第22話 若頭の決断
あの日から数日が過ぎても、蓮組の動きが収まる気配はなかった。
柳浩二の指示を受けた林浩介と近藤大河は、水仙組と付き合いのある店を回り、最近変わったことがないか聞いて歩いていた。
話を聞くうちに、蓮組の人間が訪ねてきたという店が次々と見つかった。水仙組との付き合いを見直してほしい。今後は自分たちと付き合った方が商売も安心だ。言い方に多少の違いはあっても、要求していることはほとんど同じだった。
店主たちも、長年の付き合いを簡単に断ち切りたいわけではない。しかし、蓮組の人間が再び現れたときのことを考えると、はっきり断ることもできずにいた。
中には、しばらく水仙組との付き合いを控えたいと申し出る店もあった。一方で、今まで通りの関係を続けたいと話す店主もおり、対応は分かれ始めていた。
浩介は聞き取った内容をその都度持ち帰り、加藤勝へ報告した。加藤は店ごとの状況を紙に書き出し、蓮組の人間が訪れた時期や人数、店主が受けた要求を整理していった。
そうして集まった報告は、当初考えていたよりも深刻なものだった。
*
「……これが、今のところ確認できた店です」
水仙組の事務所で、加藤が数枚の紙を机に並べた。
浩二は老眼鏡をかけ、報告書に目を通している。その向かいに座る智史は、加藤の説明が終わる前から険しい表情を浮かべていた。
「すでに付き合いを控えたい言うてきた店もあります。ほかにも、今後どうするか迷うとる店が何軒かありまして」
「蓮組の連中は、どこも同じようなこと言うとるんか?」
浩二の問いに、浩介が頷いた。
「はい。言い回しは違いますけど、水仙組との付き合いをやめろいう話です。無理に迫られたいう店もありますし、今のうちに考え直した方がええと遠回しに言われた店もあります」
「ほら見てみい。俺の言うた通りになっとるやないか!」
智史が机を指で叩いた。
「一軒や二軒の話ちゃうやろ。こんなん放っといたら、うちと付き合う店がなくなってまうぞ!」
「智史、声を荒らげんでも聞こえとる」
「分かっとるわ! せやけど、実際に店が離れ始めとるんやで」
智史は報告書を一枚手に取った。
「店が減ったら、当然うちの収入も減る。組の金が減ったら、若い衆に回せる金かて減るんや。そこまで追い込まれてから動いたんでは遅いやろ」
加藤は智史の言葉を否定せず、机の上の紙を指し示した。
「若頭のおっしゃる通り、放置できる状況ではありません。これだけの店に接触しとる以上、蓮組が継続して動いとる可能性は高い。ただ、組長や幹部がどこまで指示しとるんかは、まだ分かりません」
「そこまで分からな動かれへんのか?」
「相手の出方を考えるためにも、確認できることは確認しておきたいんです」
智史は紙を机へ戻した。
「ほな、俺から提案がある」
その声に、浩二が老眼鏡を外した。
「聞かせてもらおか」
*
「蓮組の幹部と直接話をつけるんや」
智史の言葉に、浩介がわずかに顔を上げた。
「向こうが勝手にうちの縄張りへ入って、店に圧力かけとるんやろ。せやったら、こっちも組として抗議するべきや」
「抗議いうても、どうするつもりや?」
浩二が尋ねると、智史は身を乗り出した。
「まず、うちの縄張りに手ぇ出すんをやめさせる。それから、付き合いのある店に余計な圧力をかけんよう約束させるんや。今後も同じことを繰り返さんようにな」
「向こうが素直に聞くとは思えませんけど」
浩介の言葉に、智史は顔を向けた。
「聞くかどうかは、話してみな分からんやろ。俺かて、いきなり殴り込みに行く言うてるんちゃう。まずは話し合いや」
智史は浩二へ向き直った。
「向こうが店を回っとるんやったら、こっちも黙って見とるわけにはいかん。直接話をつけるしかないやろ」
浩二は腕を組み、しばらく考えていた。
「誰が行くつもりなんや?」
「俺が行く」
「お前が?」
「ああ。俺は水仙組の若頭や。若頭が直接出向いたら、向こうかて今回の件を軽く扱われへんやろ」
加藤が静かに口を開いた。
「若頭、直接交渉するいう考え自体は分かります。ただ、若頭が出向くとなれば、話はそれだけ大きくなります」
「何が言いたいんや?」
「相手は、若頭の発言を水仙組全体の意思として受け取ります。もし交渉が決裂しても、若頭個人の問題では済まされません」
「そんなこと、言われんでも分かっとるわ」
「でしたら、相手が要求を拒んだ場合にどうするかも考えておく必要があります。こちらが一方的に要求を突きつけるだけでは、向こうも引くに引けんようになるかもしれません」
智史は口を結び、加藤を見つめた。
「ほな、相手の顔色うかがいながら、お願いします言うて頭下げるんか?」
「頭を下げろとは言うてません。話をつけるつもりなら、相手が何を考えとるかも聞かなあかんいうことです」
「こっちの店を荒らしといて、何を考えとるも何もあるかいな」
智史は苛立たしげに椅子へ背中を預けたが、すぐに姿勢を戻した。
「俺が言いたいんは、こっちにも譲れん一線があるいうことや。何も言わんかったら、蓮組は水仙組に何してもええと思うやろ」
その言葉に、浩二もすぐには反論しなかった。
机の上には、店主たちの不安が記された報告書が並んでいる。いずれも長年、水仙組と付き合ってきた店だった。
「……話し合いが必要なんは、わしも分かっとる」
やがて浩二が口を開いた。
「せやけど、話し合ういうんと、要求を突きつけに行くいうんは違うんや」
*
「今の段階では、向こうの誰が話を聞くんかも分かってへん。蓮組の上がどこまで承知しとるんかも不明や」
浩二は報告書を揃え、机の端へ置いた。
「まずは向こうの意向を確かめる。そのうえで、正式に交渉する必要があるなら、わしが判断する」
「親父、そんなんいつになるんや?」
「勝とも相談して決める」
「いつ決めるんか聞いとるんや!」
智史の声が強くなった。
「親父、向こうはもう動いとるんやで。こっちが話し合いの準備しとる間にも、店は取られていくんや!」
「それは分かっとる」
「分かっとるんやったら、何で今すぐ動かへんのや。俺が行ったら済む話やろ!」
浩二は息子の顔を見据えた。
「お前が若頭やからこそ、勝手なことはさせられへんのや」
智史が口を閉じた。
「お前が蓮組の幹部と会うたら、それは水仙組が正式に話をしに来たいうことになる。そこで揉めたら、わしらだけやのうて、店の人らまで巻き込まれるかもしれん」
「せやけど、何もせんかったら店は離れていくやろ」
「何もせんとは言うてへん。交渉の必要はある。せやから、相手とどう話すかを決めるんや」
浩二の声は穏やかだったが、譲る様子はなかった。
「向こうが何を言うてきても、喧嘩にならんようにする。そのための段取りがいるんや。わしは水仙組の組長として、そこをおろそかにはできへん」
加藤も頷いた。
「若頭、こちらから交渉を申し入れるにしても、相手の窓口を確認してからの方がええと思います。先に話がこじれたら、取り返しがつかんことになります」
「……結局、また待ていうことか」
智史は低く呟いた。
浩二は少し間を置いてから答えた。
「長く待たせるつもりはない。勝と話して、できるだけ早う判断する。せやけど、それまでは蓮組へ勝手に接触せんといてくれ」
「俺が若頭でもか?」
「若頭やからこそや」
智史は父親を見つめたまま、しばらく動かなかった。
壁の時計が時を刻む音が、途切れた会話の間に聞こえてくる。
やがて智史は視線を外し、椅子の背もたれに体を預けた。
「……分かったわ。親父がそこまで言うんやったらな」
「すまんな、智史。お前の言うことも、ちゃんと考えとるから」
「別に謝ってもらいたいわけちゃう」
智史は立ち上がり、机の上の報告書を一瞥した。
「ただ、手遅れになってからでは遅い。それだけは忘れんといてくれ」
そう言い残して、智史は部屋を出ていった。
浩二は閉まった扉を見つめ、深く息を吐いた。
「……勝、向こうと話す方法を考えてくれ。できるだけ早う動きたい」
「承知しました」
加藤が答えると、浩二は浩介にも目を向けた。
「店の方も引き続き頼む。ただし、無理に付き合いを続けてもらおうとはせんでええからな」
「はい。分かりました」
浩介は頭を下げた。
その横で、大河も黙って一礼した。
*
話し合いを終えた浩介と大河は、事務所の一角で帰り支度をしていた。
「……しかし、難しい話になってきたな」
浩介は上着を手に取りながら、疲れたように首を回した。
「若頭の言うことも分かるんや。店が減ったら、俺らの食い扶持にも関わってくるからな」
「そうですね」
「せやけど、組長の言う通り、相手が蓮組やいうんも忘れたらあかん。こっちが強気に出たところで、向こうが引いてくれるとは限らへん」
大河は、店を訪ねたときのことを思い出した。
付き合いを続けたいと言いながら、入口を気にしていた店主。水仙組の人間が来たことさえ、ほかには知られたくないと話す者もいた。
「店の人らも、商売がありますからね」
「せや。俺らの都合だけで決められる話ちゃう」
「組を守るんも大事ですけど、そのせいで店が潰れたら意味ないですもんね」
浩介は大河の顔を見た。
「……お前、最近ほんまに年寄りみたいなこと言うな」
「兄貴に似てきたんちゃいます?」
「誰が年寄りやねん!」
浩介が思わず声を上げると、大河は小さく笑った。
「冗談ですって」
「お前なあ……」
呆れたように笑った浩介だったが、すぐに表情を戻した。
「まあ、笑うてられるうちはええけどな。今回の件、まだまだ揉めそうや」
大河も笑みを収めた。
「……そうですね」
浩介は上着を羽織り、出口へ向かった。大河もそのあとに続く。
二人が出ていった事務所には、加藤が報告書をめくる音だけが残った。
*
一方、智史はまだ事務所に残っていた。
机の上には、加藤がまとめた報告書の写しが置かれている。
智史はその一枚を手に取り、目を通した。付き合いを控えたいと申し出た店の記録に視線が止まる。
父親も交渉の必要性は認めている。加藤と相談し、できるだけ早く判断するとも言っていた。
しかし、いつ動くのかは決まっていない。
智史は報告書を机へ戻し、指先で端を揃えた。
若頭として自分が出向けば、少なくとも水仙組が黙って見過ごすつもりはないと伝えられる。蓮組側の幹部へ話を通す伝手も、まったくないわけではなかった。
もっとも、相手が話を聞くかどうかは別の問題だ。
智史はしばらく机に向かったまま動かなかったが、やがて椅子から立ち上がった。
「……おい、伸介おるか?」
廊下へ声をかけると、ほどなくして長野伸介が顔を出した。
「へい、若頭! お呼びですか?」
「ああ。ちょっとこっち来い」
伸介はすぐに近づき、智史の前で足を止めた。
「何か御用でしょうか?」
智史は机の上の報告書を伏せ、伸介を見た。
「伸介、明日ちょっと付き合え」
「へい。どちらへ行かれるんです?」
「蓮組や」
「……蓮組、ですか?」
伸介は思わず聞き返した。
智史はその反応を気にする様子もなく、上着を手に取った。
「ああ。こっちから出向いて、話つけたる」




