第32話 先陣
抗争が始まって六日目の朝。
水仙組の組長室には、柳浩二、加藤勝、林浩介の三人が集まっていた。
机の上には昨夜までの報告書が置かれている。負傷者の名前が記された紙には、昨日新たに三人の名前が書き加えられていた。
「それで、大河。話っちゅうのは何や?」
浩二に促され、大河は姿勢を正した。
「親父、今のままやと、うちは負けます」
浩介が眉を寄せた。
「おい、いきなり何を言い出すねん」
「兄貴も分かっとるでしょう。喧嘩では勝てても、向こうは次から次へと人を出してきます。こっちは怪我人が増える一方です」
大河は机に広げられた地図へ目を向けた。
「昨日は縄張りからも引きました。付き合いを控えたい言う店も出てきとる。このままやと、守る場所を減らしても追いつかんようになります」
「……そのとおりや」
加藤が腕を組んだ。
「昨日も配置を組み直したが、動ける人数は限られとる。向こうが攻め続けてきたら、いつかは持たん」
「せやから、戦い方を変えたいんです」
浩二が大河を見た。
「どう変えるつもりや?」
大河は一度、三人の顔を見渡した。
「組長、俺に諏訪昇を押さえに行かせてもらえませんか?」
浩介が椅子から身を乗り出した。
「はあ!? お前、何言うとんねん!」
「蓮組の組長本人を押さえます」
「そんなこと分かっとるわ! 相手が誰か分かって言うとるんか!」
「分かってます」
大河が落ち着いて答えると、浩介は言葉を詰まらせた。
加藤が口を開いた。
「諏訪は抗争が始まってから本部にほとんどおらん。居場所を変えながら指示を出しとるらしい。どこにおるかも分からん相手を、どうやって押さえるつもりや?」
「居場所はまだ分かりません。けど、見つける当てはあります」
「当て?」
「はい」
加藤は続きを待ったが、大河はそれ以上説明しなかった。
◇
「仮に居場所が分かったとしてもや」
加藤は机に肘をついた。
「相手は蓮組の組長や。護衛もおるやろうし、失敗したらお前らが帰ってこられん可能性もある」
「それは覚悟してます」
「覚悟だけで済む話ちゃうぞ」
浩介が割って入った。
「お前に何かあったら、親父にどう説明したらええねん。俺は反対や」
「兄貴の言うことも分かります。けど、今のままやったら、ほかの組員がもっと怪我することになります」
「せやからって、お前が危ない橋を渡らんでも……」
「ほな、ほかに方法ありますか?」
大河の問いに、浩介は口を閉じた。
加藤が報告書を指で叩いた。
「もう一つ聞く。諏訪を押さえたところで、蓮組が抗争をやめる保証はないぞ。向こうの連中が余計に頭に血を上らせる可能性もある」
「それは分かってます。せやけど、今までみたいに向こうの組員を何人追い払っても、状況は変わりません」
大河は加藤の目を見た。
「まずは諏訪本人を押さえる。それができれば、向こうも今までどおりには動けんようになります。話をするんは、その後です」
「……そこまで考えとるんか」
「はい」
大河はそれ以上、言葉を続けなかった。
浩二は黙って二人のやり取りを聞いていたが、やがて報告書を手に取り、負傷者の名前に目を通した。
「勝。今のまま続けたら、あと何日持つ?」
「はっきりとは言えません。ただ、今日も昨日と同じだけ怪我人が出たら、明日はさらに厳しくなります」
「守る場所をもっと減らしたらどうや?」
「多少は持ちこたえられるでしょう。ですが、結局は別の場所が狙われます」
加藤は地図に視線を落とし、疲れたように眉間を揉んだ。
「……正直、もう手が足りません」
浩二はしばらく黙っていた。
机の上には、先代の頃から付き合いのある店の名前も並んでいる。そこを守るために組員を出せば、別の場所が手薄になる。かといって人を引けば、今度は店が離れていく。
「……大河」
「はい」
「わしはな、組員を死なせるために組をやっとるんちゃう。お前も同じや」
「はい」
「せやけど、このままやったら、もっと多くの連中を危ない目に遭わせることになるんやな」
浩二は大河を見据えた。
「無理やと思ったら引くんやぞ。諏訪を押さえることより、お前らが生きて帰ってくることを優先せえ」
「分かりました」
浩二はゆっくり頷いた。
「……行ってこい」
「親父!」
浩介が思わず声を上げたが、浩二は首を横に振った。
「このまま何もせんかったら、みんな潰れてまう。せやけど、大河。必要以上に相手を傷つけるなよ」
「はい。ありがとうございます」
大河は深く頭を下げた。
◇
事務所へ戻った大河は、健太郎と真二、それに同行する組員三人を集めた。
「今から蓮組の組長、諏訪昇を押さえに行きます」
「……え?」
真二が目を丸くした。
「諏訪昇って、あの蓮組の組長ですか?」
「ほかに誰がおんねん」
「いや、そうですけど……ほんまに行くんですか?」
「親父の許可はもろた」
真二は健太郎を振り返った。健太郎は大河を見たまま、静かに頷いた。
「……俺も行きます」
「俺かて行きますよ!」
真二がすぐに続く。
ほかの組員たちも顔を見合わせ、覚悟を決めたように頷いた。
「けど、大河さん。俺らだけで行くんですか?」
同行する組員の一人が尋ねた。
「せや。ほかの連中は今も縄張りを守っとる。これ以上人を抜いたら、残った仲間にしわ寄せがいくからな」
大河は全員の顔を見た。
「危険な仕事や。相手も黙って諏訪を渡してくれるわけちゃう。せやけど、俺が先頭に立つ。みんなを置いて、自分だけ後ろに隠れるつもりはない」
「そんなん、俺らも同じですわ」
真二が笑った。
「大河さんだけ格好つけさせませんよ」
「……守ります」
健太郎の短い言葉に、大河は小さく笑みを浮かべた。
出発しようとすると、浩介が近づいてきた。
「大河」
「はい」
「……絶対、帰ってこいよ」
「兄貴も心配性ですね」
「誰のせいやと思っとんねん」
浩介は大河の肩を強く叩いた。
「頼むで」
「はい。行ってきます」
◇
車が事務所を離れてから、しばらく経った。
運転席の組員が前を見つめる横で、大河は窓の外を眺めていた。
後部座席では真二が落ち着かない様子で足を動かしている。
「大河さん、ほんまに諏訪の居場所、分かるんですか?」
「まだや」
「まだって……俺ら、どこ向かっとるんです?」
「もうちょい待ってくれ」
真二が何か言いかけたとき、大河の携帯電話が鳴った。
大河は画面を確認し、電話に出た。
車内が静かになる。
大河は何も言わずに相手の話を聞いていたが、やがて短く答えた。
「分かった」
通話が切れる。
「誰ですか?」
真二が尋ねた。
大河は答えず、運転席の組員に声をかけた。
「行き先が決まった。ちょっと道変えてくれるか」
「はい」
「えっ、今ので分かったんですか?」
「せや。行くで」
真二は不思議そうに首を傾げたが、それ以上は尋ねなかった。
◇
その頃、諏訪昇は市内の一角にある建物で、組員からの報告を受けていた。
抗争が始まってから、諏訪は本部に留まらず、場所を変えながら指示を出していた。自分が倒れれば、組全体に影響が及ぶことを理解していたからだ。
「水仙組は昨日、二か所から引いたそうです」
報告を聞いた諏訪は頷いた。
「怪我人は?」
「向こうも増えとるようです。うちの連中も何人かやられましたが、交代させてます」
「無理に追いかけさせるな。こっちまで怪我人を増やす必要はない」
「はい」
「向こうが引いた場所は、しばらく様子を見とけ。余計な揉め事は起こすなよ」
組員が頭を下げて部屋を出ると、諏訪は机の上の書類へ目を戻した。
水仙組の抵抗は予想以上に激しかった。それでも、人数の差は埋まらない。各地で衝突を繰り返すうち、相手の動きが鈍くなっていることも報告から分かっていた。
諏訪は次の報告を待ちながら、湯飲みに手を伸ばした。
◇
大河たちが到着したのは、人通りの少ない通りに面した建物だった。
車を降りた真二が、建物を見上げる。
「……ここですか?」
「せや。諏訪昇はここにおる」
大河が答えると、同行した組員の一人が息を呑んだ。
「ほんまに組長がおるんですか……」
「確かめに行く」
大河は建物へ目を向けた。
「無理はするな。怪我した仲間がおったら、まず助けるんや」
健太郎が頷き、真二も表情を引き締める。
大河は仲間たちを振り返った。
「ほな、行こか」
そう言って、先頭を歩き始めた。
◇
「何や、お前ら!」
建物の中へ入った大河たちを見て、蓮組の組員が声を荒らげた。
「水仙組の近藤大河です。諏訪組長に用があって来ました」
「ふざけんな! 帰れ!」
男が大河の胸ぐらを掴もうとした瞬間、健太郎が間に入った。
「……やめてください」
「邪魔すんな!」
振り上げられた拳を健太郎が受け止める。しかし、奥から現れた別の男が横から殴りつけ、健太郎の身体が壁にぶつかった。
「健太郎!」
真二が飛び出し、男の腹へ拳を打ち込む。その背後からも組員が駆けつけ、廊下に怒号が響いた。
「組長に近づけるな!」
護衛たちは狭い廊下に並び、大河たちの行く手を塞いだ。
大河が前へ出ようとすると、男の一人が掴みかかってきた。腕を振りほどいたところで、別の男に肩を押され、壁際へ追い込まれる。
同行した組員が助けに入ったものの、その男も殴られて床に膝をついた。
「大丈夫か!」
「はい……何とか!」
「無理すんな。健太郎、こっち頼む!」
「……はい!」
健太郎が負傷した仲間の前に立った。
大きな身体は狭い廊下で相手の進路を塞ぐのに役立ったが、そのぶん味方も前へ出られない。護衛たちは健太郎を避けるように両脇から手を伸ばし、背後の組員を引きずり出そうとした。
「健太郎、右や!」
真二の声に健太郎が身体を向ける。その隙に反対側から拳を浴び、額に血が滲んだ。
「血ぃ出とるぞ!」
「……大丈夫」
真二も男の一人を殴り倒したが、すぐに別の男が飛びかかってきた。肩から扉にぶつかり、蝶番が軋む音が響く。
「くそっ、次から次へと!」
廊下には倒れた男や負傷した組員が入り乱れ、足の踏み場も少なくなっていた。
大河たちが一歩進めば、護衛たちはそのぶん押し戻してくる。
騒ぎは奥の部屋にも届いていた。
「何の騒ぎや!」
諏訪の怒声が響く。
「組長! 水仙組の連中です!」
「水仙組やと?」
護衛たちに守られながら、諏訪が部屋の入口に姿を見せた。その視線が廊下で争う大河を捉える。
「諏訪昇さんですね」
「何しに来た」
「諏訪さんを押さえに来ました」
「……何やと?」
「俺らも、これ以上仲間を傷つけられるわけにはいかんのです」
諏訪は大河を睨みつけた。
「たったそれだけの人数で、わしを押さえられると思っとるんか!」
諏訪が護衛たちへ目を向ける。
「お前ら、何しとる。組長の前で情けないところ見せるな!」
護衛たちは再び大河たちへ向かってきた。
大河も腕を掴まれ、強く引っ張られる。踏みとどまろうとしたところへ拳が飛び、頬に鈍い痛みが走った。
「大河さん!」
真二が助けに入ろうとしたが、別の男に行く手を阻まれる。
健太郎も負傷した組員を背後にかばいながら、相手の攻撃を受け止めていた。
大河は口元を拭い、諏訪へ目を向けた。
諏訪の前にはまだ護衛がいる。このままでは、いくら戦っても本人に近づけない。
そのとき、負傷した組員の一人が再び殴られ、壁際に崩れ落ちた。
「おい、しっかりせえ!」
健太郎が駆け寄ろうとすると、真二が叫んだ。
「健太郎! そいつは俺が見る! お前は大河さんのほう頼む!」
真二は目の前の男を振り切り、倒れた仲間の前に立った。
健太郎は一瞬だけ振り返ったが、真二が頷くのを見ると、大河のもとへ向かった。
護衛の一人が大河に殴りかかる。
健太郎はその腕を受け止め、相手を壁際へ押し込んだ。大河はようやく身体を自由にすると、奥へ向かって踏み出した。
「組長を守れ!」
護衛の男が叫ぶ。
諏訪の前にいた男が大河を止めようとしたが、背後で仲間が倒れたのを見て、一瞬だけ振り返った。
その隙に真二が男の前へ飛び込み、進路を塞いだ。
「大河さん、今です!」
大河は駆け出した。
もう一人の護衛が前に立ちはだかる。大河は相手の拳をかわしたものの、肩を掴まれて足を止められた。
そこへ健太郎が追いつき、男の腕を掴んだ。
「……行ってください!」
健太郎が護衛を引き受ける。
大河はそのわずかな隙を逃さず、諏訪へ踏み込んだ。
「……っ!」
諏訪が身を引いた。
大河は伸ばされた腕を掴み、抵抗する諏訪の身体を壁際へ押しとどめた。諏訪も自由な手で大河を突き放そうとしたが、大河は肩を寄せて身動きを封じる。
「離さんかい!」
諏訪が身体を捻る。
大河も足を踏ん張り、掴んだ腕を離さなかった。
「諏訪さん。もうええでしょう」
「貴様……!」
護衛の一人が駆け寄ろうとした。
大河は諏訪を押さえたまま、その男へ目を向けた。
「動かんといてください!」
護衛が足を止める。
諏訪の身体は壁と大河の間に挟まれ、無理に引き離そうとすれば、諏訪自身が傷つくおそれがあった。
「組長!」
「動くな!」
諏訪が怒鳴った。
護衛たちの視線が一斉に集まる。
「わしを押さえとるんが見えんのか!」
男たちは歯を食いしばりながらも、それ以上近づかなかった。
「みんな、もう手ぇ出さんでええ!」
大河が告げると、真二は拳を下ろした。健太郎も相手から手を離し、負傷した仲間を助け起こす。
荒い息遣いだけが廊下に残った。
◇
「……どうやって、ここが分かった」
諏訪が低い声で尋ねた。
大河は答えなかった。
「わしがここにおることを、どこで知ったんや」
「それは答えられません」
「ふざけるな。人のところへ乗り込んできて、何のつもりや」
諏訪は身体を押さえられたまま、大河を睨んでいる。
周囲には負傷した組員たちが立ち尽くし、健太郎と真二も大河のそばで息を整えていた。
諏訪を押さえることには成功した。
だが、各地では今も水仙組と蓮組の抗争が続いている。組長一人を押さえたからといって、蓮組の九十人が消えるわけではない。
それでも、これまで水仙組を追い詰めてきた諏訪自身が、今は大河の目の前にいる。
「……近藤大河、やったな」
「はい」
「わしを押さえて、これからどうするつもりや?」
諏訪の問いに、大河はすぐには答えなかった。
諏訪も目をそらさず、返事を待っている。
やがて大河は、静かに口を開いた。




