第33話
「それで、ここからどう移動しましょうか。」
新たな仲間であるショホウを加え、アキト達はヒエイ山の頂上に向けて出発しようとしていた。しかし目的地の山へは数キロ程度とは言え、それは直線距離での話であり、更に山の入り口付近までの距離である。加えて舗装された道路は一本だけであり、そこも現在地からはかなり離れていた。
「確かに。かなり近くまで来たとは言え、まだまだ徒歩での移動は大変ですわね。」
「ええ。僕も山での生活は慣れているんですが、それでもこれは少しキツいと思います。時間をかければ何とかなりますが、軍が動くとなれば余り悠長な事もやってられませんし。」
ロウガが暴れる為の山なので、元より開発はほとんど進んでいない。故に道路以外は木々や草が鬱蒼と生い茂り、非常に動き難い。また不自然なまでに巨大な岩やまるで壁の様に細く高く切り立った山(いずれもロウガ作)がヒエイ山の周囲を囲う様に存在しており、容易には侵入出来ない構造になっていた。
「コウガ先生に連絡を取れさえすれば、皆さんだけでも転送でそちらに送る事は出来るんですが…そうなると僕自身がどうするかって話ですよね。」
召喚術では他者を自在に移動する事は出来ても、自身を移動する事は出来ない。現時点で最も早い移動手段はディアによる地中移動であるが、敵に優秀な土導術使いや木導術使いが居る以上過信は禁物である。どうしようかとアキトが思案していると、その様子を見たアズが何かを思い付き、ショホウを呼んで耳打ちをした。
「すみません。私、ショホウ様が考えてくれたあの技を使おうと思うのです。」
「あの技…ってまさかアレの事かい?確かに今の彼には役に立つかも知れないが…アズ、あんたアレ使うの結構ためらってたじゃないか。本当に大丈夫なのかい?」
「あう…は、はい。確かにあの時は駄目でしたし、今もまだ全然自信は無いのです…。でも、やっぱり私…!」
「ほう、アズがそこまで意気込むなんて随分と珍しいじゃないか。一体どんな風の吹き回しだい?もしかして、どうしてもあの子の役に立ちたいのかい?」
ショホウの問いにアズは頬を赤らめ、もじもじしながら顔をうつ向けたが、それでもそれと分かる位にしっかりと頷く。その様子を見た彼女は何かを察し、肩を軽くすくめると水色髪のその頭に優しく手を置いた。
「良いよ。元々アズの為にと考えた技だ。あたしの許可なんて求めなくても、アズの使いたい様に使えば良いんだよ。後はあたしが上手い事助けてやるから、大船に乗った気で頑張りな。」
「…あ、有難うございますです!」
「良い返事だ。ただし、ちゃんとあたしや周りの人の意見は聞く事。そしてもしも体調がキツくなったらすぐに言う事。じゃなきゃかえってみんなの迷惑になるからね。それは約束出来るかい?」
「勿論なのです!」
「良し、そうと決まれば話は早い。アズ、準備運動をしな。アレを使うのは久し振りなんだから、少し練習して感覚を思い出しておくんだよ。あの子の方にはあたしから話をしとくからね。」
ショホウの許可を得たアズは嬉しそうに頷くと、伸び伸びと翼手と尻尾を動かし始めた。その様子に気付いたアキトが彼女の方を向くと、丁度いいとばかりにショホウは彼を伴って少しその場から離れ、アズが何をしようとしているのかその概要を話した。
「え?アズちゃん、そんな事が出来るんですか?」
「ああ、出来る。まだまだ未熟な所もあるけど、ここから目的地に行く位なら何とかなるよ。兄ちゃんにはかなり不安が残る方法かも知れないがここは一つ、あの子の為と思って手伝ってやってくれないかい?」
「いえ、手伝うも何も手伝って貰うのはこちらの方なんですよ?寧ろこちらから頭を下げてお願いする位ですよ。」
「…へえ、アレの内容を聞いて全くビビらないとはね。一歩間違えたら命の危険だって有ると言うのに、大した度胸だよ。しかもその目、あの子の事を本気で信頼している目だ。なるほど、これならあの子のあの態度も納得だね。」
ニヤニヤと笑いながら顎に手を当てて何度も細かく頷くショホウに対し、最新式の薄型気密服を召喚術の応用で早着替えしながら怪訝そうな表情でアキトが見つめていると、その緊張感の無さに呆れてカスミのスライムがニョッキリと生えて来た。
『…ショホウさん、そろそろアズさんの準備の方はよろしいかしら。それとも、今からでも他の方法を探した方がよろしくて?』
「おおっと失敬、そう言えば時間が無かったんだった。いやぁ、何だか娘の成長を感じる親の気持ちっていうの?嬉しい様な寂しい様な…いや別にあたしの子じゃないんだけどさ。何かそんなのをしみじみ感じちゃってね。」
『それは大変よろしい事ですが、時と場所と状況をわきまえて下さいませ。愛しい家族の笑顔を本気で守りたいのなら、今すべき事は感慨にふける事などでは無いでしょう?』
「あっはっは、こいつは参ったね。全く反論出来やしないよ。そんじゃご要望にお応えして『巻き巻き』で行っちゃいますかねっと。よっしゃ、アズ!そろそろ良いだろう?あんたの力、この子に見せてやんな!」
「はいなのです!」
ショホウの言葉に呼応して、アズは翼手を大きく羽撃かせながら、同時に尻尾で大地を蹴る。その跳躍は速く、また飛距離も長く、少し離れた位置にいるアキトの頭上を軽々と飛び越えてその後方に綺麗に着地した。その軽業師の様な芸当に、思わずアキトは呆気に取られる。
「少し失礼致します。兄様はジッとしていて下さいです。」
するとアズはアキトの背中目掛けて飛び付き、そこにしがみ付く。続けてその細く長い尻尾をタスキ掛けの様に彼の身体に巻き付け、自身と密着させつつキツく固定すると、余った尻尾の先端部を地面に向けてピンと張る。そして翼手を大きく広げ、深呼吸をした。
「…怪しい風は吹いてない…今なら恐らく行けます。ショホウ様、お願いしますです。」
「あいよ。そんじゃあたしは先に行って安全を確かめて来るから、そこでちょっとばかし待っててな。」
するとショホウは長い尻尾でトグロを巻き、地面に押し付ける。そしてトグロを縮めたバネに見立てて勢い良く跳躍した。鬱蒼と生い茂る木の枝の網を力任せに押し退けて、すぐにその姿は見えなくなる。そして数百メートル先に着地しては再び大きく跳躍し、森の奥深くに消えて行った。
「はええ…凄い跳び方。蛇型導族の方って、みんなあんな感じで移動するんですか?」
「いえ、あれはショホウ様独自の移動法です。普通は尻尾を使うだけではあんなに高く跳躍出来ないので、移動する際には普通に手足も使うのです。」
「あ、あはは…それは凄まじいですね。あの尻尾で叩かれたら、その部分だけが綺麗に吹っ飛びそうですよ。」
「ええっと…そこまで行かずとも、それに近い事にはなったかと…。」
若干ながらアズの声は震えている。ショホウとの旅路の最中、治安の悪い場所を通る時には、悪漢に襲われる事も少なからずあったのだと言う。そしてその時は決まって、アズは目を閉じる様にと言われていた。しかしある時、その凄惨な現場を見てしまったらしい。
「勿論、相手を殺す事まではしていません。ただ、中には相当に執念深い方もおられて…何度撃退しても、また何度でも復讐しに来ましたです。そしてついに私がそれで大怪我をしてしまった時、ショホウ様は酷くお怒りになられて…その…二度とそんな気を起こさせない為にと…。」
「…その位でいいですよ。すみません、迂闊な発言でした。貴女に辛い事を思い出させてしまいましたね。」
「……いえ、大丈夫です。寧ろ私はその一件で、ショホウ様のお力に甘えてばかりの、そんなどうしようもなく弱い自分に気付いたのです。それがとても…とても悔しかった…!」
そこでアキトは、アズがその凄惨な現場を思い出した事で震えていたのでは無いと悟った。アズは自身が守られてばかりで、その為に辛い事をショホウにさせてしまった事を悔い、そうさせてしまう自らの弱さと甘さに憤っていたのだ。
「だから私は、ショホウ様に戦い方を教えて下さいと願いました。せめて足手まといにはならない様に、出来れば少しでもお役に立てる様にと。ショホウ様は最初はとても渋ってらしたのですが、ついには折れて、私用にと『ある技』を考案して下さったのです。」
「アズちゃん用に?もしかしてそれがこれから使う技なの?」
「はい、私でなければ使えない…そんな技だとショホウ様は仰いましたです。だから私は寝る間を惜しんで懸命に努力し、それを会得しました。その時ショホウ様は、とても驚きながらも喜んで下さったのを…私は今でも鮮明に思い出せますです。」
アズの声はとても優しかった。きっとショホウが喜んでくれたのが、他の何よりも嬉しかったんだろうとアキトは思う。と、その時近くに何かが落ちて来る音が聞こえた。何かと思いそちらを向くと、数十メートル先の木の枝が見事に折れている。敵の攻撃かとアキトが身構えると、アズが落ち着く様にと言う。
「大丈夫です。あれは攻撃では無く、ショホウ様の合図ですから。それでは兄様、準備の方をお願いしますです。」
「わかりました…って、え?まさか目的地から石でも投げてここまで届かせたって言うんですか?しかも狙いもかなり正確ですし…。」
「はい、ショホウ様の尻尾なら可能です。あと本気を出せば、もっと遠くまで飛ばせると思いますです。」
「……やっぱり規格外ですよ、あの人。」
アキトがヘルメットを付けたのを確認すると、アズは空色の翼手を再び大きく羽撃かせる。すると風が巻き起こり、アキト達を優しく包んで空へと誘う。その状態で姿勢を制御すると、次は水色の尻尾の先端から『高密度の空気を含んだ水』が高圧で噴き出し、彼女達を勢い良く上方へと押し出した。
「が、『河流天征』…なのです!」
それは水導術と風導術を組み合わせた移動技であった。風導術の技術で体重と空気抵抗を減らし、質量のある水を後方へと勢い良く放ち続ける事で、継続的に強力な推進力を得る事を可能とする。その速度は一瞬にして高い木の頂上を飛び越える程であり、十数秒後には上層の雲を突き抜け、星が煌めく夜の天空に河の流れを描いて征く。
(これは凄い速度ですね。それに…なるほど、これほど上層まで来れれば敵も簡単には攻撃を仕掛けられないと言う訳ですか。しかもこの速度に加えて的の小ささ、相手は狙い撃つ気にもならないでしょうね。)
しかしこの技には少なからずデメリットもある。質量を減らしているので加速度による負荷は通常と比較して格段に少ないが、抵抗を減らす為に周囲の気流や空気の密度を操作しているので、生身の肉体ではその変化に対応出来ないのだ。その為、安全に活用するにはそれなりの制約がある。
(僕の様に気密服を着るか、もしくはアズちゃんの様に水導術で体表面に薄い水膜を張って防御するか…ですか。前者はともかく、後者は結構難しい技術の筈。まさかそれを系統違いの導術である風導術の高等技術と併用するとは…。)
アズの思わぬ才能に感嘆する事数秒間、雲の上から見える天然のプラネタリウムを眺めていると、やがて視界は再び雲に覆われる。目標地点のすぐ近くに来たのだろう。地面に目掛けて急降下を始めた。そして雲の層を突き抜けたアキトは、地獄に落ちるが如く真っ逆様に墜落して行く。
「着陸します!衝撃に備えて下さいです!」
緊張気味のアズの声がアキトの鼓膜を小さく揺らした。その次の瞬間に彼の視界は反転する。急速に近付いていた木々の頂点は夜空へと変わり、すぐに枝葉へと変わった。それと同時に今まで聞こえなかった大きな水飛沫の音が聞こえて来る。
(…音が良く聞こえるって事は、もう気流の操作は解除したって事ですね。しかしこうして見るとかなり強烈な水の噴射だな…当たったら痛いじゃ済まなさそう…。)
周囲に戻って来た音を拾いつつ、アキトは水の噴射で無惨に枝を折られ行く木々を見ていた。固定されていない枝を折れるだけの水が背中付近から噴出していると思うと、思わず背筋に冷たい物が流れるのを感じる。着陸する場所の地面も見事にえぐれ、その凄まじさを視覚的に表していた。
「ふう…何とか無事に到着しましたね。アズちゃん、ありがと…」
その水溜りの上に無事着水したアキトはヘルメットを外し、彼女に礼を言おうと振り返る。しかしその言葉は途中で途切れる。彼の目に、青ざめた顔で息も絶え絶えな状態のアズの姿が飛び込んで来てしまったからだ。
「はあ…はあ…はあ…!」
「ちょ⁉︎だ、大丈夫ですか⁉︎」
急いでアキトは水溜りから出てアズを背中から下ろし、その状態を確認する。まさか移動の最中に敵の奇襲でも受けたのかと心配し、隈なく身体を確認したが、その様子は見当たらない。一先ず命に別状は無さそうだとわかって胸を撫で下ろした所に、異変に気付いたショホウが近付いて来る。
「あっちゃあ…言わんこっちゃない。アズ、あの高度と速度は流石に張り切り過ぎだよ。やっぱり無理してたんだね。」
「ショホウさん、アズちゃんは一体どうしたんですか?見た所、導子切れの様子なんですが…。」
「…その通りだ。別に変な病気とかじゃないから心配は要らないよ。しばらく休ませておけば回復する。兄ちゃんは確か召喚術使いだろ?どこかに安全な転送場所は無いのかい?無いならあたしが背負って行くけど。」
「丁度今、公女様と僕のペットの地竜を学園付属の病院に匿って貰っています。状況が状況なだけに絶対安全とは言い切れませんが、ここよりは遥かにマシです。そちらに転送しておきますか?」
「そうだね。悪いけどそうしてくれないかい?」
そしてアキトはカスミを通じてシルバーナに説明し、アズを病院に転送しようとした。しかしその時、とても不安そうな彼女の視線と目が合った。導子切れの影響で非常に苦しそうであったが、それ以上に何かを求めるかの様な、また何かを恐れている様な気持ちが伝わって来る。
(この目…そうか、この子は本当に僕と似ているんですね…。)
そこで何を思ったかアキトはアズに優しく微笑みかけ、再填召喚で『自身と彼女とを尻尾で巻き付け、互いに向き合った状態』になる様に自分達の体勢を変える。そして呼吸がし易い様にとアズの背中をさすり、安心させるようにしっかりと抱き締めながら耳元で囁いた。
「有難う、アズちゃん。風導術の得意な翼竜種と、水導術の得意な水龍種、その混血である貴女だからこその技、実にお見事でした。お陰で本当に助かりましたよ。」
「に…兄…様…。わ、私は…まだ…まだ…!」
「アズちゃん、どうか自分に自信を持って下さい。貴女はこんなにも凄い力を『両親』から受け継いでいるんです。そしてショホウさんが考えてくれた技術も貴女は見事に会得し、僕の窮地を救ってくれました。それは確固たる事実なんですから。」
「だ…だけ…ど…!」
アキトの優しい言葉。彼が自分に失望していないと言う、己の存在を肯定する証明。それは確かにアズの心が欲した物であり、事実それにより彼女の心は幾分か満たされもした。しかしそれだけでは満足出来ないとばかりに彼女の心は叫ぶ。だが、それを口にするだけの体力はもう無かった。
「僕は貴女に会えて良かった。心の底からそう思いますよ。そして貴女が大事だからこそ僕は言います。ここは無理せず休息を取って下さい。そして体力が回復したら、また貴女の力を頼らせて下さいね。」
「本当…ですか…?また…こんな私…を…。」
「ええ、約束しますよ。貴女の導術は僕にとって必要な力です。だから今はしっかりと休んで、少しでも早く体力を回復して下さい。また貴女を頼れる様に。大丈夫、その間はショホウさんが僕を守ってくれます。だからアズちゃんは安心して…ね?」
「…わかり…ました…。約束…です…。」
少し口惜しそうではあったが、アズは安堵したように力が抜け、アキトの胸にもたれかかる。最後にアキトは母親の様に優しく少女の頭を撫でて、そのまま病院へと転送した。するとその様子を見ていたショホウがどこか申し訳無さそうに近付いて来る。
「…済まないね。そして礼を言うよ。今のあの子に必要な言葉をかけてくれたんだね。」
「何を言ってるんですか、僕は本心からそう思っているんです。あの高速飛行術は、逃走手段に乏しい僕にとって本当に役立ちます。貴女だってそのつもりで教えてたんでしょう?万が一の時、彼女が一人で逃げ果せれるようにと。」
「……続きは歩きながらで良いかい?聞きたい事にはちゃんと答えるからさ。」
「元よりそのつもりです。こちらこそ、時間を掛けてしまって済みませんでした。」
先陣を切って歩き出すショホウに対し、後方を確認しながらアキトは進む。木々と暗闇で視界もほとんど無く、また道とは到底言えない状態の山道を進むにしてはショホウの歩みは明らかに速い物であったが、アキトは何食わぬ顔でそれに付いて行く。
「…その様子だと、アズが何故あんな技を使えるのか…その経緯はあの子から聞いているみたいだね。」
「ええ、アズちゃんは戦い方をショホウさんに教えて欲しいと言っていたみたいですね。それで教わったのがあの技だったと。あれは明らかに戦闘目的の導術ではありませんでしたけど。」
「あはは、一応突進術って体で教えてはいたんだけどね。あの子は本当に優しい子だ。だから血生臭い戦いの技術なんてさ、やっぱりあたしは教えたくなかったんだよ。だけどあの頃のあの子には何か目標が必要だった。必死で打ち込める何かが必要だったんだ。」
「だからアズちゃんにあんな難しい技を提案したんですか。修行をなるべく長引かせようとしたんですね。そしてそれを会得出来た後でも、戦闘に巻き込まない様にと敢えて移動術を教えたと。」
系統違いの導術の併用などそう簡単に会得出来る物では無い。それをろくに訓練も積んでいない十歳そこそこの少女に教えるのは、明らかに指導者としておかしい采配である。つまりショホウは無茶を承知で先の技を教えたのだとアキトは考えていた。
「半分正解だよ。確かにあたしは戦闘に直接関わらせない為に移動術や索敵術を教えたが、あの子だったらそこまで時間をかけずに会得出来るとも思っていた。それ位、あの子の才能は高かったんだ。兄ちゃんもそれは肌身で感じたんじゃないかい?」
「…ええ、確かに。雲の上から目的地までの正確な距離を測って移動出来るのも凄いですし、複数の難しい制御を一度に行うあんな器用な技、僕は今まで見た事が有りません。」
「だろうね。でもここで誤算だったのが、あの子の才能はあたしの予想以上だったって事だ。知ってるかい?あれらは普通なら会得に最低でも年はかかるであろう高等技術なんだ。だけどそれをたった数週間で全て自分の物にしたんだよ、あの子は。」
「数週間⁉︎天才じゃないですか!」
しかし実態は逆であり、寧ろ会得出来ると踏んだ上で彼女の実力を出し切れる様にと、敢えて高難度の技を彼女は提案していたのだ。アキトもコウガから学んだ特殊召喚技術を数日で会得している辺り、決して他人の事を言えた義理では無いのだが、それでもその才能に驚きを隠せなかった。
「そしたら嬉しそうにさ、次は何をしましょうかって言って来たんだよ。勿論、他にも色々教えられる事はあったし、あの子ならすぐに習得出来たろう。だがそこには自らを一向に顧みようとしない、そんな危うさがあったんだ。」
「…つまりショホウさんの役に立ちたい余り、勝手に無茶をする可能性が出て来たと。確かにそれは困りましたね。」
「しかし情け無い事に、あの笑顔を見ちまったあたしは情にほだされちまってね。もうそこで止めろと言えなかったんだ。だけど幸か不幸か、あの子は導術の出力に対して明らかに保持導子量が少なかった。だからその弱点を先に克服するのが先決とか言ってお茶を濁したのさ。」
「保持導子量が…少ない?」
「ああ、恐らく混血である事の弊害だね。あの子は翼竜種の保持導子量に、水龍種の出力量を持って生まれて来たんだ。エコカー用燃料タンクを載せたレーシングカーみたいなモンだよ。ちょっと本気出して術を使えば、あっと言う間にさっきの状態になっちまう。」
「それでアズちゃんは先程、導子切れを起こしてしまった訳ですか。せっかくショホウさんが考案して下さった技なのに、あの子はそれを満足に扱えない…とても残念だったでしょうね。」
簡単に言えば、アズは精密で高出力な技を出せるが、代わりに長く保たない『短期決戦型』であった。彼女は混血であるが故に風導術も水導術も純粋種と比較して半端な威力しか出せない。ならばとショホウは二つを組み合わせて使う事を提案し、事実それは彼女の才能もあって成功を収めたのだが、彼女の体質はそこでもまた彼女の足を引っ張っていたのだ。
「確かにとても落胆していたし、混血である自分を責めてもいたよ。でも技が使えない訳じゃないし、問題こそあるが移動手段としては高性能だからね。緊急時の逃走手段として必要だって言ってあの子を納得させつつ、危険から遠去けたんだ。」
「アズちゃんの保持導子量的に、休憩を挟まずあの技を使える回数は精々一、二回。つまり無駄遣いは出来ない。あの子を保険とする事で、あの子自身を直接的な戦いに関わらせずに済んだって事ですか。ですがそうなると解せませんね。何故貴女達は捕まってしまったんですか?」
「…ま、保険ってのは平時は使わないって事だからね。あの子が本当に保険として機能するには経験が圧倒的に少なかったのさ。つまり全ては過保護にし過ぎたあたしの失策って事。本当、情けないったらありゃしないよ。」
ショホウは苛立ち混じりに言葉を吐き捨てる。彼女曰くアビス王国の主要港に滞在していた時、怪しい男達に狙われそれを撃退したまでは良かったのだが、その隙にアズを人質に取られてしまったらしい。戦い慣れしてないアズは抵抗する事が出来ず、ショホウもアズの身を案じて抵抗を諦めた結果、共倒れになってしまったのだと言う。
「…あの子は捕まっている最中、その事で何度もあたしに謝ってたよ。おかしいよね?謝らなきゃいけないのは、その事態に対応出来る力を得られるとわかってて与えなかった…あたしの方だって言うのにさ。」
彼女が強く踏みしめる地面には、怒りにも後悔にも似た激情の跡が残っていた。
「あの子は冷たく硬い床に何度も頭を叩き付けながら、ただでさえ低い自己肯定感やなけなしの自信を自分で完全に潰そうとしてた。別の檻に入れられていたあたしは駆け寄ってあの子を抱き締めてやる事も出来ず、響きもしない虚しい励ましの言葉をかけてやる事しか出来なかった。」
彼女から溢れ落ちる言葉は、心なしか悲しみに打ち震えている様にも聞こえた。
「だからあたしは絶対にこの子だけは助けたいって思ったんだ。あんな状態にしちまったのは指導者たるあたしの責任だからね。それで兎にも角にもここから脱出しようと考えて、奴隷船がヨミ国に接近した頃を見計らって逃走したんだ。」
「それが今日の午前中ですか。確かショホウさんが船内で暴れて敵を引き付け、その隙にアズちゃんに助けを呼ばせる名目で外に逃したんですよね。だけど逃げるタイミングとしては早過ぎたんじゃありませんか?もう少しでアズちゃんは溺死する所でしたよ。」
「…言い訳のしようも無いね。無茶な作戦だってのはわかっていたけど、奴等が交渉の為にとそちらに注意が集まり、警備に隙が出来たあの時が絶好の機会だったんだよ。元々ヨミ国には亡命するつもりだったしね。計算外だったのは、黒い虎の鉄仮面の男の存在だった。」
「黒い虎の鉄仮面…それってまさか『ソヨカゼ』さんですか?」
アキトはアズの救出直後に出くわしたソヨカゼの事を思い出す。アズと共にアキトは彼に回収されてカゲロウ達の元に連れて行かれた状況から鑑みて、まず間違いは無いだろうとアキトは踏んでいたが、しかし彼の推測に対してショホウは肩をすくめて首を横に振る。
「さあ、流石に名前まではわからないね。だけどそいつはアズが飛び立った時、それを邪魔する様に空気を操ったんだ。結果、バランスを崩したアズは途中で海に落ちてしまった。だから急いであたしも海に飛び込んで、仮面の男の注意を自分に引き付けようとした。」
「引き付ける?アズちゃんを助けに行ったのではなく?」
「あの子は水龍種の血も継いでいるから、泳ぎもかなり得意なんだよ。だから敵さえ何とか出来ればそのまま泳いで逃げ切れると思ったんだ。だけどあの子は自分が狙われていると思って、息継ぎをしないで岸に行こうとしたみたいだね。」
「あの距離を息継ぎ無し⁉︎そんな無茶な…。」
「いや、満更そう無茶な事でも無い。普段のあの子だったらあの程度の距離くらい息継ぎ無しでも楽に泳ぎ切れた。だけどあの時アズの体は、あの子が思うよりもずっと弱っていたんだよ。そんな状態なのにいつもの調子で泳ごうとしたもんだから、体が悲鳴を上げたって感じかな。」
純粋な水龍種であれば、その太く長く特徴的なヒレを持つ青色の尻尾が『エラ』として機能し、水中でも呼吸をする事が可能である。しかし混血である彼女はその特徴が薄れ、充分な呼吸をする事が出来ない。更にそこに劣悪な環境による体調不良が重なった結果、アズは溺れてしまったのだ。
「異変に気付いたあたしは急いで助けに戻ろうと思ったけど、その時丁度岸の方から誰かが泳いで来るのが聴こえた。奴が姿を隠したのを見て敵じゃないと悟ったあたしは、救助をその誰かに任せてその場を離れ、ヨミ国外務省に連絡を入れて奴隷売買の事を知らせたんだ。」
「そう言う事でしたか。しかし見知らぬ人族に導族の少女を任せるだなんて、貴女も中々大胆な事をしますね。もしかしたら良からぬ事を企む輩だったかも知れないんですよ?」
「その不安は確かにあった。正直、あの時は藁にもすがる気持ちだったよ。だけど最悪、あたしだけでも一時的に逃げ切れれば後からアズを救い出せる可能性も有ると考えたんだ。少し非情かも知れないけどそれが最善だろうと、自分を納得させた。」
「…その判断は間違っていないです。事実、あの方達にあの子を殺す意味は無かったですし。…まあ、僕に対する脅迫の材料として利用させてしまいましたけど…。」
「別にその事で兄ちゃんを責めやしないよ。事情は外務省職員から聞いてる。しかも兄ちゃんは自分の身の危険にも憚らずあの子を助けてようとしてくれたんだろ?だから本当に有難うって言いたかったんだ。今この場で改めて礼を言わせて貰うよ。」
ショホウは不意に立ち止まるとアキトの方を向き、深々と丁寧に頭を下げる。それは見事なまでに綺麗なお辞儀であった。するとアキトは勿体ないとばかりに首を細かく何度も横に振る。
「や、やめて下さい。僕なんて本当に大して役になんか立ってませんよ。結局、僕は少し抵抗しながら時間を稼いでいただけですし…。お礼ならそこから助け出してくれたコチヤ先生やコウガ先生に言って下さい。」
「確かにそうかもね。でも、それが全てじゃないのさ。それだったらあたしにも出来る。だけど兄ちゃんはそれ以上の事をあの子にしてくれたんだ。」
「それ以上の事?」
「あの子に居場所と自信をくれた事さ。あの子の目を見た時あたしは驚いたよ。なにせ出会ってから今までの中で一番生き生きとしていたんだからね。それは間違いなく、あの子を必要としてくれた兄ちゃんのお陰なんだよ。」
「必要…ですか。しかし、それなら貴女にも可能な事だと思いますが?」
アキトの言葉に対して、ショホウは項垂れつつゆっくりと首を横に振った。
「いや、きっと駄目だろうね。はっきり言うけどあたしは一人の方が何倍も動き易いし、聡いあの子はそれを良くわかってる。だからあたしがあの子に『あんたが必要だ』って言っても、きっとそれが気遣いだって思われちまうのが関の山だ。」
「…強いが故の悩みですか。身を守る為に誰かの手を必要とする、そんな弱さもまた使いようって事なんですかね…わかりました。そこまで貴女が仰るのなら、僕は貴女のその礼に応えられる様に精一杯の努力をしましょう。」
「…本当に恩に着るよ。さて、少し長くなっちまったが、あたしの話は一先ず終わりだね。あとは何か質問があれば言ってくれ。ああ、だけどアズの事に関してはこれ以上は勘弁してくれな?代わりにあたしの事なら何でも答えてあげるからさ。」
ショホウの言葉にはアズと同様に優しい響きがあった。アズがショホウの喜ぶ顔を見て嬉しくなったのと同じように、ショホウもまたアズの成長を心から喜んでいたのだ。その姿を見てアキトは意を決した様に頷いた。
「…いえ、貴女の身の上や事情を無理に聞く必要はありません。僕は貴女を全面的に信頼すると決めましたから。例え、貴女が誰の『手先』であったとしても。」
アキトの言葉に、ショホウはその表情を柔和な物から厳しい物へと一変させた。暗闇の中でも確かにわかるその鋭い眼差しをアキトは堂々と受け止め、怖じ気付く事無く真っ直ぐ見返す。
「……おかしい事を言うね。あたしが怪しいってんなら信頼なんかせず、何か適当な理由を付けて遠去けるのが普通だよ。それともカマでも引っ掛けて、もっと情報を引き出そうって算段かい?」
「そう言う面も有ります。ですが貴女を信頼しているのは本当です。アズちゃんの事を心配する貴女はまるで本当の母親の様でした。例え貴女が他に何か隠しているんだとしても…その『心』を僕は信じたいんです。」
「…存外にロマンチストなんだね、あんた。もしもあたしがあの子を利用しているんだって言ったら、あんたはどうするんだい?」
「それがあの子やルビィの不利益となるのなら、僕はそれを回避する為の最善を尽くします。ただそれだけの話です。それとも貴女は、アズちゃんに不幸になって欲しいだなんて本気で思っているんですか?」
彼の直球な質問と、その愚直なまでの覚悟を秘めた眼差しに気圧され、ショホウは思わず睨みを解いて視線を逸らしてしまった。
「そんな訳…無いじゃないか。あたしだって…あたしだってあの子には幸せになって欲しいと思うよ…!」
「だけどそれ以上にやらなきゃならない事がある…ですよね?だったら話は簡単です。ショホウさん、僕を利用して下さい。」
「利用…?あんた、一体何を言っているんだ?」
「そのままの意味ですよ。僕を上手い事利用して、貴女の目的を達成して下さいと言っているんです。」
困惑するショホウを他所に、アキトは淡々と自らの境遇を説明し始めた。
「 こんななりでも僕は一応、特別親善大使と言う扱いです。ヨミ国とアビス王国との親善を深めると言う使命があり、それを達成する為の特別な権利を与えられています。それを上手く活用出来れば、貴女の問題に干渉する事だって可能です。」
「そんな事はわかってるよ。でもね、あたしの抱える問題は政治が絡むと寧ろ複雑化するんだ。あんたの様に半端に顔が売れている下手な成り上がり権力者なんかとは、特に相性が悪い問題なんだよ。」
「つまり余り公にしたくない問題だと。その問題の鍵となるのがアズちゃんなんですね。最初から亡命するつもりだったらしいですが、あの子をこの国に連れて来たのもそれが目的ですか。」
「…あの子の事は訊かないでおくれよ。あたしにだって扱い切れないくらい大きなモンを抱えてんだから。それにあの子の問題にあんたが下手に首を突っ込んで、そんでもしもあんたの身に何かあったら…今度こそあの子の心は…。」
ショホウは哀願するようにアキトを睨む。それはアズを想うが故にアキトの助力を拒絶する、そんな悲しい覚悟のこもった瞳であった。それを見たアキトは、益々彼女達を守りたいと思った。彼女達の様な微笑ましい『家族』を守りたいと望み、彼はキツネとの契約に臨んだのだから。
「…僕は死にませんよ。少なくとも、貴女やアズちゃんが幸せに暮らす世界を見るまでは。」
「生意気な事を言ってんじゃないよ。こうして守って貰わなきゃいけない奴が、どうしてそんな根拠の無い自信を持てるんだい。」
「この世に絶対なんてありません。だからこそ虚構であろうと威勢を張らなきゃならないんです。それに僕の自信は満更虚勢だけでは無いんですよ?僕の背後にいる方は、利用価値さえ有れば生かして活用しようとする方ですからね。」
「だからあんたは助かるってのかい?そいつは大した自信だね。誰かの背後に居るような奴が、あんたの前に出て弾除けにでもなってくれるとでも? 」
「確かに。ですがあの方は代わりに背後で動いてくれます。僕が上手く立ち回りさえすれば、危機回避出来る様に状況を整えてくれるでしょう。正統な理由があれば何をやっても許される、それ程の権力を所持者に持たせられると言う…この『ライセンス』をくれたのがその証左です。」
そう言ってアキトは『ライセンス』を取り出してショホウに見せる。すると何を思ったのか、ショホウは尻尾を長く伸ばしてアキトを瞬時に捕らえ、身動きが取れない状態にして自身の右斜め上側に引き寄せた。ギリギリと締め上げるその力は非常に強く、あちこちの骨が軋む音が聞こえる。
「ペンは剣より強しって言うけどね、そんなの相手が権力に屈服してくれるから成り立つんだよ。今の様に権力をかざして脅しても、利益を説いても理解しない…そんな脳筋野郎にこんな風に不意に羽交い締めにされても、それでもあんたは助かるって言うのかい?」
「ぐ…む…も、勿論…ですよ…!なん…なら…賭けても…良い!」
「…面白い。それじゃあ、この状況から抜け出して見せな。手段は問わないが誰にも頼っちゃいけないよ。見事抜け出せたらあんたの勝ち、出来なかったらあたしの勝ちだ。あたしが勝ったらあんたは大人しくこの件から身を引きな。」
「わかり…ました。だけど…僕が勝った…ら、僕の…頼みを…聞いて…下さい…!」
「良いだろう。そしてあたしに二言は無い!さあ、しのごの言わずに抗って見せな!」
アキトはろくに息も出来ない状況ながら、自身の前方斜め上から身の丈以上の巨大な鉄塊を召喚する。その重さで尻尾を押し潰し抜け出そうと言う算段だが、彼女の鍛え上げられた尻尾はビクともしない。
「何⁉︎」
その時尻尾の上に乗った鉄塊が斜めになり、その上から何かがショホウの側に転がり落ちて来た。それは『ピンの抜けた閃光手榴弾』であった。アキトは鉄塊を召喚する時に、ショホウの位置から見えない様にしてそれも一緒に召喚していた。つまり二段構えの攻撃であったのだ。
(…まだ間に合う!)
だがショホウは少しも焦らない。閃光手榴弾が爆ぜる前にそれを遠くへと殴り飛ばそうと構える余裕すら見せる。しかしその時、手榴弾は突然『鉄塊』と入れ替わった。アキトの交差召喚である。それにより上からは巨大な鉄塊が、下からは閃光と爆音が同時にショホウに襲い掛かろうと言う形となった。
「…舐めんなァ!」
しかしショホウはやはり冷静だった。刹那、足元の閃光手榴弾を右足の踏み付けで地中に埋め、その勢いを乗せて放つ強力なアッパーで上から襲い来る鉄塊を自身の後方へと弾き飛ばしてしまったのだ。アキトの渾身の攻撃を難なくいなしたショホウは、静かに尻尾の巻き付ける力を強める。
「…フン、どうやら少しは戦える様だね。だが強力な創造召喚でも無い限り、召喚使いは所有物の攻撃力に依存する。よって今の様に決定力不足になりがちだ。更に主な攻撃方法が銃や剣では、身動きが取れない状況で出来る事が限られてしまうんだよ。さあ、まだ続けるつもりかい?」
「そ…れでも、今の…僕に…は、これしか…無い。でも…それで…諦めたくなんて…無い!」
「…いい加減にしな!それしか無いってわかってんなら、身の程を知って大人しくしているのがあんたにとっての正解なんだよ!あの子の幸せを本気で考えてくれてるんならさ…頼むからここいらで引いておくれよ…!」
直後、アキトの身体を締め付けていた尻尾の力が少し緩む。彼女の尻尾の力は半端では無い。つまり少し力加減を間違えるだけで、アキトの体など簡単に潰されてしまうのだ。彼女は自分が少し感情的になって来た事で力を込め過ぎない様にと加減したのだろうとアキトは感じ、ならばと口を開いた。
「嫌です!貴女がそんな悲しそうな顔をしていて、それであの子が本当に幸せになれるとでも思ってるんですか⁉︎貴女こそ身の程を知りなさい!あの子にとって、貴女は本当に大切な人なんです!貴女が思っている以上に!大切な人なんだ‼︎」
「う…う、うるさいねぇ!今日出会ったばかりのあんたに、あの子の一体何がわかるってんだい!わかった風な口を利くんじゃないよ!」
「わかりますよ!アズちゃんが貴女の事を本当の母親の様に大事に想ってて、貴女に教えて貰った技を誇りにしてて、だからこそそれを上手く扱えず、肝心な時に役に立てなかった不甲斐ない自分が許せなくて…!」
「…黙れ…黙れよ…!」
「貴女だって本当はわかっている筈だ!あの子が貴女を本気で慕っている事を!貴女の幸せを願っている事を!例え自分が利用されているってわかっても、それでもあの子なら最期の最後まで貴女を信じて従いますよ!貴女の事が本当に大好きだから‼︎」
「黙れって言ってるのが、わからないのかァアアア‼︎」
アキトの言葉にショホウは耐え切れず、良心の呵責から来る涙ながらに自身への怒りの表情を剥き出しにした。その溢れる思いを抑え切れず、心に反応した尻尾が強く巻き上げられ、アキトの身体を強く締め上げる。それでも彼は強くショホウの目を見続けた。
「ぐ…うう…!」
「………チィ!」
アキトの真っ赤な顔が次第に青ざめ、生命の危険を側から見ても明確に、否が応でも感じたとしても尚まだ意地を張っていると、その時急にその拘束が解かれた。解放されたアキトは地面に手をつき思い切り咳き込む。
「ガホ!ゲホガハ!」
「この大馬鹿野郎!何でさっさとギブアップしないんだい!あんたもう少しで本当に死ぬ所だったんだよ⁉︎そんなのあの子だって望んじゃいない!何でどいつもこいつもガキの癖に、自分の事を大事にしないんだよ!」
ショホウは苦しそうに下を向いて息をするアキトに、愚痴にも似た文句を言いながらその背中を摩る。すると手早く息の調整を終えたアキトがニヤリと笑ってショホウを見上げた。
「どうですか?あの状況からでも僕は助かりましたよ。確か手段は問わないんでしたよね。なら賭けは僕の勝ちです。」
「な⁉︎あ、あんたまさか…それでわざとあたしを怒らせたって言うのか⁉︎あ、呆れた…こんな下らない賭けなんかで死んじまったら、それこそ犬死にじゃないか!そんな簡単な事もあんたはわからないのか⁉︎」
「下らなくなんてないですし、犬死になんてしないですよ。貴女は怒ってはいてもなお冷静さを失っていなかった。目を見ていればわかります。慎重に僕の限界を見極めて、取り返しが付く様に配慮していました。だから僕は死なないってわかってたんです。」
「ぐぬ…だけどそんなのあたしの匙加減次第だった。一歩間違えれば死んでいた事には代わりないんだよ。あんたが今生きているのは偶々だ。そんな危険な綱渡りみたいな事を、あんたはこれからも続けて行くつもりなのかい?」
「ええ、勿論です。それがあの子の為になるのなら、僕は喜んで僕自身の命を賭けのチップに利用しましょう。無論、負けるつもりは全くありませんけどね。」
アキトは何の逡巡も見せず即座に頷くと立ち上がり、そして真っ直ぐショホウの目を見た。死にかけたと言うのにも関わらず、その瞳には先程と変わらぬ、いやそれ以上に強固な意思の光が宿っている。それを見たショホウは参ったとばかりに両手を上げて首を横に振った。
「はあ…その目、あんたやっぱ心底本気で言ってんだね。最早バカを通り越してドン引きレベルのド変態だ。とてもあたしの手にゃ負えない。医者だって匙を宇宙にまで放り投げるよ。」
「あはは、よく言われます。褒め言葉として受け取っておきますね。」
「…まだ減らず口を叩ける余裕があるのか、全く一体どんな神経をしてる…まあ今更な話か。あんたって本っ当に変わってるな。」
すっかり毒気を抜かれてしまったショホウは、心底呆れたと言わんばかりの大きな溜息を吐く。そして何かを決心したかの様な真剣な顔をして、その縦長の瞳でアキトの目を見た。
「最後に一つだけ聞かせてくれ。どうしてあんたは今日出会ったばかりの子の為に、ここまでしてあげる事が出来るんだ?」
「貴女と同じです。あの子の事が本気で心配で、本当に助けたいって思った…だからここまで出来るんです。その思いに出会ってからの時間の多寡なんて関係ありません。ただそう決めたから行動しただけです。」
「…ああもう!わかったわかった、あたしの負けだ完敗だ!そこまでの強い覚悟がある奴に、まだ止めろだなんてそんな野暮な事は言えないよ。後はもう兄ちゃんの好きにしたら良いさ。」
「あ…有難う御座います!」
アキトは先程のショホウの礼に対する返礼とばかりに綺麗なお辞儀をした。ショホウはその姿を見て少し忌々しそうな顔をしながら、同時に一種の清々しさを感じて目を細める。
「…さて、それじゃあ何処から話したら良い?兄ちゃんが望むのなら、あたしの知り得る限りの全てを教えても構わない。」
「いえ、その必要には及びません。」
「何?兄ちゃん、この一件に関わろうとしてんじゃないのかい?それなのに情報が必要無いって言うのかい?」
「それを決めるのは貴女ですよ、ショホウさん。始めに言ったじゃないですか、僕を『利用』して下さいってね。」
その言葉にショホウは少しの間黙り込む。そして彼が『関与』でなく『利用』と主張した事の意味を考えた彼女は、その意図する所に思い至って苦笑いする。『利用』された人物は『事情を知らないでいる』事が可能である。つまり共犯でありながら被害者面をする事が出来るのだ。
「…兄ちゃん。まさかあたしに全ての責任をおっ被せるつもりかい?」
「それも貴女次第ですよ。僕から提示する条件は三つ。まずは子供達の安全を最優先する事。その上で被害を最小限に留める事。その為に必要とあらば僕を躊躇無く巻き込んだり裏切る事。これを守って頂ければ、後は貴女の好きにして良いです。」
「はは…兄ちゃんに出す情報も、必要なら隠したり偽ったりしろってかい?その上であたしの目的を達成する様に、また被害が出ない様に上手い事兄ちゃんを誘導しろってかい…そいつは酷えや。とんだ無茶振りだよ。」
「それも承知の上です。しかし話を公に出来ない以上、表立って僕から動く訳に行きません。ですが僕が動かざるを得ない状況になれば話は別です。貴女には現状をその状況へと導いて頂きます。構いませんよね?」
「…もしもそれは無理だと言ったら?」
「それなら僕もその前提で身の振り方を考えるだけです。尤も、これは貴女にとってのチャンスでもあります。僕が貴女の立場であれば、出来ないだなんて言わないと思いますけどね。」
アキトは目を細め、口を閉じたまま口角を引き上げる。その嫌らしく不愉快な笑顔を見て、ショホウは誰かの笑みを思い出して苦笑いをした。
「はは…あんた、やっぱりあたしが誰の手先か本当はわかってんだろ。」
「さて、それは如何でしょうか。これは飽くまで推測の域を出ませんので、これ以上の発言は控えさせて頂きます。」
「それで良いさ。不確実な発言は控えるべきだからね。それで話を戻すけど、兄ちゃんには一体何の得があるんだい?」
「アズちゃんと貴女が不幸にならずに済む確率を上げられる事。そして貴女と言う強力な『共犯』を得られる事。それだけあれば充分です。」
「共犯…なるほど、本当の狙いはあたしの方だったのか。全く…どんな甘ちゃんかと思えば、甘い匂いで獲物を誘う猛毒だったみたいだね。蛇であるあたしに毒を食らわせようたあ良い度胸だ、その気骨気に入った。お望み通り、出された皿ごと全てを丸呑みしてやるよ。」
「交渉成立です。そう言う訳で、カスミ先生も宜しくお願いしますね。」
アキトはおもむろに自身の腕に話し掛ける。するとそこからひょっこりとスライムが顔を出した。それに表情は無いが、その挙動が心なしか怒っている様にも見える。
『あら?時間も無いと言うのにこんな所で無駄に命を賭けておられた方が、今更ワタクシに何を宜しくと仰るのかしら?』
「まあそう仰らず。それに先生だって僕に隠し事をしていたんですからお互い様です。さっきの茶番を静観して下さったと言う事は、お二方には始めから面識があったと言う事でしょう?であれば先生の反応にも合点が行きます。」
『…まさか、先程の茶番はワタクシに対するカマだったとでも仰るの?』
「はい。まずは失礼を詫びますね。ですが先生のショホウさんに対する態度や、僕が死に掛けても止めに入らない事からそう予想しました。お陰でショホウさんが『本当に』信頼出来る方だとわかったので、先程の交渉に臨んだんです。」
アキトがショホウに対して挑発とも取れる行動を取った目的の一つには、実はカスミの反応を見る事も含まれていた。ショホウの素性を本当に知らなければカスミが静観などする筈が無い。それが無いと言う事は、ショホウはカスミが信頼出来る程の有能な人物である事を示すのだ。それを聞いたショホウは大きな声で笑い出す。
「あっはっは!まさかあのカスミの姉御を試金石にしちまうとはね!こいつは傑作だ!」
『ショホウさん?それ以上不用意に笑っておられますと、その内痛い目に見舞われますわよ?』
「くっくっく…いや、すまねえ。わかっちゃいるから安心しなって。」
ショホウは口を開けて笑顔を作る。鋭利な二本の牙で敵を威嚇する様な凶悪な笑みに、鋭い殺気の滲む視線。それを見たアキトは何かを察して身構えた。次の瞬間、ショホウは全身の力を抜き、関節を外した両腕をだらりと前に垂らす。
「…さて、そんなこんなでお客さんのお出ましだね。兄ちゃん、下手に動くと危ないからちっとばかしジッとしてな。」
そう言い終わるか否かの刹那、アキトの頬を鋭い風がかすめて行く。それを起こした原因、それは非常に長く伸びたショホウの腕であった。続けて彼の後方で甲高い音が鳴り響き、何かが地面を引き摺る音も聴こえて来た。何事かと思いそちらを向くと、草木を掻き分けて何かが出て来る。
「これは…。」
その姿を認めたアキトは僅かに目を見開く。それは見た目こそ普通のグッタリとした野犬であったが、明らかにおかしい部分がある。ショホウの手刀に貫かれた部分からは何も滴っておらず、代わりに火花が散っていたのだ。
「軍用犬型機械兵…どうやら思ったよりも早く軍隊が到着した様ですね。しかし一体何処から来たのでしょうか?空からではありませんよね…まさか!」
それはヨミ国軍が開発運用している無人兵器であった。戦争に対する忌避感から来る慢性的な人手不足と、容赦無く削減される予算により戦力が著しく落ち続ける昨今のヨミ国軍は、なるべく安価な無人兵器を開発する事で戦力不足を解消しようと努めていた。これはその努力の結晶とも言える物である。
「…まだ居るな。音からすると五体…いや、十体て所か。まずは様子見って感じかね。丁度いい機会だ。少しばかりあたしの力、兄ちゃんに見せてあげるよ。我流拳技・千蛇砲撃!」
ショホウは両腕と尻尾をギュッと縮めると、目にも止まらぬ速度で四方八方に何度もそれらを繰り出した。数秒間で数十発もの長距離手刀を放ちながらも、一発一発が太い木を貫きながら機械を破壊する威力を持つそれらにより、辺り一帯の木々は綺麗に千切れ飛んで行く。
「っしゃあ!一丁上がりっと!」
やがて手刀と尻尾による横殴りの暴風雨が止むと、ショホウの側には無惨な姿になった犬型の機械兵達が積み重なっていた。その凄まじさを間近で見て、アキトは今更ながらよく生きていたなとしみじみ思う。
「兄ちゃん、こいつはさっきの非礼に対する詫びだ。受け取ってくれるかい?仕掛けてある銃や爆弾は起動しない様に破壊しておいたから安心しな。」
「え…ええ、有り難く頂戴しますよ。」
既にアキトの欲する所を読み取っていたショホウは、兵器達が完全に動かなくなるまで締め上げて破壊し、それを一つに纏めて彼の側に放る。ガシャリと音を立てるが物は言わない物体にアキトは近付き、『導術追跡機』を召喚してそれを使用した。
「…やはり召喚術ですか。」
その無人兵器からは召喚術を使用した形跡が発見されたが、アキトは驚く所か寧ろ納得する。軍が動き出してから兵器の到着までの時間が余りに短いので、特殊な搬送手段を使用しているのは確実であった。そして召喚術が使われていると言う事は、何処かに転送陣とそれを仕掛けた人物が居ると言う事でもある。
「協力者はトース卿の別働隊ですね。狙いは恐らくコウガ先生一家。ボウサさん達が言っていたのはこの事でしたか。先生達を捕らえて人質にでもしようと考えたんでしょうね。」
『そこにワタクシ達が近付いて来たので、急いで軍属召喚術師の転送陣の情報を受け取り、それを山中に描いたと言う事ですわね。やはりこの一件、軍も一枚噛んでいますわね。』
「先生、これもやはり『あの人』が仕組んだと思いますか?」
『ですわね。となれば、これはワタクシに動けと言うメッセージ。忌々しいですが、ここは素直に従ってあげましょう。』
「そちらはお任せします。僕達は生き残る事を優先しつつ、追跡機を使用しての転送陣の位置特定及び破壊を目指します。」
『了解しましたわ。御武運を。』
カスミのスライムが腕の中に消え入ったのを確認してから、アキトはディアを召喚する。相手が機械であれば、ディアは無類の強さを発揮出来る。相性的に考えて今回の戦いには非常に有利だとアキトは踏んだのだ。
「ディア、一先ずこれを全て食べ尽くして下さい。修理されて再利用されると困りますから。」
「キュイキュイ!」
アキトの指令にディアは頷き、無人兵器の塊を美味しそうに頬張る。兵器は全て軍の所有物である為、召喚で回収されて専用の土導術で修理すれば短時間で再び戦場に送り込む事が可能となる。少しでも戦力を削ぐ為に、完全に破壊して修理不可にする必要があった。その作業を眺めていた時、アキトは兵器に付いていたナンバープレートを発見する。
「このナンバーは…そうか、これらは正式採用されている兵器じゃないです。恐らくは試作機ですね。」
「へえ。兄ちゃん、兵器に詳しいのかい?」
「いえ。ただ僕の召喚術の先生からいつか必要になるだろうからって貰った本の中に、ヨミ国軍の正式採用されている兵器一覧があったのでそれと見比べたんです。それの索引に引っ掛からなかったので、恐らくですが。」
「なるほどね。だけどお相手もよく試作機だなんて信頼性の低いモンを寄越す気になったね。流石に本気で殺る気は無いんかな?」
「多分、実戦データの採取の為でしょう。兵器を実際に人に向けて使用する機会なんて滅多に無いですからね。僕は今や殺処分対象でどんな非道な事をしても許されますし、非人道兵器の実験対象として有効利用しようとしてるんじゃないですか?」
「……それを淡々と言える兄ちゃんの神経を疑うよ。」
ショホウは再び溜息を吐くが、ディアが嬉々として兵器を食べ尽くして行く様を見て、これで一食分の食費が浮くとか考えて浮かれているアキトにその溜息は届かない。と、その時の事である。突如としてヒエイ山の頂上付近から大きな爆発音と共に巨大な爆炎が登ったのだ。
「この方向と距離…まさか爆心地は兄ちゃんの先生一家が隠れている場所じゃないか?」
「そうですね。となると、トース卿の別働隊が仕掛けたんでしょう。」
「にしちゃあ兄ちゃん、随分と落ち着いているな。確か兄ちゃんの先生は導術が使えず、奥さんは大怪我したばかりで無茶が出来ない。その上小さな子供まで居るんだろ?彼等が心配じゃないのかい?」
「勿論心配はしていますよ。でも心配したって始まらないので、大丈夫だと信じます。そう信じて戦う事しか、僕には出来ませんから。」
アキトは軽く目をつむる。今の彼に出来る事は彼等の無事を祈る事のみである。そして祈った後はすぐに気持ちを切り替えて彼自身の戦いに集中する。
「ショホウさん、ディア、行きましょう。」
恐れや不安など邪魔でしかない。それでもしやられる様な事があればそれこそいい迷惑である。だからアキトは人としてあるべき感情を切り捨てる。その冷たい瞳に映る色は、何処と無く機械の放つ無機質な黒光りに似ていた。




