【暴食領平定編 東】 旅立ちの朝
翌朝。
まだ陽が昇り切る前のラクスウェルは、静かな空気に包まれていた。
宿の窓を開けると、ひんやりとした風が部屋へ流れ込む。
今日から旅が始まる。
白哭峰セレスティアまで、およそ七日。
その先には雪月鬼を束ねる鉄拳の聖女、ヴィオラ・クラウソラスが待っている。
「……よし。」
荷物を背負う。
思っていた以上に重い。
食料や防寒具を詰め込んだ分、背中へずっしりとした重みが伝わってきた。
忘れ物がないか確認し、部屋を出る。
一階へ降りると、宿の主人が既に朝食を用意していた。
「おはようございます。」
「おはようございます。」
主人は笑顔で頷く。
「いよいよ出発ですね。」
「えぇ。」
「お気を付けて。」
「ありがとうございます。」
席へ着くと、焼き立てのパンと温かなスープが運ばれてきた。
隣にはアリフィカも座る。
「おはよう、零。」
「おはよう。」
彼女は眠そうに目を擦りながら椅子へ腰掛けた。
「ちゃんと眠れた?」
「うん。」
「宿って安心するね。」
「昨日はぐっすりだった。」
「それは良かった。」
神も眠るらしい。
そんなことを考えながらパンをちぎる。
「いただきます。」
「いただきます。」
二人同時に手を合わせる。
アリフィカも自然と同じ動作をしていた。
ぎこちなさはもうない。
昨日教えたばかりとは思えないほど様になっている。
食事を終えると、主人へ代金を支払う。
「またラクスウェルへ来た時は寄ってください。」
「はい。」
「約束だよ?」
アリフィカまでそう返すものだから、主人は思わず吹き出した。
「もちろんです。」
二人で宿を出る。
朝の街は目覚め始めたばかりだった。
店を開ける商人。
掃除をする店員。
井戸で水を汲む女性たち。
穏やかな時間が流れている。
「出発する前に、一か所だけ寄りたいところがある。」
「どこ?」
「北門。」
ラクスウェルから東へ向かうには、まず北門を抜ける必要がある。
石畳を歩きながら門を目指す。
「そういえば。」
アリフィカが口を開く。
「雪月鬼ってどんな人たちなの?」
「僕も詳しくは知らない。」
「マモンの話だと、高い知性を持つ種族らしい。」
「人間じゃないの?」
「多分違う。」
「でも魔物とも少し違う。」
「ふぅん。」
少し考え込む。
「じゃあ。」
「話し合えるかな。」
「出来ればいいけど。」
「相手次第かな。」
マモンは交渉は難しいと言っていた。
その理由はまだ分からない。
分かるのは、雪月鬼を束ねるヴィオラという存在がいることだけだった。
北門が見えてくる。
高い石壁。
重厚な門。
数人の兵士が見張りをしていた。
「灰崎殿。」
門番の一人が僕へ気付く。
「遠征へ向かわれると聞いております。」
「はい。」
「道中、お気を付けて。」
「ありがとうございます。」
門番は僕の隣へ視線を移す。
「そちらの方は?」
「あ。」
アリフィカが固まる。
しまった。
身分証なんて持っているはずがない。
「同行者です。」
「身分証は。」
「…………。」
アリフィカは僕を見る。
もちろん持っていない。
門番も困ったように眉を下げた。
「規則ですので。」
当然だ。
街へ出入りする以上、確認は必要になる。
「少々お待ちください。」
門番が奥へ向かおうとした、その時だった。
「その者は問題ない。」
低い声が響く。
門の内側から、一人の男が歩いてくる。
黒いローブ。
顔は深いフードに隠れている。
昨日、宿へ迎えに来た諜報員だった。
「帝の許可は既に出ている。」
門番はすぐ姿勢を正す。
「失礼いたしました。」
諜報員は僕へ一枚の羊皮紙を差し出した。
「遠征許可証です。」
「ありがとうございます。」
「東部方面の関所も、これを提示すれば通行可能です。」
淡々と、それだけを告げる。
「ご武運を。」
一礼すると、踵を返して去っていった。
相変わらず無駄のない人だ。
「すごい人だったね。」
アリフィカが小声で呟く。
「必要以上に喋らない人。」
「仕事だからね。」
門番が門を開く。
重たい音を立てながら、巨大な扉が左右へ開いていく。
街の外。
東へ続く街道が朝日に照らされていた。
ここから先は未知の土地。
雪山へ続く長い旅路が始まる。
「行こうか。」
「うん。」
二人並んで、一歩踏み出す。
ラクスウェルを背に。
白哭峰セレスティアを目指す旅が、静かに幕を開けた。




