殺意
イリスはベッドに横になりながら寝返りを打った。チラリ、とシリウスの背中を見つめる。あれから、シリウスはイリスにベッドを譲り、自分はソファーで寝る日が続いていた。高身長の彼ではソファーは十分なスペースはなく、長い脚がはみ出ている。ソファーで寝るには身体が固くなって寝づらいだろうに彼はそれに関しては何も言わない。
―もしかしたら…、彼は…、本当は優しい人かもしれない。
イリスはそう感じるようになった。
スヤスヤと寝息を立てて眠るイリスの寝顔を見下ろし、シリウスは呑気なものだと呆れた。男のいる部屋で無防備に寝るなどまるで子供だ。自分が手を出されるなど考えてもいないのだろう。そうでなければ、こんな警戒心の欠片もなく、寝付ける筈がない。余程、大切に育てられ、周囲に愛されてきたのだろう。だとしたら、随分と世間知らずで甘い女だ。
―それとも、これもこの女の策略か?初心で無邪気な女の振りをしてその醜い本性を隠し通す女など腐るほど見てきた。
イリスはシリウスが自分の言葉を信じてくれたと思っているみたいだが実際はシリウスは彼女の言葉を最初から信じていなかった。彼女の本当の目的が分からない以上、騙された振りをしてその正体を探るつもりだった。その為には、手元に置いて監視しておいた方がいい。そう考えたシリウスはイリスに取引を持ち掛けた。イリスが黒なら、きっと上手く事が運んだと内心ほくそ笑んだことだろう。それなら、彼女を泳がせればいい。機会を窺い、いつか、その本性を晒す筈だ。その時にじっくりと彼女から真実を聞き出せばいいだけの話だ。だから、シリウスは気付かれないように注意深く観察した。表面上は行方不明の姉を捜すという健気な女を演じているイリスを。どうせ、今だけだ。これだけ一緒に行動していれば必ずどこかで素がでてくる筈。空気を吐くように嘘を吐き、男に媚びを売る浅ましい生き物である女はその本性を隠すのが得意だ。弱者の前では牙を剥くが強者の前ではか弱い振りをする。狡猾で強かだがその反面、感情的でそれに左右されやすい。つまりは、ふとしたきっかけで化けの皮が剥がれやすいのだ。それに、嘘を吐く人間とは例えそれが慣れている人間でも仕草や動作、目や口の動き、表情、言葉から滲み出る。それを見破ることはシリウスにとって容易い事だった。だが、そんなシリウスでもイリスの嘘を見破ることはできなかった。日頃、一緒に行動を共にしても彼女は当初の出会った頃のままでシリウスに怯えながらも大人しく従順でどこにでもいそうな平凡な女…。彼女からは下心や女がふとした時に浮かべる醜い顔の素顔を見出すことはできなかった。
―もしかして…、これがこいつの素なのか?本当に生きているかもわからない姉を捜す為だけに自らの危険も顧みずにここまで?
だとしたら、こいつは本物の馬鹿だ。そんな理由で自分の命を危険に晒すなんて聞いたことがない。だが…、シリウスはふと今日の出来事を思い出した。魔法についての素晴らしさを語るイリス。瞳をキラキラと輝かせ、魔法は素敵だと純粋に称賛するその表情…。そこに偽りは一切なく、本当に本心からの言葉だった。シリウスは何かがこみ上げそうになるのを押さえつけるようにグッと唇を噛み締めた。
―こいつは危険だ…。今までは無害だと思っていたが…、そうも言っていられなくなった。
シリウスはスッとイリスの首に手をかけた。白く細い首は片手で簡単に掴めてしまう。そのまま力を籠めれば簡単にその命を奪えてしまう。あの時、一瞬だけ見せた楽しそうな笑顔がシリウスの脳裏を過ぎる。もう目的何てどうだっていい。あれが通用しない以上、自白するまでと思っていたがこのままこいつを傍に置けば自分がどうなるか分からない。イリスの首を圧迫しようとグッと指に力を入れようとする。その時、イリスの口から寝言にも似た呟きが放たれた。
「…で。行かないで…。お姉ちゃん…。」
ツウ、と涙が頬を伝った。シリウスは目を見開き、首から手を離した。姉の夢を見ているのだろうか。悲痛に満ちた声と寝顔は頼りなげで切なげに歪められていた。




