第17話 夜の街の商い
翌日の昼過ぎ、大河は健太郎、真二、勝人の三人を連れて、大阪の繁華街を歩いていた。
昼食を終えた会社員や買い物客が通りを行き交い、飲食店の軒先からは料理の匂いが漂ってくる。梅雨の合間の蒸し暑さに、真二は額の汗を拭いながら大河の隣に並んだ。
「大河さん、今日は何するんです?」
「商売の勉強や言うたやろ」
「それは分かってますけど、具体的には?」
「まずは店を見て回る」
「……それだけですか?」
真二が拍子抜けした顔をすると、後ろを歩いていた勝人が大きなあくびをした。
「それやったら、俺、帰ってもええですか?」
「お前、来てまだ十分も経ってへんやろ!」
「せやかて、歩くだけやったら疲れるやん」
「まだ何もしてへんやないか!」
二人のやり取りに大河は笑っていたが、やがて通りの向こうにある二軒の飲食店に目を留めた。
一軒は入口に数人の客が並び、店員が忙しそうに注文を取っている。そのすぐ近くにある店は、似たような料理を出しているにもかかわらず、窓越しに見える客席の半分以上が空いていた。
「なぁ、お前ら。あの二つの店、何が違うと思う?」
三人は足を止め、示された店を見比べた。
「そら、料理の味ちゃいます?」
真二が即答する。
「食べたことあるんか?」
「いや、ないですけど」
「ほな、分からんやろ」
「まぁ、そうですけど……」
健太郎は少し考えてから口を開いた。
「……広さ、ですかね。向こうの店の方が入りやすそうです」
「なるほどな。勝人は?」
「場所ちゃいます? あっちの方が角にあるし、歩いてたら先に目に入りますやん」
「確かに、それもあるかもしれんな」
大河は二軒の入口へ視線を戻した。客の多い店では、店員が外で待つ客に声をかけ、空いた席へ手際よく案内している。一方、客の少ない店は、入口から中の様子が分かりにくかった。
だが、それだけで繁盛の理由を決めつけることはできない。料理の味も、値段に見合う満足感も、実際に利用しなければ分からない。
「大河さん、結局どれが正解なんです?」
「さあな。俺にも分からん」
「ええっ!」
真二が目を丸くする。
「答え知らんのに聞いたんですか!」
「知らんから考えるんやろ。お前らが何に気づくかも知りたかったしな」
真二は不満そうに口を尖らせたが、健太郎はもう一度二軒の店を見比べていた。
大河も商売については知らないことばかりだった。ただ、客を集められなければ、どんな商売も始まらない。その程度のことは分かる。
では、どうすれば客を集められるのか。
答えを探しながら、大河は三人を連れて次の通りへ向かった。
*
何軒かの店を見て回るうちに、時刻は夕方へ近づいていた。
昼間は比較的静かだった通りにも人が増え始め、クラブやラウンジの入口では従業員が開店の準備を進めている。看板に明かりが灯り、街は昼とは違った賑わいを見せ始めていた。
大河は一軒の店先に掲げられた料金案内を眺めた。
「こういう店は、飯屋とは随分値段が違うんやな」
「そら、女の子がおるから高いんちゃいます?」
真二が何でもないことのように答える。
「まぁ、それも理由の一つやろな」
「ほかに何があるんです?」
「それを考えとるんや」
客が支払う金額が高ければ、その分だけ儲かるのだろうか。店を構える以上、家賃もかかる。酒を仕入れ、従業員を雇えば、その金も必要になる。
大河はしばらく考えていたが、やがて顔を上げた。
「実際に店をやっとる人に聞くんが早いな」
「誰か知ってるんですか?」
「ああ。ちょうどええ人がおる」
大河は三人を振り返り、行き先を告げた。
「クラブミーナへ行こか」
*
クラブミーナを訪れたのは、営業開始前のことだった。
店内では数人の従業員がテーブルを拭き、グラスを並べている。カウンターの奥からは食器の触れ合う音が聞こえ、開店に向けた準備が進められていた。
「あら、大河君!」
奥から姿を見せた怜香が、嬉しそうに声を弾ませた。
「やっと来てくれたん? もう、全然顔見せてくれへんから、寂しかったわ」
「すみません。ちょっと用事が立て込んでまして」
「ふふっ。まぁ、今回は許したる」
怜香は冗談めかして笑うと、大河の後ろに立つ三人へ目を向けた。
「今日はえらい大人数やね。新しいお友達?」
「ええ。最近、一緒に行動しとる連中です」
大河が紹介すると、健太郎は深々と頭を下げた。
「早乙女健太郎です。よろしくお願いします」
「平真二です! よろしくお願いします!」
真二は勢いよく挨拶したものの、怜香に微笑みかけられると急に口数が少なくなった。
「林勝人です。どうも」
勝人は軽く頭を下げ、店内を物珍しそうに眺めている。
「みんな、よろしくね」
怜香は三人に笑顔を向けたあと、大河へ視線を戻した。
「そうそう、紅蓮隊の件、ほんまにありがとう。あれから嫌がらせもなくなったし、女の子らも安心してるわ」
「それはよかったです」
「でも、結局誰が頼んだんかは分からへんのよね?」
「ええ。田辺も最後まで話しませんでした。もう少し調べてみるつもりです」
「そっか。あんまり無茶せんといてな」
怜香が心配そうに言ったところへ、女性従業員が近づいてきた。
「怜香さん、今日の予約のお席なんですけど、こちらでよろしいですか?」
「ちょっと待ってね」
怜香は予約表を確認し、店内を見渡した。
「そっちの席やと少し狭いから、奥の広い方にしてあげて。あと、人数が増えるかもしれへんから、椅子も用意しといて」
「分かりました」
従業員が離れると、怜香は再び大河たちに向き直った。
「ごめんね。開店前は何かと忙しくて」
「いえ。店をやるんも大変なんですね」
「そらそうよ。お客さんが来る前から、考えなあかんことは山ほどあるんやから」
大河は予約表を手にした怜香を見た。客が入ってから働くのではなく、客を迎えるために、すでに多くの仕事が動いているらしい。
*
「ところで怜香さん、一つ聞いてもええですか?」
「なぁに?」
「こういう店の商売について、少し教えてもらえませんか?」
怜香は意外そうに目を丸くした。
「大河君、そんなことに興味あるん?」
「こいつらにも仕事を覚えてもらいたいんです。俺も、商売のことはよう知らんので」
「へぇ。大河君が商売の勉強かぁ」
怜香は面白そうに笑ったが、大河が真剣な表情をしているのを見ると、近くの席を勧めた。
「ええよ。うちの店のことやったら、教えられるわ」
四人が腰を下ろすと、真二が棚に並んだ酒瓶を見上げた。
「うわっ、すごい酒ばっかりですね。これ、一本いくらするんです?」
「ものによるけど、高いのやったら何万円もするわよ」
「何万円!? そんな酒が一本売れたら、めっちゃ儲かるんちゃいます?」
怜香は思わず笑った。
「真二くん、売れたお金が全部うちの儲けになるわけちゃうのよ」
「えっ、違うんですか?」
「そらそうよ。お酒は仕入れなあかんし、女の子らのお給料も払わなあかん。家賃に電気代、それにお客さんに来てもらうためのお金もかかるんやから」
「うわぁ……そんなに引かれるんですか」
「引かれるいうか、店を続けるために必要なお金やね」
怜香は少し考えてから、苦笑した。
「前にな、一晩中お客さんが途切れへん日があったんよ。女の子らも大忙しで、売上だけ見たら大成功やった」
「ほな、めっちゃ儲かったんちゃいます?」
「それが、そうでもなかってん」
真二が首を傾げる。
「なんでです?」
「その日はお客さんを呼ぶために、いつもより広告にもお金をかけててな。女の子らにも頑張ってもらった分、お給料や歩合が増えるやろ? お酒もよう出たし、あとで計算したら、思ったほど残らへんかったんよ」
「そんなことあるんですか……」
「あるある。もちろん、売上が多いんはありがたいことやで。でも、何にいくら使ったか分かってへんかったら、忙しいだけで終わることもあるねん」
大河は腕を組んだ。
「客がぎょうさん来たら、それだけ商売がうまくいっとると思うてましたわ」
「そう見えるやろ? せやけど、店を続けるには、残るお金も考えなあかんからね」
昼間に見た、客が並ぶ飲食店が頭に浮かんだ。あの店も、外から見える賑わいだけでは何も判断できないのかもしれない。
「ほな、客を増やす以外にも大事なことがあるんですね」
「もちろん。何度も来てくれるお客さんがおることも大事やね」
「常連さんですか」
「そう。お酒を飲むだけやったら、ほかにも店はあるやろ? それでもうちに来てくれるんは、ここが楽しいとか、落ち着くとか、そう思ってくれてるからやと思うねん」
怜香は少し誇らしそうに店内を見渡した。
「女の子らも頑張ってくれてるしね。お客さんの顔を覚えたり、前に話したことを覚えてたり。そういう小さなことも大事なんよ」
大河は棚に並ぶ酒瓶から、開店準備を進める従業員たちへと視線を移した。
そのとき、別の従業員が怜香のそばへ来た。
「あの、怜香さん。今日ちょっと体調が悪くて……」
「大丈夫? 無理してへん?」
「熱はないんですけど、少ししんどくて」
怜香は相手の顔色を確かめ、しばらく話を聞いた。
「ほな、今日は無理せんと休み。こっちは何とかするから、ゆっくりしとき」
「でも、人が足りなくなりませんか?」
「それはこっちで考えることやから。体調悪いまま働いても、余計しんどなるだけやで」
従業員が礼を言って離れると、怜香は近くにいた別の女性を呼び、今夜の席の担当について手短に相談した。
その様子を見ていた大河が尋ねる。
「一人休んだら、その分ほかの人が大変になりますよね」
「そうやね。でも、無理させて辞められたら、もっと困るやろ? 女の子らが安心して働けるようにするんも、うちの仕事やから」
「……なるほど」
大河は隣に座る三人へ目を向けた。
これまで、自分についてきた者には仕事を与え、食っていけるだけの金を稼がせなければならないと考えていた。
だが、仕事を与えるだけでよいのだろうか。
真二は勢いに任せて動くところがあるし、健太郎は何でも一人で抱え込みそうに見える。勝人に至っては、働く前から楽をすることばかり考えている。
三人が無理なく働ける場所を作ることも、自分の役目になるのかもしれない。
「結局、店を続けていくんは人なんですね」
「そういうこと。どれだけ立派な店でも、人がおらんかったら何も始まらへんからね」
怜香はそう言って微笑むと、開店準備の進み具合を確かめるために席を立った。
大河はその後ろ姿をしばらく見送っていた。
*
「そういや、お前らはどんな仕事がしたいんや?」
怜香が戻ってきたところで大河が尋ねると、真二が真っ先に手を挙げた。
「俺は大河さんの役に立てるんやったら、何でもやります!」
「何でもか。ほな、毎日掃除でもするか?」
「えっ、掃除ですか?」
「何でも言うたやろ」
「いや、そらやりますけど……もうちょい格好ええ仕事がええです!」
怜香が声を上げて笑った。
「真二くん、正直やねぇ」
「健太郎は?」
大河が尋ねると、健太郎は少し考えた。
「……自分にできることなら、何でも」
「そうか。無理せんでええからな」
健太郎は静かに頷いた。
「ほんで、勝人は?」
「俺ですか?」
勝人は背もたれに体を預けたまま、眠たそうに答えた。
「できれば座ってできる仕事がええです」
「お前、さっきから楽することしか考えてへんな!」
「立ちっぱなしやったら疲れるやん」
真二が何か言い返そうとしたところで、勝人が続けた。
「でも、さっきの話聞いとったら、店やるんも楽ちゃいますね。お客さん来ても儲からん日があるんやったら、何が正解か分からへんし」
「……お前、ちゃんと聞いてたんか」
「座ってたら話ぐらい聞こえるやろ」
勝人は当たり前のように答え、怜香がまた笑った。
大河も口元を緩めたが、三人の希望を聞いただけで仕事を決めるつもりはなかった。それぞれに得意なことも苦手なこともあるはずだ。今はまだ、何を任せるべきか判断するには早い。
*
やがて開店の時間が近づき、従業員たちの動きが慌ただしくなってきた。
「怜香さん、今日はありがとうございました。そろそろ失礼します」
「あら、もう帰るん?」
「これ以上お邪魔したら、仕事の邪魔になりますから」
「ふふっ。大河君、そういうところは気が利くんやね」
怜香は少し考えるように首を傾げたあと、思いついたように手を打った。
「そうや。大河君そんなに商売に興味あるんやったら、しばらくうちの店の仕事見てみる?」
「仕事をですか?」
「うん。お客さんとして来るだけやったら分からへんこともあるし、開店前の準備とか、閉店してからの片づけとか、見てみたら勉強になるんちゃう?」
大河は店内を見渡した。
「それはありがたいです。一度、お願いできますか?」
「もちろん。ただし、見せられる範囲だけやで。お客さんのこともあるし、何でも自由に見てええわけちゃうからね」
「承知しました」
「それと、邪魔せんといてな?」
怜香がいたずらっぽく笑う。
「分かってますよ」
「俺らも勉強させてもらいます!」
真二が張り切って言うと、勝人が小声でぼやいた。
「……何時までかかるんやろ」
「まだ始まってもないやろ!」
再び二人の言い合いが始まり、怜香は楽しそうに笑った。
「ふふっ。でもな大河君、今日話したんはほんの一部やで」
「そうなんですか?」
「そらそうよ。お客さんが来てくれたら嬉しいこともあるけど、思いどおりにならへんこともいっぱいある。実際に見たら、もっと分かると思うわ」
大河は静かに頷いた。
「ほな、次はそこを勉強させてもらいます」
見学の日取りは改めて相談することにして、大河たちは店を後にした。
*
外へ出ると、繁華街はすっかり夜の顔に変わっていた。
ネオンが通りを照らし、店先では従業員が客を迎えている。仕事へ向かう女性たちが足早に通り過ぎ、飲食店からは賑やかな笑い声が聞こえてきた。
「いやぁ、今日は勉強になりましたね!」
真二が満足そうに言った。
「お前、ちゃんと話聞いとったんか?」
「聞いてましたよ! 売上と儲けは違うんでしょう?」
「まぁ、それはそうやな」
大河が笑うと、真二は少し得意そうな顔をした。
「なぁ、大河さん」
「何や?」
「俺らもいつか店を持つんですか?」
大河はすぐには答えなかった。
昼間、客が並ぶ店を見たときには、どうすればあれほど人を集められるのかと考えていた。だが、怜香の話を聞いた今は、それだけでは足りないことが分かる。
「それはまだ分からん。けど、何も知らんまま始めても失敗するだけや。まずは覚えられることから覚えていこか」
「はい!」
真二は勢いよく頷いた。
健太郎も静かに頷き、勝人は面倒そうに頭をかいた。
「次は店の仕事見るんですよね。俺、途中で寝てもうたらどうしよ」
「寝るな!」
真二の声が夜の通りに響き、大河は思わず笑ってしまった。
何を始めるかは、まだ決まっていない。
だが、次にクラブミーナを訪れるときには、一つ確かめてみたいことがあった。
客を迎える前から働き、客が帰ったあとも店を支える人間たちが、実際にはどんな仕事をしているのか。
そして、怜香が言った「思いどおりにならへんこと」とは、どんなものなのか。
大河は三人の顔を順番に見た。
いつかこいつらに仕事を任せるとき、自分は何を知っていなければならないのだろう。
その答えを探しながら、大河は三人とともに賑やかな夜の街を歩いていった。




