【世界大戦編】一つの目的
敵の身体が、命令に反応している。
それが分かっただけで、戦場の見え方が変わった。
サミエムは西門近くの建物の陰から、敵軍を見つめていた。
敵は進んでいる。
だが、その一人一人が自分の意思で進んでいるようには見えない。
短い音が鳴れば止まり。
別の音が鳴れば進む。
時には身体の一部だけが先に動き、その後から本人の意思が追いついているように見える。
「……気味が悪いな」
隣でヴァイスが呟いた。
「身体が、自分のものじゃないみたいだ」
「俺には、まだ理解できない」
サミエムは拳を握る。
「どうやってそんなことを……」
「分からないからこそ、利用する」
ヴァイスが敵軍から目を離さない。
「少なくとも、合図と動きには関係がある」
「なら、合図を読めばいい?」
「ああ」
ヴァイスは即座に頷いた。
「身体を操っているなら、操るためのきっかけがあるはずだ」
その判断は正しかった。
少なくとも。
最初は。
敵軍の前列が進んでくる。
――ピィ。
敵兵が止まった。
「今だ!」
ヴァイスの声と同時に、屋根から矢が降り注ぐ。
敵の前列が崩れる。
続けて、路地の奥から盗賊たちが飛び出した。
「押せ!」
敵が後退する。
「まだだ!」
傭兵たちが左右から挟み込む。
敵軍の動きが乱れた。
明らかにこちらが優勢だった。
「読める!」
誰かが叫んだ。
「敵の合図さえ分かれば、こっちが先に動ける!」
その声に、周囲の兵士たちが勢いづく。
西門を奪われて以来。
初めて、敵の動きをこちらが上回った。
だが。
――ピィ、ピィ。
音が二度響いた。
「来るぞ!」
サミエムが構える。
敵兵が一斉に前へ出た。
……いや。
違う。
前へ出たのは一部だけだった。
別の部隊は横へ走る。
さらに別の部隊は後ろへ下がる。
「何だ?」
サミエムが目を見開く。
敵はバラバラに動いている。
それなのに。
全員の動きが止まる瞬間だけは同じだった。
「ヴァイス!」
「分かってる!」
ヴァイスが叫ぶ。
「左右を警戒しろ!」
だが遅かった。
横へ走った敵兵が建物の裏へ回り込む。
後退した敵兵は別の通路へ入り。
前進した敵兵は、こちらの正面を引き受ける。
三つの動き。
三つの目的。
しかし、それらは一つの戦場で噛み合っていた。
「……単純な命令じゃない」
ヴァイスが呟く。
「え?」
「前進しろ、止まれ、攻撃しろ……そういう単純なものじゃない」
ヴァイスの目が鋭くなる。
「もっと細かい反応を、身体に与えている」
サミエムは敵兵を見る。
その一人が剣を振った。
別の一人は盾を構えた。
さらに別の一人は路地へ走った。
同じ軍隊なのに。
やっていることは違う。
それでも。
全員が同じ瞬間に動き出している。
「なら……」
サミエムが前へ出た。
「合図を聞いた瞬間を狙えばいい!」
敵が動く。
サミエムも動いた。
剣を振る。
敵兵の腕を弾き、続けて踏み込む。
その瞬間。
敵兵の身体が僅かに沈んだ。
サミエムの剣が空を切る。
「なっ……!」
敵兵は避けたのではない。
身体が勝手に避けた。
そう見えた。
そして。
その背後から別の兵士が現れる。
サミエムは咄嗟に身を捻った。
刃が頬を掠める。
「くっ!」
後退する。
敵は追ってこない。
別の方向へ走っていく。
「何なんだ……こいつら」
サミエムが息を整える。
ヴァイスも黙っていた。
そして。
遠くから声が聞こえる。
「隊長!」
誰かが叫んだ。
「こっちを守れ!」
「無理だ! 俺は東側へ行く!」
「なら俺が行く!」
味方の兵士たちが、それぞれ違う方向へ走っていく。
サミエムはその背中を見た。
誰も間違っていない。
誰も逃げているわけではない。
それぞれが、自分にとって最善だと思う場所へ向かっている。
それは、この街の兵士たちの強さだった。
盗賊は盗賊として。
傭兵は傭兵として。
剣士は剣士として。
誰かに戦い方を決められない。
だからこそ。
これまでの戦いで敵を押し返せた。
だが。
「……ヴァイス」
「何だ」
「俺たちは、バラバラすぎるんじゃないか?」
ヴァイスは答えなかった。
敵軍は一つの身体のように動く。
こちらは、それぞれが自分の身体を動かしている。
個人としてなら。
こちらの方が強い。
だが。
戦場全体で見れば。
違う。
敵は同じ瞬間に同じ方向へ動ける。
こちらは違う。
誰かが敵を追えば、別の誰かが別の敵を追う。
誰かが守りに入れば、別の誰かが攻撃へ出る。
全員が自分の判断で動いているからこそ。
一つの戦いを、最後まで同じ方向へ進められない。
ヴァイスが拳を握った。
「……そういうことか」
「何?」
「俺たちは、個性を武器にした」
ヴァイスが街を見る。
「それは間違っていない」
そして。
「だが、個性だけでは軍隊にならない」
サミエムは黙った。
「敵は全員同じだ」
ヴァイスが続ける。
「だから、同じ方向へ動ける」
「でも、それじゃ……」
「ああ」
ヴァイスが頷く。
「俺たちが同じになる必要はない」
サミエムが顔を上げる。
「じゃあ、どうする?」
「一つだけ決める」
ヴァイスが振り返った。
その声は、街全体に届くほど大きかった。
「戦い方は変えるな!」
兵士たちが振り返る。
「盗賊は盗賊のやり方で戦え!」
屋根の上にいた盗賊が顔を上げる。
「傭兵は傭兵のやり方で戦え!」
路地の兵士たちが立ち止まる。
「剣士は剣士のやり方で戦え!」
誰もがヴァイスを見る。
「自分が一番生き残れると思う方法で戦え!」
以前と同じ言葉だった。
だが。
「ただし!」
ヴァイスが剣を西門へ向ける。
「目的だけは、一つだ!」
全員の視線が西門へ集まった。
「――西門を奪い返す!」
その言葉が、街に響いた。
「それ以外は好きにしろ!」
盗賊の一人が笑った。
「だったら俺は、裏から行く!」
「俺たちは正面だ!」
「俺は屋根を使う!」
「なら俺たちは敵を引きつける!」
一斉に兵士たちが動き始める。
だが。
今までとは違った。
誰も同じ動きをしていない。
誰も同じ方法で戦っていない。
それでも。
向かう先だけは同じだった。
「……なるほど」
サミエムが呟く。
「これなら、俺たちは俺たちのままで戦える」
「そういうことだ」
ヴァイスが笑った。
「同じになる必要なんてない」
盗賊が屋根から飛び降りる。
敵兵の武器を奪い、別の場所へ投げ捨てる。
傭兵たちは正面から敵を引きつけながら、危険を感じれば即座に別の路地へ移動する。
剣士たちは正面突破。
弓兵は建物の上。
それぞれが、自分の得意な戦い方を選ぶ。
そして。
全員が西門へ向かっていく。
敵軍が対応しようとする。
――ピィ。
敵兵が一斉に動いた。
だが。
その瞬間。
盗賊が別方向へ走る。
傭兵が敵を引きずり込む。
剣士が正面を突破する。
弓兵が屋根から援護する。
敵が一つの動きで対応しようとしても。
こちらには、決められた一つの動きがない。
「どうだ!」
サミエムが敵兵を弾き飛ばす。
「これが俺たちの戦い方だ!」
敵が押される。
西門までの道が開く。
ヴァイスが先頭へ出る。
「行くぞ!」
その瞬間だった。
――ピィ。
敵軍が。
止まった。
全員が。
完全に。
同時に。
止まった。
「……?」
サミエムの足が止まる。
おかしい。
ここまで追い詰められているのに。
なぜ止まる?
ヴァイスも剣を下ろさない。
「警戒しろ」
静かに言った。
敵兵たちが、ゆっくりと顔を上げる。
そして。
全員が。
同じ方向を見た。
西門ではない。
サミエムでもない。
ヴァイスでもない。
街のさらに奥。
誰もいないはずの場所。
「……何を見ている?」
サミエムが呟く。
答える者はいない。
敵兵たちは、そこに誰かがいるかのように視線を固定している。
そして。
――ピィ。
短い音。
敵軍が一斉に動き始めた。
今度は。
西門を守るためではない。
こちらの兵士たちが次に向かう場所へ。
まるで。
最初から。
こちらの行動を知っていたかのように。
「……待て」
ヴァイスの表情が変わった。
「俺たちの動きを……」
サミエムも気づく。
敵は。
こちらの目的に合わせて動いたわけではない。
こちらが次に何をするのかを。
知っている。
「ヴァイス」
「ああ」
ヴァイスが剣を握り直す。
「身体を操っているだけじゃない」
その目が、敵軍の向こう側を睨む。
「誰かが……俺たちを見ている」
だが。
そこには誰もいなかった。




