【暴食領平定編 東】 帰還
白哭峰を発って二日目の夜。
焚き火の火が静かに揺れていた。
雪月鬼たちは少し離れた場所で見張りを交代し、ヴィオラも長老から託された地図を眺めている。
僕は一人、焚き火へ薪をくべていた。
「……零。」
隣から聞き慣れた声がする。
振り向くと、アリフィカがいつものように座っていた。
「まだ起きてたの?」
「うん。」
アリフィカは焚き火を見つめながら、小さく笑う。
「少し話したくて。」
「珍しいね。」
「そうかな?」
炎が静かに揺れる。
しばらく二人とも何も話さなかった。
沈黙が気まずい訳じゃない。
それが心地良かった。
「ねぇ、零。」
「ん?」
「私。」
夜空を見上げる。
「そろそろ帰るね。」
「……帰る?」
「神界へ。」
そう言われて、ようやく思い出した。
アリフィカは本体じゃない。
神界から送り出された分身だった。
「もうそんなに経つのか。」
「うん。」
少し寂しそうに笑う。
「分身を維持する魔力が、もうほとんど残ってないの。」
「だから。」
「明日の朝には消えちゃうかな。」
そうか。
旅をしているうちに、すっかり忘れていた。
「寂しくなるね。」
「えへへ。」
アリフィカは照れ臭そうに笑う。
「そう言ってもらえると嬉しい。」
焚き火の火が小さく爆ぜた。
「今回ね。」
アリフィカはぽつりと呟く。
「来て良かった。」
「そう?」
「うん。」
ゆっくり頷く。
「神界にいた頃は。」
「人間って、もっと単純な生き物だと思ってた。」
「善い人。」
「悪い人。」
「そのくらいしか考えてなかった。」
僕は黙って聞いていた。
「でも違った。」
「サミエムさんは、大切な人を失っても前へ進こうとしてた。」
「ヴィオラさんは、お父さんを大好きなのに、認めてもらえなくて苦しんでた。」
「零は。」
僕を見る。
「そんな二人を助けようとしてた。」
「みんな。」
小さく笑う。
「生き方が違う。」
「迷い方も違う。」
「でも。」
「みんな、一生懸命生きてる。」
夜風が吹く。
「神界から見ているだけじゃ。」
「絶対に分からなかった。」
その言葉は、どこか嬉しそうだった。
「観測してるだけじゃ。」
「人って分からないんだね。」
「うん。」
「一緒に歩いて。」
「一緒に笑って。」
「一緒に悩んで。」
「初めて見えることが沢山あった。」
少し照れたように笑う。
「零のおかげ。」
「僕?」
「うん。」
「零が私を連れてきてくれたから。」
そんな大したことをした覚えはない。
「役に立てた?」
何気なく聞く。
アリフィカは少しだけ考えた。
「ううん。」
「え?」
思わず聞き返す。
するとアリフィカは吹き出した。
「役に立った、じゃ足りない。」
真っ直ぐ僕を見る。
「楽しかった。」
その一言に、僕も思わず笑ってしまう。
「そっか。」
「うん。」
「だから。」
立ち上がる。
「もう十分。」
「神様としてじゃなくて。」
「アリフィカとして、人間と過ごせたから。」
身体が淡く光り始める。
「もう魔力が限界みたい。」
「早いな。」
「本当だね。」
少しだけ寂しそうに笑う。
「零。」
「ありがとう。」
「こちらこそ。」
自然と言葉が出た。
「助かった。」
「また来いよ。」
アリフィカは大きく頷く。
「うん。」
「今度は。」
「もっと長くいる。」
身体が少しずつ光へ変わっていく。
「じゃあね。」
「零。」
「また。」
「ああ。」
僕は小さく笑った。
「またな。」
光の粒が夜空へ溶けていく。
最後まで。
アリフィカは笑っていた。
◇
それから三日。
見慣れた巨大な城壁が視界へ飛び込んできた。
「見えてきました。」
ヴィオラが足を止め、小さく呟く。
「あれが……ラクスウェル。」
「うん。」
僕も思わず笑みを浮かべる。
「帰ってきた。」
強欲帝領首都ラクスウェル。
長かった東方遠征も、ようやく終わりを迎える。
門前では商人たちが荷馬車を並べ、冒険者たちが酒場の話で盛り上がっている。
以前と変わらない光景だった。
「大きいですね……。」
ヴィオラは城壁を見上げる。
「白哭峰とは全然違う。」
「初めて来た時、僕も同じこと思ったよ。」
その横では雪月鬼たちが周囲をきょろきょろと見渡している。
「人間がこんなにいるのか……。」
「落ち着け。」
年長の雪月鬼が小声でたしなめる。
「ヴィオラ様の恥になる。」
「は、はい!」
その様子に、僕は小さく笑った。
「行こう。」
「サミエムたちが待ってる。」
新たな仲間を連れ、僕たちはラクスウェルの門をくぐった。




