【怠惰の章】飢えの王(後編)
道が開く。
サミエムの剣が最短距離だけを斬り裂き、崩落した岩盤と枯れ根が次々と砕け散っていく。
その先。
黄金色の光が溢れていた。
「見えた!」
灰崎が叫ぶ。
生命の溜まり。
ユグドラシル全体へ命を送り出す源泉。
あと数十歩。
そこへ辿り着けば――。
ギャアアアアアアアアアアッ!!
害獣王が咆哮した。
先程までとは違う。
焦り。
怯え。
そんな色を帯びた叫びだった。
巨体が地を揺らしながら突進する。
「来る!」
灰崎は反射的に魂視を広げた。
視界が黄金に染まる。
害獣王の魂。
その奥深くまで覗き込む。
「……っ!」
息が止まる。
憎悪はない。
殺意もない。
怒りすらなかった。
そこにあったのは、ただ一つ。
飢え。
どこまでも。
果てしなく。
終わることのない飢えだけが、巨大な魂を支配していた。
「そうか……。」
灰崎は呟く。
「お前……。」
生きたかっただけなのか。
その言葉は口にならなかった。
害獣王が前脚を振り上げる。
まともに受ければ終わる。
「サミエム!」
灰崎が叫ぶ。
「殺すな!」
サミエムは一瞬も止まらない。
「排除が最適解。」
淡々と答える。
霊帝の抱擁。
感情を切り捨てた演算が続く。
「違う!」
灰崎はさらに叫んだ。
「生命の溜まりが戻ればこいつは変わる!」
「こいつは世界を壊したいんじゃない!」
「飢えてるだけだ!」
サミエムの足が、僅かに止まる。
霊帝の抱擁が演算を更新する。
灰崎。
魂視。
情報精度。
極めて高い。
成功率再計算。
害獣王討伐。
五十八・一%。
灰崎案。
九十六・四%。
結論更新。
「……了解。」
感情ではない。
信頼でもない。
ただ。
最も合理的だから。
サミエムは進路を変えた。
銀光が走る。
狙うのは害獣王ではない。
その足元。
生命の溜まりへ流れ込む根を押し潰していた巨大な岩塊。
一閃。
ズガァァァァァン!!
岩盤が砕け散る。
次の瞬間だった。
ゴォォォォォォォォォッ!!
黄金色の奔流が噴き上がった。
光。
いや。
粒子だった。
一粒一粒が命そのもののように輝き、空洞全体を満たしていく。
灰崎は思わず目を見開いた。
「これは……!」
魂じゃない。
魔力でもない。
もっと根源。
命が命であるための何か。
それが洪水のように流れ出していた。
黄金の粒子は根へ染み込み、枯れかけていた根が一斉に脈動を始める。
乾いていた樹皮へ潤いが戻る。
ひび割れていた地面がゆっくりと閉じていく。
世界が息を吹き返していく。
だが。
害獣王だけは違った。
ギィィィィィィッ!!
苦しむように身を捩る。
前脚で頭を掻き毟り、巨大な尾を地へ叩きつける。
黒鼠たちも混乱し、一斉に走り回り始めた。
「何だ!?」
灰崎が叫ぶ。
魂視には見えていた。
今まで枯渇していた命が、一気に流れ込んでいる。
飢え続けた身体が、それに耐えられない。
「苦しいのか……!」
その時。
浮雲が静かに前へ出た。
背中の大盾を構える。
絶界盾。
その表面に刻まれた紋様が淡く輝き始める。
しかし。
何も起こらない。
光線も。
衝撃波も。
能力らしい能力も。
ただ。
浮雲は害獣王へ歩み寄った。
「もういい。」
静かな声だった。
「もう奪わなくていい。」
害獣王が唸る。
だが攻撃しない。
「お前も生きるためだった。」
「ユグドラシルも生きるためだった。」
「だったら。」
浮雲は盾を静かに地へ下ろした。
「一緒に生きよう。」
その言葉だけだった。
盾が応える。
優しい波紋が空洞へ広がる。
支配ではない。
命令でもない。
拒絶もしない。
ただ。
共に在るという意思だけが伝わっていく。
害獣王は動かない。
じっと浮雲を見つめる。
やがて。
ゆっくりと。
その巨大な頭を地へ伏せた。
まるで礼をするように。
黒鼠たちも一匹、また一匹と動きを止める。
牙を収め。
王の周囲へ静かに集まり始めた。
戦いが終わる。
飢えが終わる。
灰崎は深く息を吐いた。
「……助かった。」
その瞬間。
ゴゴゴゴゴゴ……。
再び地面が揺れた。
しかも今度は。
害獣王が暴れている訳ではない。
空洞全体。
ユグドラシルそのものが軋んでいる。
「まだ……?」
灰崎が魂視を向ける。
黄金の流れは戻っている。
生命の循環も始まった。
なのに。
ユグドラシル自身の魂は弱々しいままだった。
「……違う。」
灰崎の顔から血の気が引く。
「流れてるだけだ。」
「中身がない。」
生命は循環している。
だが。
蓄えるべき命そのものが空だった。
長い年月。
老い。
飢え。
奪われ続けた命。
それは循環だけでは戻らない。
浮雲は静かに目を閉じる。
「やっぱり……。」
予想していたようだった。
「これだけじゃ足りない。」
灰崎が振り返る。
「どういうことだ?」
浮雲は弱々しく笑った。
「ユグドラシルにはもう、命を育てる力が残ってない。」
「だから必要なんだ。」
一拍置いて。
その名を口にした。
「――《始原粒子》が。」




