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【暴食領平定編 西】 「迷いの剣」

 剣が迫る。


 俺は咄嗟に身を捻った。


 頬を掠める。


 そのまま地面を転がり、距離を取った。


「……っ!」


 息が苦しい。


 霊帝の抱擁は、もう使っていない。


 身体が重い。


 思考も以前ほど速くない。


 何より――迷う。


 次にどう動くべきなのか。


 右か。


 左か。


 攻めるか。


 守るか。


 以前なら、そんなことは考えなかった。


 最も効率のいい行動を選べばよかった。


 だが今は違う。


「どうした?」


 ヴァイスが歩いてくる。


「もう終わりか?」


「……まだです。」


 剣を握り直す。


 踏み込む。


 斬る。


 ヴァイスは軽く受け流した。


 返す一撃。


 俺は受ける。


 重い。


 腕が痺れる。


 続けて二撃、三撃。


 防ぐ。


 避ける。


 だが、追いつかない。


「ぐっ……!」


 腹に蹴りが入った。


 吹き飛ばされる。


 地面を転がる。


 立ち上がる。


 また来る。


 剣を振る。


 弾かれる。


 肩を打たれる。


 膝をつく。


 それでも立つ。


「……!」


 何度やっても勝てない。


 霊帝の抱擁を使えば。


 そう思う。


 使えば、もっと強くなれる。


 判断も速くなる。


 迷いも消える。


 ――だが。


 俺は剣を握った。


 使わない。


 何故なら、俺はもう知っている。


 あの力では、理解できないものがある。


 ヴァイスの剣が迫る。


 受けた。


 衝撃。


 視界が揺れる。


 その瞬間だった。


 ふと、別の光景が浮かんだ。


 灰崎。


 一緒に旅をした時間。


 くだらない話。


 くだらないことで笑った。


 合理的とは言えない行動を、あいつは何度も取った。


 俺なら選ばない道。


 俺なら切り捨てる選択。


 それなのに。


 何故か、あいつの隣にいる時間は嫌いではなかった。


「……。」


 剣を構え直す。


 胸の奥が、少しだけ温かい。


 これは――。


「懐かしい……。」


 口から自然に言葉が出た。


 懐かしい。


 そう感じた。


 俺は、この感情を知っている。


 ずっと忘れていたわけではない。


 ただ、見ないようにしていただけだった。


 ヴァイスが踏み込む。


 俺は防ぐ。


 だが、押し負ける。


 身体が吹き飛ぶ。


「ぐあっ!」


 地面に倒れる。


 今度は兄の姿が浮かんだ。


 幼い頃。


 一緒に過ごした時間。


 喧嘩した。


 笑った。


 助けてもらった。


 くだらないことで怒った。


 そんな記憶ばかりだった。


 なのに。


 胸が痛い。


「……兄さん。」


 声が震えた。


 悲しい。


 そう思った。


 悲しいのに。


 その感情を消したくなかった。


 もう一度、剣を握る。


 立ち上がる。


 ヴァイスがこちらを見る。


「まだ立つか。」


「……はい。」


 足が震える。


 怖い。


 負けたくない。


 痛い。


 逃げたい。


 そんな感情が次々と湧いてくる。


 そして――。


 ヘリオ。


 その姿が浮かんだ。


 もう、いない。


 分かっている。


 分かっているはずなのに。


 胸が締め付けられる。


「……。」


 会いたい。


 もう一度、話したい。


 そんな願いが込み上げる。


 叶わない。


 だから悲しい。


 悔しい。


 俺は歯を食いしばった。


 霊帝の抱擁を使っていた頃なら、この感情を切り捨てていただろう。


 戦うためには不要だと。


 合理的ではないと。


 だが。


「……違う。」


 俺は顔を上げた。


 感情がある。


 迷いがある。


 恐怖がある。


 悲しみがある。


 それでいい。


 それでも剣を握れる。


 ヴァイスが迫る。


 俺は構えた。


 何をすれば正しいのか。


 分からない。


 右か。


 左か。


 攻めるか。


 守るか。


 分からない。


 だから――。


「一か八かだ。」


 自分で決めた。


 踏み込む。


 ヴァイスの剣が迫る。


 俺は避けなかった。


 受ける。


 痛い。


 だが、そのまま懐へ潜り込む。


 剣を振る。


 ヴァイスが僅かに身を引いた。


 届かない。


 それでも、初めてだった。


 ヴァイスが一歩、下がった。


「……。」


 俺は息を切らしながら、剣を構える。


 迷っている。


 それでも戦える。


 むしろ――。


 迷っているからこそ、自分で選べる。


 俺は前を向いた。


「俺は……迷いながらでも戦い続ける。」


 ヴァイスは何も言わなかった。


 ただ、剣を構え直した。


 その瞬間。


 俺の頭に、一つの記憶が蘇った。


「……そうだ。」


 忘れていた。


 いや。


 思い出そうとすらしていなかった。


 霊帝の抱擁に頼っていたからだ。


 俺には、まだある。


 この力とは別の――。


 勝つための秘策が。


「一か八か……これに賭ける。」


 俺は剣を握り直した。

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