【暴食領平定編 東】 森の気配
鳥のさえずりで目が覚めた。
朝日が木々の隙間から差し込み、テントの布を淡く照らしている。
寝袋から身体を起こすと、大きく伸びをした。
「……朝か。」
外へ出る。
昨夜の焚き火は灰になり、まだ僅かに温もりが残っていた。
空気は冷たい。
ラクスウェルでは感じなかった冷え込みだ。
「おはよう。」
隣のテントからアリフィカが顔を出す。
髪は少し寝癖が付いていて、まだ眠そうだ。
「おはよう。」
「よく眠れた?」
「うん。」
小さく頷く。
「外で寝るの、思ったより落ち着いた。」
「それなら良かった。」
鍋へ水を入れ、火を起こす。
朝食は昨日の残りのスープへ干し肉を少し足すだけ。
豪華ではないが、旅では十分だ。
湯気の立つ器を受け取りながら、アリフィカが辺りを見回した。
「静かだね。」
「朝だからかな。」
「違う。」
耳を澄ませている。
「街とは静けさが違う。」
確かにそうだった。
人の声はない。
聞こえるのは風が草を揺らす音と、遠くで鳴く鳥の声だけ。
それでも、不思議と寂しさは感じない。
自然そのものが息をしているようだった。
「こういう静けさ、好き。」
そう言って微笑む。
朝食を終え、荷物をまとめる。
焚き火の跡へ土を被せ、周囲を確認する。
「忘れ物ない?」
「大丈夫!」
「テントは?」
「しまった!」
慌てて振り返るアリフィカ。
まだ立ったままだった。
「危ない危ない……。」
「旅は片付けまでが準備だから。」
「勉強になります。」
真面目に頭を下げるものだから、思わず苦笑した。
テントを畳み、再び東へ歩き始める。
昼前になる頃には、草原は終わりを迎えていた。
目の前には深い森が広がっている。
高い木々が空を覆い、昼だというのに中は薄暗い。
「ここを通るの?」
「地図だと、この森を抜けるのが一番近い。」
「遠回りは?」
「三日くらい余計に掛かる。」
「それは嫌だね。」
森へ一歩踏み入れる。
途端に空気が変わった。
ひんやりと湿った風。
土と草の匂い。
葉が揺れる音。
街道とはまるで別世界だった。
「何かいる。」
アリフィカが小さく呟く。
「気配?」
「うん。」
僕も魂視を発動する。
視界が少し変わる。
木々の奥。
複数の感情が揺れていた。
赤。
獣特有の荒々しい色。
「魔物だ。」
「見えるの?」
「少し先。」
数は三。
距離は二十メートルほど。
こちらにはまだ気付いていない。
「戦う?」
「いや。」
周囲を見る。
右側に獣道があった。
「あっちへ行こう。」
「倒さないの?」
「必要ないから。」
魔物は討伐対象ではある。
けれど、旅の目的は戦うことじゃない。
無駄な体力は使いたくない。
二人で静かに獣道へ逸れる。
枝を踏まないよう足音を殺しながら進む。
すると、茂みの向こうに姿が見えた。
三匹の狼型魔物。
毛並みは黒く、肩ほどの高さがある。
こちらには気付かず、何かを食べていた。
アリフィカが小声で聞く。
「怖くないの?」
「怖いよ。」
「え?」
「怖いから戦わなくて済むなら避ける。」
「強い人って、戦いたがるものだと思ってた。」
「そんな人もいる。」
「でも僕は違う。」
「勝てる戦いでも、しないで済むならその方がいい。」
アリフィカは静かに頷いた。
「優しいんだね。」
「違うよ。」
「臆病なだけ。」
そう返すと、彼女は少しだけ笑った。
「それでも。」
「私は、そういう零の方が好き。」
一瞬だけ足が止まりそうになる。
「……。」
「どうしたの?」
「いや。」
「何でもない。」
妙に真っ直ぐ言うから困る。
アリフィカ本人には深い意味はないのだろう。
だから余計に反応に困る。
魔物から十分距離を取ったところで、ようやく息をついた。
森はまだ続く。
白哭峰へ辿り着くまで、あと五日ほど。
旅は少しずつ、その表情を変え始めていた。




