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【暴食領平定編 東】 雪の集落

 夜の森は、不思議なほど静かだった。


 先頭を歩く雪月鬼の青年は一切振り返らない。


 足音すら立てず、慣れた様子で森の中を進んでいく。


 その後ろを僕とアリフィカが歩き、さらに数人の雪月鬼が自然な距離を保ちながら続いていた。


 監視されている。


 そんな緊張感はある。


 だが、不思議と敵意は感じない。


 「……静かだね。」


 アリフィカが小声で呟く。


 僕も頷いた。


 普通なら、この人数で森を歩けば枝を踏む音や衣擦れが聞こえる。


 けれど雪月鬼たちは違った。


 まるで雪が降り積もるように静かだ。


 青年へ声を掛ける。


「君たちは、普段からこうやって歩くの?」


「……。」


 返事はない。


 聞こえなかったのかと思った頃、青年が短く答えた。


「獣を驚かせぬためだ。」


「狩りをするから?」


「それもある。」


「無駄な争いを避けるためでもある。」


 その言葉に少し驚く。


「争いを避ける?」


「山で騒げば。」


 青年は淡々と言う。


「山が怒る。」


 山が怒る。


 宿の主人や村人も、似たような言葉を口にしていた。


 この山には何かがある。


 単なる言い伝えでは片付けられない何かが。


 しばらく歩くと、地面に雪が残り始めた。


 踏み締めるたび、さくっ、と柔らかな音がする。


「本格的に寒くなってきた。」


 息も白い。


 アリフィカは両手を擦り合わせながら歩いている。


 青年はそんな様子に気付き、足を止めた。


 近くの木へ手を伸ばす。


 枝に生えていた赤い実を二つ摘み取ると、一つをアリフィカへ差し出した。


「食え。」


「え?」


「身体が温まる。」


 アリフィカは僕を見る。


 毒かもしれないと思ったのだろう。


 僕は実を受け取り、匂いを確かめる。


 知らない実だ。


 魂視でも異常は見えない。


「……いただきます。」


 恐る恐る口へ運ぶ。


「あ。」


 一口噛んだ瞬間、表情が変わった。


「甘い。」


 驚いたように笑う。


「少し酸っぱいけど、美味しい。」


「良かった。」


 僕も一つ口へ入れる。


 木苺に似た味だ。


 飲み込むと、喉から胸へじんわりと熱が広がっていく。


「本当に温かくなる。」


「山では貴重な食料だ。」


 青年はそれだけ言って歩き始めた。


 少しだけ、警戒が解けた気がした。


 ◇


 一時間ほど歩いただろうか。


 森が突然開けた。


「……。」


 思わず息を呑む。


 谷間のような地形の中へ、小さな集落が広がっていた。


 雪に覆われた木造の家々。


 煙突から立ち上る白い煙。


 窓から漏れる暖かな灯り。


 人々が静かに行き交い、子どもたちが雪を踏みながら遊んでいる。


 まるで別世界だった。


「綺麗……。」


 アリフィカが小さく呟く。


 村というより、一つの隠れ里。


 外からは決して見つけられない場所だ。


 僕たちが姿を現すと、雪月鬼たちの視線が一斉に集まった。


「人間……?」


「本当に?」


「初めて見た。」


 小さなざわめきが広がる。


 敵意ではない。


 純粋な好奇心。


 子どもが一人、こちらへ駆け寄ろうとする。


 しかし近くにいた女性が慌てて抱き寄せた。


「駄目です。」


「近付いちゃ。」


「どうして?」


「人間だからです。」


 そのやり取りが聞こえてくる。


 僕は思わず苦笑した。


 向こうも、僕たちをよく知らないんだ。


 それはお互い様だった。


「案内する。」


 青年が村の奥へ歩いていく。


 中央には一際大きな建物があった。


 石と木を組み合わせた頑丈な造りで、入口には白い旗が掲げられている。


「ここは?」


「集会所。」


 青年は扉を開けた。


 暖炉の熱気が流れ出てくる。


「しばらく待て。」


「ヴィオラ様へ報告する。」


 そう言い残し、奥へ消えていった。


 僕とアリフィカは暖炉の近くへ案内される。


 薪が爆ぜる音が心地良い。


「暖かい……。」


 アリフィカはほっと息を吐いた。


「生き返る。」


「大袈裟だな。」


「本当に寒かったんだから。」


 そんな話をしていると、一人の老婆が湯気の立つ木の器を運んできた。


「飲みなさい。」


 白く濁った温かい飲み物だった。


「ありがとうございます。」


 恐る恐る一口飲む。


 優しい甘さが口いっぱいに広がった。


「美味しい。」


「山羊の乳と薬草じゃ。」


 老婆は穏やかに笑う。


「遠くから来たのでしょう。」


「ゆっくり温まりなさい。」


 その優しさに少し驚いた。


 もっと敵視されると思っていたからだ。


 すると老婆がぽつりと呟く。


「久しぶりじゃの。」


「人間がここまで来るのは。」


「以前にも?」


「……来た。」


 笑顔が少しだけ曇る。


「じゃが。」


 そこで言葉を止めた。


 それ以上は話したくないらしい。


 空気を察し、それ以上は聞かなかった。


 その時。


 奥の廊下から、ゆっくりと足音が響く。


 集会所にいた雪月鬼たちが、一斉に立ち上がった。


 空気が変わる。


 自然と背筋が伸びる。


 扉が静かに開いた。


 現れたのは、一人の女性だった。


 長い銀髪。


 白銀の法衣。


 そして、その腰には巨大な鉄籠手が下げられている。


 年齢は僕とそう変わらないように見える。


 整った顔立ち。


 だが、その瞳だけは凍てつくように冷たかった。


 彼女は真っ直ぐ僕を見つめる。


「……人間。」


 静かな声だった。


 それだけなのに、場の空気が一気に張り詰める。


 鉄拳の聖女――ヴィオラ・クラウソラス。


 僕たちの前に、ついに姿を現した。

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