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【暴食の章】帝王の一矢

 オークロードの巨体が、ゆっくりと傾いた。


 巨木が倒れるような鈍い音が響き、地面が震える。


 砂埃が舞い上がり、視界が一瞬だけ白く染まった。


 灰崎は荒い呼吸を繰り返しながら、その巨体を見下ろしていた。


 帝王が召喚した怪物。


 オークの王。


 並の兵なら数十人がかりでも倒せない化け物だった。


 それでも――


「……終わりだ」


 灰崎は小さく呟く。


 魂術によって拘束された核はすでに砕けている。


 オークロードの魂は、もうこの肉体には残っていない。


 巨体はぴくりとも動かなかった。


 完全に沈黙していた。


 灰崎は大きく息を吐く。


 肺が焼けるように痛い。


 魔力も、体力も、限界に近かった。


 それでも。


 ここまで来た。


 帝王軍の主力はほぼ壊滅している。


 灰崎はゆっくりと振り返る。


 戦場の喧騒が耳に戻る。


 剣がぶつかる音。


 怒号。


 血の匂い。


 だが、その中心で一つの光景が目に入った。


 ヴァルド。


 帝都最強の騎士団長。


 その体がゆっくりと崩れ落ちる。


 そして、その前に立つ男。


「……」


 アレクシエル・サミエム。


 全身を血で染めながら、剣を握って立っている。


 立っているというより、倒れないように立っているだけに見えた。


 それでも剣は手放していない。


 その姿を見て、灰崎は思わず笑った。


「やるじゃないか……サミエム」


 思わず漏れた言葉だった。


 友人であり、ライバル。


 常に隣にいた剣士。


 その男が、帝都最強の騎士団長を倒した。


 それは、信じられない光景だった。


 だが、確かにそこにあった。


 ヴァルドは動かない。


 完全に沈黙している。


 戦場の空気が変わっていくのが分かる。


 帝王軍の兵が動揺している。


 騎士団長が討たれた。


 帝王が呼び出した怪物も倒された。


 戦う理由が消えていく。


 灰崎は戦場を見渡す。


 倒れた兵。


 崩れた陣形。


 味方の騎士たちが前へ押し返している。


 敵の士気は明らかに崩れていた。


(……残りは)


 灰崎の視線が戦場の奥へ向く。


 そこに立つ、一つの影。


 暴食帝ベルフェゴール。


 帝王。


 残っている戦力は、もはやあの男一人。


 それだけだ。


(……勝てる)


 胸の奥に、確かな感覚が生まれる。


 ここまで来た。


 帝都最強の騎士団長を倒し、帝王の召喚した怪物も倒した。


 残る敵は、帝王だけ。


 ならば。


 勝てる。


 そう確信した。


 その瞬間だった。


 轟音が鳴り響いた。


 空気を裂くような衝撃音。


 大地が震える。


「……?」


 灰崎は反射的に空を見上げる。


 空が揺れていた。


 いや、違う。


 何かが落ちてきている。


 無数の影。


 細かい破片。


 それが地面に降り注いでくる。


 ぱらぱらと。


 ぱらぱらと。


 まるで雨のように。


「……雨?」


 一瞬、理解が遅れる。


 戦場に突然降る雨。


 だが。


 頬に当たったそれは、冷たくなかった。


 生温かい。


 ぬるりとした感触。


 鉄の匂い。


 灰崎は指先で触れる。


 赤い。


 血だった。


 さらに視界に入る。


 小さな肉片。


 骨片。


 無数の破片。


「……っ」


 灰崎の瞳が見開かれる。


 ゆっくりと視線を上げる。


 空の高く。


 そこにいるはずの存在を探す。


 ベヒーモス。


 自分が顕現させた巨獣。


 戦場の空を覆うほどの巨体。


 その姿は――


 崩れていた。


 巨大な肉体が、空中で裂けている。


 信じられないほどあっさりと。


 肉が裂け、骨が砕け、ばらばらに分解されていく。


 その破片が、今、戦場に降り注いでいる。


 理解するまで、数秒かかった。


 それが何なのか。


 何が起きたのか。


 やがて。


 戦場の奥から声が響く。


「……まさか」


 低い声。


 嘲笑を含んだ声。


「勝てたとでも思ったのか?」


 暴食帝ベルフェゴール。


 帝王はゆっくりと歩み出る。


 その手には弓があった。


 黒い弓。


 禍々しい曲線を描く神器。


 ただそれだけで、空気が重くなる。


 放たれる魔力の質が違う。


 戦場の誰もが、本能的に理解する。


 危険だと。


 ベルフェゴールは静かに言い放つ。


「無尽弓グラトニアス」


 その名を口にする。


「一矢一殺を約束された神器だ」


 灰崎の背筋に冷たいものが走る。


 たった一矢。


 それだけで。


 ベヒーモスが。


 あの巨獣が。


 空中で解体された。


 ベルフェゴールは空を見上げる。


 降り注ぐ肉片。


 崩れ落ちる巨体。


 その光景を眺めながら、小さく呟く。


「……これほどまでとは」


 ほんのわずかな驚き。


「さすがに想定外だったな」


 その言葉の意味を、灰崎は理解する。


 帝王にとって。


 ベヒーモスですら――


 ただの試し撃ちに過ぎなかったのだ。


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