【世界大戦編】奪っても届かないもの
剣を交えた瞬間、俺は自分の判断が正しかったのか疑った。
ヴェルディアの剣は、俺の動きを先回りしていた。
右から斬り込めば、刃がそこにある。踏み込むと同時に間合いを詰めれば、退路を塞ぐように剣が振るわれる。フェイントを混ぜても、こちらが次に何を選ぶのか、すでに知っているかのようだった。
だが、未来が見えているわけじゃない。
ヴェルディアが把握しているのは、自軍の兵士たちの位置。その配置と動きから、俺たちの狙いを読み、必要な場所へ兵を動かしている。
さっきまでは、それだけで十分だった。
けれど今は、俺たちも動いている。
西門の一角ではヴァイスの兵が突破口を広げようとしていた。負傷した仲間を助けに戻る者がいれば、その動きに合わせて別の者が敵の側面へ回り込む。誰か一人の行動が、別の誰かの判断を変え、それがさらに別の動きを生んでいく。
全員が同じ命令に従っているわけではない。
それでも、目指すものは同じだった。
その動きを読み切れなかったヴェルディアは、西門の一角を取り戻すために兵を割かざるを得なかった。
戦況は、ようやく五分に近づいている。
だが、俺の目の前にいる男は、そんな状況でも一歩も退いていなかった。
「考え事か?」
ヴェルディアの剣が迫る。
俺は刃を受け流し、半歩だけ後退した。続けざまの斬撃を剣で弾き、懐へ踏み込む。狙うのは胴。力任せに叩き込むのではなく、相手の剣が戻るより早く刃を通す。
しかし、ヴェルディアは手首を返した。
俺の剣は軌道を逸らされ、逆に肩口へ刃が迫る。
身を捻って避けたものの、服が裂けた。
「っ……!」
「その程度か」
冷たい声。
ヴェルディアは追撃してこなかった。俺の反応を確かめるように、剣を構え直している。
その余裕が、今の俺たちとの実力差を示していた。
俺は奪われた力を取り戻していない。
それでも戦う。
ヘリオから教わった技術を、これまでの戦いで身につけた経験を、そして目の前の相手が何をしようとしているのかを見極める判断を使って。
力がなければ何もできない。
以前の俺なら、そう考えていたかもしれない。
だが、今は違う。
奪われたものがあるからといって、積み重ねてきたものまで消えたわけじゃない。
「その剣……」
ヴェルディアが、ふいに口を開いた。
「まだ使うのか」
「何の話だ?」
「お前が学んだ技術だ。力を失い、以前のようには戦えない。それでも、わざわざ同じ技術にこだわる理由があるのかと聞いている」
「こだわってるつもりはないけどな」
俺は剣を構え直した。
「教わったものが、今も役に立つ。それだけだ」
「……教わった?」
ヴェルディアの眉が、わずかに動いた。
ほんの一瞬だ。
だが、俺は見逃さなかった。
「ヘリオに教わったんだ。剣の振り方だけじゃない。どうすれば力を通せるのか、どうすれば少ない動きで相手の隙を突けるのか。俺はあいつから、いろんなことを学んだ」
「そうか」
ヴェルディアは短く答えた。
それから、剣を持つ手に力を込める。
「ならば、その教えがどこまで通用するのか試してやろう」
次の瞬間、ヴェルディアの姿が迫った。
先ほどまでとは違う。
無駄のない踏み込み。剣先の角度。こちらの防御を崩すための連撃。その一つひとつが、俺の知っている技術と重なっていた。
ヘリオの力。
俺が教わったものと同じ源流を持ちながら、ヴェルディアの剣は、より洗練されている。
俺が一つの技を形にするまでに何度も失敗した部分を、ヴェルディアは迷いなく実行していた。
技術だけを見れば、俺より上だ。
それも当然なのかもしれない。
俺はヘリオから教わった技術を、自分のものにするために時間をかけてきた。一方のヴェルディアは、その力を奪い、すでに使いこなしている。
俺とヴェルディアでは、出発点が違う。
だからこそ、正面から競い合って勝てるとは思わなかった。
俺は剣を受ける角度を変え、斬撃をわずかに逸らす。続く一撃を避け、相手の踏み込みに合わせて足を引いた。
反撃の機会は、ほんの一瞬。
そこへ剣を差し込む。
ヴェルディアは身を傾けてかわしたが、初めてその足が止まった。
俺は追わない。
追えば、次の一手で潰される。
今の俺に必要なのは、勝ち切ることじゃない。ヴァイスたちが西門を押し広げるまで、ヴェルディアをここに留めておくことだ。
それでも。
「……なぜだ」
ヴェルディアが呟いた。
「何がだ?」
「なぜ、まだ立っている」
問いかけというより、吐き捨てるような声だった。
俺は一瞬、返答に迷った。
「戦ってるからだろ」
「答えになっていない」
「じゃあ、何を答えればいいんだよ」
ヴェルディアの目が、鋭く細められる。
「力を奪われた。お前が頼みにしていたものは、すでに私の手の中にある。お前が積み上げてきたものを使っても、私には届かない。それを理解しているはずだ」
「ああ。わかってる」
「ならば、なぜ諦めない」
「諦めたら、そこで終わりだからだ」
答えながら、俺は自分でも単純なことを言っていると思った。
だが、他にどう言えばいいのだろう。
俺は勝てると確信しているわけじゃない。勝つ方法を見つけたわけでもない。今だって、一歩間違えれば斬られている。
それでも、戦う理由はある。
ヴァイスがいる。西門で戦っている仲間たちがいる。俺がここで時間を稼ぐ意味がある。
俺一人の力で勝てなくても、俺にできることがなくなるわけじゃない。
「俺の力を奪ったからって、俺が今までやってきたことまで、お前のものになったわけじゃないだろ」
ヴェルディアの表情が変わった。
怒りだったのか、それとも別の何かなのか。
俺にはわからない。
ただ、彼の剣が再び動いた。
今度は、明らかに俺を仕留めにきていた。
連撃が速くなる。防御を崩すための一撃が、間髪を入れずに重ねられる。俺は受け、避け、時には無理にでも踏み込んで、相手の狙いを外す。
勝てない。
それでも、崩れない。
崩れないために、これまで学んだものを使い続ける。
ヴェルディアが奪った力を、俺は自分の技術で受け止める。
そのたびに、彼の表情から余裕が消えていくように見えた。
いや、正確には、余裕がなくなったわけではない。
攻撃は正確だ。判断も早い。戦術的な優位を失ったわけでもない。
ただ、俺を倒すために必要な一撃を、以前よりも強く求めている。
まるで、俺が立ち続けていることそのものが、許せないかのように。
俺は剣を弾かれ、後方へ跳んだ。
着地と同時に膝が軋む。息も荒い。長くは持たない。
それでも、ヴェルディアの視線は俺から離れなかった。
「お前は……」
彼は言いかけて、口を閉ざした。
その手に握られた剣が、かすかに震えている。
怒りか。焦りか。
あるいは、その両方か。
俺には、まだ判断できなかった。
*
なぜ、立ち上がる。
ヴェルディアは、目の前の男を見つめていた。
力は奪った。
その力を扱う技術も、戦いを有利に進めるための手段も、自分の方が上だ。
現に、剣の技量ではサミエムを圧倒している。戦場全体を見ても、敵の動きに対応できていないわけではない。西門の一角を奪い返すために兵を動かし、崩れかけた陣形を立て直すこともできている。
戦術上、致命的な失敗はしていない。
それなのに。
サミエムは、まだ立っている。
力を奪われても、勝ち目が薄くても、自分が教わった技術を使い続けている。
その姿は、ヴェルディアの記憶にある男と重なった。
ヘリオ。
かつて自分が目をつけ、手に入れた力。
あの男もまた、力だけでは測れない何かを持っていた。
ヴェルディアは、それを理解できなかったわけではない。
理解したからこそ、奪ったのだ。
力さえ手に入れれば、自分も同じ場所へ届く。相手が持っているものを手に入れれば、自分も相手と同じになれる。
そう考えていた。
だが、今、目の前にいるサミエムはどうだ。
奪われたものを失ったまま、それでも戦っている。
ヘリオから受け取った技術を、ヘリオ本人のようには扱えなくても、自分のやり方で使い続けている。
ヴェルディアが奪ったものを、サミエムは失ってなお手放していない。
いや、違う。
奪ったものと、奪えないものがある。
その事実を、サミエムの姿が突きつけてくる。
「……くだらない」
ヴェルディアは吐き捨てた。
何がくだらないのか、自分でもはっきりとは言えなかった。
力を失った相手が意地を張っていることか。
自分の優位を理解しながら、それでも戦い続けることか。
それとも、そんな相手を見ている自分の心が、どうしようもなく乱されていることか。
わからない。
わからないからこそ、苛立つ。
サミエムを倒せば、この不快感も消えるはずだった。
彼が立ち上がらなくなれば、目の前から消えれば、自分が正しいと証明できるはずだった。
それなのに、剣を振るうほど、彼の姿が脳裏に焼きついていく。
力を奪われても、なお前へ進む。
自分が手に入れたものを、自分が持っているものを、恐れずに否定するかのように。
その姿が、ヘリオを思い出させる。
そして、ヘリオを思い出すたびに、サミエムへの苛立ちが増していく。
なぜ、お前は立っていられる。
なぜ、お前は失ったものに縛られない。
なぜ、お前は――。
「ヴェルディア様!」
遠くから兵の声が響いた。
西門の一角で、敵が再び動いたらしい。
ヴェルディアは視線をそちらへ向けた。兵の位置は把握している。配置を変えれば、敵の進行を止められる。今ならまだ、失った区画を取り戻すことも可能だ。
判断はできる。
命令も出せる。
戦場を支配するための力は、ここにある。
それなのに、意識の一部が目の前の男に引き戻される。
サミエムは、剣を構えたままこちらを見ていた。
勝利を確信している顔ではない。
余裕もない。
ただ、次に何が起きても戦うつもりでいる。
それだけの姿が、どうしようもなく目障りだった。
ヴェルディアは歯を食いしばった。
欲しかったものは、手に入れたはずだ。
ヘリオの力も。サミエムの力も。
それでも、満たされない。
奪えば奪うほど、目の前の相手が持っているものが、以前よりもはっきりと見えてくる。
自分が持っていないもの。
自分には届かないもの。
手に入れたはずなのに、手に入らないもの。
その渇きに、名前をつけることを、ヴェルディアは拒んだ。
「……西門を優先しろ。敵の突出を許すな」
兵に命令を飛ばす。
声は乱れていない。
判断も間違っていない。
それでも、彼はサミエムから目を離すことができなかった。
サミエムが再び踏み込む。
ヴェルディアは迎え撃つため、剣を構えた。
今度こそ、立ち上がれなくしてやる。
そう考えた自分の心に、彼はまだ気づいていなかった。
戦場を勝利へ導くための判断と、目の前の男を叩き潰したいという衝動。
その二つが、少しずつ、彼の中で別のものになり始めていることに。




