【暴食領平定編 東】 父の面影
翌朝。
窓から差し込む白い光で目が覚めた。
外は雪こそ降っていないものの、吐く息が白くなるほど冷え込んでいる。
隣を見ると、アリフィカはまだ眠そうに毛布へくるまっていた。
「……おはよう。」
「おはよう。」
欠伸をしながら身体を起こす。
「よく眠れた?」
「うん。」
「暖炉があったからかな。」
「野営より暖かかった。」
「それは比べちゃ駄目だよ。」
二人で笑いながら身支度を済ませ、一階へ降りる。
集落では既に朝の支度が始まっていた。
雪月鬼たちは薪を運び、井戸から水を汲み、子どもたちは家の前で雪玉を転がして遊んでいる。
昨日の緊張した空気とは違う。
普通の集落だった。
「おはようございます。」
昨日、山羊の乳を持ってきてくれた老婆が手を振る。
「よく眠れたかい。」
「はい。」
「ありがとうございます。」
老婆は穏やかに微笑んだ。
「ヴィオラ様がお待ちじゃ。」
集落の中央。
昨日と同じ建物へ向かう。
扉を開けると、ヴィオラは既に机へ向かって座っていた。
「おはようございます。」
「おはようございます。」
昨日と変わらない落ち着いた表情だった。
「どうぞ。」
向かいの席を勧められる。
席へ着くと、温かいお茶が運ばれてきた。
湯気の向こうで、ヴィオラが静かに口を開く。
「昨日は十分にお話が出来ませんでした。」
「改めて、お聞きします。」
「何故、私なのでしょう。」
「帝国には優秀な方が大勢いるはずです。」
僕は湯飲みを置いた。
「強いからです。」
「それだけ?」
「それだけじゃない。」
「あなたは雪月鬼から信頼されてる。」
「それは大きい。」
ヴィオラは少し考えるように視線を落とした。
「……父も。」
ぽつりと呟く。
「同じことを言っていました。」
「人は一人では生きられない。」
「だから導く者になれ、と。」
少しだけ表情が柔らかくなる。
自然と、父の話になっていた。
「お父さんは。」
僕は慎重に言葉を選ぶ。
「どんな人でしたか。」
ヴィオラはすぐには答えなかった。
しばらく窓の外を眺めている。
子どもたちの笑い声だけが静かに聞こえてきた。
「……忙しい人でした。」
ゆっくりと話し始める。
「幼い頃から研究ばかり。」
「家へ帰っても、本を読んで。」
「何かを書いて。」
「気付けば朝になっていました。」
その光景が目に浮かぶ。
あの研究室なら、容易に想像出来た。
「寂しくなかった?」
「寂しかったです。」
ヴィオラは素直に頷いた。
「でも。」
「父は世界を救う研究をしていました。」
「だから我慢出来ました。」
「……。」
「私は魔法の才能がありませんでした。」
その言葉に、アリフィカが僅かに視線を上げる。
「何度練習しても。」
「初級魔法すら満足に扱えませんでした。」
「だから。」
ヴィオラは自分の法衣へ視線を落とす。
「聖職者になりました。」
「回復魔法なら。」
「少しだけ使えたから。」
「父の研究を支えられると思ったんです。」
そこで、小さく笑う。
寂しそうな笑みだった。
「褒められたことはありませんでしたけど。」
その一言だけで十分だった。
この人は。
ずっと認めてもらいたかったんだ。
「それでも。」
「父の役に立てるなら嬉しかった。」
「いつか。」
「一度だけでも。」
『よくやった。』
そう言ってもらえる日が来ると信じていました。」
静かな部屋へ、その言葉だけが残る。
僕は返す言葉を見つけられなかった。
クラウソラスの最期を知っているからこそ。
何も言えなかった。
沈黙を破ったのはヴィオラだった。
「あなたは。」
真っ直ぐ僕を見る。
「父の研究を継いだのでしょう。」
「……違います。」
僕は首を横へ振る。
「継いでない。」
ヴィオラの眉が僅かに動く。
「では何故。」
「皆さんはそう言うんですか。」
「魂術を使えるから。」
短く答える。
「父の研究は魂術だった。」
「今、その魂術を最も扱えるのがあなた。」
「だから。」
「父の後継者だと。」
「違う。」
自然と声が強くなる。
「僕は。」
一度言葉を切る。
「クラウソラスさんの研究を。」
「止めた人間です。」
部屋が静まり返る。
ヴィオラは何も言わない。
ただ、その瞳だけが少しだけ揺れた。
「……止めた。」
「はい。」
「何故ですか。」
その問いは静かだった。
責める口調ではない。
純粋に理由を知りたい。
そんな声だった。
僕はゆっくり息を吸う。
「あなたは。」
「お父さんが、どんな研究をしていたか。」
「どこまで知っていますか。」
その一言で。
ヴィオラの表情が、初めて僅かに曇った。




