【暴食の章】前夜、機械仕掛けの獣
祭り前夜の食都は、妙に静かだった。
昼間はあれほど騒がしかった街路も、夜になると一転する。
通りを照らす魔導灯は控えめに灯され、音楽も聞こえない。
嵐の前の、静けさ。
その言葉が脳裏をよぎり、布団に横になりながらも、眠気は訪れなかった。
天井を見つめる。
胸の奥で、焦りが燻っている。
ベヒーモスの顕現化は、結局成功していない。
基礎訓練は積んだ。
魔力の扱いも、以前よりは遥かに良くなった。
それでも、あの魂縛石は沈黙を保ったままだ。
「……間に合わない、か」
小さく吐き出した、その瞬間だった。
視界が、歪んだ。
空間が軋み、魔力が暴発する感覚。
反射的に身構えるより早く、床が消えた。
転移魔法。
「――っ!?」
次の瞬間、硬い床に叩きつけられる。
見覚えのない天井。
冷たい空気。
魔導灯の白い光。
「な、なんだ今の……!?」
隣で、サミエムが声を上げていた。
完全に不意打ちだったらしい。
表情に、明確な動揺が浮かんでいる。
「転移……? いや、でも詠唱もなしに……」
「細かい分析は後だ」
前方から、聞き慣れた声。
視線を向けると、そこにはクロノスが立っていた。
相変わらず、何を考えているのか分からない顔。
「ここは……」
「俺の“秘密”研究所だ。表のとは別物だな」
サミエムが、思わず一歩引く。
「き、聞いてないぞ……!」
「言ってないからな」
当然のように言い放つ。
悪びれる様子は一切ない。
周囲を見渡す。
壁一面に刻まれた複雑な魔法陣。
機械と魔術が混在した装置群。
中央には、巨大なシルエットが布で覆われていた。
嫌な予感が、背筋を走る。
「……急に呼び出して何の用だ」
問うと、クロノスは即座に答えた。
「明日の作戦を伝える」
その一言で、空気が張り詰めた。
祭り当日。
暴食帝ベルフェゴールへの謁見。
ここまで来て、それがただの儀礼で終わるはずがないことは、誰もが理解している。
「結論から言う。計画を変更する」
クロノスは、淡々と続ける。
「ベヒーモスの顕現化は、間に合わなかった」
言葉にされると、胸がわずかに痛んだ。
「だから、代替案を用意した」
そう言って、クロノスは布を引き剥がした。
現れたのは――巨大な機械の魔獣。
骨格は獣。
装甲は金属。
関節部に走る魔法陣が、脈動するように光っている。
「……これって」
サミエムが、息を呑む。
「機械の魔獣だ。ただし、今までのとは格が違う」
クロノスは、その胸部を指さした。
装甲の奥、淡く光る核。
「あそこに、何を使ったと思う?」
答えは、一つしかない。
「……ベヒーモスの魂縛石か」
「正解だ」
あまりにも、あっさりと肯定された。
「顕現化には至っていない。
だが、魂縛石をコアとして組み込めば、性質は引き継げる」
サミエムが、思わず声を荒げる。
「そ、そんなこと……魂に干渉するんだろ!? 危険すぎる!」
「安全な戦争などない」
クロノスは、冷ややかに言った。
「これは“顕現化の代用品”だ。
魂を完全に引き出すわけじゃない。
だが、力の方向性は限りなく近い」
機械魔獣が、低く駆動音を鳴らす。
確かに――似ている。
圧。
存在感。
あの魂縛石が放つ、独特の重さ。
「明日の謁見で、奇襲を仕掛ける」
クロノスは、作戦を続けた。
「ベルフェゴールは、あの場で慢心する。
そこを突く。
この機械獣を前面に出し、時間を稼ぐ」
「時間を……?」
「魂術を使うための時間だ」
視線が、こちらに向けられる。
「お前が、決めろ」
言葉が、重く落ちた。
サミエムが、何か言いかけて口を閉じる。
誰もが理解している。
明日は、祭りであり――決戦だ。
「……作戦はそれだけか」
「十分だろう」
クロノスは背を向ける。
「各自、備えろ。今夜はもう休め」
それだけ言って、歩き出す。
転移魔法の気配が、再び立ち上る。
「ちょ、ちょっと待て!」
サミエムの声も虚しく、視界が歪んだ。
――次の瞬間、宿屋の部屋に戻っていた。
何事もなかったかのような、静かな夜。
だが、空気は完全に変わっていた。
サミエムが、ぽつりと呟く。
「……明日、なんだな」
答えは、出さなかった。
窓の外、遠くで魔導灯が揺れている。
祭り前夜。
静寂の裏で、歯車は確実に噛み合い始めていた。




