【暴食の章】顕現の号令
悲鳴が、途切れない。
誘導の声は掻き消され、押し倒され、踏み潰される。
守ろうと伸ばした手の先で、また誰かが倒れる。
灰崎は歯を食いしばった。
(間に合わない……)
路地の影に身を潜め、魔力を走らせる。
上空から放たれる魔力砲を、角度をずらして逸らす。
落下軌道をほんの数度変えるだけで、直撃は避けられる。
だが、それだけだ。
機獣の脚が振り下ろされ、石畳ごと人が潰れる。
爆炎が巻き起こり、逃げ惑う群衆を呑み込む。
焼け石に水。
そんなことは分かっている。
それでも。
(少しでも……)
たとえ自分たちが不利になろうと。
たとえ作戦が崩れようと。
犠牲を減らしたい。
だが、この現状を根本から変える方法は一つしかない。
分かっている。
だが――
ほぼ不可能だ。
魔力負荷。
制御難度。
暴走の危険。
踏み切れない。
その時。
瓦礫の向こうから、怒号が響いた。
「いつまで出し惜しみしている!」
サミエムだ。
血に濡れ、騎士団と斬り結びながら吠える。
「失敗してもやるべきことをやれ!」
真っ直ぐな声。
迷いのない叫び。
腹立たしい。
無責任だ。
だが。
(……正しい)
灰崎は空を見上げる。
機獣。
そのコアには魂縛石が埋め込まれている。
ベヒーモスだけではない。
応答性を上げるため、他の機獣にも使用された。
魂の器。
顕現化の媒体。
(クロノスは……これを見越していたのか?)
疑念がよぎる。
基礎訓練。
魔弾の反復。
魔力制御の徹底。
あれは、今日のためだったのか。
灰崎は目を閉じる。
そして、全機獣へ向けて魔力を解き放った。
「――顕現化」
空気が震える。
機獣の内部に埋め込まれた魂縛石が共鳴する。
金属の鎧が、内側から軋む。
亀裂。
剥離。
鋼の外装が剥がれ落ちる。
その下から現れたのは――
鱗。
毛皮。
角。
牙。
機械の隙間から、魔物の本質が露出する。
半機械、半魔物の異形が、広場に咆哮を上げた。
民衆の混乱はさらに増す。
だが。
灰崎の意識は、そこではない。
(この数を一斉にリモート制御なんて不可能だ)
直接操作は、魔力をほぼ消費しない。
だが、思考が追いつかない。
数が多すぎる。
ならば。
思い出す。
クロノスの戦い。
ヴァルドの号令。
複雑な命令は不要。
必要なのは、単純さ。
灰崎は、全機体へ“刻む”。
――武器を向けてくる敵を倒せ。
――止まれ。
それだけ。
二つの命令だけを、魂縛石に焼き付ける。
顕現した魔物たちの目が光る。
次の瞬間。
騎士団へ向けていた砲口が、機獣同士へと向く。
武器を向けてくる“敵”。
定義は単純だ。
自動迎撃が始まる。
魔力は、常時消費されるはずだった。
自動制御は重い。
これだけの数、持つわけが――
(……あれ?)
減らない。
魔力の減衰が、想定より遥かに少ない。
ほとんど、感じない。
制御は安定している。
暴走の兆しもない。
脳裏に浮かぶのは、あの訓練。
魔弾。
防御。
反復。
基礎。
土台。
――土台がなければ、才能は沈む。
こういうことだったのか。
灰崎は、小さく笑った。
(クロノス……)
感謝するつもりはない。
だが。
意味は理解した。
ならば。
次だ。
空の上。
最大の巨影。
ベヒーモスの核。
魂縛石が脈打っている。
ここが正念場。
灰崎は、深く息を吸った。
全魔力を一点へ収束する。
「……行くぞ」
顕現化の対象を、ただ一体へ。
ベヒーモスへ。
踏み込む。
世界が軋む。
その名を呼ぶ。
次の瞬間――
帝都の空が、割れた。




