【世界大戦編】宣戦布告
ラクスウェル城。
西から戻った俺達が城へ辿り着いてから、まだそれほど時間は経っていなかった。
ヴァイスを仲間に加えることができた。
西の有力者を味方につける。
それが今回の旅の目的だった。
そして、俺達はそれを成し遂げた。
――そう思っていた。
城内には、いつもと変わらない空気が流れている。
兵士が行き交い、使用人が走り、冒険者たちが言葉を交わしている。
戦争が近づいている。
そんな不穏な状況にありながらも、ここだけを見れば普段と何も変わらない。
俺は廊下を歩きながら、ふと足を止めた。
窓の外を見る。
空は青い。
雲がゆっくりと流れている。
平和な景色だった。
――これが、最後になるかもしれない。
そんな考えが頭をよぎった。
「……何を考えている?」
隣を歩いていた灰崎が声を掛けてくる。
「いや……」
俺は首を横に振った。
「少し、静かだと思ってな」
「静か?」
「ああ」
俺は窓の外を見ながら答える。
「世界大戦が起きるっていうのに、何も起きてないみたいだ」
灰崎は少しだけ黙った。
「……確かにな」
その時だった。
城内に、鐘の音が響いた。
――ゴォン。
一度。
続けて二度。
三度。
普段の鐘とは違う。
緊急時に鳴らされる鐘だ。
城の中にいた人間たちが、一斉に足を止める。
「何だ?」
「緊急鐘……?」
「何かあったのか?」
ざわめきが広がる。
俺も灰崎も、すぐに顔を見合わせた。
「行くぞ」
「ああ」
俺達は鐘の鳴った方へ走った。
辿り着いたのは、城の広間だった。
そこには既にマモンがいた。
その表情は、いつもの余裕を残している。
だが――。
周囲に集まっている兵士たちの顔には、明らかな緊張が浮かんでいた。
「マモン」
俺が声を掛ける。
マモンは俺達を見ると、静かに口を開いた。
「……来たか」
「何があった?」
マモンは答えなかった。
代わりに、広間の奥へ視線を向ける。
そこには一人の伝令がいた。
息を切らし、肩で呼吸をしている。
相当な距離を走ってきたのだろう。
「報告を」
マモンが短く言う。
「はっ!」
伝令は姿勢を正した。
だが、その声は震えていた。
「帝王の一人が――」
一瞬、言葉を詰まらせる。
「全世界に向けて、宣戦を布告しました!」
空気が凍った。
誰も言葉を発しない。
俺は握っていた手を、ゆっくりと開いた。
世界大戦。
それは、いつか起きるものだと思っていた。
帝王たちは互いに敵対しながらも、長い間、一定の均衡を保ってきた。
その均衡が崩れれば、世界そのものが戦場になる。
だからこそマモンは、戦争に備えて俺達を動かした。
東へ灰崎。
西へ俺。
怠惰帝アルヴ・レガリアと四天王が加わったとはいえ、それだけでは足りない。
帝王同士の戦い。
それがどれほど苛烈なものになるのか。
俺には、まだ想像することすらできなかった。
けれど。
今、その時が来た。
「……始まったな」
マモンが呟いた。
その声は、不思議なほど静かだった。
「待て」
灰崎が口を開く。
「どういうことだ? 誰が、なぜ……」
「順番に話そう」
マモンは広間にいる全員を見渡した。
「今回の戦争は、突然起きたものではない」
誰も口を挟まない。
「始まりは、私の目的だ」
マモンは自分自身の目的を隠そうとしなかった。
「私は世界の全てが欲しい」
その言葉に、俺は目を細めた。
初めて聞いたわけではない。
マモンが何を望んでいるのか。
その野望がどれほど大きいものなのか。
俺は知っている。
「だが、世界には帝王がいる」
マモンは続ける。
「それぞれが領地を持ち、互いを牽制している。帝王同士の均衡がある限り、私が世界全てを手に入れることはできない」
だからこそ。
マモンは動いた。
俺と出会った。
そして、俺達の力を利用した。
「灰崎零」
マモンが灰崎を見る。
「お前が転生者であることを知った時、私は一つの可能性を見た」
灰崎は黙っている。
「帝王を倒せる人間だ」
その言葉が広間に落ちる。
俺は拳を握った。
俺自身も、その旅の中で何度も思い知らされた。
帝王という存在は、普通の人間とは違う。
その圧倒的な力を前にすれば、ただ強いだけでは届かない。
それでも。
灰崎は届いた。
俺達も戦った。
そして――。
暴食帝は倒された。
「暴食帝が消えたことで、帝王たちの結束は揺らいだ」
マモンは淡々と語る。
「だが、条約そのものが消えたわけではない」
そこが重要だった。
暴食帝がいなくなった。
帝王たちの関係も変わった。
それでも、世界を支えていた取り決めは残っている。
だからこそ――。
次の一手が問題になった。
「私は、嫉妬帝を殺そうとした」
広間がざわつく。
俺はマモンを見る。
「……暗殺か」
「ああ」
マモンは否定しなかった。
「だが、失敗した」
嫉妬帝ヴェルディア。
俺達が西へ向かった理由の一つでもある帝王。
マモンにとっての天敵。
その命を奪うことができなかった。
「そして条約には、帝王同士が禁じられている行為に対する取り決めがある」
マモンは一度、目を伏せる。
「条約を破った者を、そのまま見逃すことはできない」
誰かが小さく息を呑んだ。
つまり。
マモンが、世界の均衡を壊そうとした。
暴食帝が倒れた。
その後、嫉妬帝の暗殺まで企てた。
そして、それが失敗した。
ならば。
残った帝王たちが動く理由は、もう十分にあった。
「私を討つ」
マモンが言った。
「それが、今回の戦争だ」
広間に沈黙が落ちる。
俺はその言葉を聞きながら、剣に手を添えた。
怖い。
正直に言えば、怖かった。
西でヴァイスと戦った時とは違う。
あれは、目の前にいる一人の強敵との戦いだった。
だが今回は違う。
帝王が動く。
その背後に軍がいる。
そして、その戦場は一つではない。
世界そのものが戦場になる。
「では、どうする?」
灰崎が尋ねる。
マモンはすぐに答えた。
「戦う」
迷いのない声だった。
「このまま私が討たれるつもりはない」
マモンは広間の全員を見る。
「ならば、こちらも戦力を分ける」
その言葉に、俺は顔を上げた。
「まず、嫉妬帝ヴェルディア」
マモンの視線が俺へ向く。
「サミエム」
「……俺か」
「ああ」
そして、続ける。
「もう一人は――ヴァイスだ」
俺の脳裏に、西の城塞都市が浮かんだ。
あの男。
最初は敵だった。
何度も刃を交えた。
最後の再戦では、俺が敗れた。
だからこそ。
あいつは今、あの場所にいる。
城主として。
「西の城塞都市を守りながら、嫉妬帝を迎え撃て」
「分かった」
俺は頷いた。
「次に、憤怒帝」
マモンは灰崎を見る。
「灰崎零」
「了解」
そして、その隣にいるヴィオラへ視線を移した。
「ヴィオラ」
「はい」
「お前も灰崎と共に行け」
「承知しました」
最後に。
マモンは自分自身を指す。
「そして慈愛帝は――私が相手をする」
その瞬間。
世界の各地で、同時に戦いが始まったのだと実感した。
帝王同士がぶつかる。
その余波は、俺達が想像するより遥かに大きいだろう。
けれど。
俺は西へ行く。
ヴァイスがいる。
あの城塞都市がある。
そこには、俺達が出会った荒くれ者たちもいる。
かつてなら。
俺はただ任務として戦っていた。
合理的に考えれば、何を守るべきか。
何を切り捨てるべきか。
それだけを考えていた。
けれど、今は違う。
俺は剣を握った。
力だけではない。
迷いながらでも。
誰かを頼りながらでも。
俺は戦う。
「サミエム」
灰崎が呼ぶ。
「ああ」
「死ぬなよ」
「お前もな」
短い言葉を交わす。
それで十分だった。
俺達は、それぞれの戦場へ向かう。
東へ。
西へ。
そして、別の戦場へ。
やがて世界は、戦火に包まれる。
俺は最後に、窓の外を見た。
青かった空が、いつの間にか暗くなっている。
――戦争が始まる。
もう、準備ではない。
帝王たちが互いの命を懸けて戦う。
本当の戦争だ。
俺は西を見た。
そこには、ヴァイスがいる。
そして。
俺達を待つ城塞都市がある。
「……行こう」
俺は剣を握り直した。
世界大戦。
その最初の戦場は――。
西の城塞都市になる。




