第13話 虚実の狭間
丹波望と別れてから、しばらくの時間が経っていた。
夕暮れの繁華街を抜け、駅の反対側へと向かう大河たち四人。大通りから一本外れると、賑やかな飲食店の看板は次第に姿を消し、古びた工場や倉庫が目立つようになってきた。
「大河さん、ほんまに行くんですか?」
先頭を歩く大河に、真二が尋ねた。
「当然だ。せっかく教えてもろた場所や。確かめんわけにはいかんやろ」
「いや、それはそうなんですけど……丹波さん、気の荒い奴がおるかもしれんって言うてましたやん」
「怖いのか?」
「まさか! 喧嘩やったら望むところですわ!」
真二が胸を張ると、隣を歩いていた勝人が呆れたように口を開いた。
「お前なぁ、わざわざ喧嘩しに行く必要ないやろ。俺は面倒事に巻き込まれるん嫌やで」
「お前はいつもそればっかりやな!」
「そら、面倒なもんは面倒やし」
二人のやり取りを聞きながら、大河は小さく笑った。
まだ出会って間もない三人だが、それぞれの性格は少しずつ見えてきている。
真二は考えるより先に身体が動く。健太郎は寡黙で慎重。そして勝人は、何をするにも面倒くさそうにしていた。
(さて、こやつらをどう使うか……)
大河は立ち止まり、三人を振り返った。
「よし。ここからは別々に動いてもらう」
「別々ですか?」
「真二、お前はこの辺りに知り合いはおるか?」
「何人かおると思いますけど」
「ならば、紅蓮隊の連中がこの辺りに出入りしておらんか聞いてこい。特に、あの倉庫について知っている者がおれば話を聞け」
「了解です! ……って、俺だけ聞き込みですか?」
「そうだ」
「ほな、健太郎と勝人は?」
「健太郎は俺と一緒に周囲を見て回る。勝人は無理に動かんでええ。何か気になることがあれば知らせろ」
その言葉を聞いた勝人の表情が、わずかに明るくなった。
「えっ、俺はそれだけでええんですか?」
「ああ」
「それやったら助かりますわ」
「ちょっと待ってくださいよ! 勝人だけ楽すぎません?」
「真二、お前は人と話すのが得意なのだろう?」
「まぁ、そうですけど……」
「ならば、その得意なことをやればええ」
真二は一瞬考えた後、納得したように頷いた。
「なるほど! 適材適所ってやつですね!」
「そういうことだ」
「よっしゃ! 任せてください!」
勢いよく走り出そうとした真二の肩を、健太郎がそっと掴んだ。
「……真二」
「なんや?」
「場所、ちゃんと聞いてから行った方がいい」
「あっ、せやった!」
大河は思わず額に手を当てた。
(先が思いやられるな……)
しかし、三人が互いの足りないところを自然に補っていることも、見逃してはいなかった。
真二に聞き込みを任せると、大河は健太郎と勝人を連れて倉庫へ向かった。
丹波が教えた場所は、古い工場の並ぶ一角にあった。
錆びついた鉄製の扉。色褪せた外壁。建物の脇には使われなくなった木箱や資材が積まれ、長い年月を感じさせる。
ただし、完全な廃墟というわけではない。
倉庫の前には比較的新しいタイヤの跡があり、建物の脇には吸い殻がいくつも落ちていた。少し離れた場所では作業着姿の男が荷物を運んでいる。
「ふむ……」
大河は道路の反対側から建物を眺めた。
「健太郎、どう思う?」
「……誰かが使ってるのは間違いないと思います」
「そうだな」
「でも、紅蓮隊の連中が集まってる感じはしません」
「なぜそう思う?」
「……俺が知ってる連中の車も、見当たらないので」
健太郎は言葉を選びながら答えた。
大河は頷き、改めて倉庫の周囲へ視線を巡らせた。
人の出入りはある。しかし、あの雑居ビルの周辺で見かけたような、若い男たちがたむろしている様子はない。
(使われてはいる。だが、ここが奴らの主要な根城とは思えんな)
もっとも、丹波は最初から「夜になれば何人か集まることがある」としか言っていない。
今の様子だけで、その話が間違いだと決めつけることもできなかった。
「大河さん」
後ろから勝人が声をかけた。
「なんだ?」
「これ、いつまで見てるんです?」
「もう少しだ」
「そうですか……」
勝人は大きな欠伸をすると、近くの電柱にもたれかかった。
「ほんま、何も起こらんかったらええんですけどねぇ」
大河はその言葉を聞き流し、倉庫の扉へ視線を戻した。
やがて三人は少し離れた自動販売機の前へ移動し、真二が戻るのを待つことにした。
しばらくして、通りの向こうから大きく手を振る男が現れた。
「大河さーん!」
「……声がでかい」
大河が呟くより早く、真二が駆け寄ってきた。
「聞いてきましたで! 結構いろいろ分かりました!」
「ほう。話してみろ」
真二は息を整えながら説明を始めた。
「この辺に知り合いがおったんで聞いてみたんですけど、あの倉庫、前は確かに紅蓮隊の連中がよう集まってたらしいです」
「前は?」
「はい。でも最近は、あんまり見かけんようになったって。別の場所に集まることが増えたみたいですわ」
大河は腕を組んだ。
「なるほどな」
「なんや、丹波さんの情報、古いやんけ!」
真二は不満そうに頬を膨らませた。
「せっかく来たのに、これやったら意味ないですやん」
「そうとも限らん」
「え?」
「少なくとも、丹波の言った場所が実際に使われていたことは分かった。それだけでも収穫や」
真二は首を傾げた。
「でも、今は使ってへんのでしょ?」
「ほとんど使っておらん、という話だ。まったく使われていないと決まったわけではない」
大河は倉庫へ目を向けた。
(丹波ほどの男が、最近の状況を知らぬものか?)
あの人懐っこい笑顔が脳裏に浮かぶ。
紅蓮隊の幹部であり、情報に通じているという男。その人物が、古い情報を何の確認もせずに渡したのだろうか。
もちろん、丹波にも知らないことはあるはずだ。だが、何となく腑に落ちない。
(知らなかったのか。それとも、知ったうえで教えたのか……)
大河は答えを急がず、真二へ向き直った。
「よく調べたな。ご苦労だった」
「えっ、あ、はい!」
褒められるとは思っていなかったのか、真二は照れくさそうに頭を掻いた。
「まぁ、知り合いに聞いただけですけどね!」
「それができるのも立派な働きだ」
大河はそう言って、もう一度倉庫の方へ歩き始めた。
すると、勝人が面倒くさそうに声を上げた。
「大河さん、もう帰りません? ここに長居しても、あんまり意味なさそうですし」
「おい勝人! お前、何もしてへんやろ!」
「せやから、もうええかなと思って」
「ほんまにやる気ないな!」
真二が呆れる一方で、大河は足を止めた。
「勝人。何か気になることでもあるのか?」
「いやぁ……別に大したことちゃうんですけど」
勝人は頭を掻きながら、通りの向こうへ視線を向けた。
「さっきから、あの辺を同じ人が何回か通ってる気がするんですよ」
「同じ人?」
「はい。まぁ、気のせいかもしれませんけど。なんか嫌な感じするなぁって」
大河はさりげなく周囲を見渡した。
倉庫の向こうには細い路地があり、何人かの通行人が行き交っている。誰かがこちらを見張っているようには見えなかった。
「どの男だ?」
「今は見えへんですね。さっきまでおったんですけど」
「ふむ……」
「ほら、気のせいやって!」
真二が笑った。
「お前、帰りたいから適当なこと言うてるんちゃうか?」
「それもあるけどな」
「あるんかい!」
二人のやり取りに健太郎が小さく笑った。
大河も口元を緩めたが、勝人の言葉を無視することはしなかった。
「よし、いったん離れるぞ」
「えっ、もうですか?」
「ああ。ここで得られる情報は、ひとまず十分だ」
真二は少し不満そうだったものの、大河が歩き出すと素直についてきた。
四人は倉庫から離れた通りへ移動し、角を曲がったところで立ち止まった。
そのときだった。
「あれ……?」
真二が倉庫の方を振り返った。
少し離れた場所に、数人の男たちが現れていた。男たちは周囲を見渡しながら倉庫の近くへ向かい、何やら話し込んでいる。
「なんや、あいつら……」
真二が目を凝らす。
「紅蓮隊の奴らか?」
大河が尋ねると、真二は首を横に振った。
「いや、分からんです。少なくとも俺の知ってる顔ではないですね」
健太郎も黙って男たちを見つめていた。
勝人はというと、すでに興味を失ったように欠伸をしている。
「ほら、離れて正解やったんちゃいます?」
「お前、ほんまに気づいてたんか?」
「さぁ、どうやろな」
勝人は曖昧に笑った。
大河はその横顔をちらりと見た。
男たちが何者なのかは分からない。勝人が先ほど見かけた人物と関係しているかどうかも不明だ。
ただ、あのまま倉庫の前に立ち続けていれば、余計な揉め事に巻き込まれていた可能性はある。
(偶然か、それとも……)
大河はそれ以上考えず、三人を連れてその場を離れた。
無理に踏み込む必要はない。今は紅蓮隊の内情を調べることが先決だった。
近くの人通りが少ない場所まで来ると、大河は携帯電話を取り出した。
「大河さん、誰に電話するんです?」
「丹波だ」
「えっ、丹波さんに?」
「ああ。せっかく情報をもろたんや。礼くらいは言わんとな」
真二は不思議そうな顔をした。
「でも、情報が古かったんですよ?」
「だからこそ、だ」
大河は短く答えると、先ほど連絡先を交換した丹波へ電話をかけた。
数回の呼び出し音の後、聞き覚えのある声が響いた。
『もしもし? 大河さん?』
「丹波さん、さっきはどうも」
『おお、どうしたん? 何か分かった?』
「教えてもろた倉庫ですけど、最近はあまり使われてへんみたいですね」
『そうなん? 俺も最近は行ってへんからなぁ。古い話やったかもしれんわ』
丹波の声に、慌てた様子はなかった。
「そうですか。でも、昔は使ってたみたいですね。助かりましたわ」
『いやいや、古い情報で申し訳ないなぁ』
「とんでもないです。また何か分かったら教えてください」
『もちろん。俺に分かることやったらな』
「ほな、失礼します」
通話を終えると、大河は携帯電話を閉じた。
真二が首を傾げる。
「大河さん、何で怒らへんかったんです?」
「何を怒る必要がある?」
「いや、古い情報教えられたんですやん」
「丹波は、今も必ず連中がおるとは言っておらん。それに、こちらが勝手に調べたことだ」
「まぁ、そうですけど……」
「それに、あの男が何を知っておるのか、まだ分からんからな」
大河は携帯電話をポケットへしまった。
(今ここで問い詰めても、得られるものは少ない。ならば、しばらく泳がせておく方がよい)
丹波がこちらを試しているのか、それとも単に親切で情報をくれたのか。
判断するには、まだ材料が足りなかった。
「あっ、そうや!」
突然、真二が声を上げた。
「大河さん、もう一つ聞いた話があったんです!」
「何だ?」
「最近、紅蓮隊の幹部連中が別の場所で集まってるらしいんですよ」
大河の目つきが変わった。
「ほう。それはどこだ?」
「いや、それが場所までは分からんかったんですけど……前と違う場所で集まるようになったって話は聞きました」
「誰から聞いた?」
「昔からの知り合いです。そいつも直接見たわけやないみたいですけど」
大河は少し考えた。
紅蓮隊の活動拠点が変わりつつあるのなら、幹部たちの動きを追うことで、組織の上層部へ近づけるかもしれない。
ただし、これもまだ裏付けのない話だ。
「その情報、丹波さんにも聞いてみます?」
真二の問いに、大河は首を横に振った。
「いや、今はええ」
「何でです?」
「こちらが何を知っているか、すべて教える必要はないからだ」
真二は少し驚いた顔をした。
「丹波さんにも、ですか?」
「ああ。相手が誰であろうと同じだ」
大河は三人を見渡した。
「今度は、その幹部連中がどこで何をしているのかを調べる。真二は引き続き知り合いから話を聞け。健太郎と勝人も、何か耳にしたら知らせてくれ」
「了解です!」
「……はい」
「また仕事増えたなぁ……」
勝人が肩を落とすと、真二が笑いながら背中を叩いた。
「お前、さっきまでほとんど何もしてへんかったやろ!」
「それとこれとは別や」
三人のやり取りを眺めながら、大河は小さく息を吐いた。
まだまだ頼りない部分は多い。
だが、今日一日だけでも、それぞれの違いが少しずつ見えてきた。
今後どう育てるかは、自分次第だろう。
その頃、紅蓮隊の雑居ビルでは、丹波が携帯電話を閉じたところだった。
「へぇ……」
椅子に深く腰掛け、天井を見上げる。
先ほどの大河との会話を思い返していた。
古い倉庫の情報を教えたのは、相手がどう動くかを見てみたかったからだ。
何も考えずに乗り込むのか。それとも、周囲を調べてから判断するのか。
もっとも、丹波は大河たちの行動をすべて見ていたわけではない。どのように情報を集め、何を確認したのかまでは分からなかった。
ただ、電話の内容から一つだけ分かったことがある。
大河は倉庫の情報が古いと確かめたうえで、こちらを責めてこなかった。
「普通やったら、文句の一つくらい言いそうなもんやけどなぁ」
丹波は楽しそうに笑った。
単に気が長いだけかもしれない。あるいは、何か別の考えがあるのかもしれない。
まだ判断するには早い。
「さて、次はどうするんやろなぁ」
机の上に置かれた缶コーヒーへ手を伸ばす。
紅蓮隊の中で幹部として過ごす日々は、決して悪いものではなかった。
ただ、目先の揉め事を繰り返すだけの組織に、どれほどの未来があるのか。
そんな疑問を抱きながらも、丹波は今の居場所を手放すつもりはなかった。
近藤大河という男が、自分の関心を引くほどの人物なのか。
それを見極めるには、まだ時間が必要だ。
一方、大河たちは再び繁華街へ向かって歩き始めていた。
紅蓮隊の幹部たちが集まるという、新たな場所。
その存在を確かめることが、次の目的となる。
大河は歩きながら、丹波の言葉を思い返していた。
あの男が教えた情報には、確かに事実が含まれている。しかし、すべてを信用するには不自然な点も多い。
(丹波望……なかなか腹の読めぬ男だ)
もし相手がこちらの力量を測っているのなら、それはそれで構わない。
情報を与えられるだけの立場で終わるつもりはなかった。
大河は振り返り、三人へ声をかけた。
「よし、次は紅蓮隊の幹部連中を探すぞ」
「おおっ! いよいよ本格的になってきましたね!」
真二が拳を握る。
健太郎は静かに頷き、勝人は相変わらず面倒くさそうに空を見上げていた。
「……今日はもう終わりにしません?」
「まだ始まったばかりだ」
「ですよねぇ……」
勝人の情けない声に、真二が吹き出した。
大河も笑みを浮かべながら、再び前を向いた。
紅蓮隊の上層部へ近づくための、新たな調査が始まろうとしていた。
そして丹波もまた、大河が次にどのような一手を打つのか、静かに見定めようとしていた。




