【暴食領平定編 東】 雪月鬼
祠へ戻る頃には、空は茜色へ染まり始めていた。
西日が木々の隙間から差し込み、静かな森を赤く照らしている。
「今日はここまでかな。」
谷へ落ちかけたこともあり、これ以上進むのは危険だ。
近くの開けた場所へ移動し、野営の準備を始める。
「今日は私もテント建てる。」
アリフィカが拳を握る。
「昨日約束したもん。」
「覚えてたんだ。」
「もちろん。」
荷物から骨組みを取り出し、説明しながら組み立てていく。
「まず、この棒をここへ。」
「うん。」
「それから――」
「えっと……。」
案の定、棒の向きを逆に差し込んでしまう。
「違う違う。」
「あっ。」
慌ててやり直す。
「難しい……。」
「慣れだよ。」
「零は最初から出来た?」
「全然。」
「昔、骨組み全部崩したことある。」
「本当に?」
「一晩中雨に降られた。」
アリフィカは思わず吹き出した。
「そんな零、見てみたかった。」
「見られなくて良かったよ。」
二人で笑いながら作業を進める。
結局、少し時間は掛かったものの、何とか形にはなった。
「出来た!」
完成したテントを見上げ、アリフィカが満足そうに笑う。
「ちゃんと家になってる。」
「合格かな。」
「やった。」
その笑顔を見ていると、こちらまで少し嬉しくなる。
焚き火を起こし、簡単な夕食を済ませる。
空はすっかり暗くなり、森の中には焚き火だけが揺れていた。
「ねぇ、零。」
「ん?」
「今日見た子。」
「あの白い子?」
「うん。」
「あれって雪月鬼かな。」
「可能性は高い。」
まだ断言は出来ない。
けれど、あの白い髪と人離れした動きは普通の人間じゃない。
「敵なのかな。」
「……それも分からない。」
もし敵なら。
あの崖で突き落としていてもおかしくなかった。
わざわざ姿を見せた理由も分からない。
「考えても仕方ないか。」
「そうだね。」
薪を一本火へくべる。
ぱちり、と火の粉が舞い上がった。
その時だった。
ガサッ。
森の奥で何かが動く音がした。
僕は反射的に杖を掴む。
アリフィカも息を呑む。
「……誰?」
返事はない。
静寂。
風だけが木々を揺らしている。
魂視を発動する。
赤。
いや、違う。
白。
感情の色ではない。
生命そのものが雪のように淡く見える。
「人?」
違う。
魔物でもない。
僕達を囲むように、木々の間へ幾つもの気配が現れ始めた。
一つ。
二つ。
三つ。
全部で八。
「零……。」
「動かないで。」
焚き火の向こう。
木の陰から、一人が姿を現した。
白い髪。
青白い肌。
額から短い角が一本伸びている。
厚手の白い外套を羽織り、腰には細身の刀。
人間によく似ている。
けれど明らかに違う。
「……。」
その者は何も言わない。
ただ僕達を見つめている。
すると左右の木々からも次々と姿が現れた。
男。
女。
老人らしき者までいる。
共通しているのは、全員が白い髪と角を持っていること。
そして、誰一人武器をこちらへ向けていないことだった。
「あなた達が……。」
アリフィカが小さく呟く。
「雪月鬼。」
その言葉へ反応したように、一人の青年が一歩前へ出る。
年齢は二十代ほど。
鋭い目付きだが、敵意は感じない。
ゆっくりと口を開いた。
「……旅人。」
低く、落ち着いた声だった。
「何故、この山へ入った。」
僕は杖を下ろさないまま答える。
「人を探してる。」
「誰だ。」
「ヴィオラ・クラウソラス。」
その名前を口にした瞬間だった。
雪月鬼達の空気が変わる。
ざわり、と森が揺れたような錯覚。
何人かが顔を見合わせる。
青年の目も僅かに細くなった。
「……何の用だ。」
「会いたい。」
「話がある。」
青年はしばらく僕を見つめていた。
まるで嘘を見抜こうとしているようだった。
「人間。」
静かに言う。
「ヴィオラ様は。」
一拍置く。
「人間を嫌っている。」
「知ってる。」
「なら何故行く。」
「それでも会わなきゃいけないから。」
森が静まり返る。
焚き火の音だけが耳に届く。
青年は小さく息を吐くと、踵を返した。
「来い。」
「……え?」
思わず聞き返す。
「ヴィオラ様が。」
青年は振り返らずに続けた。
「会うかどうかは分からない。」
「だが。」
「山へ入った以上、お前達を放置は出来ない。」
そう言って森の奥へ歩き始める。
残りの雪月鬼達も無言で道を開いた。
まるで最初から、そのつもりだったかのように。
僕はアリフィカと顔を見合わせる。
「どうする?」
小さく尋ねる。
「……行こう。」
ここまで来て引き返す理由はない。
僕達は焚き火へ土を掛けて消すと、雪月鬼達の後を追って、静かな夜の森へ足を踏み入れた。




