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【暴食領平定編 西】 「闘技場の住人」

 朝になっても、誰も俺を呼びに来なかった。


 いつもなら、決まった時間に扉が叩かれる。


 だが今日は静かだった。


 俺はベッドから起き上がり、窓の外を見る。


 朝日が城塞都市を照らしている。


「……休息か。」


 五人を相手にした。


 確かに身体への負担は大きかった。


 だが、休んでいる時間があるなら訓練をした方がいい。


 俺は剣を手に取った。


 霊帝の抱擁を使う。


 白銀の魔力が身体を包む。


 身体の痛みが遠ざかる。


 これなら動ける。


 扉を開ける。


 廊下へ出たところで、昨日まで俺を闘技場へ連れて行っていた兵士と鉢合わせした。


「今日は闘技場へ行かない。」


「なぜです?」


「休めとヴァイス様から言われている。」


「俺は動けます。」


「そういう問題じゃない。」


 兵士は呆れたように息を吐いた。


「今日は好きにしていろ。」


 好きにしろと言われても困る。


 ここには任務がある。


 西の帝王候補、ヴァイスを仲間にする。


 それがマモンから与えられた命令だ。


 だが、俺は現在、この城塞都市から出られない。


 ならば戦うしかないと思っていた。


「……。」


 俺は剣をしまった。


 仕方がない。


 少しだけ、この城塞都市を見ることにした。


 兵士に案内されて辿り着いたのは、闘技場の裏手だった。


 そこで、見慣れた顔を見つけた。


「お前か。」


 声を掛けてきたのは、昨日の五人戦で最後まで残った男だった。


 二本の短剣。


 昨日、最後に俺の剣を弾いた男だ。


「昨日は負けたな。」


「あなたが勝っただけだ。」


「いや、俺達全員が負けた。」


 男は笑った。


「それより、身体は大丈夫なのか?」


「問題ない。」


「そうか。」


 男は手に持った武器を磨き始めた。


 周囲にも、昨日まで戦っていた者達がいる。


 酒を飲んでいる者。


 食事をしている者。


 武器の手入れをしている者。


 誰かがくだらない冗談を言い、それを聞いた別の男が笑っている。


 俺は少し意外に思った。


 闘技場にいる時とは、まるで違う。


 戦っている時は、誰もが殺気を纏っていた。


 だが、ここではただの人間に見える。


「ここにいる奴ら、全員賊なのか?」


 何気なく尋ねると、短剣使いが笑った。


「元、な。」


「元?」


「盗賊だった奴もいる。山賊だった奴もいる。傭兵だった奴もいるし、兵士だった奴もいる。」


「……。」


「ヴァイス様が来る前は、もっと酷かったぞ。」


 別の男が口を挟んだ。


「この街そのものが賊の巣みたいなもんだったからな。」


「それをヴァイスが一人で全部潰した。」


「一人で?」


「ああ。」


 俺は少し驚いた。


 あの男なら、それくらいはできるのかもしれない。


「その後、追い出されたのか?」


「逆だ。」


 短剣使いが笑った。


「鍛えられた。」


「……鍛えた?」


「朝から晩までな。」


 別の男が苦笑する。


「最初は死ぬかと思ったぞ。」


「俺は三回逃げた。」


「三回とも連れ戻されたな。」


「逃げた先で訓練内容を増やされた。」


 周囲から笑いが起こる。


 俺には、その状況が少し理解できなかった。


「なぜそこまでして鍛える?」


「さあな。」


「強い兵士が欲しかったんだろ。」


「それもあるだろうな。」


 短剣使いが武器を拭きながら言った。


「でも、俺達を捨てなかったからだ。」


「……。」


 その言葉が引っ掛かった。


「捨てなかった?」


「ヴァイス様は、力のない奴も残した。」


「何故?」


「知らん。」


 男は肩をすくめる。


「本人に聞けばいい。」


 俺は黙った。


 力のない者を残す。


 それは合理的なのだろうか。


 戦力を求めるなら、強い者だけを集めればいい。


 弱い者を鍛える時間があるなら、強い者をさらに鍛えた方が効率がいい。


 それでも、ヴァイスはそうしなかった。


「……分からない。」


「何が?」


「ヴァイスの考えが。」


 男は笑った。


「俺達にも分からん。」


 そう言って、磨き終えた短剣を鞘へ戻した。


「でも、あの人が来てから、この街は変わった。」


 俺は周囲を見渡す。


 誰かが食事を分けている。


 別の場所では、二人が腕を組んでくだらない話をしている。


 その光景を見ていると、不思議な感覚があった。


 昨日まで俺が斬り合っていた相手だ。


 なのに今は、敵には見えない。


「サミエム。」


「何だ?」


「飯、食うか?」


「……。」


 突然だった。


「俺は金を持っていない。」


「いらねえよ。」


 男が笑う。


「昨日、あれだけ戦ったんだ。食え。」


 差し出された皿を見る。


 簡素な食事だった。


 俺は少し迷った。


 断る理由はない。


「……いただきます。」


「おう。」


 皿を受け取る。


 食事を口にする。


 普通の味だった。


 特別美味しいわけではない。


 だが。


「どうだ?」


「普通だ。」


「なんだよ、それ。」


 男が笑う。


 周囲も笑った。


 俺も、ほんの僅かに口元が緩んだ。


「……。」


 何故、笑った。


 そんなことを考えた。


 別に重要なことではない。


 食事をする。


 会話をする。


 笑う。


 戦闘とは関係ない。


 俺はそう結論づけた。


 昼を過ぎても、俺はその場にいた。


 武器の手入れを教えてもらった。


 戦い方について話した。


 昨日戦った相手から、あの場面ではこう動くべきだったと指摘された。


 不思議だった。


 敵だったはずの人間と、戦いが終われば普通に話している。


 夕方。


 俺は自分の部屋へ戻った。


 今日、一度も戦っていない。


 それなのに。


 妙に疲れていた。


 ベッドへ腰を下ろす。


 霊帝の抱擁を解除する。


 白銀の魔力が消えていく。


 今日のことを思い返す。


 食事。


 会話。


 笑い声。


 そして。


 ヴァイスという男。


 俺は、まだあの男を理解できない。


 なぜ力のない者を鍛えるのか。


 なぜ賊を追い出さず、手元に置いたのか。


 なぜ、この街の人間達はあの男についていくのか。


「……明日、聞けばいい。」


 そう呟いた。


 そして目を閉じる。


 明日はまた戦いになるだろう。


 四人に負けた。


 五人にも負けた。


 だから、もっと強くなる必要がある。


 霊帝の抱擁を、もっと使いこなす。


 それが最も合理的な答えだ。


 そう思った。


 だが。


 眠りにつく直前。


 今日聞いた笑い声が、もう一度だけ頭の中に響いた。

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