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【暴食領平定編 西】 「夢」

 夜。


 城塞都市の明かりが、少しずつ消えていく。


 昼間は荒くれ者達の怒号が飛び交い、武器のぶつかる音が響いているこの場所も、夜になれば静かになる。


 ヴァイスは自室の椅子に腰掛けていた。


 机の上には、簡素な酒と書類。


 明日の訓練内容を確認し終えると、ヴァイスは椅子から立ち上がった。


 疲れていた。


 当然だ。


 この街を手に入れてから、まともに休んだ記憶がない。


 それでも、眠らなければ明日の訓練に支障が出る。


 ヴァイスは寝台へ横になる。


 目を閉じた。


 そして――。


 夢を見た。


 小さな足音が聞こえる。


 土を蹴る音。


 荒い呼吸。


 泣き声。


「母さん……!」


 幼いヴァイスは走っていた。


 目の前には、一人の女。


 母親だった。


 母親は振り返らない。


 ただ、前へ進んでいる。


「待って……!」


 ヴァイスは必死に追いかける。


 何故、母親が歩いているのか。


 どこへ向かっているのか。


 幼いヴァイスには分からない。


 ただ、置いていかれたくなかった。


「母さん!」


 足がもつれた。


 転ぶ。


 膝を擦りむく。


「うっ……!」


 痛い。


 けれど、それを気にしている暇はない。


 ヴァイスは立ち上がった。


 涙で視界が滲んでいる。


 それでも走る。


 母親の背中を追う。


「待ってよ……!」


 声が震える。


 返事はない。


「母さん……!」


 それでも母親は振り返らない。


 手には何かを抱えている。


 幼いヴァイスには、それが何なのか分からない。


 ただ、母親がそれを大切そうに抱えていることだけは分かった。


 もう一度、転んだ。


 今度は手を擦りむいた。


 血が滲む。


 それでも立つ。


 泣きながら走る。


「母さん!」


 叫ぶ。


「母さんっ!」


 届かない。


 どれだけ走っても。


 どれだけ叫んでも。


 母親は振り返らない。


 遠い。


 どんどん遠くなる。


「待って……!」


 幼いヴァイスは手を伸ばした。


「お願い……!」


 届かない。


 母親の背中が、小さくなっていく。


 視界が涙でいっぱいになる。


 息が苦しい。


 胸が痛い。


 それでも、追わなければならない。


 置いていかれる。


 一人になる。


 父親はもういない。


 だから。


 母親までいなくなったら――。


「母さん……!」


 幼いヴァイスは地面に倒れ込んだ。


 伸ばした手が、空を掴む。


 遠ざかる背中。


 それを追う力は、もう残っていなかった。


「……母さん……」


 泣き声だけが響く。


 誰も答えない。


 誰も振り返らない。


 ただ、母親の背中だけが遠ざかっていく。


 ――目を覚ました。


「……!」


 ヴァイスは勢いよく上体を起こした。


 荒い呼吸。


 額には汗が浮かんでいる。


 しばらく、何もせず天井を見つめた。


 暗い部屋。


 静寂。


 夢の中で聞いた、自分の幼い声が耳に残っている。


「……チッ。」


 舌打ち。


 ヴァイスは乱れた髪を掻き上げる。


 嫌な夢だった。


 昔から、時々見る。


 忘れた頃に。


 決まって、同じ夢だ。


 ヴァイスは寝台から降りた。


 窓を開ける。


 冷たい夜風が吹き込んできた。


 城塞都市を見下ろす。


 かつて国境を守るために造られた城。


 今は自分の下で、荒くれ者達が眠っている。


「……。」


 ヴァイスは何も言わなかった。


 ただ、夜空を見上げる。


 やがて朝が来た。


「そこ! 足を止めるな!」


 いつもの怒号が響く。


 荒くれ者達が走っている。


 盾を構え、槍を持ち、魔法を放つ。


 昨日までと変わらない訓練。


 ヴァイスもいつも通りだった。


「もっと速く!」


「隊列を崩すな!」


「次!」


 荒くれ者達が動く。


 その様子を、少し離れた場所からサミエムが見ていた。


 白銀の魔力。


 霊帝の抱擁。


 今日も使っている。


 ヴァイスの視線が止まった。


「……。」


 一瞬だけ。


 本当に一瞬だけ、眉が動いた。


 だが、何も言わない。


 サミエムは気付いていない。


 そのまま訓練が続いた。


 昼を過ぎ。


 ようやく休憩に入る。


 サミエムが剣を鞘へ収めた。


「ヴァイス。」


「なんだ。」


「一つ聞きたい。」


 サミエムがヴァイスを見る。


「俺は、何故ここにいる?」


「さあな。」


「……。」


 予想外の答えだった。


 ヴァイスは水を飲む。


「お前が自分で考えろ。」


「あなたは何か知っているんじゃないのか?」


「知っていたとしても、俺から教えることじゃない。」


 サミエムは黙った。


 ヴァイスもそれ以上は言わない。


 しばらくして、サミエムが尋ねる。


「……あなたは、何を追いかけている?」


 ヴァイスの手が止まった。


 一瞬だけ。


 本当に一瞬だけ。


 昨日の夢が脳裏をよぎる。


 小さな自分。


 遠ざかる母親。


 必死に追いかけた背中。


「……。」


 ヴァイスは答えなかった。


 ただ、サミエムから視線を逸らした。


 その日の夜。


 サミエムは一人、剣を振っていた。


 霊帝の抱擁を使う。


 白銀の魔力が身体を包む。


 力が増す。


 身体が軽くなる。


 思考が澄む。


 剣を振る。


 昨日より速い。


 昨日より強い。


 それでも。


 頭の片隅に、あの問いが残っている。


 ――何を追いかけている?


 答えは出ない。


 俺は剣を止めた。


 力を求めている。


 それは分かる。


 だが、その先に何があるのか。


 それだけが分からない。


 それでも、霊帝の抱擁を解除することはなかった。


 まだ俺には、力が必要だった。

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