【暴食領平定編 東】雨宿り
森へ入ってから、半日ほどが過ぎた。
頭上を覆う木々のおかげで陽の位置は分かりづらいが、空気は少しずつ湿り気を帯びてきている。
「何だか暗くなってきたね。」
アリフィカが空を見上げる。
枝葉の隙間から見える空には、灰色の雲が広がっていた。
「雨かな。」
「多分。」
言葉を交わした直後だった。
ぽつり、と頬に冷たいものが落ちる。
「あ。」
もう一滴。
そして三滴。
あっという間に雨粒は数を増やし、森の中へ細かな雨音が響き始めた。
「結構降ってきた。」
「少し急ごう。」
荷物が濡れる前に、雨をしのげる場所を探す。
辺りを見回すと、大きな岩壁が目に入った。
近付いてみると、岩が張り出し、小さな窪みを作っている。
「ここなら大丈夫そう。」
二人で中へ入る。
雨は徐々に強くなり、森全体を白く霞ませていく。
木々を叩く雨音だけが静かに響いていた。
「すごい……。」
アリフィカは岩陰から雨を眺める。
「これが雨。」
「見たことなかった?」
「神界から見たことはあるよ。」
「でも。」
そっと手を伸ばす。
指先へ雨粒が落ちる。
「冷たい。」
少し驚いたように目を丸くした。
「雲から水が落ちてくるだけなのに。」
「不思議。」
「最初はみんなそんな感じかも。」
「零も?」
「僕は子どもの頃、水たまりへ飛び込んで怒られた。」
「ふふっ。」
思わず吹き出す。
「零にも子どもの頃があったんだ。」
「失礼だな。」
「だって今の零から想像出来なくて。」
「普通だったよ。」
「本当に?」
「多分。」
二人で顔を見合わせ、小さく笑う。
しばらくすると、アリフィカが雨を見つめたまま口を開いた。
「ねぇ。」
「ん?」
「人間って。」
「どうして旅をするの?」
少し考える。
「理由は人それぞれかな。」
「仕事だったり。」
「夢だったり。」
「誰かに会いに行ったり。」
「逃げるためだったり。」
「色々。」
「零は?」
迷わず答えられると思っていた。
でも、言葉はすぐには出てこなかった。
「……最初は、生きるため。」
異世界へ来たばかりの頃。
何も持っていなかった。
戦うしかなかった。
「今は?」
今。
その問いが、一番難しかった。
「仲間がいるからかな。」
「仲間?」
「守りたい人達がいる。」
「だから動く。」
それが一番近い答えだった。
アリフィカは静かに頷く。
「そういう生き方。」
「少し羨ましい。」
「羨ましい?」
「うん。」
「神はね。」
雨を見つめたまま続ける。
「誰か一人だけを特別には出来ないの。」
「平等でいなきゃいけない。」
「だから。」
「誰かを守りたいって思っても。」
「その人だけを助けちゃ駄目。」
その言葉は、どこか寂しそうだった。
「難しいね。」
「難しい。」
少しだけ笑う。
「だから零を見てると。」
「不思議なの。」
「迷いながらでも。」
「ちゃんと自分で決めてる。」
「私は……そういうことをしたことがないから。」
雨音だけが流れる。
答えは返さなかった。
返せなかった。
しばらくすると、雨脚が少し弱くなる。
「止みそう。」
「そうだね。」
岩陰から外へ出る。
雨上がりの森は、どこか空気まで澄んで見えた。
葉から滴る雫が光を反射し、小さな宝石のように輝いている。
「綺麗……。」
アリフィカが思わず足を止める。
葉先から落ちた一滴が、小さな花びらへ落ちた。
その様子を、彼女は飽きることなく見つめている。
「零。」
「ん?」
「旅って。」
「忙しいけど。」
「立ち止まる時間もあるんだね。」
「そうだね。」
急ぐ旅でも。
こうして雨を待つしかない時間がある。
だからこそ見える景色もあるのかもしれない。
「行こう。」
「うん。」
濡れた土を踏み締めながら、二人は再び東へ向かって歩き始めた。




