第29話
「よ、お疲れさん。こっちはチャチャッと終わらせといたぜ。そっちの首尾はどうよ?まさかとは言わないが奴を取り逃したりはしてないだろうな?」
地上へと再び戻って来たアキト達に、公安捜査局の敷地内の鎮火を無事終えたムラクモが話し掛けた。彼の側にはびしょ濡れで気絶した蜥蜴型導族の男達が無造作に積み重なっており、全員が厳重に拘束されている。
「見ての通りだ。俺がこの程度の奴、捕らえられないとでも思っていたか?だとしたら大変不愉快だ。後でその評価を上昇修正しておけ。」
ヒサメはムラクモへの返答とばかりに、その蜥蜴の山に向けて氷漬けとなった鹿型導族の男を滑らせ、彼等の仲間へと加えた。さも当然だとばかりのヒサメの得意気な顔を見たムラクモは、肩を軽くすくめて笑う。
「んなこた最初からわかってたってーの!本当に昔からジョークが通じない奴だよお前は。ま、それはそれとして取り敢えず助かった。改めて礼を言うぜ。」
「構わないさ、これも仕事だ。互いに互いのやるべき事をやった、ただそれだけの話だろ。」
「そこは互いの健闘を讃え合うとこなんじゃねーの?無愛想な所も昔から変わんねーのな。」
「悪かったな。こっちじゃおべんちゃらなんて時間と労力の無駄遣いだなんて言われてたんだよ。イズモの所と違ってな。」
「はは、やっぱコシノっておっかねーわ。」
それでもヒサメは、ムラクモから差し出された手を取ってしっかりと握手を交わす。昔同じ様な事をして手酷くあしらわれていた事を思い出し、ムラクモは少しだけ嬉しくなった。しかしそれを悟られるのは小っ恥ずかしかったので、わざとらしく笑ってそれを誤魔化した。
「しかし驚いたぜ。まさかヒサメっちが大使殿と転移契約を結んでいたなんてな。先に言ってくれりゃあ良かったのに、知らん振りしやがって。」
「黙っていたのは悪かったよ。だが情報漏洩のリスクを高める訳には行かなかったんだ。もしも事前にネタが奴等に知られていたら、ここまで上手く追い詰める事は出来なかっただろうからな。」
「それもそうか。それを知らなかったからこそ、こいつもあん時すっかり油断してた訳だしな。しかし不意打ちとは言え、あの厄介な鹿野郎もヒサメっちに掛かればこのザマか。少し妬けるが、いい気味だぜ。」
ムラクモは凍って動けなくなった鹿型導族の男を、先程の意趣返しとばかりに軽く蹴る。すると男は苦悶の声の代わりに、硬い金属に何かがぶつかったかの様な綺麗な音を響かせた。まるで凍死体を辱めたかの様な感覚がして、ムラクモは若干の罪悪感を覚える。
「…と、言っては見たがヒサメっち。流石にこれはやり過ぎなんじゃね?こんな状態で本当に生きてんの?」
「当然だ。誰が殺しなどするものか。こう見えて命には危険が無い様に配慮して凍らせてあるんだよ。とは言えこのまま放置すれば、いずれは四本ばかり手足を切り落とす程度の凍傷にはなってしまうだろうがな。」
「だ、達磨かよ⁉︎エグい…幾ら犯罪者相手とは言え、警察がそれやったらマジで逆に逮捕モンなんだが。まさかここまでやるとは思わなかったぜ…やっぱコシノってマジパネェわ…。」
「冗談だ。字面を真面に捉えるな。病院に搬送して治療を受けさせれば簡単に完治する。それにイズモとて似た様な事はしているのだろう?凶悪犯罪者相手の場合、幾ら傷付けても一定期間内に完治させれば罪に問われないと言う現行制度を最大限利用しているだけさ。」
ニヤリとヒサメは笑いながらムラクモを見やる。その顔を見て自身がヒサメにからかわれた事を悟ったムラクモは、口を尖らせつつふざけてギャル口調で文句を言った。
「真顔で冗談言うなし!つーか慣れない事すんなし紛らわしいし!マジか嘘かわっかんねーし!」
「お前もその冗談の様な態度をいい加減改めろ。今はそんな事より任務だろ。ところで外を囲んでいたそっちの『お仲間達』はどうなった?もう気配はしない様だが。」
ヒサメはムラクモ渾身のボケを華麗にスルーし、彼を盛大に滑らせる。本人にその気は無かったのだろうが、事故らされた被害者であるムラクモは居た堪れない。更にふざけて事故に対する慰謝料を請求しようかと考えたが、不注意運転したのは自分の方だと彼は思い直す。
「お前って、本当に変わらねえよな…はあ、まあ良いや。御察しの通り綺麗に撤退しやがったよ。こいつらが稼いだ時間で態勢を立て直し、もう一度攻めて来るんじゃないかと思って身構えてたんだがな。」
「俺も地下からの攻撃に対して警戒していたが、特には何も無かった。時間的に見てカスミ殿が解放された影響では無いのか?最早これ以上は余り下手な事は出来ないからと、諦めた様にも思えるが。」
ヒサメの言葉に、ムラクモはそれだけは無いとばかりに首を横に振る。そしてその反応に対して全くの同感と言わんばかりに、ヒサメの手からスライムが現れてムラクモの態度に追随した。
『いいえ、それは無いでしょう。潔ぎの悪さに定評のあるあのサイギさんが、そんな簡単に諦めるとは到底思えませんわ。こんな物騒な事件を起こしてしまったからこそ、寧ろもう決して後には引けない筈でしょうし。』
「俺も姉御に同意見っすね。あいつは絶対に自分が悪いって認めねえ。寧ろ率先して犯罪を犯し、敵対者にその責任を擦り付けて蹴落とし、賄賂で上に取り入って成り上がった下衆野郎だ。必ず俺達を犯罪者に仕立てるつもりですよ。」
『ですわね。それにワタクシとしてはコシノ相手に喧嘩を売って来た事も気になります。幾ら追い詰められているとは言え、イズモのタブーを犯すなどあの方らしくもありませんわ。ヒサメさんは何か聞いていまして?』
カスミの問い掛けに対して、ヒサメは首を横に振って否定する。
「特には何も無い。俺はただの使い走りだからな。悪漢からアキト君を守る様にと命じられただけで、それ以上の詳しい話は聞かされていないんだ。俺も上の秘密主義体質にはウンザリしているんだが、こればかりはな。」
『そうですか…ま、コシノなら当然ですわね。大方予想は付きますが、これ以上の詮索は時間の無駄。ワタクシもこれで晴れて自由の身ですし、早速仕事を再開しようと思いますわ。一番の危機は去った模様ですし、後の事はムラクモさんにお任せしようと思いますが、それで宜しくて?』
その少し早口な言葉からも、早く本来の仕事に戻りたいと言う彼女の本音が見え隠れしていた。警察が本気になれば証拠隠滅など雑作も無く、時間を掛け過ぎれば彼等を追い詰め切れなくなる可能性も有る為だ。だが、アキトは気になっていた事を確認しようと声を掛ける。
「ああ、カスミ先生。仕事に戻る前に一つ宜しいですか?」
『ええ、何でしょう。手短かにお願いしますわよ。』
「では二つだけ。病院の状況とマヒトさん達の安否について。」
『それでしたらご心配無く。病院からはもう奴の手下は撤退しました。マヒトさんの方も不審者は消え去ったとの事。念の為にコチヤ先生にそのまま護衛を続けて貰いますが、恐らくは大丈夫でしょう。』
アキトは避難場所として『病院が使える』事と、そしてマヒト達が『依然無事である』事を確認すると、カスミに感謝を述べて一礼する。
「有難う御座います。それじゃあ先生、お仕事頑張って下さい。」
『貴方の方もですわ、アキトさん。ついでにキツネさんも。わかっているとは思いますが、まだ終わってはおりませんわよ。くれぐれも油断なさらぬよう。』
「ンッフッフッフ。大丈夫ですよ、カスミさん。私にはこんなに優秀な護衛が付いていますし、それに『例の物』の本当の保管場所を知っているのは私だけ。つまり私に何かあれば困るのは向こうの方なんですからねぇ。」
『…そうですか、それなら安心ですわね。ではワタクシはこの辺りで失礼致しますわ。それでは皆さん、御機嫌よう。』
そしてカスミのスライムはヒサメの体内へと消えて行った。それを見送ったアキトは、早速これからの方針についてムラクモとヒサメを交えて話し出す。
「一先ずは救急車を呼んで、この人達を連れて共に移動しませんか?先生の話ではもう病院の方は大丈夫みたいですし、僕は良いですがこの子達をこのまま外に居続けさせるのも嫌ですし。」
「俺もその意見に賛成ですよ大使殿。この建物の中はほぼ焼失、地下は完全に消滅しちゃいましたからね。とてもじゃないですが危険で居られません。救急車の方はもう手配しました。それと私達の移動用にと特殊警備車を送ってくれるそうですよ。」
「そもそもここがそんな風になったのは、元はと言えばお前のとこの奴等が主な原因なんだがな。無事に事件が解決した暁には、ここの損害賠償と周辺住民への慰謝料を請求してやる。最高額をふんだくってやるから覚悟しとけよ。」
「おうおう任せとけ。どんなに高額な賠償金だろうと全額を一括でキッチリ支払ってやるぜ。たっぷりとその懐に溜め込んでいると裏で噂の、そいつらの所属する派閥の長殿がな。」
ヒサメとムラクモは互いに悪い笑みを浮かべながら、アキトの背後に連れられている、拘束されている警官達を見る。猿ぐつわされた彼等は何も言えず、ただ恐怖に震えていた。彼等は情報を吐く可能性があるため、見捨てられた上に抹殺対象でもある為だ。からかいこそしたが、ヒサメは彼等の事を酷く気の毒に感じた。
「…おい、ムラクモ。こいつらは何とかなるのか?なんなら俺も手を貸すが。」
「ははっ、相変わらずだなヒサメっち。変わってなくて嬉しいよ。だがここは気持ちだけにしといてくれ。話をややこしくするとかえって助け難くなる。俺とカスミの姉御で何とかするから、ヒサメっちは大船に乗った気で…な?」
「……わかった、お前を信用しよう。コシノはその件に関して一切介入しない。」
「助かるぜ、あんがとな。と、だべっていたらどうやら来たみたいだ。」
ムラクモがアゴである方向を指し示す。すると丁度、その方向から緊急車両のサイレンが聴こえて来た。そこでムラクモが全員を促して場所を移動しようとした時、何を思ったかキツネが急に口を開く。
「ああ。警部、少しお待ちを。皆さんも宜しいですかねぇ?移動をする前に一つやるべき事が。」
「事務次官殿?何でしょうか。」
「マヒト君を襲った不審者の事ですよ。実は彼から情報を頂きましてね?未だ捕まっていないのなら、仲間を助けに道中襲って来る可能性は有ります。であればここでその情報を共有しておくべきかと思いましてねぇ?」
「…わかりました。では救急車が来るまでの間に済ませてしまいましょう。」
許可を得たキツネは、ヒサメに頼んで拘束した警官や導族達を含めた全員を外部から守れる様に、
周囲にカマクラに似た透明な氷壁を展開させる。そしてその中でマヒトから得たと言う情報を簡潔に全員に伝えた。
「なるほど、雷導術を得意とする鳥型導族にして強硬派系貴族…イガルダ伯類縁の刺客ですか。」
話を聴き終えたムラクモが嫌そうにポツリと呟く。水導術は雷導術に対して苦手であり、更に機動力の高さで知られる鳥型導族が相手と言う事で、自身の力量で対応出来るのか不安であったのだ。それを知ってか知らずかーーいや恐らくは知っているだろうキツネは、嫌らしい笑みを浮かべる。
「ええ、ですから事前にお伝えしたかったのです。先日、コウガ殿の御一家が誘拐されたのを追跡する為にカスミさんが放った方達も、雷導術使いの不審者に全員やられてしまったと聞きましたからねぇ。」
「…相変わらず耳聡い事で。それで、これから彼等を捕まえる為の策を練ろうと?」
「いえいえ、そんな急ごしらえの付け焼き刃で何とかなるとは思っていませんよ。それに敵の捕縛は本来の目的ではありません。今ここで大事なのは如何にして身を守るかです。敵に襲わせ辛い状況を作り、また万が一の時の為に罠を用意しておこうと思いましてねぇ。」
「罠…?事務次官殿、一体何をするおつもりで?」
「ンッフッフッフ…それは聞いて見てからのお楽しみです。そうです、トース卿も呼び戻しましょうかねぇ。依頼したい事も有りますし。」
キツネは先にも増して嫌らしく微笑む。その黒い笑みを見て、アキトは呆れたように苦笑いしたのだった。
「それで、これがその策ですか。」
拘束した警官達と共に特殊警備車に乗るアキトは、無線通信でキツネと話していた。キツネは警備車には乗らず、トース達が持って来た別の車に乗って警備車の前を走っている。そして更にその前には怪我をした導族達を運搬する複数の救急車が先行して、人気の無い道を選んで進んでいた。
『ええ。彼等の狙いは情報を持つ私、仲間である導族、そしてサイギ配下の警官達です。こうして標的を複数に分ければ、一度に目的を達成するのが難しくなると言う訳ですねぇ。』
「言いたい事はわかりますが、こうしてまとまって動けばそれこそ良い的ではありませんか?」
『仰る通り。しかしだからこそなんですよ。公安捜査局から病院までのルート上における危険な位置は既に全て把握し、現在秘密裏に監視下に置いています。もしもその場所を利用しようものならば…ンッフッフッフ!』
「ははは…キツネさんも相変わらずですね…。」
アキトはキツネと最初に出会った時を思い出す。あの時も彼はシルバーナを利用してシラサギを罠に嵌めた。今回も同じように自分達をエサにして敵をある地点に誘き寄せ、そこを逆に攻撃して相手の出鼻を挫いてやろうと言うのがキツネの提案であった。
「ですが、それなら何故僕達を複数のグループに分けるのかがわかりません。救急車は仕方ないにしても、キツネさんがトースさん達と一緒に動く必要は有りませんよね?」
『ンッフッフッフ、それもまた作戦の要です。私としてもなるべく襲撃される前に迎撃しようと考えてはいますが、相手もそう簡単に諦めてくれるとは思えませんからねぇ。』
「つまり、これは敵が罠を搔い潜って襲撃して来た場合の対応に関わると。」
アキトの推測に対し、キツネは満足するかの様にして頷きながら笑う。
『ンッフッフッフ、ご明察。例えば貴方が襲撃者の立場である場合、完全武装した警備車両と、それに護られるようにして捕獲目標の乗った乗用車が並走していたとしたら、最初にどちらを狙います?』
「普通に考えれば、護衛である警備車ですね。標的を捕らえる邪魔をされては敵いませんから…って、まさかとは思いますが僕達って…。」
『ンッフッフ。これが映画なら警備が拙いのは鉄板ですが、わざわざ穴を作ってやる必要も無いでしょう?強硬派系導族は人族の実力を軽視する傾向が強いと聞きます。ここはその慢心を利用してやろうと言う事なんですねぇ。』
つまりアキト達の乗る警備車は、迎撃する為の戦力をその装甲の中に隠した『二つ目の罠』であったのだ。キツネ自身がカーテンも無い車の窓際に座っているのも、彼等が欲する情報を持つキツネが警備車には居らず、襲っても大丈夫と判断させる事を目的として、目の良い鳥型導族に見える様にする為である。
「慢心ですか…先の攻勢が失敗したのに、それでもまだ油断しているでしょうか?」
『油断はしてないでしょうが、それでも誇りは簡単に捨てられる物ではありません。一度失敗し、その誇りを傷付けられたのなら尚更です。そこを上手く突けば浮足も立ちます。存外、理性とは感情で簡単に崩れてしまう物ですから。』
「……どうでしょうか。それでキツネさんは、僕達にその隙を突けと言いたいのですね?」
『ええ、そうです。彼等を激情に走らせる事が出来れば、後は煮るなり焼くなり好きに調理出来ますからねぇ。彼等の無駄に高い自尊心を燻らせ、煽って煽って焚き付けて、立派な焼き鳥にして差し上げて下さい。』
キツネの言葉は自信に満ちていたが、アキトとしては余り信用出来なかった。彼の提案は相手の決断に左右される側面が強く、受動的である為にその行動の逐一に振り回されてしまう。誘い込むと言えば聞こえは良いが、攻められる事に変わりは無いのだ。その不安をアキトは包み隠さず吐露する。
「う〜ん…そんな風に上手く行けば良いんですけどね。幾ら車中なら雷を避け易いとは言っても、敢えて僕達が狙われると言うのなら、やはり失敗した時のリスクは大きいですし。」
『そんなに構えなくて良いですよ。彼等が酷く愚かで無ければ、向こうが最初に狙うのは導族達を乗せた救急車でしょう。そこに捕らえた導族の全員を乗せていると、奴等と繋がっているであろう警察官に情報を流してありますからねぇ。』
「何さらっと情報漏洩をカミングアウトしてるんですか…って、え?最初に救急車を狙わせるんですか?」
『その通り。救急車に先行させている理由はですねぇ、そこを襲って足留めすればそれに追従する我々の車も同時に足留め出来ると相手に思わせる為なんですよ。ついでにお仲間を回収出来ると来れば、これはもう狙わない手は有りません。』
もしも敵の最初の攻撃が警備車であれば、不意打ちもあってアキト達の対応が遅れる可能性もあった。しかしその攻撃を救急車に誘導する事で、アキト達が何かしらアクションを起こす為の時間を稼ごうとキツネは考えていた。無論、すぐに背後へ逃走出来る様にとの準備も滞りない。
「ふむ…となると、救急車の搭乗者の方達と転移契約を結ばせたのもそれが理由なんですか?何かあった時に即座に召喚で逃がせる様にと。」
『ええ。はっきり言って導族の方達の護送は私達にとって重要では有りません。しかし彼等にとっては大事な仲間であり、同時に自らの悪事を証明してしまう存在。故に何としても身柄を取り返すか、その口を封じる必要がある。』
「なるほど。彼等が何か証言する前に何とか取り返さないと、後々厄介な事になる。その状況を防ごうとする心理を利用しようと言う事ですね。」
『ご明察。いざと言う時には彼等の身柄を向こうに差し上げ、反撃したり逃走したりする為の隙を作ろうと言う算段です。一番は襲撃されない事、次点で襲撃された時に如何にリスクを低減し、また発生する損失を抑えるか。それを常に考える事が大事なのですよ。』
「そして、それらを考慮した結果がこの布陣であると。」
アキトは周囲を見回した。彼の両隣にはシルバーナとアズが座り、また足元にはディアが侍している。近くの頑丈な防弾ガラスの張られた小窓の側にはヒサメが居り、そこから外の様子を確認していた。しかしムラクモの姿だけは見当たらない。
「…で、何で警部だけは先に病院に転送して置く必要があったんですか?例え相手が雷導術使いであったとしても、警部なら充分戦力になると思うんですが。」
『ンッフッフ。それは勿論、病院を警備して頂く為です。一度は安全になったとは言え、常に安全である保証は有りません。誰かが監視しなければならないですし、誰かを転送した時にも即時対応出来ます。決して彼が戦力外であると言っている訳では無いんですよねぇ。』
「…そうですか。」
アキトとしては貴重な戦力を他に割きたく無かったが、キツネの言う通り緊急時にシルバーナ達を逃す先として、病院の安全を確保しておく事も非常に重要である。上手く言いくるめられてしまった感は否めないものの、アキトはその言葉に渋々納得する。
『まあ、現在遠回りしているとは言え病院までそれ程距離も離れていませんし、その間に襲って来る可能性も高いとは思えません。余り気負わずにゆったり構えていればすぐに終わりますよ。それこそ、貴方が何もしないでも良い位…ンッフフフフフ。』
「……わかりました。キツネさんがそう仰るのなら。」
『ああ、ですがいざと言う時はちゃんとシルバーナ様を守ってあげて下さい。先程の戦いで彼等の狙いは彼女では無いとわかりましたが、それでも私達の反撃を正当化する大義名分であり、こちらの急所である事には変わり有りませんからねぇ。』
「奴等がこれからシルバーナ様を狙って来ると?それは向こうにとって危険な行為では有りませんか?強硬派が穏健派の要人を害したとなれば、導族同士の派閥争いに発展しますし、益が無いと思うのですが。」
『そんな物、馬鹿正直に彼等が認めるとでも思いますか?絶対ヨミ国の警察の所為にされますよ。三日前の事件と同じ構造です。彼等は協力している様でその実、如何にして相手を出し抜くかを考えているのですよ。』
キツネの見立てにアキトは頭を抱える。三日前の事件ではヨミ国側の責任であると言う形で解決したため、こんな短期間でまた同じ様な事が起きれば言い訳も立たないのだ。そんな事も分からずサイギ達は自己保身の為だけに彼等に手を貸したのかと思えば、ただただ呆れる他に無かった。
「しかし、サイギ刑事の方もただ利用されるだけとは思えません。シルバーナ様が殺害されれば、その責を必ず他の誰かに…まさか…!」
『ええ。必ず彼は証拠を捏造し、アキト君…貴方を主犯格に仕立て上げるでしょうねぇ。強硬派はそれを盾にしてヨミ国政府や穏健派を糾弾し、扇動するでしょう。もしそれを理解したならば、彼等がシルバーナ様を殺害するのに躊躇は要りません。』
「彼女の身に何があっても問題無いと…そう判断するかも知れないと。」
『その通り。シルバーナ様は将来有望な才女ですが、今はまだ自分で自身を充分に守れません。故に狙われ易く、また利用され易い存在。だから誰かが彼女を守らねばならず、そしてそれこそが今の貴方のすべき事。』
「……そんな事、キツネさんに言われるまでも有りませんよ。」
両隣りの保護すべき少女達を見ながら、アキトは力強く答えた。自身もまた導術使いとしては非力な部類であり、誰かに頼らねばこの三日間は生き残れなかっただろう。そんな自分が誰かを守るだなんておこがましい事だと彼は思うが、それでそしられようと構わないとも思っていた。
『その意気ですよ…と、すみません。トース卿から注意されてしまったので、この辺りで一度通信を切ります。この内容を何処か誰かにで傍受されでもしていたら大変ですからねぇ。』
「だったらそもそも通信して来ないで下さいよ。別に暇な訳でも無いでしょうに。」
『まあまあ、そう仰らず。私を護り易くする為にと、しばらく静かにしていて欲しいだなんて卿が仰るものでしてねぇ?ただ車に乗ってるだけだなんて暇で暇で。この電話も少々無理を言って繋いで頂いた物ですし。』
「…貴方は我慢が出来ない子供なんですか?それなら後でトース卿にちゃんと御礼を言って下さいね。まあ、作戦の詳しい概要を教えて下さったのは助かりましたけど。」
『それなら良かった。ああ、それとこちらの事は一切心配要りません。卿らがしっかり護衛して下さるそうなので。そちらはそちらの事だけを考えていて下さいねぇ。それではまた後で会いましょう。ンッフッフッフッフッフッフ!』
不気味な嗤い声を残して、その電話は切れる。それを確認したアキトは携帯を懐に仕舞い込むと、静かに目を閉じて自身の後ろ髪を確かめる様に触れた。
(今度こそ…今度こそ僕は…!)
アキトはその髪を握り、そして痛い程に強く引っ張る。その痛みで昔の何も出来なかった情け無い自分を思い出し、未だに自分すら充分に守り切れない現状を憂いて、それでも諦められない自分の心を確認すると、髪を握った手を離した。その反動でアキトの頭は大きく前に振れて下を向く。
「絶対に、死なせはしない。」
その鋭い眼差しと、普段よりも少し低いキツめの言葉は、弱い自分に向けての警告であった。気負い過ぎて潰れるのではないかと周囲が心配する程のプレッシャーを自身に課し、その重みをしっかりと受け止めた上で正面を向く。ゾッとする程に冷徹な彼の理性は、ただ前に進む事だけを彼に強いていた。
「あー…俺が言うのも何なんだが、君はもう少し肩肘張らない方が良い。その覚悟は正直凄いと俺は思うのだが、公女様達にもそれは伝わり、あるいは重荷となるだろう。彼女達の事を思うのならば、まずは自然体で居る事が大事だと個人的には思う。」
すると、アキトの放つ物々しい雰囲気を見かねたヒサメが、やんわりとそれを諌めた。その言葉を聞いたアキトはハッとして我に戻る。すぐに彼は側で心配そうに見つめるシルバーナやディア、そしてアズに何も心配無いと普段通りの笑みを見せ、それぞれの頭を撫でた。
「すみません、ヒサメさん。気を遣わせてしまいましたか。」
「いや、構わないさ。俺は君に大きな借りがあるからな。それを返し切るまでは君が気にする必要はない。」
「有難う御座います。ですがただでさえ周囲の警戒で気を張っているのに、更に護衛対象にまで気配りさせるのは流石に心苦しいです。どうか僕の事は気にしないで下さい。」
アキトの言葉を聞いたヒサメは何か気に入らない事があったのか、腕を組みつつ不機嫌そうに眉をひそめた。
「それは聞き捨てならないな。自慢じゃないが、俺は今まで様々な悪条件の下で任務を遂行して来た。しかもそれでいて、これまで一度も任務を失敗していないんだぞ?君に気を遣いつつ周囲を警戒する事など雑作も無い事だ。」
「それは凄いですね。流石は若くして責任ある立場を任されるだけあると言う事ですか。」
「その通りだ。ただ、だからと言って余りに好き勝手されるのは困るがな。ああ、ちなみに昨日の件については対外的には無かった事になっているので失敗ではないぞ。そこの所は結構大事だからくれぐれも間違えないでくれよ?」
「あはは。ええ、全くもってその通りですね。」
見栄を張るフリをして場を和まそうとする、ヒサメのその少し不慣れそうな気の遣い方がアキトには嬉しかった。こんなヒサメが見れたのは、彼を救う為にとヤクモとキツネが裏で動いた結果であり、自分が大きく貢献した訳では無い。しかし結果的にであるがヒサメが救われたのはーー傲慢な考えなのは百も承知でーーヤクモらと関わりの有るアキトと関わったからこそでもある。
(確かな信頼と言う繋がりが有って、初めて召喚導術は真の力を発揮する。コウガ先生の言葉でしたね。例え僕自身に戦う力が乏しくても…いや、だからこそ僕は僕自身の出来る事を最大限に活かせるんでしょう。)
中途半端でも力が有れば、アキトならあるいは一人で突っ走ってしまうだろう。力が無いから、力の有る他人に頼るしか無いのだ。それは百パーセント他力本願であり、かつ百パーセント以上の実力を行使出来る戦い方でもある。他者との繋がりこそが、彼の最大にして最高の武器であった。
(僕は感謝を忘れない。忘れちゃいけない。親が居るからここにいて、姉妹が居るから頑張れて、友が居るから楽しくて、仲間がいるから強くなれる。だったら僕はもう迷わない。こんな所で迷ってちゃいけない…!)
誰しもが他者との関わりの中で強くなり成長していくのなら、多かれ少なかれ他者を利用しているとも言える。ならば他者を利用するアキトの戦法も、その延長線上にあるだろう。その考え方は決して褒められた物では無いが、それでも立ち止まったままよりはマシであると彼は開き直る。
「ルビィ、ディア、そしてアズちゃん。僕自身は決して強くないけれど、ヒサメさんにムラクモ警部、先生達やキツネさんと頼れる人達は沢山います。皆さんと力を合わせて、貴女達を絶対に守り抜いて見せますから。」
そう言いながらアキトは再び彼女達の頭を撫でる。しかし先程まで気持ち良さそうにしていたシルバーナの今の表情は優れない。アキトの信頼できる者の中に、まだ自分が入ってない事を悟ったからだ。だから彼女は少しだけ悲しそうな顔をして、すぐに決意を新たにアキトの瞳を見つめ返す。
「……はい。ならば、私は私の出来る事でアキト様のお役に立ちます。守られてばかりだなんて…そんなの私は絶対に嫌ですから。」
「ルビィ…ええ、そうですね。その気持ち、僕にもよくわかります。貴女の力、これからも存分に頼りにさせて貰いますから。」
「はい!お任せ下さい!」
シルバーナは頬を赤らめつつ満面の笑みを見せた。今度は紛れもなく心からの笑顔であった。それを見ているだけで、アキトの心は暖かくなる。すると彼の足下に侍したディアも彼女に負けじと尻尾をブンブン振り回してアピールを始める。
「キュイキュイ!キュキュッキュ!キュルルキュイイ‼︎」
「ええ、勿論ディアの土導術にも頼らせて下さいね。貴方が居てくれて助かった事は何回も有りました。いつも有難う、ディア。」
「キュフフ!キュイキュイーン!」
そのまま甘えてくるディアをアキトは存分にあやし、その姿を見てシルバーナも微笑む。しかしアズはと言えば、未だその輪の中に一歩踏み込めずにいた。彼女はまだアキトの役に立てていないと思い込んでいた為に、不必要な遠慮をしていたのだ。
(私も、守られてばかりじゃ…このままじゃいけませんです。でも私に一体何が出来るのです…?こんな中途半端な私に…。)
水龍種と翼竜種の混血である彼女は、水龍種よりも水導術が不得手で、翼竜種よりも風導術が苦手である。そのコンプレックスが今の自身の立場と合わせて彼女の小さな心を締め付け、息を詰まらせる。苦しそうに胸を押さえて下を向くと、彼女の頭に何か暖かい物が触れた。言わずもがな、アキトの右手であった。
「アズちゃんも、頼りにしていますからね。」
「え…兄様?ですけど私、何もお役に立てる事は…。」
「そんな事は有りませんよ。貴女は導術の風をその翼手で捉え、あのコチヤ先生を見つけられました。これはそう出来る事ではありません。貴女なら鳥型導族の襲撃を事前に察知出来ると、僕は確信しています。」
「あ…で、ですけど…それはル、ルビィちゃんやディアちゃんも出来ましたです。」
「ルビィの技術は視認が必要で、その性質上速く動く相手は不得意です。ディアの技は主に待ち伏せ用で事前準備も必要ですし、広大な空を把握し切る事は難しい。貴女の様に風を翼手に受けるだけで相手の位置を知れると言うのは、実はとても凄い事なんですよ。」
鳥型導族に代表される翼を持つ導族は、基本的に無意識にだが風導術を使用して空を飛ぶ。故にその風を察知出来るアズは、彼等に対する優秀なレーダーとなり得るのだ。それを丁寧に説明しながらアキトが優しく勇気付けると、アズは少しだけ元気を取り戻す。
「あ、有難う御座いますです。ですが…あの…折角の申し出なのですが、そんな責任重大な事を半人前な私なんかが任されても宜しいのです…?」
「勿論、貴女一人に責任を押し付けるつもりは有りません。僕も先生から頂いたこの導術探知機で風導術反応を探しますよ。だから貴女には、その手伝いをして欲しいんです。」
「お手伝い…です?」
不思議そうなアズの目をアキトはしっかりと見つめ、諭すように語り掛ける。一方のシルバーナはその空気を読んで、ディアを連れて静かに席を外す。アズの事を少しだけ羨ましく思い、しかし彼女を勇気付けるアキトの姿をとても愛おしく思いながら彼等を見つめた。
「ええ、お手伝いです。僕一人じゃ不安なので、アズちゃんも一緒に探してくれたら心強いなと思うんですが…駄目ですか?」
「と、とんでもないです!私なんかで宜しければ幾らでも!で、でももしも失敗したら…私の所為で兄様の足を引っ張ってしまったら…私…。」
そこから先の言葉は言えなかった。それを言い切る前にアキトがアズをしっかりと抱き寄せた為である。驚くアズの耳元に、アキトは優しく囁きかけた。
「そんな事、やって見なければわかりません。もしかしたら思っていたよりも上手く行くかも知れませんよ?それに、それを言ったら寧ろ僕の方が皆の足を引っ張るんじゃないかって、そんな不安で一杯なんです。」
「…え?そうなのです?」
「当然ですよ、僕は完璧な人間じゃないんですから。恥ずかしながら先程の様に失敗する事も往々にして有ります。いつも失敗するんじゃないかって不安になりながらも、それでも僕の出来る事を精一杯尽くしているだけなんです。」
「そうだったのですか…。あの…それで、もしも失敗してしまったら…兄様はその時にはどうなさるのです?」
「すぐに頼れる人に報告します。迷惑掛けたのなら謝ります。助けられたのなら御礼します。そして反省して次の機会に活かします。そうやって人は成長するんです。それを怖がる必要は有りません。僕や貴女も含め、誰しもが通る道なんですから。」
アキトはトントンとアズの背中を叩く。それは病院に居た時に、アズの心中の不安を残らず吐き出させた抱擁であった。アズが条件反射的に尻尾で自らとアキトをまとめて巻き付けると、アキトはそれに応える様に、何かに怯える子供を安心させようとする親の心で彼女を力強く抱き締めた。
「わ、私に…本当に出来ますです…?兄様のお役に立てるのです?」
それは不安に支配された心の底から絞り出された、救いを求める少女の言葉であった。アキトはそれを掴み損なう事もなく、そして決して逃す事もない。ただひたすらに目の前の少女の幸せを願い続ける彼は、それが自然に出来ていた。
「はい、貴女ならきっと出来ますよ。そして、もし貴女が失敗しても僕達が必ず助けて見せます。アズちゃん、僕は貴女を心から信じます。貴女も僕を…いえ、僕達を信じてくれますか?」
アズはゆっくりと深呼吸する。それは周囲の空気と共にアキトの言葉を残らず取り込み、返す吐息には少女の覚悟と勇気が混じる。最後に名残惜しそうに一際強く尻尾を締め付けてから彼を解放すると、赤みがさした顔でアキトを至近距離から見つめる。その瞳にはもう、迷いの色は無かった。
「……わかりました。私、頑張りますです!」
「ええ、僕も貴女と一緒に頑張ります。それと忘れないで下さい。貴女は決して一人じゃない、僕達が一緒に居ます。いつでも僕を頼って下さい。そしてくれぐれも気負い過ぎないで下さいね。」
「わかりましたです!」
そしてアズは元気に立ち上がり、少しだけ開けた車の小窓の側に近付いて悠然と翼手を広げた。外から差し込む電灯の光に照らされた水色の翼は幻想的な美しさを纏い、そして凛々しく佇む優雅な姿には何処か気品が漂う。その姿に若干の間アキトが見惚れていると、横からヒサメが彼に話し掛けた。
「あの子が元気になったのは良い事なのだが…これで本当に良かったのか?彼女は関係者とは言えまだ幼く、しかも巻き込まれてしまった側だ。君としても余り彼女に危険な事をさせたくは無いのだろう?」
「勿論ですよ。僕としても、最初は危険だからなるべく関わらせない様にと考えていました。ですが、少し前に部外者だと言ってアズちゃんを遠ざけた際にアズちゃんの表情を見て…その考えを改めたんです。」
「表情?」
「はい…あの寂しそうな表情、昔の僕にそっくりだったんですよ。大好きな両親や妹の為に何かしたくて、でも何も出来なかった…あの頃の僕に。まあ、正直今でもそうなんですけどね。だからつい…お節介を焼いてしまいました。」
アキトは少し俯き、自らを嘲る様に力無く笑うと溜息を吐いた。なるべく危険が無い様にと索敵にしか彼女を起用するつもりは無かったが、それでも怪我や最悪命を落とすであろうリスクを負わせる事に違いはなく、結果的にそれを押し付けてしまった非力な自分に嫌気が差したのだ。
「ムラクモの奴ならばこんな時、何か気の利いた事の一つでも言うのだろう。だが、俺はそんな言葉を知らない。」
すると、ヒサメが独り言の様に呟いた。そして彼に何か思う所があったのか、アズの座っていた場所に静かに座ると、正面を向いたままアキトの肩を軽く叩く。
「だから代わりに一つだけ、君に事実を述べよう。俺は例え君達が何に失敗しようと君達を守り切る。これは絶対に変わらない。それは俺の誇りに懸けて誓おう。」
「ヒサメさん…。」
「失敗を恐れるな、君達の手落ちは俺が何とかしよう。若者のミスを許容し、フォローするのが大人の器と言う奴だからな。そして君達だけで全てを解決しようとするな、それこそ正に傲慢と言う物だ。君は君が言った様に、もっと俺達を頼って良いんだ。」
「…はい。本当に、有難う御座います。」
ヒサメのその厳しくも優しい言葉に、アキトはヒサメの方を向いて心からの感謝を述べた。言ってから少し恥ずかしくなったのか、ヒサメは身体ごとそっぽを向いてしまっていたが、アキトはその後ろ姿に頼もしさを感じていた。
(…よし、僕も頑張ろう!)
そして心機一転、決意も新たにアキトがキツネの電話で中断していた導術探知機の操作を再開すると、急に車の速度が落ちた。何事かとヒサメが運転手に問うと、どうやら前方を走る救急車が何者かによって足留めされたらしいとの報告が返って来る。その言葉に、アキト達の間に一気に緊張が走った。
「ルビィ、アズちゃんもそのまま僕の側へ。ディア、例の物を召喚するので打ち合わせ通りに準備して下さい。ヒサメさん、外の状況確認をお願いします。」
「任された。君達はここで少し待機していてくれ。」
アキトは戦闘力の無い少女二人を即座に転送出来る様に近寄らせ、ディアにはトース達から貰った『ある物』の準備を命じ、ヒサメには最も危険な作業である外の確認を依頼する。ヒサメは全身に氷の鎧を纏うと、銃を片手に慎重に外に出る。そして救急車の前の方にまで滑りながら出ると、思わず目を見開いた。
「な…お前達、何故ここに居る!」
「何故って…勿論、仕事で来たのですよ。それ以外に『我々』が動く理由が有るのですか?『ハイル殿』。」
ヒサメは救急車を足留めした者達を見て絶句した。彼等はヒサメの良く知る者達ーー公安捜査庁の捜査官達であったのだ。コシノ所属の彼等ならばカスミは容易に干渉出来ない為、今の様に足留めする事が出来るのである。そしてそれを見た瞬間、彼は警察が何故コシノに喧嘩を売る事が出来たのかを悟る。
「…そうか、初めからそのつもりだったのか。やられた…だとしたら色々と合点が行く。」
「何を仰っているのか良くわかりませんが…我々はこちらに我が国の治安を脅かすテロリストが潜んでいるとの通報を受け、確保しに参った次第です。ハイル殿も既に臨戦態勢ですし、同じ要件でいらっしゃったのではないのですか?」
「やはりな。俺達末端はいつも何も聞かされず、いつだってただ利用されているだけ。今ここでお前達を捕らえた所で、何も情報は得られないと言う訳だ。チッ…となると、奴等が仕掛けて来るとすれば…!」
怪訝そうな公安捜査官達を無視して、ヒサメは通信機に向かって叫ぶ。
「アキト君!逃げろ!」
彼が言葉を放つや否や、重なる様に後方で大きな音と光が発生する。それはこの雲一つ無い綺麗な夜空に不似合いな、『雷』が落ちた事で生じた物であった。その明らかな異常現象は確実に敵導術使いの仕業である事を裏付ける。その雷が落ちた場所は勿論、アキト達の乗る警備車であった。
同時刻、警備車の上空を二人の若い男達が大きな翼を広げて旋回していた。彼等こそ警備車に向けて雷を落とした犯人の鳥型導族である。彼等は互いの名前を呼び合いながら、気取った風に会話を始めた。
「奴等の様子はどうだい?『ダカル』。」
「特には何も。焦っている様子は無いね。『ウパカル』。」
彼等は共に黄色味がやや強い鮮やかな金髪を持ち、また背中には同じ様な美しい白い羽を持っていたが、何よりも特筆すべきはその顔である。二人は全く同じ顔をした双子であったのだ。彼等は同じような表情をして同時に首を傾げ、落雷が直撃した筈の警備車をその優れた視力で観察する。
「あれは対雷導術用の避雷設備か。僕達の攻撃に対する防衛の為かな?ダカル。」
「そうだろうね。全く…僕達の美しい雷がお気に召さないなんて、その美的嗜好を疑うね。ウパカル。」
警備車の上側にはいつの間にか大きな針の様な物が突き出ており、その下には何らかの構造体が接続されている。これは導力開発学園が開発した特殊な避雷器の試作機で、付近の導術由来の電気をその針に誘導し、下にあるコンデンサーに類似した構造体でその電気を残らず吸収する設備であった。
「折角、吃驚して醜態を晒す程度の雷を落としてあげたって言うのにね。どう思う?ダカル。」
「こっちが手加減してあげたのに、あんな物で防げたとか亜人共に思われるのは癪だよね。ウパカル。」
通常の雷と違いある程度の指向性を持たせられる導術の雷は、金属に包まれた車内であっても侵入する危険があり、また誘導雷等で周囲にも影響を与え易い。その不安を完全に払拭する為にと、キツネは学園に依頼して特殊避雷器を買い取り、所有権をアキトに譲渡していたのだ。
「それじゃあどうする?ダカル。」
「決まっているよね。ウパカル。」
二人は同じ顔で鏡写しの笑みを作り、同じ軌道を描きながら夜空を縦横無尽に飛び回ると、急に距離を詰めてそれぞれ反転し、互いの背中を合わせた。そしてダカルは右手を、ウパカルは左手を挙げて絡ませ勢い良くそれを下げると、そこから幾筋もの雷撃が地上に向けて放たれた。
「「雷生導術・飽和雷弩!泣いて喚いて逃げ出しちゃいな!」」
機関銃の如くに連射される雷は互いに反発する事も無く、付近の高い建物には見向きもせず、正確無比に警備車へと突撃して行く。統制の取れたそれらは一心不乱に警備車の避雷針に襲い掛かり避雷器を焼き潰そうとするが、思ったよりもそれは難航した。不審に思って良く観察すると、その原因を見つける。
「…壊れかけた部位が瞬時に直ってるね。ウパカル。」
「うん、しかも新品みたいにだ。確か小人さん達は全員、あっちの車に居るはずだよね。誰か他に優秀な土導術使いでも居るのかな?ダカル。」
電気を蓄える構造体には耐久力が有り、規定以上の雷の吸収は不可能であると彼等は見ていた。それは果たして正解であったが生憎と、壊れそうになったそれをすぐにスペアと交換出来る召喚導術使いが車内に乗っていたのだ。それに気付いた事で、彼等から余裕の笑みが消える。
「邪魔者はさっさと消えて欲しいのに、これは厄介だね。ウパカル。」
「このまま遠くから雷を撃ち続けても、埒があかないかな?ダカル。」
彼等としては、このまま上空から一方的に攻撃し続けてアキト達に反撃を許さないつもりであったのだが、そんな悠長な事はしていられなかった。彼等の雷による攻撃は余りに目立ち、異変に気付いた者が駆け付けて来るのは確実であり、そしてそれは彼等にとって避けねばならない事態である為だ。
「となると、やっぱり僕達が直接行くしかないね。ウパカル。」
「そうだね。準備は良いかな?ダカル。」
「愚問だね。そんなの聞くまでもないよ。ウパカル。」
人族が何人集まろうと彼等は負けるつもりは無かったが、それで本来の目的を達成出来なくなったらそれこそ御笑い種である。それは彼等の誇りが決して許さず、そして人族に負ける筈が無いとのプライドが、自らの優位性を捨てて戦いに赴こうとする彼等の背中を強く押していた。
「横に取り付き、窓を壊して中に放電。それで決着かな?ダカル。」
「左右からの同時攻撃で着実に。その後は適当に流して終了だね。ウパカル。」
彼等は狙いを絞らせない様にと、互いに素早く何度も交差しながらギザギザに滑空しつつ、警備車に突撃する。その様はさながら一対の雷のようで、見る者が居たのなら間違いなく見惚れるであろう程に美しくシンクロしていた。するとその接近に気付いたのか、警備車の屋根にある砲塔が動いて上空を狙った。その様子を見てウパカルは笑う。
「あはは!あんなので僕達を狙っているつもり?それとも放水して僕達が感電するとでも思ったのかな。そんな発想が出来るなんて、彼等は愚かなのかな?ダカル!」
「そんなの、聞くまでも無く当たり前の事だね!ウパカル!」
彼等は銃弾の様な直線的な攻撃なら、簡単に避けられる自信があった。だからこそ余裕の笑みでその射撃音を聞いて、ここにいるぞと挑発するかの様に雷で身体を発光させつつ、同時に笑いながら回避行動を取る。しかし彼等のシンクロする笑い声の二重奏は、突如として独唱と化した。
「のわあ⁉︎な、何だこれ⁉︎」
異変に気付いたダカルが後方を見ると、そこにはもがき苦しみながら落ちて来るウパカルが居た。彼の姿をよく見ると、その身体に何かが絡み付き、それが彼の体の自由を奪っているのに気付く。
「あ…網ィ⁉︎」
それはカスミ御用達の犯人捕縛用特殊ネット弾であった。アズの指示を参考にして、警備車の砲塔から勢い良く射出されたそれは、しばらく直進した後に瞬く間に広域に広がり、二人の内の一人を見事に絡め取ったのだ。銃弾を想定していた彼等の動きは、面の攻撃である網を避ける事が出来なかった訳である。
「待っててウパカル!今助ける!」
すぐにダカルは自由に飛べなくなったウパカルの元に飛び、彼を受け止めてその網を引き剥がそうとする。しかし元々対導術使いを想定したそのネットの強靭さは尋常では無く、雷で熱して焼き切ろうにもウパカルまで傷付けてしまう。その隙に警護車とキツネの乗った乗用車はその場から撤退し始めた。
「僕はいい!自分で何とかするから早く行くんだダカル!奴等に逃げ切られる!失敗は許されないんだよ⁉︎」
「ぐう…!」
ウパカルの要請で、ダカルは悔しそうに近くのビルの屋上付近で彼を放す。ウパカルが何とかもがきながらも無事着地したのを確認したダカルは、血相を変えてアキト達を追い掛け始める。彼等はどうやら人が居ない山の方向に向けて逃走しているらしく、明らかに周囲への配慮を見せる余裕を彼に見せ付けていた。
(クソ…クソ!亜人共め…僕達をおちょくってるのか!もう許さないぞ!生かしては返さん!)
彼は激昂していた。油断もあったが人族に遅れを取ってしまった事、そして情けをかけたとでも言わんばかりに非殺傷兵器を使われた事はダカルのプライドを激しく傷付けたのだ。彼は全身に黄色い稲妻を纏わせ、その怒りを火花散る音に乗せてアキト達を猛追し、十数秒程度でその姿を視界に入れた。
「その鉄の塊が貴様らの棺桶だ!焦げ果てろ!」
ダカルは叫びつつ再び何発も雷撃を放ち始める。それらは全て避雷器に吸収されてしまうが、それは想定内であった。避雷器に負担を掛け続ければ、それを直し続ける必要が生じ、アキトの動きを封じる事に繋がるのだ。それは彼自身の負担を度外視したやや無茶な作戦であったが、怒りに駆られた彼を止める者は現在、彼の側には居ない。
(む…奴等め、またあの網を放つ気か?そうは行くか!僕達の卓越した絶技を見せてやる!)
そのまま攻撃を続けていると、再び警備車の砲塔が回転を始める。どうやら空を飛ぶ彼を再び網で捕らえよう狙う様子であった。それを見たダカルは雷光を四方八方に放つと、それらはダカルの姿を取って無作為に動き始める。
「雷生導術奥義・雷霧千鳥!どうだい!これで狙えるものなら狙ってみなよ!」
それは雷光で出来た分身を幾つも作り出し、敵を撹乱する術であった。分身に実体こそ無いが、それらを動かすのに関して簡単な風導術を利用している為に、結果的にアキトの持つ導術探知機では見分けが付かなくなると言う副次効果がある。それを利用して一気に接近しようと彼は試みる。
「…って、ええ⁉︎」
しかしその目論見は、彼目掛けてネット弾が飛んで来た事で脆くも砕け散った。急いで回避行動を取りつつ速度を上げて、網が開き切る前にその横を通り過ぎて何とか躱すが、すぐにまた彼目掛けて網が飛んで来る。それは彼の居場所を知らねば出来ない軌道を描いていた。
「クソ!紛れ当たりなんかじゃない!確実に僕の位置が知られている!まさか僕の術が見破られたのか⁉︎」
ダカルは混乱する。彼の自慢の導術は、手の内を知らせまいと殆ど使って来なかったのもあるが、未だに破られた事が無かった。故にその理由に思い至れず、また次々と彼を捕らえようと飛んで来る網を回避するのに精一杯で考える暇も与えられず、訳も解らないまま全力で回避に専念する。
(大体さっきから何なんだよ!あの砲塔の変態的な動き方は!)
更に彼を混乱させていたのは、砲塔の驚異的な回転速度と弾薬の装填速度であった。ダカルを目掛けてネット弾が撃たれた次の瞬間には、彼が逃げた方向に向けて別の弾が発射されていたのだ。回転及び装填途中の動きの一切が省略される機動の仕方は、最早『高速』と言う言葉では足りなかった。
(く…避けるのに精一杯で攻撃が出来ない…。こっちに何かする暇を与えないつもりか…!)
特殊ネット弾を使用している関係上、連射が出来る様にはなっていなかったのだが、カスミの計らいで特別にアキトに所有権が渡されていた。故に彼は『再填召喚』を用いて、砲塔を『弾を装填して狙いを付けた状態』に召喚する事で、瞬時にして正確な連続射撃を実現したのである。ちなみに外れた弾は全て貧乏性のアキトが回収している。
(しかも段々狙いが正確に、僕の行く先を予測して撃つようになって来てる…!)
更にダカルの風導術の感覚を掴んで来たアズは、そこから彼の進行方向すら予想出来るようになって来ており、そしてアキトとの連携も次第にだが着実に上手くなっていた。高速で遠くの空を縦横無尽に飛んでいる筈なのに、もう少しで捕らえられてしまうと言う馬鹿げた予想が真実味を帯びて来て、彼を焦らせる。
(このままじゃ不味い…捕まってしまう!何処か死角になる場所は…そうだ!『あそこ』なら‼︎)
そこで何かに気付いたダカルは急激に高度を下げ、警備車の後方の道路の路面スレスレを飛んで追い掛け始めた。そこは砲塔を旋回しても車体が邪魔となって上手く狙えない位置であった。例え動きを読まれても、反撃出来なければ怖くない。攻撃を上手くいなし切ったと考えたダカルは、急に得意になった。
「どうだ!ここなら狙えまい!このまま車体後部に張り付いて感電死させてやる!」
そしてダカルは全身に纏った雷を右手に収束、そのまま一気に急加速して警備車に張り付き、渾身の雷撃で装甲を突き破って中に向けて電撃を放とうとした、その時であった。
「何だこの空気…冷たい?不味い‼︎」
不穏な気配を察知して、ダカルは攻撃を中断した。彼はブレーキを掛けて減速しようとしたが、全力で追い掛けた所為か次第に車体に近付いてしまう…否、警備車の方が減速して彼に近付いて来ていたのだ。そしてダカルに接近した車体の後部から、何本もの『巨大な氷柱』が生えて彼に襲い掛かった。
「制御が甘いよ!」
事前に冷気を感じていた事で氷導術による攻撃に気付けた彼は、錐揉み回転しながら急上昇し、その氷柱を華麗に避ける。すると今度は高度を上げた彼に狙いを付けた砲身が見えた。実はヒサメの攻撃は囮であった。アキト達の狙いは、ネット弾の方にあったのだ。
(誘われた⁉︎だが僕を舐めるなよ!)
そこでダカルは即座に方向転換し、高い木々が生い茂る車道の崖下側に飛ぶ事で、寸での所でネット弾を避ける。そして崖下の狙い難い位置で更に木々を盾にしつつ飛び、今度は車体の側面下側に向けて雷攻撃を開始した。避雷器に雷が誘導されるのならば、その途中に車体が来る様に狙おうとしたのだ。
「な…何だよそれ!聞いてないよ⁉︎」
だが、アキトも負けてはいない。ディアの土導術を利用して金属製の車の装甲を操り、避雷器を車体側面に移動させる事でその雷撃を受け切った。ダカルは負けじと急接近し、得意の蹴りで避雷器を破壊しようとしたが、今度は氷柱が生えて来て彼を牽制する。
(ええい、忌々しい氷使いめ!だけどどうする?このままでは近寄れない…何処か『氷柱を生やせない場所』は無いか…?そうだ!)
ダカルはおもむろに速度を上げて警備車を追い抜いた。彼の狙いは『警備車の窓』であった。窓に何か有れば視界が悪くなり、運転に支障を来す。また運転手を直接狙っても良いだろう。そこを狙って迫撃し、操作を誤らせて崖下へと落とすのが彼の目的である。そして丁度良い事に、山道は急カーブに差し掛かった。
「これでどうだ!雷霆ノ碇!」
森から飛び出すや彼は懐から帯電した金属ナイフを取り出し、警備車の前方の窓に向けて投げ付ける。雷導術の応用でレールガンの様に磁力で高速射出されたそれは、硬い岩盤すら貫いて突立ち、術者の雷導術をそこに導き追撃を行う技である。そしてその一撃は容易く窓に突き刺さった。
「これで終い…何⁉︎」
そして最大出力の雷撃をそこに向けて放とうとしたその時、またもや異変に気付く。ナイフが突き立った筈の窓が何と『ズレ落ち』、その下から再び傷一つ無い綺麗な窓が現れたのだ。車の操作も依然として正確で、落ちた窓らしき物体は地面にぶつかり、進行を阻害しない位に粉々になった。
「氷生導術・氷山百景=透氷壁。知らなかったか?氷導術にはこんな使い方も有るんだよ。これも人族を舐めてかかったツケだ。深く反省するが良い。」
「…そうか、貴様が亜人の氷使いか!」
窓を偽装した人物ことヒサメは、いつの間にか車の屋根の上に腕を組んで立っていた。足は氷で車体にしっかりと固定されており、車が曲がり道を通ろうと少しも揺らぐ素振りは無い。その涼しそうな顔に、並走するダカルの神経は大きく逆撫でられる。
「銃も持たずに随分と余裕そうだな!氷程度の絶縁抵抗で、導族の雷導術に対抗出来るとでも思っているのか?アスカ・ソル・イガルダ伯爵閣下に実力を認められた僕達を、ここまでコケにしてタダで済むと思うなよ!」
「コケ?こちらが反撃出来ない遠方から、雷を散々撃ち込んで来た奴が何を抜かす。誇りもクソも無い臆病者が、今更何を気にしていると言うんだ?鳥型導族は目が良いと聞くが、イガルダ伯と言うのはどうやら人を見る目が無さそうだな。」
「く…な、何だと!貴様…誇り高きイガルダを侮辱するのか!」
名前を侮辱された事で、ダカルは顔を真っ赤にし、更に頭へと血を上らせる。怒りと静電気でその黄色い髪は天を衝く程に逆立ち、歯をむき出しにしてヒサメを威嚇するが、ヒサメは動じる事も無く更に挑発を続ける。
「うるさい、黙れ。近所迷惑だ、さえずるな。まだ朝には早いぞチキン野郎。お高くとまって降りられないとは滑稽な姿だな。どうせ縁絶鋼製銃弾が怖いんだろう?安心しろ、鶏を捌くのに銃は使わん。お前達の土俵で戦ってやろう。」
「鶏…だと⁉︎地べたを這いずり飼われるだけの下賎な奴等と、仰ぎ見る空を支配する高貴な我等を同格などと評するか!貴様、決して言ってはならない事を言ったな!今更取消しても遅いぞ!」
「取消さないから安心しろ、貴族に飼われる家畜野郎が。もしお前にまだ悔しいと感じる誇りがあるなら、いつまでもピーチクパーチク喚いていないでさっさと実力を示せ。もし怖気付いたのなら鶏の様に逃げ惑え。俺は別にどっちでも構わんぞ。」
「う…ぐ、ガアアアアアアアアアア‼︎」
怒りのボルテージが既に限界に近付いていたダカルには、最早ヒサメの言葉の刃に堪える余裕は全く無かった。最早任務の事など、ましてや全力で大技の導術を放った後の事など考えられない。ただ自らを侮辱した、目の前に居る敵を殺す。その私怨だけが彼の心を支配していた。
「雷生導術奥義・雷化霆鳥!貴様は殺す!必ず殺す!最早骨すら残さんぞ!消し飛べ亜人がアアアアア‼︎」
周囲に鬱蒼とした木々が生い茂る中、全身から電気を迸らせて雷と化したダカルは、一度警備車の前方に飛んで距離を取るとそこで向き直り、全力で勢いをつけてヒサメに突貫する。そのエネルギーは凄まじく、牽制の為にとアキトが放った捕縛ネットが、彼に触れた瞬間に簡単に焼き切られてしまうほどであった。
「氷操導術基本・氷棒。」
彼の必殺の雷が至近距離からヒサメを捉えようとした時、ヒサメは手元にある氷を掴み、如意棒の様に先端を丸くして伸ばした。それを見てダカルはニヤリと笑う。どう考えても彼の雷の方が圧倒的に出力が強く、その氷柱を容易く貫けると確信していたからだ。しかし次の瞬間、彼の笑みは凍り付く。
「な…バカな⁉︎」
氷に触れた雷は、一瞬にして消え失せた。氷導術の中でも特に威力の低い初心者向けの術で、彼の全身全霊を懸けた渾身の雷撃が逆に貫かれたのだ。その秘密は伸びた氷柱の先端にあった。そこにはヒサメがアキトから受け取った、どんな強力な導術だろうと一瞬にして無効化する、対導術使い用秘密兵器ーー『縁絶鋼付きペンダント』が取り付けてあったのだ。
「しま…ガハ⁉︎」
そして、そのまま伸びた氷柱はダカルの眉間に衝突し、その勢いで彼は天を仰いで失神する。既に全速力で突撃を仕掛けていた彼はそれが見えてはいても避け切れず、相対速度の乗ったその鋭い突きは、彼の意識を飛ばすのに充分な威力を持っていたのだ。
「そこに居ると邪魔だ。とっとと退け。」
意識を失い地面に墜落しそうになったダカルを、ヒサメは伸ばした氷柱の棒で横に薙いで叩き飛ばし、付近の木の枝に引っ掛ける。その時の様子を見て彼が死んでいない事を確認したヒサメは、耳に付けた通信機で車内のアキトに戦闘が終わった事を告げる。
「こちらは無事に処理を終えた。後始末はコシノ以外の信頼出来る人に頼んでくれ。俺は奴の片割れが追って来ていないか、もしくは罠が無いか周囲を少し確認してから車内に戻る。」
『わかりました。お疲れ様です、ヒサメさん。』
短い通信を終えると、ヒサメは手元を見る。そこにはアキトから預かった例のペンダントが握られていた。雷の光源を失った為に周囲は漆黒の闇に覆われてしまい、手元にある黒いペンダントを良く確認しようとしても、もう上手くは見えない。
「もしもお前がもう少し冷静であれば、氷柱の先にコレが付いている事に気付けた筈だ。お前の敗因は導術を無効化する縁絶鋼の存在では無い。その高いプライドがお前の目を曇らせたんだよ。」
ヒサメは改めて後方を確認する。そちらもやはり既に闇の中であり、ダカルももう見えなくなっていた。しかし彼は別にそれで構わなかった。彼の目には、既にしっかりとやるべき事が見えていたからだ。
「尤も…もしこれが無かったとしても、怒りに我を忘れ、大事な任務を忘れる鳥頭なお前などに負ける気などしなかったがな。…さて、仕事の続きに取り掛かるとするか。」
今度は警備車のライトが照らす道の先を、ヒサメは静かに見据える。それはとても暗く見え難い物であったが、それでも二筋の光が彼の行く先を案内していた。彼は足元の氷がその光を美しく反射しているのに気付くと、ほんの少しだけ頬を緩ませたのだった。




