【世界大戦編】命令
捕虜は、何も知らなかった。
「もう一度聞く」
ヴァイスは目の前に座らせた兵士を睨んだ。
「お前たちの指揮官は誰だ?」
「……分かりません」
「西門を守れと命令したのは?」
「分かりません」
「では、どうして西門を守った?」
兵士は俯いた。
「……そこを守るからです」
「誰が決めた?」
「分かりません」
同じだった。
何人に聞いても。
誰に聞いても。
答えは変わらない。
司令官を知らない。
命令を出した人物も知らない。
それでも敵軍は、確実に動いていた。
サミエムは部屋の隅から捕虜を見つめていた。
その兵士は疲れ切っているように見えた。
武器は取り上げられ、傷も治療されている。
もう戦う必要などない。
「……なあ」
サミエムが口を開く。
「本当に、誰からも命令されていないのか?」
「はい」
「だったら、戦う必要もないだろ」
兵士はサミエムを見る。
「……はい?」
「もう負けそうなんだ。逃げればいい」
兵士は首を傾げた。
「どうしてですか?」
「どうしてって……」
「みんな、戦っています」
また、その言葉だった。
「みんなが戦っているから、お前も戦うのか?」
「はい」
「誰かに命令されたわけじゃなく?」
「はい」
「だったら、誰かに命令されなかったら逃げるのか?」
「……分かりません」
兵士は本当に分からないという顔をした。
その時だった。
兵士の右手が、僅かに動いた。
本人も気づいていないほど小さな動きだった。
指先が一度だけ曲がる。
そして、止まる。
「……?」
サミエムが目を細める。
「今、何をした?」
「え?」
「右手だ」
兵士は自分の手を見る。
「……何も」
「動いただろ」
「動いてません」
兵士はそう答えた。
だが、その直後。
今度は左肩が小さく跳ねた。
「……っ」
兵士自身が驚いたように肩を押さえる。
「どうした?」
「いえ……」
兵士は困惑していた。
「今、勝手に……」
「勝手に?」
「……なんでもありません」
ヴァイスが兵士をじっと見る。
何かがおかしい。
だが、その正体までは分からない。
その瞬間だった。
「――命令」
兵士が呟いた。
「え?」
サミエムが顔を上げる。
兵士の背筋が伸びた。
まるで糸で引っ張られたように。
「おい」
ヴァイスが立ち上がる。
「座れ」
兵士は答えない。
首だけが、ゆっくりと動いた。
自分の意思で動かしているようには見えなかった。
ヴァイスを見る。
次にサミエムを見る。
そして――
身体が立ち上がった。
「待て!」
サミエムが踏み込む。
兵士の足が前へ出る。
その動きには迷いがなかった。
だが、兵士の顔には明らかな困惑が浮かんでいた。
「ち、違う……」
「何?」
「俺は……」
兵士の右手が震える。
止めようと左手で押さえる。
しかし。
指が勝手に開いた。
握る。
開く。
握る。
まるで身体だけが別の命令を受け取っているかのように。
「俺は……何を……」
兵士の呼吸が急激に変わった。
浅く。
速く。
そして次の瞬間。
兵士の全身が、突然こちらへ向かって動いた。
「何だ!?」
ヴァイスが剣を抜く。
「止まれ!」
兵士は止まらない。
「違う……!」
その声だけが、本人の意思を示していた。
「俺は……こんな――」
身体が前へ踏み込む。
その瞬間。
兵士の身体から、尋常ではない魔力が膨れ上がった。
「全員、伏せろ!」
ヴァイスの叫び。
サミエムが反射的に身を伏せる。
直後。
轟音が部屋を呑み込んだ。
壁が吹き飛ぶ。
床が跳ね上がる。
視界が白く染まり、身体が宙へ投げ出された。
「ぐああああっ!」
背中から床へ叩きつけられる。
息ができない。
耳鳴りがする。
何が起きたのか理解できない。
「サミエム!」
遠くでヴァイスの声が聞こえた。
「……ヴァ、イス……?」
顔を上げる。
部屋の半分が崩れていた。
壁には大きな亀裂が走り、瓦礫が散乱している。
サミエムは立ち上がろうとした。
だが、身体に力が入らない。
「くっ……!」
腕を見る。
傷から血が流れている。
視界が揺れる。
ヴァイスもまた、瓦礫の中で膝をついていた。
「……生きてるか」
「なんとか……」
返事をしただけで胸が痛んだ。
サミエムは、さっきまで捕虜がいた場所を見る。
そこには、もう何もなかった。
「……今のは」
「自爆だ」
ヴァイスが答える。
だが、二人とも同じことを考えていた。
最後の兵士の顔。
あれは、自分から死を選んだ人間の顔ではなかった。
むしろ。
身体だけが先に動き、本人の意思が置き去りにされていた。
「……ヴァイス」
「分かってる」
「さっき……」
サミエムは自分の腕を見る。
「身体が、勝手に動いてた」
ヴァイスは答えなかった。
あの兵士の動きを思い出す。
指。
肩。
首。
足。
そして最後の突撃。
命令を聞いていたというより――
「……身体に命令が入っていた?」
ヴァイスが呟いた。
サミエムが顔を上げる。
「どういう意味だ?」
「分からない」
ヴァイスは瓦礫の向こうを見る。
「だが、あの兵士は命令を理解してから動いたようには見えなかった」
「……」
「動いた後で、自分が何をしているのか理解していた」
それは、普通の命令とは違う。
少なくとも、ヴァイスにはそう思えた。
だが。
その答えに辿り着くには、まだ情報が足りなかった。
「誰が命令してるんだ……」
サミエムが呟く。
答える者はいない。
その時。
遠くから、短い音が響いた。
戦場のどこかで鳴った、ほんの小さな合図。
ヴァイスとサミエムは同時に顔を上げた。
崩れた壁の向こう。
一人の敵兵が立ち止まった。
その兵士の肩が、ぴくりと動いた。
次に、右手が上がる。
本人が驚いたように、自分の手を見た。
だが、もう遅い。
足が前へ出た。
周囲の兵士たちも同じだった。
一人。
二人。
十人。
百人。
まるで同じ信号を受け取ったかのように、敵軍が一斉に動き始める。
「……嘘だろ」
サミエムが息を呑む。
指揮官の姿はない。
号令もない。
それでも軍隊は動く。
そしてその兵士たちの身体には――
意思より先に、命令へ反応する動きが現れていた。
西門から。
街の奥へ。
敵軍が再び進軍を始める。
ヴァイスは剣を握り直した。
「……来るぞ」
戦場は、再び動き始めた。
誰が命令しているのか。
まだ、誰にも分からない。
ただ一つ。
その命令は、兵士たちの耳に届いているのではない。
もっと別の場所へ――
身体そのものへ届いているように見えた。




