【世界大戦編】選ばされる皇帝
敵の動きが変わった。
それを最初に感じたのは、俺ではなかった。
「サミエム、前に出るな!」
ヴァイスの声が飛ぶ。
踏み出しかけた足を止めた瞬間、目の前の路地から敵兵が現れた。さらに背後では、さっきまで俺たちを追っていた兵士たちが横へ回り込み、退路を塞ごうとしている。
挟み撃ち。
そう判断した俺は剣を構えたが、ヴァイスは攻撃に移らなかった。
「……誘ってやがる」
「誘ってる?」
「ああ。俺たちが前へ進めば、あいつらは後ろを塞ぐ。後ろへ下がれば、別の部隊が追い込んでくる。どっちへ動いても、敵の狙った場所に誘導されるってわけだ」
ヴァイスは周囲を見回した。
かつて俺たちが優位に立った広場も、屋根伝いに奇襲を仕掛けた建物も、今では敵の配置によって分断されている。
敵は俺たちを追い回しているのではない。
俺たちが選べる道を、少しずつ減らしているのだ。
「ヴェルディアの指示か……」
俺が呟くと、ヴァイスは短く頷いた。
「俺たちがどう動くかを読んでるだけじゃねえ。動ける場所そのものを減らして、選ぶ道を限定してやがる」
敵兵たちがじりじりと距離を詰める。
正面から突破することはできるかもしれない。だが、突破した先にも敵がいる可能性が高い。ここで無理をすれば、俺たちが孤立するだけでは済まない。
西門で戦っている仲間たちにも影響が及ぶ。
ヴェルディアは、俺たちが仲間を見捨てられないことまで計算に入れているのだろう。
「どうする、ヴァイス?」
「……一度、引く」
その言葉に、俺は思わず彼を見た。
ここまで俺たちは、少しずつ敵の陣形を崩してきた。西門では仲間たちが道を開き始めている。ここで退けば、その成果を手放すことになりかねない。
だが、ヴァイスは迷っていなかった。
「ここを維持する意味がねえ。こいつらは俺たちを倒すことより、俺たちをここに留めることを優先してる。だったら、付き合う必要はない」
「でも、西門は……」
「西門を取り戻すために戦ってるんだ。ここで意地を張るためじゃねえ」
ヴァイスが剣を掲げた。
「全員、路地から離れろ! 正面突破はするな! 敵を引きつける奴、先に下がる奴、それぞれ自分で判断しろ! ただし、孤立して死ぬのだけは避けろ!」
細かな指示はない。
誰がどこへ向かうのか、ヴァイス自身も決めていなかった。
それでも、仲間たちは動き始めた。
敵の武器を奪ってから後退する者がいる。敵を引きつけ、仲間が逃げる時間を稼ぐ者もいる。建物の中へ入り、別の出口から抜けようとする者もいた。
それぞれの判断は違う。
だが、全員が生き残り、西門を取り戻すために動いている。
「行くぞ、サミエム!」
「ああ!」
俺たちも後退を始めた。
追いすがる敵を振り払い、細い通路を抜ける。背後から刃が迫れば、ヴァイスがそれを受け流し、俺が反対側の敵を押し返す。
戦いながら退くのは、前へ進むより難しい。
敵に背を向ける時間が生まれるからだ。
それでも、俺たちは立ち止まらなかった。
やがて、敵兵たちの追撃が弱まった。
追い込むために配置されていた部隊が、別の方向へ動き始めたのだ。
俺は背後を振り返った。
「追ってこない……?」
「いや。追えなくなったんだろ」
ヴァイスは息を整えながら、敵兵たちの動きを見ていた。
「俺たちを追い込むために、あいつらは部隊を配置してた。だが、こっちが狙った場所から離れたせいで、その配置を維持する意味が薄れたんだ」
「つまり、俺たちが戦う場所を変えたから……?」
「そういうことだ」
ヴァイスは剣を鞘へ戻さず、周囲を警戒し続けた。
「敵が用意した道を歩く必要はねえ。道が駄目なら、別の道を探せばいい」
その言葉を聞きながら、俺はヴェルディアの戦い方について考えていた。
彼は自軍の兵士たちの位置を把握している。
そこから敵の狙いを推測し、配置を変え、こちらが動ける場所を限定する。
だが、その配置を変えるには、彼自身が判断しなければならない。
俺たちが想定した場所から離れれば、彼は自軍の配置を見直す必要がある。
つまり、ヴェルディアの予測を完全に外す必要はない。
彼に、判断を迫ればいい。
ただし、どうすればそれができるのか。
まだ、明確な答えはなかった。
◇
「敵が退いた?」
西門の近くで、ヴェルディアは部下からの報告を受けていた。
サミエムとヴァイスが戦場の一角から離れたことで、彼の兵士たちは予定していた配置を一部変更している。
敵がその場所を維持しようとするなら、包囲を狭めればよかった。
だが、敵は退いた。
しかも、無秩序に逃げたわけではない。
各々が別の道を選びながら、互いに孤立しないように動いていた。
ヴェルディアは、自軍の兵士たちの位置を確かめる。
西門へ向かう部隊。
広場を押さえる部隊。
路地を封鎖していた部隊。
それぞれの位置から、敵の狙いを推測していく。
サミエムたちは西門の奪還を諦めてはいない。
ならば、別の場所から回り込むか、守りの薄い地点を狙うはずだ。
そう考え、ヴェルディアは部隊の再配置を命じた。
「西門の守りを維持しろ。広場の部隊は一部を戻せ。路地の封鎖は必要な箇所だけ残せ」
兵士たちが動き始める。
その結果、西門へ向かう敵を阻むことはできる。
しかし、広場の守りは薄くなる。
逆に広場を維持するために兵士を残せば、西門へ向かう敵に突破の機会を与えることになる。
どちらも捨てられない。
だからこそ、ヴェルディアは配置を調整し、両方を守れる形を探していた。
「……」
彼は、自分の判断に間違いがないことを確かめるように、もう一度戦場を見た。
敵の狙いは西門だ。
それは変わらない。
ならば、最終的には西門を守ることを優先すべきだろう。
だが、サミエムとヴァイスが広場へ戻ってくれば、今度はそちらが危険になる。
ヴェルディアは短剣を握った。
「ならば、先に広場を潰す」
そう判断しかけたところで、別の報告が届いた。
西門へ向かっていた敵の一団が、進路を変えたという。
彼らは西門を直接狙わず、周囲の敵部隊を引きつけるように動いていた。
ヴェルディアの目が細くなる。
西門を奪還するための動きなのか。
それとも、広場の守りを薄くするための陽動なのか。
どちらにしても、放置すれば戦況が変わる可能性がある。
「西門の部隊は、その場を維持しろ。周囲の部隊を動かすな」
命令を受けた兵士たちが配置につく。
だが、それによって広場へ回せる兵力は減った。
ヴェルディアは、戦場の変化を読み違えたわけではなかった。
敵が何を狙っているのか、複数の可能性を考えている。
それでも、全ての可能性に同時に対応することはできない。
部隊を一方へ動かせば、別の場所が薄くなる。
その当たり前の事実が、今になって彼を苛立たせていた。
「……何を考えている」
彼の視線が、遠くの路地へ向く。
サミエムとヴァイスは、まだ姿を現していない。
敵の狙いが分からないのではない。
狙いが複数あるのだ。
しかも、その優先順位が定まっていない。
西門を奪還するために動いているはずなのに、彼らは時に西門から離れ、時に別の場所へ向かう。
それらの行動は、局所的に見れば遠回りにも見えた。
だが、結果として、ヴェルディアに部隊の配置を変更させている。
彼は戦場を読み、敵が選ぶ道を限定しようとしていた。
そのために必要なのは、敵が何を優先するのかを知ることだった。
西門なのか。
仲間の救出なのか。
それとも、自分たちの生存なのか。
ヴェルディアは、敵の行動から答えを導こうとした。
だが、敵は一つだけを選んでいるわけではなかった。
状況によって、何を優先するかを変えている。
西門へ向かうこともあれば、仲間を救うために進路を変えることもある。危険な場所から退くこともあれば、勝機があると判断すれば再び攻め込むこともある。
その判断は、兵士ごとに異なっていた。
それでも、彼らは西門を取り戻すという目的を捨てていない。
「……くだらない」
ヴェルディアは吐き捨てた。
そんな戦い方は不安定だ。
個々の判断に任せれば、必ず失敗する者が出る。
判断が食い違えば、互いの足を引っ張ることにもなる。
それでも、目の前の敵は戦い続けていた。
しかも、彼らの動きによって、戦場は少しずつ変わっている。
ヴェルディアは再び兵士たちの配置を確認した。
広場を守るか。
西門を守るか。
どちらも必要だ。
ならば、両方を維持できるように配置を変えるしかない。
彼は命令を下した。
「広場の部隊を二つに分けろ。一方は現在の位置を維持し、もう一方は西門へ向かえ」
兵士たちが動く。
その瞬間、西門へ向かっていた敵の一団が、再び進路を変えた。
ヴェルディアは目を見開いた。
敵は西門を攻めるために動いていたのではない。
自分に、どちらを守るか選ばせるために動いていたのか。
いや、正確には違う。
敵は自分が何を選ぶかを完全に把握していたわけではない。
それぞれの判断で動いた結果、彼に選択を迫る形になったのだ。
その違いが、ヴェルディアには理解しがたかった。
敵が明確な作戦に従っているなら、その作戦を読み切ればいい。
だが、目の前の敵は、誰か一人の考えだけで動いているわけではない。
ヴァイスが全てを決めているわけでも、サミエムが全員を導いているわけでもない。
個々の判断が重なり、戦況を変えている。
ヴェルディアは短剣を握り締めた。
「ならば、全てを制御するまでだ」
自分に言い聞かせるように呟く。
まだ、敗北したわけではない。
戦場の一部が変化しただけだ。
ここから配置を組み直し、敵の選択肢を減らせばいい。
それで全てが元に戻る。
そう考え、彼は次の命令を下そうとした。
だが、その前に、広場の向こうからサミエムとヴァイスが姿を現した。
「ようやく出てきたか」
ヴェルディアが短剣を構える。
サミエムも剣を構え、隣に立つヴァイスと目を合わせた。
西門の戦況は、まだ決着していない。
それでも、彼らは確かにヴェルディアへ選択を迫っていた。
広場を守るのか。
西門を守るのか。
目の前の二人を倒すのか。
全てを守ろうとすれば、どこかが薄くなる。
ヴェルディアは、その事実を否定するように前へ出た。
「お前たちに、俺の戦場を乱させはしない」
その声には、先ほどまでとは違う硬さがあった。
俺はそれを聞きながら、剣を握り直した。
まだ勝てるとは思っていない。
ただ、ヴェルディアにも選ばなければならない瞬間がある。
それが分かっただけでも、今までとは違う。
「行くぞ、ヴァイス」
「ああ。今度こそ、こいつに選ばせてやる」
俺たちは同時に踏み込んだ。
ヴェルディアが何を選ぶのか。
そして、その選択によって何が変わるのか。
それを確かめるために、俺たちは再び皇帝へと挑んだ。




