【暴食の章】魂の深層にて
ベヒーモスの顕現化。
それは、他の機獣とは格が違った。
魂縛石は、理論上――
一切の攻撃を受け入れざるを得ない状態にある。
拒絶はできない。
抗うこともできない。
それが“縛る”ということだ。
なのに。
(……拒まれている?)
灰崎の魔力は、核へ届かない。
深層へ潜ろうとするたび、見えない壁に弾かれる。
否定。
明確な拒絶の意思。
本来、あり得ない。
「……なら」
もっと深く。
意識を沈める。
魂縛石の奥へ。
魔物の核のさらに奥へ。
光が失われる。
色が消える。
やがて、静かな空間に辿り着いた。
そこに――
一人の女性が立っていた。
見覚えがある。
三賢者の師。
幼き日に魔法の基礎を叩き込んだ存在。
「……あなた」
灰崎の声が震える。
彼女は、穏やかで、そして厳しい目をしていた。
「この国を滅ぼすのであれば、私は協力できない」
はっきりとした拒絶。
否定していたのは、彼女だった。
魂縛石に残された、魔力の思念体。
彼女の“残滓”。
「違う」
灰崎は首を振る。
「犠牲を最小化するためだ」
今ここで止めなければ、もっと死ぬ。
餓鬼の大樹。
この戦争。
未来に待つ破滅。
「だから協力を――」
「断る」
即答。
冷たい。
「この戦いの意味は?」
問われる。
灰崎は、言葉に詰まった。
意味。
正義。
理念。
――ない。
根底にあるのは。
(俺は……)
「自分が助かりたいから、他人を犠牲にするの?」
核心。
胸を貫く。
一番、嫌だったこと。
一番、否定したかったこと。
それを、今やっている。
犠牲を選別し、優先順位を決める。
救えない命を切り捨てる。
自己嫌悪が、喉を締め上げる。
彼女の視線は、痛いほど冷たい。
嫌悪。
失望。
どんどん、苦しくなる。
「……数えても、仕方がない」
震える声で、絞り出す。
「犠牲にした数を数えても……意味はない」
今は。
この先の犠牲を減らすしかない。
餓鬼の大樹の暴走。
この戦争の拡大。
止めなければ、もっと死ぬ。
「だから……今は、選ぶ」
彼女は、最後まで首を横に振る。
「あなたは、間違っている」
それでも。
少しだけ、表情が和らぐ。
「一つだけ教えてあげる」
静かに告げる。
「私は魔力の思念体。もうじき、魔力が尽きる」
存在の終わり。
消滅は時間の問題。
「略奪者らしく……最後は奪いなさい」
灰崎の目が見開かれる。
奪う。
強奪。
魂縛石を支配するには、それしかない。
躊躇いは、まだある。
だが。
もう、立ち止まれない。
灰崎は、右手を上げた。
選んだのは――
初級魔法。
魔弾。
圧縮。
制御。
無駄のない構築。
放つ。
光が、一直線に彼女を貫く。
彼女は、痛みを感じていないようだった。
むしろ、懐かしむように目を細める。
「……綺麗な魔弾」
微笑む。
「基礎が、良く出来ているじゃない……」
少しだけ、視線が遠くなる。
「あの子、クロノスを思い出すわ」
灰崎の心臓が跳ねる。
次の瞬間。
彼女の姿は、粒子となって消えた。
魂縛石の最深層が、静まる。
拒絶が消える。
支配が、確立する。
「……顕現化」
最後の術式を叩き込む。
帝都の空。
巨大な鋼の殻が、内側から砕ける。
装甲が剥がれ落ちる。
その下から現れたのは――
黒き巨獣。
鱗に覆われた巨体。
灼熱の息。
大地を踏み割る四肢。
ベヒーモスが、咆哮する。
その視線が、灰崎へ向く。
敵意はない。
命令待機。
地上では、オークロードが暴れている。
機獣と魔物が入り乱れる混戦。
灰崎は、ベヒーモスの背へと跳躍する。
「……行くぞ」
巨獣が走る。
石畳が砕け、瓦礫が跳ね飛ぶ。
牙と牙がぶつかる。
オークロードの斧を、ベヒーモスの爪が弾く。
咆哮。
衝撃。
混戦の中心で。
灰崎は、巨獣と共に刃を振るう。
国を守るためか。
未来を守るためか。
それとも。
自分が生きるためか。
答えは、まだない。
だが。
戦いは、続いている。




