第16話「それぞれの思惑」
紅蓮隊のリーダー・田辺将太から、クラブミーナへの嫌がらせをやめるという約束を取りつけた翌日、大河は水仙組の事務所を訪れていた。
室内には組長の柳浩二をはじめ、若頭の柳智史、相談役の加藤勝、そして兄貴分の林浩介が顔を揃えている。窓際では古い扇風機が首を振り、灰皿には吸い殻が何本も積み重なっていた。
「ほな、大河。紅蓮隊の件、聞かせてもらおか」
浩二が湯呑みを置いた。
「はい。紅蓮隊の頭を突き止めました。田辺将太いう男です」
「ほう。それで、どうなったんや?」
「直接会うて話をつけてきました。今後、クラブミーナには一切手を出さんと約束させました」
浩介が思わず身を乗り出した。
「お前、ほんまに紅蓮隊の頭と会うてきたんか!」
「はい。昨日、向こうの事務所へ行ってきました」
「おいおい、あいつらの幹部を何人も倒した翌日やろ? よう無事に帰ってきたな」
「話の分かる相手で助かりましたわ」
「お前の言う『話』が、最近どうも信用できへんねん」
浩介のぼやきに浩二が笑ったが、加藤は腕を組んだまま大河を見ていた。
「田辺いう男は、どんな奴やった?」
「裕福な医者の息子らしく、金には困っておらんようでした。紅蓮隊の連中も、その金を目当てに集まった者が多いようです」
「金で人を集めとるんか」
「ええ。ただ、金を払って命令を聞かせるんと、人が自分からついてくるんは別の話です」
大河は昨日の事務所での出来事を順番に説明した。田辺が部下をけしかけても、ほとんどの者が動かなかったこと。無理に向かってきた二人を退けると、誰も続こうとしなかったこと。そして田辺自身が、最後には嫌がらせをやめると約束したこと。
「なるほどな」
加藤が顎に手を当てる。
「つまり、紅蓮隊はもう潰れたいうことか?」
「いえ。そこまでは分かりません。ただ、以前のようには動けんでしょう」
「どうしてそう思う?」
「田辺が金を積んでも、誰も前に出ようとせんかったからです。あの男自身、すでに部下の心を失うとったんでしょうな」
加藤はそれ以上問い詰めず、小さく頷いた。
浩二はしばらく大河の顔を眺めていたが、やがて満足そうに笑った。
「ようやったな、大河。まさか、お前がここまでやるとは思わんかったわ」
「ありがとうございます」
「せやけどな」
浩二の声が少し低くなった。
「勝手に大きな抗争を起こされたら困るんやで。お前一人の問題やなくなるからな。相手がどんな連中でも、こっちには守らなあかんもんがある」
「承知しております」
「今回は大事にならんで済んだからええ。次からは、もうちょっと早めに相談せえよ」
大河が頭を下げると、浩二は再び表情を緩めた。
「まぁ、怜香ちゃんも安心するやろ。あの子、強がっとったけど、店のこと相当心配しとったからな」
大河は頷いたものの、報告を終えるつもりはなかった。
「ただ、一つだけ分からんことがあります」
「何や?」
今度は智史が口を開いた。
「クラブミーナへの嫌がらせを、誰が依頼したのかです」
大河は田辺が最後まで依頼主を明かさなかったことを説明した。
「金も要求せず、ひと月も嫌がらせを続ける。どうにも妙な話です」
「確かにな」
加藤が頷く。
「店を潰したいんか、何かを奪いたいんか。普通は目的があるはずや」
「せやけど、もう嫌がらせは止まったんやろ?」
智史は椅子の背にもたれたまま言った。
「そこまで深入りする必要があるんか?」
「今後また同じことが起こらんよう、理由だけでも調べておきたいんです」
「まぁ、好きにしたらええ。ただし、組に迷惑はかけんなよ」
「分かりました」
智史の言い分にも一理ある。組としては、店への嫌がらせが止まれば当面の問題は片づく。だが、大河には、田辺が最後まで依頼主を明かさなかったことが引っかかっていた。
あれほど追い詰められても、名前だけは口にしなかった。
単に約束を守ったのか、それとも口にできない事情があるのか。今の段階では判断できない。
「そういや大河」
浩介が話題を変えた。
「紅蓮隊からお前についてきた三人、あいつら今どうしとんねん?」
「今も俺と行動をともにしとります」
「ほう。ほんで、水仙組に入れるつもりなんか?」
「いえ。まだそこまでは考えておりません」
加藤が眉を上げた。
「そいつら、信用できるんか?」
「今はまだ、見極めているところです」
「ほう。随分慎重やな」
「人を使うなら、まず人となりを知らなあきませんので」
その答えを聞いた浩二が、腹を抱えて笑った。
「ハハハ! 大河、お前いつからそんな偉そうなこと言うようになったんや!」
「偉そうに聞こえましたか?」
「聞こえるわ! ついこの前まで浩介に怒られとった奴が、もう人を使う話かいな!」
「今も怒られとりますけどね」
「分かっとるんやったら、もうちょい反省せえ!」
浩介がすかさず突っ込み、事務所に笑いが広がった。
大河も口元を緩めたが、続けた言葉は真面目だった。
「ただ、人を預かる以上、その先のことまで考えなあかんと思うてます。あいつらにも生活がありますから」
浩二は笑うのをやめ、大河を見つめた。
「……そうか。ほな、しっかり面倒見たれよ」
「はい」
短い返事だったが、浩二はそれで十分だというように頷いた。
*
報告を終えて事務所を出ると、午後の日差しが容赦なく照りつけていた。
大河が上着の襟元を緩めたところで、ポケットの携帯電話が震えた。取り出して画面を確認すると、見覚えのある番号が表示されている。
「もしもし」
『ああ、大河さん? 丹波やけど』
「丹波さんですか。どうされました?」
『いやぁ、田辺の件、聞いたで。なかなか派手にやったらしいやん』
「少し話をしただけですよ」
『ハハハ! あんたの「少し」は怖いなぁ。うちの連中、すっかり大人しなってもうたわ』
電話の向こうで丹波が楽しそうに笑う。
『それでな、一回会うて話でもせえへんか? 時間ある?』
「構いませんよ。どちらへ伺いましょう?」
丹波が指定したのは、繁華街から少し離れた喫茶店だった。
電話を切った大河は、しばらく携帯電話を眺めた。
(向こうから会いたいと言うてくるとは。さて、何を考えておるのやら)
紅蓮隊の幹部でありながら、これまで大河に情報を提供してきた丹波。その男が、今度は自ら会いたいと言ってきた。何を考えているのかは分からないが、大河としても、もう少し話をしてみたい相手だった。
*
待ち合わせの喫茶店は、古い商店が並ぶ通りの一角にあった。
扉を開けると小さなベルが鳴り、コーヒーの香りと冷房の涼しい空気が流れてくる。奥の席では、丹波が新聞を広げていた。
「おお、大河さん。待っとったで」
「お待たせしました」
「いやいや、俺が早う来ただけや。まぁ座ってや」
大河が向かいに腰を下ろすと、丹波は新聞を畳んだ。
「今日はどういったご用件で?」
「そんな急かさんといてや。まずはコーヒーでも飲もうや」
大河は店員にコーヒーを注文した。
丹波は世間話をするような調子で、昨日の出来事を尋ね始めた。
「しかし、田辺も情けないなぁ。あれだけ人数おって、まともに相手もできへんかったらしいやん」
「皆さん、無駄な争いを避けたかったんでしょう」
「ものは言いようやな。田辺は金だけは持っとるけど、人をまとめるんはあんまり上手ないんよ」
「丹波さんは、どうなんです?」
「俺? 俺なんか大したことあらへんよ」
丹波は笑ってカップを持ち上げた。
大河もそれ以上追及しない。自分の力量を簡単に語る人間より、こうして笑ってかわす男の方が、かえって注意を要することもある。
「なぁ、大河さん」
「はい」
「あんた、これからどうするつもりなん?」
「どうするとは?」
「水仙組で、このままずっと下っ端やっとくつもりなんかなぁと思って」
丹波は軽い調子で言ったが、その目は大河の顔から離れなかった。
「先のことは、まだ分かりません」
「ほんまかいな? あんだけ腕も立って、頭も回るんや。何か考えとるんちゃうの?」
「買いかぶりすぎですわ。それより丹波さんこそ、紅蓮隊にずっとおるつもりなんです?」
「ハハハ! 今度は俺が聞かれる番か」
「お互い様でしょう」
二人は笑い合った。
ちょうど運ばれてきたコーヒーを、大河は一口飲んだ。丹波もそれ以上は踏み込まず、窓の外を歩く人々へ視線を向ける。
互いに相手の考えを知りたがっていることだけは、十分に伝わっていた。
「ところで、一つ聞いてもよろしいですか?」
「何や?」
「クラブミーナの件です。以前のお話では、店の権利が目的かもしれんということでしたな」
「そうやったな」
「しかし、田辺は金も権利も要求しておらん。あれほど長く嫌がらせを続ける理由が分からんのです」
丹波はカップを置き、少し考えるように顎をさすった。
「世の中、金だけで動く奴ばっかりやないからなぁ」
「……どういう意味です?」
「いや、一般論やで。人間、見栄とか恨みとか、いろんな理由で動くもんやろ?」
「なるほど」
「それに、誰かに頼まれた仕事やったとしても、頼まれた側が全部知っとるとは限らんしな」
大河はその言葉を聞き逃さなかった。
「田辺も、事情を知らん可能性があると?」
「さあなぁ。俺もあいつの頭の中までは分からへん」
丹波は肩をすくめ、またコーヒーを飲んだ。
大河は黙って考えた。丹波の話には筋が通っている部分もある。しかし、確かな情報と推測が入り混じっており、どこまで信じてよいか判断できない。
「丹波さん、よう色んなこと知ってはりますね」
「そうか? 俺は思いついたこと喋っとるだけやで」
「そうですか。まぁ、また何か分かったら教えてください」
「ハハハ! そら、分かったらな」
丹波は楽しそうに笑ったが、それ以上、事件について語ろうとはしなかった。
*
店を出る頃には、日差しも幾分和らいでいた。
「大河さん、あんたとはまた話したいわ」
「ええ。俺もです」
「そのうち、何か一緒にできたらおもろいかもしれんな」
大河はすぐには答えず、丹波の顔を見た。
「それは、互いのことをもう少し知ってからでしょうな」
「ハハハ! ほんま慎重な男やな!」
丹波は片手を上げ、人混みの向こうへ歩いていった。
その後ろ姿を見送りながら、大河は考える。
(あの男、紅蓮隊に置いておくには惜しい。だが、まだ信用するには早い)
言葉を交わすほど、丹波という男の底が見えなくなる。人当たりはよいが、こちらの問いに答えたようで、肝心なところは何も語っていない。
もっとも、それはこちらも同じだった。
*
夕方、大河は繁華街で健太郎、真二、勝人の三人と合流した。
「大河さん! 今日は何してたんですか?」
「組への報告と、ちょっとした話し合いや」
「紅蓮隊の件ですか?」
「ああ。ひとまず、組長にも報告できた」
真二は安心したように頷いたが、すぐに次の質問を口にした。
「ほな、次は何するんですか?」
大河は三人の顔を順番に見た。
真二は相変わらず元気が有り余っている。健太郎は静かに立ち、勝人はすでに帰りたそうな顔をしていた。
「まずは、お前らが食っていける仕事を考えなあかんな」
「仕事、ですか?」
「そうや。いつまでも喧嘩ばかりしておるわけにはいかん」
勝人が面倒そうに尋ねた。
「俺ら、何の仕事するんです?」
「それをこれから考えるんや」
「……まだ決まってへんのですか」
「お前らに何が向いとるかも、まだ十分には分からんからな」
「ほな、楽な仕事でお願いしますわ」
「お前、ほんま働く気あるんか!」
真二が呆れた声を上げると、勝人は悪びれもせず笑った。健太郎は二人のやり取りを見ながら、小さく息を漏らす。
大河はそんな三人を連れ、賑わい始めた通りを歩いた。
飲食店の軒先では店員が看板を出し、クラブやラウンジの入口には照明が灯り始めている。店へ急ぐ従業員、客を迎える準備をする者、仕入れの荷物を運ぶ者。夕暮れとともに、街は昼間とは違う顔を見せていた。
店一軒を動かすにも、多くの人間が関わっている。表に立つ者もいれば、裏で支える者もいる。それぞれに役目があり、その働きによって商いが成り立っているのだろう。
(人が集まる場所には、必ず商いがある。ならば、まずはこの街の仕組みを知ることから始めるか)
大河は足を止め、三人を振り返った。
「明日、少し付き合ってもらうぞ」
「どこ行くんです?」
「商売の勉強や」
「……勉強?」
真二が首を傾げた。
勝人は露骨に嫌そうな顔をする。
「うわぁ、俺、勉強苦手なんですけど」
「学校の勉強とは違う。まずは見て、話を聞くんや」
「それやったら、まだマシかなぁ……」
健太郎だけが静かに頷いた。
「……分かりました」
大河は三人を見て笑うと、再び歩き始めた。
夜の街には、まだ知らない商いがいくらでもある。その仕組みを知り、人を知り、自分たちに何ができるのかを考える。
何を始めるかは、これから決めればよい。
大河の視線の先で、繁華街の明かりが次々と灯り始めていた。




