【暴食領平定編 東】 鉄拳
雪が降っていた。
空から舞い落ちる白い雪が、静かに雪原を染めていく。
僕とヴィオラは二十歩ほど距離を取って向かい合う。
周囲では雪月鬼たちが静かに見守っていた。
誰も声を上げない。
この戦いが、ヴィオラにとってどれほど大切なものなのかを知っているのだろう。
アリフィカも少し離れた場所で僕を見つめていた。
「始めます。」
ヴィオラが静かに告げる。
「いつでも。」
僕は杖を構えた。
深く息を吸う。
魂視を発動する。
世界が少しだけ変わる。
視界へ色が混じる。
ヴィオラの感情は青。
静かだ。
怒りも憎しみもほとんど見えない。
あるのは覚悟だけだった。
「……行きます。」
その瞬間だった。
地面が弾ける。
速い。
一歩目から全力。
雪を巻き上げながら、一瞬で間合いを詰めてきた。
「!」
右拳。
真っ直ぐ。
迷いのない正拳突き。
僕は半歩だけ身体を逸らす。
拳が頬を掠めた。
その風圧だけで髪が揺れる。
重い。
当たれば骨ごと持っていかれる。
「まだです。」
左。
右。
膝。
蹴り。
一切止まらない。
武術として完成されている。
聖職者というより、一流の武人だった。
僕は最低限の動きだけで避け続ける。
魂視のおかげで先読み出来る。
だから避けられる。
だが。
「……。」
重い。
一撃一撃が重すぎる。
避けるだけでも体力を削られる。
「避けるだけですか。」
ヴィオラが僅かに眉を寄せる。
「攻撃してください。」
「出来ません。」
僕は距離を取る。
「あなたを傷付ける理由がない。」
「それでは。」
ヴィオラも踏み込まない。
雪の上で静かに構え直す。
「私も納得出来ません。」
次の瞬間。
彼女の姿が消えた。
「っ!」
横。
速い。
右側面。
魂視が一瞬早く軌道を映す。
咄嗟に杖を差し込む。
ガァン!!
凄まじい衝撃。
身体ごと数メートル滑った。
腕が痺れる。
「……強い。」
純粋な身体能力だけなら、今まで戦ってきた相手でも上位に入る。
魂術も魔法もない。
だからこそ、一切の無駄がない。
「零!」
アリフィカの声が聞こえる。
大丈夫、と小さく手を上げる。
ヴィオラは構えを解かなかった。
「灰崎さん。」
「はい。」
「父は。」
一歩。
「あなたを認めていました。」
また一歩。
「私は。」
さらに距離を詰める。
「一度も。」
拳を握る。
「認められませんでした。」
その言葉と同時に拳が放たれる。
今度は避けない。
杖で真正面から受け止める。
鈍い衝撃が腕へ突き抜けた。
「何故。」
ヴィオラの声が震え始める。
「あなたなんですか。」
連打。
連打。
連打。
雪が舞い上がる。
「父は。」
「あなたに何を見たんですか。」
重い。
でも。
拳へ迷いが混じり始めている。
「私は。」
「ずっと頑張ってきました。」
右拳。
「魔法が駄目なら。」
左。
「聖職者になりました。」
膝。
「父の役に立ちたかった。」
蹴り。
「褒められたかった。」
拳。
「一度だけで良かった。」
拳。
「娘として。」
拳。
「認めてほしかった。」
その一撃だけは。
今までで一番重かった。
受け止めた杖が悲鳴を上げる。
僕は大きく後ろへ跳び、距離を取った。
息を整える。
ヴィオラも肩で息をしていた。
感情の色が揺れている。
青だけではない。
黒が混じり始めていた。
悲しみ。
後悔。
諦め。
長い年月押し殺してきたものが、少しずつ溢れ始めている。
「……ヴィオラさん。」
「答えてください!」
叫ぶ。
「何故!」
「何故あなただったんですか!」
雪原へ声が響く。
雪月鬼たちも息を呑む。
僕は杖を下ろした。
「違います。」
静かに言う。
「クラウソラスさんは。」
「僕を認めてなんかいません。」
ヴィオラが止まる。
「え……?」
「最後まで。」
「僕は研究材料でした。」
「利用される側だった。」
「あなたが思っているような関係じゃない。」
「嘘です。」
ヴィオラが首を振る。
「父は。」
「あなたへ魂術を託した!」
「違う。」
「託されたんじゃない。」
一歩前へ出る。
「奪い取ったんです。」
静かに。
真っ直ぐ。
「生きるために。」
ヴィオラの瞳が大きく揺れた。
拳が止まる。
彼女の中で。
何かが音を立てて軋み始めていた。




