第32話
「『砂状楼隠』!」
アキトはコチヤが何らかの方法で倒されたと理解するや否や、地下に居るディアに緊急事態とすべき事とを同時に知らせる合図を出す。直後アキト達の真下から、その場に居る全員を覆い隠す様に非常に濃い砂煙が一瞬にして舞い上がり、またその中で幾つもの石弾がソヨカゼに襲い掛かった。
「遅いよ…『旋風起』!」
ソヨカゼは不明瞭な視界の中でも正確に飛び掛かる石の雨を、軽い身のこなしでその全てをかわし切ると、お返しとばかりに激しい風の渦を巻き起こして砂煙を吹き飛ばす。しかし見晴らしの良くなったその場所には、アキト達の姿だけが見えなくなっていた。
「…地下に逃げたみたいだね。先のはその隙を作る為の目隠しと言った所かな。視界不良に呼吸困難、そのくせ中にいる標的の位置は把握出来ると。確か『砂状楼隠』だったかな?良い補助技じゃないか。」
それはアキトが考案し、公安捜査局に押し寄せた武装警官達を散々に撹乱させたディアの技であった。今回は風使いのソヨカゼが相手である為に簡単に吹き飛ばされたものの、一時的にソヨカゼの視界からアキト達を隠す事には成功し、地下に逃げ果せる時間を稼ぐ事が出来た訳である。
「ねぇ、私達を助けてくれたのは有り難いんだけどさ。ボサッと突っ立ってないで早く大使達を追い掛けてくれないかしら。このままだと逃げ切られちゃうわ。」
ソヨカゼがディアの技を色々と考察していると、その悠長な姿に業を煮やしたボウサが彼に指図をした。するとソヨカゼは肩をすくめて首を横に振る。
「地下に逃げた彼等をかい?冗談はよしてくれ。僕が自由に動けるのは地上と空だけ。それをわかっているからこそ、彼は地中を速く動ける君達をそこに閉じ込めたままにして居るんだよ。」
「む…じゃあ私達がここから早く出られる様に手伝ってよ。地面に潜れない奴と一緒に移動するのはかなり大変だし、今からでも追い掛ければきっとまだ間に合うわ。」
「残念ながら、威力の低い僕の風導術ではこの『檻』に傷一つ付けられやしないよ。悪いけどそこは自力で何とかしてくれないかい?その間の見張りは務めるからさ。」
「チッ…使えない奴。でも奴が私達の弱点を知っているって事は、恐らく私達の裏切りを知って公女様から聞き出したって事よね…一体いつからバレてたの?それにこんな状況、トース様に一体何て報告すれば良いのよ…ああ、もう最悪!」
ボウサは自らの髪をグシャグシャに搔き回すと、ソヨカゼと現状とに悪態を吐きながら『檻』に八つ当たりする。そしてそんな事をしている時間も惜しいとばかりに、目覚めた時から酷い脱力感に苛まれているフウサと共に渋々『檻』の破壊作業に取り掛かる。
「ああ、そうだ。君達は作業に集中したいだろうけど、そろそろ周囲に何か起きないか気を付けた方が良い頃合いだよ。」
「…気を付けた方が良い?それはそっちの仕事でしょ。これ以上負担になる様な事言わないで。」
「あらら、僕の折角の親切心を無下にしちゃう?まあ、別に君達がそれで良いなら僕も構わないんだけどさ。」
「何よ、勿体付けないで。一体何だってのよ。」
作業の腰を折る様なタイミングでのソヨカゼの語り掛けに、ボウサは一瞬無視してやろうと考えたが、その意味深な言葉が気になった。そして中々壊れない『檻』と確実に無くなって行く時間とに焦りながら、必死に破壊作業をしつつ不機嫌そうにボウサは聞き返す。
「君達の閉じ込められたその狭い空間内に、何か危険な物が送られて来るかも知れないって事さ。ここからじゃ僕は助太刀に入れないから、自分達で何とかしてねって話。」
「何を言うかと思えば…下らない。そんなのとっくに解決済よ。この中に幾つもあった転送陣は既に全て破壊してあるわ。」
「わかってるよ。でも、それは『その中だけ』の話だよね。」
「だから何だって言うのよ!こっちは今忙しいの!手伝わないんだったらせめて邪魔をしないで!いい加減、作業に集中させなさいよ‼︎」
「……そうかい、そこまで言うならお好きにどうぞ。一応、忠告はしたからね。」
その勿体付けた言い方も悪かったが、ボウサが苛立ちからソヨカゼに食って掛かってしまったが為に、彼は語るのを止めてそっぽを向いてしまう。そして丁度その時の事である。突如として『檻』の中に白い煙が充満し、ボウサ達を一瞬にして飲み込んでしまったのだ。
「キャア⁉︎な、何よコレ!」
「こ、これはさっき…の……。」
その突然の出来事にボウサ達はパニックに陥ったが、それも長くは続かなかった。その煙を吸った彼女達がすぐ気を失ってしまったが為である。そして煙に包まれて何も見えなくなった『檻』の中をその窓から覗き込み、ソヨカゼは肩をすくめた。
「あ〜あ、だから言ったのに。あのアキト君が、見た目分かり易い内側『だけ』に転送陣を仕掛けて置くとでも思うのかい?それは君達を油断させる為のダミー、それにまんまと引っ掛かっちゃったね。反応が無いって事は、もう気絶しちゃったかな。」
実はこの檻の『底側』には、レンの手で巨大な転送陣が『彫り込んで』あった。アキトがボウサ達を捕えた際にひっくり返った為にそれが天井側に現れたので、空から来たソヨカゼは気付く事が出来たのだが、檻に『傷一つ付けられない』彼にはその転送陣を破壊する事が出来なかったのだ。
(檻の換気口がいつの間にか閉じてるし、反応から察するに煙が中に充満するまでほぼノータイムだったみたいだね。これは召喚導術の応用技かな?頑丈な密閉容器の中に対象を閉じ込め、一瞬にして強力な催眠ガスを中に満たす…改めて考えて見るとえげつない技だな…。)
彼の予想通り、これは『再填召喚』の『転送』を利用した芸当であった。転送陣の上にある所有物の状態を自由に操作出来るので、檻を『換気口が閉じて、更にガスが充満した状態』にする事で、ボウサ達に息を止める間も与えずガスを吸わせたのだ。つまりボウサ達はいつでも倒せる状態であったのだが、アキトは敢えてそれを遅らせていた。
(そんでもってこっちの方に干渉してきたって事は、護衛達全員の運び出しを終えたって事かな?契約さえ結んでおけば何処で何があっても、それこそ人質に取られたって即座に簡単に回収出来るんだから、本当召喚導術って便利だよね。)
それはソヨカゼが攻めて来た時点で護衛達に何かあったと瞬時に悟ったアキトが、そちらの状況を知るのを優先した為であった。そして地下で全員を召喚で回収し、各々が単に気絶しているだけと確認し、またコチヤ以外の全員を病院に無事転送し終えたので、改めてボウサ達にトドメをさした訳である。
(おっと、そろそろかな。ガスは吸わないと思うけど、一応離れておこうか。)
ソヨカゼが不意に後ろに飛んで距離を置くと『檻』が消え去った。彼女達を窒息死させない為のアキトの配慮である。白い煙が辺りに拡散して消えると、そこには気絶し倒れたボウサ達が残っていた。ソヨカゼは僅かな風を送って彼女達の近くの空気を入れ替えると、彼女達の安否を確認する。
(…体調に異常無しっと。特に後遺症は残らなそうだね。状態から察するに、これは最新式の医療用着色麻酔ガスか。これだけの量を吸えば当分は何があっても起きないだろう。しかし色々な物を持ってるなぁ。)
ボウサ達を卒倒させたガスは、最近医療現場に導入されたばかりの麻酔であった。木導術を利用して調製されたそれは強力でかつ即効性が有りながらも、必要以上には体内に吸収されないので医療事故の防止に期待されている。本来なら扱うのに特殊な免許が必要だが、特権の塊である『ライセンス』を持つアキトには関係無かった。
「ん?この音は…通信機か。う〜ん…どうしよっかな…。」
ソヨカゼが何か着信音らしき音に気付き、気絶したボウサの服を調べるとそこから小さな通信機を発見する。彼は少し考えたが、このまま放置するのも如何かと思ったソヨカゼはそれを取る。するとその先から聴こえて来たのは、彼女の仲間であるギースの困惑した声であった。
『そ、その声はもしやソヨカゼ殿か?何故ボウサの通信機に貴君が出ているんだ?理由を手短に説明してくれ。』
「了解。掻い摘んで説明するよ。」
そしてソヨカゼが一連の出来事の要点だけ伝えると、ギースの声は酷く困惑した物となる。
『そんな…!では作戦は完全に失敗し、しかもボウサ達もウパカル殿も動けないと言うのか⁉︎』
「鳥さんの方はただ気絶しているだけ、だから叩き起こせなくも無い。でも小人さん達はしっかりと麻酔が効いちゃってて、意識回復はしばらく見込めないね。今ならこの場で開腹手術をしたって起きやしないよ。」
『クソ…!ならばウパカル殿を起こし、共に大使を追ってくれ。もう時間が無い…何としても奴を捕らえねば…!』
「…残念ながら、それは無理な話だね。僕の仕事はここまでだからさ。」
『何⁉︎それは何故だ!』
ギースの悲痛な叫びにも似た質問とその声量に、ソヨカゼは思わず通信機から耳を遠去ける。そして少し落ち着く様に言いながら再び通信機に耳を近付けると、そこから聴こえて来たのは別の人物の声であった。
『こちらはトースだ。そちらはソヨカゼか?』
「ああ、これはこれはトース卿。丁度良かった。僕も雇い主と直接話がしたかったんだよ。」
『それは良かったな、でだ。何故我等に協力せんのだ?まさか怖気付いたとでも?』
「端的に言えばそうだね。状況を鑑みて、もう僕の手には負えそうにない。だから僕達はこの作戦から手を引きたいんだ。」
『…何だと?まさか本気で言ってはいないだろうな。』
「本気だよ。冗談なんかで貴重な時間を浪費したくないんでね。」
聴こえて来るトースの声は、明らかにわかる程の怒りが含まれていた。しかし若干威嚇めいた詰問に対しても、ソヨカゼは少しの動揺も見せずに淡々と答える。するとその他人事の様な態度に対してトースの怒りが爆発する。
『ふざけるな!貴様には既に高い前金を払っている!それを受け取ったのなら、それ相応の働きをするのが筋だろうが!』
「ふざけてなんかないさ。それに僕達はあの『幻影死神』を倒したんだよ?ついでに君達が随分と懸念していた護衛達も一人残らず気絶させた。これで仕事をしていないだなんて言えるのかい?」
『なればこそ何故仕留めなかった!彼を倒せるのなら召喚導術使いなど、赤子をくびるより簡単に始末出来るだろう!そこまで追い詰めて置きながら、みすみす逃げ出せる隙など与えおって!最高の機会が不意になったのは貴様の責任だぞ‼︎』
「最高の機会?馬鹿言うなよ。『幻影死神』を倒せる稀有な人材を引っ張り出さなきゃいけない事自体、僕達にとっては最悪な事態なんだよ。しかも誰かさんの起こした爆弾騒ぎの所為で街中警官だらけ、下手に動けば見つかる様な状況にしてくれちゃってさ。やり難いったらありゃしない。」
怒るトースに引き摺られてか、ソヨカゼの口調も若干愚痴っぽくなって行く。コチヤを倒した人物はソヨカゼにとって重要な切札であり、なるべく見つかる危険を避けたかった。それ故にコチヤへの攻撃の成功如何に関わらず、彼を即撤退させる事はソヨカゼにとって既定事項であったのだ。
『では何か?仕留めら切れなかったのは我々の所為だとでも?大体貴様はこちらの作戦には一切口をさし挟まないと言っていたではないか!警察官を街中に展開させるのも我々の作戦の内だ!それに対応出来ないのは貴様の手落ちだろう!』
「ああそうかい、じゃあ言わせて貰うけどね。そちらも僕達のやり方に口出ししないでくれと確かに言った筈だよ。僕達は余り目立ちたく無いから人殺しもしないし、証拠が残る様な事もしない。もし残るのなら隠滅する猶予が要るよと言って、それで君も了承した筈だ。」
『そう言えばそんな事も言っていたな。だが忘れたか?こちらにはサイギ刑事が付いている。彼の手に掛かれば証拠隠滅など造作も…』
「だーかーら詰めが甘いんだって言ってんだよ。良いか?他人に証拠隠滅を任せる事くらい危険な行為は無いんだ。それで下手に弱味でも握られたらどうする?その不利益を被るのはこっちなんだよ。あんたが勝手にそれを決めるな、極めて不愉快だ。」
事ここに至っては、もうソヨカゼに任務を続行する気はさらさら無かった。だからトースから何を言われても如何でも良い事だったのだが、彼もまだまだ年若く、言われっぱなしは少々癪であった事も有り、ついつい営業トークを崩して語気を荒らげてしまう。
『チッ…では約束の報酬は要らないと言うんだな?それだけじゃない、任務を途中で放棄する事に対する違約金も支払って貰うからな!成功報酬の倍額を請求してやる!それが嫌なら任務を続行しろ‼︎』
「違約金?ははは、まさか君からそんな厚顔無恥な言葉が出て来るなんて驚きだよ。これは失笑を禁じ得ないな。」
『…何だと?貴様…無責任に仕事を放り出すどころか、言うに事欠いて俺を愚弄するか!』
「ああ?愚弄してんのは一体どっちだよ。お前達が前金として寄越した金の延べ棒、あれ比重の近い金属を混ぜ込んでかなりカサ増ししていただろ。実際の価格はこちらの要求額の半分にも満たない。違うか?」
『ぬ…⁉︎な、何をそんな言い掛かりを…!』
言い掛かりとは言っていたが、トースは明らかに動揺していた。さもありなん、ソヨカゼの言った事は純然たる事実である。トースはソヨカゼを雇う折、その高い契約料を少しでも節約しようとしてしまった。つまり最初に約束を破ったのは彼の方であったのだ。痛い所を突かれて勢いの削がれたトースに対して、ソヨカゼは畳み掛ける。
「あんたらも根回し等で何かと入り用なのはわかる。だがな、投資をケチればその分だけ得られる利益も減るんだよ。それが嫌ならハナから下らない事を考えるな。そんな中途半端な事ばかりしてるから、ここまで作戦がグダグダになってんのが分かんないのか?」
『ぐ…ま、まだあの金が偽物だと言う証拠が無い。証拠も無く偽物と決め付けるのか!』
「余り僕達を見くびるなよ。これでも『金』にはかなりうるさいんだ。どんなに精巧に偽装したって見抜く自信がある。そしてそれを差し引いた価値分の仕事はもう充分にこなした。偽装工作まで含めれば赤字必至。損切りは早い方が傷も浅い。後は言わなくてもわかるだろ?」
『…良し、ならば成功報酬の額に零一つ付け足そう。誤魔化した前金分も含めて全額をキッチリ払うと約束する。そうなれば君達にとっても非常に大きな利益となろう。それでもこの作戦から降りると言えるのか?』
形勢が悪くなったと見るや、掌を返す様にトースは態度を軟化させ、報酬を大幅に上乗せする事で何とかソヨカゼを引き留めようとした。かなり手痛い出費となるが、今の彼は猫の手でも借りたい状況であるのも事実なのだ。最悪、ソヨカゼには後で『不幸な事故』にでも遭って貰えば良い。しかし当のソヨカゼは彼の懇願をにべも無くすっぱりと断ち切った。
「当然だろ。信用ってのは金ですらも買えない貴重な物だ。それを無駄にする様な奴と付き合う気はないし、そんな奴が考えた作戦が成功するとも思えない。例えどんなに絢爛豪華に見えても、沈没しそうな船から鼠は逃げ出すんだよ。」
『この作戦が成功しないだと…?貴様、よもや我等を敵に売ろうだなどと浅はかな事を考えては居らぬだろうな…!』
「何でそんなはした金にもならない事をしなきゃなんないんだよ。そんな事をする暇あったら、もっと美味しそうな『金色鼠』を探しに行く方が余程有意義だっての。さて、少し長くなっちゃったけどこの話はこれでお終い。そっちだってこれ以上無駄に時間を使いたく無いでしょ?」
『く…。それはそうだが…しかしだな…。』
「せめてもの情けだ。鳥さんは起こすし、小人さん達は所定の場所に移してあげるよ。でも僕達がするのはそこまで。まだ懲りずに作戦を続けたいのならそっちで勝手にやっててよ。前金は貰った分だけで良いし、成功報酬も勿論要らないからさ。」
『ちょ、ちょっと待て!もう少し考え…』
「じゃあね、君達の健闘を祈ってるよ。祈るのはタダだしね。」
トースの話も終わらぬ内に、ソヨカゼは通話を切った。再び通信機が鳴るが、うるさいと言わんばかりに電源を切り、元あった場所に丁寧に戻す。するとそれを見計らったかの様に背後から黒い影が彼に近付いて来た。それは彼の仲間であり、彼と同じ黒い虎の鉄仮面を被った青年『ハヤテ』であった。
「こっちは撤退準備、無事完了したよ。それと見張り役からの通達。そろそろ警察の怖いお犬さん達が、事件の匂いを嗅ぎ付けてやって来る頃合いだってさ。兄さん、そっちの交渉は終わった?何か手伝う事はある?」
「ああ、丁度今無事に決裂した所だよ、ハヤテ。それとこの姿で居る時は『兄さん』呼びは止めろって何時も言ってるだろ?」
「ごめんごめん、『ソヨカゼ先輩』。いやぁ、まだ慣れなくってさ。」
「まぁ良いさ。お世辞にもお堅い仕事とは言えないしね。さて、後はこっちの片付けだけかな…良し、小人さんの方は僕がやっておくから、ハヤテは鳥さんを起こしてさっさと撤退しちゃって。彼等とは一応決裂してるから、起こした時に面倒な事にならない様に注意してね。」
「了解、手紙と目覚ましでも適当に置いとくよ。それとさっき向こうの方で地面が割れて、その中から警備車が出て来て走って行ったから。警察もそれに気付いて行動を始めてる。先輩なら大丈夫だと思うけど、そっちの方面には近付かない方が良いと思うよ。」
ハヤテの言う警備車は、まず間違い無くアキトが召喚した物だろう。となれば彼を追い掛ける警察やトースの仲間達もそちらに向かう筈であり、或いは衝突するだろう。それに巻き込まれない様にと情報をくれたハヤテにソヨカゼは感謝すると、ボウサ達を担ぎ上げてハヤテの方を向く。
「に、兄さん大丈夫⁉︎怪我してない⁉︎その服、酷い有様だけど一体どうしたの⁉︎」
ハヤテはソヨカゼの身体を見て驚いた。何と、彼の着ている防弾ベストがまるで薄紙の様に綺麗に切り裂かれていたのだ。頑強な繊維とプレートを複合して造られたそれは、貫通力の高いライフル弾すら防ぎ切れる高い防御力を誇るのだが、それが今では見る影も無い。
「ああ、これ?あの『幻影死神』の仕業だよ。さっき仕掛けた時にやられたんだ。上手いこと囮になって『あの人』の攻撃を成功させたのは良かったけど、返り討ちでこのザマさ。しかも切られた事にはさっきまで気付いて居なかったんだから、本当情け無い話だよ。」
「まさか!確か攻撃が成功してから兄さんは仕掛けて行った筈でしょ⁉︎」
「その筈だったさ。でも初撃は完璧に決まっていた訳じゃなかった。彼は既の所で直撃をかわし、更に高速移動する僕に対して正確に攻撃を当てたんだ。流石に最初の衝撃でフラつきはしてたし、僕への攻撃を手加減しながらでは、『あの人』の二撃目に対応し切れなかったみたいだけどね。」
「あの完璧な不意打ちをかわした…?しかも兄さんへの攻撃も手加減してあったの⁉︎向こうは『あの人』が生きている事なんて知らない筈だし、ましてや僕達の仲間になっているだなんて予想だにしていない筈なんだよ…⁉︎」
「いやぁ、流石はあの『コチカゼ先輩』だ。その強さに虎すら己を恥じると評された実力は、未だに色あせていない様だね。僕も少しは強くなったつもりで居たけど…彼我の実力差を思い知らされたよ。」
ソヨカゼが使えなくなった防弾ベストを脱ぎ捨てると、その下から黒い服が出て来る。それは昼間アキトに着せた拘束着である『縁絶装束』であった。勿論、その下にはインナーを着込んで素肌への接触は避けている。防弾ベストすら容易く切り裂く強力な導術であろうと、それが導術である限り縁絶鋼には敵わない。これによりコチヤの攻撃を無効化したのである。
「下にこれを着ていなかったらと思うと、今更ながら寒気がするね。ただ、やっぱり素で重いし導術じゃ軽く出来ないし、僕自身の導術も少しでも当たれば無効化しちゃうしで、かなり動きを制限しちゃうのが欠点だよな…。」
「う〜ん、やっぱりか。僕等の様な、防御手段に乏しいタイプの導術使いには良い防具かもと思ったんだけどね…。一番の長所であるスピードまで殺されちゃうのは流石に頂けないね。」
「それでもこの高い導術防御性能は特筆に値するよ。大量生産が不可能な現状では、どうしても一着一着の値段はお高い物になっちゃうけど。導術不使用原則で縛られている軍隊関係には良い感じで売れそうだね。」
「OK、そっちの線で販路拡大すべきと上には進言して見るよ。あの『幻影死神』の攻撃にすら耐え切れる夢の防具だって謳い文句を付けてね。有用な実戦データ採取、お疲れ様でした。それじゃ僕は必要な物を取りに戻るよ。兄さんも道中気を付けて。」
そう言うと、ハヤテは音も無くその場から去って行った。それを見届けたソヨカゼがおもむろに煙草の様な白い息を吐くと、それは空中で可愛らしい猫の形を取る。ソヨカゼはその実体の無い猫の顎の部分を優しく撫でる仕草をすると、その猫は小さく鳴いて消えてしまった。
(…さて、僕の役目はここまでだ。僕個人としては、君の様な『甘ちゃん』には大人しく平穏な生活を謳歌していて欲しいんだけど…でも世界はそれを許さないし、きっと君自身も望まない。だから僕も何も言わないよ。そんな資格も無いしね。)
ソヨカゼはボウサ達を軽々と担ぎ上げ、暗い夜空を見上げる。全ての光が吸い込まれて行く様な闇がその大部分を占拠する黒い空は、まるで己が被る鉄仮面の様だとソヨカゼは思った。
(…でも、アキト君ならきっと乗り越えられる。なんでかな?なんの根拠も保証も無いけど、何故かそんな気がするんだ。だからきっと、君はそのままの君で良いんだろう。それがほんのちょっとだけ羨ましいよ。)
しかし漆黒の闇が支配しているかの様に見える空の彼方には、数え切れない程の沢山の星が輝いている。中でも特に大きく輝き辺りを照らし出す月は、より一層煌めいて見えた。その美しさに何となくソヨカゼは微笑むと、深い夜闇の中へと消え入る様に潜り込んで行ったのだった。
「ディア、今です!」
アキトの指示でディアは大量の鋼鉄製の『撒菱』を撒いた。それらは勢い良く、また満遍なく道路に撒かれて、彼等を追い掛ける後続の警察車両のタイヤに鋭く噛み付く。しかし警察もその程度の事は予想しており、『空気無しタイヤ』を事前に装着する事でパンクを防いでいた。
「その程度の対策では、ディアの攻撃は止められませんよ!」
直後、追っ手の車両の様子がおかしくなる。各車両のタイヤ周辺から大きな異音が次々発生し始めると、遂には動かなくなってしまった。実はタイヤに拾われた以外にも多くの撒菱が、まるで磁石に吸い寄せられた鉄粉の様に車両底部にビッシリと引っ付いていた。その内の一部が駆動部に絡まる事で、その動きを阻害させたのだ。
「ディア!ルビィ!アズちゃん!車にしっかり掴まってて下さい!」
これにより動けなくなった警察の追っ手を一気に振り切ろうと、アキトが思いっ切りアクセルをふかした直後、ライトに照らし出された直線道路の先が、既に別の追っ手により先回りされて塞がれているのが視界に入る。見るからに用意が良い事から、待ち伏せされていたのは明らかであった。
(なるほど、始めからここに僕達を誘導しようとしていたんですか。そして僕は見事に引っ掛かってしまったと…ですが!)
アキトは冷静にディアに通信機を付けて次の指示を出す。ディアが理解したのを確認すると同時に再填召喚で砲塔を操作して、後方に向けてネット弾を二発連続で放つ。そして手前側に落ちた物をディアと、そして奥側に落ちた物を『檻』と交差召喚した。
『頼みましたよ!ディア!』
「ルガオオオオオオオオ‼︎」
直後にディアは『檻』を盾にしつつ地下へと潜り込み、それと同時になだらかな長い『坂道』を作り出す。一方のアキトはシルバーナ達を一時的に転送で逃すと運転席を立ち、コチヤを背負って跳躍すると同時に警備車を『反対向き』に召喚した。
「さあ!行きますよ!」
これによりアキトは何の予備動作も無く車の向きを変え、速度のロスもほとんど無く後方の坂道に向けて全力疾走する事を可能とした。更にディアの作り出した坂道は道を塞ぐ様に、そして後方で立ち往生する警察車両の前まで続き、その切り立った高い崖で警官達を威圧する。
「敵テロリストはここを飛び越える気だ!跳んだ瞬間を狙い迎撃せよ!導術の使用を許可する!」
一連の行動から、アキト達が包囲網の欠陥部である『動けなくなった警察車両群』を飛び越えて逃げるつもりだろうと判断した武装警官達は、その跳躍の瞬間無防備になる警備車に向けて、導術による飽和攻撃を仕掛けようと身構える。
「…ん?何だ?音が下から聞こえ…しまった!」
しかし警官達の予想は直後に裏切られる事になる。なんと彼等の居る場所の更に後方の地面が大きく盛り上がり、その中からアキト達の乗った警備車が出て来たのだ。アキトの本命は地下を通って通過するルートであった。巨大な坂道は跳躍すると見せかけると同時に、地下へと続く道やアキト達を射線から隠す為の壁であったのである。
「…まだ来ますか。流石に数が多い…。」
だが上手く包囲網を抜けたアキト達を待ち受けていたのは、また別の追っ手である。ディアを召喚で回収したアキトは、前方から迫り来る警察車両を睨みつつ、再び召喚を駆使して全力疾走で十字路を左折する。するとその先に地下鉄乗り場入り口が見えて来たので、そこに目掛けて突撃する。
「ディア!先生を頼みましたよ!」
「キュイキュイ!」
アキトはディアの背中に未だ目を覚まさないコチヤを載せ、再填召喚を利用し一瞬にして紐で括り付ける。そして警備車が入り口にぶつかる直前に別の場所へ転送すると、衝撃吸収マットを召喚してその上に回転しながら着地する。ディアがコチヤを連れて地下に潜るのを確認すると、自身は板を召喚して階段を滑り降り、素早く地下へと逃げ込んだ。
(…よし、予想通り今は爆弾騒ぎで地下鉄が完全に動いていない。これなら安全に走れますね。)
そのまま警備員の警告を無視して改札口を軽々と飛び越えたアキトは、線路の上に警備車を召喚、丁度合流したディアとコチヤを回収してその上を走り出した。お金が掛かるので普段は全く使わない公共交通機関だが、それが学園近くを通る事は知っていた。それを利用して一気に学園に接近しようと目論んでいたのだ。
(先に転送で病院に送った護衛の皆さんも、先生も未だに目を覚まさない…恐らくこれはただの気絶じゃない。先生がいつ意識が戻るかわからない以上、その助力は無い物と見て行動する方が確実でしょう。)
アキトは先程病院に送ったシルバーナ達から、気絶した護衛達は命に別状は無くても、イナバの治療を受けても一向に目を覚まさないと言う報告を受けていた。彼等の力を頼る事が出来ないのは大きな誤算であったが、故にアキトは学園の他の教師達を頼ろうと考えていた。
「ですがやはり、この程度の浅知恵は相手もお見通しですかね。」
しかし前方で光る大きな投光器が、彼の目論見が外れてしまった事を示していた。しかも尚悪い事に、彼等は警察では無い事がその周辺に光る大量の『氷』からはっきりと見て取れたのだ。
「『公安捜査官』…やはりこのタイミングで仕掛けて来ましたか!」
地下は基本的に地竜であるディアの独壇場ではあるが、しかし肝心の土を凍らされていては実力が発揮出来ない。見れば警護車の走るトンネル内の天井、床、壁一面が凍っており、ディアが活動出来ない様にする細工は既に完了していた。それは地下なら安全と考えるアキト達の裏をかく妙手であった。
「…と言う事でレン君、後は頼みましたよ。」
『いよっしゃ任せとけ!野郎共!思う存分暴れて来やがれ‼︎』
だからこそアキトはそれを予想していた。彼はブレーキを踏みつつ、自身の体内から顔を出したスライムに話し掛ける。そしてその直後、地下鉄のトンネル中に大量の『狼の遠吠え』がこだまし、アキト達の来た方向とは逆方向から何百体もの『土狼』の集団が現れ、公安捜査官達に一斉に襲い掛かる。
「お、狼⁉︎一体何故こんな場所に…しかもなんて数だ!」
「少なくとも、簡単に仕留め切れる数でない事は確かだ。驚いている暇も無いな。」
「全力で氷壁を築け!そのまま迎撃するぞ‼︎」
それでも訓練を積んだ公安捜査官達は冷静さを欠く事無く、力を合わせた氷導術で分厚い氷壁を作り出し、土狼達の猛攻を防ぐ。氷は土に対して相性が良いので、数の暴力を相性差で防ぎ切ろうと考えたのだ。狙い通り土狼達は次々と氷の壁に強烈な体当たりを仕掛けるが、その程度ではビクともしない。
「よ…よし、これで少しは時間が稼げる。今の内に標的を…。」
土狼達の勢いを無事に殺せた事に、公安捜査官達は安堵した。そしてこの隙に何とかアキト達を殺害しようとそちらの方に向き直ると、今度はそちらの方からも同じ様に大量の土狼達がやって来る光景が目に飛び込んで来た。
「な、何だと⁉︎クソ…向こう側を押さえている別働隊は一体何をしている!」
「…駄目だ、完全に通信が途絶えている。どうやら罠に嵌めたつもりが、嵌められたのはこちらであった様だ。」
「狼狽えるな!罠ならばただ踏み潰すのみ!死ぬ気で包囲網を食い破れ‼︎」
しかし次から次へとやって来る土狼達を倒しながら進むのは非常に辛かった。一体一体は何とか倒せてもその数が尋常ではない為、彼等の足は遅々として進まず、また導術の連続使用により体力も確実に削られて行く。その間にも警備車は悠々と方向を変え、来た道を戻り出した。
「ぐ…不味いな。このままでは逃げ切られてしまう…。」
「だが地上に出たとしても、今度はあの膨大な数の警官隊を振り切らねばならん。他に何か考えがあると見るべきかな。」
「何をしようと構わん!仕留める事が叶わぬのなら、せめてここで地下ルートの一つを完全に潰す事で奴等に負担を掛けるだけだ!」
そして公安捜査官達は進む事を止め、周囲に分厚い氷の壁を作って自分達を囲い始めた。土狼達の猛攻を防ぎながらも道を潰すのが目的である。しかしその作業が終わるか否かの所で、彼等はふと異変に気付く。
「ん…?何だこの揺れは…地震か?」
それは実に大きな揺れ方であったが、どこか違和感があった。その嫌な予感に彼等は顔をしかめたものの、何か出来る訳でも無い。ライトを使って氷越しに周囲を注視していると、ようやく違和感に気付いた。揺れているのは『地面だけ』であったのだ。
「あ…まさか…不味い、下だ!下を深くまで凍らせろ!」
誰かが気付いて指摘したが、最早手遅れであった。彼等の身体は不意の浮遊感を覚えると、視界に映る世界は見る見る内に急上昇し、入れ替わる様にして上から土砂が降って来る。そしてようやく揺れが収まった時、暗く冷たい土の壁だけが彼等を取り囲んでいた。
「ああ、遅かったか…奴等め、始めからこれを狙っていたんだな。クソ…地上に出ずに押し通られてしまったか…。」
「落とし穴か。しかもかなりの広範囲を一息に落としたと見える。実に原始的だが、それ故に意表を突いた良い策だな。まさか凍らせた地面ごと落とされるとは思いもしなかった。」
「しかしこのままでは酸欠で我等の命までも落ちかねん。完全に埋められてしまった。最早、外に連絡を取る事も出来ないか…!」
一人の捜査官が土しか見えない上を見ながら嘆く。氷導術は氷を作り操るのを得意とするが、凍らせた物を操る事はほとんど出来ない。それ故に現状況から外に脱出するには、巨大な氷柱で地面を地上まで貫く必要があるのだが、かなり消耗するので体力的にもう難しい。大人しく救助を待つ他に無いのだ。
「はぁ、助かるかな…俺達。でも、もしここで何とか救助が間に合って助かっても任務は完全に失敗。上に消されるかもな…。」
「考えても仕方無い。それだけ貴重な酸素が減るだけだ。一応、身体を凍らせておこう。少しは寿命を伸ばせるだろうからな。」
「…昔から気になってはいたのだが、何故お前はいつもそんなに冷静なのだ?」
この後しばらくして、公安捜査官達は全員が土狼達により掘り起こされて事無きを得たと言う。勿論、それはアキト達が街を無事に逃げ果せた後の話である。
「え?学園に向かわず、このまま地下を進むんですか?良いですけど、何かあったんですか?」
学園近くの地下鉄入り口近くに差しかかった時、アキトはカスミから思いがけない言葉をかけられて困惑した。しかし特に反論する事も無く進路を変え、相変わらず地下鉄のトンネルを突き進む。
『ええ。実はつい今し方アキトさんがテロリストと通じて居るとみなされ、『強制殺処分命令』が発令されましたの。最早これは軍が出動する事態。貴方を匿う者も同罪として、御構い無しに上から絨毯爆撃して来ますわ。』
それはつまり、アキトを殺す為なら何をしても構わないと言う意味である。その過激さ故に今まで一度も発令された事が無かったが、コシノとイズモと言うヨミ国の司法を事実上牛耳っている二大名家の幹部クラスが共同で働きかけた事で、今や状況は前代未聞の事態へと変貌していたのだ。
「そんな…それじゃ僕が学園に篭ったりすれば…!」
『最悪の場合、内戦に発展します。まさかここまで強行な手段を用いるとは、ワタクシとしても驚きを隠せませんの。しかももしこれが冤罪と知れば、是が非でも国は事実を隠蔽するでしょう。つまり、国家主導で嘘を真実にしてしまうのですわ。』
「じゃあ、僕は決して捕まってはいけないと言う事ですね。しかも、狙いを定められない様にかつ分かり易い場所には行ってはいけないと。」
『…はい。ワタクシの力及ばず、アキトさんには何と言ってお詫びして良いのかわかりません。』
いつに無く申し訳無さそうなカスミの声に対して、アキトは気にしないで欲しいと言って軽く首を横に振る。
「いずれにせよ、僕が狙われる事に変わりありません。その相手が国家権力から国家自体に変わっただけの話です。それよりも大事なのはこれからの事ですよ。このまま真っ直ぐ進んで行けば良いんですよね?」
『…本当にお強いですのね。ワタクシも負けては居られませんわ。ええ、アキトさんにはその先にあるヒエイ山の中へと逃げて頂きます。そして大旦那様が到着するまで持ち堪えて下さいませ。』
「ヒエイ山…確かコウガ先生達が隠れている場所ですよね。良いんですか?」
『元々、大旦那様が大暴れしても構わない様にとあつらえた特別な場所ですのよ。そこでなら大旦那様も思う存分に戦えます。人型核弾頭とまで呼ばれたあの方であれば、師団程度の規模なら充分対抗出来るでしょう。』
「……学園長先生って、本当に人間ですか?」
アキトの言葉にカスミは苦笑する。全くの同感とでも言いた気の雰囲気であった。事実、ロウガの土導術の破壊力と効果範囲は尋常では無く、それ故に非常に使い勝手が悪いのだが、場所さえ整えれれば無類の強さを発揮するのだ。
「それで学園長先生は今どちらに?確か所用があるとか言って学園に戻らなかったんですよね。」
『ええ…相変わらず事務仕事は死ぬほど嫌いと見えますわね。まぁ大体何があったのかは予想が付きます。それもそう長くは掛からないと思いますわ。と言いますか、ワタクシがそれを許しませんので。』
「…先生、声が怖いですよ。え、ええっと…ところで爆弾騒ぎの方はどうなりました?先生が僕とこうして会話出来てるって事は、上手く収束出来たんですよね。」
『当然ですわ。若様の御助力もあって、つつがなく爆弾の処理は完了致しましたの。残念ながら犯人は未だ捕まっては居りませんので、警戒態勢は依然解けませんが。』
「ですが助かりましたよ。地下でも敵が待ち構えているだろうとは思っていたんですが、すぐには対策が思い付かなかった物でして。爆弾騒ぎを利用してレン君の土狼達を介入させたのは流石の判断でしたよ。」
レンの土狼達はカスミの厳しい訓練により、わずかな火薬の匂いでも遠くから嗅ぎつける事が出来る。更に千をゆうに超えようかという頭数、地中を自在に移動しかつ疲れ知らずの機動力、爆弾を体内で爆破処理出来る頑強さを活かしての大規模ローラー作戦により、街中に仕掛けられた爆弾を迅速に根こそぎ処理したのである。
『このまま若様の土狼達には引き続き街中を警戒して頂きます。恐らく警察も公安捜査庁も貴方の濡れ衣作りをするつもりでしょうから、それの監視ですわね。証拠捏造の現場を押さえてやりますわ。』
「お願いします。コチヤ先生も土狼達が病院に無事に運んでくれましたし、レン君には後で御礼を言わないとですね。」
『ええ、若様もきっと喜びますわ。ですがその所為で勉強会が御破算になったと、ワタクシの可愛い姪から苦情を受けてしまいましたの。ですのでこの事件が解決した暁には、若様には今日にもまして勉学に勤しんで頂こうかと思案中ですわ。』
「あ、あはは…こ、今回は事が事ですし…なるべくお手柔らかにお願いします…。」
出来ればレンの事は多めに見て欲しいとアキトは思ったが、半分以上自業自得なのでそれ以上強くは言えなかった。
『話を戻しますわね。爆弾騒ぎの事は気にしなくて結構、貴方は貴方の身をしっかりと守り続けなさいな。後はワタクシ達が片付けます。』
「了解です。コチヤ先生やルビィ達の事は頼みましたよ。」
『任されましたわ。ですがルビィさん達の方はいつでも召喚出来る様にしておきなさい。奴等の事ですし、病院だろうと権力をかざして無理矢理介入して来ます。そして彼女達を利用し、貴方にその罪を擦り付けて来る筈ですわ。』
アキトを殺害する大義名分は、今の所テロリストとの繋がりを匂わすのみである。しかしそれだけでは如何しても理由付けが弱いので、必ずもっと大きな罪があると裏付ける為の『証言』を欲するだろう。そんな時、シルバーナやアズは偽証させるのに非常に都合が良い格好の標的となるのだ。
「…了解です。何か異変があった時にはすぐに連絡を下さい。絶対にあの子達に危害は加えさせません!」
『言われずとも。無辜な子供達を傷付けようとする下衆共には、灼熱地獄のような熱さの灸を据えてやりま…アキトさん!ブレーキを踏みなさい!』
カスミの鬼気迫る言葉に、アキトは即座に急ブレーキを踏む。直後、目の前のトンネルの底部が勢い良く隆起して道を塞ぐと同時に、何本もの『蔦』がそこから現れ警備車を捕縛する。そして地面に空いた穴から、何者かがゆっくりと蔦を伝って登って来た。
「ようやく捕まえたぞ、この忌々しい亜人が。地下鉄の道を全て網羅し、待ち伏せした甲斐があったと言う物だな。」
それは大きな鹿の角を持ち、自身を模した人形を自在に操る技を得意とする『鹿型導族』の男であった。ヒサメに凍らされた筈であったが、今の彼は全くの無傷であり、まるでそんな事は無かったかの様に余裕の笑みを浮かべている。
「む…あの馬鹿の様に硬い『檻』の中へ逃げ込んだか。まあ良い、取り敢えず捕獲出来た事を素直に喜ぼうか。」
男は伸ばした右手を強く握る。すると警備車に巻き付いた蔦がギリギリと締め付け、それをいとも簡単に破壊する。そして砕けた警備車を器用に遠くへ投げて自身の近くに何も無い様にすると、中に残った『檻』の周囲に幾重にも蔦を絡ませた。
「どうした召喚使い。何もしないのか?いや、もしかして出来ないのか?だろうな。貴様の手の内は先の戦いで学習済みだ。何の事は無い、貴様の所有物を近付けさせなければ良いだけの話だったがな。」
トンネルの中に男の嘲笑が響き渡る。今のアキトは『檻』の中に潜んでいるが、窓を全て覆われては外の様子がわからない。男が人形なら焼夷手榴弾が有効だが、彼の近くに交差召喚出来る物が無ければそれも叶わない。
「クク…先程よりも大きな軋みが聞こえるぞ。随分と酷使していても尚この頑強さを維持しているのは素晴らしいが、何事にも限界と言う物はある。ここは街からも離れ、仲間も来るのに時間が掛かるからな。そろそろ諦めたらどうだ?」
アキト達は町の住民達に被害が及ぶ事を恐れて、付近に誰も居ない所に向かっていた。そして既にかなり辺鄙な場所に来ていたので、街を守るレン達の支援は絶望的な状況であった。更に『檻』も度重なる負担で限界が近付いていた。
「…そうか、貴様もあの狐目男と同じ様に俺をシカトするのか。この期に及んでまだ強情にも抗うとは、何処までも往生際の悪い奴め!」
何の反応も見せないアキトに業を煮やし、また自身を無視された腹いせから、男は締め付ける力を一層強める。そして『檻』が更に大きく軋む音を上げた、その時であった。
「……ん?何だ、何か異臭が…は⁉︎」
それは一瞬の出来事であった。トンネルの中に突如として大きな爆炎が拡がったのだ。その速さは男に退避行動をさせる暇も与えず、威力は『檻』以外の全てを綺麗に吹き飛ばした。そして粉塵の舞い散る中に唯一つ残った『檻』の中には、シートベルトをしたまま逆様になるアキトがいた。
「…どうやら上手く行ったみたいですね。先生、被害状況はわかりますか?」
『怪我人は一切無し。ですがトンネル内はあちこちが崩落の危険が有りそうですわね。一度地上に出た方がよろしいかと。』
「わかりました。」
アキトはシートベルトを外し、ガスマスクを付けると、大きく歪んでしまった『檻』に感謝しながら転送する。そして粉々になった男の『人形』を見て、それが無力化されている事を確認すると、ディアに息を止める様に指示を出しつつ召喚し、即座にトンネルの壁に穴を空けて登り始めた。
『しかし驚きましたわね。まさか大量の燃料を使って大規模な爆発を起こすだなんて。最初聞いた時は、ついに本格的に気が狂ったかと思いましたわ。』
実はアキトは潰された警備車の一部と、転送陣を描いた紙をひっそりと『交差召喚』していた。そして『再填召喚』により『燃料と酸素ボンベの中身を混合し、拡散した状態』で転送する事で爆発し易い状況を作った。トンネルの様な狭い空間では爆風の指向性は高く、容易に男を吹き飛ばす威力を得たのだ。
「ええ…?ですが先生だって乗り気だったじゃないですか。『街に通じるトンネルは若様に潰させますので、貴方は手加減無しにやりなさい』って。」
すぐに爆発させなかったのは、それによる被害を考慮しての事である。前方は男が塞いだ為に考えなくて良かったが、街の方は空いたままであった。そこでレンの土狼達がそちら側を潰すのを確認してから起爆したのだ。
『ですが、視界を塞がれたから全てを吹き飛ばすだなんて物騒な発想、まさか貴方から出て来るだなんて驚きですわ。しかも爆発に巻き込まれると言うのに躊躇なく起爆させましたし。意外とアグレッシブで思い切りが良いですのね。見直しましたわ。』
「そこは見直す所じゃないですよ…。」
『いえいえ。幾ら若様の檻が頑丈でも、衝撃はある程度伝わりますのよ?だのに爆発しても気絶せずに意識を正常に保つだなんて、訓練を受けても中々出来る事ではありませんわ。一体どんな体をしていらっしゃるの?』
「…まあ、物凄く強い両親に鍛えられたから…ですかね。『戦場での気絶すなわち死である』って言って、頭を始めとした身体にかかる衝撃を上手く逃すコツを徹底的に叩き込まれた物で…。」
『……アキトさんの御両親って、一体何者なんですの?』
アキトは苦笑する。何と言って良いのか分からず困っている様子であった。カスミは深く詮索するのは止める事にして、地上に出ようとしたアキトに一旦止まる様に指示を出す。アキトはカスミの意図する所を知ってアズを召喚し、頭一つ分だけ空けた小さな穴から外の風を受けさせた。
「どうですか?何か感じますか?」
そこは山の急な斜面であった。周囲は鬱蒼と茂る木々に囲まれ下には川が流れており、とても人が歩いて近寄れる場所ではない様に見えたが、しかし敵の中には空から狙う者も居る。動きが取り辛い場所なので、ここで狙われるのは非常に不味い。そこでアズに索敵をさせる事にしたのだ。
「…不審な風は吹いていないのです。どうやら鳥型導族の方はいらっしゃらない…あれ?」
「アズちゃん、どうかしましたか?もしや何かあったんですか⁉︎」
『シッ!アキトさん、何者かがこちらに近付いて居ります。どうかお静かに。』
カスミ曰く、どうやら不審な人物がアキト達に向かって急速に接近しているとの事であった。それは空からでは無く、風を切って地上を素早く移動しているとの事だったが、しかし車の類いでは無いらしい。注意深く穴から暗視カメラを用いて周囲を確認していると、やがて下の方から『蛇の尾を持つ女性』がもの凄い速度でやって来るのが見えた。
「…ああ!ま、まさか…‼︎」
その筋肉質で見るからに喧嘩が強そうな女性の姿を認めたアズは、思わず声が出てしまった。それもそのはず、彼女は短い間ながらも家族の様に親しみ、共に捕まりヨミ国へと連れて来られたアズの大切な人物であったのだ。彼女はそれを聞いて苦笑しながらアキト達に近付き、穴から健康そうな顔を覗かせた。
「こらこら、隠れている最中に声出すなって。敵さんに見つかったらどうすんのよ。」
「ショホウ様!あ…会いたかったのです!」
「あはは。そっちこそ元気そうで何よりだよ、アズ。それとそこの長髪のあんた、ちょっと離れてな。少し風通しを良くするからさ。」
「え…?ちょ、ちょっと待って下さい!」
ショホウが大きく振り被る様子を見て、嫌な予感を感じたアキトはアズを伴い即座に後退する。その直後、ショホウの強烈なショルダータックルにより薄い岩壁が粉々に吹き飛んだ。飛び散った岩の破片がアキト達を襲うが、アキトはアズを背負いながら盾を召喚してそれを防ぎ切る。
「へえ、良い反応だね。しかも構えた盾に一切ブレが無かった。あんた、弱っちそうな優男なナリして結構しっかり鍛えてあるみたいだね。気に入ったよ。」
「いやいや危ないじゃないですか!アズちゃんに当たったらどうするんですか⁉︎」
「あっはっは!大丈夫大丈夫、見た目程威力なんてありゃしないよ。当たってもちょっと痛い程度で済むさ。ツバ付けときゃその内治る!」
「え、ええ…?アズちゃん、ショホウさんってもしかしていつもこんな…?」
アズは少し困った様に笑いながら頷く。どうやら見た目に違わずかなり大雑把で豪快な、女傑の様な性格であるようだ。しかし気弱なアズにはそれが非常に頼もしいらしく、共に逃亡している最中にはそれに何度も助けられたらしい。
「ほらほら、時間が無いんだろ。あたしの事は後で幾らでも聞かせてやるからさ。さっさと行こうじゃないの。」
「え…行くって一体何処へ?」
「決まってんじゃないか、ヒエイ山だよ。ここからまだ数キロは離れて居るんだろ。とっとと行かないと捕まるよ。怖〜いおっさん達が目の色変えてあんたを追っかけて来てんだろ?」
「ああ、はい…って、え?まさかショホウさんも付いて来る気ですか⁉︎」
ショホウはさも当然であるかの様に頷くが、しかしアキトは納得が行かない。これはアキトの問題である。カスミやアズは関係者であるが、ショホウは違う。わざわざ危険な目に遭わせる理由が無いのだ。その旨を伝えると、ショホウはまた豪快に笑った。
「あっはっは!あたしを心配してくれるのかい?あんた本当にお人好しだねぇ。でも気遣いは無用だよ。こう見えてもあたし、結構強いんだよ。足手纏いにはならないさ。」
「いえ、貴女が相当の使い手なのはその身のこなしからわかります。しかし…。」
「匿名の通報が外務省に来た時、丁度居合わせたあたしは居ても立っても居られなくなってね。情報を無理やり聞き出して、やっとの事でここまで来たんだ。アズは大切なあたしの大切な家族、可愛い娘みたいなモンだからね。あんたはそんな健気な母親から娘を取ろうってんのかい?」
「そんな!そんな事する訳ないですよ!」
「じゃあ決まりだ。あたしはアズを守りたい。それにはあんたを守らないといけないって、事務次官を名乗る胡散臭い男は言っていた。だったらあんたも含めて全部を守り抜いたら万事解決だ。だからあたしを連れて行きなよ。絶対に損はさせないからさ。」
強引な意見だが、ショホウの言う事も一理あった。アズを預かる責任者であるアキトが死ねば、人に話せない事情のある彼女は本国に強制送還されるだろう。それが彼女にとって避けたい事態である以上、ここでアキトが死ぬ訳には行かない。
「…先生。ショホウさんはああ言ってますけど、どうしましょうか。」
『あら、ここでワタクシが勝手に決めて貴方はそれで宜しいの?それとも、背中を押して差し上げた方が宜しくて?』
カスミはわざとらしくアキトに尋ねた。それは彼が自分の判断で決断し、そこに彼自身が責任を持つ様に促す為である。アキトの中で答えは決まっていた。しかし、それを他者に任せて自らの発言を押し殺す様な『甘え』を、カスミは許さなかったのだ。アキトが決意の眼差しでアズを見ると、彼女はしっかりと頷いた。
「……わかりました。ショホウさん、どうかアズちゃんを…いえ、僕達を守って下さい!宜しくお願いします!」
アキトはしっかりと、そして深々と頭を下げる。その姿を見て、ショホウは満足そうに笑いながら頷いた。
「はっはっは!任せとけ!あたしにゃ命を懸けるべき家名は無いが、魂を懸けるに足る絆はある!魂を賭してあんた達を守り抜くとここに誓いを立てよう!あたしの生き様、とくとその目に焼き付けな‼︎」
豪快な笑い声は高らかに、そして大きく辺りに響き渡る。それはあたかも襲い来る敵を威嚇する様に、また庇護すべき者を鼓舞する様であった。アキトはショホウの笑い声に、不思議な安心感を覚えていた。そして心から嬉しそうなアズの顔を見て、暖かい物で心が満たされる感覚を覚える。
(絶対に、皆さんを守り抜きます!)
アキトには、また一つ失えない大事な物が増えた。どこまで自分は強欲になるのかアキトには分からなかったが、でもそれでもなるべく強欲でありたいと彼は思う。何かを諦めずに大事な物を全て手に入れる、そんな『強欲』な世界を実現出来る人になれたらと、アキトはそう願わずには居られなかったのだ。




