【世界大戦編】予測の先にあるもの
ヴェルディアが短剣を傾けた。
その動きに合わせるように、広場の向こうで敵兵たちが動き始める。
西門へ向かっていた一団が進路を変え、崩れた建物の陰にいた兵士たちが一斉に路地へ入った。さらに、広場の左右に散っていた部隊が距離を取り、サミエムたちを囲むように陣形を組み直していく。
指揮官が声を張り上げたわけではない。
合図らしい合図も見当たらなかった。
それでも、兵士たちは迷わず動いていた。
「……立て直したか」
ヴァイスが剣を構え直す。
西門の戦況を変えるために、彼の仲間たちは各々の判断で戦い始めていた。敵の武器を奪う者、正面からの衝突を避けて横合いから仕掛ける者、負傷した仲間を連れて退く者。
戦い方は違っても、目指す場所は同じだった。
西門を取り戻す。
そのために、敵の陣形を崩す。
単純な目標だからこそ、彼らは自分の判断で動ける。
だが、ヴェルディアはその動きを見逃さなかった。
「西門への集中をやめたな。次は広場の外周から回り込み、こちらの部隊を分断するつもりか」
ヴェルディアの視線が、彼自身の兵士たちへ向けられる。
「右側を下げろ。左側は路地を塞げ。広場の中央は空けておけ」
命令を受けた兵士たちが動く。
右側の部隊が後退し、左側の部隊が道を塞ぐ。中央には、あえて兵士の姿がなくなった。
そこへ、こちらの兵士が踏み込もうとしていた。
「待て! そっちは――」
ヴァイスが声を上げるより早く、敵の一部が横から襲いかかった。
踏み込んだ兵士はとっさに身をひねり、致命傷を避ける。だが、その間に別の敵兵が背後へ回り込んでいた。
仲間が助けに入る。
すると、今度は別の場所で敵が動いた。
一人を救えば、別の一人が危険になる。
誰かを見捨てれば、救えるはずの命が失われる。
その迷いを利用するように、敵の部隊は位置を変え続けた。
「くそっ……! あいつ、こっちが何をするか分かってやがる!」
ヴァイスの仲間が吐き捨てる。
違う。
ヴェルディアは、こちらの行動を直接見ているわけではない。
彼が知っているのは、自分の兵士たちの位置だ。
その位置が変われば、そこから敵が何を狙っているのかを読み取る。こちらがどこへ進もうとし、どこを守ろうとしているのか。敵の配置が変化した理由を考えれば、その先にある行動まで予測できる。
だから、ヴェルディアの命令はいつも一手早い。
こちらが動いてから対処するのではない。
こちらが動くことで生まれる状況を、先に作り出しているのだ。
「サミエム、右だ!」
ヴァイスの声に反応し、俺は身を投げ出した。
直後、頭上を刃が通り過ぎる。
受け止めようと剣を上げたが、相手の剣は途中で角度を変え、俺の腕を狙ってきた。
後ろへ退く。
その足元に、別の兵士が踏み込んでいた。
体勢を崩しながらも、俺は剣を振り抜く。敵兵の武器を弾き飛ばし、どうにか包囲から抜け出した。
しかし、追撃は止まらない。
息を整える暇さえ与えず、次の敵が迫ってくる。
俺は歯を食いしばった。
以前なら、ここで力を求めていた。
もっと強い力があれば、この状況を覆せる。相手を圧倒できる力さえあれば、誰かに頼らずとも勝利できる。
そう考えていた頃の自分が、頭の片隅にいる。
けれど、今は違う。
俺が持っていた力は、ヴェルディアに奪われた。
それでも、剣を握る手は残っている。
何度も戦い、失敗し、仲間に助けられながら覚えた戦い方も残っている。
そして、俺にはまだ隣に立つ仲間がいる。
「ヴァイス!」
「ああ、分かってる!」
俺たちは互いの目を見た。
細かな作戦を打ち合わせたわけではない。
それでも、ヴァイスが前へ出るのを見て、俺はその意図を理解した。
彼が敵の注意を引きつける。
その間に、俺が空いた場所を抜ける。
ただ、それだけだ。
俺はヴァイスの背中を追い、迫る敵を剣で押し返した。
ヴァイスは正面の敵を斬り伏せるのではなく、わざと相手の武器を受け流し、進路をずらしていく。敵兵の動きが乱れた瞬間、俺はその隙間を駆け抜けた。
背後から追撃が迫る。
振り返る余裕はない。
だが、ヴァイスが投げた短剣が敵の足元へ突き刺さった。敵兵が一瞬だけ動きを止める。
その一瞬で、俺は包囲を抜けた。
「助かった!」
「礼はあとだ! まだ終わってねえ!」
ヴァイスの言うとおりだった。
前方には、再配置された敵の部隊が待ち構えている。
俺たちが一つの包囲を抜けたことも、ヴェルディアにとっては予測の範囲内なのだろう。
彼は動じていなかった。
「二人で連携すれば突破できると思ったか」
短剣を手の中で回しながら、ヴェルディアが告げる。
「お前たちは、互いの行動を理解している。だからこそ、片方が動けばもう片方も動く。ならば、その関係を利用すればいい」
ヴェルディアが手を上げた。
敵兵たちが一斉に前へ出る。
今度は俺を狙う者と、ヴァイスを狙う者が明確に分かれていた。
俺たちが助け合おうとすれば、どちらかの動きが止まる。
動かなければ、仲間が危険にさらされる。
ヴェルディアは、俺たちの繋がりそのものを戦術に組み込んでいた。
「どうした? さっきまでの勢いはどこへ行った」
ヴェルディアの声には、わずかな苛立ちが混じっていた。
「お前たちは、違うままで一つになれると言ったな。だが、違う者同士が集まれば、必ず判断が食い違う。守りたいものが異なれば、選択も異なる。ならば、どこかで必ず綻びが生まれる」
言葉と同時に、ヴェルディアが動いた。
その手には、ヘリオから奪った能力が宿っている。
俺が知っている力。
ヘリオが使い、俺に教えてくれた力。
けれど、今のヴェルディアは、それを俺よりも巧みに扱っていた。
能力の性質を理解しているだけではない。
戦場の状況に合わせて、最も効果的な形で使ってくる。
俺が防御に回れば、その守りを崩すように。
俺が攻撃へ転じれば、その動きを利用するように。
何度も戦い、身体に染み込ませてきたはずの技術が、俺の知らない精度で目の前に現れる。
「くっ……!」
攻撃を受け流しきれず、俺は後退した。
ヴェルディアは追撃の手を緩めない。
俺の動きを読み、剣を振るう先を塞ぎ、逃げ道を削ってくる。
そこへ、ヴァイスが割って入った。
ヴェルディアの攻撃を剣で受け止める。
衝撃にヴァイスの足が地面を滑った。
「こいつ……!」
「力を奪われたお前が、なぜまだ戦える?」
ヴェルディアは俺を見ていた。
「お前の力は、すでに俺のものだ。お前が使っていた能力も、積み上げてきた技術も、今となっては俺の方が上手く扱える。それなのに、なぜ諦めない?」
答えられなかった。
いや、違う。
答えがないのではない。
まだ、言葉にできるほど整理できていないのだ。
俺は、力を奪われた瞬間、自分の中にあるものまで失ったように感じていた。
力を使って戦った時間。
仲間と共に乗り越えた困難。
失敗し、迷い、それでも前へ進んだ経験。
そうしたものは、能力と一緒に消えてしまったのではないか。
心のどこかで、そう思っていた。
けれど、今は違う。
ヴェルディアが俺の力を使うたび、俺は思い知らされている。
同じ能力でも、使う者が違えば戦い方は変わる。
そして、同じ力を使えたとしても、同じ時間を歩んだことにはならない。
ヘリオから能力を奪ったヴェルディアと、ヘリオから教わった俺。
能力は同じでも、そこに至る道は違う。
俺がヘリオと過ごした時間まで、ヴェルディアが奪えるわけではない。
「……まだ、分からないことだらけだ」
俺は剣を構え直した。
「だけど、だからって戦うのをやめる理由にはならない」
「何?」
「俺は、今でも迷う。どう戦えばいいのか分からなくなることもある。お前の方が強いって、認めざるを得ない時だってある」
ヴェルディアの眉が動く。
「それでも、俺は俺にできることを探す。誰かに教わったことも、誰かと一緒に戦った経験も、俺の中に残っているからだ」
言い終えると、胸の奥にあった迷いが少しだけ形を変えた。
消えたわけではない。
今すぐヴェルディアを倒せる答えが見つかったわけでもない。
それでも、俺は自分が何を信じて立っているのかを、少しだけ理解できた気がした。
「綺麗事だな」
ヴェルディアが吐き捨てる。
「経験が残っている? 仲間との時間が残っている? そんなものが、俺の力を上回るとでも言うのか」
「上回るかどうかは、これから確かめる」
俺が答えると、ヴァイスが隣で笑った。
「そういうことだ。勝手に結論を出すなよ、皇帝様」
ヴェルディアの表情が険しくなる。
そのとき、遠くから複数の足音が響いた。
西門の方角だ。
ヴェルディアが視線をそちらへ向ける。
彼の兵士たちが、わずかに配置を変えた。
その動きから、ヴェルディアは何かを読み取ったのだろう。彼の顔から苛立ちが消え、再び冷静な表情へと戻っていく。
「……なるほど。あちらで仕掛けたか」
俺には、何が起きているのか分からない。
だが、ヴァイスは口元を吊り上げた。
「やっと動いたか。あいつら、思ったより早いな」
「何をした?」
「仲間を信じて待ってたんだよ。あいつらが、あいつらなりのやり方で動くのをな」
ヴァイスは剣を握り直した。
「俺が細かく指示を出したところで、あいつらの力は引き出せねえ。だから、何をするかは任せた。西門を取り戻す。その目的だけは忘れるなってな」
ヴェルディアの兵士たちが、再び動き始める。
西門へ向かう部隊を押し戻すためか。
それとも、こちらの動きに合わせて別の罠を仕掛けるためか。
ヴェルディアは自軍の位置を把握している。
配置が変われば、その理由を考え、敵の狙いを推測できる。
だが、仲間たちがどんな判断で動いたのか。その選択にどんな思いがあったのかまでは、配置だけでは分からない。
それでも、彼は読み切ろうとするだろう。
読み切れなければ、読み切れるまで戦場を動かす。
そうして、全てを自分の思いどおりにしようとする。
俺は、ヴェルディアの顔を見た。
「お前は……どうして、そこまで他人の力を欲しがるんだ?」
今度は、俺から問いかけた。
ヴェルディアの目が細くなる。
「何の話だ」
「ヘリオの力も、俺の力も、お前は奪った。強くなるためなら、他人が積み上げてきたものを奪うことに迷いがない」
「強くなるために必要だからだ」
「本当に、それだけか?」
ヴェルディアは答えなかった。
短剣を握る手に、わずかに力がこもる。
俺には、彼の過去も、何を失ってきたのかも分からない。
だから、簡単に理解したつもりにはなれなかった。
ただ、一つだけ気づいたことがある。
俺たちは、互いの力を奪い合わなくても、同じ場所に立つことができる。
ヴァイスが俺の力を奪う必要はない。
俺がヴァイスの力を奪う必要もない。
俺たちは違うまま、同じ目的に向かって戦っている。
それが、ヴェルディアには理解できないのかもしれない。
「……黙れ」
ヴェルディアの声が低くなった。
「お前に、俺の何が分かる」
彼が短剣を構える。
その目には、先ほどまでの余裕はなかった。
怒りだけではない。
俺の言葉を否定しようとしながら、何かを確かめるような色が混じっていた。
「なら、見せてみろ」
ヴェルディアが踏み込む。
「その力を奪われても残るものとやらが、どこまで役に立つのか!」
俺は剣を握り、ヴァイスと共に前へ出た。
まだ、答えは見つかっていない。
西門も取り戻せていない。
ヴェルディアの力は、依然として俺たちを圧倒している。
それでも、俺はもう、失った力だけを見てはいなかった。
今の俺に何ができるのか。
隣に立つ仲間と、何を成し遂げられるのか。
それを確かめるために、俺は再び皇帝へと剣を向けた。




