第30話
「ええ⁉︎それは本当ですか⁉︎」
外の確認を終えたヒサメが車内に戻ると、アキトの切羽詰まる声が出迎えた。彼はどうやらキツネを護るトースと通話しているらしく、そこで彼から告げられた内容に驚いている様子であった。ヒサメは取り敢えずアキトの側で不安そうにしているシルバーナ達を宥め、共に聞き耳を立てる。
『ええ、間違い御座いません。急にキツネ様の携帯に非通知の電話が掛かって来たかと思えば、何者かがキツネ様を脅迫し、何か言い返す暇すらも無く一方的に切ってしまわれたのです。音声は加工されており、逆探知も出来ませんでした。』
「そうですか…。それで、相手は何と?」
『今から二時間以内に、例の物を単独で所定の場所に持って来いとの事です。もし少しでも遅れたり警察等に不審な動きが有る場合、ソコネ県の何処かの公共施設に設置された爆弾が爆発し、多くの死傷者が出るだろうと。』
「爆弾ですか、厄介ですね。それでキツネさんはどうするつもりなんですか?話をさせて頂けると有難いのですが。」
『少々お待ちを…ふむ、どうやらキツネ様には何か考えが有るご様子ですね。それで丁度、その事で貴方様とお話ししたいとの事です。今お電話を代わりますので、今しばしお待ち下さい。』
そこでトースの声が一時途切れたが、すぐに聞き慣れたキツネの声が聴こえて来た。しかしその声には、常に相手を小馬鹿にする様な、いつものふざけた余裕が無いようにも思える。事が事なだけに流石に真面目にならざるを得ないのかとアキトは感じた。
『もしもし、アキト君ですか?いきなりで済みませんが、時間も無いので手短かに。脅迫を受けたのは確かな事実です。しかし貴方達はこの件に一切関わらず、予定通りそのまま病院に向かって自身を守っていて下さい。』
「え?僕達は…って事は、まさか!」
『はい。この事件は本当なら私の管轄すべき問題ですからね。これ以上他の方達に迷惑を掛ける訳にも行かないでしょう。従って他所への通報も要りません。ここは私が直々に動き、問題を全て解決して来ます。』
「そんな!幾ら悪知恵の権化たるキツネさんでも、ここでの単独行動は余りに危険過ぎますよ!」
『更っと毒を吐きますね…ま、それもまた私の自業自得と言うべき物ですか。しかしこの程度の事も自力で解決出来ない様では、ヨミ国外務事務次官の名が廃ります。これも元は私の蒔いた種、ここでしっかりと収穫して来ますので心配は無用です。』
キツネのその有無を言わさぬ雰囲気に、アキトはしばし押し黙る。そして何やら考え込んだ後、意を決してキツネに幾つか確認を取る。
「…キツネさん。貴方が何を画策しているのかについては、ここでは教えて貰えないんですね?」
『…ええ、申し訳有りませんが。』
「それでも貴方を信用し、貴方の事には手助けも含めて全く関与をせず、ただ僕達は自分の身を守る事だけに専念しろと。その言葉はキツネさんの本心からの物で、そこに嘘偽りは一切ありませんね?」
『はい、私の名と誇りにかけて誓いましょう。それは間違い無く、私の心からの望みです。』
「……わかりました。僕は貴方のその言葉を信じます。」
『賢明な判断、感謝します。貴方が聡明な方で私としても本当に助かりますよ。そちらこそシルバーナ様をどうぞ宜しくお願いしますね。ここからは貴方が頼りなんですから。ンッフッフッフ。』
耳障りな筈の独特な嗤い声にも珍しくも嫌らしさが無く、また何処か調子が良くなさそうにも聴こえる。やはり何か手伝える事は本当に無いのかとアキトが確認しようとした時、急に電話の先の人物が代わる。キツネに代わって聞こえて来たのはトースの声であった。
『突然の割り込み失礼致します。しかし何分、話の雲行きが宜しく無さそうでしたので。この非礼は平にご容赦願います。』
「その声はトース卿ですか?一体どうしたんですか?」
『もし宜しければなのですが、我らにキツネ様の護衛を命じて頂きたいのです。キツネ様はヨミ国とアビス王国の友好の為にも無くてはならないお方、その方を失うのはこれからの両国の関係にとり大きな損失となりましょう。それは何としても避けるべきかと当方は愚考致します。』
「それは確かにそうですが…。キツネさんは手助け無用と仰ってたのですよ?」
『杞憂であればそれで良し、しかし万が一の事態は常にそこに在り続けます。その時、キツネ様のすぐ側に即座に動ける護衛が居るのは心強い筈です。我々は隠密にも長けておりますし、精巧な土導術による小細工も中々の物ですよ?必ずや何かしらのお役には立てましょう。』
トースの提案とは、端的に言えばキツネを守る為に自分達を使えと言う物であった。キツネを失った場合、アキトもシルバーナ達を守る為の大きな後ろ盾を失う事となる。彼としてもそれは避けねばならない事態であった。トースの提案はアキトにとって非常に魅力的な物のように聴こえた。
『シルバーナ様の願いはヨミ国とアビス王国、ひいては人族と導族との恒久的な友好と平和。その願いに私も感銘を受け、それを叶える為に是非とも我等にも尽力させて頂きたいのです。しかし我等の今の立場はシルバーナ様の護衛、許可も無く護衛対象を変える訳にも行かず…。』
「そこで、シルバーナ様の許可を得たいと?」
『はい。先程の戦いを車内より拝見しておりましたが、ヒサメ様はかなりの使い手とお見受けしました。それと車の装甲をガラス細工の如く操ったのはディア様でしょうか?』
「ええ、そうですね。避雷器の位置を調整する為に僕が依頼しました。」
『やはりそうですか、いやはやお見事。まるで我が部下の仕業かと見紛った程の実に素晴らしい手並みでした。それだけの戦力が揃えば、精強な軍隊すらも跳ね除けられましょうや。』
固体の硬さを維持したまま、粘土の様に操り続けるのはかなり難しい。破壊と移動及び接合を連続的に繰り返す必要があるため、小人型導族の様に相当器用な導術使いでも無ければ出来ない芸当であった。それが出来るディアならば、トース達の代わりも充分に務まるだろうとトースは宣う。
『更に言えば、奴等の一番の狙いはキツネ様。この方と別れて行動する事で、そちらを襲う大きな理由が無くなります。ヨミ国警察の方の狙いは貴方様なので全く危険が無いと言えば嘘になりますが、襲撃者側の大幅な戦力低下は否めますまい。』
「ですがサイギ刑事とアビス王国強硬派工作員は裏で繋がっている筈でしょう?刑事の依頼で僕達を襲う可能性は否定出来ないですよ。」
『…これは私の見立てですが、恐らく奴等はサイギ刑事を裏切り、単独で事を起こしたのだろうと思います。警察の権力者と繋がっているのなら、わざわざ警察等に気取られる事が無いようになどと宣う必要が御座いません。』
「しかし、今はカスミ先生が動ける状態なんですよ?ならば警察にその件が伝わるのは不味いと踏んだのかも知れません。その辺りの事はどう考えてますか?」
トースの主張に対してアキトは幾らか懐疑的であったが、電話先から聞こえて来るトースの声は自信に満ち溢れていた。
『だからこそです!現在カスミ様はサイギ刑事を追い詰めるべく捜査を開始しております。ですがこの事を公にすれば、流石のカスミ様もそちらに対応せざるを得ないでしょう。それこそ刑事の狙いでしょうに、何故それを妨げる様な事を言う必要が有るのでしょうか。』
「…カスミ先生を邪魔出来るのにそれをしない。それが裏切りの証拠と仰りたいのですか?」
『左様に御座います。奴等は互いに相手を利用する関係であり、共通の目的を持ちません。なれば裏切りなど容易に起こり得ましょう。貴方様を守る護衛は精強、攻め落とすは難しと見て刑事を裏切り、作戦を変えたと見るが妥当かと存じます。』
主目的が飽くまで自己保身であるサイギにとって、捜査を行う主体であるカスミの邪魔をする方が大事である。一方で脅迫して来た工作員達の方は、彼女の介入による邪魔をされたく無い筈であった。つまりこの不自然な脅迫は、彼等の利害が不一致となった結果なのだとトースは主張する。
「それで貴方達が僕達を守る必要は無いと判断した訳ですか。ふむ…僕達を信頼して頂けるのは大変有難いのですが、それこそ卿が仰る様に万が一と言う可能性も有ります。それでも卿らの護衛はこちらに必要無いと仰るのですね?」
『いえいえ、滅相も御座いません。勿論、腕の立つ自慢の我が部下を二名、護衛として残して行きますのでご安心を。そして私を含めた残りの三名で見事、キツネ様を守り抜いて見せましょう。皆様全てを守り抜く事こそが、我らが今ここにいる意義なのですから。』
「…そこまでして下さるとは恐縮です。それで、この提案はキツネさんも承知の上なのですか?」
『ええ、キツネ様も可能ならばそうして欲しいとの事です。後はシルバーナ様の許可さえ頂けたのなら、もう何も問題は御座いません。最高の結末を迎える為にも、是非ともアキト様の方からもお口添えを。』
「……わかりました。少し待っていて下さい。今確認を取ります。」
アキトがシルバーナの方を見やると、彼女は何も言わずただ頷く。彼の判断を全面的に支持するとの明確な意思表示であった。それを見たアキトは少しだけ逡巡し、やがて意を決する。
「トース卿、シルバーナ様より許可が下りました。僕もキツネさんの判断に従います。貴方の考え通りにして下さって結構です。」
『寛大なるご理解を賜りまして、誠に痛み入ります。ご期待に添えるよう全力を尽くして参りますので、どうぞご安心下さい。それではまた、何か有りましたら連絡を。』
「ええ、お願いします。ああ、それとキツネさんに『全てが終わったら、今日の事を全部説明して貰いますからね』とお伝え下さい。」
『お安い御用ですとも。それでは失礼致します。』
そして通話が切れると、アキトは大きく溜息を吐きつつ額を右手で押さえた。その素振りを見たヒサメが彼に声を掛けると、アキトは顔若干疲れた表情をヒサメに見せつつ、大丈夫ですと手を振った。しましヒサメは首を横に振って、簡単に大丈夫と宣ってしまう彼を諌める。
「無理をするな。やはり君も事務次官殿の事が気になるのだろう。それに…彼等の事もな。」
「はは…ヒサメさんにはわかってしまいましたか。ですがそれ以上は言わないで下さい。僕はキツネさんを信じる事に決めましたから。」
「…わかっているさ。俺もあの御仁の尋常でない腹黒さは風の噂に聞いている。ならば俺達に出来る事は彼が相手を返り討ちに出来ると信じる事、そしてこちらに任された使命を全うする事、ただそれだけだ。だろ?」
ヒサメはおもむろに、シルバーナ達にアキトの側に行くようにと促す。アキトは立ち上がり、近付いて来た不安そうな少女達の頭を愛おしそうに撫でると共に席に座り、ヒサメの方を向いてしっかりと頷いた。
「ええ、まだ危険が去った訳では有りません。僕の使命はこの子達を絶対に守り抜く事…その為に僕はここに居ます。」
今のアキトがすべき事はキツネの心配ではない。目の前の小さな子供達を守り抜く事である。敵がどう行動するか、どう攻撃して来るかを考え、それへの対処法に頭を悩ませば、他の事を考える余裕など有りはしないのだ。それを理解したアキトの頭には、もう迷いは無かった。
「ああ、そして君自身も無事に生き残れ。その為ならば俺は協力を惜しまない。」
「有難う御座います、ヒサメさん。僕にはまだこの子達の為に出来る事がありますからね。それを全うするまでは絶対に死ねません。」
アキトは懐にしまった『ライセンス』を取り出す。これにより彼は様々な優遇措置を受けられ、必要とあらば人を殺害する事すらも許される程の権限を持ち得る。殺すつもりは毛頭無いが、誤って殺めても『許されてしまう』のだ。その重みに耐える事で初めて、アキトは彼女達を守る盾足り得る訳である。
(この軽くて今にも飛んで行きそうなカード一枚にそれほどの力が有るんですから、本当に不思議な物ですよ。それもこれも、後ろ盾であるキツネさんあっての物なんですけどね……ん?)
そんな事を考えながら今日あった出来事を振り返っていたアキトは、不意にこれを受け取った時の状況を思い出した。すると当時は気にならなかった『ある事』が気になり出す。丁度良く視線の先にヒサメが居たので、アキトはそれだけ確認しようと質問する。
「ヒサメさん。これからの事を話し合う前に、一つだけ宜しいですか?」
「何だ?俺に答えられる範囲で答えよう。」
「有難う御座います。それで質問なんですが…僕の今の立場はキツネさんによって保証されていますけど、その前の僕はどう言う立場だったんでしょうか。」
「それはつまり、俺が昨日ハイルとして君達に接触した時の事か?ふむ…質問の意図は良く分からないが、答えられはする。君はアビス王国貴族令嬢を救った英雄として有名で、狙われ易い人物と言う認識だったが、扱いとしては何の変哲も無い一般人だったな。」
ヒサメの簡潔な答えを聞いて、アキトは少し驚いた。
「一般人ですか?つまり特権も何も無いって事ですよね。ヨミ国の法律上まだ未成年である僕が単独で住んでいる場所に、ルビィをホームステイさせても良いんですか?」
「良くはない。責任を取れる大人がホストに居なければ法律違反となる。それは君が特別親善大使になった今だからこそ可能となった事だ。それまでは『ヤクモ殿』が公女様を預かる上での責任者とされていた。君は知らなかったのか?」
「はい、今初めて知りましたよ。キツネさんの事だから、何か手を打っているんだろうなとは思って居ましたが。しかしそんな重要な事を言わずにあの人は、僕の所にルビィを預けようとしていたんですか…。」
「…いや、寧ろ彼は君に特権を与える為にと、敢えて言わなかったのだろう。」
「え?それはどう言う事ですか?」
「君は聞かされていなかったのか。そのライセンス取得の為に事務次官殿は、ここ数日の君の活躍を利用していたと俺は聞き及んでいる。恐らく君が『主体的』に動いて公女様を守れる能力があるのだと、そう証明しなければならなかったのだろうな。」
アキトの得た権力は『シルバーナを守る為に必要』として与えられた物だが、それ相応の実力と意思が無ければ意味が無いとしてキツネの提言は一蹴されていただろう。しかしアキトは『日出ヅル処ノ天子』やウシオ、アサテら複数の刺客達を見事に退けた。その実績を以って勝ち得た権力であったのだ。
「つまり、僕が責任を持って自ら率先して動いてルビィを守れるか…それを試す為に、ホームステイ先のホストとして僕を任命した訳ですか。」
「恐らくな。もしもヤクモ殿が責任者と君が知れば、君は彼の指示をもっと仰いで動こうとしただろう。通常なら責任者に伺いを立てその決定に付き従うのは正解だが、それでは君が積極的に公女様を守っているとは見え難く、良いアピールとはならない。」
「まさか…二日前にテロリスト達が僕達を襲って来たのって…!」
「その可能性も充分に有り得るな。あの情報収集能力なら、彼等の動きを事前に察知していた筈だろう。であれば、それもまた計算の内に入れていたであろう事は想像に難くない。尤もその証拠など無いし、残しても居ないのだろうが。」
「…つまり僕は今までずっと、キツネさんの掌の上で踊っていたと言う訳ですね。となると、このライセンスを受け取ったあのタイミングも…やはりそうでしたか。はは、これはしてやられましたよ。」
アキトは何かに納得し、また一本取られてしまったと疲れた様に笑う。ヒサメは怪訝そうに彼を見るが、アキトは再び大丈夫だと手を振る。しかし今度はヒサメには諌められなかった。アキトの表情が無理なく笑っていたからだ。
「どうした?何かわかったのか?」
「いえ、特に目新しい事は何も。ただ…僕が考える程度の事なんて、あの人なら最初からお見通しだったんだろうなと再確認しただけです。さあ、気を取り直してこれからの事について話し合いましょう。まだ敵は仕掛けて来ますよ。」
「うむ、その意気だ。それも有るが…後は俺の事についても如何するべきか、予め取り決めて置きたい。どういった経緯があったかは分からんが、コシノの何処ぞの幹部殿はサイギの奴と手を組んでいるらしい。俺の行動に干渉して来る可能性は充分に考えられる。」
「…やはりですか。」
公安捜査局の地下施設にサイギの部下達が踏み込んで来れたのは、コシノ家の誰かがそれを許可したからだろうとヒサメは言う。そうなると、表面的にはコシノ家に従わねばならないヒサメはアキト達にとって不利益な事をさせられる事も有るだろう。その事をヒサメは懸念していた。
「どうする?最悪、何か手頃な理由を付けて命令を無視する手も有るが。」
「いえ…折角の申し出ですが、恐らくその必要は無いかと思います。あの人なら絶対、そのリスクすら織り込み済みでしょうから。」
「…そうか。では当初の予定通りで構わないか?」
「ええ、お願いします。後ですね、それとは別にヒサメさんに折り入ってお願いしたい事が一つ有るんですが…構いませんか?」
アキトはニヤリと笑みを湛えてヒサメの側に寄ると、小さく彼に耳打ちをした。ヒサメはアキトの考えている事を聞いてその意図する所を察し、同じ様にニヤリと嗤う。そしてアキトはシルバーナ達も呼び寄せ、これからの作戦について話し始めたのだった。
キツネを乗せた車と別れたアキト達はトースの部下二名と合流し、そのまま何事も無く病院に辿り着く。そしてそこで待機していたムラクモに連れて来た武装警官達を引き渡すと、彼は既にイナバに治療と保護を頼んでいるからと言って、病院の裏口から警官達を連行して行った。
「それにしても、この病院にこんな場所があったんですね。驚きましたよ。」
普通の患者の居る通常の病棟とは別の場所にある『特別棟』。厳重な防犯設備に守られたその場所の中にある一室へと案内されたアキトは、飲み物を買ってシルバーナ達に与えつつ彼女らの無事を確認して安心したのか、独り言の様に呟いた。するとその疑問に答える様にヒサメが口を開く。
「君も知っての通り、導術を使用する又は凶悪な犯罪者に対しては銃火器もしくは導術による殺傷が許可される。つまり大怪我を負い易く、時には意識不明の重体患者も運ばれて来るそうだ。そう言った者達を治療しつつ閉じ込めておく為の施設がここだと聞いている。」
「つまり僕達は重犯罪者と同じ待遇って訳ですか。僕は良いですが、この子達までそう見られかねないのは不愉快ですね。幾ら一般人を巻き込まない為とは言え、少し納得が行きませんよ。」
「まあそう言わないでくれ。凶悪犯を閉じ込めると言った性質上、ここは防犯に特に力を入れている。下手な場所よりも寧ろ安全と言う物だ。それにここは公安捜査庁や警察すらも容易に踏み込めない不可侵領域だからな。彼等に追われる君達には実は格好の避難場所なんだ。」
「え?犯罪者を閉じ込めるのに、司法機関が干渉出来ないんですか?」
アキトの疑問に対して、ヒサメは首を小さく横に振りながら呆れる様に溜息を吐く。
「ああ、恥ずかしながらな。君も身に染みて感じているだろうが、この国の司法機関はかなり腐っている。故に犯罪者と一口に言っても、彼等の利益の為に濡れ衣を着せられた被害者である事も頻繁にある。そしてその大体が裁判にかけられる前に口を封じられるのが現状だ。」
「うわ…酷い…。」
「…さもありなん。そんな状況の中、カスミ殿が懸命に各方面に働き掛けて作られたのがここだ。ここは怪我した犯人を保護すると言う建前で、他の司法機関からの独立性を保つ特殊な場所でな。濡れ衣を着せられた者達を守り、また冤罪を晴らすのに利用されている。」
冤罪を受けた者達は勿論、罪を犯してなど居ない。故にしっかりと捜査する時間さえ上手く稼げれば無罪にする事も可能である。過去には実際に濡れ衣を被せた警察官や公安捜査官を逮捕した実績もあると言う。ヒサメのその言葉にアキトは素直に喜んだ。
「おお!流石はカスミ先生ですね!」
「それ以外でも、警察と裏取引していた非合法組織構成員もその大体が食い物にされた挙句殺処分されていた。それを先に捕らえて確保して置く事で、身柄を守りつつ証言を得ているそうだ。あの『日出ヅル処ノ天子』の『キタカタ』と言う人物も『溺死寸前』でここに運ばれて来たと聞く。」
「…ああ、あの時の。流石はカスミ先生ですね…。」
アキトは二日前の夕方にディアと初めて会った時の事を思い出す。あの時、カスミはテロリスト集団幹部の彼を捕らえて連れて来たのだが、彼は息も絶え絶えで今にも死にそうな表情であったと言う。カスミ曰く殺されそうになったから仕方無い、その証拠もあると宣うのだが、彼を散々に苛める為の口実を上手く作った事をアキトは見抜いていた。
「しかし、幾ら痛め付けても罪に問われないとは言え、そんなやり方で良く今まで問題視されなかったですね。」
「もしもそのやり方を否定したいのなら、それこそ法律を変えねばならん。カスミ殿は一般人ながら特別に法執行機関幹部と同等以上の権限を持ち、実は今までその権限で出来る事『しか』していない。つまり文句を言われる筋合いがそもそも無いと言う事だ。今のままの体制ならな。」
「そしてその体制を今の政府は変えたく無いと。となると、それで得をする人達からの圧力が掛かっているのでしょうかね。」
ヒサメは苦々しそうに頷く。自らの所属するコシノ家が正にその特権を利用し、数々の罪無き人々を陥れている元凶の一つなのでバツが悪かったのだろう。彼も殺人やそれに類する事こそしていないが、脅しに屈して犯罪の片棒を担いだ事実は覆らない。罪は清算せねばと思いながらも、今はただ目の前に居る命の恩人の為に仕事を全うしようと気持ちを切り替える。
「だが、今のままの体制ではいつか必ず破綻する。それをわかっていてカスミ殿は犯罪者に対して少々過剰な暴力を振るっているんだ。早く今の体制を変える為にも『悪目立ち』し、現体制を問題視させるのが最善手と考えての事だろう。実際、コシノはその所為でかなり根回しに苦労しているからな。その毒婦としての悪名はかなり有名だ。」
「毒を以て毒を制する…ですか。犯罪者のみならず、もっと大きな相手に対してもカスミ先生は戦っているんですね。」
「その通りだ。しかもその上で民間人、犯罪者問わず犠牲者数を最小限にしようとしている。件のテロリスト組織の幹部であってもそうだ。あのまま上手く海外逃亡出来ていたとしても、そのままでは恐らく警察関係者により追跡されて何処かで始末されていただろう。」
「…利用するだけ利用しておいて、不要になったら罪を全て押し付け始末し自らの実績とする…ですか。正に司法機関にとって都合の良い食い物なんですね…。なんか、非合法組織や犯罪者集団の方が可愛く思えて来ましたよ。」
警察の幹部と犯罪者に裏の繋がりがあると言う事は、決して世間に知られてはいけない。故にキタカタはいずれ何処かで必ず秘密裏に殺される運命にあった。他の幹部のミナカタ達は直接的に関係は無いものの、同じく始末される可能性は高かったであろう。ある意味、カスミは彼等の命の恩人でもあった。
「なにせ国家公認の暴力団体様だからな。正義と言う名の横暴が至極当然の様にまかり通るのだから、そう思われてしまうのも当然だ。だからこそカスミ殿はその元凶たるイズモ家やコシノ家の腐敗幹部の首を取ろうと、自らが所属する派閥の力を強めつつその機会を虎視眈々と狙っていた。」
「そしてそこで警察幹部に関係あるテロリストによる、アビス王国貴族の命を狙う事件が起きた…いえ、起きる様にキツネさんによって仕向けられた。そして、予定通りカスミ先生と繋がりのある僕達が彼等を捕まえたと。」
「そうだ。そして彼の生きた証言もあって、ウシオは現在追い詰められている。それが君を冤罪から救い出し、更に警察上層部に居るイズモの幹部を追い詰めている訳だ。それを思えばカスミ殿の事を余り悪く言う事も出来まい。例え半分は自らの趣味の為だろうとな。」
「まあ…死んでしまうよりは幾分かはマシですか。汚名を更に被せられた上に殺されるなんて、幾ら犯罪者でも流石に同情します。でも、この調子で行けば司法機関の不正による被害者も、もうすぐ居なくなるかも知れませんね。」
カスミの努力を知ったアキトは期待の眼差しでヒサメを見るが、しかしそんなに現実は甘くは無いのだとヒサメは首を横に振る。
「その代わり、その場で即座に殺される事が多くなった。丁度二日前の君の様に、その場で証拠を捏造し、殺害されても仕方ない理由を仕立て上げてな。捕まえてから殺せないのなら、捕まえる前に殺せば良い。幾らカスミ殿とは言え、流石に何か起こす前に逮捕する事など出来はしない。」
「そんな…。」
「だが、結果的にその手間や失敗した時のリスクもあって恣意的な冤罪で逮捕される者は減った。今なら奴等にとって余程の不利益をもたらす人物でなければ殺されないだろう。そう言う視点ではカスミ殿のした事は無駄では無かったと言える。しかし被害者が皆無となるには更なる変革が必要だろうな。」
「…現実はそう上手く行きませんか。世知辛い物ですね…。」
アキトは力無く肩を落としつつ同意した。しかしその態度から、彼が意気消沈しているのは明らかだった。間違った事は言っては居なかったものの、言い方が少し不味かったかとヒサメは感じる。
「大丈夫か?済まない、少し配慮が足りなかった様だ。」
「僕は大丈夫です。ただ…ルビィ達にヨミ国のこんな汚い部分を聞かせてしまったのは、親善大使としての思慮が足りなかったと猛省している所でして。」
するとアキトの横に座るシルバーナが不意に立ち上がり、手を胸に当てて毅然とした態度で彼の方を向いた。年齢不相応に大人びた雰囲気を纏うその姿は、彼女が幼いながらも立派な貴族である事をアキトに思い出させた。
「恐れながら申し上げます。私はヒサメ様のお話を聞けて、ヨミ国の事を知れて良かったと感じました。アキト様、どうかその事を悔いていると仰らないで下さい。」
「ですがルビィ、今の話を聞いてこの国に幻滅したのではありませんか?ここ数日だって、その所為で貴女にも不自由な思いばかりさせてしまっていますし…。」
「どの国にも悪しき者は必ず居ます。それは清濁合わせて全てを飲み込む『国』と言う機構の宿命です。それを無視してはその国の半分も知る事は叶いません。善い部分だけ見てその人となりを知ったと傲る様な、愚かな判断をするのと同じ事なのです。」
白い少女の真っ直ぐな視線がアキトを貫く。自らの虚飾を見抜かれたような感覚がして、アキトは思わず困った様に少し笑った。しかし彼女に誤魔化しは効かず、更にそれは非常に失礼な事だと悟ってすぐに真剣な表情になる。
「…わかりました。僕が貴女に嘘を吐こうとした事を謝罪します。そしてその上で私に発言する事をお許し下さい。」
「私にアキト様の発言を禁ずる権利は有りませんし、望んでも居りません。どうぞご随意に。」
「有難う御座います。しかし立ち続けるのは疲れるでしょう。先ずはお座りください。」
促されたシルバーナはすぐに座り、そのままアキトの方を向く。その真剣な眼差しに、アキトもまた強い決意を持って見つめ返した。彼の声色は普段と比較しても更に紳士的になり、いつも以上の尊敬の念を持って一人の貴族と真摯な態度で相対する。
「シルバーナ様、私は親善大使としてヨミ国とアビス王国の仲を取り持ちたいと考えています。そしてその上でキツネ外務事務次官殿と結託して、貴女様を襲った賊はヨミ国人であると『嘘』を吐きました。それは戦争を回避する為にも必要だったと今でも思っています。」
「はい、私もそれには同意見です。」
「しかしそれは真実では有りません。真実とは時に、他者とのいさかいを生む事に繋がります。相手の全てを知る事が、全て良い結果に繋がる訳では無いと僕は考えています。極端な話ですが、それでも貴女様は全てを知りたいとお思いですか?」
アキトの問いの本質は、シルバーナの意見に対する反論では無かった。それは目の前の少女の、いや将来ヨミ国とアビス王国とを繋ぐであろう大切な貴族に向けて放たれた、その覚悟に対する問い掛けであったのだ。彼女はゆっくりと目を閉じアキトの言葉を反芻すると、やがて目を開ける。
「…はい、私は知りたいです。少なくとも私にだけは隠して欲しくありません。両国の橋渡しを担うのですから、事実を正確に知る義務があります。そして知った上で私の責任において『嘘』を吐きます。それで平和が保たれるのなら、私は喜んで非難の矢面に立ちましょう。」
「……わかりました。貴女の覚悟、謹んで頂戴致します。シルバーナ様、両国間の平和を守る為にどうぞこれからも宜しくお願いします。」
「はい。幾久しく親密な関係が保たれます様に、そして更なる緊密な関係を築けます様に。アキト様…これからどうぞ宜しくお願い致します…。」
アキトは彼女のその不利益すら受け入れる覚悟に胸を打たれ、心から感服する。その一方、シルバーナの言葉には『個人的な』付き合いの上でも親密になりたいと言う下心も隠れていたが、彼女は理性を動員して、理知的な貴族としての表情を装いながらも妄想を膨らませると言う器用さを発揮していた。
(アキト様とも…もっと親密に…。あんな事やこんな事を…はううう!)
(シルバーナ様の平和に対する覚悟は本物…本当に敬服します。僕もこの方の期待に沿えられる様に、もっと頑張らないと!)
これは元々は貴族社会を生き抜く為にと、バイドンが授けた感情隠匿術の応用なのだが、シルバーナは自らのだらしない顔を想い人に見せたく無いと言う身勝手な理由でそれを利用していた。人には隠さないで欲しいと言いながら自らは隠している事実に罪悪感を覚えながらも、見栄を張ってしまいアキトとの心の距離感を縮められないのはきっと、想いが強過ぎる彼女の持つ業なのだろう。
「失礼。お熱いお二人にはお邪魔かも知れませんが、ちょっとだけ良いですか?」
「ひゃあう!う…うああうあ⁉︎」
「うわ!だ、大丈夫ですか⁉︎」
それ故に、不意に現れたムラクモから放たれた予想外の言葉に対応出来ず、面白顔で驚く醜態をアキトの眼前で無様に晒す失態を犯してしまったのは、さながら自業自得とでも言うべきか。その羞恥に顔を真っ赤にする少女を何も知らないアキトは心配そうに抱き寄せるが、シルバーナはただ彼の胸の中で悶絶する事しか出来なかった。それはそれとして、ヒサメがムラクモに問い掛ける。
「なんだムラクモか。ノックもせずに急に入って来てどうした?まさか何かあったのか?」
「…ああ、今さっき俺の部下から連絡が入ってな。ある事件の所為でソコネ県警本部が現在大騒ぎになっているらしい。普段なら平気で無視したりすんだが、如何せん今回は内容が内容でな。」
「いやそこは普段から無視するなよ…。お前、仮にもそこの勤め人だろうが…ってそれは兎も角だな、事件の概要は?」
「県警に不審な脅迫文が届いた後、古民家で爆発が起きた。幸い死者は出なかったが、付近の家に居た家族が小さな子供を含めて大怪我を負い、只今緊急搬送中だ。脅迫の内容は簡単に言えば、大使殿の命を差し出せ、さも無くば街中に仕掛けられた爆弾が爆発する…と言う事だそうだ。」
忌々しそうに顔を歪めながら、ムラクモは苛立ちと共に言葉を吐き捨てた。普段ふざけた態度を取ってはいても実は正義感に篤い彼には、罪の無い家族が傷付けられた事が余程許せなかったのだろう。その言葉の端々に隠し切れない怒りがにじむ。
「これは新たなテロ事件として既に対策本部が立ち上がっている。上は勿論、大使殿を差し出す気は無いと尤もらしく犯人の要求を突っぱねる予定だとさ。それは良いんだが…このままでは結果として、多大な犠牲者が出る可能性が高い。」
「何だと?まさか警察の奴等、民間人に犠牲を出す前提で動いているのか⁉︎」
「問い詰めても認めやしないだろうが、恐らくはな。これはカスミの姉御の捜査を引っ掻き回す為の奴等の策だ。姉御なら絶対、罪の無い人々が死ぬ様な状況を望まない。ヒサメっちや大使殿ならここまで言えばもうわかるだろう?」
「そうまでして己が体裁を保ちたいか。俺の所の上もそうだが、どこまでも腐り切った奴等だ。」
つまり、もしもカスミがこちらの事件を放置すれば犠牲者が発生すると暗に脅迫しているのだ。もし犠牲者が出ても、イズモの幹部なら誰か他の人間の首を切って責任を取ったと嘯く事で追及を逃れるだろう。あわよくばカスミに責任を押し付ける可能性すらある。それを悟ったヒサメの言葉にも、冷徹な怒りが宿る。
「アキト君の命を差し出せと言うのは、ただの反アビス王国主義のテロリストを装う為か。」
「ああ、多分そうだろうよ。警察が表面上は絶対に飲めないであろう条件を出して、不特定多数の民間人を尤もらしく殺そうとしているんだろう。姉御をこっちの現場に引っ張り出す為にな。」
「そしてカスミ殿が指揮を執った時点で多数の犠牲者を出し、彼女にその責を負わせるか。サイギの奴め、相変わらず人命軽視の卑怯な策を使うな。」
「チッ…本当に嫌らしい奴だよ。だが姉御が動く前に他の誰かが責任者となれば、少なくとも姉御の立場は保たれる。そして姉御はこれからのヨミ国警察の改革の為には無くてはならない存在だ。…例え俺の立場が無くなっても、姉御だけは何としても守り抜きたい…だから…」
その真剣な眼差しと熱意は、並々ならぬ彼の覚悟を如実に表していた。しかしそれはアキトを守ると言う本来の仕事の放棄を意味する。その事に対して負い目を感じているのか、次第に彼の声に勢いが無くなる。しかしヒサメは、弱気な彼を叱咤するかの様にその言葉に強引に割り込んだ。
「つまり俺に後を任せたいと言いたいんだろう?回りくどいんだよ。そして俺の答えは肯定だ。アキト君達は俺が責任を持って守り抜く。警察の方にもお前の仕事は俺が引き継いだと、俺の方から伝えておこう。お前はこちらに気にせず行け。そして存分に暴れて来い。」
「…済まない、本当に助かる。そして大使殿、公女様…申し訳ありません。」
「いえ、ここまで守ってくれただけでも充分ですよ。それにカスミ先生を守る事は僕達を守る事にも繋がります。警部殿はどうか気兼ね無く、そして急いで行ってカスミ先生を助けて下さい。これは大使としての依頼です。」
「……了解しました!それでは失礼します!」
ムラクモは背筋を伸ばして綺麗な敬礼をした後、クルリと回るや否や扉を開け放ち、足に水を纏って全力で駆け出した。普段ならば『廊下を走るな』『扉はちゃんと閉めてけ』等と咎めるだろうヒサメも、今回ばかりは苦笑いしながらそれを黙認する。そしてムラクモの姿を見送ったヒサメは、扉を閉めてアキト達の方を向いた。
「…さてと。この状況、アキト君はどう見る。」
長椅子に座るアキトの右横には凛々しい貴族モードになって復活したシルバーナ、左には若干身体が強張り見るからに緊張しているアズ、そして足元には既に半分地面に潜りかけているディアが侍す。皆状況が予断を許さない事を理解しているのだろう。その表情はいずれも厳しかった。
「明らかに罠ですね。カスミ先生や警部の性格を利用して僕達の戦力を低下させ、そして民間人を殺傷してその責任を警部に背負わせる気です。こちらの戦力を分断しつつ、且つ一方は武力を用いないで潰せる訳ですか…考えましたね。」
「だが、それは自身もまた危険を冒す戦略だ。ここでもし上手くムラクモの奴を潰せても、カスミ殿までは潰せない。それどころか下手すればこの悪どい企みが世間に露呈する。爆発物は証拠が残り易く、隠蔽工作は相当に苦労する筈だ。」
「となると、やはりカスミ先生まで潰せる準備が相手側に既にあると想定し、その上で動いた方が確実ですね。相手の策に乗ってしまう形ですが、警部は本当に大丈夫でしょうか…。」
「あいつは簡単にやられる様なタマじゃない。それに今はあいつの実力を信じる他にあるまい。最悪の場合、お節介だろうと状況如何によってはコシノからも応援を呼ぼう。俺としてもなるべく犠牲者は出したくないからな。少々強引だろうと押し通してやる。」
ヒサメは懐から携帯電話を取り出し、警察にムラクモの護衛任務の引き継ぎの旨を伝える電話を掛け出した。その上でコシノ側も総力を挙げてこの事件解決に尽力すると、暗にイズモに対して脅迫とも取れる内容を一方的に伝えると即座に電話を切る。
「これで良し…と。さて、お次は俺の上司に報告だな。気は進まんが仕方あるまい。」
ヒサメはアキトに目配せすると、再び電話を掛けて会話を始める。それを確認したアキトはアズに部屋の窓を少しだけ開ける様に言うと、彼女はすぐに実行した。するとそこから冷たい夜風が入り込み、部屋の中の気温を下げて行く。
「何ですと?それは本当ですか?」
それを知っていたかの様に、上司と会話をするヒサメの言葉から不穏な雰囲気が漏れ出した。アキトはすぐディアに地中の警戒を、アズには風を介した空の警戒をそれぞれに頼み、自身は導術探知機を召喚して周囲に不審な反応が無いか確認していると、通話を終えたヒサメがアキトに話し掛けて来た。
「…アキト君、どうやら悪い予想が当たった様だ。」
「何があったんですか?」
「俺達が捕らえた工作員達を救急車で護送していた時、途中で公安捜査官達に足留めをされただろう?あの後、捜査官達が工作員達を取調べの為に連行して行く途中で、鳥型の雷導術使いに襲われたらしい。現在応戦中だが旗色は良くなく、すぐにでも応援が欲しいとの事だ。」
「さっき網に掛かった襲撃者の片割れですか。なるほど、それでヒサメさんに召集がかかったんですね。しかし…それは本当に事実なんでしょうか。」
もしもコシノが裏でサイギと繋がっているのなら、これはヒサメをアキト達から引き離す為の口実である可能性が高い。実際に工作員達の仲間が彼等の救出に動いたのだとしても、それをアキト護衛の任務中であるヒサメに救援要請するべきでは無い。それは明らかに不審な命令であった。
「事件が真実であるかは兎も角、俺に召集がかかった事は事実だ。命令に従わねば俺は『始末』される。しかも更に問題なのは、俺から君を守護する任務が解かれたと言う事だ。そして別の任務を開始するにあたり、途中で召喚されない様に君との転移契約を解除せよとも命じられた。」
「護衛任務が解かれた?まだ危険が去った訳でも無いでしょうに。」
「ああ。だが、だからと言って工作員達の方を野放しにしても良いと言う訳にも行かない。そして彼等を逃せば君にとっての新たな脅威にもなる。それに君を守るのは本来、外務省の用意した護衛であるトース卿とその部下達の仕事なのだから、彼等に後を任せれば良いだろう…だとさ。」
「しかし、トース卿は現在キツネさんの護衛でここにいません。彼だってヒサメさんの実力を買ったからこそ護衛の人数を割いたんですよ。それにヒサメさんとの転移契約の事だって、一体何処から仕入れた情報なんだか…。」
ヒサメは黙って首を横に振る。最早、コシノが完全に敵に回ったであろう事は明らかである。ここで何を言っても何が変わる訳でも無く、またこうなる事も充分に想像出来ていた。寧ろ明確にアキトを殺せと命じられてない分だけマシですらある。アキトはアズの方を見て、彼女が頷くのを確認すると覚悟を決めて頷く。
「…わかりました。ヒサメさんとの転移契約を解きましょう。その前にボウサさん、フウサさん、そこに居らっしゃいますか?」
「「は、ここに。」」
アキトが護衛役の名を呼ぶと、何処からともなく二名の少女が現れる。彼女達は人族の少女に変装したトース配下の小人型導族で、傍目からはシルバーナやアズと同年代にも見えるが立派な成人女性である。二人の姿を認めたアキトは、より手前に居るボウサ・ノモースに話し掛けた。
「周囲の警戒中に急に呼び出して済みません。しかし急に色々と事情が変わってしまいまして。」
「お気遣い有難う御座います。しかし私達の仕事は、例え如何様な状況であろうともシルバーナ様や大使様をお守りする事に御座いますので。」
「つまり、ヒサメさんが僕の護衛役から離れてしまっても大丈夫なんですね?」
「左様に御座います。如何にヒサメ様の実力が素晴らしいとは言え、それに頼り切りでは何の為の護衛でしょうか。その様な不甲斐ない姿を晒しては、トース様に叱られてしまいます。」
「わかりました。お二人とも、是非ともその力を頼りにさせて下さいね。」
「「御意。」」
二人の小人は深々と頭を下げると、再び周囲の警戒に戻ると言って部屋を出て行った。彼女達を見送るとアキトはヒサメとの転移契約を解き、そして新たに与えられた任務に向かうヒサメをアキト達は見送ろうと、特別棟の職員玄関まで共に来る。
「ここまでで良い。済まないな、最後まで守ってやれなくて。」
「いえ、ヒサメさんには既に充分に守って頂きました。後は他の方達にお願いするとしますよ。」
「…ああ、そうだな。それでは俺はこれで。また会おう、アキト君。それに公女様達もどうかお元気で。」
別れの挨拶を終えたヒサメは足に氷を纏い、滑る様にして暗い夜道を高速で走り出した。現場へ向かう道すがら周囲を見ると、警察による厳戒態勢が既に敷かれているのか、普段ならば常に様々な職業に就く人や多種多様な車両が行き交うだろう大通りも封鎖され、今は警官とパトカー以外は見られない。
(…マッチポンプとは正にこの事だな。だがこの警官達の大多数が何も知らず、上からの命令を素直に従い仕事をしているのだろう。全く…コシノもイズモもこうして見れば大して変わらん。だからこそ昔から対立して来たのやも知れんな。)
喧嘩とは特に、同じレベルの者同士の間で起こり易い物である。そんな下らない事を考えながらヒサメは自嘲する様に嗤うと、人気の無い場所を見つける為に周囲をそこに移動し、懐から携帯を取り出した。
(だが、そんな下らんしがらみにわざわざ付き合ってやる義理は無い。ましてやあんな害虫共がせっせと蓄えた業を、未来ある若者達に背負わせてはならない。それが俺の…いや、『俺達』の明確な意思だ!)
ヒサメは虚空を睨みつけつつ、何処かへと連絡を入れる。しかしそれはコシノが有する秘密無線などでは無く、普通の回線であった。サイギによって封鎖されていた回線は既に復活しており、カスミへの対応に忙しいだろう彼による介入も心配無い。それによって彼が連絡を入れた場所、それは意外にも『外務省』であった。
「ふむ…ここが例の物のある場所だったんですか。」
一方その頃、キツネとトース達とを乗せた車はとある人気の無い山の中にあるシェルターの所までやって来ていた。そこは本来なら、アキト達がムラクモ達によって匿われる予定だった筈の場所であった。
「しかしまさか大使殿を匿う為の場所に、しかも敵の手の内に有るであろう場所に隠すとは予想だにしませんでした。いやはや事務次官殿は奇想天外な事をなさいますなぁ。いや、恐らく貴方の部下がこの中に潜んでいたのでしょうけどね?」
歩くトースの近くには、複数の警官達が倒れている。いずれも息は有ったが、背後からの不意の一撃で一瞬にして意識を刈り取られていた。彼等はトースの言う通りサイギの部下達であったのだがキツネがそこに何かを隠しているとは知らず、何故襲われたのかも解らないままに気絶していた。
「さてさて。これで邪魔者も居なくなった事ですし、例の物が保管してある場所まで案内しては頂けませんか?私共が探しても良いのですが、余り時間を掛けていては爆弾が爆発してしまいますからね…と、失礼。そのままでは喋れませんか。仕方ありません、外して差し上げなさい。」
トースが振り返ると、そこには猿ぐつわをされ、後ろ手に拘束された状態で刃物を突き付けられ、小人型導族の男性ニ名に連れられるキツネが居た。トースの命令で猿ぐつわを外されたキツネは、少しだけ咳き込むと、その細い目で彼を睨み付けた。
「…何故ですかトース卿!貴方はヨミ国とアビス王国との友好の為にと、そう仰っていたではありませんか…!」
「黙りなさい。私はそんな事を聞く為に猿ぐつわを外したのではありませんよ。もしもそれ以上無駄口を叩くおつもりなら、少々痛い目に会って頂きますがそれでも宜しいですか?」
騒ぐキツネを睨み返したトースが指を鳴らすと、彼の部下の一人『コース・ノモース』がキツネの身体をよじ登り、顎下から上向きにナイフを突き付ける。喋ろうとすればその鋭利な刃先が突き刺さる形に、キツネは何も言えずに黙り込む。しかしその直後、腹部に鈍い痛みが走る。もう一人の小人『ギース・ノモース』が彼の鳩尾に鋭い突きを入れたのだ。
「ぐ…うう…!」
「誰が黙って良いと言いました?貴方は私の望む情報のみを仰れば良いのです。でなければ、その良く回る舌を切り取り、見目麗しいアクセサリーにしてしまいますよ?その細い目でもよく見える様に、眼球に直に挿し込む形にでもしましょうか?」
「…わかりました。例の物を保管している場所は…ここの地下シェルターの最下層、そこから更に地下へと通じる秘密の通路の先にある部屋です。」
「本当ですか?また貴方のお得意な嘘八百では無いのですか?」
「貴方が何と言おうと、私は確かに私の知る真実を貴方に話しました。後は貴方がそれを信じるか否か、それ次第でしょう。残念ながらそこら辺りは私の管轄外になってしまいますがね。」
キツネはトースの睨みに対して更に睨み返す。脅されている筈なのにこうまで強気で居られるものなのかとトースは不審に感じ、付近にまだキツネの部下である可能性の有る人物が居ないかギースに命じて散策をさせるが、今倒れている人物以外には誰も居ないとの報告が返って来る。
「…良いでしょう。貴方のその気骨に免じて、その言葉を信じてあげます。ですがまだまだ我々に付いて来て頂きますよ?完全に確認が取れるまでは、貴方を解放して差し上げる訳には行かないのですからね。」
「ええ、分かっていますよ。何処へなりと連れて行きなさい。私は逃げも隠れもしませんよ。」
「命乞いも無しですか、いやはや素晴らしいお覚悟。もしも『本来の私』であればきっと貴方を賞賛したでしょうになぁ。しかして今の私は『あの方』に忠誠を誓う卑しい下僕に過ぎませぬ故、敵を褒める訳にも行きますまい。」
「…やはり、貴方達は…。」
「ククク…ダカル・ウパカル兄弟の襲撃に備える為にと、大使殿達と別れて車に乗ったのは失策でしたね。お陰で楽に貴方を拉致出来ました。私達が裏切っているとも知らずに安心している貴方や大使殿のお姿は、側から見ていて実に素晴らしい道化振りでしたよ。」
トースはまるでキツネの様に、人を小馬鹿にする様な笑みを浮かべて彼やアキトを散々に嘲る。キツネは口元を引きつらせて項垂れ、彼に何を言われても何の反論もしなかった。その姿に満足したのかトースは嘲りを止め、キツネを先頭に立たせてシェルターの中へと歩みを進めた。その途中、トースはギースに問い掛ける。
「大使殿達の方の様子はどうだ?」
「サイギ刑事とコシノ家の協力によりイズモ・ムラクモ、コシノ・ヒサメ両名の引き剥がしに成功し、護衛の役割を占有したとの報告がフウサより届きました。大使殿に彼女達を怪しがる素振りは見受けられないとの事。これで大使殿の残りの主要戦力は地竜のみです。」
「…良し。では約束通り『彼』と協力して、大使殿を上手く仕留める様にと伝えよ。それと別働隊には念の為、例の人物を早急に捕らえ、奴等に対する人質として利用出来る状態にする様にと指示を出せ。心配のし過ぎかも知れんが、用心するに越した事は無い。」
「了解。公女様や亡命して来た少女は如何致しましょう。」
「邪魔ならば殺せ。どうせ全ては刑事殿の計らいで大使殿の責任となる手筈だ。そして我等は『公女様を謀った悪漢』を倒し、仇討ちを果たして凱旋する。それで幾分かの面目は保ち、またヨミ国を攻める大義を得られるだろう。…この作戦、しくじる事は許されないぞ。」
「心得ております。全ては我らが主の為に。」
ギースは恭しく一礼すると地中に潜り、トースの指示を仲間達へと伝える為にシェルターの外へと向かって行った。それを見送ったトースは前を向き、コースに背後から刃物を突き付けられながら歩みを進めるキツネの、その情け無い後ろ姿を見ながら不敵に嗤う。
(もう少し…後もう少しの辛抱だ。散々邪魔が入ったが、これでようやく我等の目的を達成する事が出来る…!)
この時の彼等は、悲願の成就にやっとの事で目処が付いたが為に気持ちが舞い上がっていた。またキツネが彼等を導く為に一番前を進んでいた事も一因としてあったのだろう。実はキツネもまたトースと同様に、いや寧ろ彼以上の『ドス黒い笑み』を浮かべていた事に、彼等は全く気付けなかった。
「…以上がトース様のご指示だ。失敗は許されない。その命を賭して使命を果たせ。」
『了解しました。全ては我らが主の為に。』
その頃地上では、ギースが仲間達との通信を行っていた。そして関係各所への全ての連絡と一連の作戦内容の確認を終えて通信を切り、トース達の元へと戻ろうと思い踵を返そうとした、丁度その時の事だった。
(ん…何だ、この気配は?)
彼は鬱蒼と生茂る森の中に、何かが潜んで居る様な気配を感じ取った。不審に思った彼はナイフを構え、全身を薄く丈夫な鋼板とガラスで隙間無く覆い尽くしつつ油断なく近寄り、先手必勝とばかりに斬りかかったものの、そこには何も無い。
(気のせいか?いや…しかし、今さっき確かに…。)
彼は確かにそこに何か『違和感』を感じていた。しかしどんなに懸命に探してもその『何か』を見付ける事が出来ない。漆黒の森の中に潜むそれに対する薄気味悪さ、背筋を伝う脂汗の気持ち悪さに顔をしかめ、言いし得ない不安を払拭しようと捜索を続けても一向に成果は上がらない。
(クソ…!何をしているんだ俺は!今はこんな事をしている場合では無いと言うのに!)
やがて業を煮やしたギースは、どうしようもない程の不快感を無理矢理押し殺して捜索を中断し、地中に潜ると急いで仲間達の元を目指して駆けて行く。その様はまるで天敵に追い立てられ、彼の目論見通りに穴の中から地上へと追い出されて行く、憐れな小動物を思わせた。




