で生徒を風の刃から守る。鎧には傷一つ付かない。
「はあ…、大丈夫で…!」
コウガはその続きを話す事ができなかった。
(まあ…、冷静に考えて見れば、こんな所に都合良く生徒がいるなんて有り得ないですよね…。)
コウガの腹に、黒い刃のナイフが突き立つ。コウガのリビングアーマー達も、コウガ自身の鎧も皆消え失せた。突き立てた本人は顔が歪み崩れ、その下からギザギザの歯と長い舌が見えた。
「蜥蜴型導族…。お得意の擬態導術ですか…。」
「くけけっ!まんまと騙されたな!このまま落ちなあ!」
蜥蜴男がコウガを押して階段下へ落とそうと突き飛ばす。
「うるあああ!」
「なっ?うぎゃあああああ!」
しかし、後ろから落ちそうになった時にとっさに蜥蜴男を掴み、思い切り勢い付けて転がり落ちる。油断していた男は何も出来ず、なすがまま転げ落ちる。
男は何度も何度も顔面を階段に打ち付け、そのまま階段の反対側の壁に衝突する。
蜥蜴男は腕や足が皆変な方向に折れ曲がり、顔面から血を流して泡を吹いて失神していた。
「はあ、はあ、流石はコウガ殿といった所か…。ザドも良くやったが、油断したな。」
エミリオは息を整えながらコウガに近付く。コウガは衝撃で傷が深くなったらしく悶絶していた。
「まさか…、縁絶鋼製の武器を用意していましたか…。導族にとっては忌むべき武器なのに…。」
コウガは己の腹に突き立つ黒いナイフを睨む。
縁絶鋼は人族が戦争中に開発した合金であり、接触した導子を霧散させて導術を破る特性を持つ。人族の軍隊はこれを銃弾に用いて転移鎧対策に利用しようとしたが、作るのにコストがかかり、接触して転移を無効化する前に転移されてしまうと言う短所が発覚、また特定の導族には効果が薄い事もわかった。結局、敵の導術を無効化することで重要拠点を攻めにくくするような、防衛よりの運用方法に落ち着いた。
導族にとっては導術はアイデンティティに近く、それを十二分に発揮する事が一人前の証であり、また最も得意とする自衛手段である。それを無効化する武器は、心も体も傷つける悪魔の武器として忌み嫌われ、蔑まれている。
「そう言ってくれるなコウガ殿。今の我々は導族を憎むテロリストでもあるのだ。そんな奴らが持つ武器としては最適であろう?」
エミリオは自嘲するように口元を歪める。心底このナイフが嫌いらしい。
「本当ならば、公爵を殺すのに使いたかったのだが…、如何にせん効きが薄くてな。だが、一応用意しておいて正解だった。あなたの導術には大変良く効いたみたいだからな。」
バイドンの導術は実体のある土操導術であるため、例え導術が破れても土は残る。ただのナイフが土を削るのは至難の技であるため、エミリオはこのナイフを用いたバイドン殺害は諦めたらしい。一方召喚導術により形成された物は、導術が破られた際にその場から消え去る特徴を持つ。この性質のため、コウガの鎧はナイフを防げなかった。
「それに…この感覚は…、呪毒ですか…。」
呪毒はアビス王国に伝わる呪導術の一つで、導術を封じる手錠があるように、導族国家の囚人に施される拘束呪である。原理としては、体内に呪毒を流し込む事で、導子を集め放出する器官に呪毒が沈着し、導子の動きを阻害する事により、導術を発動出来なくする仕組みである。
この導術も先の武器と同様、導族に忌み嫌われており、それを施す職業の導族は余り良い目で見られない。身分の低い者の仕事とされるが、呪毒自体は難しい技術であり、使用者自体は優秀である必要がある為、主に知識奴隷がその任に就く。呪いを中和する導術を使えば再び使えるようにはなるが、今のコウガにそのような方法は無かった。
「左様。誇るが良い、コウガ殿。偽物の人質に禁忌の武器、囚人に施すような卑しい導術を使わねば勝てぬ程にあなたは強かった。しかしあなたも言っただろう?戦場とは、騎士道とは程遠い卑怯で暴虐に満ちた物であると。」
エミリオは嘲りに満ちた目でコウガを見つめる。それはエミリオ自身をも嘲っているようにも見えた。
コウガが四つん這いになり、負傷した部分を庇うようにしながらエミリオを睨む。傷は内臓を避けていたが深く、血もかなり失った。導術も無しにまともに戦う力はなかった。
「さて…、それでは人質に…。」
エミリオがコウガを拘束しようとした時、連絡が入る。
「…なんだ?今忙し…、何!?ネイクスが敗れた?どういう事だ!あの転移導術使いと銃しか持たない奴らに負ける筈が無い!木導術使いも今離れている筈…。そうか、なるほど、シルバーナ様が…。クソッ!」
(どうやらエミリオは私を引きつける囮でしたか、やられましたね…。転移鎧所持者が相手で、シルバーナ様と協力して倒したといった所ですか。良くやりました、アキト君!)
苛立つエミリオに対し、コウガは教え子の活躍を自分の事のように喜ぶ。
「チィ!まあ良い。」
エミリオはコウガの口に布を挟んで自害を防ぎ、手足を縛って拘束する。コウガは抵抗しようとしたが、力が入らず徒労に終わった。
「寮のスピーカーは…、これか。」
エミリオはマイクを手に取りアキトを呼び出す。
(足手まといになってしまうとはなんて情けない…。教師失格です。アキト君、どうか私を見捨てて逃げて下さい!)
コウガは祈るように、アキトの非情を願った。
しかし数分後、そんなコウガの祈り虚しく、階段を登る足音が聞こえてくる。
(来ては駄目です!逃げて下さい!)
コウガは必死で喋ろうとしたが、口を塞ぐ布に邪魔され上手く言葉にならない。
「フン!逃げずに来たか!姫を騙し攫った盗人め!余りに遅いからコウガ殿を殺す所であったぞ?」
エミリオはアキトに向かい凶悪に笑う。
「そんな事をしたら、今度こそ脇目も振らず逃げますよ。」
アキトは無表情に冷たくエミリオを見つめる。コウガを一瞥した時は一瞬安堵の色が見えたが、すぐ色を失う。
「フン!いかにも盗人らしいな!貴様にはどうやらプライドは無いらしい。」
「無謀に戦い、名誉の戦死を遂げることがプライドなら、確かに僕には有りませんし、持ちたくもない。」
「フン!やはり貴様は騎士では無いな。この盗賊め!だが、それで良かった。この剣は悪を斬るためにある。貴様が悪であれば遠慮無く斬ることが出来る。盗賊を討伐して捕らわれの姫を救い出す。なんとも美しい英雄物語、この私にふさわしい。」
エミリオは自身の剣を抜いてうっとりとし、アキトは心底興味無い様子で見つめる。
「それで、私の姫はどこにいる?わかっているだろうが、もし連れてきていないなら…。」
「私なら此処にいます!後、私はあなたの姫ではありません!」
アキトの後ろの方から、シルバーナが現れる。
「ああ!何という事だ!姫はまだ盗賊に騙されているのか!おのれ、盗賊め許さん!見ていて下さい姫よ!今こそ盗賊の化けの皮を剥がし、あなた様の目を覚まさせて差し上げましょう!」
エミリオは芝居がかった口調で話す。完全に自分だけの世界に入っていた。
「では、そろそろ始めようか。決闘の形式はどうする?互いの導術を禁止にしてやろうか?」
「いえ、あの手錠は嫌ですし、本気で戦えないのはあなたも本懐では無いでしょう?ここは導術でも何でも有りと言う形式でどうでしょう?」
「フン!盗賊にしては殊勝な心掛けだな。良かろう、後悔するなよ?」
アキトの提案にエミリオは内心安堵する。導術を使う余力こそあるものの、先の戦いで疲労困憊の体では、剣を満足に振るえるか不安であった。しかし導術が使えれば、どんな物も断ち切る剣に、生半可な攻撃の通用しない鎧、アキトに勝てる要素は無かった。
「それと一つ。」
「…何だ?」
「シルバーナ様とコウガ先生をまとめて遠ざけたいのです。決闘の最中に怪我させたくない。」
「…まあ良かろう。ただし、目の届く範囲でだ。」
「では、廊下で闘う僕たちの間の、丁度中間位置の部屋は如何でしょう?」
「ああ…、それで構わん。」
エミリオは興味が無さそうであった。アキトの提案により自らの勝ちは確定であると思っていた彼にとって、そんな些末な事はどうでも良かった。
アキトはエミリオの許可を取り、シルバーナとコウガを二人の間に位置する部屋の中に入れる。
「ではいくぞ。例によって立ち会い人は居ない、諸々の儀礼も無しだ。だが名乗りはしよう。」
エミリオは格好をつけながら詠唱し、音の剣と風の鎧を身に着けながら名乗りを上げる。
「我が名は偉大なるアビス王国貴族、シルフブリード子爵が長子にして次期当主、そして純血導盟騎士団第一戦闘部隊隊長、エミリオ・シルフブリード。いざ、悪しき賊に聖なる罰を下さん!」
「…国立導力開発総合学園召喚導術コース所属、アラカミ・アキト。絶対に先生を助けます!」
アキトはエミリオから借りた剣を召喚し、構える。互いの間に緊張が走り、静寂が訪れる。
「う、あああああ!」
先に静寂を破ったのはアキトであった。アキトは剣を放り投げ、銃を召喚して撃ちながらエミリオに向かって走る。
「フン!やはり卑怯な武器が貴様にお似合いだ!」
エミリオは涼しい顔をして微動だにしない。弾丸はエミリオに向かうが全て目の前で軌道が逸れる。
(なるほど、やはりそういう導術ですか!)
導術に置ける詠唱は、導術の威力を補強し、正確に導術を発動し易くさせ、導子消費量を減らす効果がある。反面、時間がかかる、導術内容が相手に予想されるという欠点がある。アキトはエミリオの詠唱を聞いて内容を予想し、鎧の方は予想通りであった。因みに、詠唱内容がフェイクで相手に勘違いさせる技術もあるため、その確認も兼ねていた。
(ならば!)
アキトは右手で銃を打ちながら密かに左手に何かを召喚しする。
「何をしようと無駄だ!」
エミリオは余裕の笑みを浮かべながら歩き出す。
「召喚!」
「何!?」
アキトが右手の銃を捨て召喚を行うと、アキトとエミリオの間に木の壁が現れる。大きな古いベッドであった。壁に寄せられた位置で縦に召喚されたため、完全にアキトを隠す。
このベッドは、アキトの実家近くにある不法投棄場所に捨てられてあった物を拾って来た物である。いつか役に立つのではと、取っておいたのだが、本来の用途と違う方法で役に立った。
「小癪な!」
エミリオは一瞬驚いて硬直した後、ベッドを斬り捨てようと構えるが、何かが反対側の壁に当たり跳ね返って向かって来るのに気付いた。
「閃光弾か!?」
果たして、その予想は当たり、大きな音と閃光がエミリオを襲う。とっさに目と耳を塞いだためダメージは軽微であった。
「ぐあっ!クソッ!舐めた真似を!」
エミリオは怒りに任せベッドを斬り捨てる。しかし、そこにアキトの姿は無かった。
「ハッ!まさかっ!」
エミリオはアキトの思惑にようやく気付く。アキトがベッドを召喚した場所の近くの部屋は、シルバーナとコウガを入れた場所であったのだ。急ぎ部屋の中に入ると、最悪の予想の通り、コウガもシルバーナもアキトもいなかった。
「あああああのクソ盗賊めがあああああっ!」
エミリオは自身が嵌められた事に気付き、余りの憤りに額の血管が切れそうな勢いで浮き出ていた。
(ふう、まずは第一段階は成功です…。)
アキトは一階下の部屋のドアをゆっくりと開け、油断無く辺りを見回しながら廊下に出てくる。
アキトは最上階に来るまでに、予め転移契約陣を描いた紙と縄を召喚して、シルバーナの着るアキトのぶかぶかな服の下に隠し持たせていた。もともと翼が入って膨らんでいたため、怪しまれることは無かった。
シルバーナは、コウガと共に部屋に退避すると、エミリオから死角になる位置に転移契約陣を広げてコウガを寝かせ猿ぐつわを外した。コウガはそれで察したため、悔しそうにしていた。そして、ベッドの柱に縄を結びつけ、コウガが召喚により外してあった窓から、縄を下の階に向かって降ろした。下の階の窓もまたコウガが先に外してある。そして、アキトとエミリオの戦いが始まると、エミリオの導術を見ながらいつでも飛び出す準備をしていた。
アキトは閃光弾を投げつつ部屋に飛び込むと、コウガと急ぎ転移契約を結び、先にシルバーナをキツネの居た建物に転送、そしてすぐ後にコウガを同じ所に転送した。そして自身は手袋を召喚して縄を掴み、急ぎ下の階に逃げたのである。
コウガが危ない状態であったため、シルバーナには急ぎ救急隊員に伝えるように言い含めてある。これによりしばらくはシルバーナは召喚できないため、アキト一人で戦う事になる。
(おそらく相手は非常に怒っているはずです…。気を付けないと…。)
アキトは壁づたいにゆっくり歩き、壁に細工をしながら歩く。
「おい待て…亜人のクソガキ。」
アキトは立ち止まる。廊下の先の暗闇の中から揺らめく人影がゆっくり現れる。月明かりに照らされ、けむくじゃらで凶暴な目つきの導族の顔が浮かび上がる。
「たしか、ゴーラでよろしかったですか?」
「気安く呼ぶんじゃねぇよ、この亜人が。」
ゴーラは鋭い牙を剥き出して威嚇する。
「エミリオ様の命だ。てめぇを拘束する。喜べ、命までは取らん。ただ、手足の3、4程度なら好きにして良いそうだ。あの小娘を召喚させて、小娘が恥辱にまみれてお前を呪いながら死んでいくのを眺めさせつつ、絶望の中で殺してやろう。」
「…………。」
アキトは冷たくゴーラを見る。
「いくぞ亜人!」
ゴーラはドラミングのように胸を叩き、勢いをつけてアキトに突撃する。アキトは急ぎ近くの部屋の中に入り戸を閉める。
「逃がすかぁ!」
ゴーラは勢いをつけて戸を蹴り破り、中に突撃する。そしてそこで見たのは、
「クソッ!」
ピンの抜けた閃光弾であった。
「ぐおおお!」
強烈な閃光と爆音に見まわれる前に目と耳を塞いだため、なんとかダメージは軽微であったが、目と耳を塞いでいるその隙に、入り口近くのクローゼットに潜んでいたアキトに部屋を脱出される。
「しまった!クソッ!だが逃げられると思うな!」
ゴーラはアキトに逃げられた事に気付き、急ぎ追い掛けようとするが、すぐ少し離れたアキトがこちらに振り向き、何か投げようとしているのが見えた。
「また閃光弾か!芸がねぇ!」
アキトが投げて来た物を見て、再び目と耳を塞ごうとした。
(待てよ?もし普通の手榴弾や硝煙手榴弾だとしたら…。)
ゴーラはタウロと同じ気導術使いであり、身体能力を格段に上げる技を得意とする。その派生で、自らの体の筋肉を硬化させる技も使えた。
しかし、いくら防御力が上がるとは言え、生身では痛みがあり、深い傷にはならなくても、機動力は幾分か落ちてしまう。そうなれば、アキトに逃げられる可能性が高くなる。
(ここは蹴って遠ざけた方がいいな。ついでに奴にそのまま返してやろう!)
そう考えたゴーラは目と耳を塞ぐのを止め、笑いながら転がる物体に目掛け思い切り脚を振り上げる。
「ハッハァ!そぅら!返すぜェ!」
ゴーラは思い切り物体を蹴ろうとして、
「召喚」
「ふぇ?」
出来なかった。ゴーラが蹴ろうとした瞬間、アキトはその物体を手元に召喚したのだ。勢いをつけて蹴ろうとして肩透かしを食らったゴーラは体勢が崩れ、頭の中は困惑が埋め尽くした。
「転送」
「なあ!?」
アキトが手元に召喚した物体は再びゴーラの近くに出現した。
アキトは、壁に細工として転移陣を書いて回っていたのだ。黒で描いたそれは暗闇に紛れ、ゴーラには良く見えなかったのである。
「うおおおおおおおおお!」
ゴーラはなんとか逃げようとするが、体勢が崩れていた状態では上手く動けず、またその時間も無かった。せめて目と耳を守ろうとした所で、その物体は爆ぜた。
「なっ!?うぎゃあああああ!」
目と耳を塞ぎ、体も硬くしたゴーラは体に走る痛みが無いことに一瞬安堵したが、すぐに別の方からの脳を刺すような刺激に悶絶する。
「流石ですね。ここまで強烈な臭いとは、少し離れていても吐き気がします。」
ヤクモ特製異臭爆弾、その爆弾が放つ臭いは強烈である。
この世のありとあらゆる異臭を足して二乗したかのような強烈な刺激臭は、一度直にかけば一週間は何も食べれないこと請け合いの代物である。
ヤクモ曰わく、『まだまだ臭くできますよ?』との事であるが、これ以上は本気で死ぬとアキトは思う。
細かく痙攣し、昼間食べた物をそこら辺りにぶちまけながら、白目を向いて泡を吹いて気絶しているゴーラを見て、アキトは少しだけ申し訳なくなる。
「臭くてこれ以上近寄れませんが、きっと死なないでしょう…多分。」
アキトは『この辺もう使えないかもしれませんね…。住んでる人には申し訳無いです…。』と、避難した生徒に謝りながら、その場を逃げ出すように離れて行った。
アキトが静かに階段を下りていると、不意にアキトの携帯が震える。キツネの携帯を借りたシルバーナからのメールの着信であった。
(良かった。コウガ先生は無事病院に移送されましたか…。部隊の人達も皆運ばれて行ったみたいですね…。『いつでも召喚して下さい』か…、出来ればそんな事態は回避したいですが…。えっ?キツネさんが増援部隊を送るって?大丈夫でしょうか…。)
果たして、アキトの不安は的中する。
下の階から、大量の銃声と男達の叫び声が聞こえてきたのだ。
(そんな!もしエミリオが相手なら、通常の銃弾ではあの風の鎧を突破出来ないのに!)
エミリオの使う風導術に拳銃が効かなかったのは、先の手合わせでわかっていた。しかし、今のアキトにそれを伝える時間は無く、ただ奇跡が起こる事を願う。
「聞こえるかああああ!盗賊があああ!」
エミリオの声が聞こえてきた。いつの間にか一番下の階まで降りていたらしい。やはり特殊部隊と戦ったのは彼で、勝者もまた彼であった。
「お前の仲間を全員捕らえた!今から五分やる!俺の所に姫を連れて来い!今はまだ全員生きているぞ!だが貴様の行動次第ではどうなるか、そのずる賢い頭なら理解できるだろう?」
「アキト君、我らに構うな!君は逃げろォ!」
「黙れェ!」
「ぐっ!?ああああああああああああっ!」
エミリオは隊員の1人の足を突き刺し、隊員は痛みに叫ぶ。アキトはその悲鳴を聞いて、居ても立っても居られなくなる。
(どうしましょう…、取り敢えず現状を早く知らせないと…。僕一人でエミリオの相手は…。
あれ、新しいメールが…、キツネさんからだ…。)
アキトは一抹の不安を抱きながらメールを開く。
「はあ!?」
アキトはキツネのメールから“増援部隊”が派遣された意味を悟る。
「…あの人は…!!」
キツネのメールの内容は、オブラートにこそ包んではいたが、要は彼らを“囮”にしてアキトは逃げ仰せろというものであった。
今のアキトが捕まれば、シルバーナを召喚させられ彼女は捕まる。だからと言ってアキトに自害はさせられない。だから特殊部隊を犠牲にして自分は助かれと。『特殊部隊の人達は職業柄、現場で死ぬ覚悟は出来ている』なんて言葉で嘯き、アキトに甘い声で囁くキツネの顔が見えた気がして、アキトはさっきの臭いを思い出していた。
「…キツネさんの考えは、いつでも合理的ですね…。」
それはアキトの中にも確かにある物であった。キツネの考えを合理的と思ってしまった事がその証拠である。
「僕は、キツネさんと同じ人間です…。」
アキトは目を閉じ思い出す。自らの心の中に確かに居るドス黒い物を。
「…だけど、全く同じでも無いです!」
そしてアキトは、シルバーナの真っ直ぐ凛々しく眩しい瞳を思い出す。自分には眩し過ぎて、近寄れなくて、でもどうしようも無く憧れる物を。
「僕は…、我が儘です、欲張りです、そのせいで皆に迷惑をかけてしまいます…。」
アキトの頭には、シルバーナの声が響いていた。あのどうしようも無く非合理的で理想論な彼女の言葉が、今のアキトの心に染み渡る。
「だから…、すみません。あなた様の力、この非力で愚かな人間にお貸し下さい…。」
アキトは何も居ない所に向かって臣下の礼を取る。顔を上げた彼の瞳に、強い光が宿っていた。
「シルバーナ・フェルミ!召喚!!」
瞬間、アキトの目の前の空間が歪み、中から美しい少女が現れる。透き通るような白い肌に思わず目を奪われ、その煌びやかな銀髪は月明かりに照らされ天の川のように神々しく輝く。
「召喚に応じ、このシルバーナ・フェルミ、ただいま参上致しました。アキト様。」
シルバーナは優雅にお辞儀をし、アキトに微笑む。その綺麗な笑顔に、アキトは勇気付けられる。そして強欲な己の心のままに、口をついて言葉が出てくる。
「僕は…部隊の人達を助けたい!手伝ってくれませんか?ルビィ。」
シルバーナは美しく、本当に嬉しそうに、頬を朱に染め上げてアキトを見つめ返す。
「はい…、喜んで!」
「…ありがとうございます!」
シルバーナに心から感謝を述べてエミリオの居る方を鋭く見つめる。
「…絶対に、助けて見せます!」
決意を固めるアキトの横顔を、月明かりが優しく照らしていた。そこには陰が入る隙間など、もはや無かった。




