【暴食領平定編 東】 街道
ラクスウェルの城壁が、少しずつ遠ざかっていく。
石畳だった道はいつしか土の街道へ変わり、左右には広大な草原が広がっていた。
朝露をまとった草花が風に揺れ、小鳥のさえずりが静かな空へ溶けていく。
「外って、こんなに広かったんだ。」
アリフィカが辺りを見渡しながら呟く。
「神界から見てるだけじゃ分からなかった?」
「見えるのと歩くのは全然違う。」
草原へ一歩踏み出し、しゃがみ込む。
名前も知らない白い花へ指先を伸ばした。
「これも、生きてる。」
「うん。」
「踏まないように歩かなきゃ。」
そう言うと、花を避けるように街道へ戻ってきた。
その仕草が妙に微笑ましい。
以前の彼女なら、草花一本にここまで意識を向けることはなかった気がする。
しばらく歩く。
風が心地良い。
街を出てから一時間ほど経った頃だろうか。
「零。」
「ん?」
「疲れないの?」
「まだ全然。」
「荷物重そうだけど。」
「重いよ。」
「じゃあ何で平気そうなの?」
「慣れかな。」
冒険者になってから、長距離を歩くことなんて珍しくもない。
魔物討伐の依頼では、一日中歩き回ることもあった。
「慣れるものなんだ。」
「人間は案外丈夫だから。」
「ふぅん。」
納得したような、していないような返事だった。
すると今度は空を見上げる。
「鳥。」
一羽の鳥が頭上を横切っていく。
「飛んでる。」
「飛んでるね。」
「いいなぁ。」
「神様でも飛べるんじゃないの?」
「本体ならね。」
アリフィカは苦笑する。
「この身体じゃ無理。」
「分身体だから?」
「うん。」
「魔力も少ないし。」
「翼も出せない。」
少しだけ残念そうだった。
「まぁ、その代わり歩けるけど。」
「神様って歩かないの?」
「歩くこともあるけど。」
「目的地まで飛んだ方が早いから。」
「便利だね。」
「便利だけど。」
アリフィカは小さく笑う。
「歩いてみると。」
「寄り道出来る。」
そう言って、道端へ咲く花をまた眺める。
「寄り道も悪くないね。」
「確かに。」
そんな他愛ない話をしながら歩いていると、前方から一台の荷馬車が近付いてきた。
御者は壮年の男性。
荷台には木箱が山積みになっている。
「おや。」
御者が手綱を緩めた。
「あんた、灰崎零じゃないか?」
「はい。」
「やっぱり。」
男性は豪快に笑う。
「噂通り若いな!」
「噂ですか。」
「ラクスウェルじゃ有名だぞ。」
「嫉妬帝を倒した英雄だってな。」
「……少し大袈裟ですね。」
「ははは!」
男性は笑いながら荷台を叩いた。
「おかげで最近は街道も安全になった。」
「商売もしやすくて助かってる。」
「それなら良かったです。」
「どこまで行くんだ?」
「東です。」
「白哭峰まで。」
その瞬間。
男性の笑顔が少しだけ消えた。
「……東か。」
「何かあるんですか?」
「ある。」
短く答える。
「あそこへ近付く奴は滅多にいない。」
「そんなに危険なんですか。」
「雪月鬼も怖いが。」
男性は遠く東を見た。
「それ以上に山がおかしい。」
「山?」
「あぁ。」
「天気が急に変わる。」
「吹雪になる。」
「方角を見失う。」
「帰って来ない冒険者も多い。」
「……。」
「まぁ。」
男性はすぐ笑顔を戻した。
「あんたなら何とかするんだろ?」
「期待し過ぎですよ。」
「期待くらいさせてくれ。」
そう言って手綱を鳴らす。
「気を付けろよ!」
「ありがとうございます。」
荷馬車は再び動き出し、ゆっくりと西へ去っていった。
その姿を見送りながら、アリフィカが口を開く。
「みんな、零を知ってるんだね。」
「たまたまだよ。」
「違うと思う。」
「……。」
「助けられた人がいる。」
「だから名前を覚えてる。」
僕は少し困ったように笑う。
「そんな立派なことはしてないよ。」
「零はそう思ってるだけ。」
それ以上は何も言わなかった。
街道には再び静けさが戻る。
風が吹き抜け、草原が波のように揺れていた。
その穏やかな景色を眺めながら、僕たちは東へ向かって歩き続けた。




