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『天下と極道』 ~戦国×任侠=人生は苦難の連続だが、己が信念を貫き我が道を行く~  作者: ダイヤマ


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第19話 縄張りの火種


 クラブミーナでの見学から数日後、大河のもとに林浩介から電話が入った。


「大河、今どこおる?」


「家ですけど。どないしたんです?」


「ちょっと組まで来てくれ。できるだけ早うな」


 いつもなら何かしら冗談を挟んでくる浩介だったが、この日はそれもなかった。


「……何かあったんですか?」


「来たら話す。ほな、頼むで」


 電話はそこで切れた。


 大河はしばらく受話器を見つめ、それから出かける支度を始めた。


     *


 水仙組の事務所に着くと、普段とは明らかに空気が違っていた。


 いつもなら組員同士の雑談が聞こえる部屋も、今日は妙に静かだった。電話の鳴る音だけが響き、受話器を取った組員も声を潜めて話している。


「おう、大河。来たか」


 奥から浩介が姿を見せた。


「兄貴、何かあったんですか? みんな怖い顔してますけど」


「ちょっと厄介なことになっとってな」


「厄介なこと?」


 大河が聞き返すと、浩介は奥の部屋へ目を向けた。


 開いた扉の向こうには柳浩二と柳智史、加藤勝の姿が見える。机の上には書類が広げられ、誰も笑っていなかった。


「兄貴、俺も入った方がええんですか?」


「いや、お前は隣で待っといてくれ。話が済んだら呼ぶわ」


「分かりました」


 大河は素直に頷いた。


 何が起きたのかは気になる。しかし、組長たちが集まって話しているところへ、下っ端の自分が勝手に割り込むわけにはいかない。


 浩介が奥の部屋へ戻るのを見届け、大河は隣室の椅子に腰を下ろした。


     *


「……ほな、詳しく聞かせてもらおか」


 柳浩二がそう切り出すと、浩介は手元のメモを開いた。


「ここ数日、うちの縄張りにある飲食店に、見慣れん連中が出入りしてるんですわ」


「客として来とるんとちゃうんか?」


 智史が尋ねる。


「最初はそう思うたんですけど、違いました。店の主人を呼び出して、自分らとも付き合うてほしい言うて回ってるみたいです」


 浩介は店から聞いた話を順に説明した。


 男たちが訪ねたのは一軒だけではない。いくつかの飲食店で同じような話が出ており、その中には長年水仙組と付き合いのある店も含まれていた。


「ある店の主人なんか、相当困ってましたわ。うちとの付き合いがある言うて断ろうとしたら、向こうも簡単には引き下がらんかったそうで」


「何を要求されたんや?」


 加藤が口を開いた。


「詳しい条件までは聞けてません。ただ、これからは自分らとも付き合うてもらう、いう話をされたそうです」


「金の話は?」


「そこも、まだはっきりしてません」


 加藤は頷き、机の上のメモに目を落とした。


「店側も、どこまで話してええんか迷っとるんやろな」


「そうやと思います。相手に逆らうんも怖いし、かといってうちとの関係を切るわけにもいかん。そんな様子でした」


 浩介の報告を聞いていた智史が、苛立たしげに舌打ちした。


「舐めた真似しよって。人の縄張りに入り込んで、勝手に商売始めよういうんか」


「まだ商売を始めたとまでは言えません。ただ、このまま放っといたら……」


「分かっとるわ!」


 智史が声を荒らげたところで、浩二が静かに口を開いた。


「智史。最後まで聞いたれ」


「……はい」


 智史は不満そうに口を閉じた。


 浩介は一度息を整えてから続ける。


「うちの若い衆が、店に来とった男らに声かけたこともあったそうです。ここは水仙組の縄張りやと伝えたらしいんですけど……」


「何て返してきた?」


「誰の縄張りやろうが、店と付き合うんは自由やろ、言うてきたそうです」


 智史の眉間に深い皺が寄った。


「……ほんまに舐めとるな」


 浩二は腕を組んだまま、しばらく考え込んでいた。


「店の人らに、怪我はないんやな?」


「今のところ、そういう話は聞いてません」


「それなら、まずはよかった」


 その言葉に智史が顔を上げる。


「親父、よかったで済む話ちゃうやろ」


「済むとは言うてへん。ただ、怪我人が出てへんのは幸いや。それと、縄張りを荒らされとることは別の話やろ」


 浩二はそう答え、浩介へ視線を戻した。


「で、相手はどこの連中や?」


 浩介は少し間を置いた。


「……蓮組《ハスグミ》です」


「蓮組?」


 智史が聞き返す。


「はい。桔梗組《キキョウグミ》傘下の蓮組ですわ」


 その名前が出た途端、部屋の空気が一段と重くなった。


     *


 桔梗組。


 兵庫を中心に勢力を持つ、関西三大勢力の一角である。


 百合組、桔梗組、藤組。それぞれが多数の傘下組織を抱え、縄張りや利権を巡って互いに牽制し合っていた。


 蓮組は、その桔梗組の傘下にある中堅組織だった。


「……よりによって蓮組かいな」


 智史が吐き捨てるように言った。


 水仙組と蓮組では、組員の数も資金力も違う。正面から争えば、水仙組が不利になることは誰の目にも明らかだった。


「一つ確認したいんやけどな」


 加藤が浩介に尋ねた。


「今回の件、蓮組が勝手に動いとるんか。それとも桔梗組の上から話が下りてきとるんか、分かっとるか?」


「そこまでは、まだ……」


「そうか」


 加藤は指先で机を軽く叩いた。


「蓮組だけの判断なんか、桔梗組の意向があるんか。それによって話が変わってくる」


「どっちにしたって、うちの縄張りに手ぇ出してきたんは事実やろ!」


 智史が身を乗り出した。


「せやから、黙っとれとは言うてへん。ただ、相手が何を考えとるかも分からんうちに喧嘩売ったら、取り返しのつかんことになるかもしれん」


「俺かて、何も考えんと喧嘩せえ言うとるんちゃう!」


 智史は机に手をつき、加藤を見据えた。


「今はまだ何軒かの話で済んどる。せやけど、うちが何もせんと分かったらどうなる? ほかの店にも蓮組が顔出すようになるやろ。しまいには、うちと付き合うてくれる店がなくなるかもしれんのやぞ」


 加藤はすぐには答えなかった。


 智史の懸念は、決して的外れではない。水仙組が動かないと知れば、店側も自分たちの商売を守るため、蓮組との関係を考え始める可能性があった。


「……そこは俺も心配しとる」


 加藤は静かに答えた。


「せやからこそ、今どこまで話が進んどるんか確かめなあかん。相手の出方も分からんまま動いて、店まで巻き込んだら元も子もないやろ」


 二人の視線がぶつかったところで、浩二が湯呑みを机に置いた。


 小さな音だったが、それだけで二人は口を閉じた。


「智史の言うことも分かる。縄張りを荒らされて黙っとったら、うちの若い衆も納得せんやろ」


 浩二は息子を見たあと、加藤へ向き直った。


「せやけど、勝の言うとおり、相手の腹も分からんうちから動くんは危ない。こっちは蓮組と正面からやり合えるほど大きな組やないんや」


「……分かってます」


 智史はそう答えたものの、納得した様子ではなかった。


 浩介が口を挟む。


「組長、現場の店も困ってます。うちが何もせんかったら、店の人らもどうしてええか分からんようになりますわ。かといって、店の前で揉め事でも起こしたら、余計に迷惑かけることになります」


 浩二はゆっくりと頷いた。


「……商売しとる人間には、その人間の暮らしがある。うちらの都合だけで巻き込むわけにはいかん」


 その言葉に、智史は視線を落とした。


     *


「それと、親父。百合組の方はどないなってるんや?」


 智史が尋ねると、浩二の表情がわずかに曇った。


「もう話は通しとる」


「ほな、何て?」


「うちの縄張りの問題は、うちで片づけろいうことや」


「……は?」


 智史は思わず聞き返した。


「相手は桔梗組の傘下やぞ? こっちも百合組の看板背負っとるんや。それで放っとくんか!」


「声を荒らげても返事は変わらんで」


 浩二の口調は穏やかだった。


「ほかの組からも、今のところ手ぇ貸すいう話はない。今回のことは、うちらで何とかせなあかん」


「そんなもん、あんまりやろ……」


 智史は悔しそうに唇を噛んだ。


 百合組の傘下には、水仙組よりはるかに大きな組織がいくつもある。しかし、同じ看板を掲げているからといって、すべての組が同じように扱われるわけではなかった。


「若頭の気持ちは分かります」


 加藤が静かに言った。


「せやけど、助けが来るんを待っとっても、店の状況は変わりません。今は自分らでできることを考えるべきです」


 智史は返事をしなかった。


 浩二はしばらく三人の顔を見渡していたが、やがて姿勢を正した。


「……ほな、こうしよか」


 その声に、全員が組長へ目を向けた。


「今は蓮組と揉めるな。まず店を回って、何が起きとるんか確かめる。向こうが何を言うてきたんか、店の人らが何に困っとるんか、きちんと聞いてきてくれ」


「俺が行きますわ」


 浩介が答えた。


「頼む。余計なことはせんでええ。店の人らを不安にさせんようにな」


「分かりました」


 浩介は頷き、少し考えてから続けた。


「組長、大河も連れて行ってええですか?」


「大河を?」


「はい。俺の補佐としてです。あいつにも、こういうことを少しずつ覚えさせたいんですわ」


 浩二は一瞬考え、それから頷いた。


「ええやろ。ただし、勝手なことはさせんといてな」


「もちろんです」


 浩介が立ち上がると、浩二はもう一度念を押した。


「浩介。相手に会うことがあっても、今日のところは揉めるなよ」


「……はい」


     *


「大河、待たせたな」


 隣室で待っていた大河は、浩介の声に顔を上げた。


「兄貴、話終わったんですか?」


「おう。ちょっと一緒に来てくれ」


「どこ行くんです?」


「うちの縄張りにある店や。少し調べたいことがあってな」


 事務所を出たあと、浩介は歩きながら今回の事情を説明した。


 桔梗組傘下の蓮組が水仙組の縄張りに入り込み、店との付き合いを求めているという。相手は水仙組より規模が大きく、組長からは揉め事を避けて状況を調べるよう指示されていた。


「なるほど……それで事務所の空気が重かったんですね」


「そういうこっちゃ。相手が相手やからな」


「百合組の方は?」


「今回はうちらで何とかせえ、いう話や」


「……同じ百合組でも、助けてもらえるとは限らんのですね」


「そらそうや。どこの組も、自分らの事情があるからな」


 大河はそれ以上尋ねず、しばらく歩いた。


 数日前、クラブミーナで怜香が店を切り盛りしていた姿が頭に浮かぶ。


 客の要望に応えながら、従業員やほかの客にも気を配っていた怜香。店を守るために、何を受け入れ、何を断るかを自分で決めていた。


 今回、蓮組の人間が出入りしている店の主人たちも、同じように商売を守ろうとしているのだろう。


「兄貴、店の人らは相当困っとるんですか?」


「せやな。どっちの組にも逆らいたないやろし、店で揉め事なんか起きたら客も来んようになる」


「そら、そうでしょうね……」


「せやから今日は、まず話を聞く。それだけや。余計なことはするなよ」


「分かってます」


 大河は頷いた。


 今の自分に与えられた役目は浩介の補佐である。まずは何が起きているのか、自分の目で確かめる必要があった。


     *


 二人が訪れたのは、繁華街の一角にある飲食店だった。


 入口の暖簾をくぐると、店内には料理の匂いが漂っていた。まだ客の少ない時間帯らしく、空いた席がいくつも見える。


「いらっしゃ……ああ、浩介さん」


 店主は浩介の顔を見ると、少し安心したような表情を浮かべた。


「おう、久しぶりやな。ちょっと話、聞かせてもらえるか?」


「ええ、それは構いませんけど……」


 店主は大河へ目を向け、それから入口をちらりと振り返った。


 その様子を見て、浩介は声を落とした。


「例の連中、また来とるんか?」


「……実は、もう別の組の人らが来はりまして」


「何か言われたんか?」


「これからは自分らとも付き合うてほしい、いう話で……。うちは昔から水仙組さんにお世話になってますし、そんな急に言われても困りますわ」


 店主は手にしていた布巾を握り直した。


「ただ、向こうも簡単には引いてくれそうになくて……」


「無理に話さんでもええ。何があったんか、分かる範囲で聞かせてくれ」


 浩介がそう言うと、店主は小さく頷いた。


 大河は二人のやり取りを聞きながら、店主の様子に目を向けていた。


 話している間も、店主の視線は何度か入口へ向けられている。客を待っているというより、誰かが来ることを恐れているように見えた。


 先ほど浩介から聞いた話が、ようやく目の前の光景と結びついた。


 縄張りを巡って争っているのは極道同士でも、落ち着いて商売ができなくなっているのは、この店の主人なのだ。


 大河は店内を見渡した。


 きれいに拭かれた卓上には箸立てが並び、奥からは調理の音が聞こえてくる。いつもどおり客を迎える準備が整っているのに、店主は入口を気にしてばかりいる。


「それで、向こうの人らが……」


 店主が何かを言いかけた、そのときだった。


 カラカラ、と入口の戸が開いた。


 男が二人、店内へ入ってきた。


 店主の言葉が止まり、手にしていた布巾を握る指にも力が入る。


 浩介と大河が振り返ると、二人の男もこちらに気づいた。


 一瞬だけ足を止めたものの、慌てた様子はない。


 むしろ、二人のうち一人は口元に薄い笑みを浮かべていた。


「なんや。水仙組の人らも来てはったんですか」


 浩介は相手をじっと見据えた。


 大河もその隣で男たちを見ていたが、その余裕のある態度が気にかかった。


 こちらがいると分かっても、引き返す素振りすら見せない。少なくとも、目の前の二人は水仙組と顔を合わせることを恐れていないようだった。


 店主は何も言わず、ただ二組の男たちを交互に見つめている。


 狭い店内に、重苦しい沈黙が落ちた。



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