【暴食領平定編 東】 鉄拳の聖女
雪月鬼たちが頭を下げる。
誰一人として顔を上げない。
「ありがとうございます。」
「ヴィオラ様。」
その言葉だけが、静かな雪原へ響いていた。
ヴィオラは呆然と立ち尽くす。
「……違う。」
掠れた声だった。
「私は。」
「そんな。」
首を横へ振る。
「私は何も。」
「何もしていません。」
「いいえ。」
案内役だった青年が顔を上げる。
「ヴィオラ様は。」
「何度も山を下り、薬草を集めてくださいました。」
「冬には食料を分けてくださいました。」
「病人が出れば、一晩中祈り続けてくださいました。」
「吹雪の日も。」
「魔物が出た日も。」
「いつも。」
青年は笑う。
「あなたは俺たちの前へ立ってくださいました。」
「だから。」
「俺たちは生きています。」
一人。
また一人。
雪月鬼が口を開く。
「娘が助かりました。」
「孫も。」
「妻も。」
「全部ヴィオラ様のおかげです。」
「違います……。」
ヴィオラは何度も首を振る。
「私は。」
「父に認められたくて。」
「それだけで。」
「皆さんを助けた訳じゃ。」
「きっかけなんて。」
青年が静かに笑う。
「どうでもいいんです。」
「……え。」
「助けられた側は。」
「理由なんて気にしません。」
「そこに。」
「ヴィオラ様がいてくださった。」
「それだけです。」
その言葉に。
ヴィオラは何も返せなかった。
ずっと欲しかったもの。
父から一度も貰えなかったもの。
それが今。
こんなにも近くにあったなんて。
「……私は。」
涙が止まらない。
「私は。」
その時だった。
ジャラリ。
紫色の鎖が音を立てる。
全員の視線が集まった。
ヴィオラへ巻き付いていた鎖が。
少しずつ。
少しずつ。
ほどけ始める。
「消えてる……。」
アリフィカが小さく呟く。
僕も魂視で見つめる。
感情の色が変わっていく。
黒でもない。
先ほどまでの濃い紫でもない。
激しく揺れていた魂が、少しずつ落ち着きを取り戻していた。
ヴィオラはゆっくりと僕を見る。
「……灰崎さん。」
「はい。」
「私は。」
何かを言いかける。
けれど。
「……まだ。」
唇を噛む。
「まだ。」
「父のことを受け入れられません。」
「それでいいです。」
僕は即座に答えた。
「無理に忘れなくていい。」
「無理に許さなくてもいい。」
「時間を掛ければいいんです。」
ヴィオラは少しだけ目を見開く。
「時間……。」
「はい。」
「答えは急いで出すものじゃない。」
「僕も。」
苦笑する。
「今でも答えが出てないことなんて沢山あります。」
ヴィオラは静かに笑った。
本当に小さく。
戦いが始まってから初めて見せる、力の抜けた笑みだった。
「……変な人ですね。」
「よく言われます。」
思わず笑ってしまう。
アリフィカもくすりと笑った。
その空気に釣られるように、雪月鬼たちからも笑い声が漏れる。
張り詰めていた空気が、ようやく解けていく。
ヴィオラはゆっくりと僕の前まで歩いてきた。
そして深く息を吸う。
「灰崎さん。」
「私は。」
真っ直ぐ僕を見る。
「まだあなたを信用した訳ではありません。」
「はい。」
「父のことも。」
「整理出来ていません。」
「はい。」
「ですが。」
一度だけ目を閉じる。
そして。
「あなたと一緒に旅をすれば。」
「何か分かる気がします。」
雪が静かに舞う。
「だから。」
ヴィオラは右手を差し出した。
「少しの間だけ。」
「あなたへ、この拳を預けます。」
僕はその手を見つめる。
傷だらけだった。
誰かを守り続けてきた拳。
認められたくて振るい続けた拳。
その手を、僕はしっかりと握る。
「よろしくお願いします。」
「……はい。」
鉄拳の聖女ヴィオラ・クラウソラス。
暴食帝領東を守るその拳は、この日、新たな仲間として僕たちと歩き始めた。




