↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
235/301

【暴食領平定編 東】 鉄拳の聖女

 集会所の空気が張り詰める。


 雪月鬼たちは誰一人として口を開かない。


 ただ静かに、その女性へ頭を下げていた。


 彼女はゆっくりと僕たちの前まで歩いてくる。


 足音は小さい。


 それなのに、不思議とその一歩一歩が重く感じられた。


「……あなたが灰崎零。」


 静かな声だった。


 敵意はない。


 だが、歓迎もしていない。


「そうです。」


「初めまして。」


「ヴィオラ・クラウソラスです。」


 予想していたより落ち着いた口調だった。


 もっと激情的な人物を想像していたが、違う。


 近くで見ると、年齢は僕とそれほど変わらない。


 長い銀髪に、白銀の法衣。


 その両腕には聖職者らしからぬ黒鉄の籠手が装着されていた。


 祈りを捧げる者の姿と、武人の姿。


 その二つが奇妙なほど自然に共存している。


 そして何より印象的なのは、その瞳だった。


 澄み切った蒼色。


 けれど、その奥には決して消えることのない寂しさが沈んでいる。


 ヴィオラは真っ直ぐ僕を見つめた。


「あなたのことは聞いています。」


「父の後を継いだ方。」


 少し意外だった。


 そんな風に見られているとは思っていなかった。


「そう呼ばれているんですか。」


「父は、生前あなたのことを調べていました。」


「名前だけは知っています。」


「……そうですか。」


 彼女の視線が隣のアリフィカへ向く。


「そちらの方は?」


「あ、旅の仲間です。」


 僕が答えるより早く、アリフィカが小さく頭を下げた。


「アリフィカです。」


「よろしくお願いします。」


「……そう。」


 ヴィオラは一瞬だけ目を細める。


「不思議な魔力ですね。」


「普通の魔法使いとは少し違う。」


 さすが聖職者だ。


 魔力の質まで感じ取れるらしい。


「色々ありまして。」


 僕が苦笑すると、ヴィオラはそれ以上追及しなかった。


「では、本題へ入りましょう。」


 部屋の中央に置かれた机を示す。


「どうぞ、お掛けください。」


 向かい合って席に着く。


 暖炉の火が静かに揺れ、部屋を暖めていた。


 しばらく沈黙が続く。


 先に口を開いたのはヴィオラだった。


「何故、この山へ来たのですか。」


「あなたに会うためです。」


「私に?」


「仲間になってほしい。」


 集会所の空気が止まる。


 周囲にいた雪月鬼たちが、一斉に僕を見る。


 ヴィオラも僅かに目を見開いた。


「……随分と率直ですね。」


「遠回しなのは苦手なので。」


 ヴィオラは小さく息を吐いた。


「そうですか。」


 その表情がほんの少しだけ柔らかくなる。


 だが、それも一瞬だった。


「申し訳ありません。」


「お断りします。」


「理由を聞いても?」


「私は人間を信用していません。」


「まして、人間の国へ戻るつもりもありません。」


「雪月鬼を守ると決めています。」


 その言葉に迷いはなかった。


 彼女は本気だ。


 ここで生き、ここで雪月鬼たちと生きていくと決めている。


「それでも。」


 僕は静かに続ける。


「あなたの力が必要なんです。」


「……。」


 ヴィオラは黙って僕を見つめる。


 その瞳には警戒と疑問が入り混じっていた。


「一つだけ、お聞きします。」


「何でしょう。」


 少しだけ間を置いて、ヴィオラは口を開いた。


「父は……。」


 その声だけが僅かに揺れる。


「最期は、どのような様子でしたか。」


 僕は言葉を探した。


 あの日のことは、今でも鮮明に覚えている。


 狂気に囚われた研究者。


 魂術だけを追い求め、全てを捨てた男。


 けれど、その全てをここで話すべきではない。


「最後まで。」


 静かに答える。


「自分の信じた研究を貫いた。」


 それは嘘ではない。


 事実の一部だった。


 ヴィオラは俯く。


 長い前髪が、その表情を隠した。


「……そうですか。」


 その声は、とても静かだった。


 怒りもない。


 涙もない。


 ただ、どこか遠くを見るような声。


「ありがとうございます。」


 そう言って小さく頭を下げる。


 僕は胸の奥に小さな違和感を覚えた。


 彼女は父を恨んでいるわけではない。


 むしろ――。


 知りたかったのだ。


 最期の父が、どんな顔をしていたのか。


 どんな言葉を残したのか。


 それだけを。


「今日は長旅でお疲れでしょう。」


 ヴィオラは立ち上がる。


「客室を用意します。」


「話の続きは明日にしましょう。」


 そう言って歩き出す。


 扉の前で一度だけ足を止めた。


「それと。」


 振り返らないまま続ける。


「夜は決して集落の外へ出ないでください。」


「……理由を聞いても?」


 僕が尋ねる。


 ヴィオラは少しだけ沈黙し、小さく答えた。


「夜の白哭峰には。」


「雪月鬼ですら近寄らない場所があります。」


「そこへ踏み込めば。」


 一拍置く。


「二度と戻れません。」


 それだけ言い残し、静かに部屋を後にした。


 残された僕とアリフィカは、互いに顔を見合わせる。


 宿の主人。


 境界の村の人々。


 そしてヴィオラ。


 全員が口を揃えて夜の山を警戒している。


 雪月鬼でさえ恐れるもの。


 それが、この霊峰の奥で僕たちを待っているのかもしれなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。