【暴食の章】崩壊と対軍光矢
やるせない。
その感情が、胸の奥に沈殿していた。
勝つためだ。必要な選択だ。合理的だ。
クロノスの判断は理にかなっている。
だが理屈と感情は別物だった。
灰崎は視線を上げる。飛空艇内部に設置された複数の投射魔法機器が、淡い光を放っていた。水晶板に映し出されるのは、地上の惨状。
この飛空艇は偵察特化型。
透過魔法により外部からは視認できない。
上空に存在していながら、誰にも気づかれない。
さらに内部には、クロノスが開発した無数の小型機獣が格納されている。
掌に乗るほどの大きさ。
虫にも似た金属の躯体。
羽音すら抑制された静音設計。
それらが帝都上空、路地裏、屋根の隙間、建物内部にまで侵入し、映像と音声を収集している。
「観測範囲は半径三キロ」
クロノスが淡々と告げる。
「視覚、聴覚、魔力波動。すべて記録可能だ。戦況の変動も秒単位で把握できる」
冷静な説明。
だが映像に映っているのは、解析という言葉が虚しくなる光景だった。
阿鼻叫喚。
広場では、騎士同士が斬り結んでいる。
隣にいた仲間が、突然襲いかかる。
瞳は濁り、呼吸は荒く、言葉にならない声を発する。
ウェンディゴ。
それは魔獣ではない。
病だ。
感染すれば理性が崩壊し、攻撃衝動が極端に増幅する。
噛みつきによって伝播する、極めて悪質な感染症。
クロノスは進行を一時的に遅らせただけだ。
止めているに過ぎない。
完治していない。
時間が経てば再び進行する。
噛まれた騎士が、呻き声を上げて立ち上がる。
味方へと向き直る。
悲鳴が重なる。
剣が振るわれる。
混乱が混乱を呼ぶ。
別の投射映像へ切り替わる。
そこは避難場所だった。
広場から離れた区画。
民衆が身を寄せ合っている。
だがそこにも感染者が入り込んでいる。
子どもを抱えた母親が逃げる。
転ぶ。
叫び声。
老人が庇おうとして倒される。
血が飛び散る。
逃げ場はない。
混沌は帝都全域へ広がっていく。
秩序は崩れつつある。
国という形が、目に見えて瓦解していく。
灰崎は拳を握る。
これが正解なのか。
だがその疑問に答える前に、映像が変わった。
広場中央。
暴食帝ベルフェゴール。
彼は微動だにせず立っていた。
周囲の混乱など意に介さない。
その存在感だけで、空間が締まる。
「静まれ!」
一喝。
それだけで騎士たちの動きが止まる。
「避難民を城へ集約させろ。外周を封鎖しろ」
命令は明確。
迷いがない。
下級騎士たちが即座に動く。
混乱していた指揮系統が再編される。
ベルフェゴールは無尽弓グラトニアスを構えた。
天へ向けて。
弦を引く。
空気が軋む。
膨大なエネルギーが収束する。
灰崎は思わず息を呑む。
放たれた光は、上空で弾けた。
無数の光矢へと分裂する。
雨のように降り注ぐ。
シャイニングレイ。
対軍殲滅技。
光が地上を焼き払う。
感染者が次々と貫かれ、蒸発する。
一瞬で広場の混乱が沈静化する。
圧倒的。
だが。
「消費量は常人の一か月分の生命エネルギー相当」
クロノスが告げる。
「連発は不可能だ」
灰崎は黙る。
ベルフェゴールの呼吸がわずかに荒い。
消耗している。
確実に。
「想定通りだ」
クロノスは戦況を見つめる。
「ウェンディゴで兵力を削らせ、対軍技を引き出す」
エネルギーを吐き出させる。
力を削る。
「ここからは持久戦」
ベルフェゴールは強い。
だが無尽蔵ではない。
こちらも消耗している。
互いに削り合う局面。
灰崎は戦場を見下ろす。
混沌はまだ収まらない。
だが帝王は消耗した。
その事実だけが、唯一の希望だった。
戦いは、最終局面へと確実に近づいている。




