【暴食の章】遅延する刃、圧縮される世界
止まったはずの世界は、静寂とは程遠かった。
軋む。
悲鳴のような音が、空間そのものから漏れている。
時間停止。
それは世界を凍結させる究極の魔術であり、本来ならば“術者以外の全て”を無力化する。
だが、今この場に限っては例外が存在していた。
視界の端で、リオネルが動く。
否――
動いているように見えるのではない。
実際に動いている。
(……やはりか)
空間魔導士リオネル。
面接の席で感じた違和感は、勘違いではなかった。
空間を操る者にとって、時間停止とは「完全な拘束」ではない。
停止しているのは時間であって、空間ではないからだ。
こちらが“流れ”を止めているなら、あちらは“座標”をいじる。
原理が違う。
詠唱なしで展開される圧縮空間。
見えない壁が、全方向から迫ってくる。
即座にディレイを重ねる。
防御魔法の発動を、時間停止下でさらに遅延させ、圧縮の“完成”よりわずかに先に割り込ませる。
防御障壁が軋みながら成立する。
次の瞬間、障壁が砕け散った。
(重い……!)
単純な威力ではない。
空間そのものを潰す圧力だ。
防御魔法は「受け止める」ものだが、これは“存在できる場所を奪う”攻撃。
破砕された魔力の残滓が、停止した空気中に結晶のように散る。
反撃。
魔力弾を三方向へ同時展開。
それぞれに異なるディレイを仕込み、着弾、爆発、拡散のタイミングをずらす。
本来なら回避不能の時間差攻撃。
だが、リオネルは後退しない。
空間が歪む。
魔力弾が進む“道”そのものが曲げられ、狙いを外される。
一発は虚空へ。
一発は天井へ。
最後の一発だけが、辛うじて掠る。
しかし――
掠った瞬間、空間が折り畳まれた。
魔力弾は圧縮され、自壊する。
(攻撃を、攻撃として成立させない……)
魔法を打ち消しているのではない。
魔法が“存在できる空間”を奪っている。
距離を取る。
否、取ったつもりだった。
次の瞬間、視界が歪む。
一歩踏み出しただけで、距離が消える。
リオネルが目の前にいる。
圧縮された空間が、刃の形を取って迫る。
防御、間に合わない。
即座に時間を“ずらす”。
身体の一部だけを未来へ逃がすように、肩と首をわずかにずらす。
空間刃が、肩口を抉った。
血は流れない。
止まった時間の中では、傷もまた止まっている。
だが、痛覚だけは確かにある。
(……やる)
反撃として、足元にディレイ付きの重力魔法を展開。
発動は三秒後。
だが、時間停止下では“ほぼ即時”に等しい。
リオネルが跳ぶ。
跳んだ先の空間が、即座に圧縮される。
自分で作った逃げ場を、自分で潰すような挙動。
その判断の速さが、こちらの計算を上回る。
次第に、こちらの魔法は“読まれて”いく。
未来視を使えば対処できる。
だが、未来視は消耗が激しい。
時間停止、ディレイ、未来視。
三重負荷。
対してリオネルは、空間を潰し、移動させ、折り畳むだけ。
魔力効率が違いすぎる。
防御の一枚が、完全に割られた。
衝撃が走る。
停止した空間に、亀裂が走る。
まるでガラス細工の世界に、力任せに拳を叩き込んだかのようだ。
(……まずいな)
明確に、押されている。
時間停止という“切り札”の中で、この状況。
もしこれが通常時間に戻れば――
被害は、祭り全体に及ぶ。
視線の先で、リオネルが構えを変えた。
空間が、静かに収縮を始める。
一点集中。
防御不能の殺し技。
(ここか)
ここで世界を動かすか。
あるいは、別の盤面を開くか。
クロノスは、一瞬だけ“停止していない存在”を思い浮かべた。
灰崎。
そして、あの魂縛石。
時間停止下の戦いは、すでに限界を迎えつつあった。
次に壊れるのは――
時間か、空間か。
あるいは、この均衡そのものか。




